法 話

-道しるべ(2025年)-

4月:言う者は水に描き 聞く者は石に刻む
 いろいろな役職を担っていると、さまざまな場面で挨拶をすることがあります。その場合、いつも前の方に座らされているのですが、そこからマイクのところまでの距離は、短い時は五、六歩、長くても十歩前後です。実は、名前を呼ばれて椅子から立ち上がり、マイクの前に立つまでの間にどんなことを話すか考えることがしばしばあります。もちろん数歩の間で話す内容のすべてを考えられるわけではありませんので、話をしながら思いつくままにあれこれつけ加え、結局取りとめもないことを話し、挨拶をしたかのようにしてしまっています。そのため挨拶を終えた後は、反省することしきりです。なのに、なぜついそのようなことに陥ってしまうのかというと、ご法話などのように同じ話を何度もする機会があると、だんだん内容が熟成されていくということもあるのですが、挨拶は一回切りなので、ついその場で考えながら話してしまうのです。ただ、その場で思いつくままに話してしまっているので、ほとんどの場合、挨拶が終わると自分でもどんなことを話したのかよく覚えていなかったりします。まさに「言う者は水に描く」といった感じです。
 余談ですが、座っていた椅子からマイクに向かう時、いつも思い浮かべるエピソードがあります。それは中国南北朝時代の南宋の臨川王劉義慶が編集した後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説集『世説新語』に掲載されている「七歩の詩」にまつわる逸話です。
  後漢が滅んだ後、魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代のことです。その三国の中の魏国の初代皇帝曹
丕(187年-226年)には、魏王であった父・曹操の後継を争った曹植(192-232年)という弟がいました。曹植は後に杜甫(712年-770年)が現れるまで「詩聖」と呼ばれるほどの才能の持ち主であったため、曹操から大変可愛がられて育ち、一時は後継者に目されることもありました。けれども後継者争いに敗れ、曹操が亡くなったあと皇帝に即位した丕がその文才が本物かどうかということを疑い、「題は兄弟。ただし、兄弟の文字を使ってはならない」という条件で詩作を命じ、しかも「七歩歩くうちに詩作せよ」と付け加えました。
  この時、もし曹植が七歩歩くうちに詩を作ることができなければ、あるいは詩を作れても駄作であれば
丕は曹植を斬首するつもりでした。そのような緊迫した中で曹植が作ったのが「七歩の詩」です。
 
 豆を煮て持て羹(あつもの)と作し
  鼓(し)を漉(こ)して以て汁と為す
  萁(まめがら)は釜下(ふか)に在りて燃え
  豆は釜中(ふちゅう)に在りて泣く
 
 本同根(もとどうこん)より生ずるに
 
 相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なると
曹植の詩
を意訳すると、
  豆を煮て濃いスープを作る
 
 豆で作った調味料を濾して味を調える
  豆がらは釜の下で燃え
 
 豆は釜の中で泣く
 
 豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに
 
 豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか
となります。この詩を聞いて、曹丕だけでなくその場に居た文官達をも感服したため曹植は斬首を免れることができました。
 私の場合、挨拶の内容がつまらなければ、詩が駄作であった場合、曹植のように斬首されてしまうというような危険性はありませんが、前座ともいえる挨拶とはいえ、やはり「水に描く」ような話をしているようで大変申し訳なく思うことです。
 では、なぜそんなことをしてしまうのかというと、七歩歩くうちに自分に害意を持っている相手が感服するような詩作をなしとげた曹植のように、椅子からマイクに向かうまで数歩の間に、参加された方が納得されるような挨拶の内容を考えられたら…と妄想してしまうからかもしれません。

