法 話

-心のともしび(2023年)-

 1月:慈光 慈しみの光に包まれて
 「慈光」というのは、仏さまが放たれる慈悲の光のことです。この慈悲という言葉は、慈と悲の二つを一つにして慈悲と言い表しているのですが、「慈」とは漢字の成り立ちからいうと、母親が赤ちゃんに乳を与えて育むという意味を持った言葉で、もともとは「孳」と書き、「心」の部分が子どもの「子」でした。また、仏教の言葉は、インドの言葉を写したものですから、「慈」のもとになった言葉をたどると、「マイトリー」がそれで、直接の意味は「友情」です。
 人と人の間を生きることから私たちは「人間」と言われますが、人間として生きていく上で、おそらく誰もが等しく求めるのは「友情」だと言えます。確かに、何でも話し合えたり何でも聞いてもらえたりする友だちがいるときは、人はどのような状況に陥っても、どうにか生きていくことができます。けれども、どんなに恵まれていたとしても、何でも話し合い聞き合える友だちが一人もいなければ、嬉しいことがあってもその喜びを分かち合うことはできませんし、辛かったり苦しかったりしたとき、心を開いて語りかけることもできません。

 したがって、友だちの存在というものは、肉親との関りより、もっと深いものがあったりします。例えば、若い時には見知らぬ土地で暮らすことに対して、胸に抱いた希望に背中を押されるということがあったりしますが、年老いてから子どもに呼ばれて一人の友だちもいない土地で暮らすことには、ためらいを覚えたりするものです。それは、家族と一緒に暮らすことになるのだとしても、周りに気兼ねなしに付き合える友だちのいない場所での暮らしには、どうしても大きな不安を感じるからです。もちろん、すべてがそうだというわけではありませんが、少なからずそのような面があることも否めません。
 また、父母といい、親子といっても、そこに本当のつながりができている時には、実は友情にも似たような感情が通い合っているのではないかと思われます。友情とは、上から下への力関係ではなく、「共に」という関係性です。そうすると、「友情」という言葉が「慈しむ」という言葉で言い表わされたということは、「慈」とは力あるものが力の弱いものをいとおしむというような、いわゆる上から下へという力の関係性ではたらくものではなく、お互いに人間としの友情、心のつながりを開いていくような心だということを「慈しむ」という言葉で表そうとしたのだと考えられます。
 これに対して、慈悲の「悲」という言葉には、両方に引き離すという意味があります。つまり、悲というのは引き裂かれた心、あるいは引き裂かれた痛みに耐える心ということなのです。「悲」のもとになったインドの言葉は「カルナー」で、直接の意味は「呻き」です。いわゆる、引き裂かれたうめきということです。
 例えば、子どもが病気をしたとき、特に乳児などの場合、自ら病状を訴えることができず、ただ苦しんでいると、親としてはどうすることもできなかったりします。そのようなときの親の心というものは、まさに引き裂かれた状態になります。それは、苦しんでいる子どもと自分の心とがある意味で一つになり、その苦しんでいる子どものために心が引き裂かれてしまうからです。そのため、子どもの病気が快復して安らかな状態になったとき、はじめて自分の心も安らぎます。このように、悲というのは、相手と一つになっている心のありようを表す言葉なのです。したがって、子どもが苦しんでいる限り、じっとしていることができず、心が引き裂かれているような心のことを「悲」というのです。
 この慈と悲が合わさって、「慈悲」と言う言葉になっているのですが、『歎異抄』に「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と述べられているように、この慈悲には聖道の慈悲と浄土の慈悲があるといわれます。そうすると、つい慈悲には聖道と浄土の二つの慈悲があるかのように思ってしまうのですが、「かわりめあり」という言葉から知られるように、これは聖道の慈悲から浄土の慈悲に移っていく場面があるということです。これは、人間として慈悲の心に生きようとすると、先ずは聖道の慈悲という形をとる、あるいは聖道の慈悲というかたちをとる他はなく、必ずそうなるということです。けれども、真剣にその慈悲を全うしようとすると、やがてそのあり方に行き詰まり、そこに浄土の慈悲に目覚めていくという、その移り変わらざるを得ない時があるということを「かわりめあり」と言い表されているのです。
 この聖道の慈悲は、「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり」と言われます。この「もの」というのは「品物」のことではありません。例えば、亡くなった人のことを「物故者」という言い方をします。したがって「ものをあわれみ」というのは、「人々をあわれむ」ということです。また、「かなしむ」は「悲しむ」ではなく、平安時代の言葉遣いで、「かわいいと思う」という意味の「愛しむ」です。そうすると、人々の悲しい状態にあることをあわれみ、かわいいと思い、人を育もうとする。このように、あわれみをもち、愛しみをもち、育む心をもつことを聖道の慈悲というのです。
 この心は、決して否定すべきものではなく、むしろ人間として極めて大事な心だといえます。ただしそこには、「思った通りに、助け遂げることは、極めて困難なことだ」と、大事な心ではあるが、末通らないという悲しい事実があるともいわれています。「末通らない」というのは、いったいどのようなことかというと、例えば子どもを可愛がることによって、子どもの自立心を奪い取ってしまうことがあったりするのです。以前は、3歳になるまでの間にオムツは外れるものでしたが、近年は排泄をしても蒸れたりせず、心地よい状態を保持できるオムツが開発されたりしたことで、なかなか自立できない子が増えています。中には、オムツに排泄することが常態化して、いつまでもトイレでの排泄のできない子がいたりします。子どものためによかれと思って作られたオムツが、その快適さによって子どもの自立を妨げているのです。それはまた、自分の欲望だけを主張し、「耐える」ということのできない子どもにしてしまうことにもつながったりしています。これなど、「末通らない」形の典型だとも言えます。
 また、周囲の気の毒な人を本当にあわれみ、愛しみ、育もうとすると、自分の生活が危うくなったりします。けれども、自分の生活を守りながら、その上で…ということになると、なかなか十分にというのは困難です。また、相手が頼りにし、全身ですがってくると、自分が倒れそうになることもあったりします。その場合、差し出していた手を慌てて引っ込めてしまわざるを得なくなることにもなり、やはり末通らないことになるのです。
 このように、真面目に聖道の慈悲を実践しようと「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむ」という心に生きようとすると、必ず行き詰まるときがくるのです。そのように、自分の行為が問い返されるときがくるということが「聖道・浄土のかわりめあり」と言い表されているのです。そして行き詰ることによって、言い換えると悲しみの事実をくぐることによって、「念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益する」浄土の慈悲に出遇っていくことになるのです。
 では、「浄土の慈悲」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。『観無量寿経』に「仏心とは大慈悲である。無縁の慈悲をもって一切の衆生を摂取するからである。阿弥陀仏の無限の光明は、あまねく十方の世界を照らされ、念仏の衆生を摂取して、決して捨てられることはない」と説かれています。
 「無縁の慈悲」というのは、どのような人であっても、その人がもし、苦しみ悩み、ただひたすらに阿弥陀仏に救いを求めれば、その人を全く差別することなく、直ちに救われる心のことです。では、阿弥陀仏が無限の光明を放って、あまねく十方の世界を照らしながら、ただ念仏の衆生を摂取されるというのは、どのようなことでしょうか。この場合、仏の実践とは何かをはっきりと知ることが大切になります。大慈悲心は、苦悩する人を救うはたらきのことですが、その救いとは苦悩するその人を仏果に導くということに他なりません。例えば、多くの財産を手にしたことによって散財をしたり怠惰な生活をするようになったりして、その結果財産のすべてを失い、悲惨な状態に陥った人がいたとします。その人がいま、阿弥陀仏に一心に助けを求めても、阿弥陀仏はその人に決して財産を与えようとはされません。それは、その人を真の意味で救うことではなく、再び怠け心を起こさせ、その人を迷わせるだけだからです。

