法 話

-心のともしび(2023年)-

5月:本願力に遇いぬれば むなしくすぐる人ぞなき
 この「本願力に遇いぬれば…」という言葉は、親鸞聖人の著わされたご和讃(『高僧和讃』)の
 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
の前半部分です。また、このご和讃は、天親菩薩の著わされた『浄土論』の
 観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむくうかしゃ)
 
能令速満足(のうりょうそくまんぞく) 功徳大宝海(くどくだいほうかい)
を根拠にしています。
 さて、浄土真宗の教えとはどのような教えかというと、親鸞聖人は「本願を信じ念仏を申さば仏になる」とひとことで言い切っておられます。これは、私たち凡夫は阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申すことによって救われるということで、「本願」とは辞書によれば「本来の願い。仏・菩薩が衆生を救うために起こした誓願」と説明されています。では、私たちにとって本願とは、いったい何なのでしょうか。
 人生を正しく歩むためには、正しい世界観や人生観をもって日々より良く生きようと願い、その願いを実現するために一心に努力し、実践を重ねることが必要になります。仏道における歩みもこれと同じで、自分の心の根源に「仏になりたい」という強い願いと、その願いを実現させるための厳しい修行が求められます。仏道においては、この行道を歩むものを「菩薩」と呼んでいますが、菩薩はどのような願いを起こして仏になろうとするのでしょうか。
仏道においては、菩薩が仏になるためには、必ず次の四つの誓願を起こさなければならないとされています。
 ⑴ すべての衆生を必ずさとりに至らしめよう
 ⑵ すべての煩悩を断ち切ろう
 ⑶ すべての教えを学び知ろう
 ⑷ この上ない悟りに至ろう
 この四つの誓願を起こした上で、菩薩はさらにそれぞれ独自の誓願を建て、迷える衆生を救い、その衆生を仏果に至らしめるために様々な工夫をされます。そうすると、すべの仏の「本願」は、結局一つになってしまいます。それは「大いなる慈悲の心でもって迷い続ける一切の衆生を救い続ける」これ以外に仏道は存在しないからです。こうして、仏はまず、自身の一切の煩悩を断ち切り、無限の智慧を成就し、その功徳でもって一切の衆生を救おうとされるのです。この果てしない行道が、仏の「本願」ということになります。
 このことから知られるのは、「本願」という心は、私たち凡夫にはひとかけらも持ち得ないということです。それは、煩悩具足あるいは煩悩成就といわれるように、欲や怒り、愚痴などすべての煩悩に満ち満ちた愚かな私たちの心には、煩悩を断つ力も、仏道を学ぶ智慧も全く見出すことができないからです。だからこそ、仏は本願力をもって、この迷いに満ちた凡夫を救おうと願っておられるのです。
 だからといって、私たちは何もしないで手をこまねいていても良いというわけではありません。では、私たち凡夫にとっては、何が最も重要な仏道となるのでしょうか。それは、自分の力ではこの迷いから抜け出すことのできない私を、間違いなく速やかに、しかも必ず仏果に至らしめる本願に出遇うことだといえます。
 お釈迦さまをはじめ、一切の諸仏は、阿弥陀仏の本願を讃嘆するとともに、迷える凡夫はすべてこの本願によって救われよと説き勧めておられます。なぜなら、阿弥陀仏は本願に「ただ念仏せよ。必ず救う」と誓っておられるからで、凡夫が迷いから仏果に至るには、この本願に勝る仏道は存在しません。しかも、自ら煩悩を断ち切ることなく、その身のままで仏果に至らしめることができるのは、阿弥陀仏の本願力のみだからです。そこで、諸仏は阿弥陀仏の念仏の勧めを諸仏自らの本願とされたのです。
 では、なぜ本願力にあうことができれば、空しく過ぎることがないのでしょうか。私たちの日常を顧みると、私たちは自分の力で夢を追い、未来に理想を求め、日々それに向かって歩みを進めているといえます。そのことを言い換えると、常に未来に幸せを求めて生きているのだといえます。
 
