法 話

-心のともしび(2021年)-

9月:帰去来 大切な人たちの待つ浄土へ
  「帰去来」という言葉は、日本でも愛読されている中国の六朝時代(東晋末~南朝宋初)の詩人の一人、陶淵明(365年-427年)の「帰去来辞」の中の「帰去来兮、田園将蕪、胡不帰【帰りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる】」で有名です。「帰去来兮」の「去」と「来」は助辞で、「帰去来」は「さあ帰ろう」と自らを促す意味です。
陶淵明は下級貴族の出身で、生活のため29歳頃から数回途についたもののすぐに辞し、以後召喚されても官職にはつきませんでした。41歳の時に再び士官して就いた県令の職もわずか80日で辞し、『帰去来辞』にその気持ちを託して故郷に帰り、以後は田園で農耕生活を送りました。
 また、「帰去来」という言葉は、シンガーソングライターのさだまさしさんが、フォーグデュオグループ、グレープの解散後、半年間の休養を経た後に発表したソロアルバム1枚目のタイトルに用いたことでも有名になりました。
 陶淵明の作品は、修辞の方面で魏晋南北朝時代の貴族文学を代表するきらびやかで新奇な表現を追求する傾向からは距離を置き、飾り気のない表現を心がけた点に特徴があるのですが、そのため同時代の文学者にはあまり受け入れられませんでした。けれども、唐の時代になると次第に評価されはじめ、宋代以降には、「淵明、詩を作ること多からず。然れどもその詩、質にして実は綺、にして実は腴なり」という高い評価が確立するようになります。
 陶淵明の作品の作品が評価されるようになったその唐の時代に、親鸞聖人がお釈迦さま以降、お念仏の教えを大切に伝えて下さった方々として讃仰された七高僧の一人に善導大師(613年-681年)がおられます。その善導大師が、『観無量寿経』を註釈された『観無量寿経疏(定善義)』の中で、
帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。
曠劫(こうごう)よりこのかた流転して、六道ことごとくみな経たり。
到る処(ところ)に余の楽(たのしみ)なし。
ただ愁歎(しゅうたん)の声を聞く。
この生平(しょうびょう)を畢(お)へて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん

と、述べておられます。この
観無量寿経疏』の文章を意訳すると
「さあ、浄土に帰ろう。決してこの迷ういの世界にとどまるべきではない。
私たちは今まで、無限の長い時間、ずっと迷いの世界である六道を生まれ変わり死に変わりし続けている。
あらゆるところをめぐってはいるが、どのようなところでも本当の意味での楽しみはまったくなかった。
ただ愁い嘆き悲しむ声が満ちているばかりであった。
この一生を終えた後は、極楽浄土へ生まれようではないか」
と、なります。
また、善導大師は『法事讃』の中では、
帰去来(いざいなん)、他郷には停まるべからず。
仏に従いて、本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず。悲喜交わり流る

とも述べておいでです。
もしかすると、善導大師は陶淵明「帰去来辞」を目にする機会があり、共感されるところがあったのかもしれません。なお、同じ「帰去来」という言葉でも、「帰去来辞」では「かえりなんいざ」、『観無量寿経疏』では「いざいなん」と、訓じ方が違っていますが、陶淵明は「故郷」、善導大師は「涅槃の城(極楽浄土)」へと、いずれも帰るべき場所に「さあ帰ろう」と自らを促している点では、その意味するところに変わりはないようですが、私たちの場合、浄土へは「さあ、往こう」といった感覚に近いかもしれません。
ところで、ここで善導大師が「
六道」といわれているのは、流転する迷いの世界のことで「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六つです。そのいずれもが「魔郷」であり、ただ嘆き悲しむ声だけが満ちていたと言われるのですが、「魔郷」というのは、多くの誘惑に満ちた魅力的な世界のことです。それらによって私たちは、この人生を空しく過ごしてしまうことに陥り、流転を繰り返すことになるのです。また「他郷」というのは、本来自分が居るべきではない場所ということです。
善導大師は、幼くして出家し、諸所を遍歴して『法華経』や『維摩経』を学んだ後、二十歳のとき七高僧の一人、
玄忠寺の道綽禅師に師事し『観無量寿経』などの教えを受けられました。また、道綽禅師が亡くなられた後は、終南山悟真寺に入り厳しい修行に勤められ、中国浄土教を大成すると共に市街において民衆に念仏の教えを弘められました。もしかすると善導大師は、道綽禅師のもとで浄土の教えに出会われるまで諸所を遍歴して来られた自らの体験とも重ね合わせて「帰去来」の言葉を用いられたのかもしれません。
 善導大師は、帰るべき世界である真実の浄土に「さあ、帰ろう」と、自らにそして多くの念仏者によびかけておられるのですが、その浄土とは、私の帰るべき世界であると同時に、今月の言葉には「大切な人たちの待つ浄土」であることが示されています。
 その「浄土」のことを仏教では、また「彼岸」という言葉で表現しています。「彼岸」というのは、涅槃に辿り着いた「向こう岸」のことで、語源はサンスクリット語の「param(パーラム)」とされています。なぜ「向こう岸」と「涅槃」が同義で語られるのかというと、仏教では悟りの境地に達した先に「涅槃」があるとされています。超克すべき煩悩や迷いが川に譬えられることから、煩悩の川の「向こう岸」にある世界として「涅槃」=「彼岸」と受け止められたようです。
 では、なぜ浄土が「大切な人たちの待つ」世界として位置づけられているのでしょうか。
それは、阿弥陀仏が「念仏せよ、救う」と、私たちによびかけておられる「救い」とは、私が阿弥陀仏のその教えを聴いて信じ、願いのはたらきによって浄土に生まれて悟りを開くことだからです。つまり先に亡くなられた方々は、命を終えてどこに往かれたのかというと、阿弥陀仏の願いのはたらきによって「彼の岸」阿弥陀仏の浄土に生まれて往かれたのです。
 