  救いの対象となっているのは、阿弥陀仏に救いを求める「念仏の衆生」です。世の中の宗教の中には、あるいはほんの少しだけ欲望を満たすような救いがあるかもしれませんが、究極的には迷いの苦悩から逃れることはできません。阿弥陀仏のみが、その人の迷いを真に除くことができるのです。 
 阿弥陀仏は、すでに十方に光を放ち、私たちをご覧になり、慈悲の手を差しのべておられます。そのことを、教えを聞くことによって知ることを、今月の言葉は「
慈光 慈しみの光に包まれて」と語りかけているのだといえます。
 2月:拝む如来に拝まれて
 浄土真宗の教えをひとことで言うと、親鸞聖人が述べられた「本願を信じ念仏を申さば仏になる」となります。「本願」とは、辞書には「本来の願い。仏・菩薩が衆生を救うために起こした誓願」と説明されています。私たちが、人生を正しく歩むためには、ただ何となく漠然と生きるのではなく、心の根源に正しい世界観や人生観をもって、日々をよりよく生きようと願い、さらにその願いを実現するために懸命に努力することが必要になります。
 仏道における歩みも根本的にはこれと同じで、自分の心の奥底に「仏に成りたい」という強い願いと、その願いを完成させるための厳しい行道が求められます。仏教では、この行道を歩む行者を「菩薩」といい、菩薩が仏になるためには、必ず四つの誓願を起こさなければならないとしています。
① すべての衆生を必ず仏に至らしめる

② すべての煩悩を断ち切る
③ すべての教えを学び取る
④ この上ない悟りに至る
 その上で、菩薩はさらに独自の誓願を建て、迷える衆生を救い、その衆生を仏果に至らせるために、様々な手立てをつくされます。以上のことから、「他力本願」に対して「自力本願」という言い方をする人がいますが、自力本願という言葉は成り立たないと言えます。なぜなら、「本願」とは迷える衆生を救いたいと願う真実の心ですが、自己中心的で欲に惑い怒りに狂い、思い通りにならないことがあるとその責任を他に転嫁してしまうなど、多くの迷いに満ちた愚かな私たちの心は不実そのものであり、自ら煩悩を断ち切る力も仏道を学び取る智慧も全く見出すことができないからです。だからこそ、仏さまは本願力をもって、この迷っている凡夫を救おうと願われているのです。
  では、この迷いのただ中にある凡夫にとって、何が最も大切なこととなるのでしょうか。それは、すべての迷いを兼ね備える私を間違いなく、しかも直ちに必ず仏果に至らしめる本願に、私自身が真に出遇うことだといえます。お釈迦さまをはじめ、すべての仏さまは「阿弥陀仏の本願を讃嘆し、衆生はすべてこの本願によって救われよ」と教えられます。なぜなら、阿弥陀仏は私たち凡夫に対して「ただ念仏せよ・救う」とその本願に誓っておられ、何よりも「すべてのものを無条件に等しく救う」という阿弥陀仏の本願に勝る仏道は存在しないからです。そのため、諸仏は、自分の国土の衆生に念仏を勧めることを自らの本願とされるのです。
  阿弥陀仏が本願に誓われた「念仏せよ・救う」」という教えは、具体的には「南無阿弥陀仏を称えよ」ということですが、では「南無阿弥陀仏」とは、いったいどのような意味なのでしょうか。「南無」というのは、インドの言葉の音をそのまま中国の文字に写したものですから、南無という文字そのものには特に意味はありません。

 一方「南無」はまた、「帰命」と意訳されるのですが、それは「自らが信じ、その仏の浄土に生まれたいとの願いを発する」ということです。そこで、「南無阿弥陀仏」の意味を簡潔に述べると、「阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願う」という意味になります。
 ところが、親鸞聖人は主著『教行信証』の中で、「南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏自身が衆生に南無しておられる行の相だ」と述べておられます。つまり、私の称えている念仏は、そのまま阿弥陀仏が私を仏果に至らしめるためのはたらきだと言わるのです。けれども、「念仏とは阿弥陀仏が自ら私たちに南無しておられる行の相だ」といわれても、すぐには理解しがたいものがあります。なぜなら、念仏とは「私が仏を念ずる」ことで、具体的には私が阿弥陀仏に対して南無し、その仏の名を称える称名行にほかならないからです。つまり、親鸞聖人の念仏理解は、一般的な理解とは方向性が逆になってしまっているのです。
 では、親鸞聖人は、この「南無」という言葉をどうして阿弥陀仏が自ら「南無」しておられる行の相だと解釈されるのでしょうか。このことについて『教行信証』の「行巻」において詳細な確かめをしておられるので尋ねてまいります。

