法 話

-心のともしび(2018年)-

12月:人の世にいのちのぬくもりと輝きを
 早いもので、21世紀になって間もなく20年近くが過ぎようとしています。子どもの頃「21世紀」というと、遥か遠い未来といった感じでしたが、「世紀末」という言葉が聞かれるようになったかと思ったら、あっという間に21世紀になり、それからもう20年近くになろうとしています。ある機関が、21世紀になったとき、中学生に対して「21世紀という時代をどのように考えるか」というアンケートをとったところ、返って来た中で一番多かったのは「生活は便利になるが、その一方で暮らしにくい世の中になる」という答えだったそうです。つまり生活面ではパソコンやインターネットの普及、デジタル機器の進化などによって便利な世の中になるかもしれないが、人間として暮らしていくことにおいてはむしろ難しい、いわゆる「いのちのぬくもりのない社会」になると考える生徒が多かったようです。
 確かに、どれほど便利で豊かな世の中になったとしても、いのちのぬくもりのない社会は生きづらいのではないかと思います。また自分がこの身に受けたいのちを輝かすこともなく、もどかしい思いを抱えたままその生を終えていかなければならないとしたら、人生のすべてが「空しかった」の一言に納まってしまうかもしれません。
 では、いのちのぬくもりのない社会とは、具体的にはどのような社会なのでしょうか。心理学用語のパーソナル・スペース(対人距離/他人に近付かれると不快に感じる空間)から造られたポータブル・テリトリーという言葉があります。いわゆる「縄張り」のことで、動物は自分のにおいをすり込んだりして、ここまでは自分の領域だということを強く主張します。そして、同じ仲間であっても、その領域内に入ってくるものがいると、懸命になって追い出しにかかります。
 人間にも自分の家や部屋という領域がありますが、家の外に出ると、バスや電車の中とか街中にいるときは、そこは自分の領域ではなく公の場所だという意識が働くものです。ところが、現代社会においては自分の領域をどこででも主張する人が見られるようになりました。公共の場においても、あたかも自分の家や部屋にいるのと同じことを平然とするのです。そして、動物と同じようにその自分の領域に他人が勝手に入ってくると、それを許せないと思って、動物と同じような行動をとってしまう姿が見られます。
 車内暴力というのが、まさにこれです。これは、他人に「高齢者に席を譲るように」と注意されたとか、「もっと席を詰めてほしい」と求められた等、その言葉の内容に腹を立てたから暴力に及んだのではありません。自分の領域内にいるにもかかわらず、領域外から言葉をかけられて干渉されたことに怒りを感じて暴力をふるうのです。それは、動物が自分のテリトリーに侵入してきたものに牙をむくのと同じです。
 このような意味で、生活が便利になる一方で、人間はだんだん退化・動物化してきているのかもしれません。それは言い換えると、自分自身の心の中に人を受け入れる心理的な許容量が減少してきているということです。つまり、自分と自分の仲間だけしか認められず、関係ないもの、自分の気持ちに添わないものを受け入れる力が衰えてしまっているのです。
 近年、子どもへの親の虐待が大きな社会問題化していますが、それは親の心理的許容量の狭さ、浅さに原因があるといわれています。自分の思い通りにならない、自分の気分を害する存在が一緒にいるということがどうにも我慢がならず、暴力をふるってしまうことになるのだそうです。
 また、あるマンションでは住民総会で小学生の保護者から「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください。子どもにはどの人がマンションの住人か判断できない。教育上困ります」という提案があり、年配の方からも「挨拶をしても挨拶が返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう」という賛同意見があり、可決されたそうです。
 この他、ある新聞の投書では、投稿者が交差点で信号待ちをしている時、ピカピカのランドセルを背負った女の子がやってきたので、「お帰りなさい。車に気を付けてお家に帰ってね」と、声をかけたところ、その女の子はランドセルに付けていた防犯ブザーを鳴らし、無言のまま逃げるように横断歩道を渡って行ったそうです。投稿者は、見知らぬ人に声をかけられたらブザーを鳴らすようにと、家庭で言われているのだと想像すると共に「やはりおせっかいだっただろうか。自分では新設なことをしたと思っても、かえって、迷惑なことがあるのだと痛感させられた」と結んでいます。
 私たちの生きている社会は、一人一人がスマホを手にし、多くの情報を取得・共有・発信したりすることかできるようになった他、交通・医療、その他多くの分野で便利で快適な生活を送れるようになりました。けれども、その反面、21世紀の初頭に中学生が答えたように、なんとも生きづらい世の中になっていると言わざるを得ません。
 だからこそ、いのちのぬくもりが感じられ、この身に受けたいのちを輝かすことのできる世の中にしていくことを願いつつ生きることが大切なのではないかと思います。

