法 話

-心のともしび(2021年)-

1月:合掌 多くのいのちに生かされて

 テレビを見ていると、食べ物をテーマにした番組が多く制作されています。そして、その中のいわゆる「食レポ」のコーナーでは、出演者がいかにも美味しそうに食べ物を頬張りながら、「この魚はとてもイキが良くて脂ののり方も最高です」とか、「この肉は口に入れたらすぐにとろけてしまいました」などと語る場面が画面に映し出されるのを目にすることがあります。その時、食レポをしている人たちは、「美味しいご馳走を食べている」ということを感じてはいても、おそらく「いのちを食べている」ということに意識が及ぶことは全くといっていいほどないのではないかと思います。つまり、生きた生命としてではなく、どこまでも食べ物としてしか見ていないということになります。
 けれども、その食べ物としてしか見ていないご馳走も生命として生きていたのですから、率直な言い方をすると、直接あるいは間接の別はあっても、つまるところ生きているいるいのちを殺して食べているということになります。そうすると、私たちが生き続けているということの内実には、殺し続けているということがあるといえます。一般に私たちは「いのちを大事にしましょう」と口にしているのですが、自らが生きるということの内面には、その言葉と矛盾する事実を抱えていることになるわけです。
 いのちが大事なものであり、それを大事にしなければならないということは、誰もがよく理解しているにもかかわらず、他のいのちを殺して食べていかなければ自らが死んでしまうという、どうしようもない矛盾をかかえながら生きているのが、私たちの身の事実です。
 どのような生命であっても、他の生き物に食べられるために生まれてきた生命はありません。生きとし生けるものは、すべて自らの生命を愛して生きていますし、その生の尽きるときまで精一杯生きようとしています。また、どのように小さな生命であっても、その生命の重さに軽重はなく、すべてが等しいはずです。そのことを教えてくれる有名な物語が龍樹菩薩の著された『大智度論』などに出て来る「シビ王の物語」です。 

 
 シビ王という心やさしい王さまがいました。
帝釈天は、その心を試すことにしました。

 王さまのところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをしました。
 鷹は王さまに、
「私は腹が減っている。
鳩を食べないと死んでしまう。
あなたは鳩のいのちとわたしのいのちと、どちらが大事だと思っているのか」

 と尋ねました。
 そこで、王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置きました。
 しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても、鳩の重さとつり合いませんでした。
 そこで王さまは、自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。
 シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒して敬いました。
 
 この物語は、『大智度論』おいて「布施」の説明として説かれたもので、近い将来必ず仏となるであろうと言われるシビ王が、一切の衆生を救おうという思いを起こしたことに対して、帝釈天が鷹に、毘首羯磨が鳩に変身してその思いを試そうとしたときのことだとされています。そして、自らの身を切り与えることは地獄の苦しみに比べると十六分の一でしかないとも説かれています。
 この物語が教えてくれているのは、どんな生命であっても、その生命はそのものにとってはかけがえのないものであり、ちっぽけに見える小さな生命であってもすべての生命の重さは等しいということです。
 にもかかわらず、そのいのちを奪わなければ、私たちは自分自身の生命を保つことができません。殺すことをやめれば、自分の生命を無駄に殺すことになるからです。それは、自分の生命を保とうとすると、他の尊い生命を奪わなければならないという、逃げようのない矛盾をかかえながら生きているということです。
 
そうすると、私たちは限りない多くの生命のおかげで保たれているこの生命というものを、空しく過ごすか、過ごさないかということが問われてくるように思われます。何故なら、私が自分の生命を空しく過ごしてしまうならば、私のために奪われていった生命のすべてを空しくしてしまうことなるからです。
 多くのいのちに合掌するということは、ただ単にいただいた生命らにありがとうと感謝することだけで終わるのではなく、頂いたいのちを決して空しくしない、この生命を成就していくということに尽きるのではないかと思います。