今そのあり方を客観的に眺めると、私の求めている幸せとは、その身の置かれている手の中にはなく、今いるこの場所から遠く離れた未来において実現することが期待されるものです。ところが、私たちは、いつもこの身の置かれている現実から一歩も離れることはできません。そうであるにもかかわらず、私たちはしばしば自らの現実に目を向けようとすることなく、遠い未来に限りない夢を見続けながら生きています。
 けれども、私たちが生きているのは、昨日でも明日でもなく、常に今日というこの場所であり、したがって幸せも未来ではなく、現在において知ることのほかに実感することはできないのです。そうであるにもかかわらず、私たちは足下に目を向けようとせず、未来に求めて生きようとしています。仏教では、そのような生き方を迷いとか流転という言葉で言い表しています。
 また、私たちは誰もが自分の人生を日々精一杯生きています。そのため「毎日、本当によく頑張っておられますね」と声をかけられると、つい「はい」と笑顔を応えてしまうのですが、その「はい」と答えた後すかさず、「でも死にますよね」と続けられると、残念ながら「確かに…」と頷かざるをえません。しかも「老少不定」といわれるように、年齢の多少に関わらず必ず死ななければなりませんし、しかもそれがいつなのか予め知ることもできません。希望としては、まだずっと先のことであってほしいのですが、もしかするとそれは今夜かもしれないのです。
 そうすると、「いつその命の終わりを迎えるか分からないのに、もしかすると今夜かもしれないのに、どうして毎日そんなに頑張っているのですか。その日々の頑張りは、いった何のためなのですか」などと問われると、答えに窮してしまうことになります。そして、その問いに対する答えを見つけ出せないままでいると、最期は「空しかった」という一言に、すべてが収斂されてしまうことになります。これを仏教では「空過」といい、人間にとって最大の不幸だとみなしています。なぜなら、自分では精一杯生きてきたと思っていたのに、その頑張りはいったい何のためだったのかが分からないままだと、結局最期は「空しい人生だった」という言葉で、すべてが砕け散ってしまうことになるからです。
 では、どうすれば空しく終わらない人生を生きることができるのでしょうか。その答えが「本願力にあいぬれば」ということになります。既に述べたように、阿弥陀仏はその本願に「念仏せよ。救う」と説いておられます。「救い」というと、一般に私たちは病気が治ったり、お金がもうかったりするといったような、いわゆる逆境にあるとき、自分の願いがかなうことを救いだと錯覚しています。また、順境にあるとき、自分の願いがかなうと「幸せ」という言葉を口にしたりします。つまり、順境・逆境のいずれの境遇にあっても、自分の願いがかなうこと、言い換えると自分の人生が思い通りになることを願ってやまないのが、私達の偽らざる心の内だといえます。
 けれども、お釈迦さまは「一切皆苦」と説いておられます。この「苦」とは、「私の思い通りにならない」ということです。この世の中は自身を含め私の思い通りにならないことに満ちあふれています。ところが、私たちは自分の思いがかなうことを幸せとか救いという言葉で未来に期待し、今自分が生きている現実になかなか目を向けようとはしません。それは、自身のいのちの事実から目を背け、自分の思いを生きようとしているということに他なりません。
 人生は、しばしば旅をすることに例えられますが、そうすると気が付けば既に人生という旅の途上に居ることになりますが、さて私たちは自分のいのちの帰する世界を見出しているでしょうか。もし自分の人生の帰する世界を見出せないままに生きているとすれば、それは放浪の旅のような人生ということになります。そして、いのちの帰する世界を見いせないままでいると、患うと「死ぬのではないか」とか、うまくいかないことが続くと「先祖の誰か迷っているのではないか」といった不安の影が落ちてきます。
 本願とは、そのような私に、「あなたのいのちの帰ってくるのはここだ」と真実の浄土からよびかけてくださる声です。そのよびかけを確かに聞くことを「本願力にあう」といいます。この本願念仏の教えにあうものは、煩悩に満ちた自身の力ではなく、本願のはたらきによって、一人の例外もなく、この迷いのいのちが終わるとき、必ず浄土に生まれて仏となることができます。それは、砕け散っていくいのちではなく、成仏という人生最高の形で成就していくいのちを生きることになります。だからこそ、本願力に遇うことができれば、その人生を空しくすぎる人はいないといわれるのです。
 4月:順縁 逆縁 すべてがお育てとなる
 「順縁」とは、仏さまの教えに出会った縁に素直に順い、仏法に帰依するようになったことをいいます。例えば仏教徒の家庭に生まれ、家族の葬儀や仏事などの機会を通して仏法を聴聞し、やがて仏法に帰依するようになることがそれです。一方「逆縁」とは仏さまの教えに出会っても、その縁に背き素直に教えを信じないことをいいます。また、仏法を誹謗したことがかえって仏法に帰依するようになったことを指して言う場合もあったりします。
 この他、一般には年齢順に亡くなるのが自然なあり方ですが、その順番が逆になり親が子を亡くしたりした場合などに用いられたりすることもあります。