 11月:愚痴の出る口からお念仏がこぼれる

 仏教では、すべての「苦」は無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説いています。「煩悩」とは身を煩わし心を悩ますもので、その数え方はいろいろあります。除夜の鐘でよく知られている百八、あるいは八万四千、また集約すれば三つにおさまるともいわれます。
 この中の三つが、人間の持つ根本煩悩と定義される「三毒の煩悩」で、具体的には「貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)」です。「貪欲」とは欲望をいだきそれに執着すること、「瞋恚」とは自分の気にいらないことに対し憎み怒ること、「愚痴」とは道理に無知であることです。
 大乗の経典(『涅槃経』)には、この三つが病にたとえられ、その治癒法が
 「貪欲の病には骨相観を、瞋恚の病には慈悲観を、愚痴の病には縁起観を教える」
 と、説かれています。「愛欲におぼれている者には、その対象がどれほど魅力的に見えたとしても、結局最終的には骨になってしまうことを観察させる。怒りの心に満ちている者には、なぜ腹立たしいのかをよく見きわめさせて慈悲の心を回復させる。自分の知っていること以外は何も知らないのに、世の中のすべてのことが自分には分かっていると錯覚して、自己中心的な見方しかできない愚か者に対しては「すべての存在はさまざまな条件()によって生じるという縁起の理法を観察させる」と。
 また、こられの煩悩を消し去るものが「智慧」であると説かれます。仏教では、 この智慧を「忍」という字で説いています。『仏説観無量寿経』において、韋提希夫人が「無生法忍」を得たということが述べられています。この「忍」とは「認可決定」という意味で、はっきりと認めていく、勝解(しょうげ)という、すぐれた理解をするという意味だという説明がなされています。そのような意味で、「忍」とは「認める」ということだといわれています。
  けれども、そうであれば「無生法忍」ではなく「無生法認」とすれば良いように思われるのですが、あえてそこに「忍」という字が用いられているところに、何らかの意味があるのだと考えられます。では、それはどのような意味かというと、ギリシャ人の「智慧」に対する理解がこの「忍」の意味に通じるものがあるように感じられます。ギリシャ人は「智慧」を「情熱」という言葉で表していたといわれます。この場合の智慧とは、知識をたくさん持っていることではなく、情熱を持っていることだというのです。そしてこの情熱とは、何があっても何かを最後までやり遂げるということではなく、それがたとえどんなに辛いことであったとしても、それが事実であれば事実として受け止め、その事実を生きていくという、勇気としての情熱として理解していたと伝えられています。これと同じように、仏教における智慧も、うまくいってもいかなくても、自分の人生の事実をすべて引き受けて、その事実を生きていく勇気のことなのです。
 これに対して、愚痴というのは、何も知らないということではなく、事実を事実として受け止めて引き受けていくことのできない弱さのことをいいます。どれほど愚痴をこぼしてみても、その事実が変わるということはありません。にもかかわらず、自分の思い通りにならないことの原因を他に責任転嫁したり、世間を呪ったりするばかりで、不都合な事実をどこまでも受け入れようとしないあり方にとらわれてしまうのです。一方、どれほどその事実が自分にとって受け入れがたいことであったとしても、私は私の人生の事実をこの身にしっかりと受け止めていく勇気を智慧といい、また忍という言葉で表しているのです。
 親鸞聖人は、この仏さまは本来「色もなく形もなく、言葉で言い表すことも想像することもできない」存在であるが故に、私たちすべての煩悩を兼ね備えている凡夫にはとうてい理解し得ない。だからこそ、仏さまの側からその存在を私たちに知らしめるために、自ら「南無阿弥陀仏」と名を名のり、私の称える念仏の声となって躍動しておられるのだ、と教えておられます。まさに、愚痴しか出ない私の口から、阿弥陀仏という仏さまは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、念仏の声となってこぼれ出て、常に私を導いていてくださる仏さまなのです。

 10月:本願 老少善悪の人を選ばれず

 「本願」というのは、一般には「仏や菩薩が過去において、一切の生あるものを救おうとして建てた誓願」のことで、ここでは阿弥陀仏が法藏菩薩としての修行中に建てられた誓願のことです。
 この阿弥陀仏の「本願」には、どのようなことが誓われているのかというと「老少善悪の人を選ばれず」と。この言葉を読むとき、私たちは「阿弥陀仏の本願というものは、老少善悪を選ばないものだ」と読んでしまうことが多いように思います。けれども、この言葉はそうではなくて「ひとを選ばない」というところが大切なのです。試しに「老少善悪」という言葉を抜くと、そのことがはっきりします。どうなるかというと「阿弥陀仏の本願とは、人を選ばないものだ」となります。
 つまり、阿弥陀仏は老少善悪を選ばないのではなく、人を選ばないのです。それは、言い換えると無条件で私たち凡夫を迷いから救い必ず仏にするということです。親鸞聖人は、ご自身の著述の中で具体的に「身分の尊いものもいやしいものも、在家者といわれている人も出家者も老人も若者も悪人も善人も選ばない。罪の大小も選ばない。長い修行を積んだものも積めないものも選ばない」と、信心とは人を選ばない本願への頷きであると述べておられます。このように、阿弥陀仏は無条件にして、私たちを救うということを明らかにしているのが「老少善悪の人を選ばれず」ということです。
 ところで、この無条件ということですが、私たちは本当に無条件ということがありがたいのでしょうか。例えば、無条件の本願だからありがたいとか、老少善悪を選ばないからありがたいということであれば、それはそれで通るのかもしれませんが、そこに「老少善悪の人を選ばない」というように、「人」という言葉が入ると、私たちはそのまま素直に喜ぶということにはならないようです。
  受験生にとって、東京大学は狭き門です。誰もが入れるわけではないので、念願かなって合格した人たちは、入れた感激や喜びがあるのです。もし、無条件に誰もが入れるというのであれば、入学してもそこには何の感動もおこるはずはありません。あるいは、新しく購入した服を着て意気揚々と街に出たのに、向こうから同じ服を来た人が歩いて来たりすると、あまり嬉しくはなかったりするものです。つまり、誰もが簡単にはなかなか入れない大学に自分が入れたり、誰もまだ着ていないものを自分が着たりしているというところに、私たちは「特別である」ことの喜びを感じるのです。
 そうすると、無条件で救われるからありがたいとは言うものの、私たちは心の中でさらに「私だけは特別に無条件で救ってください」と願っているのではないでしょうか。そのことを考えさせられる、次のようなやり取りがあります。ある法話の場でのことです。布教使の方が

「この身、このままのお救いです」
という話をされたところ、聞いておられたご門徒の方が、
「ああ、この身このまのお救いでございますね」
と返されました。すると、布教使の方は
「違います。この身このままのお救いです」
と言われたそうです。それで、ご門徒の方は
「ああ、この身このまのお救いなのですね」
と言われたところ、また布教使の方は
「違います。この身このままのお救いです」
と言われたのだそうです。
 阿弥陀仏の本願は、老少善悪の人を選ばないのですから、それは「この身このままのお救い」だという呼びかけだと言えます。けれども、それを聞く私たちは、「この身このままのお救いですね」と、一度そこで念押しをして、「無条件」ということを条件にしてしまうのではないでしょうか。布教使の方は、そこをおさえて「違います」と言われているのだと思います。
 もし「この身このままのお救い」という言葉が、私に本当に頷かれるならば、「ああ、それでいいのだ」とそれで良しとするのではなく、そのような無条件の救いにあずかりながら、私だけは特別でありたいというところに心を置こうとする自身の愚かさに気づき、「申し訳ありません」ということになってしまうのだと思います。
 改めて言うと、阿弥陀仏の本願は「人」を選ばないのです。それは、言い換えると、誰でもない、この私を救いのめあてとしているということにほかなりません。そのことを、親鸞聖人は「ひとえに親鸞一人がためなりけり」と讃嘆しておられます。

