法 話

-道しるべ(2024年)-

4月:声は心を伝え 書は声を伝える
 この言葉は、聖徳太子が『勝鬘経(しょうまんぎょう)』という経典を注釈なさったと伝えられる『勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)』に説かれている言葉です。一般に仏教の経典といえば、お釈迦さまの説かれた教えのことをいうのですが、『勝鬘経』は舎衛国の波斯匿王(はしのくおう)の娘で、在家の女性信者である勝鬘夫人の説いた事柄をお釈迦さまが仏道として認められたことから、その内容が伝えられています。聖徳太子はこの『勝鬘経』の他に、在家の仏教者であった維摩居士と文殊菩薩との対話を軸として展開する『維摩経(ゆいまきょう)』にも注釈を加えておられます。この二つは、ともに古くから在家の人が仏道を説いた経典として広く知られ、多くの仏教者に用いられてきました。
 『勝鬘経』の中に、勝鬘夫人の両親は深くお釈迦さまを尊敬し、その教えを常に聞いていたことが記されています。ある時、お釈迦さまの説法を夫婦で聞いて非常に感動し、その喜びと内容を手紙に認め嫁いでいる娘の勝鬘夫人に「こういう説法をお釈迦さまからお聞かせいただいた」と伝えたという話が出てきます。勝鬘夫人は両親からの手紙を読むことを通して、お釈迦さまの説法を間接的に聞いたのですが、そのことを『勝鬘経』の一番初めには、勝鬘夫人が「我、今仏の声を聞くに」と語ったと記されています。
 勝鬘夫人は、直接お釈迦さまの説法を聞いたのではなく、両親からの手紙を読んだだけなのに、なぜ「我、今仏の声を聞くに」と口にしたのでしょうか。そのことについて、いろいろな説がたてられてきたのですが、また聖徳太子も『勝鬘経義疏』において、このことを取りあげておられます。
 そして、なぜ勝鬘夫人はお釈迦さまの説かれたことを手紙で読んだだけに過ぎないのに、なぜ「我、今仏の声を聞くに」と言われているのかという問いを出され、その答えとして

声は以て意(こころ)を伝え、書は以て声を伝ふ。

と、「声というものはその人の心を伝える」からだと説いておられます。
 「声」は、息の働きによって出てきます。また、息というのは、私たちの生きているいのちの営みそのものだといえます。よくテレビドラマなどで、倒れている人の生死を確かめた人が、「息をしていない」とか「まだ息がある」といった言い方で、生きているか否かを伝える場面を目にすることがあります。このことからも、私たちが生きていくということの一番基本的な事柄は、息をしているか否かということにあると言えるのですが、その息というものに深く根差しているのが、まさに「声」ということになります。
 日頃なにげなく聞いている声ですが、その声を聞くとその人の人格や体調などが分かることがあります。例えば、「前夜カラオケで大声を出しすぎた」という人もいるかもしれませんが、一般に話すときにいつもより声が出ていなかったり、枯れた声でしゃべったりしていたりすると、「風邪をひかれましたか」とか「体調を崩されたのですか」などと尋ねられたりすることがあります。また、保育の現場などで子どもたちを注意する保育者が、文字に書き表せば同じ言葉を口にしていても、まるで自分も一緒に叱られているかのようにきつく聞こえる人もいれば、叱っているどころか何となくやさしく語りかけているように聞こえる人もいたりします。このようなことから声というのは飾ることができないものなのだという感じがします。
 つまり、言葉の方はいくらでも言い換えたりして飾りたてることができるのですが、声そのものを飾ることはできません。巧みに声色を変えても、それは意図して作った声なので、やはりそこにはどこか不自然さがにじみ出てきます。なぜなら声というものは人間性に根差しているからで、まさにこれが声の特徴だといえます。時折、電話で話をしている人が、おじぎをしながら相手に御礼の言葉を口にする光景を目にすることがあります。「電話だから、おじぎなどしても相手の人には分かるわけではないのに…」と思ったりもするのですが、実は感謝の思いは声を通して確かに相手に伝わっているのです。その一方、「電話だから分かるはずはない」と思って無表情で御礼の言葉を口にした場合と、笑顔で頭を下げながら御礼の言葉を口にした場合とでは、相手への伝わり方が全く違うということは周知の事実なのだそうです。確かに、電話では相手の表情がわからないだけに、むしろ声を通してその人の心が伝わるように思われます。ですから、私のことを思いやって語りかけられる言葉を聞くと、その声の響きというものが私の心を打つということがあるのだといえます。
 また「書は声を伝える」ということですが、「書」具体的には文字はそれを書いた人の声を伝えるのです。確かに、文章が本当に読めたときには、それを書いた人の声の響きが聞こえてきます。そして、本当に理解したときには、その文章を通して語りかけられていることがきちんと聞こえているということがあります。
 これは大学時代のことなのですが、学部は文学部でしたが学科と専攻は仏教学科真宗学専攻でした。そこで、高校までと違い始めから浄土真宗のことについて専門的なことを学べるものだと期待していました。ところが、一回生と二回生の間は、高校までにあった英語や数学、生物学や物理学などの他、第二外国語や法学、漢文学、教育学、人類学など教養課程の科目が大半で、仏教や浄土真宗に関する科目は仏教学や基礎購読など数科目に過ぎませんでした。
 