 はじめに「南無」という言葉を解釈されるにあたり、善導大師の「南無の言は帰命なり。ここを以て帰命は本願招喚の勅命なり」という理解をそのまま引いて示されます。これは、親鸞聖人が最も明らかにしたかったのは「南無とは本願招喚の勅命だ」ということだったからだと思われます。そこで、その真理を明らかにするために、「帰」と「命」の字義を考察していかれます。
 まず、「帰」にはどのような意味があるのかというと、「帰の言は至なり」といわれます。それは「帰」の字の第一義は、至るという意味だからです。また、帰の本義は婦人が夫の家に「とつぐ」ということで、そこから「行く」とか「趣く」という意が導きだされます。そこで親鸞聖人は、この帰の第一義「至る」をまず示され、その上で「また帰説なり」と続けられます。この「また」は「ところで」といった意味ですから、「帰説なり」の帰は説というすがたで至ることを示されます。整理すると、帰とは至ることであり、その至り方は説として至るのだと、ここで説かれているわけです。
 さらにこの説には「えつ」と「ぜい」という読み方があると続けられます。そして「説の字」は「悦の音」であり、「税の音」だといわれます。では「帰説」とはどのような意味なのかというと、それは悦の音として至るということなのですが、この点について親鸞聖人は「帰説」に「ヨリタノムナリ」「ヨリノムトイフ」という注釈をほどこされます。
 そうすると、悦(よろこぶ)という意味の音である帰説の「ヨリタノム・タヨリノム」とは、どのような意味になるのでしょうか。例えば「タヨリノム」は、「タ・ヨリ・ノム」と読むと、「他より祈(の)む」となり、阿弥陀仏より私たちの方向へ祈る心が至る、という意味を導き出すことができます。また、「ヨリ・タノム」も、阿弥陀仏から私たちの方向に「たのむ」という心が来っていることになります。さらに、「ヨリタノム」「タヨリ・ノム」と読んだとしても、阿弥陀仏が衆生を救う、悦びの心として、よりたのみ、一心に祈り来るすがたが、ここに導かれることになります。
  税の意の音としての「ヨリカカル」も同様で、これは「カカリモノ」の意ですから、これは上から大きく覆いかぶさるように、かかり来るという意味に理解することができます。したがって「至る」という意味の「帰」は、帰悦にしても帰税にしても、阿弥陀仏から衆生に至る、その心の在り方を示していると見なければなりません。

 そして、この「説」が悦(エツ)と読まれても税(ゼイ)と読まれても、いずれにせよ説の字は「告ぐる・述ぶる・人の意を宣述する」の意味だと示されるのです。
 まとめると、「帰」とは「至る」という意味で、何が至るのかというと、それは言葉が至るのです。阿弥陀仏の衆生を救いたいという悦びの心が、あたかも衆生に覆いかぶさるように「よりたのめ」「よりかかれ」と、一心に自らの心を、告げ、宣述する言葉となって至り来る、そのはたらきが「帰」という言葉の意味だと理解されることになります。
 では「命」とは何でしょうか。命の言は、「業なり、招引くなり・使なり、教なり、道なり、信なり、計らうなり、召すなり」と述べられています。「帰」は、阿弥陀仏から衆生に来る言葉の働きを示していたのですが、それに対して「命」は、その「帰」が衆生の心で、どのようなはたらきをするかがということが問題になっているように窺われます。
 まず「業」だといわれます。これは業力で、阿弥陀仏がなぜ衆生に来ったのかというと、それは衆生を浄土に招引するためで、そのはたらきが「命」なのです。したがって、命の語には、「せしめ・教え・導き・悟らしめ・はからい召す」という阿弥陀仏の大悲のはたらきが見られることになります。すなわち、帰命の全体が、阿弥陀仏の本願のはたらきであって、喚び声として衆生に来たり、その衆生を教化して浄土に至らしめる、それがここに見られる「帰命」の意味ということになります。
 以上のことから、南無の意訳である帰命は、阿弥陀仏の本願のはたらきであることが知られるのですが、それは言い換えると阿弥陀仏が私たちに南無しているということになります。阿弥陀仏が南無し、南無阿弥陀仏の名号となってはたらく。すると、その名号を聞いて、私が南無する。私が南無するとは、念仏の教えを信じ、南無阿弥陀仏を称えることですが、ここに阿弥陀仏と私が一体になって南無阿弥陀仏を称えている念仏行の姿があることになります。
 つまり、私たちの称えている念仏とは、阿弥陀仏の南無の姿なのであり、同時に私の南無の姿なのです。このように、南無阿弥陀仏には、全く異なった二つの行態が、念仏という一つのはたらきを通して関わっているのだと考えられます。
 では、「私が南無する」とは、どのようなことなのでしょうか。『教行信証』の「南無」は「阿弥陀仏が南無する」という立場からその意味を明らかにしておられますが、『尊号真像銘文』では、「私が南無する」という立場から述べておられます。そこでは「南無はすなわち帰命とまふすことなり。帰命はすなわち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひ、めしにかなふとまふすことばなり」と説いておられます。
 『教行信証』では、「南無」は阿弥陀仏のはたらきであることが示されたのですが、『尊号真像銘文』の「南無」は私が阿弥陀仏を信じることだということが示されます。ただし、何を信じるのかというと、阿弥陀仏が「南無」する心を私たちが一心に信じることが、私たちの「南無」だと言われているのですから、私が南無阿弥陀仏を称えるということは、そのまま「拝む如来に拝まれて」いることになります
 3月:大切な人と 今日話そう
 私たちの人生には、最小限、四つの限定があります。それは、一回限りでやり直すことができず、誰にも代わってもらうことができません。そして有限、つまり必ず死んでしまうのに、その終わりがいつなのか分かりません。それなのに、自分だけは、この命が尽きるのは、まだずっと先のことに違いないという根拠のない期待感を胸に生きていたりします。そのような中、私たちのこの人生においては、大切な人との別れが全く予期しない形で、まさに不意打ちのように訪れます。
 亡き父は、90歳を過ぎても深刻な病を患うこともなく、毎日本堂でご門徒の方の法事を1時間ほど元気に勤めていました。けれども、近年の夏はまさに猛暑・酷暑といったような日々が続くこともあり、さすがに93歳ともなると体力の低下とも相俟って、梅雨が明けると「夏バテをしたから、本堂での内勤を代わってほしい」とのことでした。ところが、秋のお彼岸を過ぎる頃になると、「少し暑さがやわらいだから元気が出てきた。また、内勤をする」とのことで、毎日のように読経・法話を勤めるようになりました。
 ただし、もともと本堂は椅子式にしてあるので、読経は椅子に座って行っていましたが、その後の法話も椅子に座ってするようになりました。そこで、「毎日は大変だと思うので、土曜と日曜は私がします」と、週休2日でしてもらうことにしました。そのようなことなら無理をさせず、「毎日私がしますから、もうゆっくり休んでいてください」と言えばよさそうなものですが、なぜそのように言わなかったのというと、それは父を思いやっているようで、実は存在意義を奪ってしまうことになると考えたからです。
 父にとっては、本堂で読経し、お参りに来られたご門徒の方に、お念仏の教えを取り次ぐことが、日々の生きる糧となっているように思えました。また、お参りに来られるご門徒の方も、90歳を過ぎてもなお健在な父の姿を見ることを大変喜んで頂いているようでした。そのため、父は毎月掛かり付けの病院に定期健診に行っていたのですが、そのような日は私がお勤めをすると、法話の後にしばしば「大先生は、お元気ですか」と心配そうに尋ねられました。そのたびに「元気にしています。今日は定期健診で…」と答えていました。したがって、父とご門徒の方々との絆を断ち切るようなことをする気にはとてもなれず、一方では申し訳ないなと思いながら、「もうできない」と言うまでは、お願いすることにしました。
 翌年は、前年のことがあったので、今年の夏は「夏休み」ということでゆっくりしてもらおうと思っていたのですが、梅雨時に入って間もなくの頃、「元気(体力)がなくなったから頼む」と言って、私に後を託しました。「少し予想より早いな」とは思ったものの、それでも秋になったら、前年同様「復活」してくれることを大いに期待していたのですが、それから半年後、95歳になった翌月の12月上旬、何の前触れもなく突然入院してしまいました。
 父が入院した日、私は会議のため京都に行っており、翌朝帰宅して、前夜父が急遽入院したことを知りました。理由を尋ねると、就寝後、頻繁にトイレに行くのが辛かったらしく、水分を摂ることをなるべく控えていたようで、そのため脱水症状になり、自ら救急車を要請したとのことでした。救急隊員の方が来られ、「患者さんはどなたですか」との問いかけに、「私です」と応えて救急車に乗り込んで行ったとのことだったので、それなら数日点滴でもして症状が落ち着いたら帰宅するものと思っておりました。
 ところが、医師をしている弟に連絡したところ、「お父さんのような高齢だと、そのまま入院する人もよくいるから心配だ」と言っていました。残念ながら、心配した通りの結果になり、父はそのまま入院が続きました。とはいえ、脱水症状にはなったものの、特に何らかの深刻な疾患があったわけではなかったこともあり、最初の内は寝たきりにならないように、病院で歩行訓練などをしていました。ただ、入院前には食欲も衰え、壮年期からすると体重も20㎏以上減っていたこともあり、結局だんだん歩けなくなってしまいました。
  入院後は、毎日父のもとに顔を出し、半時間から1時間近く、近況や私の子ども達のこと、その他いろいろなことを語り合いました。父が入院する前は、自分が何かと多忙なこともあり、毎日の挨拶はするものの、何らかのことについて、ゆっくりと語ることは殆どありませんでした。90歳を過ぎても元気であった父が、93歳の夏に「夏バテをしたから…」といった頃から、時折、だんだん父との別れの日が近付いて来ているということが脳裏をよぎることはあったものの、あえて具体的にイメージすることはしませんでした。ただ、それがそれほど遠くないであろうことは、漠然と意識し始めていました。そこで、毎日会いに行く時間を作って、病床を訪れていたような気がします。