 9月:老成 年をとることは衰えることではない

 「老成」とは、「多くの経験を積んでいて物事に長けていること」をいいます。また「老成円熟」という四字熟語には「経験が豊富で人格や技能が十分に熟練していること」という意味があります。いずれも「老」という言葉は、否定的な意味でとらえられてはいません。
 ところが、一般に「若さ」は好まれていますが、「老い」はあまり好まれてはいません。なぜなら、年をとってくると、容貌が衰えるだけでなく、それまで特に意識することもなく、当たり前のようにできていたことが、だんだんできなくなったりしてくるからです。
 私も若さを謳歌していた頃は「老い」とはずっと先のことで漠然としたイメージしかなく、何となく「年を取る」くらいにしか思っていなかったのですが、それなりに年を重ねてくると、今までできていたことが少しずつできなくなってきました。例えば、中学時代は野球部だったこともあり、社会人になってからも仲間とチームを作って軟式野球の大会に出場したり、京都で開催される西本願寺の寺族青年野球大会などにも参加したりしていたのですが、老眼が始まるとナイターの試合ではキャッチャーの出すサインが見えにくくなったり、ヒットを打って勇んで2塁に行こうしても、1塁ベースを回ったところで足がもつれて転んだりするなど、それまで気にもとめていなかったことが難しくなったり、あるいはできなくなったりしました。そして、次第に「衰え」を感じるようになり、ついには後進にポジションを譲ってチームから引退をしました。日常生活においても、これと同じようなことをだんだん感じるようになり、その度に一つひとつのことを断念させられてきました。
 一般に、このような経験をする度に、私たちはそのことを「情けない」と言って嘆いたり、「こんなに衰えてしまったのか」と悲しんだりしています。それは、私たちが若くて元気で健康であった時の自分をものさしにしているからです。つまり、それが本来の自分だと思っているので、加齢と共にいろいろなことが当たり前でなくってしまうと、嘆きや愚痴しか出てこなくなるのです。だから、最後は「こんな自分になってしまって…」という言葉しか、思い浮ばなかったりするのです。
 けれども、その一方で、「老いる」ことによって初めて気付くことがあります。それはどのようなことかというと、私たちは若くて元気で健康な自分というものをいつまでも本来の姿だと錯覚し、それを基準にいろいろな夢を描き、その夢を追いかけながら生きているのですが、老いる中でその夢が次第に薄れ、ついには消え去ってしまうと、そのことを嘆いたり、一つひとつ断念させられたりすることによって、自分がいかに多くの力に支えられて生きてきたかということに気がつくのです。
 そして、それまで自分の力だけで生きているつもりでいたのが、だんだんいろいろなことが当たり前でなくなっていく中で、初めて確かなもの、自分を支えてくださっている世界に出会っていくことができるようになるのです。
 経典には、私たち凡夫のことが「凡小」という言葉でおさえられています。「凡小」というのは、その通りちっぽけな存在ということですが、本人の意識から言えば、自分がすべてだと思っているのがその本質です。それは、自分こそ絶対だと思い、自分があたかもこの世界の中心にいるかのように錯覚しているあり方に終始しているということです。人を評価する場合、あの人は器が大きいとか小さいとか言うことがありますが、人間の大きさというのは、その人が出会っている世界の大きさに比例します。その人が出会っている人、出会っている世界の大きさが、またその人の大きさを決めるのです。したがって、確かな人や確かな世界に出会っている人が、人間として限りなく大きな存在になっていくのです。
 凡小というのは、全部自分の力で生きていると思い込み、自分が世界の中心だという自我の上に立って生きている存在です。そして、自分のことだけしか見ることがなく、すべてを自分中心に判断していく在り方に終始しているため、自分を包み支えてくださっている大いなる世界というものに、全く心が開かれるということがありません。
 そのため、いろいろなことが当たり前のようにできている時は、自分中心の見方をなかなか離れることができないので、どうしても自分のことだけしか見ることができないのですが、老いることによっていろいろなことが当たり前ではなくなっていく中で、初めて大切なことに気付き、大いなる世界に心が開かれるようになるのだとすると、年をとることは決して衰えることではなく、多くの経験を積んでいく中で物事の道理を知り深く頷けるようになることに繋がるのであり、まさに「老いることによって、人間として成就していく」のだといえます。ただし、老いていく中で、あれこれ失われていくことを嘆いたり悲しんだりしているだけでは、やはり衰えていくばかりということになるのかもしれません。けれども、当たり前であったことが、そうではなくなることを新たな発見と受け止めることができたり、そのことによって周囲の恩恵などに目が開かれたりするという体験を持つことができれば、人間として衰えていくことはないのだと思います。

 8月:お盆 亡き方が結ぶ人の縁

 以前葬儀は自宅で営まれていましたが、各葬儀社が競い合うように斎場を建てはじめると、その利便性からほとんどの葬儀が斎場で営まれるようになりました。また、斎場ができた当初は、どちらかといえば会葬者の多い葬儀が一般的でしたが、いつの頃からか「家族葬」という言葉が聞かれるようになると、大半の葬儀は家族葬で営まれるようになりました。
 この「家族葬」という言葉は、葬儀社の方に聞いても「定義付けが難しい」とのことで、当初はこの言葉をそのまま狭義に解釈して、家に一緒に住んでいた人だけで親の葬儀を営み、親戚の誰にも葬儀の連絡をしないばかりか、親が亡くなったことさえ伝えていなかったので、後日そのことを知った親の兄弟弟妹から苦情が殺到したという話を聞いたことがあります。
 また、施主の中には「費用の安い葬儀=家族葬」と思っていらっしゃる方も少なからずいらっしゃるそうです。けれども、葬儀は昔から相互扶助といった側面があり、会葬者が一定数いると、持って来られた香典を葬儀の経費に充当することができて助かるのですが、家族葬は必然的に会葬者が少なくなり、それと連動して香典も少なくなるため、期待したほどには費用の自己負担額が減るわけではなかったりするようです。
 ところで、「家族葬」といっても、一緒に住んでいた家族だけの葬儀という場合は珍しく、親戚の方くらいまでは会葬しておられる葬儀が一般的です。そのため、葬儀は結婚披露宴などと並んで、日頃はあまり寄り合うことのない親戚同士が集まって顔を合わせるまたとない機会になっているようです。
 同様に、お盆には遠方に住んでおられる方も休みを取ってふるさとに帰ってこられます。そのような意味で、葬儀とお盆は「亡き方が結ぶ人の縁」だということができます。また、葬儀は頻繁にあることではありませんが、お盆は毎年のことですから、まさにお盆は家族、親戚だけでなく、知人・友人なども亡き人を縁として結ばれる尊い機会だといえます。
 ところで、お盆は一般に亡き方や先祖を供養するための行事として受け止められています。この場合、供養の内容は、「私が仏事を営みその功徳を先祖に振り向ける」というもので、これと併せてお墓参りをしたりお仏壇に供物をあげたりすることで、先祖の霊が慰められるのだと理解されています。
 けれども、浄土真宗ではそのような理解の仕方はしていません。まず、亡くなられた方をどのように受け止めているのかというと、仏教は「仏と成る」ことを説いている教えですから、当然のことながら仏さまになっておられるのだと受け止めます。
 よく亡くなられた方に「安らかにお眠りください」とお声かけなさる方がいらっしゃいますが、もし亡くなられた方が安らかに眠っておられるのだすると、その方は決して仏さまになっておられるとは言ません。なぜなら、仏さまとは「迷えるものを決して見捨てることができない」「必ず救わずにはおかない」と躍動されるのが、仏さまが仏さまたる所以だからです。
 また、お浄土に往くことを「往生」と言いますが、この往生の「往」は、「往って還ってくる」という時の「往」で、還ってくることを前提しています。したがって、お浄土に往かれた方は、阿弥陀如来の願いのはたらきによって真実の覚りを開いて仏と成ると、すぐにこの人間世界に還ってこられ、縁ある人々から救おうとしてはたらいておられるのです。
 そうすると、亡くなられた方のことを語る場合、私を離れてその方のことを語っても全く意味がないといえます。今、私がこうして仏縁に出会っていることを自覚するとき、その尊いご縁を結んでくださったのがまさに亡き方であり、その方が仏さまとなられたからこそ、私は死別の悲しみをくぐって尊いみ教えを聞く身になれたのだと喜ぶことができるのです。
 親鸞聖人が亡くなられた方のことを先祖ではなく「諸仏」と呼ばれるのは、この事実を深くうなずいおられたからに相違ありません。お盆には、多くの方が亡き方や先祖の方を偲ばれますが、では残りの日々、私たちはどれほどそういった時間を持っているでしょうか。亡き方を思えば思うほどに、いかにお盆以外の日々、私は亡き方がたから案じられ、念じられ拝まれているか、ということに深く心寄せたいものです。