 とはいえ、「言う者」である私は「水に描く」ように何を話したかよく覚えていないこともあるのですが、その一方聞かれた方は「聞く者は石に刻む」とあるように、ちゃんと覚えておられたりすることがあります。先日もある研修大会の開会式の中で挨拶をしたのですが、この時は一応挨拶の冒頭部分だけは椅子に座っている時に考えたものの、そのあとのことは性懲りもなく、頭の中の引き出しからあれこれ話題を取り出してつなげながら話してしまいました。そのため、一週間もたつとどんなことを話したのかよく覚えていなかったのですが、挨拶を聞いておられた方からその時のことについて語りかけられた際、内心「へぇ~、そんなことを言ったんだ」と思いながら耳を傾けていました。
 さて、ここで改めて「言う者は水に描き聞く者は石に刻む」という言葉の意味を仏法の中で味わっていくことにしたいと思います。「言う者」つまり話をする者は一人であっても、その話を聞く人は千差万別です。千差万別ということは、その一人一人における日々の生活も、悩みも、感情も、考え方も千差万別ということですから、私一人の話であっても、聞かれるところでは当然千差万別に聞かれることになります。したがって、話の内容は一つであっても、十人聞く人がいれば十人の耳に聞こえ、五十人いれば五十人、百人いれば百人の耳に聞こえ、聞いた人はそれぞれの思いの中で了解していかれます。
  そうすると、話をする者は自分の考えていることを強制するような気持ちで話すのではなく、あたかも水に描くかのように執着を離れて共に自分も聞くということを意識しながら話をするべきだといえます。確かに、懸命になって水に描いたとしても、流れる水はそれをさっと消してしまいます。つまり、「言う者は水に描く」ということは、仏法を伝える時には、そこに自分の思いを重ねることにこだわるのではなく、水に描くかのように自分の思いまじえないで話すことを心がけることの大切を教えているように窺えます。
 その一方、仏法を聞く人は、「石に刻む」ように、言い換えると自分のいちのに刻み込むかのようにして聞くことが、一番大切なことだということを教えているのだと理解することができます。
 ところで、この言葉をさらに深く味わっていくと、「言う者」として、その時は自分なりに一生懸命に話しているつもりでいるのですが、特に挨拶など一回切りの話をした場合、自分でも何を言ったか覚えていないことがしばしばあるので、結局は水に描いた絵のように消えていってしまうような挨拶しかできていないのだと痛感するばかりです。けれども、話す者がたとえどのような話をしたとしても、聞く人が真摯に耳を傾けて聞いていてくださった場合、話した私の力によってではなく、聞くという事実の中で、その話したことの内容が聞く人自身の人生を大きく変えていくということがあったりします。
 そうすると、特に法話の場合、聞いた人の中でその内容が成就するかどうかということで全てが決まるのだと思います。それは、私が何を話したかではなく、その言葉、具体的には仏法を聞いた人がいのちに刻み込んだ時、言葉の中に生きている事実が、その人の人生の意味を決定的に変えていくことがあるということです。