 入院して2か月が過ぎた2月の半ば、ようやく退院の許可が出たものの、歩行が困難になってしまったこともあり、父の希望で介護付きの老人ホームに入居することになりました。「家族に迷惑をかけたくない」との思いがあったようです。そこで、当初は入院していた病院の敷地内にある老健施設に入ったのですが、新型コロナウイルス感染症の影響で、3月からは病院でも一切面会が禁止になっていたこともあり、父に会えたのは病院から老健施設に移る時だけでした。その後、春の彼岸の入りの日に、当初希望していた介護付きの老人ホームに空き室が出たので、そちらに移ることになりました。こちらは、病院と違って家族の面会は許されていたものの、ただし「県内で感染者が出た場合は面会できなくなる」との条件付きでした。
 ようやく直接会えるようになったのもつかの間、3月の下旬に県出身で県内の友人宅を訪れていた外国在住の方が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたとの発表がありました。そのため、老人ホームの既定方針により、再び面会することができなくなってしまいました。
  そこで、5月の連休明け、老人ホームに父用の携帯電話を届けました。入院する前から緑内障が進行して、かなり視力が衰えていたこともあり、父は自分では携帯の操作ができなくなっていたのですが、職員の方に相談して、事前に老人ホームに「これから父の携帯に電話をします」と連絡し、着信したら職員の方が父に渡してくださるということの了解を得ていました。ただ電話をかけるのは私だけでなく、母や弟、私の子ども達にも父の携帯電話の番号を教えていたので、あまり頻繁に電話をかけて職員の方を煩わせるのも申し訳ない気がしていました。

 携帯電話を届けた数日後、老人ホームから「父が発熱したが、どのような対応したら良いか」との問い合わせがありました。そこで、弟に連絡して対処の仕方を相談しました。父は入院中にも何度か38℃前後の発熱をしたことがありましたが、点滴をすると数日で回復していました。そのため、今回は病院には行かず、とりあえず点滴をして様子を見てもらうことにしました。一週間ほどして、老人ホームから「タオルを補充してほしい」という連絡があったので、早速届けに行きました。その際、ホームの入口で職員の方に父の様子を尋ねると、「熱も下がったので点滴もはずれ、食欲もあり元気です」とのことで、一安心しました。
 その時、「今から父の携帯に電話をするので、取次をお願いします」と言えばよかったのですが、一瞬そうしようと思ったものの、「元気になった」との言葉に安堵して、つい遠慮してしまいました。ところが、その翌々日の深夜、携帯電話の音に起こされて画面を見ると老人ホームからでした。「何かありましたか」と問うと、「お父様が息をしておられません」とのこと。すぐに弟に連絡すると、「心臓マッサージはお願いしない方がいい。年齢的に肋骨を折ることがあるし、仮に蘇生してもいっときのことだから、残念だけど…」とのことでした。電話を終えて、慌ただしく老人ホームに駆け付けたところ、施設の方が「先ほどまで話をしておられたのですが…」と言われました。寝ているのかと思って見たら、もう息をしていなかったとのことで、父の顔はまるで眠っているかのようにおだやかでした。間もなく老人ホーム掛かり付けの医師の方が来られ、死亡診断書には「老衰」との所見を書き込まれました。どこか患っていたわけではなかったこともあり、その生の終わり方は、まさに「完全燃焼」といった形でした。
 とはいえ、あまりにも突然のあっけない別れで、しかも真夜中のできごとだったこともあり、まるで悪い夢でも見ているかのような感じでした。それでも、とりあえず葬儀社の方に連絡して遺体を自宅に運んで頂き、通夜・葬儀の日時や段取りを決め、長年父と懇意にしてくださった寺院の前住職様に通夜での法話を電話でお願いした後、改めて「これは夢ではなく、どれほど受け入れたくないことであっても、やはり現実なのだ」ということを実感した途端、とめどなく涙があふれてきました。そして、すぐに「なぜおととい老人ホームにタオルを届けた時、父に電話をしなかったんだろう」という悔悟の念がわいてきました。
  私たちは、周囲の人達と「いつか別れなくてはならない」という厳然たる事実の上に、いま出会っています。この人生には、蓮如上人が「我や先、ひとや先」と述べておられるように、どちらが先に逝くかはわかりませんが、必ず終わりがくるのに、それがいつなのか分かりません。しかも、いつも一回きりで、決してやり直すこともできません。