 7月:生きるとは いのちを頂くこと

 私たちは、漠然と「自分のいのちは自分のものだ」と思っています。果たして、そうでしょうか。自分のいのちであれば、自分で思い通りにできるはずです。ところが、私のいのちは全くもって私の思い通りにはなりません。  例えば、私が自分の財布に公金を入れて持ち歩いているとします。私の財布の中に入っているお金なのですから、私が自由に使ってもよさそうなものですが、もし私的なことに使うと公金横領という罪に問われてしまいます。私が私的なことに使ったとしても、誰からも何一つ文句を言われなければ「私のお金だ」ということができるのでしょうが、私の財布に入っていても私の思い通りにならなければ、これは私のお金だとは言いえません。
 そうすると、私のいのちは決して私の思い通りにはならないのですから、どうやら「私のもの」とは言えなさそうです。思えば、気がついた時には、私はすでにこの「私」として生きていました。時代・環境・性別・能力、その他ありとあらゆることにおいて、たったひとつの選びもなく、私は自らのことをあれこれ意識する以前から、そしてそれ以降も、ここまで生きています。言うなれば、いのちが今、私を生きているのです。
 ところで、気が付けば今年ももう折り返し点を過ぎて、後半に入りました。いろんなことに追われるように生きていると、一日を、一週間を、一か月を終えるのに汲汲として、しなければならないことを終わらせるだけで精一杯といった生き方をしているように思います。 
 そんな中で、突然「あなたにとって、生きるってどんなことですか」と問われたら、あなたはどのように答えられますか。私たちは「生まれた以上、いつの日か必ず死ななければならない」ということは漠然と知っています。けれども、「そのことについて深く考えたことがあるか」ときかれると、大半の人は生の側から死を見る生き方をしていますし、できれば自分が死ぬということについてはあまり考えたくないと思っているので「分からない」と答えるかもしれません。この点、仏教は死から目を背けることなく、むしろ死ぬからこそ本当に生きる道を問うことを教えています。
 私たちは、死なないのであれば、どんな生き方をしていてもどうにかなるものです。けれども、必ず死んでしまいます。しかも、それがいつかということが分からないのです。仮に「余命一年」と宣告されたとして、ではその一年を全うできるかというと、不慮の事故や災害、あるいは突然の病によって明日死んでしまうかもしれないのです。私のいのちは、見直すことはできてもやり直すことはできませんし、誰にも代わってもらえません。だからこそ、生の側からではなく、必ず死ぬのだということを直視して、そこからこの人生をいかに生きるかということを問う必要があるのだと言えます。
 また、いのちの事実に目を向けると、生きていくためには多くのいのちを食して生きているということが明らかになります。経典には「生きとし生けるものは、すべて自らのいのちを愛して生きている」と説かれています。そうすると、私たちは、そのいのちを毎日食べていきているのですから、詩人の榎本栄一さんが「罪悪深重」という詩で

 私はこんにちまで

 海の 大地の

 無数の生きものを食べてきた

 私のつみのふかさは

 底しれず

と詠まれたように、私の日暮らしは「殺」の上に成り立っているのだと思わざる得ないことに気がつきます。
 まさに、私たちが生きるということは、いのちを頂くことにほかならないのです。では、私のために死んでいった多くのいのちは、何も思わないで死んでいったのでしょうか。もし言葉が通じるとしたら「私はあなたに食べられるために生まれてきたのではない。だから、あなたには私のいのちを無駄にしない生き方をしてもらわなくてはならない」という言葉を残していったかもしれません。そのような「声なき声」に心を寄せるとき、「生きるとは、いのちを頂くこと」という言葉の重さが、改めて感じられます。

 6月:一人では何もできない お陰さま

 私たちは、生きる上でいろいろなものを利用しています。身近なところでは、洗濯物を乾かす時には太陽の光を利用していますし、電気を起こす際には水力・風力などを利用しています。この他にも、石油・石炭をはじめいろいろなものを利用して生活していますが、この「利用」するとうことは、「自分のために役立てて使う」ということです。これに対して、仏教では「受用」という言葉があります。
 生きるということは、何かを利用することではなく「受け用いる(受用する)こと」だというのです。例えば、私は今こうしてこの身を受けて生きているのですが、気が付いた時にはすでに自分として、あるいは人間として生きていましたから、そのことを何か特別なことだと思ったりしたことはありません。けれども、仏教では人として生まれることは、決して当たり前のことではないととらえ、受け難い身を受け、今こうして生きていることの有り難さに目覚めよと教えています。
 つまり、受け難いいのちをこの身に受け、生きるための力をいただいて生きている事実を「受用」という言葉で明らかにしようとしているのです。このような意味で、私たちが日々生活するということも、本来は身に受けている「生を活かすこと」に他ならないのです。ともすれば、私たちは生活するということは、自分の思い描いている夢を追い求めたり、実現しようと努力したりしていくことだと考えがちですが、じつはそうではありません。
 この身に受けているいのちを本当に活かしていく、その活かすということがまさに「生活する」ということであり、「受用」ということなのです。したがって、「受用」ということの意味を実感するためには、まず自分の身に受けているものをしっかりと受け止めるということが必要になります。
 ところで、「受用」ということは言葉の表面だけを見ると、「受」という言葉があることから受動的なあり方、あるいは自分というものを抑えた消極的な生き方のことだと想う人もいるかもしれません。もし「受用」とはそういうあり方だとすれば、これからの社会においては、自分の個性を主張して積極的に何かを創造していくような生き方が必要だという主張が評価されていますから、現代社会には受け入れられないように思われます。
 けれども、受用とは決して受動的でも消極的なあり方でもありません。なぜなら、何か新しいものを作り出すということは、今までなかったものを自分の能力で、あるいは自分の知能を駆使して作りだすことではないからです。何より、誰もが「素晴らしい」と、心から感動するようなものを作り出すときには、そこに「受用」という精神がはたらいている必要があります。
 したがって、この「受用」とは、決して「受け身」ということではなく、本当に自分がそのことを受け取ったとき、私が受け取ったものが私を通してはたらいていくということなのです。世界的な作曲家であった武満徹さんは、いつも「作曲というのは何もないところから頭を絞り出して作るのではない。すでにこの世の中に満ち満ちている音を聞き取ることなのだ」と語られ、「そのためには耳を澄ませて、世界に満ちている音を、この身体に享受することが大事だ。ほんとうに優れた作曲家というのは、じつはほんとうに優れた聴衆なのだ」と、おっしゃっておられたそうです。