 このことから、自分の話が聞く人にどのような受け止められ方をしていくかということはなかなかわかり難いのですが、自らもまた聞く者の一人であることを意識しながら、聞く人の心に仏法が刻まれることを願いつつお話をしていきたいと思うことです
 3月:我必ずしも聖にあらず 彼必ずしも愚かにあらず
 この言葉は、親鸞聖人が「和国の教主」と尊崇された聖徳太子が「憲法十七条」の中で述べられた言葉の一節です。聖徳太子は平和な国作りのために本格的に仏教を学ばれ、経典の注釈や寺院の建立に取り組まれたり、仏教の精神によって国作りに尽力なさったりされました。親鸞聖人は、そのような聖徳太子を「日本におけるお釈迦さまのような方」として「和国の教主」と尊ばれ、深く敬っておられました。いまこの言葉が書かれている憲法十条を意訳すると次の通りです。
自分と他人が違う意見を持っていたとしても、怒ったり、恐ろしい顔をしたりするのはやめましょう。人はそれぞれに心があります。そのため、誰にも譲れないこだわりがあるのです。
相手が良いと思ったことでも、自分は気に入らなかったり、自分が良いと思ったことでも、相手は気に入らなかったりすることもあるでしょう。
しかし、良く考えてみれば、自分がいつでも正しいということでもないし、相手がいつでも間違っているということでもありません。お互いに、わがままな心を捨てきれない普通の人間同士です。
本当に正しいことや間違っていることなどは、そうそう簡単に定められるものではありません。
相手も自分も、正しかったりすることもあれば間違っていたりすることもあります。どちらが正しい側で、どちらが間違った側とは決まっていません。
まるい輪っかに「ここが端っこだ」と定まったところが無いように、正しさも少し見方を変えれば間違いになり、間違いも少し見方を変えれば正しさになります。
もし、相手が怒っているなら、むしろ自分が間違っているかもしれないと、自らを省みることが大切なのではないでしょうか。
自分が正しいと思っているときでも、周りの人の意見をよく聞いて尊重することが大切です。」
社会生活を営んでいく上で、私たちは家庭をはじめ様々なところで日々多くの人と関わりながら生きています。そして、それらの人と会話を通してお互いの思いに耳を傾けながら生きているのですが、時には相手の人と意見が異なっていることもあったりします。その場合、いつも自分の意見が通るわけではありません。そして、それを無理に押し通そうとすると、相手が譲らなければ言い争いなどが生じることもあったりします。
  そこで思い出したいのが、原文でと言うと
「我必ず聖(ひじり)に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫(ただひと)ならくのみ」という箇所です。これは「私は必ずしも道理に通じた聖人ではありません。また、彼は必ずしも道理の通じない愚かな人でもありません。人は共に凡夫にすぎないのです」という意味ですが、今これを争いの場にあてはめると、私たちは誰もが自分は賢く、相手は自分より愚かだとみなし、そのため自身の言動は間違っていないのだと錯覚して、その正しさを主張しているが、「いつも自分だけが正しいわけではないし、またいつも相手が間違っているわけでもない」と、教えておられるのだと理解することができます。
 ときに、
「凡夫」とは一体どのような人のことを言うのでしょうか。聖徳太子は「人皆心有り。心おのおの執れること有り」と述べておられます。これは「人にはみな心がある。その心にはおのおのこだわるところがある」ということですが、人は誰もが執着心(こだわりの心)を持っている。その点においてみな等しく凡夫であるといわれるのです。この「凡夫」について、お釈迦さまは「凡夫とは、煩悩を身に具えていて、物事を正しく見る智慧の眼を持たない者のことです。例えば、欲望という煩悩に支配されている人は、どれだけ欲しいものを手に入れても満足しないという欲求不満の生活を過ごすことになります。また、怒りの煩悩に支配されている人は、他者と敵対し傷つけ合うという、心が休まることのない生活を生きることになります。このように煩悩によって苦しみながらも、そのことに気づかない者を凡夫というのです」と教えておられます、また、親鸞聖人は凡夫とは、「無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一年に至るまで止まらず消えず絶えず」と述べておられます。そして自らを「煩悩具足の凡夫」あるいは「煩悩成就の凡夫」、つまり全ての煩悩を完全にそなえた凡夫だと悲嘆しておられます。
 
私たちは執着心を持つがゆえに、自分の思い通りにならないことや気に入らないことに対しては怒り、偏ったものの見方をしてしまう可能性を持った存在だといえます。そこで、聖徳太子は憲法十七条において、話し合いの場にでは、そのような自分であると自覚することが大切だということを教えておられるのだいえます。一般に、私たちが何か意見をいうときは、自分の意見は正しいと思って口にしているのですが、もしかするとそれは私だけの正しさを主張しているだけなのかもしれません。また、意見が対立したりすると、怒りの感情に支配されて正常な判断ができなくなったりすることもあったりしますし、自分では客観的に正しいこと言っているつもりでいても、それは自分の立場や判断を正当化するために持論を展開しているだけということもあったりします。そうだとすると、いくら話し合っても、なかなか相手の意見を誠実に聞き留めることはできなかったりするものです。
 
改めて考えてみますと、意見がぶつかり合うということは、自分にはない見方と出会うということだといえます。そこで、まずは違いを認め合い、相手の言葉に真摯に耳を傾けていくと、新たに視野を広げることができたりするかもしれません。作家の吉川英治さんに「われ以外みなわが師」という言葉があります。常に他の人から何かを学ぼうという謙虚な生き方が窺えますが、もしかすると「我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ」という言葉を目にされておっしゃった言葉なのかもしれません。最後に、聖徳太子が教えられた「いつも私だけが正しいわけではなく、いつも相手が間違っているというわけでもない。人はみな共に凡夫にすぎないからだ」という言葉を受け止めるときは、自分もその凡夫の1人だということを心にとめて聞くことを大切にしたいと思います。
 2月:引き算の生活から足し算の生活へ