 「順縁・逆縁」の「縁」とは、私たちが見たり聞いたり体験したりするこの世界の一切のできごとは、必ず何らかの原因と種々の条件とが重なり合って成立しているのですが、原因から結果を生ぜしめる条件のことをいいます。一般に、不慮の事故が起こったり、苦しみや悲しみに突然襲われたりしたような場合、私たちは不意に不条理なできことが起こったととらえてしまうのですが、実はその事柄には必ず何らかの原因と条件が複雑に重なり合って起こっているのです。そこで、仏教では、現にいま起こっている事柄をあるがままに実のごとく見ることを「如実知見」(一休さんの「まがった松のエピソード」)あるいは「縁起を見る」といい、またそのように見ることができることを「智慧を得る」といいます。
 「智慧」とは、迷いの根源である「無明」に対する言葉ですが、仏教ではこの「智慧」のことを「忍」という字で説いています。「忍」という字は、辞書によれば「認可決定」ということだと説明してあります。つまり、はっきりと認めていくということです。さらに、「勝解」という、すぐれた理解をするという意味だとして、忍という字は認めるということだと述べられています。ギリシャでは智慧を情熱という言葉で表していたと言われます。
 それは、本当の智慧というのは、あれもこれも知っているというような知識をたくさん持っているということではなく、情熱を持っているということだというのです。そして、その情熱とは何かというと、何がなんでも一つのことを最後までやり遂げるといったような一つのことを成し遂げる情熱ではなく、たとえそれがどんなにつらいことであっても、それが事実であるならば事実として受け止め、その事実を生きていくという、いわゆる勇気としての情熱のことです。それは、胸に抱いた夢を追いかけるのでも自分の思いの中に投げ込むのでもなく、自分の人生の事実をあるがままに引き受けて、その事実を生きていく勇気のことです。
 また、ドイツ語では情熱のことをライデンシャフト(Leidenschaft)というのだそうですが、ライデンとは「耐え忍ぶ」、事実を事実として耐え忍ぶ勇気をあらわすのだそうです。それは、仕方がないとあきらめてしまうのではなく、その事実をまるごと引き受けて立ち上がっていく勇気です。
 仏教が智慧という言葉で明らかにしようとしていることも、まさにこのようなことだといえます。仏教では、自分の生きる事実が思い通りにならないと、そのことから目を背けようとしたり、他に責任転嫁したりしようとすることを「愚痴」といいますが、その内実は事実を受け止められない弱さです。仏教が智慧を「忍」という言葉で説くのは、自分の人生における事実をはっきりと認め、この身に受け止め引き受けていくという意味を明らかにしようとしているからだといえます。
 ところで、私たちは誰もがそれぞれ日々自分の人生を精一杯生きています。そのため、「毎日よく頑張っておられますね」とか、「毎日、よく励んでおられますね」と声をかけられると、「はい」と、笑顔を頷かれるのではないかと思われます。けれども、「はい」と肯いたあと、すかさず「でも死にますよね」と続けられると、一言も返すことができません。なぜなら、生まれた以上、いつの日か必ずその生を終える日が来るからです。しかも、それは「今日とも知らず、明日とも知らず」と言われるように、いつなのか全く分かりません。にもかかわらず、誰もが「いつか死ぬかもしれない」と、漠然と考えてはおられても、自分だけは「それはまだ当分先のことであってほしい」と願っておられるのではないかと思われます。けれども、そんな私の希望とはおかまいになしに、「死」は突然襲い掛かってきます。そうすると、私のこの日々の頑張りは、いったい何のためなのでしょうか。
 どれほど頑張って、地位や財産や名誉を築き上げたとしても、死は一瞬にしてそれらを粉々に打ち砕いてしまいます。にもかかわらず私たちはなぜ日々精一杯生きようとしているのでしょうか。その問いに答えられないまま空しく死んでいくことを「空過」といいます。この「空過」こそが、仏教では人間にとっての最大の不幸だと教えています。必死になって生きたのに、なぜ懸命に努力したのか分からないと、そのすべてが「空しかった」という一言に収斂されて砕け散ってしまいます。このように、自分の一生を空しいとしか思えないことほど悲しいことはありません。
 そうすると、自分では積極的に生きているつもりでいたのに、その内実は自身の命を削りながら生きてきたということになってしまいます。そのようなあり方においては、決して生きることの喜びを見出すことはできません。私たちは、生きていく中で思い通りにいくこともあれば、失敗することもあります。それがどちらかに偏ることはあったとしても、成功・失敗は誰にでもあることです。そうすると、どちらになっても、その生きているという事実そのものが空しくならない生き方はできないのでしょうか。
 もしできないのだとすると、私たちの人生とはいったい何なのかという疑念がわいてきます。一般に私たちは人生というものを生まれてから死ぬまでの長さとしてとらえているのですが、人生の本当の意義は、長さではなく深さにあるのだといえます。もし人生の価値が長さとしてしか考えられなければ、その内実はともかく、長く生きたかどうかということだけが価値判断のすべてになってしまいます。
 けれども人生の意義が深さにあるのだとすると、例えば何らかの失敗をして挫折したとしても、そのことを契機として人生におけるさらに深い世界に目が開かれるということがあるとすれば、その人生は決して空しく終わることはないのではないでしょうか。
 このように、生きていく中での出来事を通して人生の無限の深さに目を開いていくような道を、仏教で使われている「修行」という言葉の中に見出すことができます。仏教でいうところの「修行」とは、日々刻々と努力を重ねていくことによっても自らの身を修めていくことをいいます。そのような生き方ができれば、たとえ思い通りにいかないことや失敗したりするようなことがあったとしても、挫折や失敗が自分にとって大きな意味を見出す上での一つのきっかけとなることがあります。
 ところで、修行というと、例えば座禅を組んだり、滝にうたれたり、断食をしたり…といった、日常生活の場から離れて、別な場所で生きることを想像してしまいがちですが、そうなると修行は特別なことになってしまいます。けれども、私たちの日常の生き方そのものものが、修行に転じるようなあり方があるのではないかと思われます。もしそうでないのならば、私たちのように普通の生活をしている者にとっては、修行ということは全く縁のないものになってしまうからです。
 私たちの人生は、無常であるがゆえに必ず終わりが来るのに、それがいつなのか知ることはできません。それに加えて誰にも代わってもらえませんし、何ひとつとしてやり直すこともできません。それが、私たちが生きているということの事実であり、覚悟をしてもしなくても、誰もが今日で終わるかもしれない今を生きているのだといえます。この事実に目を開くことができれば、現実生活を離れどこかに行って修行するといったような特別な生き方をしなくても、毎日私たちが生きているこの事実そのものに目を向けることによって、まさにそれがそのまま「修行」になります。
 振り返ってみますと、私たちの日常は、いつも思い通りになることを期待し、それがかなうことを未来に夢見ています。その一方、思い通りにならない現実を悲しみ、その事実から目を背けて生きようとしていたりします。
 けれども、どれほど否定しても、受け入れることを拒んでも、泣いてもわめいても、その事実は変わりません。仏教という教えは、それがどれほど自分にとって理不尽であり、不都合なことであったとしても、我が身の事実としてきちんと受け止める勇気を与えてくれます。それが、事実を事実として耐え忍ぶ勇気を意味する「智慧」です。
 この智慧とは、何でも知っているということではなく、物事があるがままに見えるということです。だから「順縁 逆縁 すべてがお育てとなる」のです。私たちは順縁あるいは逆縁によって仏さまの教えに出会い、教えに耳を傾けることによって育てられ、やがて智慧を得ることができるのです。
 浄土真宗では、この「智慧を得る」ことを「信心を得る」と言い表していますが、仏さまの教えに耳を傾け、その教えを鏡とし、日常生活そのものを修行の場としながら得ていくのだと言えます。
 3月:大切な人と 今日話そう
 私たちの人生には、最小限、四つの限定があります。それは、一回限りでやり直すことができず、誰にも代わってもらうことができません。そして有限、つまり必ず死んでしまうのに、その終わりがいつなのか分かりません。それなのに、自分だけは、この命が尽きるのは、まだずっと先のことに違いないという根拠のない期待感を胸に生きていたりします。そのような中、私たちのこの人生においては、大切な人との別れが全く予期しない形で、まさに不意打ちのように訪れます。
 亡き父は、90歳を過ぎても深刻な病を患うこともなく、毎日本堂でご門徒の方の法事を1時間ほど元気に勤めていました。けれども、近年の夏はまさに猛暑・酷暑といったような日々が続くこともあり、さすがに93歳ともなると体力の低下とも相俟って、梅雨が明けると「夏バテをしたから、本堂での内勤を代わってほしい」とのことでした。ところが、秋のお彼岸を過ぎる頃になると、「少し暑さがやわらいだから元気が出てきた。また、内勤をする」とのことで、毎日のように読経・法話を勤めるようになりました。
 ただし、もともと本堂は椅子式にしてあるので、読経は椅子に座って行っていましたが、その後の法話も椅子に座ってするようになりました。そこで、「毎日は大変だと思うので、土曜と日曜は私がします」と、週休2日でしてもらうことにしました。そのようなことなら無理をさせず、「毎日私がしますから、もうゆっくり休んでいてください」と言えばよさそうなものですが、なぜそのように言わなかったのというと、それは父を思いやっているようで、実は存在意義を奪ってしまうことになると考えたからです。
 父にとっては、本堂で読経し、お参りに来られたご門徒の方に、お念仏の教えを取り次ぐことが、日々の生きる糧となっているように思えました。また、お参りに来られるご門徒の方も、90歳を過ぎてもなお健在な父の姿を見ることを大変喜んで頂いているようでした。そのため、父は毎月掛かり付けの病院に定期健診に行っていたのですが、そのような日は私がお勤めをすると、法話の後にしばしば「大先生は、お元気ですか」と心配そうに尋ねられました。そのたびに「元気にしています。今日は定期健診で…」と答えていました。したがって、父とご門徒の方々との絆を断ち切るようなことをする気にはとてもなれず、一方では申し訳ないなと思いながら、「もうできない」と言うまでは、お願いすることにしました。
 翌年は、前年のことがあったので、今年の夏は「夏休み」ということでゆっくりしてもらおうと思っていたのですが、梅雨時に入って間もなくの頃、「元気(体力)がなくなったから頼む」と言って、私に後を託しました。「少し予想より早いな」とは思ったものの、それでも秋になったら、前年同様「復活」してくれることを大いに期待していたのですが、それから半年後、95歳になった翌月の12月上旬、何の前触れもなく突然入院してしまいました。
 父が入院した日、私は会議のため京都に行っており、翌朝帰宅して、前夜父が急遽入院したことを知りました。理由を尋ねると、就寝後、頻繁にトイレに行くのが辛かったらしく、水分を摂ることをなるべく控えていたようで、そのため脱水症状になり、自ら救急車を要請したとのことでした。救急隊員の方が来られ、「患者さんはどなたですか」との問いかけに、「私です」と応えて救急車に乗り込んで行ったとのことだったので、それなら数日点滴でもして症状が落ち着いたら帰宅するものと思っておりました。
 ところが、医師をしている弟に連絡したところ、「お父さんのような高齢だと、そのまま入院する人もよくいるから心配だ」と言っていました。残念ながら、心配した通りの結果になり、父はそのまま入院が続きました。とはいえ、脱水症状にはなったものの、特に何らかの深刻な疾患があったわけではなかったこともあり、最初の内は寝たきりにならないように、病院で歩行訓練などをしていました。ただ、入院前には食欲も衰え、壮年期からすると体重も20㎏以上減っていたこともあり、結局だんだん歩けなくなってしまいました。
  入院後は、毎日父のもとに顔を出し、半時間から1時間近く、近況や私の子ども達のこと、その他いろいろなことを語り合いました。父が入院する前は、自分が何かと多忙なこともあり、毎日の挨拶はするものの、何らかのことについて、ゆっくりと語ることは殆どありませんでした。90歳を過ぎても元気であった父が、93歳の夏に「夏バテをしたから…」といった頃から、時折、だんだん父との別れの日が近付いて来ているということが脳裏をよぎることはあったものの、あえて具体的にイメージすることはしませんでした。ただ、それがそれほど遠くないであろうことは、漠然と意識し始めていました。そこで、毎日会いに行く時間を作って、病床を訪れていたような気がします。