三回生になり、ようやくすべてが専攻した真宗学に関する科目を受講できるようになり、張り切って講義を受け始めました。ところが、一番前の席に座り一生懸命受講しているにもかかわらず、当初はなかなか講義の内容をあまりよく理解することができませんでした。そこで講義をされる先生方の著書を読んでみたのですが、こちらもなかなか小説などのようにスムーズに読み進めることはできませんでした。ところが、数か月すると総合的な力がついてきたのか、講義内容を聞いているだけでよく飲み込めるようになり、それに加えて不思議なことに、それまでよく分からないままにページだけをめくっていた先生方の本が、まるで漫画などを読む時のような感じですらすら読めるようになっていました。  昔話の中に、「ききみみ頭巾」というお話があります。おじいさんが芝刈りから帰る途中で、木の実を取ろうとしていた子狐に木の実を取ってやったところ、後日子狐の母親から木の実のお礼に頭巾をもらいました。ある日その頭巾をかぶってみると、それまで聞こえなかった雀やカラスをはじめ様々な動物の話す声が聞こえるようになり、そこいろいろと物語が展開していくことになるのですが、まるでおじいさんがその頭巾を被ると突然動物たちの声が聞こえるようになったかのように、それまで聞いていてもよく分からなかった先生方の語りかけをよく理解することができようになったことを印象深く覚えています。
 また、これは両親の遺骨を京都東山の大谷本廟に分骨しに行った時のことです。本廟の納骨壇に置かれてあった過去帳を開くと、父が参詣する度にその日付を記載していました。懐かしい文字を目にしたとき、耳の奥に父の声が聞こえてきて、まるで父の声の響きとともにそこに書かれた文字を読んでいるかのような思いがしました。
 聖徳太子は、「書」には声を伝えるはたらきがあり、その「声」には心を伝えるはたらきがあると教えておられます。だからこそ、父の書いた文字を声に出して読むと、それを書いた父の心と、それを読む自分の心とが一つに響き合うような感覚が起きてきたのだと思いました。おそらく、心が一つに響き合ったような気がしたのは、過去帳に書かれた文字が私の全身を包み、私の中に染みとおるようなことが起きたからに相違ありません。その人の書いた文字を見ると、まるでその人の声が聞こえてくるような気がしますし、その人の声を聞くとその人の心が感じられる思いがします。
  昔の寺子屋では、その学びの中心は読み書きを学ぶ「手習い」で、進め方としては「素読」でした。
「素読」とは、たいていの場合「四書五経」を教材として、返り点や句読点のない漢文の読み下し文を先生から個別に口伝され、それをひたすら音読して覚えるという丸暗記活動のことです。その際に繰り返し言われるのは「読書百遍意自ずから通ず」です。これは、意味がわからなくても百回読み返せば、次第にその文章の語りかけている意味が身に沁み込んできて自然に意味がわかってくるということです。
 浄土真宗では、親鸞聖人の書かれた『正信偈』と『和讃』をお勤めしていますが、親鸞聖人はいずれも「声に出して読む」ということを前提にして作られています。そうすると、私たちが親鸞聖人の書かれたものを『日常勤行』として声に出して読んでいるのは、最初は意味がよくわからなくても、繰り返し声に出して読むことを通して、その語りかけを聞き、お心を受け止めるためであるように思われます。
 3月:散る桜 残る桜も散る桜
 この句は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で歌人でもあり、いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて子どもたちと無邪気に遊んでいたと伝えられる良寛和尚の辞世の句と言われている歌です。意味はそれほど難しいものではなく、「散る桜も残る桜もやがては等しく散っていく」という情景を詠ったものですが、それを私たちの人生に重ねると「確かに」と頷くことができます。
 「人生は出会いと別れの繰り返し」と言われますが、これまでの私はいつも誰かを見送る側でした。けれども、いつまでも見送る側に立つことができるわけではありません。私もまた限られたいのちを生きる者の一人ですから、いつか必ず見送られる側になります。けれども、誰かを見送る際、果たしてそのことをきちんと自らの内に意識することができていたでしょうか。
 江戸時代の天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人でもあった大田南畝(おおたなんぽ=蜀山人:1749年4月19日~1823年5月16日)は
 「昨日まで人のことかと思いしが 俺が死ぬのか それはたまらん」
という辞世の歌を詠んだと伝えられています。「残る桜」の私もまた「散る桜」であることを意識することなく漠然と日々を過ごしていると、死に直面した時には、まさに「それはたまらん」と嘆きながら死んでいくことになるのかもしれません。
 思い返せば、私たちの日々の生活の中には、色々悩みごとが多くあります。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のことなど、どちらかといえば幸せなことより様々な悩みごとが重たくのしかかっている毎日を過ごしている人が多いかもしれません。
 そのため、目の前のことに追われ、慌ただしさの中に一日が、一週間が、ひと月が過ぎ、気がつけばいつの間にか一年が過ぎていたということになっていたりするかもしれません。けれども、そんな日常に埋没してしまうと、ゆっくりと自分の人生について考えると暇もないまま死に直面することになり、「俺が死ぬのか それはたまらん」と叫びながら、その一生を空しく終えることになりかねません。
 また、親鸞聖人は9歳で出家・得度をなさった時「今宵はもう遅いから得度式は明日の朝にしよう」と言われる慈鎮和尚に対して、
 「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
 という歌を詠まれたと伝えられています。
 この歌は「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものなら、明日はもう桜を見ることはできません」という意味ですが、いのちは限りあるものであり、しかも不定であることを桜のはかなさに喩えて、今夕での得度式の執行を願われたものです。
 良寛和尚と親鸞聖人の二つの歌から伺えることは、今生きているこの命は、限りあるものであり、しかもいつ終わるかわからないということであり、そこから自らに問うべきは「今をいかに生きるか」ということでだと考えられます。
 母が亡くなったのは3月の末でした。葬儀を終えて向かった火葬場には建物の周辺に桜が植えてあり、ちょうど満開の頃を迎えていました。収骨をしている時、白骨の中から「次は、いよいよあなたの番ですね」という母の語りかけが聞こえたような気がしました。また、火葬場を後にするとき、風に舞う桜の花びらを目にしたとき、ふと「散る桜 残る桜も散る桜」の句が浮かんできました。そして「散る桜」であることを意識したとき「散るまでの間に、自分に何ができるだろうか」と、あれこれ思いをめぐらせたことでした。
 2月:誰もが自らのいのちを愛していきている
 私たちは、誰もが自らのいのちを愛していきています。おそらく、このことについては誰も異論を差しはさむはないと思われます。けれども、果たして私たちはそれだけに留まっていても良いのでしょうか。そのことの是非を考えさせる次のような逸話が経典にあります。