私たちは、漠然とではあるものの、「いつか自分のいのちには終わりが来る」ということを知っています。けれども、それがいつになるかということになると誰も分からないのですが、毎年厚生労働省が日本人の平均寿命を発表しているので、深刻な病気などに罹っていなければ、だいたいその年齢くらいまでは生きられるのでないかと思っていたりします。
 この平均寿命とは、0歳における平均余命のことで、その年に生まれたばかりの子どもが生存すると予想される平均年数のことをいい、ある集団の死亡状況が今後変化しないものと仮定して、各年齢の人があと平均何年生きられるかを計算した「生命表」をもとに計算されています。したがって、毎年発表されている平均寿命とは、その年に亡くなった人の年齢を平均したものではないことに注意する必要があります。2024年は男性81歳、女性87歳でした。これまでに発表されてきた資料によれば、新型コロナウイルス感染症が流行した時期を除くと、日本人の平均寿命は昭和30年以降右肩上がりに延び続けています。具体的には、1955年(昭和30年)の時点では男性64歳、女性68歳で、平均寿命は60歳台でしたが、現在の平均寿命は男女ともに80歳を超えており、70年程の間に17年
~20年ほど平均寿命が延びたことになります。なお、厚生労働省は、2040年の平均寿命を男性83.27歳、女性89.63歳と推計しているので、今後も日本人の平均寿命は延びていくことが予測されています。
 