 入院して2か月が過ぎた2月の半ば、ようやく退院の許可が出たものの、歩行が困難になってしまったこともあり、父の希望で介護付きの老人ホームに入居することになりました。「家族に迷惑をかけたくない」との思いがあったようです。そこで、当初は入院していた病院の敷地内にある老健施設に入ったのですが、新型コロナウイルス感染症の影響で、3月からは病院でも一切面会が禁止になっていたこともあり、父に会えたのは病院から老健施設に移る時だけでした。その後、春の彼岸の入りの日に、当初希望していた介護付きの老人ホームに空き室が出たので、そちらに移ることになりました。こちらは、病院と違って家族の面会は許されていたものの、ただし「県内で感染者が出た場合は面会できなくなる」との条件付きでした。
 ようやく直接会えるようになったのもつかの間、3月の下旬に県出身で県内の友人宅を訪れていた外国在住の方が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたとの発表がありました。そのため、老人ホームの既定方針により、再び面会することができなくなってしまいました。
  そこで、5月の連休明け、老人ホームに父用の携帯電話を届けました。入院する前から緑内障が進行して、かなり視力が衰えていたこともあり、父は自分では携帯の操作ができなくなっていたのですが、職員の方に相談して、事前に老人ホームに「これから父の携帯に電話をします」と連絡し、着信したら職員の方が父に渡してくださるということの了解を得ていました。ただ電話をかけるのは私だけでなく、母や弟、私の子ども達にも父の携帯電話の番号を教えていたので、あまり頻繁に電話をかけて職員の方を煩わせるのも申し訳ない気がしていました。