テレビを見ていると、亡くなられた方のことを話題にする場合、ほとんどと言ってもいいくらい亡くなられた方は「天国」にいるものとして語られます。けれども、天国は生前にキリスト教の教えを信仰していた人たちが行かれる世界です。日本人のキリスト教人口は1%程と言われていますので、誰でも天国に行かれるわけではありません。ましてや、仏式の葬儀をされた方に対して「今ごろ天国で…」と言うのは、いかがなものかと思われます。なぜ、そのようないい加減なことを口にしてしまうのかというと、それは自身のいのちの帰する世界を見出していないからだと言えます。
 先に往かれた私の大切な人たちは、いったいどこに往かれたのか。浄土真宗では、はっきりと「浄土」と言い切っています。親鸞聖人が語られる「往生」とは、死ぬことでも困ることでもなく、「浄土に向かって日々生まれて往く」ことです。
 「私のいのちの帰する世界は、阿弥陀仏の浄土だ」と言うことをきちんと自覚することによってはじめて、「さあ帰ろう、大切な人たちの待つ浄土へ」という言葉の語りかけに、深く頷くことができるのではないかと思います。

1月:合掌 多くのいのちに生かされて

 テレビを見ていると、食べ物をテーマにした番組が多く制作されています。そして、その中のいわゆる「食レポ」のコーナーでは、出演者がいかにも美味しそうに食べ物を頬張りながら、「この魚はとてもイキが良くて脂ののり方も最高です」とか、「この肉は口に入れたらすぐにとろけてしまいました」などと語る場面が画面に映し出されるのを目にすることがあります。その時、食レポをしている人たちは、「美味しいご馳走を食べている」ということを感じてはいても、おそらく「いのちを食べている」ということに意識が及ぶことは全くといっていいほどないのではないかと思います。つまり、生きた生命としてではなく、どこまでも食べ物としてしか見ていないということになります。
 けれども、その食べ物としてしか見ていないご馳走も生命として生きていたのですから、率直な言い方をすると、直接あるいは間接の別はあっても、つまるところ生きているいるいのちを殺して食べているということになります。そうすると、私たちが生き続けているということの内実には、殺し続けているということがあるといえます。一般に私たちは「いのちを大事にしましょう」と口にしているのですが、自らが生きるということの内面には、その言葉と矛盾する事実を抱えていることになるわけです。
 いのちが大事なものであり、それを大事にしなければならないということは、誰もがよく理解しているにもかかわらず、他のいのちを殺して食べていかなければ自らが死んでしまうという、どうしようもない矛盾をかかえながら生きているのが、私たちの身の事実です。
 どのような生命であっても、他の生き物に食べられるために生まれてきた生命はありません。生きとし生けるものは、すべて自らの生命を愛して生きていますし、その生の尽きるときまで精一杯生きようとしています。また、どのように小さな生命であっても、その生命の重さに軽重はなく、すべてが等しいはずです。そのことを教えてくれる有名な物語が龍樹菩薩の著された『大智度論』などに出て来る「シビ王の物語」です。 

 
 シビ王という心やさしい王さまがいました。
帝釈天は、その心を試すことにしました。

 王さまのところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをしました。
 鷹は王さまに、
「私は腹が減っている。
鳩を食べないと死んでしまう。
あなたは鳩のいのちとわたしのいのちと、どちらが大事だと思っているのか」

 と尋ねました。
 そこで、王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置きました。
 しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても鳩の重さとつり合いませんでした。
 そこで王さまは、自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。
 シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒して敬いました。

 
 この物語は、『大智度論』おいて「布施」の説明として説かれたもので、近い将来必ず仏となるであろうと言われるシビ王が、一切の衆生を救おうという思いを起こしたことに対して、帝釈天が鷹に、毘首羯磨が鳩に変身してその思いを試そうとしたときのことだとされています。そして、自らの身を切り与えることは地獄の苦しみに比べると十六分の一でしかないとも説かれています。
 この物語が教えてくれているのは、どんな生命であっても、その生命はそのものにとってはかけがえのないものであり、ちっぽけに見える小さな生命であってもすべての生命の重さは等しいということです。
 にもかかわらず、そのいのちを奪わなければ、私たちは自分自身の生命を保つことができません。殺すことをやめれば、自分の生命を無駄に殺すことになるからです。それは、自分の生命を保とうとすると、他の尊い生命を奪わなければならないという、逃げようのない矛盾をかかえながら生きているということです。
 そうすると、私たちは限りない多くの生命のおかげで保たれているこの生命というものを、空しく過ごすか、過ごさないかということが問われてくるように思われます。何故なら、私が自分の生命を空しく過ごしてしまうならば、私のために奪われていった生命のすべてを空しくしてしまうことなるからです。

 多くのいのちに合掌するということは、ただ単にいただいた生命らにありがとうと感謝することだけで終わるのではなく、頂いたいのちを決して空しくしない、この生命を成就していくということに尽きるのではないかと思います。

 2月:仏法 時代が変わっても変わらない真実
 刑事ものや探偵もののテレビドラマや映画の中で、「事件の真実は…」とか、「これが真実です」といったセリフを耳にすることがあります。そして、その事件における真実とはいったい何なのかといったことが中心になって物語は展開していきます。けれども、それはどこまでも「事実」であっても、「真実」とは違うのではないかと思っています。
  例えば、殺人事件を扱った物語の場合、犯人や殺人の動機、殺害方法などすべてが明らかになったとしても、解明されたのはどこまでも事実であって、決して真実ではありません。なぜなら、それが現実におきた事件や創作された物語のいずれであったとしても、誰が人を殺したのかとか、どのようにして死に至らしめたのかということは、どこまで事実に過ぎないからです。つまり、人を殺したということは罪を犯したということであり、誰がどのようにして殺したのかということが明らかになっても、それはどこまでも事実であって、人を殺すという行為が真実であるはずはないのです。
  本来「真実」とは、時代が変わっても決して変わることはありません。けれども、平和な社会ににあっては、人を殺すことは犯罪であり、罪を犯した者は法によって罰せられます。ところが、戦時中ににあっては、敵対する相手を殺しても罰せられないばかりか、英雄的行為として称讃され好評価を得ます。