 ところで、改めて「寿命」とは何かというと、「いのちがある間の長さのことで、生まれてから死ぬまでの時間のこと」だと言われ、一般には「人間が生まれてから死ぬまでの時間のこと」を言います。私たちは、生まれた以上そのいのちには必ず終わりが来るのですが、いのちの長さには大きな個人差があり、生まれてすぐに死ぬ人もいれば、100年以上生きる人もいます。そして、生きた年数が比較的短い場合、それらは概ね事故や災害、あるいは病気など不本意な理由であったりすることから、「あれさえなければもっと長く生きることができていたのに…」と考えたりします。そのため「人は特に問題がなければ老人になって衰えて死ぬものだ」との考え方から、老衰で死ぬことを「寿命」と言い表してきました。
 「寿命」の「寿」というのは「ことぶき」と読み、意味は「めでたい」とか「よろこぶ」ということですが、それは「人が事故・災害・病気・戦争などの不慮の出来事から免れて、十分に生きた」、だから命がめでたく終わるということを「寿命」という言葉で言い表そうとしたからだと思われます。では、いくつまで生きたら寿命と言えるのかと言うと、すぐに思い浮ぶのは平均寿命かもしれません。そうすると、現在だと男性81歳、女性87歳まで生きれば、寿命で亡くなったということになるのでしょうか。
  さて、私たちの命の長さが
「めでたい」とか「よろこぶ」という意味の「寿」という字を冠して「寿命」という言葉で言い表されているのは、生きていることに喜びがともなわなければ、それは生きているということにはならないということを物語っています。私たちは、生きることが苦しかったり辛かったりすると、ふと「死んでしまいたい」と思ったり、「死んだ方がましだ」と呟いたりすることがありますが、それではたとえ息をしていても、本当に生きていることにはならないのだと言えます。
 私たち人間の心の中には、強い欲望や執着の感情が深く根ざしていますが、仏教ではこれを「渇愛」と呼び、苦しみの根本原因の一つとしています。そして、それは三つに分けられ「三愛」といわれます。
 その一は「欲愛」です。これは、いろいろなものや事柄に対する愛着です。物質欲とか地位とか名誉、権力などに対する欲で、いわゆる所有欲です。分かりやすく言うと自分のものにしたいという欲です。
 二は、「有愛」です。これは、自分が存在していることに対する欲で、いつまでも生き続けられるようにという欲です。簡単にいうと、生存への欲、生存への執着心です。
 三は「非有愛」です。これは、自分が存在しなくなることへの愛着のことです。どのようなことかというと、自分がこの世に生き続けることを拒否したいという欲です。
仏教では、自殺をこの非有愛という言葉で受け止めます。自殺は自己放棄ではありません。自分を放棄したのであれば、自らいのちを断つ必要はないのです。ただ成り行きにまかせて生きていれば良いからです。自殺するというのは、実は自己主張なのです。このような状態に自身を追い込んでいる者に対して、あるいは社会に対しての怒りとか抗議とか、そういうこの世に対する否定の感情が、自分がこのまま生き続けていくことを拒むのです。
 ですから、自らいのちを断つということも自己愛の一つなのです。自分に対する愛着。そういう意味で、非有愛というのです。つまり、人は死ぬという形で生きるということがあるのです。空しさとか、苦しさの果てに、人生そのものを否定する。そういう形で自分を確保したいという心を持っているのです。
  そうすると、「長生不死」がそのまま生きることの喜びになるかというと、そうはいきません。生きていることに喜びがともなわなければ、長生不死はかえって苦痛になります。なぜなら、長生不死というのは終わりがないということだからです。私たちは、どんなに苦しくても辛くても、終わりがあるということで救われている面があるのですが、この苦しみに終わりがないとすれば、それはとても耐えらたものではありません。
  そして、実は地獄こそが長生不死の世界なのです。地獄は、生前に犯した罪によって様々な地獄に赴くことになるのですが、その始めに出てくるのが等活地獄です。そこでは、獄卒という地獄の鬼によって頭のてっぺんから足の先まで切り刻まれるのですが、その苦痛がやっと終わって息絶えたと思う間もなく、気が付けば元の姿に戻り、再び頭から切り刻まれていきます。そうやって、苦しみが限りなく続くということが説かれています。このように、地獄では限りなく苦痛を受け続けることになるのです。
  そのため、長生不死ということは、そのまま人生の到達点にはならないのです。やはりそこに生きていることの喜びをともなわなければ、長生不死は決して喜ばしいものとは言えなくなります。
  源信僧都は、地獄についで「われいま帰るところなし。孤独にして無同伴なり」と述べておられます。これが一番深い地獄にあるものの姿です。帰れるところというのは、私を待ってくれている人がいるところという意味ですが、それは言い換えると信じられる社会があるということです。
  私たちの教団では「
御同朋の社会をめざす運動」を進めていますが、それは「あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的」としています。「自他共に心豊かに生きることのできる社会」とは、具体的には「死ぬときに豊かな心で死ねる社会」のことです。
  一般に、物が豊富で財産や個人所得が増えるというところに社会の豊かさを見出そうとするのですが、財産をどれほど築いても、貧しい心や寒々とした気持ちで死ななければならないということもあったりします。けれども、それではその人にとって豊かな人生であったとは感じられません。
  では、豊かな心で死ねるとはどういうことかというと、それは何かを信じられる心を持つということです。家族が信じられたり、社会が信じられたりする。そういう何かを信じられるということがなければ、豊かな心というわけにはいかないのです。だいたい私たちは、自分を自分の力で固めているときには、誰にも心を開いたりするということはありません。ですから、全てのことを自分で抱え込んでいるときには、決して豊かな心にはなれません。
 そうすると、生きていることの喜びは、決して孤独というところにはないということになります。孤独を破って信じられる人間関係、あるいは社会との関係が開かれなければ、たとえ私一人の命がどれだけ続いたとしても、けっしてそこには生きることが喜びにはならないのです。生きることが喜びになるためには、ただ時間的に続くというだけではなく、豊かさがなくてはなりません。
 そして、その豊かさというものは、自分一人を固め守るようにな生き方の中からは出てこないのです。自分の周りの人が信じられ、そして本当に語り合える人がいるとき、人はどんな悲しみにも耐えられるし、また本当に心から喜ぶことができるのです。どんなに嬉しいことがあっても、その喜びを共に喜んでくれる人がいなければ、空しいだけです。他の人からうらやましがられるような喜ばしいことが起きても、それを一緒に喜んでくれる人がいなければ寂しいだけでなく、かえって孤独ということをより強く感じたりしてしまいます。悲しみもまた、ともに語り合える人がそばにいてくれるとき、はじめてその悲しみに耐えていくことができます。
 このような意味で「寿命」というものは、「関りとしてある」ということなのです。南無阿弥陀仏という仏さまは、また「無量寿如来」という言い方もしますが、この仏さまの寿命が無量だということは、この仏さまの命が単に無量ということではなく、この仏さまの教えにふれて仏道を歩み始めた人々の上に限りなく働いていくということです。
 それはまた、多くの人々に生きる勇気を与え、生きる喜びを与え続ける働きに限りがないということです。つまり、南無阿弥陀仏という仏さまがどこかにおられて、いつまでも生きておられるということではないのです。もしそういうことであれは、私には全く関係のないことです。しかしそうではなく、私の上にこの仏さまが限りなくはたらいてくださる、その働きに限りがないということを「無量寿」というのです。