 携帯電話を届けた数日後、老人ホームから「父が発熱したが、どのような対応したら良いか」との問い合わせがありました。そこで、弟に連絡して対処の仕方を相談しました。父は入院中にも何度か38℃前後の発熱をしたことがありましたが、点滴をすると数日で回復していました。そのため、今回は病院には行かず、とりあえず点滴をして様子を見てもらうことにしました。一週間ほどして、老人ホームから「タオルを補充してほしい」という連絡があったので、早速届けに行きました。その際、ホームの入口で職員の方に父の様子を尋ねると、「熱も下がったので点滴もはずれ、食欲もあり元気です」とのことで、一安心しました。
 その時、「今から父の携帯に電話をするので、取次をお願いします」と言えばよかったのですが、一瞬そうしようと思ったものの、「元気になった」との言葉に安堵して、つい遠慮してしまいました。ところが、その翌々日の深夜、携帯電話の音に起こされて画面を見ると老人ホームからでした。「何かありましたか」と問うと、「お父様が息をしておられません」とのこと。すぐに弟に連絡すると、「心臓マッサージはお願いしない方がいい。年齢的に肋骨を折ることがあるし、仮に蘇生してもいっときのことだから、残念だけど…」とのことでした。電話を終えて、慌ただしく老人ホームに駆け付けたところ、施設の方が「先ほどまで話をしておられたのですが…」と言われました。寝ているのかと思って見たら、もう息をしていなかったとのことで、父の顔はまるで眠っているかのようにおだやかでした。間もなく老人ホーム掛かり付けの医師の方が来られ、死亡診断書には「老衰」との所見を書き込まれました。どこか患っていたわけではなかったこともあり、その生の終わり方は、まさに「完全燃焼」といった形でした。
 とはいえ、あまりにも突然のあっけない別れで、しかも真夜中のできごとだったこともあり、まるで悪い夢でも見ているかのような感じでした。それでも、とりあえず葬儀社の方に連絡して遺体を自宅に運んで頂き、通夜・葬儀の日時や段取りを決め、長年父と懇意にしてくださった寺院の前住職様に通夜での法話を電話でお願いした後、改めて「これは夢ではなく、どれほど受け入れたくないことであっても、やはり現実なのだ」ということを実感した途端、とめどなく涙があふれてきました。そして、すぐに「なぜおととい老人ホームにタオルを届けた時、父に電話をしなかったんだろう」という悔悟の念がわいてきました。
  私たちは、周囲の人達と「いつか別れなくてはならない」という厳然たる事実の上に、いま出会っています。この人生には、蓮如上人が「我や先、ひとや先」と述べておられるように、どちらが先に逝くかはわかりませんが、必ず終わりがくるのに、それがいつなのか分かりません。しかも、いつも一回きりで、決してやり直すこともできません。

よく知られている言葉に、茶道に由来する「一期一会」という言葉があります。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する言葉ですが、これは茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、この人生において二度と巡ってはこないたった一度きりのものです。だからこの一瞬を大切に思い、いまできる最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と、一生に一度だけの機会そのものを指す言葉としても用いられますが、父との別れを通して、改めて特に大切な人とは、いつかではなく、必ず「今日話す」ようにに心がけたいと思うことです。
 2月:拝む如来に拝まれて
 浄土真宗の教えをひとことで言うと、親鸞聖人が述べられた「本願を信じ念仏を申さば仏になる」となります。「本願」とは、辞書には「本来の願い。仏・菩薩が衆生を救うために起こした誓願」と説明されています。私たちが、人生を正しく歩むためには、ただ何となく漠然と生きるのではなく、心の根源に正しい世界観や人生観をもって、日々をよりよく生きようと願い、さらにその願いを実現するために懸命に努力することが必要になります。
 仏道における歩みも根本的にはこれと同じで、自分の心の奥底に「仏に成りたい」という強い願いと、その願いを完成させるための厳しい行道が求められます。仏教では、この行道を歩む行者を「菩薩」といい、菩薩が仏になるためには、必ず四つの誓願を起こさなければならないとしています。
① すべての衆生を必ず仏に至らしめる