 また、儒教においては、直系の男子が先祖の祭祀を守ることが重視されました。そのため、儒教を国政の基本に置いた中国の歴代王朝では、子孫繁栄、男系相続者の存在が重要視され、中国の影響を受けることの多かった日本でもこの考え方が肯定的に受け入れられ定着しました。
 ところが、現行の一夫一妻制の下では、女性一人が生涯に出産できる子どもの数は限られますし、妻の健康状態や不妊問題から、子どもを授からない場合もあります。そのため、男系男子の子孫を安定的に確保できるとは限らないことから、その問題を防ぐために、側室を持つことにより男系男子の子孫を絶やさないことが考慮されました。
 そのような儒教倫理に基づき、かつては「正室が一人で側室が複数」ということが容認、あるいは推奨されていたのですが、時代と共に倫理・道徳観などが変化する中で、その影響を受けて皇室でも大正期に側室が廃止されました。ところが、依然として皇室は男系男子の子孫によって皇位を継承すること」を原則としているため、昭和・平成を経て令和の時代なると、「男系男子の子孫」の数が少なくなり、将来も男系男子によって皇位を継承していくことへの不安が危惧されるようになっています。
 このように、ものの見方や考え方はいつの時代においても一定ではなく、その時々において全く相反することさえあったりします。そうすると、「真実とは何か」ということが問題になりますが、それを紐解く言葉が「時代が変わっても変わらない」ということではないかと思われます。
  実は「仏法」とは、お釈迦さまが創作された教えではありません。そのことをお釈迦さまは自ら、一つの比喩をもって次のように説いておられます。
 
『比丘たちよ、たとえば、ひとりの人があって、人里はなれた森のなかをさまよい、はからずも、むかしの人々が通った古道を発見したとする。彼が、その道をたどってずっと行ってみると、そこには、むかしの人々が住んだ古城があった。それき、園林をめぐらし、美しい蓮の花を浮かべた池のある、すばらしい古都であった。

 彼は、帰ってくると、ただちに、そのよしを王さまに報告して「願わくは、かしこに、ふたたび都城を築きたまえ」と申し上げた。王さまは、それを聞いてたいへん興味をもち、ただちに大臣に命令をくだして、そこに都城を築かしめた。すると、そこには、人々がたくさん集まってきて、殷盛をきわめるにいたったという。
 比丘たちよ、ちょうどそれと同じように、私もまた過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。  では比丘たちよ、過去の正覚者たちのたどった古道とは何であろうか。それは、かの聖なる八支の道のことである。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正道がそれである。
 比丘たちよ、私はその道にしたがって進んでゆき、やがて老死を知り、老死のよってきたるところを知った。また、いかにして老死を克服すべきかを知り、老死の克服を実現すべき道を知ることを得たのである。
 
比丘たちよ、私はそれらのことを知ることを得て、それを比丘、比丘尼、ならびに在家の人々に教えた。かくして、この道は多くの人によって知られ、栄え広まって今日にいたったのである。』
 
仏法はお釈迦さまによって知られ、お釈迦さまによって説き教えられたのですが、お釈迦さまご自身は、ここで「過去の正覚者たちのたどった古道を発見したにすぎない」と語っておられます。つまり、それは真実を発見し、それを明らかにしたのが仏法だということです。このように、仏法は真実であるがゆえに、いつの時代にあっても人々の心に燦然と輝き、生きる勇気となってはたらくのだといえます。
 3月:聞思 ありのままの自分と向き合う

 親鸞聖人の主著『教行信証』「総序」の中に「聞思して遅慮することなかれ」という言葉があります。これは(人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を)よく聞き考えてためらってはならない」という意味で、「聞思」とは「よく聞いて考える」ということだと言えます。
 また、親鸞聖人は『教行信証』の「信巻」の中で、私たちの心にどのようにして信心が生じるのかということについて述べられる中で、「信心の有無は二つの見方によって確かめることができる」として『涅槃経』を引用し、「信には二種あり、一つは聞より生じ、二つは思より生じる」と説いておられます。私たちに信じる心が生じるのは、聞くという場合と、聞いてさらにそのことについて深く考え信じる心になるという二種があるといわれるのです。
 この場合、「ただ聞くということだけで終わってしまう信」と、「聞いたことに対しその内容に深く思いをいたし、よく確かめた上で信じる」というのでは、その信に大きな違いが生じます。確かに、ただ教えを聞いて、単に「なるほど」と思っただけでは、その信はすぐに破れてしまうことになります。それに対して、教えを聞いて、それはどういうことなのかと自ら疑問を出し、その教えの真実性を自らの全人格を通して信じることができた場合は、なかなか破れるということはありません。そのため、聞いてすぐに「なるほど」と終わってしまうような信は、真の意味での信とはいわれなくなります。
 ところで、このようなあり方には、実は大きな問題が含まれています。普通この「思」は、私が思うののですから、迷いの原因の行為となってしまいます。なぜなら、煩悩に惑う私たちの愚かな判断が関わると、それは疑問ではなく疑惑になってしまうからです。素直に教えを信じれば良いのに、いろいろな疑問を抱いてあれこれと考えるのは、学問のあり方としては正しくても、仏道の学び方としては、そこに自分の思惑が加わり自力のはからいがなされるため、かえって深い迷いに陥ってしまう危険性があるのです。
 そのため、浄土真宗でははからうことを厳しく否定し、「ただ聞く」ことが強調されます。確かに、仏法は究極的には「聞くのみ」ということになるのですが、そこにたどり着くまでの知的段階においては、聞と思という二つの聞き方が大切になるのです。
 親鸞聖人の書かれたものを読むと、信に至る最初の段階では、聞より思を重視されます。まず信じるためには、真実の教えに対して、自らの全体で関われといわれます。それは、真実の仏法に対しては、常識的な考え方では、疑問が続出します。それは、聞いていることに対して、「ここが分からない」とか「それはどういうことなのか」と、次々と疑問がわいてくるということです。けれども、真剣に求めようとすれば、疑問がわいてくるのはむしろ当然のことです。したがって、疑問をもつことこそが、自分の主体をかけた問い方であり、真の意味での宗教との関わり方だということができます。
 聞く側に問いがあり、その問いに答えが与えられ、さらにそこから新たな問いが生じる。そのような聞思によって、初めて教えとの関わりがだんだんと深まっていくのです。そのため、親鸞聖人は信に至る最初の段階では、聞より思を重視しておられるのだと考えられます。
 また、聞ということについては、『涅槃経』の中から「聞不具足」という言葉を引いて、聞いていない状態を明らかにすることによって、逆に「聞」ということを明らかにしておられます。では、『涅槃経』では、どのような状態を「聞不具足」、聞いていない状態だと説いているのでしょうか。
 「如来は十二部の経典を説かれたとされています。この場合、その中の六部だけを信じて、いまだ他の六部を信じていない場合、このような聞き方を聞不具足とします。
 また、他の六部の経も信じることができて、十二部経全部を信じることができたとします。ただし、その内容を完全に理解するには至らないまま、他の人のためにその教義を解説しようとすると、間違ったことを教えることになります。このような聞き方もまた聞不具足とします。
 では、この経典のすべてを完全に理解することができたとします。ところが、この教えを単に他と議論して勝つために利用したり、自分の名誉とか自己満足を得るためであったり、日常生活を営む上での利益を得るために教えを説くのであれば、それもまた聞不具足と名づけます」
 このことから、「聞」とは非常に難しいことが知られます。そして、聞いても聞いても、いまだ真実を聞き得ていないばかりか、人間としての愚かさが痛感されるばかりということになります。したがって、自分は本当の意味で教えを信じているか、本当の意味で聞いたことを喜んでいるかということを確かめたいときは、この『涅槃経』の教えを物差しにして、自分の心にあててみればよいのだと言えます。このような意味で、「聞思=よく聞いて考えること」が、「ありのままの自分と向き合うこと」になるのです。