また、榎本栄一さんは、

  自分がどれだけ

  世に役立っているかより

  自分が無限に

  世に支えられていることが

  朝の微風(そよかぜ)のなかで

  わかってくる

と、詠んでおられます(『群生海』)。

 私たちの心を癒し和ませてくれる美しい花の存在は、土・水・光など自然の恩恵、あるいは心を込めてお育てくださった方のご苦労があったからです。「それらが目に見えますか」と問われると、花を通して直接見ることはできません。けれども、見ることはできませんが、その事実が確かにあることは、「聴く」ことによって、おぼろげながら感じることはできます。この目に見えない事実を「お陰さま」といいます。私たちは、仏さまの教えを聴くことを通して、「一人で何もできない」という自らの身の事実に頷くと共に、「無限に世に支えられている」ことが少しずつ分かってくるのだと思います。

  5月:願われて生まれてきた 育てられてきた

私たちは、それぞれ生まれた時から自分の「名前」を持っていますが、その名前は自から名のったものではなく、その多くは親の願いによって名付けられたものです。一般に親は、子どもが母親の胎内にある時から「このような人に育ってほしい」とあれこれ願い、その期待を込めてわが子に名前をつけます。
 そのような意味で、私たちは生まれる前から願われて生まれてきたのであり、そして生まれてから成人するまで、その願いのもとに育てられてきたのだと言えます。けれども、生まれてから自分の名前を呼ばれることは数限りなくあっても、その度に自分の名前に託された願いを意識することはほとんどありません。
 一方、生活していく中で、私たちは自分なりにいろいろなことを願い、その願いをかなえるために日々努力を重ねながら生きています。その願いの具体的な内容は千差万別ですが、ひとことで言うと、私たちは誰もが「幸せになりたい」と思って生きているのだと言えます。なぜなら、自分の思いがかなうと「幸せだ」と感じますし、自ら望んで「不幸になりたい」などと思っている人など、どこにも見あたらないからです。
 そうすると「幸せになるための努力を積み重ねてきたのが人類の歴史だ」という見方もできますが、では時代が進むにつれて、少しずつでも幸せというものが具体化してきたかというと、どうもそのようには言えない気がします。確かに、身の回りのことはとても便利で快適になってきましたが、若者を対象に行った意識調査で「将来、今よりよくなると思いますか」という質問すると「良くなる」という答えは極めて低い数値しか示さないからです。それは、「今より悪くなる」と考えている若者が多いということです。
 確かに、地球の温暖化傾向に伴う気象変動により、世界各地で毎年のように深刻な災害が発生していますし、幸い世界大戦といわれるような多くの国を巻き込んだ戦争は第二次世界大戦以降勃発していませんが、イスラム国に象徴されるテロとの戦いは依然として終息する気配はありません。国家間でも助け合い支えあうあり方は行き詰まりを見せ、自国のみの利益を追求する在り方が台頭し世界各地に蔓延し始めています。
 また、地震国と形容される日本列島では、近い将来予想される大震災の発生とそれに連動する津波による大災害が懸念されています。さらに、少子高齢化による人口減少とその影響による年金受給開始年齢の高齢化と給付額の減少、消費税も今の8%から来年は10%に上がることが決まっていますが、将来はさらに上がることが検討されるなど、未来における明るい話題はほとんど聞かれません。そのため、若者への意識調査の結果は、むしろ妥当な数値かもしれないと、変に納得さえしてしまいます。
 それでも、私たちは誰もが「生まれてからの願い」を持って生きています。それは、自分の意識を持ち始めてからの願いと言えますが、その根底にあるのは「自分がかわいい」という思いです。実は、私たちは生まれてからこれまで、その思いを一歩も離れることのないままに生きているのだといえます。もちろん、その内容は人それぞれですから、みんな自分中心の生き方に終始することになります。
 そのため、小は家庭から大は国家の問題にいたるまで、私たちの「自分がかわいい」という思いは抜き難く、私たちのあらゆる行動や暮らし方を染め抜いてしまっています。そして、それがぶつかりあう所に争いが生じ、拡大していくと地域間や国家間での戦争という形で顕在化し、自らも傷つき他人も傷つける痛ましい行為が今日まで繰り返し続けられています。
 ところで、仏教では人間を「機」という言葉で表現しています。そして、この機を「微・宜・関」の三つの言葉で教えています。「機微」とは、かすかなものをもっているもの、意識よりももっと深いところにいのちそのものの願いを持っているものというのが「微」という意味です。そして、そのかすかなものは具体的には私の上にどのような形で現れるかというと不安です。思えば、私たちは誰かに教えられたわけでもないのに、何かしら人生に不安を感じることがあります。この不安とは何かというと「今のあり方は確かか」という問い返しです。つまり、私の中に私のあり方を問い返すものがあるのです。漠然とした感覚ではあっても、自分の生き方に不安を感じることがあるのは、おそらく今の私の生き方に「それでいいのか」と、何か問うものがあるからです。私たちが意識しているのは、「自分がかわいい」という思いだけですが、その私に心の奥の深いところから「不安はないか」と問う意識が、かすかではあるものの確かにあるのです。
 次に「宜」というのは、自分に先立って同じ道を歩んでいる人の言葉にうなずき感動する心です。私たちは、みんな何かに深く感動する心を持っています。例えば、テレビドラマや映画、スポーツなどを見て感動して涙することがあったりします。けれども、始めから涙しようと思ってハンカチを握りしめていたりすることはありません。感動してふと気がつくと、涙している自分に気がつくのです。それは、頭でうなずいて感動するのではなく、感動している自身に気がつくということです。これが「宜」です。
 そして、気付いた時には、それは必ず歩みになります。それが「機関」です。機関というのは、エネルギーとかエンジンのことで、私たちは心の深いところからの促しによってうなずき、感動し、そしてうなずいた事実につき動かされて歩み始めます。そういう存在として、私たちによびかけられているのが「機」という言葉です。
 私たちの「生まれてからの願い」というものは、自分がかわいいということで塗りつぶされ、私たちはその思いだけで生きているのですが、しかしその一人ひとりの心の中にいのちそのものが求めている「生まれながらの願い」があります。それは何かというと「人びと共に帰することのできる世界を求める心」です。
 源信僧都が『往生要集』の中で地獄の様相を述べておられますが、一番深い無間地獄の苦しみを