よく知られている言葉に、茶道に由来する「一期一会」という言葉があります。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する言葉ですが、これは茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、この人生において二度と巡ってはこないたった一度きりのものです。だからこの一瞬を大切に思い、いまできる最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と、一生に一度だけの機会そのものを指す言葉としても用いられますが、父との別れを通して、改めて特に大切な人とは、いつかではなく、必ず「今日話す」ようにに心がけたいと思うことです。
 4月:順縁 逆縁 すべてがお育てとなる
 「順縁」とは、仏さまの教えに出会った縁に素直に順い、仏法に帰依するようになったことをいいます。例えば仏教徒の家庭に生まれ、家族の葬儀や仏事などの機会を通して仏法を聴聞し、やがて仏法に帰依するようになることがそれです。一方「逆縁」とは仏さまの教えに出会っても、その縁に背き素直に教えを信じないことをいいます。また、仏法を誹謗したことがかえって仏法に帰依するようになったことを指して言う場合もあったりします。
 この他、一般には年齢順に亡くなるのが自然なあり方ですが、その順番が逆になり親が子を亡くしたりした場合などに用いられたりすることもあります。

 「順縁・逆縁」の「縁」とは、私たちが見たり聞いたり体験したりするこの世界の一切のできごとは、必ず何らかの原因と種々の条件とが重なり合って成立しているのですが、原因から結果を生ぜしめる条件のことをいいます。一般に、不慮の事故が起こったり、苦しみや悲しみに突然襲われたりしたような場合、私たちは不意に不条理なできことが起こったととらえてしまうのですが、実はその事柄には必ず何らかの原因と条件が複雑に重なり合って起こっているのです。そこで、仏教では、現にいま起こっている事柄をあるがままに実のごとく見ることを「如実知見」(一休さんの「まがった松のエピソード」)あるいは「縁起を見る」といい、またそのように見ることができることを「智慧を得る」といいます。
 「智慧」とは、迷いの根源である「無明」に対する言葉ですが、仏教ではこの「智慧」のことを「忍」という字で説いています。「忍」という字は、辞書によれば「認可決定」ということだと説明してあります。つまり、はっきりと認めていくということです。さらに、「勝解」という、すぐれた理解をするという意味だとして、忍という字は認めるということだと述べられています。ギリシャでは智慧を情熱という言葉で表していたと言われます。
 それは、本当の智慧というのは、あれもこれも知っているというような知識をたくさん持っているということではなく、情熱を持っているということだというのです。そして、その情熱とは何かというと、何がなんでも一つのことを最後までやり遂げるといったような一つのことを成し遂げる情熱ではなく、たとえそれがどんなにつらいことであっても、それが事実であるならば事実として受け止め、その事実を生きていくという、いわゆる勇気としての情熱のことです。それは、胸に抱いた夢を追いかけるのでも自分の思いの中に投げ込むのでもなく、自分の人生の事実をあるがままに引き受けて、その事実を生きていく勇気のことです。
 また、ドイツ語では情熱のことをライデンシャフト(Leidenschaft)というのだそうですが、ライデンとは「耐え忍ぶ」、事実を事実として耐え忍ぶ勇気をあらわすのだそうです。それは、仕方がないとあきらめてしまうのではなく、その事実をまるごと引き受けて立ち上がっていく勇気です。
 仏教が智慧という言葉で明らかにしようとしていることも、まさにこのようなことだといえます。仏教では、自分の生きる事実が思い通りにならないと、そのことから目を背けようとしたり、他に責任転嫁したりしようとすることを「愚痴」といいますが、その内実は事実を受け止められない弱さです。仏教が智慧を「忍」という言葉で説くのは、自分の人生における事実をはっきりと認め、この身に受け止め引き受けていくという意味を明らかにしようとしているからだといえます。
 ところで、私たちは誰もがそれぞれ日々自分の人生を精一杯生きています。そのため、「毎日よく頑張っておられますね」とか、「毎日、よく励んでおられますね」と声をかけられると、「はい」と、笑顔を頷かれるのではないかと思われます。けれども、「はい」と肯いたあと、すかさず「でも死にますよね」と続けられると、一言も返すことができません。なぜなら、生まれた以上、いつの日か必ずその生を終える日が来るからです。しかも、それは「今日とも知らず、明日とも知らず」と言われるように、いつなのか全く分かりません。にもかかわらず、誰もが「いつか死ぬかもしれない」と、漠然と考えてはおられても、自分だけは「それはまだ当分先のことであってほしい」と願っておられるのではないかと思われます。けれども、そんな私の希望とはおかまいになしに、「死」は突然襲い掛かってきます。そうすると、私のこの日々の頑張りは、いったい何のためなのでしょうか。
 どれほど頑張って、地位や財産や名誉を築き上げたとしても、死は一瞬にしてそれらを粉々に打ち砕いてしまいます。にもかかわらず私たちはなぜ日々精一杯生きようとしているのでしょうか。その問いに答えられないまま空しく死んでいくことを「空過」といいます。この「空過」こそが、仏教では人間にとっての最大の不幸だと教えています。必死になって生きたのに、なぜ懸命に努力したのか分からないと、そのすべてが「空しかった」という一言に収斂されて砕け散ってしまいます。このように、自分の一生を空しいとしか思えないことほど悲しいことはありません。
 そうすると、自分では積極的に生きているつもりでいたのに、その内実は自身の命を削りながら生きてきたということになってしまいます。そのようなあり方においては、決して生きることの喜びを見出すことはできません。私たちは、生きていく中で思い通りにいくこともあれば、失敗することもあります。それがどちらかに偏ることはあったとしても、成功・失敗は誰にでもあることです。そうすると、どちらになっても、その生きているという事実そのものが空しくならない生き方はできないのでしょうか。
 もしできないのだとすると、私たちの人生とはいったい何なのかという疑念がわいてきます。一般に私たちは人生というものを生まれてから死ぬまでの長さとしてとらえているのですが、人生の本当の意義は、長さではなく深さにあるのだといえます。もし人生の価値が長さとしてしか考えられなければ、その内実はともかく、長く生きたかどうかということだけが価値判断のすべてになってしまいます。
 けれども人生の意義が深さにあるのだとすると、例えば何らかの失敗をして挫折したとしても、そのことを契機として人生におけるさらに深い世界に目が開かれるということがあるとすれば、その人生は決して空しく終わることはないのではないでしょうか。
 このように、生きていく中での出来事を通して人生の無限の深さに目を開いていくような道を、仏教で使われている「修行」という言葉の中に見出すことができます。仏教でいうところの「修行」とは、日々刻々と努力を重ねていくことによっても自らの身を修めていくことをいいます。そのような生き方ができれば、たとえ思い通りにいかないことや失敗したりするようなことがあったとしても、挫折や失敗が自分にとって大きな意味を見出す上での一つのきっかけとなることがあります。
 ところで、修行というと、例えば座禅を組んだり、滝にうたれたり、断食をしたり…といった、日常生活の場から離れて、別な場所で生きることを想像してしまいがちですが、そうなると修行は特別なことになってしまいます。けれども、私たちの日常の生き方そのものものが、修行に転じるようなあり方があるのではないかと思われます。もしそうでないのならば、私たちのように普通の生活をしている者にとっては、修行ということは全く縁のないものになってしまうからです。
 私たちの人生は、無常であるがゆえに必ず終わりが来るのに、それがいつなのか知ることはできません。それに加えて誰にも代わってもらえませんし、何ひとつとしてやり直すこともできません。それが、私たちが生きているということの事実であり、覚悟をしてもしなくても、誰もが今日で終わるかもしれない今を生きているのだといえます。この事実に目を開くことができれば、現実生活を離れどこかに行って修行するといったような特別な生き方をしなくても、毎日私たちが生きているこの事実そのものに目を向けることによって、まさにそれがそのまま「修行」になります。
 振り返ってみますと、私たちの日常は、いつも思い通りになることを期待し、それがかなうことを未来に夢見ています。その一方、思い通りにならない現実を悲しみ、その事実から目を背けて生きようとしていたりします。
 けれども、どれほど否定しても、受け入れることを拒んでも、泣いてもわめいても、その事実は変わりません。仏教という教えは、それがどれほど自分にとって理不尽であり、不都合なことであったとしても、我が身の事実としてきちんと受け止める勇気を与えてくれます。それが、事実を事実として耐え忍ぶ勇気を意味する「智慧」です。
 この智慧とは、何でも知っているということではなく、物事があるがままに見えるということです。だから「順縁 逆縁 すべてがお育てとなる」のです。私たちは順縁あるいは逆縁によって仏さまの教えに出会い、教えに耳を傾けることによって育てられ、やがて智慧を得ることができるのです。
 浄土真宗では、この「智慧を得る」ことを「信心を得る」と言い表していますが、仏さまの教えに耳を傾け、その教えを鏡とし、日常生活そのものを修行の場としながら得ていくのだと言えます。
 5月:本願力に遇いぬれば むなしくすぐる人ぞなき
 この「本願力に遇いぬれば…」という言葉は、親鸞聖人の著わされたご和讃(『高僧和讃』)の
 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
の前半部分です。また、このご和讃は、天親菩薩の著わされた『浄土論』の
 観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむくうかしゃ)
 能令速満足(のうりょうそくまんぞく) 功徳大宝海(くどくだいほうかい)