  ところで、人は亡くなる年齢がそれぞれ違うことから、生まれる前からあらかじめ寿命が決まっているというような考え方があり、そのいちの長さはしばしばローソクに譬えられます。つまり、長生きした人は長いローソク、あまり長く生きられなかった人は短いローソクというわけです。そして、生まれた瞬間にいのちのローソクの火が灯り、あとは日々だんだんと短くなっていって、最後にいのちの灯火が消えしまった時が、その人の寿命ということになります。そのため、若い時には特に気にしなくても、ある程度の年齢になると、「あとどのくらい生きられるだろうか」と思ったりすることがあります。例えば、男性の場合、還暦を迎えて60歳だとすると、平均寿命は81歳ということですから「あと20年余りかな…」といった具合です。もちろん、それで終わっても良いというわけではなく、大半の方は「せめて、その年齢は超えたいものだ」と思われることでしょうが、死の縁は無量ですから、いつどのような形で終わるのか誰も知り得ないままに今こうして生きているということになります。
 けれども、このように「あとどれくらい…」と思ってしまうのは、「引き算の考え方」です。
つまり、自分の知らないところで既に寿命は決まっていて、生まれた瞬間から刻一刻といのちのローソクは短くなっていって最後にはフッと消えてしまうというわけです。果たしてそうなのでしょうか。
  私たちは、誰もが自分の人生を日々精いっぱい生きています。そのため誰かに「毎日よく頑張っておられますね」と言われると、笑顔で「はい!」と答えることになるのですが、その返事をした後にすかさず「でも死にますよね」と言われると、返す言葉がありません。残念ながら「私だけは死なないことになっているのです」とは、誰一人言い得ません。
  だとすると、私たちはどうして日々頑張って生きているのでしょうか。頑張っている間は死ななくても済むのであれば、それなりに頑張る意味もありますが、頑張っても頑張らなくても、結局私たちはいつか死んでしまいます。そうすると、この日々の頑張りは、いったい何のための頑張りなのでしょうか。もし、その答えを見いだせないままにいのちが終わってしまうとしたら、そのとき自分の人生を振り返ると「空しかった」という言葉にすべてが集約されることになってしまいます。
  仏教ではこの空しく過ぎることを「空過」といい、人間にとっての最大の不幸だといいます。なぜなら、懸命に生きたのに、そのすべてが「空しかった」の一言に集約されてしまうのですから。そして、それは自分では積極的な生き方をしていたはずなのに、心のどこにで刻々といのちのローソクが短くなっていくことへの不安を抱えながら、まるでいのちを削るように消費し続け、砕け散るような終わり方だったということになってしまいます。そのような生き方に終始したのでは、生きることの喜びを本当に見出すことはできないかもしれません。私たちは、どのような生き方をしていても上手くいくこともあれば、失敗することもあります。
  そうすると、それがどちらになったとしても、その生きているという事実そのものが「空しくない」という生き方はないのでしょうか。一般に、人生を生まれてから死ぬまでの長さで考えてしまうのですが、人生の本当の意義は長さにあるのではなく深さにあるのだと言えます。もちろん、長く生きるということを否定しているわけではありませんが、そのことにこだわってしまうと、内容のない人生になってしまうおそれがあります。
  では、深さとはどのようなことをいうのでしょうか。それを仏教で使われている「修行」という言葉の中に見い出すことができます。これは、日々努力を重ねてゆくことによって自らの身を修めていくことです。  
  このような生き方ができれば、悲しいことがあっても、悲しみを通して悲しまなくてはならない人生の深さというものに眼が開かれていくことになり、辛いことに遭えば辛いことを知らなかった私が辛いことを知った私に新たに生まれていくことになります。人生におけるすべてのことが、人生の新たな意味を見出していくうえで必要なことであった、私の人生におけるすべてのことが必要なものであり十分なものであったと頷くことができれば、いわゆる「空しい」というものはなくなるのだと思います。
 私たちの人生は、決して生まれた瞬間から、あらかじめ終わりが決まっているのでありません。ですから引き算ではなく、日々積み重ねていく足し算なのです。つまり、毎朝目が覚める度に、今日も新たな1日を頂いているのです。そして、その積み重ねこそが、まさに私の人生そのものだといえます。