コーサラ国の王パセナーディにマッリカーとよばれる賢い王妃がいました。

ある日のこと、パセナーディ王はマッリカー王妃とともに城の高楼にのぼりました。眼下には、コーサラの山野がはるかにひろがり、雄大な眺めでした。
そのとき王は、ふと王妃をかえりみて、次のように問いました。

「マッリカーよ。この広い世の中に、そなたは誰か自分よりも愛しいと思うものがあるか」

王妃は、しばらく考えていましたが、思いつめた面持ちで

「王さま、私にはこの世に自分よりも愛しいと思えるものはありません。王さまはいかがですか」

と答えました。パセナーディ王も

「マッリカーよ。私にもそうとしか思えない」

二人の考え方は同じでした。けれども、パセナーディ王は、この結論は、どこか間違っているのではないかという気がしました。

 なぜなら、日ごろ聴かせていただいているお釈迦さまの教えは、どうもそのようなことではなかったように思われたからです。そこで、パセナーディ王は高楼をくだり、ジェータ林の精舎にお釈迦さまを訪ねて、このことについて教えを乞いました。  
 お釈迦さまは、「この世の中に自分自身よりも愛しいと思うものはない」という、王と妃の結論を聞いて、深くうなずかれました。そして、一つの偈を解いて、二人への教えとされました。      人の思いは、どこにでも行くことができる。