を根拠にしています。
 さて、浄土真宗の教えとはどのような教えかというと、親鸞聖人は「本願を信じ念仏を申さば仏になる」とひとことで言い切っておられます。これは、私たち凡夫は阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申すことによって救われるということで、「本願」とは辞書によれば「本来の願い。仏・菩薩が衆生を救うために起こした誓願」と説明されています。では、私たちにとって本願とは、いったい何なのでしょうか。
 人生を正しく歩むためには、正しい世界観や人生観をもって日々より良く生きようと願い、その願いを実現するために一心に努力し、実践を重ねることが必要になります。仏道における歩みもこれと同じで、自分の心の根源に「仏になりたい」という強い願いと、その願いを実現させるための厳しい修行が求められます。仏道においては、この行道を歩むものを「菩薩」と呼んでいますが、菩薩はどのような願いを起こして仏になろうとするのでしょうか。仏道においては、菩薩が仏になるためには、必ず次の四つの誓願を起こさなければならないとされています。

 ⑴ すべての衆生を必ずさとりに至らしめよう
 ⑵ すべての煩悩を断ち切ろう
 ⑶ すべての教えを学び知ろう
 ⑷ この上ない悟りに至ろう
 この四つの誓願を起こした上で、菩薩はさらにそれぞれ独自の誓願を建て、迷える衆生を救い、その衆生を仏果に至らしめるために様々な工夫をされます。そうすると、すべの仏の「本願」は、結局一つになってしまいます。それは「大いなる慈悲の心でもって迷い続ける一切の衆生を救い続ける」これ以外に仏道は存在しないからです。こうして、仏はまず、自身の一切の煩悩を断ち切り、無限の智慧を成就し、その功徳でもって一切の衆生を救おうとされるのです。この果てしない行道が、仏の「本願」ということになります。
 このことから知られるのは、「本願」という心は、私たち凡夫にはひとかけらも持ち得ないということです。それは、煩悩具足あるいは煩悩成就といわれるように、欲や怒り、愚痴などすべての煩悩に満ち満ちた愚かな私たちの心には、煩悩を断つ力も、仏道を学ぶ智慧も全く見出すことができないからです。だからこそ、仏は本願力をもって、この迷いに満ちた凡夫を救おうと願っておられるのです。
 だからといって、私たちは何もしないで手をこまねいていても良いというわけではありません。では、私たち凡夫にとっては、何が最も重要な仏道となるのでしょうか。それは、自分の力ではこの迷いから抜け出すことのできない私を、間違いなく速やかに、しかも必ず仏果に至らしめる本願に出遇うことだといえます。
 お釈迦さまをはじめ、一切の諸仏は、阿弥陀仏の本願を讃嘆するとともに、迷える凡夫はすべてこの本願によって救われよと説き勧めておられます。なぜなら、阿弥陀仏は本願に「ただ念仏せよ。必ず救う」と誓っておられるからで、凡夫が迷いから仏果に至るには、この本願に勝る仏道は存在しません。しかも、自ら煩悩を断ち切ることなく、その身のままで仏果に至らしめることができるのは、阿弥陀仏の本願力のみだからです。そこで、諸仏は阿弥陀仏の念仏の勧めを諸仏自らの本願とされたのです。
 では、なぜ本願力にあうことができれば、空しく過ぎることがないのでしょうか。私たちの日常を顧みると、私たちは自分の力で夢を追い、未来に理想を求め、日々それに向かって歩みを進めているといえます。そのことを言い換えると、常に未来に幸せを求めて生きているのだといえます。
 