 1月:一念発起 始めるも 見直すも
「一念発起」とは、『華厳経』の中に説かれる「一念発起菩提心(いちねんほっきぼだいしん)」という言葉を略したものです。意味は「一心に仏を信じ、悟りを開こうという心を起こすこと」で、仏教においては「今までの心を改めて悟りを開こうと発心すること」もしくは「仏門に入る」という意味で用いられています。また、浄土真宗では親鸞聖人の語録である『歎異抄』や蓮如上人の著わされた『御文章』などに見られますが、阿弥陀如来の「念仏せよ、必ず救う」という本願念仏の教えを信じることを指し、「いちねんぽっき」と読んでいます。さらに、日常会話にも取り入れられていますが、仏門に入ることや悟りを開きたいという仏教本来の意味は省かれ、「ある事柄を達成しようと決心すること」という意味で多く使われています。
  仏教用語は、しばしば日常会話の中でも用いられていますが、中には「他力本願」や「往生」のように本来の意味とは違う内容で使われていることもあります。
「一念発起」は、後に続く「菩提心」、つまり仏門に入ったり悟りを開こうと決意したりするという仏教的な意味は省かれているものの、少なくとも「これまでの考え方を改めて、あることを達成すると決意し、熱心に取り組むこと」という「一念発起」の意味するところについては、概ね正しく受け止められているのではないかと思われます。
  さて、日常会話の中で口にされる「一念発起」について改めて見てみると「
今までのやり方や習慣を見直し新しい目標を立て、それを成し遂げるために一生懸命に励む」という意味で語られているのですが、それは意を決しそれまでの習慣や考え方を捨てて、それまでとは全く違う行動を始めるというような場合に使われています。そのため、この言葉は「今日の夕食は一念発起して和食にする」とか、「明日は一念発起して散髪にいく」というような日常のありふれた事柄について用いたりすることはなく、何か自分の強い覚悟を示したり、強固で揺るぎない意思を強調したりするような意図で使うことが前提になります。したがって、「一念発起」という言葉を使っているときには、「何としても結果を出す!」「絶対に目標達成する!」といったような、熱意や情熱が心の奥に秘められていたりします。
  仏教における「一念発起」という言葉は、「迷いを断ち切って悟りを開きたいと決意すること」を意味しているのですが、悟りを開くということは誰もが容易に成し遂げられることではなく、そのためそれまでの自らの在り方を大転換してひたすら修行に励むことを一大決心することが必須であることから、その中心を成す「目的を達成することを心に強く決意する」という意味が強調され、民衆の間でも広く使われるようになったものと思われます。
  