  4月:他人の過ちは見やすく おのれの過ちは見難い
 確かに、他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難いものです。そのため、しばしば「人のふり見て我がふり直せ」ということが言われます。これは、「他人の行為の善悪を見て、自分の行為を反省し改めよ」ということですから、誰にでも理解し受け入れることができます。
  日頃、私たちは自分の顔や姿を見るときは鏡の前に立ちます。それと同じように、自分の心の内や行いを見るときには、私自身を照らすものが必要になります。ここでは、その鏡の役割を担うものが「人のふり」つまり「他人の行為の善悪」ということになります。
 そこで、私たちはしばしば他人の行為に目を向けることになるのですが、単に周囲の人を見まわしても、それぞれにその人のなりの生き方があるため、そのすべてがそのまま私の生き方の参考になるというわけではありません。けれども、今日の社会ではテレビやインターネットを通じて様々な世界のありさまを目にすることができるので、そういったことの中から教訓的なことを学ぼうとすると、その題材に事欠くことはありません。
  ところが、放映されているものの中に善悪を見て、それを自身の言動に照らし合わせて反省し改めようとする人はほとんどいないのではないかと思われます。また、映画やドラマ、ドキュメンタリーなどを見て非常に感激したり、あるいは講演などを聞いていかに感動したりしたとしても、それによって自分の行為が改まるということはありません。それは、どれほど素晴らしい物語や出来事であったとしても、見たり聞いたりしている私が、どこまでもそれを一般論として客観的に眺めているに過ぎないからです。そうすると、私が自らを改めるためには、そこに一つの縁が加わる必要のあることが考えられます。
  一般に、私たちは周囲の人から「影響を受ける」ということがあります。その場合、良い影響と悪い影響の二つがあります。私たちは、無人島で一人暮らしをしているわけではなく、多くの人々が形成している社会においては、常に周囲の人々と何らかの関わりを持ちながら生きています。そのため、「自分にとって良いと思うこと」を無意識のうちに見習うようになりがちです。ところが、「自分にとって良い」と思っていることが、果たして本当に正しいことかどうかとなると、その是非は極めて曖昧だといわざるを得ません。
  なぜなら、私たちは欲望のままに生きている凡人ですから、正しく善い方向よりも、悪い方向を見て「我がふり」を直すことの方が圧倒的に多いのです。つまり、悪影響を受けながら生きているのが、私の身の事実だということになります。そこで、改めて真の意味で自分の心や行いを映し出す鏡とは何かが問われることになります。この場合、大切なことは、自分にとって都合の良い人の姿を見ようとすることではなく、自分の心に響く教えこそが、自身を照らす鏡になるのだということを知ることです。
  親鸞聖人の教えにそのことを尋ねると、例えば私たちは臨終のあり方を問題にすることがあります。そして、亡くなられた方の顔を見て、安らかな顔をしておられると、そのことを讃えるようなお悔やみの言葉を口にする一方、事故などで悲惨な臨終を迎えられた場合は、悲壮な態度で臨んだリします。
  このような私たちのあり方に対して、親鸞聖人は「臨終の善悪を問題にするべきではない」と諭しておられます。また、お釈迦さまは、この世は無常だと説いておられますが、それは自身を含め人にいったい何が起こるのか誰も知ることはできないということです。そのため、日頃善人だと称賛されている人が非業の死を遂げることもあれば、悪事に手を染め評判のよくなかった人が穏やかに死んでいくこともあります。したがって、死に際の善し悪しで、その人が仏になり得るかどうかが決まるということなどないのです。大事なことは、その人が日頃どれだけ真剣に仏法を聴いていたかどうかによるのです。だからこそ、親鸞聖人は「いま信心を得て、必ず仏になるべき身に定まることが大切だ」と繰り返し説かれるのです。
  また、私たち人間社会には、なかなか解消することが難しい差別の構造があります。そのため日本国憲法には、
 
 すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
と、定めています。にも拘わらず、次々と新たな差別が生み出され、真の意味での平等はなかなか実現していません。
  親鸞聖人の時代には、念仏者がいわれのない差別を受けました。何度も弾圧をされ、親鸞聖人も何の罪もなくして流罪になりました。そのような状況の中で、親鸞聖人は差別する側の人間こそが、痛ましく哀れな状態に置かれているのだとみなされます。なぜなら、悪道に堕するのは、差別している人々だからです。
  そこで親鸞聖人は、念仏者を弾圧している人々を憎んだり呪ったりするのではなく、哀れみ不憫に思い、その人々もやがて念仏を称えることができるようになることを祈ってあげなさいと諭しておられます。依然として、様々な差別事象の消えない現代においても、親鸞聖人のこの教えは私たちの鏡となり得ます。なぜなら、差別している人たちに、それが非道であることを気づかせるのは、ただ差別されている側の人間としての暖かさにあるといえるからです。

  改めて「他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い」と言えます。だからこそ、自分を見つめさせる鏡を持つことが大切なのですが、その鏡は一般に言われる「他人のふり」ではなく、いつの時代にあっても、いかなる人々においても、真実と言いうる「仏法」だと言えます。
  善導大師は、「仏さまの教えは、鏡のようなものだ」とはっきり言いきっておられます。私たちは、仏さまの教えを聴くことによって、自分の姿を省みることができるのですが、その鏡に映し出される私は、なんとも自己中心的でむさぼりや怒り、愚かさに流されるいたましい姿です。まさに親鸞聖人が「恥ずべし、いたむべし」と悲嘆されるような姿ですが、そのことなくしては「おのれの過ちを見ること」ができないのが、私の身の事実だといえます。