② すべての煩悩を断ち切る
③ すべての教えを学び取る
④ この上ない悟りに至る
 その上で、菩薩はさらに独自の誓願を建て、迷える衆生を救い、その衆生を仏果に至らせるために、様々な手立てをつくされます。以上のことから、「他力本願」に対して「自力本願」という言い方をする人がいますが、自力本願という言葉は成り立たないと言えます。なぜなら、「本願」とは迷える衆生を救いたいと願う真実の心ですが、自己中心的で欲に惑い怒りに狂い、思い通りにならないことがあるとその責任を他に転嫁してしまうなど、多くの迷いに満ちた愚かな私たちの心は不実そのものであり、自ら煩悩を断ち切る力も仏道を学び取る智慧も全く見出すことができないからです。だからこそ、仏さまは本願力をもって、この迷っている凡夫を救おうと願われているのです。
  では、この迷いのただ中にある凡夫にとって、何が最も大切なこととなるのでしょうか。それは、すべての迷いを兼ね備える私を間違いなく、しかも直ちに必ず仏果に至らしめる本願に、私自身が真に出遇うことだといえます。お釈迦さまをはじめ、すべての仏さまは「阿弥陀仏の本願を讃嘆し、衆生はすべてこの本願によって救われよ」と教えられます。なぜなら、阿弥陀仏は私たち凡夫に対して「ただ念仏せよ・救う」とその本願に誓っておられ、何よりも「すべてのものを無条件に等しく救う」という阿弥陀仏の本願に勝る仏道は存在しないからです。そのため、諸仏は、自分の国土の衆生に念仏を勧めることを自らの本願とされるのです。
  阿弥陀仏が本願に誓われた「念仏せよ・救う」」という教えは、具体的には「南無阿弥陀仏を称えよ」ということですが、では「南無阿弥陀仏」とは、いったいどのような意味なのでしょうか。「南無」というのは、インドの言葉の音をそのまま中国の文字に写したものですから、南無という文字そのものには特に意味はありません。

 一方「南無」はまた、「帰命」と意訳されるのですが、それは「自らが信じ、その仏の浄土に生まれたいとの願いを発する」ということです。そこで、「南無阿弥陀仏」の意味を簡潔に述べると、「阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願う」という意味になります。
 ところが、親鸞聖人は主著『教行信証』の中で、「南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏自身が衆生に南無しておられる行の相だ」と述べておられます。つまり、私の称えている念仏は、そのまま阿弥陀仏が私を仏果に至らしめるためのはたらきだと言わるのです。けれども、「念仏とは阿弥陀仏が自ら私たちに南無しておられる行の相だ」といわれても、すぐには理解しがたいものがあります。なぜなら、念仏とは「私が仏を念ずる」ことで、具体的には私が阿弥陀仏に対して南無し、その仏の名を称える称名行にほかならないからです。つまり、親鸞聖人の念仏理解は、一般的な理解とは方向性が逆になってしまっているのです。
 では、親鸞聖人は、この「南無」という言葉をどうして阿弥陀仏が自ら「南無」しておられる行の相だと解釈されるのでしょうか。このことについて『教行信証』の「行巻」において詳細な確かめをしておられるので尋ねてまいります。

 はじめに「南無」という言葉を解釈されるにあたり、善導大師の「南無の言は帰命なり。ここを以て帰命は本願招喚の勅命なり」という理解をそのまま引いて示されます。これは、親鸞聖人が最も明らかにしたかったのは「南無とは本願招喚の勅命だ」ということだったからだと思われます。そこで、その真理を明らかにするために、「帰」と「命」の字義を考察していかれます。
 まず、「帰」にはどのような意味があるのかというと、「帰の言は至なり」といわれます。それは「帰」の字の第一義は、至るという意味だからです。また、帰の本義は婦人が夫の家に「とつぐ」ということで、そこから「行く」とか「趣く」という意が導きだされます。そこで親鸞聖人は、この帰の第一義「至る」をまず示され、その上で「また帰説なり」と続けられます。この「また」は「ところで」といった意味ですから、「帰説なり」の帰は説というすがたで至ることを示されます。整理すると、帰とは至ることであり、その至り方は説として至るのだと、ここで説かれているわけです。
 さらにこの説には「えつ」と「ぜい」という読み方があると続けられます。そして「説の字」は「悦の音」であり、「税の音」だといわれます。では「帰説」とはどのような意味なのかというと、それは悦の音として至るということなのですが、この点について親鸞聖人は「帰説」に「ヨリタノムナリ」「ヨリノムトイフ」という注釈をほどこされます。
 そうすると、悦(よろこぶ)という意味の音である帰説の「ヨリタノム・タヨリノム」とは、どのような意味になるのでしょうか。例えば「タヨリノム」は、「タ・ヨリ・ノム」と読むと、「他より祈(の)む」となり、阿弥陀仏より私たちの方向へ祈る心が至る、という意味を導き出すことができます。また、「ヨリ・タノム」も、阿弥陀仏から私たちの方向に「たのむ」という心が来っていることになります。さらに、「ヨリタノム」「タヨリ・ノム」と読んだとしても、阿弥陀仏が衆生を救う、悦びの心として、よりたのみ、一心に祈り来るすがたが、ここに導かれることになります。
  税の意の音としての「ヨリカカル」も同様で、これは「カカリモノ」の意ですから、これは上から大きく覆いかぶさるように、かかり来るという意味に理解することができます。したがって「至る」という意味の「帰」は、帰悦にしても帰税にしても、阿弥陀仏から衆生に至る、その心の在り方を示していると見なければなりません。