今そのあり方を客観的に眺めると、私の求めている幸せとは、その身の置かれている手の中にはなく、今いるこの場所から遠く離れた未来において実現することが期待されるものです。ところが、私たちは、いつもこの身の置かれている現実から一歩も離れることはできません。そうであるにもかかわらず、私たちはしばしば自らの現実に目を向けようとすることなく、遠い未来に限りない夢を見続けながら生きています。
 けれども、私たちが生きているのは、昨日でも明日でもなく、常に今日というこの場所であり、したがって幸せも未来ではなく、現在において知ることのほかに実感することはできないのです。そうであるにもかかわらず、私たちは足下に目を向けようとせず、未来に求めて生きようとしています。仏教では、そのような生き方を迷いとか流転という言葉で言い表しています。
 また、私たちは誰もが自分の人生を日々精一杯生きています。そのため「毎日、本当によく頑張っておられますね」と声をかけられると、つい「はい」と笑顔を応えてしまうのですが、その「はい」と答えた後すかさず、「でも死にますよね」と続けられると、残念ながら「確かに…」と頷かざるをえません。しかも「老少不定」といわれるように、年齢の多少に関わらず必ず死ななければなりませんし、しかもそれがいつなのか予め知ることもできません。希望としては、まだずっと先のことであってほしいのですが、もしかするとそれは今夜かもしれないのです。
 そうすると、「いつその命の終わりを迎えるか分からないのに、もしかすると今夜かもしれないのに、どうして毎日そんなに頑張っているのですか。その日々の頑張りは、いった何のためなのですか」などと問われると、答えに窮してしまうことになります。そして、その問いに対する答えを見つけ出せないままでいると、最期は「空しかった」という一言に、すべてが収斂されてしまうことになります。これを仏教では「空過」といい、人間にとって最大の不幸だとみなしています。なぜなら、自分では精一杯生きてきたと思っていたのに、その頑張りはいったい何のためだったのかが分からないままだと、結局最期は「空しい人生だった」という言葉で、すべてが砕け散ってしまうことになるからです。
 では、どうすれば空しく終わらない人生を生きることができるのでしょうか。その答えが「本願力にあいぬれば」ということになります。既に述べたように、阿弥陀仏はその本願に「念仏せよ。救う」と説いておられます。「救い」というと、一般に私たちは病気が治ったり、お金がもうかったりするといったような、いわゆる逆境にあるとき、自分の願いがかなうことを救いだと錯覚しています。また、順境にあるとき、自分の願いがかなうと「幸せ」という言葉を口にしたりします。つまり、順境・逆境のいずれの境遇にあっても、自分の願いがかなうこと、言い換えると自分の人生が思い通りになることを願ってやまないのが、私達の偽らざる心の内だといえます。
 けれども、お釈迦さまは「一切皆苦」と説いておられます。この「苦」とは、「私の思い通りにならない」ということです。この世の中は自身を含め私の思い通りにならないことに満ちあふれています。ところが、私たちは自分の思いがかなうことを幸せとか救いという言葉で未来に期待し、今自分が生きている現実になかなか目を向けようとはしません。それは、自身のいのちの事実から目を背け、自分の思いを生きようとしているということに他なりません。
 人生は、しばしば旅をすることに例えられますが、そうすると気が付けば既に人生という旅の途上に居ることになりますが、さて私たちは自分のいのちの帰する世界を見出しているでしょうか。もし自分の人生の帰する世界を見出せないままに生きているとすれば、それは放浪の旅のような人生ということになります。そして、いのちの帰する世界を見いせないままでいると、患うと「死ぬのではないか」とか、うまくいかないことが続くと「先祖の誰か迷っているのではないか」といった不安の影が落ちてきます。
 本願とは、そのような私に、「あなたのいのちの帰ってくるのはここだ」と真実の浄土からよびかけてくださる声です。そのよびかけを確かに聞くことを「本願力にあう」といいます。この本願念仏の教えにあうものは、煩悩に満ちた自身の力ではなく、本願のはたらきによって、一人の例外もなく、この迷いのいのちが終わるとき、必ず浄土に生まれて仏となることができます。それは、砕け散っていくいのちではなく、成仏という人生最高の形で成就していくいのちを生きることになります。だからこそ、本願力に遇うことができれば、その人生を空しくすぎる人はいないといわれるのです。
 6月:世間虚仮 この社会に正解はない
 「世間虚仮」という言葉は、聖徳太子(574年-622年)の言葉で「世間虚仮唯仏是真」という言葉の前半部分です。意味は「この世にある物事はすべて仮のものであり、仏の教えのみが真実である」ということです。
 
聖徳太子が亡くなられた後、妃の橘大郎女(おおいらつめ)は太子を偲んで天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)を作りましたが、その時に太子から聞いたとして繍帳に織り込ませたのがこの言葉です。以後、太子の仏教理解の深さを示すものとして、しばしば引用されてきました。
 太子の生きられた時代は、日本にとっては大きな激動期でした。太子が14歳の時に、朝廷内で勢力を二分していた蘇我氏と物部氏の間で戦いが起こり、その結果、政治の主導権は蘇我馬子に移りました。やがて推古天皇が即位すると、太子は摂政に任命され、中国をモデルとした新しい国家組織を作ろうと励まれました。冠位十二階の制定や、十七条憲法の発布も、その一環として行われたものです。また、仏教に深く帰依し、寺院を建立するなどして、その発展に大きく寄与しました。
 しかし、晩年の太子は政治的活動にほとんど関わることがなくなったといわれています。それは、この時期の太子は仏教の理解を深めていく一方、政治に対する関心が薄れたからではないかと推測されています。この二つのことは、深く関係していると思われます。様々な改革を押し進めるなかで、太子と周囲の人々との間には、常に政策上の衝突が起こっていたのかもしれません。自分の方針の正しさを信じて、よい国を作ろうと努力しても、時としてそのことが、対立の種になってしまうのが政治の常だと太子は痛感されたのだと思われます。そして、その経験が太子に「世間は虚仮なり」と言わせたのだと推察されます。
  太子は、このような対立は、それぞれが自己の正当性を主張し、それに執着することから生まれるのであり、自己への執着が続く限り消滅しないことを仏教から学び取られたのです。そして、自己への執着から解放された世界こそ、仏の真実の世界であることに目覚められたのが「ただ仏のみ真なり」という言葉です。

 改めて、「世間虚仮」という言葉の意味をたずねると、「虚仮」とは文字どおり「空しくて、仮のもの」という意味です。近年は、SNSの略称でよく知られているソーシャルネットワーキング・サービスの普及により、多くの情報が発信されています。SNSが普及する前までは、事故や事件、災害をはじめ様々な情報はテレビ・ラジオ・新聞等のメディアが取材をし、責任を持って発信されていました。そのため、概ねその情報は信頼に足るものでした。
 ところが、Twitter(ツイッター)を中心とするアプリを利用して個人が情報を発信するようになると、その情報は瞬く間に個人から個人へと拡散されるようになりました。その場合、個人によって発信された情報が確かなものかというと、私たちには「自分にとって都合のよい情報を選んで、それだけを信じようとする」という傾向があります。しかも、インターネットの世界では、好きな情報や自分にとって都合の良い情報だけを閲覧できる環境が整っているので、いつの間にか自分が取得した情報こそが正しいのだと錯覚する人もいたりします。