 5月:いのちの願いによってあなたは生まれた
 私は、物心ついた時には、既にこの「私」という人間を生きていました。生まれる前に、「人間に生まれたい」とか、あるいは「男に生まれたい」「長男に生まれたい」「昭和という時代に生まれたい」等々、何一つ自ら願った覚えはないのですが、まさに気づいた時には、この「私だった」のでした。つまり、「自分で願って今の私に生まれてきた」というわけではありませんが、その一方、気づいた時には親の願いをこめてつけられた名前で呼ばれていたのです。
 
端的には、私のこのいのちは、親の願いを受けて生まれきたのであり、同じように両親にもそれぞれ両親がいますし、祖父や祖父母にもそれぞれ両親がいるので、繰り返しさかのぼっていくと、そこには多くのいのちの歴史があることが知られます。そして、私が今ここにこうして生きているということは、それぞれが願いをもって、それぞれの人生を生きて死んでいった、その人々の歴史を、今この身に受けて生きているのだということが思われます。
  
ところが、一般に私たちは何よりもまず「私があって」ということころからしか自分の存在をとらえていませんし、その自分というものを、「自分は自分」というところに立ち、個別的に考えていたりします。そのため、自分の人生が思い通りにならなかったりすると、「どうせこんな私なんか…」という言葉をつぶやいたり、投げやりな気持ちに陥ったりすることもあったりします。
 
けれども、私のいのちは、私の先を生きた無数ともいえる多くの人々が、生まれ変わり死に変わりするたびに、一つの願いとなって新しいいのちを生み出してきた、そのいのちの歴史の延長線上にあるのだということを知ると、まさに多くの「いのちの願いによって自分は生まれてきたのだ」ということに頷かざるを得ません。
 
そのことはまた「倒木更新」という言葉によって味わうことができます。「倒木更新」とはいったいどのようなことかというと、北海道の蝦夷松(えぞまつ)は、秋になるたくさんの種を地上にまきます。その種は、一応春になると一斉に芽吹くのですが、周知の通り北海道の自然は過酷ともいえる厳しさなので、生長していく芽はほんのわずかなのだそうです。では、どのようにして生長していくのかというと、寿命が終わって倒れた蝦夷松は年月を経るとやがて腐り、その表面に苔が生えてくるのですが、その苔の上に偶然落ちた種が、倒木の腐った土の温もりや苔の潤いなどに守られて育っていくのだそうです。そのため、倒木の長さだけ一列一直線に同じ高さの蝦夷松の木が生長していくことになります。その光景を「倒木更新」と呼ぶのだそうです。
  先に倒れていった木が、今度は自分の上に落ちてきて芽吹いた新しいいのちを守り育んでいく。それと同じように、人間も先に生まれた人が願いをもって新しいいのち生み、その生涯を通して新しいいのちを導いていく。そして、先に逝った人の願いを受けて、新しいいのちはまた次の新しいいのちを生み育んでいく。そのような歴史が重ねられる中に、多くのいのちの願いをこの身に受けて、私は生まれてきたのだと味わうことができます。
  ところで、「生」という字には、「生まれる」「生きる」「生む」という三つの意味があります。これは言い換えると「誕生する」「生きていく」「生み出す」と読めますから、「生」という字はこの三つの要素もっているといえます。そうすると、「生まれる」ことの内容は「生きること」であり、「生きること」は「何か新しい自分を生み出すこと」だと考えられます。
 では、私たちは日々こうして生きている中で、事実としては確かに今ここにこうして生きているのですが、はたして「生きる」という実感をもって生きているでしょうか。私たちは、生まれた後やがてどうなるかというと、遅かれ早かれ間違いなく死に至ります。それは、私たちの人生は、生まれた瞬間から漠然と「生きていくことになる」と思っているのですが、身の事実としては刻一刻と死に向かって歩みを進めているということです。したがって「生きるというのは、どのようなことですか」と問われると、一言でいうなら「死に向かって進むこと」だと言わざるを得ません。
  その事実に気づくと、人生においてどれほどの成功をおさめ名声を得ていても、巨万の富を築き上げていても、それで死ぬことが免除されるかというと、絶対にそれはあり得ないことなので、「どうして自分は頑張っているんだろう」という疑問がわいてくることになります。そして「生きる」ことの意味や、そのことへの積極性を見いだせないと、その人生の全体が空しさに包まれてしまうことになります。
  そうしたことを踏まえると、「生きるとは生まれることだ」と言えるように思われます。一般に、私たちは「自分は何となく生まれてきた」かのように錯覚しているのですが、生きていく中での不満をそこにぶつけるのではなく、むしろ既に「生きている」のですから、「生きる」という事実の中で、本当にそのことへの実感を持てないとすると、その人生は死に向かって歩く以外にはなくなるのだと言えます。
 つまり、「生まれる」ことは、単に肉体が誕生することの説明の言葉にとどまるのではなく、「生まれる」ということが「生きること」の内容になってこそ、初めて私たちの人生は、事実としては確かに死に向かうものであったとしても、その内面においては常に「生まれる」という事実を刻一刻と生きていくことになるのです。そして、賜ったこのいちのが終わるその瞬間まで、「生まれる」という事実を生きていくことになるのです。
  具体的には、私たちの人生は悲喜こもごも、いろいろなことが縁にふれ折りにふれ降りかかってきます。そのため、悲しみにあえば、そのことを通して悲しみを知らなかった自分が悲しみを知った自分へと新しく生まれ、辛いことにあえば、そのことを通して辛いことを知らなかった自分がつらいこと引き受けて生きていくような新しい自分へと生まれていきます。そして、いのちの終わる時が一番新しい自分になって、この「生」を果たし遂げていくのです。
  このように、いのちの終わる時まで生まれ続けていく。悲しいこと、辛いこと、苦しいこと、時には死にたくなるような思いや経験のすべてを、新しい自分に生まれる素材にしながら、いのちの終わる時まで生まれ続けていって、最後に「本当に自分に生まれてよかった」と言える自分になって死んでいけるような人生にできるか否か、それが「いのちの願いによって生まれた」私の一番の課題だと言えるように思われます。
 6月:日ごとに変わるあじさいの花
 梅雨時期を彩る風物詩としてすぐに思い浮かぶのが「あじさい」です。漢字では「紫陽花」と書かれたりしますが、これは唐の詩人白居易がライラック(リラ、ムラサキハシドイとも)に付けた名前で、平安時代の学者源順がこの字をあてたことから誤って広まったといわれています。
  あじさいは、
花の色がよく変わることから「七変化」「八仙花」とも呼ばれていますが、花の色が変わるのは土壌のpH(酸性度)によるもので、一般に「酸性なら青、アルカリ性なら赤」になると言われています。
 