 われいま帰る所なし 孤独にして無同伴なり
という言葉で表しておられます。「帰る所」とは、同伴者のいる所です。この「同伴者」というのは、私の喜びを自分の喜びとし、私の悲しみを自分の悲しみとして、共に笑い共に泣いてくれる人のことです。そうすると「私の人生を共に生きてくれる人が待っていてくれる所」が、私の帰れる所だといえます。
 私たちは、誰もが自分でも意識しないような心の深いところで、そのような場を求めているのです。そのような場を親鸞聖人は「浄土」という言葉であらわされました。このような意味で、浄土とはすべての者の帰する所であり、すべての存在と敬いあい支えあいながら友として出遇える世界だといえます。私たちは、親の願いのもとに生まれ育つと共に、その根底においては「人びと共に帰することのできる世界を求める心」、すなわち「生まれながらの願い」を呼び覚まそうとする、仏さまの願いの中を生きているのだと言えます。

 4月:手を合わす親の姿に子が学ぶ

保育園や幼稚園、認定こども園の先生方を対象にした研修会で、参加された先生方に「みなさんが、日頃どのような保育をしておられるか知りたいと思ったら、私は先生方が受け持っておられるクラスの子どもたちを集めて、こんなふうに呼びかけます。さあみなさん。これから保育園(幼稚園・こども園)ごっこをしましょう!」というお話することがあります。
 「子どもはあなたのコピーです」という言葉がありますが、子どもたちはまるで乾いた砂漠の砂が水を吸い込むかのように、日頃接している受け持ちの先生の口調から態度、物の見方や考え方、価値観まで、その全てを模倣していくからです。
 例えば、物を両方の手で丁寧に渡す先生のクラスの子どもたちは、同じように両手で物を受け取ります。また「おはようございます」と挨拶すると、概ね「おはようございます」と返してくれます。子どもたちは、多くの事柄を無意識の内に保育者の姿から日々吸収していきます。
 保育の現場においては、日々子どもと関わる保育者の影響力がいかに大きいかということが窺い知られますが、ここで問題なのは、子どもたちはどちらかといえば、良いところは適当にカットしても、悪いところはしっかりと、それも残さずに写し取ってしまう…、いわば恐るべき選別能力付きのコピー機能を持っているという点です。さらに、困ったことに、この機能は無意識の内に自動的に稼働するようです。
 ですから、保育者が日頃何気なく口にしている言葉…、特に変な言葉ほどしっかりと覚えていたりします。しかも、自身ではほとんど気付いていないような様々な事柄(所作・口調など)の全てを、子どもたちは日々の関わりの中で、無意識の内にコピーしていくのです。そこで、研修会ではこのことを通して、子どもたちにコピーされても恥ずかしくないよう、常に自身を客観視する視点を持つことの大切さを語りかけています。
 ところで、3月上旬、浄土真宗本願寺派の保育連盟に加盟している鹿屋市・垂水市・肝属郡の10園から、3月に卒園していく年長児とその保護者が集まって、今年で5回目となる「園児の集い」という催しを行いました。私が園長を務めているこども園の園児も参加したのですが、私の園では卒園して行く年長児だけでなく年中児も翌年の予習を兼ねて毎年見学に行っています。これまでは、催しの主旨に添って年長児のみが遊戯や舞踊劇を披露してきたのですが、今年は年長児と年中児を足すと40名で、男の子と女の子がそれぞれ20名ずつでした。そこで、今年は特別に年中児も参加することにして、男の子チーム・女の子チームに分かれて2曲ダンスを披露することにしました。園で行う遊戯会などでは4名~5名で踊ったり、クラス全員が男女混合で踊ったりする機会はあったのですが、年長児と年中児が一緒のチームになり、しかも男女別々のチームに分かれて踊るというのは初めての試みだったこともあり、子どもたちは新鮮な感じがしたのか、それぞれ楽しそうに練習を続けていました。「園児の集い」当日は、それまでの練習の成果を遺憾なく発揮して、男の子チームも女の子チームも、共に素晴らしいダンスを披露してくれました。
 その後、園児の集いには参加しなかった、年少児クラスの子どもたちが「(年中児と年中児が踊った)あの曲を流してほしい」と、しばしばリクエストをしてくるようになりました。上のクラスの子どもたちが練習で踊る様子を見て、自分たちも踊りたかったようなのですが、どうやら子ども心に「発表が終わるまでは…」と忖度して、我慢をしていたようなのでした。ところが、上のクラスの子どもたちの発表も終わったので、いよいよ秘めていた思いを口にするようになったというわけです。
 発表した曲は、幼児にとっては比較的振り付けが難しい上に、個別の動きがあったり、また20人で踊るため移動の仕方なども複雑だったりしたので、「音楽を流すのはよいけど、年少児クラスの子こどもたちは踊れるのかな…」と思いながら音楽をスタートさせました。
 曲が始まると、年少児クラスの子どもたちは、それぞれ「私は〇〇ちゃん」「私は△△ちゃん」「私は□□ちゃん」と、年長・年中組の子どもたちの名前を口にしながら、その子どもたちが踊っていた位置に立って踊り始めました。けれども、さすがに年少児クラスの子どもたちには、まだ少し難しいようでした。
 すると、それを見ていた年長・年中組の子どもたちが、自分の位置で踊っている年少組の子どもたちの前に立って振り付けを教え始めました。なんとも微笑ましい光景でしたが、それを見ていた子どもたちに振り付けを教えた二人の保教諭が苦笑いしながら、「(年長・年中組で教えている)あの子たちは、私たちが教えた通りに下のクラスの子どもたちに教えています」と、教えてくれました。
 園では、毎朝「幼児のおつとめ」という、浄土真宗本願寺派保育連盟が制定した音楽形式の仏参を全園児が集まって合同で行っているのですが、1歳児や2歳児も年少・年中・年長児がお参りしている様子を見ている内に、少しずつ手を合わせたり礼拝したりするようになります。「手を合わす」親ならぬ年上の子どもたちの姿に年下の子どもたちが学ぶといったところでしょうか。
 同様に、家庭でも「手を合わす親の姿に」子どもたちは学んで行くのだと思います。核家族化した家庭には、なかなかお仏壇が見ようですが、せめて食事の前後には「いただきます」「ごちそうさま」と、手を合わせる美しい姿を見せていただきたいものです。