 そして、この「説」が悦(エツ)と読まれても税(ゼイ)と読まれても、いずれにせよ説の字は「告ぐる・述ぶる・人の意を宣述する」の意味だと示されるのです。
 まとめると、「帰」とは「至る」という意味で、何が至るのかというと、それは言葉が至るのです。阿弥陀仏の衆生を救いたいという悦びの心が、あたかも衆生に覆いかぶさるように「よりたのめ」「よりかかれ」と、一心に自らの心を、告げ、宣述する言葉となって至り来る、そのはたらきが「帰」という言葉の意味だと理解されることになります。
 では「命」とは何でしょうか。命の言は、「業なり、招引くなり・使なり、教なり、道なり、信なり、計らうなり、召すなり」と述べられています。「帰」は、阿弥陀仏から衆生に来る言葉の働きを示していたのですが、それに対して「命」は、その「帰」が衆生の心で、どのようなはたらきをするかがということが問題になっているように窺われます。
 まず「業」だといわれます。これは業力で、阿弥陀仏がなぜ衆生に来ったのかというと、それは衆生を浄土に招引するためで、そのはたらきが「命」なのです。したがって、命の語には、「せしめ・教え・導き・悟らしめ・はからい召す」という阿弥陀仏の大悲のはたらきが見られることになります。すなわち、帰命の全体が、阿弥陀仏の本願のはたらきであって、喚び声として衆生に来たり、その衆生を教化して浄土に至らしめる、それがここに見られる「帰命」の意味ということになります。
 以上のことから、南無の意訳である帰命は、阿弥陀仏の本願のはたらきであることが知られるのですが、それは言い換えると阿弥陀仏が私たちに南無しているということになります。阿弥陀仏が南無し、南無阿弥陀仏の名号となってはたらく。すると、その名号を聞いて、私が南無する。私が南無するとは、念仏の教えを信じ、南無阿弥陀仏を称えることですが、ここに阿弥陀仏と私が一体になって南無阿弥陀仏を称えている念仏行の姿があることになります。
 つまり、私たちの称えている念仏とは、阿弥陀仏の南無の姿なのであり、同時に私の南無の姿なのです。このように、南無阿弥陀仏には、全く異なった二つの行態が、念仏という一つのはたらきを通して関わっているのだと考えられます。
 では、「私が南無する」とは、どのようなことなのでしょうか。『教行信証』の「南無」は「阿弥陀仏が南無する」という立場からその意味を明らかにしておられますが、『尊号真像銘文』では、「私が南無する」という立場から述べておられます。そこでは「南無はすなわち帰命とまふすことなり。帰命はすなわち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひ、めしにかなふとまふすことばなり」と説いておられます。
 『教行信証』では、「南無」は阿弥陀仏のはたらきであることが示されたのですが、『尊号真像銘文』の「南無」は私が阿弥陀仏を信じることだということが示されます。ただし、何を信じるのかというと、阿弥陀仏が「南無」する心を私たちが一心に信じることが、私たちの「南無」だと言われているのですから、私が南無阿弥陀仏を称えるということは、そのまま「拝む如来に拝まれて」いることになります
 1月:慈光 慈しみの光に包まれて
 「慈光」というのは、仏さまが放たれる慈悲の光のことです。この慈悲という言葉は、慈と悲の二つを一つにして慈悲と言い表しているのですが、「慈」とは漢字の成り立ちからいうと、母親が赤ちゃんに乳を与えて育むという意味を持った言葉で、もともとは「孳」と書き、「心」の部分が子どもの「子」でした。また、仏教の言葉は、インドの言葉を写したものですから、「慈」のもとになった言葉をたどると、「マイトリー」がそれで、直接の意味は「友情」です。
 人と人の間を生きることから私たちは「人間」と言われますが、人間として生きていく上で、おそらく誰もが等しく求めるのは「友情」だと言えます。確かに、何でも話し合えたり何でも聞いてもらえたりする友だちがいるときは、人はどのような状況に陥っても、どうにか生きていくことができます。けれども、どんなに恵まれていたとしても、何でも話し合い聞き合える友だちが一人もいなければ、嬉しいことがあってもその喜びを分かち合うことはできませんし、辛かったり苦しかったりしたとき、心を開いて語りかけることもできません。