また、花の色は開花から日を経るに従って徐々に変化し、最初は花に含まれる
葉緑素のため薄い黄緑色を帯びていますが、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていきます。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになりますが、これは花の老化によるものであ、土壌の変化とは関係なく起こります。
  
あじさいの花の色が変化していくのは、科学的に分析すれば既述のようなことがその背景にあるということが分りますが、実はこのように変わり続けているのはあじさいの花の色だけではなく、世の中のすべのものが時々刻々と変化し続けているのです。
  
それを仏教では「諸行無常」といいます。「諸行」とはすべての現象を指します。それが「無常」であるというのはどのようなことかというと、この世のすべての現象は、例えば神の意志のように一切を超越した何ものかによって支配されたり、動かされたりしているのではなく、諸々の原因や条件(縁)によって形作られていて、常に消滅変化してゆくのであって、何ものも永遠不変ではありえないということです。
  
この「無常」について述べられているのが、近代まで文字を習う時の手習い歌として長く用いられてきた四十七のかな文字を使って作られている「いろは歌」です。
  いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど 散りぬるを)
  わかよたれそ つねならむ (我が世たれぞ常ならむ)
  うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日越えて)
  あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ酔ひもせず)
歌を意訳すると、次のようになります。
  花はどんなに美しく咲いたとしても、やがていつかは必ず散っていくものです。
  この世において、たとえ栄華を誇ったとしても、それがいつまでも永遠に続くことなどありえません。
  有為転変の迷いの世界を、今日、越えることによって、
  浅はかな夢を見ることもなく、迷いの根源である無明の酔いに、もはや酔うということもありません。
  短い歌の中に、仏教の無常の思想が示されており、仏教の世界観・人生観がみごとに説かれているといえます。それは、この歌が『涅槃経』の中の「無常偈」として知られている「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」を説き明かしているといわれているからです。この「無常偈」は、「羅刹と雪山童子」の物語として、お釈迦さまの過去世の姿を示す説話として伝えられています。
  昔、雪山(ヒマラヤ)に雪山童子と呼ばれる求道者がいました。彼は衆生利益のために、あらゆる苦行を修めていました。帝釈天は、童子の懸命な求道の姿を見て、その決意を試すために恐ろしい羅刹(鬼)に姿を変えて、童子の前に現れました。
そして、過去世の仏が説かれた偈文の前半部分の「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり(この世の一切は無常であって、すべては一瞬として留まることなく流れている。生あれば必ず滅がある。これが一切の法を貫く真理である)」と唱えました。
  
これを聞いた雪山童子は大いに喜び、この教えこそが自分が求めてきた真理だと気付きました。そこで、童子は羅刹に向かい、「どうか残りの偈文を教えてください」と懇願します。ところが、人の血と肉を食べて生きる羅刹は、「自分は今、空腹のために心を乱しているので、童子の願いを聞く耳を持っていない」と冷たく言い放ちます。それに対して童子は、「自分の肉体をあなたに差し上げますから、どうか教えてください」と言い、合掌して跪きました。
羅刹は、雪山童子の決意が揺るぎないものだということを知り、後半部分の「生滅を滅し已りて 寂滅を楽と為す(生にも滅にも惑わされない縁起の法を知り、生滅を滅しさることによって、心の迷いの一切が破れ、永遠に迷うことのない完全なる寂滅を楽しむことができる)」を説き、その後、羅刹は約束通り童子に肉体を求めました。
真実の喜びを得た雪山童子は、この偈文を他の人々に伝え残すために、周辺の石や壁、道や樹木に書き記し、羅刹との約束を果たすため、高い木に登って地上へと身を投げました。すると、羅刹は帝釈天の姿に戻り、空中で童子の体を受け止めると、地上に置きました。
  経典には、この雪山童子こそ、後世のお釈迦さまだと記されています。この物語を通して、真理の法に出遇うことは、まさに命がけであり、いかに難しく希有なことであるかということが知られます。
  