ところで、一般に「一念発起」という四字熟語として使われていますが、「一念」と「発起」というように前後二文字ずつの熟語に分けることができます。まず「一念」とは、一般には「心に深く思いこむこと」やその心の在り方をいいます。例えば、「一念岩をも通す」というように「強い信念をもって物事に当たれば、どんなことでも成し遂げることができる」という用い方で、強い思い込みを意味する言葉として理解されています。また、「発起」とは「思いたって事を始めること」です。この二つを組み合わせると、「何事かを成し遂げようと、強い信念を持って事を始めること」という意味になるわけです。
  一方、仏教でいう「一念」とは、極めて短い時間を意味する梵語のeka-kaaと、心に思うことを意味するeka-cittaの二つを漢訳した語です。浄土真宗では、阿弥陀仏の救いを信ずることができたその瞬間、または信じて二心のないことを意味しています。次の「発起」とは「悟りを求める心を起こすこと」です。 
 仏教で使われる時は、「
今までの心を改めて悟りを開こうと発心すること」と明確な方向性があり、一般に用いられる時は、「これまでとは違う大きな決断をして行動に移すこと」と、心を起こす人によって千差万別という違いはありますが、いずれにせよ大きな決断をするという点では共通項があるといえます。
 ときに、蓮如上人はしばしば「後生の一大事」ということを言われます。「後生」というのはいのちが終わったその後の生ということで、「死後の世」とか「来世」ともいわれます。その後生について、今考えることが何よりも大事なことだとおっしゃっておられるのです。なぜ蓮如上人は、「後生」について問うことが「一大事」だと言われたのでしょうか。それはおそらく、私たちのいのちには、誰もが必ず老いて死んでいくという「老死」の問題が逃れ難い事実として根底に横たわっているからだと思います。
  私たちが日頃「生き甲斐が欲しい」という思いで生きているその延長線上には、その全てを飲み込むように「老死」という事実が立ちふさがっています。つまり、どれほどの名誉や地位を手にし、莫大な財産を築き上げたとしても、その全てを残して死を迎えなければならない時が必ずやってきます。そして、その死を前にした時、全て消え去ってしまうような事なら、結局は空しさが残るだけということになってしまいます。なぜなら、私たちの「生きる」という営みには、「老いて死んでいく」という事実をも含んでいるからです。

  そうすると、その事実をどのように受け止めていくかということが、今ここではっきりしなければ、「生きる喜び」といっても最後の最後で投げ出さなければならないことになってしまいます。そこで、蓮如上人は「後生の一大事」という言葉で、老いて死んでいく私が、老死の事実から目を逸らし、その事実から逃げて生き甲斐というものを握りしめようとしていることに気付かせ、自らの足下の事実に目を向けよということを語りかけておられるのだと言えます。
  また、この「後生の一大事」という言葉を現代の感覚で言い換えると「今のままで死ねますか」と言い表すことができるのではないかと思われます。実は「後生の一大事」を問うということは、死んだ後のことを問うということではなく、誰にも等しく与えられている「老いて死んでいく」という事実を今ここではっきりと意識した時に、「では、どう生きていくのか」ということが自らの課題となるということです。
 仏教という教えは、お釈迦さまの悟りから始まったのではなく、「老・病・死」を自覚するところから始まったのだといえます。つまり、仏教は決してお釈迦さまがあれこれ考えて作られた教えなのではなく、「老・病・死」の事実と向き合い、その苦悩を通して確かなよりどころを求めて行かれた歩みが、仏道となって今日に伝わっているのです。そうすると、私たちが「後生の一大事」を尋ねるということは、老・病・死の事実を受け止めるとともに、死によっても砕かれない確かさを求めるということに他なりません。
 善導大師の著された書物の中に「前念命終 後念即生」という言葉があります。「後生」というのは「後念即生」から生まれた言葉という説もありますが、そうすると「後生」というのは、単に死んだ後ということではなくなります。親鸞聖人は「前念命終 後念即生」を経典の文に照らし合わせて、「本願を信受するは前念命終なり、即得往生は後念即生なり」と述べておられます。これは、「念仏せよ、必ず救う」という阿弥陀如来の本願念仏の教えを聴いて信じたものは、その瞬間にそれまで流転を繰り返してきた迷いの命が終わり、新たに浄土に生まれる身に定まり、往生浄土の歩みを生きるものとなる」ということです。そうすると蓮如上人が語られる「後生の一大事」とは、生きている今、本願の教えを聴いてこのこと一つという選び取りを行い、念仏の教えに生きるものとして往生の一道に立つことが何よりも大切だと教えていてくださるのだと理解することができます。
 さて、私たちは人生の節目において大きな決断をするときは、まさに「一念発起」してそれまでの在り方を見直したり、新たなことに踏み出したりするのですが、多くの場合この言葉が本来目指していた方向性とは趣を異にした選び取りをしています。けれどもその全てを空しくしないためには、この言葉の原点に立ち返りまさに「一念発起」して老いて死んでいいのちを空しくしない道とは…という問いを持つことが大切なのだと思います。



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