 2月:仏法 時代が変わっても変わらない真実
 刑事ものや探偵もののテレビドラマや映画の中で、「事件の真実は…」とか、「これが真実です」といったセリフを耳にすることがあります。そして、その事件における真実とはいったい何なのかといったことが中心になって物語は展開していきます。けれども、それはどこまでも「事実」であっても、「真実」とは違うのではないかと思っています。
  例えば、殺人事件を扱った物語の場合、犯人や殺人の動機、殺害方法などすべてが明らかになったとしても、解明されたのはどこまでも事実であって、決して真実ではありません。なぜなら、それが現実におきた事件や創作された物語のいずれであったとしても、誰が人を殺したのかとか、どのようにして死に至らしめたのかということは、どこまで事実に過ぎないからです。つまり、人を殺したということは罪を犯したということであり、誰がどのようにして殺したのかということが明らかになっても、それはどこまでも事実であって、人を殺すという行為が真実であるはずはないのです。
  本来「真実」とは、時代が変わっても決して変わることはありません。けれども、平和な社会ににあっては、人を殺すことは犯罪であり、罪を犯した者は法によって罰せられます。ところが、戦時中ににあっては、敵対する相手を殺しても罰せられないばかりか、英雄的行為として称讃され好評価を得ます。

 また、儒教においては、直系の男子が先祖の祭祀を守ることが重視されました。そのため、儒教を国政の基本に置いた中国の歴代王朝では、子孫繁栄、男系相続者の存在が重要視され、中国の影響を受けることの多かった日本でもこの考え方が肯定的に受け入れられ定着しました。
 ところが、現行の一夫一妻制の下では、女性一人が生涯に出産できる子どもの数は限られますし、妻の健康状態や不妊問題から、子どもを授からない場合もあります。そのため、男系男子の子孫を安定的に確保できるとは限らないことから、その問題を防ぐために、側室を持つことにより男系男子の子孫を絶やさないことが考慮されました。
 そのような儒教倫理に基づき、かつては「正室が一人で側室が複数」ということが容認、あるいは推奨されていたのですが、時代と共に倫理・道徳観などが変化する中で、その影響を受けて皇室でも大正期に側室が廃止されました。ところが、依然として皇室は男系男子の子孫によって皇位を継承すること」を原則としているため、昭和・平成を経て令和の時代なると、「男系男子の子孫」の数が少なくなり、将来も男系男子によって皇位を継承していくことへの不安が危惧されるようになっています。
 このように、ものの見方や考え方はいつの時代においても一定ではなく、その時々において全く相反することさえあったりします。そうすると、「真実とは何か」ということが問題になりますが、それを紐解く言葉が「時代が変わっても変わらない」ということではないかと思われます。
  実は「仏法」とは、お釈迦さまが創作された教えではありません。そのことをお釈迦さまは自ら、一つの比喩をもって次のように説いておられます。
 
『比丘たちよ、たとえば、ひとりの人があって、人里はなれた森のなかをさまよい、はからずも、むかしの人々が通った古道を発見したとする。彼が、その道をたどってずっと行ってみると、そこには、むかしの人々が住んだ古城があった。それき、園林をめぐらし、美しい蓮の花を浮かべた池のある、すばらしい古都であった。

 彼は、帰ってくると、ただちに、そのよしを王さまに報告して「願わくは、かしこに、ふたたび都城を築きたまえ」と申し上げた。王さまは、それを聞いてたいへん興味をもち、ただちに大臣に命令をくだして、そこに都城を築かしめた。すると、そこには、人々がたくさん集まってきて、殷盛をきわめるにいたったという。
 比丘たちよ、ちょうどそれと同じように、私もまた過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。  では比丘たちよ、過去の正覚者たちのたどった古道とは何であろうか。それは、かの聖なる八支の道のことである。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正道がそれである。
 比丘たちよ、私はその道にしたがって進んでゆき、やがて老死を知り、老死のよってきたるところを知った。また、いかにして老死を克服すべきかを知り、老死の克服を実現すべき道を知ることを得たのである。
 
比丘たちよ、私はそれらのことを知ることを得て、それを比丘、比丘尼、ならびに在家の人々に教えた。かくして、この道は多くの人によって知られ、栄え広まって今日にいたったのである。』
 
仏法はお釈迦さまによって知られ、お釈迦さまによって説き教えられたのですが、お釈迦さまご自身は、ここで「過去の正覚者たちのたどった古道を発見したにすぎない」と語っておられます。つまり、それは真実を発見し、それを明らかにしたのが仏法だということです。このように、仏法は真実であるがゆえに、いつの時代にあっても人々の心に燦然と輝き、生きる勇気となってはたらくのだといえます。
 3月:聞思 ありのままの自分と向き合う