そして、お釈迦さまのご苦労によって明らかになった、世のすべてのものは一瞬として留まることはなく、何ものも永遠不変ではないという「諸行無常」の真理。
  
その真理は、世の中のものをただ漠然と見ているだけでは到底気付き得ないのですが、お釈迦さまによって既に明らかされ、教えられているからこそ、「凡夫」といわれる私たちのような者でもあっても、日ごとに色の変わっていくあじさいの花を見ると、そこに「諸行無常」の教えを味わうことができるのだと思うことです。
 7月:今日もまた 幸福求めて四苦八苦
 「人間とはどのような存在か」ということを考える場合、いろいろな表現があると思いますが、その一つとして「願いに生きる存在」と言うことができます。では、その「願い」の内容は何かというと「幸福になること」です。実は、そのような在り方は今に始まったことではなく、人間の本質そのものだと考えられます。なぜなら、既に古代ギリシャの時代、哲学者のアリストテレスが「人間は誰に教えられたわけでもないのに、誰もがみな幸福になろうと思って生きている」と述べているからです。
  では、いつから人間はそのように願いながら生きてきたのかというと、おそらくこの地上に誕生して以来ずっとではないかと思われます。それは、人間の歴史とは、よりよい生活を願い、幸福を願って思考し、それを実現するための取り組みを繰り返すことによって展開してきたといえるからです。つまり、原始人から現代人に至るまで連綿として続いている人間の歴史とは、最初に一人の人間が幸福になりたいと願い考えて取り組んだことが、次第に受け継がれ無限に広がってきたものにほかならないといえるわけです。そうすると、人間とはまさに「幸福探求を継承し続ける存在」ということになります。
  ところで、無数の人間がそのことを受け継いで現在に至っているのですが、その営みは未だに終わっていませんし、相変わらず誰もが忙しそうに幸福を求め、まさに四苦八苦しているというのです。
  この「四苦八苦」という言葉は、仏教の四法印の一つ「一切皆苦」を端的に言い表したものです。お釈迦さまの教えは、伝統的なバラモン思想や六師外道と呼ばれる自由思想家など、当時のインド思想一般を批判し、それを超えて新たに説かれたものです。そこで仏教徒は、諸々の思想との根本的な違いを四つの項目にまとめ、他の教えと区別する目安としました。これが四法印ですが、「印」とは旗印を意味し、もしこの条件が備わっていれば、その思想は仏の教えに間違いないと断定するための根拠とされました。したがって、その教えが仏教思想だとして伝えられていても、四法印に照らしてみて明らかな相違が認められた場合、それは仏教ではないということになります。
  「一切皆苦」とは、すべてのものが苦しみであるということです。一切は変化し、永遠なるものはありません。私たちが、何かそれらに対して執着すれば、必然のこととして苦しみが生まれます。そのため、仏教で「苦」という場合は、苦しいとか痛いということよりも、「自分では思い通りにならないこと」を意味しているのだといえます。その「苦」を端的に言い当てたのが「四苦八苦」という言葉です。「四苦」とは、「生・老・病・死」で、「八苦」とは四苦に「愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)・怨憎会苦(怨み憎む人と会う苦しみ)・求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)・五蘊盛苦(存在を形作る五つの要素から生じる苦しみ)」の四つを加えた八つの苦をいいます。
  さて、人間は原始人から現代人に至るまで連綿として幸福を求め続け、それを発展といい、進歩という言葉で言い表しながら、ときにはその成果を謳歌したりすることもあるのですが、決してそこで満足することなく、それこそ執念のように幸福を求める営みを次から次に受け継いでいるといえます。
  それは、見方を変えると、真の意味での幸福を手にすることができていないからではないかと思われます。だいたい、本当の幸福とは、いつでも現在形である必要があります。過去・現在・未来といいますが、過去とは「過ぎ去りし今」のことであり、未来とは「未だ来らざる今」のことです。つまり、私が生きているのはいつでも「今」、この現在なのですから、今が幸福でない限り、真の意味での幸福は語り得ないのです。
  ところが、一般に私たちが幸福を求めている幸福は、いつでも未来において実現するものとして語られます。それは、現在を生きている私が未来というものに幸福を夢見る一方、未来に夢見た幸福から現在の自身のあり方を悲しんでいる。幸福を求める心の奥には、そのような感情が流れているように思われます。
  そして、その幸福は概ね他人との比較の中で考えられ、語られ、求められています。そのため、幸福はいつでも他の人の上にあり、自分の中では未来にはにあっても現在にはないため、私にとって現実にあるものはいつも不平不満ということになってしまいます。
  ところが、それではやりきれないということで、自分よりうまくいっていない人に目を向け、「あの人より自分はましな方だし、むしろ幸福な方ではないか」と自らを慰めたりもします。状況としては何も変わっていないのに、自分より幸福そうな人を見ては不幸だと嘆き、その一方で自分より不幸そうな人を見ては幸福な人生だと誤魔化しているのだといえます。
  幸福とは、人によってそれぞれその内容は千差万別ですが、つまるところ誰もが思い描いているのは「私の人生が私の思い通りになりますように」ということです。けれども、お釈迦さまが「一切皆苦」という言葉で明らかになさったこの世の中の真理は、「私の思い通りにならない」ということです。
  そうすると、私たちは自分の思い通りにならないことに満ちあふれているこの世の中にあって、「私の人生が私の思い通りになりますように」と願いながら生きているのですから、その過ちに気付かなければ、人生のすべてが無駄に終わってしまうことになります。そのことを親鸞聖人は「空過」という言葉で教えておられます。
  私たちが願っている人生とは、苦しいことや悲しいことなどなく、喜びと楽しみに満ちあふれた日々か続くことです。けれども、人間である限り、縁ふれ折りにふれ、望まないこともいろいろ生じてきます。したがって、人生の事実のすべてが空しいものに終わってはならない。たとえ苦しくても悲しくても、その一切が空しく終わることがない。悲しみの中にも人生の意味が見出され、苦しみの中にも無駄ではなかったといえるものが感じられない限り、人間の一生は本当に生きたとは言えない、それが親鸞聖人のお気持ちだったのではないかと思われます。
  本当の幸福とは何か、人生が無駄に終わることのない生き方とは何か。私たちが、人として問うべき問いに出会うとき、それまでの人生のあり方を方向転換させるものこそ、真実の教えだといえます。そして、その教えの前に私を立たしめるものこそ、幸福になりたいという願いをもって生き行く悪戦苦闘の努力です。その努力が誠実であればあるほど、その苦悩はむしろ大きくなるのですが、けれどもその苦悩が一方では私を真の意味での幸福になる道はここにあるのだということを明らかにする教えの前に私を導いてくれることになるのだと思います。
  求めないところには、決して真の幸福は得られません。けれども、真の幸福を求めて必死に頑張っても、求めぬいたあげくにわかるのは、何が幸福で何が不幸なのか、自分にはわからないということです。けれども、そこに到達したときに、はっきりとわかることがあります。それは、人間を支えている本当の願いというものは、未来に限りない夢を見よということではなく、自身の現実を直視することの大切さです。
  ともすれば、私たちは自分の足下に目を向けることなく、自身の外に向かって願いをかけていくことに終始しています。まさに、幸福を求めて四苦八苦しているのですが、そうする中に真実の教えに出会うことによって聞こえてくるのが、自分は未来に幸福を求めるために生まれてきたのではなく、幸福になるために生まれてきたのだという、いわば私にかけられた願いの声です。それは、人間がかけた願いではなく、人間にかけられた願いです。それを親鸞聖人は「如来の本願」と教えておられます。
  このような意味で、私たちは日々幸福を願い求めて生きているのですが、必死の努力を重ね、その誠実さを尽くす中において真実の教えに出会うとき、私たちは真の意味での幸福と
は何かということに深く頷くことができるのだといえます。
 8月:偲恩 拝まない時も 拝まれていた
 実は「偲恩」というのは仏教語ではなく、いわゆる造語なのですが、文字を見ると「恩を偲ぶ」ということを言い表そうとしていることは容易に想像することができます。近年は、寺院に設置されている納骨堂を希望される方が増加する傾向にありますが、「亡くなられた方のご恩を偲ぶ場所」という意味で、納骨堂に「偲恩堂」という名称を用いている寺院もあったりします。
  実際、納骨堂に「偲恩」という言葉を用いておられる寺院のホームページには、