 したがって、友だちの存在というものは、肉親との関りより、もっと深いものがあったりします。例えば、若い時には見知らぬ土地で暮らすことに対して、胸に抱いた希望に背中を押されるということがあったりしますが、年老いてから子どもに呼ばれて一人の友だちもいない土地で暮らすことには、ためらいを覚えたりするものです。それは、家族と一緒に暮らすことになるのだとしても、周りに気兼ねなしに付き合える友だちのいない場所での暮らしには、どうしても大きな不安を感じるからです。もちろん、すべてがそうだというわけではありませんが、少なからずそのような面があることも否めません。
 また、父母といい、親子といっても、そこに本当のつながりができている時には、実は友情にも似たような感情が通い合っているのではないかと思われます。友情とは、上から下への力関係ではなく、「共に」という関係性です。そうすると、「友情」という言葉が「慈しむ」という言葉で言い表わされたということは、「慈」とは力あるものが力の弱いものをいとおしむというような、いわゆる上から下へという力の関係性ではたらくものではなく、お互いに人間としの友情、心のつながりを開いていくような心だということを「慈しむ」という言葉で表そうとしたのだと考えられます。
 これに対して、慈悲の「悲」という言葉には、両方に引き離すという意味があります。つまり、悲というのは引き裂かれた心、あるいは引き裂かれた痛みに耐える心ということなのです。「悲」のもとになったインドの言葉は「カルナー」で、直接の意味は「呻き」です。いわゆる、引き裂かれたうめきということです。
 例えば、子どもが病気をしたとき、特に乳児などの場合、自ら病状を訴えることができず、ただ苦しんでいると、親としてはどうすることもできなかったりします。そのようなときの親の心というものは、まさに引き裂かれた状態になります。それは、苦しんでいる子どもと自分の心とがある意味で一つになり、その苦しんでいる子どものために心が引き裂かれてしまうからです。そのため、子どもの病気が快復して安らかな状態になったとき、はじめて自分の心も安らぎます。このように、悲というのは、相手と一つになっている心のありようを表す言葉なのです。したがって、子どもが苦しんでいる限り、じっとしていることができず、心が引き裂かれているような心のことを「悲」というのです。
 この慈と悲が合わさって、「慈悲」と言う言葉になっているのですが、『歎異抄』に「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と述べられているように、この慈悲には聖道の慈悲と浄土の慈悲があるといわれます。そうすると、つい慈悲には聖道と浄土の二つの慈悲があるかのように思ってしまうのですが、「かわりめあり」という言葉から知られるように、これは聖道の慈悲から浄土の慈悲に移っていく場面があるということです。これは、人間として慈悲の心に生きようとすると、先ずは聖道の慈悲という形をとる、あるいは聖道の慈悲というかたちをとる他はなく、必ずそうなるということです。けれども、真剣にその慈悲を全うしようとすると、やがてそのあり方に行き詰まり、そこに浄土の慈悲に目覚めていくという、その移り変わらざるを得ない時があるということを「かわりめあり」と言い表されているのです。
 この聖道の慈悲は、「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり」と言われます。この「もの」というのは「品物」のことではありません。例えば、亡くなった人のことを「物故者」という言い方をします。したがって「ものをあわれみ」というのは、「人々をあわれむ」ということです。また、「かなしむ」は「悲しむ」ではなく、平安時代の言葉遣いで、「かわいいと思う」という意味の「愛しむ」です。そうすると、人々の悲しい状態にあることをあわれみ、かわいいと思い、人を育もうとする。このように、あわれみをもち、愛しみをもち、育む心をもつことを聖道の慈悲というのです。
 この心は、決して否定すべきものではなく、むしろ人間として極めて大事な心だといえます。ただしそこには、「思った通りに、助け遂げることは、極めて困難なことだ」と、大事な心ではあるが、末通らないという悲しい事実があるともいわれています。「末通らない」というのは、いったいどのようなことかというと、例えば子どもを可愛がることによって、子どもの自立心を奪い取ってしまうことがあったりするのです。以前は、3歳になるまでの間にオムツは外れるものでしたが、近年は排泄をしても蒸れたりせず、心地よい状態を保持できるオムツが開発されたりしたことで、なかなか自立できない子が増えています。中には、オムツに排泄することが常態化して、いつまでもトイレでの排泄のできない子がいたりします。子どものためによかれと思って作られたオムツが、その快適さによって子どもの自立を妨げているのです。それはまた、自分の欲望だけを主張し、「耐える」ということのできない子どもにしてしまうことにもつながったりしています。これなど、「末通らない」形の典型だとも言えます。
 また、周囲の気の毒な人を本当にあわれみ、愛しみ、育もうとすると、自分の生活が危うくなったりします。けれども、自分の生活を守りながら、その上で…ということになると、なかなか十分にというのは困難です。また、相手が頼りにし、全身ですがってくると、自分が倒れそうになることもあったりします。その場合、差し出していた手を慌てて引っ込めてしまわざるを得なくなることにもなり、やはり末通らないことになるのです。
 このように、真面目に聖道の慈悲を実践しようと「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむ」という心に生きようとすると、必ず行き詰まるときがくるのです。そのように、自分の行為が問い返されるときがくるということが「聖道・浄土のかわりめあり」と言い表されているのです。そして行き詰ることによって、言い換えると悲しみの事実をくぐることによって、「念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益する」浄土の慈悲に出遇っていくことになるのです。
 では、「浄土の慈悲」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。『観無量寿経』に「仏心とは大慈悲である。無縁の慈悲をもって一切の衆生を摂取するからである。阿弥陀仏の無限の光明は、あまねく十方の世界を照らされ、念仏の衆生を摂取して、決して捨てられることはない」と説かれています。
 「無縁の慈悲」というのは、どのような人であっても、その人がもし、苦しみ悩み、ただひたすらに阿弥陀仏に救いを求めれば、その人を全く差別することなく、直ちに救われる心のことです。では、阿弥陀仏が無限の光明を放って、あまねく十方の世界を照らしながら、ただ念仏の衆生を摂取されるというのは、どのようなことでしょうか。この場合、仏の実践とは何かをはっきりと知ることが大切になります。大慈悲心は、苦悩する人を救うはたらきのことですが、その救いとは苦悩するその人を仏果に導くということに他なりません。例えば、多くの財産を手にしたことによって散財をしたり怠惰な生活をするようになったりして、その結果財産のすべてを失い、悲惨な状態に陥った人がいたとします。その人がいま、阿弥陀仏に一心に助けを求めても、阿弥陀仏はその人に決して財産を与えようとはされません。それは、その人を真の意味で救うことではなく、再び怠け心を起こさせ、その人を迷わせるだけだからです。

  救いの対象となっているのは、阿弥陀仏に救いを求める「念仏の衆生」です。世の中の宗教の中には、あるいはほんの少しだけ欲望を満たすような救いがあるかもしれませんが、究極的には迷いの苦悩から逃れることはできません。阿弥陀仏のみが、その人の迷いを真に除くことができるのです。 
 阿弥陀仏は、すでに十方に光を放ち、私たちをご覧になり、慈悲の手を差しのべておられます。そのことを、教えを聞くことによって知ることを、今月の言葉は「
慈光 慈しみの光に包まれて」と語りかけているのだといえます。



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