 親鸞聖人の主著『教行信証』「総序」の中に「聞思して遅慮することなかれ」という言葉があります。これは(人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を)よく聞き考えてためらってはならない」という意味で、「聞思」とは「よく聞いて考える」ということだと言えます。
 また、親鸞聖人は『教行信証』の「信巻」の中で、私たちの心にどのようにして信心が生じるのかということについて述べられる中で、「信心の有無は二つの見方によって確かめることができる」として『涅槃経』を引用し、「信には二種あり、一つは聞より生じ、二つは思より生じる」と説いておられます。私たちに信じる心が生じるのは、聞くという場合と、聞いてさらにそのことについて深く考え信じる心になるという二種があるといわれるのです。
 この場合、「ただ聞くということだけで終わってしまう信」と、「聞いたことに対しその内容に深く思いをいたし、よく確かめた上で信じる」というのでは、その信に大きな違いが生じます。確かに、ただ教えを聞いて、単に「なるほど」と思っただけでは、その信はすぐに破れてしまうことになります。それに対して、教えを聞いて、それはどういうことなのかと自ら疑問を出し、その教えの真実性を自らの全人格を通して信じることができた場合は、なかなか破れるということはありません。そのため、聞いてすぐに「なるほど」と終わってしまうような信は、真の意味での信とはいわれなくなります。
 ところで、このようなあり方には、実は大きな問題が含まれています。普通この「思」は、私が思うののですから、迷いの原因の行為となってしまいます。なぜなら、煩悩に惑う私たちの愚かな判断が関わると、それは疑問ではなく疑惑になってしまうからです。素直に教えを信じれば良いのに、いろいろな疑問を抱いてあれこれと考えるのは、学問のあり方としては正しくても、仏道の学び方としては、そこに自分の思惑が加わり自力のはからいがなされるため、かえって深い迷いに陥ってしまう危険性があるのです。
 そのため、浄土真宗でははからうことを厳しく否定し、「ただ聞く」ことが強調されます。確かに、仏法は究極的には「聞くのみ」ということになるのですが、そこにたどり着くまでの知的段階においては、聞と思という二つの聞き方が大切になるのです。
 親鸞聖人の書かれたものを読むと、信に至る最初の段階では、聞より思を重視されます。まず信じるためには、真実の教えに対して、自らの全体で関われといわれます。それは、真実の仏法に対しては、常識的な考え方では、疑問が続出します。それは、聞いていることに対して、「ここが分からない」とか「それはどういうことなのか」と、次々と疑問がわいてくるということです。けれども、真剣に求めようとすれば、疑問がわいてくるのはむしろ当然のことです。したがって、疑問をもつことこそが、自分の主体をかけた問い方であり、真の意味での宗教との関わり方だということができます。
 聞く側に問いがあり、その問いに答えが与えられ、さらにそこから新たな問いが生じる。そのような聞思によって、初めて教えとの関わりがだんだんと深まっていくのです。そのため、親鸞聖人は信に至る最初の段階では、聞より思を重視しておられるのだと考えられます。
 また、聞ということについては、『涅槃経』の中から「聞不具足」という言葉を引いて、聞いていない状態を明らかにすることによって、逆に「聞」ということを明らかにしておられます。では、『涅槃経』では、どのような状態を「聞不具足」、聞いていない状態だと説いているのでしょうか。
 「如来は十二部の経典を説かれたとされています。この場合、その中の六部だけを信じて、いまだ他の六部を信じていない場合、このような聞き方を聞不具足とします。
 また、他の六部の経も信じることができて、十二部経全部を信じることができたとします。ただし、その内容を完全に理解するには至らないまま、他の人のためにその教義を解説しようとすると、間違ったことを教えることになります。このような聞き方もまた聞不具足とします。
 では、この経典のすべてを完全に理解することができたとします。ところが、この教えを単に他と議論して勝つために利用したり、自分の名誉とか自己満足を得るためであったり、日常生活を営む上での利益を得るために教えを説くのであれば、それもまた聞不具足と名づけます」
 このことから、「聞」とは非常に難しいことが知られます。そして、聞いても聞いても、いまだ真実を聞き得ていないばかりか、人間としての愚かさが痛感されるばかりということになります。したがって、自分は本当の意味で教えを信じているか、本当の意味で聞いたことを喜んでいるかということを確かめたいときは、この『涅槃経』の教えを物差しにして、自分の心にあててみればよいのだと言えます。このような意味で、「聞思=よく聞いて考えること」が、「ありのままの自分と向き合うこと」になるのです。


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