 3月:花びらごとにその色の光が輝く
 花は四季折々ごとに美しく咲き、その花の色によって季節に彩りを添えてくれます。特にこの時期は、日本を代表する花である桜が咲くと、春の訪れを待ちわびた人々の心に華やぎを与えてくれます。ただし、この時期は天候が不安定だったりすることもあり、「満開になったら花見に行こう」と思っていたのに、雨や風によってあっけなく花が散ってしまうこともあるので、桜の開花を喜ぶ一方、天候の変化の良し悪しに一喜一憂してしまったりもします。けれども、それは今に始まったことではなく、『古今和歌集』には
 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
 という有名な歌があります。これは現代語訳をすると「この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに」となります。作者は在原業平で、春の季節には桜があるために人々の心が穏やかでないことを述べて、人の心を騒ぎ立てる力のある桜の素晴らしさを伝えようとしています。
 業平の詠んだ桜の威力は現代でも健在で、西日本から東日本へと桜が開花していく様は「桜前線」という呼称で親しまれ、開花を待ちわびる人々の心を毎年穏やかならしめないでいます。
 ところで、この桜は春を象徴する花としてよく描かれているのですが、実は花びらの一枚一枚が丁寧に描かれている作品はあまりないのだそうです。試しに桜の花びらを何も見ないで描こうとすると、案外上手く描けないということに気がつきます。そこで、改めて桜について調べてみると、ひとことで「桜」といってもいろんな種類があり、花びらにもいろいろな形のあることが分かりました。毎年、春には桜の開花を待ちわびていることもりあり、桜のことはよく分かっているように思っていたのですが、きちんと見ないままに「桜ってこんなものだ」と、分かったつもりになっていたということに、改めて気付かされたことでした。
 さて、一般に私たちは知識のないこと、言い換えると何もものを知らないことが「愚か」ということだと思っています。けれども、チェコスロバキアの作家ミラン・グンデラさんは
 人々の愚かしさというものは、あるゆるものについて答えを持っていることからくるのだと自分は思う。 あらゆるものについて自分は答えを持っていると考えていることによって、愚かしさというものが生まれるのではないか。
と述べておられます。そして、あらゆるものに対して答えを持っていると考えていることによって
 
世界中の人びとが、いまや理解するよりは判定することを望み、問うことより答えることを大切だとする ように感じられる。
と指摘しておられます。確かに、私たちは世の中の様々なことについて、その本質を理解しようとすることよりも、正しいか間違っているか、有益かつまらないかなどと、あらゆるものに対して「判定」することを第一に考えているふしがあります。
 仏教では私たちの愚かさを「無明」という言葉で言い表します。「無明」というのは「真実を知らない」ということなのですが、真実を知らないということは、ただ知らないという姿がそこにあるのではなく、実は「知らないのに知っているつもりでいる」という、二重の思い込みが根底にあるのです。
 そこで、仏法を聞き、真実に出会った人は、自分がいかに真実を知らないかということを深く自覚することになるのですが、その一方、仏法を聞くこともなく真実にふれることがない人は、何でも分かったつもりになって、自らを問うこともなく、迷いのままに流転していくことになります。