 “恩”という字は、因(よりどころ)に心と書き、「自らがこの世にいのちを恵まれ、育てられたよりどころを深く偲ぶ」という意味で、先祖のご遺骨が安置されたお墓にお参りし、仏さまとのご縁を結び、報恩感謝の生活を送るところに、人間が真に人間らしく生きる道が開かれます。
と、その言葉の意味が丁寧に述べられています。この説明から、「偲恩」ということの意味を十分に窺い知ることができます。
  ときに、
古代インドの原始仏教においてこの「恩」という言葉は、「他者によって自分のためになされたことを知り、それに感謝すること」と理解され、重要な社会倫理であると説かれていました。この説明で用いられる古代インドの表現「krta(なされたる)」、「upakara(援助・利益)」が、中国では「恩」という言葉に翻訳されました。
  原始仏教における「恩」についての社会倫理の概念は、やがて「
四恩」の概念へと発展していきます。 『正法念処経』では、「母親、父親、如来説法してくださる法師からの恩」の四恩が説かれました。また、『大乗本生心地観経』では、「父母、衆生国王三宝」の四恩が説かれています。 また、中国では親の恩に報いる「」の倫理を極めて重視する儒教が浸透していたことから、親の恩と孝を説く『父母恩重難報経』が尊重されることになりました。
  仏教では、自分がめぐみを受けていることに気づくこと、自覚することを「知恩」と言い、これを重視していますが、古代インドの言葉で「trsna(渇愛)」や「priya(親の情愛)」も漢語で「恩」と訳されることがあり、そちらのほうは、仏教の修行の妨げになるものと理解されています。
  
ところで、この「恩」という言葉ですが、欧米にはこの恩という概念はないのだそうです。もちろん、当然のことながら他の人から何かしてもらった時、その具体的な行為に対して発する「ありがとう」という言葉はあるのですが、深い恩を感じるというような、「恩の感覚」というものはないのだそうです。そういったことから、アメリカでは世代間の断絶ということをいかにして解消するかという課題に対して、日本人のこの恩という概念、恩という心が大切なのではないかということで、ローマ字でそのまま「ON」と表記して、日本人の持つ恩の感覚や心を研究し、その成果によって課題を克服していこうとしている学者がいるそうです。
  この「恩」という言葉ですが、中国の後漢時代に著された『説文解字』において、「恵(めぐみ)という意味」だと解説されていたことから、日本でも『日本書紀』や『古語拾遺』には「めぐみ」「みうつくしみ」「みいつくしみ」などの読み方がなされていました。この「めぐみ」という言葉の語源は、「菜の花が芽ぐむ」などと表現する時の「芽ぐむ」という言葉を名詞の形にしたものとされています。「芽ぐむ」というのは「芽が出始める、芽吹く」ということなのですが、それは木や草が芽ぐむのは、冬の間は眠っていた草木の生命力が春の陽気によってはぐくまれて目覚めるからです。このことから、他の者に命を与えたり命の成長を助けたりすることが「めぐみ」を与えることであり、恩をほどこすことと理解されてきました。それと合わせて、その逆の立場が、めぐみを受けること、恩を受けることと理解されています。  
  また、恩は、狭い意味では「人からさずかる恵み」を指していますが、広い意味では、この世界全ての存在からさずかる恵みも指しています。したがって、 仏教では、自分が受けている恵みに気づき、それに感謝することを重視しています。このことから、自分がめぐみを受けていることを自覚することを「知恩」と言い、めぐみに報いることを「報恩」と言います。 その一方、恵みを受けているにもかかわらず、自分が受けている恵みに気付かないこと、恵みに感謝しないこと、恵みに報いようとしないことなどを「恩知らず」と言ったりもします。

  浄土真宗では、「報恩」ということをとても大切にしています。この「報恩」の心は、自分がいかにその方から恩を受けているかを知ることによって、自ずから生まれます。そうすると、恩を知ることによって、人は必然的にその恩に報いようすることになるのですが、その対象が亡くなられた方である場合は、その方の生前の遺徳を偲ぶことによって恩を知ることになります。
  一人の人の死を悲しみ悼むというとき、その人の死が悲しいという心の奥底には、やはりその人によって贈られたものがあるからにほかなりません。もし、何も贈られていないとしたら、それほど悲しいということはありませんし、ときとして無関心でいられるかもしれません。けれども、その人の死が私にとって深い悲しみになるということは、その人から多くのことを贈られていたからなのです。つまり、悲しみの深さというものは、その人の一生から贈られているものの大きさだったのだといえます。
  このような意味で「偲恩」とは、亡き人から贈られたものを確かに受け止めるということだといえます。この場合、亡き方をどのように受け止めていくかということが大切になります。亡くなった方がどうしておられるかということを語る場合、私を話して語ってもそれは無意味なことでしかありません。なぜなら、私というものを離れて、第三者的に亡くなった方がどうなっているかを語っても、それは戯れの論議に過ぎないからです。
  時折、自分や家族に不幸が続いたり、負の連鎖的なものから抜け出せないでいたりすると感じると、「先祖が迷っているのではないか」と相談される方がおられますが、私にとって亡くなった方がそのような愚癡の種にしかならなければ、少なくともその方は仏さまというわけにはいかないと思います。迷いを滅した存在が仏さまなのですから、迷っているとすれば、それは仏さまとは言い得ないからです。
  私たちの日常は、いろいろなことに追われているとあっと言う間に過ぎ去っていきます。一日が、一週間が、一カ月が、そして一年が…。それは、自分のことだけで精一杯だからだと思われます。そのため、亡き方や先祖の方々に心を寄せているのは、ご命日やお盆、お彼岸といった時だけで、忘れている時の方が圧倒的に多いといえます。
  その数少ない「亡き方々を偲ぶ機会」に痛感すべきこと、それはまさに「
拝まない時も拝まれていた」ということではないでしょうか。それはまた「亡き人を案じる私が亡き人から案じられている」ことに気付いていくことだといえます。

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