けれども、どこに行こうとも

人は、自分より愛しいものを見出すことはできない。

それと同じく、他の人々にも、自身はこの上もなく愛しい。

だから、自分の愛しいことを知るものは、

他のものを害してはならない。

 ここには、誰も否定することのできない人間の真相があり、またそれを基底としての人が第一になすべきことがあります。そのなすべきことをお釈迦さまは「アヒムサー(不害)」と名付けて、五つの戒律の第一番目に置かれました。「殺すなかれ」という「不殺生」というのが、それです。  冒頭述べたように、私たちは誰もが自らのいのちを愛して生きています。そして、私以外のすべての誰もが同じように自らのいのちを愛していきています。ところが、地球上を見まわすと、他の人のいのちを奪う戦争が各地で起こり、未だに続いています。その当事者となっている人たちは、何か深い恨みがあるわけではないのに、あるいは言葉さえ交わしたこともないのに、敵対する側に所属しているというだけで互いに殺し合わなくてはなりません。
 そして、そこには、どう考えても承服しがたいことと否応なしに向き合わされているにもかかわらず、自分が生き残るためには、相手のいのちを奪わなくてはならないという、大きな矛盾を飲み込まざる得ない現実が横たわっています。
 
 お釈迦さまは、み教えを説かれる際、しばしば「おのが身に引き換えて」という説き方をされます。相手の立場になって考えるということですが、私たちは
パセナーディ王とマッリカー王妃が、「自分よりも愛しいと思うものはない」と述べたように、自分より愛しいものはありません。
 同じように、誰もがそう思っています。だからそのいのちを理不尽に奪うことは決してあってはならないのです。にもかかわらず、現実の世界では悲惨な争いが続いています。だからこそ、このことを語り続けなければならいないのだと思います。
 1月:人生はいつでも途中だ
  私たちは、生きていく中でいろいろなことに出会いますが、うまくいくこともあれば、思うようにならないこともあります。そして、様々な経験する中で学んだ事柄、それにはもちろん良いこともあれば悪いこともありますが、そのすべてを自分の知識として心身に刻み、新たに出会うことに対処するための糧としています。そのため、多くの人生経験を重ねると、たいがいのことは経験済みの事柄となっているので、日々の生活における既知の事柄は、概ね無難にこなしていくことができるようになります。すると、いつの間にか私たちは、この世の中のことは何でも分かったつもりになってしまうことがあります。
 一般に、自分が「分かっている」と思っていることについては、いちいち確かめたりすることしないものです。けれども、本当にそのことをきちんと理解しているか、あるいはその理解が正しいのかとなると、確かめをしてないため「分かったつもりになっている」可能性があります。そのような問題について、本願寺第八世蓮如上人(1415-1499)は、
 心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり。
 と語られたことが、その言行を集録した『蓮如上人御一代記聞書』に記されています。意訳すると自分はよく心得ていると思っている者は、実は心得てはいないのです。自分はまだよく心得ていないと思い、教えを聞く者は心得た者なのです。この愚かな自分が阿弥陀仏に助けられることが、なんと尊いことであるかと喜ぶのが心得たということなのです。ですから、しも自分は心得たと思うことがあってはなりません。
 蓮如上人は、心得たと思っている人は、実は心得てはいないのだと言われます。これは一体どういうことなのでしょうか。ここで言われている「心得たと思う」人とは、自分はもう十分に「分かった」という思いの中に閉じこもっている人のことを指しています。「分かった」と思っている人は、それまでに経験したことや自分が得た知識でもう十分だと錯覚し、引き続き謙虚に教えを聞こうとする姿勢を失っているので、実はきちんと心得てはいないのだと言われるのです。それに対して、どこまでも自分の愚かさに目を背けることなく、自らの至らなさを知るものこそ、「心得た人」だと言われます。したがって、自分の知識や能力を頼みとするのではなく、真摯に念仏の教えに耳を傾け、自分は十分に心得ていない愚かな身だと自覚し、決してもう分かったなどと思うべきではないことを教えておられます。
 確かに、私たちは様々な教えを学んでいく上で、時折「分かった」という体験をすることがあります。しかし、それは往々にして単なる「思い込み」や「勘違い」であったりします。しかも問題なのは、それが「思い込み」や「勘違い」だということに、なかなか自身では気付き得ないということです。だからこそ、謙虚な姿勢で教えを聞き、学び続けることが大切なのだといえます。
 そして、それはまた人生においても同じことがいえます。私たちは、生まれた以上、いつか必ず死んでいかなくてはなりません。しかも、このいのちには必ず終わる時がやって来るのに、それがいつなのか誰にも分かりません。
人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないことを「老少不定」と言います。それでも、永遠には生きられませんし、だんだん平均寿命に近付いていくと、「もうそろそろ、自分の人生も終わりが近付いてきたな…」とか、「いったい、あとどれくらい生きられるだろうか…」と思ったりするものです。
 とはいえ、そのいのちが尽きる瞬間までは年齢に関係なく、その「人生はいつでも途中」です。だから、決して「心得た」などと錯覚することなく、昨日よりも今日、今日よりも明日は、人生で一番新しい私なのだということを忘れず、常に前向きに生きたいものです。



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