 日常生活においても、ともすれば私たちは周囲の人々に対して、一人ひとりときちんと向き合うこともないままに、自分の身勝手な思いだけで「この人はこんな人だ」「あの子あんな人」と、無意識のうちにレッテルを貼り付けて、その人のことを分かったつもりなってしまっていることがあります
 時には直接会ったこともないのに、断片的な情報だけでその人のことを決めつけてしうまことさえあったりします。
 花びらごとにその色の光が輝くように、誰もがその人なりに自分を輝かせて生きているのです。もちろん、あなたもその一人です。だから、その人の本当の姿に出会っていないのに、自分勝手にレッテルを貼って分かったつもりになっていないか、考えてみたいものです。そういう在り方に心を寄せることができれば、また周囲の人々との関係性も豊かなものになっていくのではないでしょうか。
  2月:仏道は 迷いを超える道
 世の中には、仏道をはじめとして華道、茶道、歌道、書道、剣道、柔道、その他にも多くのいろいろな「道」があります。この「道」という字は「首」と「しんにゅう」から成り立っていますが、「首」は人間のことで「しんにゅう」は止まると行くという字の組み合わせだといわれます。このことから「道」とは「人間が行ったり戻ったりするところ」を表し、転じて「人間が何度も同じことを反復思考してたどり着いた最高至善のもの」という意味で使われています。
 そうすると、どの道でもずっと歩き続けて行けば、最後にはそれぞれの道の到達点に辿り着くことができるように思われます。これを「仏道」に重ねると「仏道を歩む者は、精進し続ければ最後には仏の覚りに至ることができる」ということになります。
 ただし、どの道においても、その道は決して平坦ではなく、歩き通すには相当の覚悟と忍耐力が必要です。そのため、ただ漫然と歩いていたのでは、途中で道に迷ったり進むべき方角を見失ってしまい、そこで座り込んだり、時には道を外れてしまう人さえあったりします。また、真摯に努力を重ねたからといって、誰もがその道を究めることができるわけでもありません。それだけに、どの道においても一定の到達点に達した人は、人々の尊敬と称賛を受けることになります。
 ところで、仏陀の覚りを開かれたお釈迦さまが歩まれた道を、私たちは一般に「仏道」とよんでいるのですが、お釈迦さまは自ら独自の道を切り開いて覚りを開かれたのかというと、決してそうではありません。なぜなら「私は古仙の道をたどって、古城を発見したにすぎない」と述べておられるからです。この「古仙の道」というのは、人類の歴史が始まって以来、人間がそれぞれに幸せを求めて歩んできた道のことで、私たちの先祖が私に先立って歩んで来られた道のことだと思われます。
 また「古城を発見した」というのは、お釈迦さまは、何か珍しいことを自分で思いついて説かれのではなく、人間がその歴史以来それぞれに幸せを求めて歩んできた古仙の道を同じように歩んで行かれる中で、その奥深くまで歩み入って行くことによって、そこに古城、つまり真理を発見したということです。
 このことを経典(「雑阿含経」)は、次のように伝えています。
 比丘たちよ、たとえば、ひとりの人があって、人里はなれた森の中をさまよい、思いがけなく、むかしの人々が通った古道を発見したとする。彼が、その道をたどってずっと行ってみると、そこには、むかし人々が住んだ古城があった。それは、園林をめぐらし、美しい蓮の花を浮かべた池のある、すばらしい古都であった。
 彼は帰ってくると、ただちにこの様子を王さまに報告して「願わくは、あの場所に再び都城をお築きください」と申し上げた。王さまはそれを聞いて、たいへん興味を持ち、ただちに大臣に命令してそこに都城を築かせた。すると、そこには人々がたくさん集まってきて隆盛をきわめるにいたったという。
比丘たちよ、ちょうどそれと同じように、私もまた過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。
 この説法の意味するところは、お釈迦さまが明らかにされたこの仏道という道は、お釈迦さまによって知られ、お釈迦さまによって説き教えられたのですが、お釈迦さまご自身は、ただ過去の正覚者(仏陀)たちのたどった古道を発見したに過ぎないと述べておられることから、この道は永遠の道だということを伝えようとしておられるように窺えます。
 私たちが縁あって歩いているこの仏道という道は、お釈迦さまがお生まれになる以前から多くの正覚者が歩かれ、そしてお釈迦さま自身もそのお弟子方も、さらに私の先祖の方々も歩んで行かれた永遠の道です。生きて行く中で私たちは、いろんなことに迷い悩み煩うことが少ながらずありますが、けれども今歩いているこの道は「迷いを超える道」だということを改めて味わいたいものです。
 1月:優しさを 顔にも言葉にも
 よく知られている仏教語に「和顔愛語」があります。この言葉が広く知られるようになったのは、書籍や映画・ゲームを通して有名な『三国志』に登場する三国(魏・呉・蜀)の中の一つ、「魏」の国の康僧鎧(こうそうがい)訳と伝えられる『仏説無量寿経』が広く流布したことによります。この経典の中に
 嘘やへつらいの心がなく、「和顔愛語」し、相手の心を先んじて知り、それに応える
 という、阿弥陀如来の前身である法藏菩薩のありようを明らかにする一説があり、そこにこの言葉はあります。「和顔」とは「和やかで穏やかな顔つき」、「愛語」とは「慈愛のこもった言葉」という意味です。なお、「愛語」はもともと「語り」自体のはたらきに重点が置かれ、「相手が聞いて嬉しくなるような、耳に心地よい言葉とその語り口」を意味していました。そうすると『仏説無量寿経』の「和顔愛語」とは、「和やかで穏やかな顔つきで、柔らかなものいいをすること」だと、理解することができます。
 また、この「和顔愛語」は、『雑宝蔵教』という経典の中にも見られます。その中で説かれている、お金や品ものを使わなくてもできる七つの施しの中に、「和顔施」と「言辞(愛語)施」があり、この二つを一つにして「和顔愛語」とよんでいます。和やかで穏やかな顔つきで接する人に対しては、自分も笑顔で応えたくなりますし、柔らかなものいいをされるとその語りかけは耳に心地よく響くものです。しかもそれを行う側は、自らがそのことを心がけるだけでよく、お金や物を必要としないので、誰でも実践することができます。この布施行が「無財の施し」と言われるゆえんです。
 したがって、私たちは日々の生活の中で、「和顔愛語」を常に心がけるようにしたいものです。ただし、実際問題として考えた場合、果たして「誰に対してもそれができるか」と問われると、正直なかなか難しい面があります。例えば、敵対しているような人にとってそれは「面従腹背」(表面は服従するように見せかけ内心では反抗していること)あるいは「慇懃無礼」(ていねいな態度だが,実は見くだしていること)とも受け取られかねません。だからといって、自分にとって都合の良い人だけに対して「和顔愛語」で接するというのもいささか考えものです。
 そこで、親鸞聖人が持っておられた「善」の基準である「慚愧(ざんぎ)」についての理解を通して、このことを考えてみたいと思います。「慚」というのは、自らが悪いことをしないということ。「愧」というのは、他人に悪をなさしめないということです。自らが悪いことをしないという心を持つことだけでも大変なことですが、それがそのまま他人にも悪いことをさせないという心に転じていかなければならないというのが、「慚愧」という言葉の意味です。
 この「他人にも悪いことをさせない」というのは、力でねじ伏せたり抑えつけたりするということではなく、私が他人と関わる時、その人に悪心を起こさせないようにする、常に悪をなさないような雰囲気で接するということです。したがって、もし他人に不愉快な思いをさせたり、腹立たしい心を起こさせたりした場合、それは他人に悪をなさしめているということになってしまいます。
 そうすると、自らが悪いことをしないということだけでも大変なのですが、それに加えて他人にも悪をなさしめないという心を加えると、実践は極めて難しいと言わざるを得ません。そして、もし「慙愧の心がある者を人間だ」と規定すると、自分はとても真の人間とは言い得ないという自覚が生まれてくることになります。このような意味で、自分には「慚」という心もなければ「愧」という心もないのだという、自身への深い恥じらいを自覚させる言葉が「慙愧」なのだと言えます。
 
ところで、お念仏の教えを喜ばれる方から、よく「お恥ずかしい」という言葉が聞かれたりします。それが、自らの謙虚さを示す言葉になると理解されている面があるように窺われるのですが、親鸞聖人が語られる「慚愧」の心は、一般的に言われているそのような「おはずかしい」とは全く性格を異にする心です。
 親鸞聖人は、しばしば自身には「善」がないとか「行」をなしえないと言われます。けれども、これは単なる日常生活における瑣末な事柄を問題にされた言葉ではありません。聖人は、日常生活においては、一心に善行に努めて倫理的な生活を遵守しておられました。したがって、親鸞聖人にとって倫理的な次元での善や行については、特に問題ではなかったのです。
 
親鸞聖人が、重視される「慚愧」の心とは、仏教的な真実に出遇うことによって、はじめて心に生じた深い内省の心です。慚愧の心を持つことによって、私たちは今までの善や行だと思っていたことはすべて煩悩をまじえた不実の善であり行であったことに気づかされることになるのです。そうすると、「和顔愛語」も「実践した」という自己満足の思いに浸るのではなく、自分は念仏の教えに出遇い、今その教えに導かれているという喜びの中で、相手の心に寄り添いながら行うよう心がけることが大切なのではないかと思います。


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