 
このように、「自分にとって都合のよい情報を選んで、それだけを信じたい傾向」のことを「確証バイアス」と言います。確証バイアスは、人間がもともと持っている心理ですが、近年はネットの検索サイトがユーザーの属性(男女別、年代、居住地など)から、『ユーザーが見たいであろう情報』を上位で表示したり、『ユーザーの見たくない情報を遮断する機能』を提供したりするようになっており、いつの間にか自分の見たい情報だけが集まりやすい状態になるため、確証バイアスはさらに働きやすくなっていると考えられています。「バイアス」とは「偏り」を意味しますが、日常生活における確証バイアスの影響は傾倒することにつながります。例えば、自分の気に入った人がいると、その人の発信するSNSや好意的な情報だけを信じるようになったり、ある思想に傾倒すれば、同じ思想を持つ人の情報だけを信じるようになったりします。また、ある情報サイトで何らかの予測が当たると、そのサイトで発信される情報ばかり信じるようになったりすることもあります。これは、傾倒していく人にとっては、高揚感や安心感、帰属意識の醸成など心地よい感情を持てるため、日常生活が楽しくなる要素が強くなります。 
 
このように、現代はネットの検索機能によって、個人が自由に情報を取捨選択できるようになり、検索サイトも個人に与える情報を操作するようになりました。けれども、それが常に客観的に正しい情報かというと、私たちの心の中には「自分にとって都合のよい情報を選んで、それだけを信じたい傾向」があるので、誤った情報を正しい情報だと信じてしまうことも少なからずあったりします。そのため、何が正しく、何が間違っているのかということは、その人がどこに立っているかということによって決まるといっても過言ではありません。それは、誰もが自分の持っている答えこそが正しいと信じているということです。
 
ところで、親鸞聖人の言葉を記したといわれる『歎異抄』に「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごと・たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」と述べられています。意訳すると「この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ阿弥陀如来の本願の念仏だけが真実なのである」と、なります。「火宅無常の世界」とは、火につつまれた家のように、「すべてのものが変転する世の中」のことですが、この言葉は経典に次のたとえ話として説かれています。
 
ある町の長者の立派な家が火事になりました。その時、家の中では子ども達が遊びを楽しんでいました。そこへ長者が帰ってきたのですが、子ども達は家が火事になっているとも知らず、一心に遊び続けていました。長者は、家に飛び込み、子ども達に「火事だ、逃げなさい」と叫びました。ところが、まだ火事の怖さを知らない子ども達は、遊びに夢中になって父の叫びが耳に入りませんでした。そこで長者は再び「お前たちが欲しがっていた車を買ってきたぞ。早く外に出てきて好きな車を取りなさい。早いもの勝ちだよ」と叫びました。すると、その声を聞いた途端、子ども達は遊ぶことをやめて、すぐに家の外に飛び出してきました。長者の機転をきかせた叫び声で子ども達は危うく難を逃れることになるのですが、門の前にはそれまで見たこともない立派な車が用意されており、子ども達は喜びの心で、火事の難そのものからも逃れることができた。
 
という説話です。
 この「火宅無常」とは、私たちの社会そのものを指しています。それは、いつか火事になるかもしれないということでもなく、誰かの家が火事だということでもありません。今、まさに自分の家が火事で燃え盛っているということを教えているのです。ところが、子ども達が遊び夢中になって長者の叫び声が耳に届かなかったように、なかなか私達の耳には仏法は聞こえてきません。それは、私の前には豊かで快適で楽しい人生が開かれているからです。しかも私たちは、この人生は私にとって確かなものであり、喜びと楽しみの日々はいつまでも続くかのように思って生きています。そのために、なかなか自ら進んで仏法に耳を傾けようとしないのですが、果たして私の人生はいつまでも喜びと楽しみに満ちあふれた日々が続くのでしょうか。
 また、私たちのものの見方は、どこまでも自己中心的でしかありません。そして、そのような人達が集まって、私達のこの社会を構成しているのです。常識的な見方をすれば、人の心は善にあこがれているといえます。善いことを行えば気持ちがよいし、誰かに親切にして感謝されれば嬉しく思います。その一方、失敗をすれば反省もしますし、誰かに迷惑をかければ落ち込んだりもします。一般に、人は日々の生活において、善を成すことが生きがいになっていることもあり、そのため善人には好意を抱き悪人を嫌悪したりします。
  ところが、そのように善にあこがれている人が大勢を占めている社会であるにも関わらず、悪事が横行し、争いも絶えることもありません。いったいなぜなのでしょうか。それは、私たち凡夫は自分の幸せを願い、自分を中心とした豊かさや快適さを求めているのですが、誰もが願うはずの平和や平等であっても、つまるところ自己中心的な立場から願われているからです。どこまでも自我に執着し、欲望を捨てることができないのが私たち凡夫の偽らざる心の内なのですが、そのような者が集まって作っている社会なのですから、つまるところそこには「真実などかけらもない」といわざるをえません。そのことを聖徳太子は「世間虚仮」、親鸞聖人は「
火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごと・たわごと、まことあることなし」と言われ、だからこそ聖徳太子は「唯仏是真」、親鸞聖人は「ただ念仏のみぞまことにておはします」と教えられたのだといえます。
  日々の生活において、私たちは漠然と、「常に正しいことを言い、正しいことをしている」と思っているのですが、それが常に「正解」との評価を受けているかというと、ある時は〇をもらっても、別の時は×をもらうこともあります。なぜなら、その時々の評価は、いつも自己中心的なものに過ぎないからです。そのため、この社会には正解はないのです。そして、だからこそ私たちはいつの時代においても変わることのない仏法という真実をよりどころにして生きることが大切になのだといえます。
 7月:比べることが悩みのタネに
 誰もが「人間に生まれた以上、幸福になりたい」と思っているのではないでしょうか。そして、それは何も今に始まったことではなく、人間はその誕生以来、よりよい生活、つまり「幸福」を願い、それを実現するための手立てを考え試行錯誤し続けてきました。そして、それを自分の世代で実現できなかった時は、次の世代へ、さらにまた次の世代へと、まるでバトンを渡すようにして「幸福を手にしたい」という思いを託してきました。その営みの繰り返しが、まさに私たち人間の歴史であり、先人の思いを進歩・発展させて結実させたのが現代の社会のすがただと言えます。とはいえ、全ての思いが叶えられたわけではありません。なぜなら、私たちは一つのことが叶うと、その瞬間は満足するのですが、すぐにまたそこから新たな幸福への思いが生まれ、その実現を求め始めるということがあるからです。
 例えば、遠くにいる人と意思の疎通を図ろうとする場合、始めはその人のもとに会いに行く必要がありました。それが、文字が作られ、紙に表記できるようになり、誰かに運んでもらえるようになると、わざわざ自ら足を運んで会いに行く必要はなくなりました。やがて、飛脚など、それを生業とする人によって書簡の往復が可能になり、さらに安価で確実に届けてもらえる郵便制度が確立しまた。けれども、人はそれでは飽き足らず、次第に速さが求められるようになった結果、電報が発明され、それが固定電話へと発展し同時に意思の疎通を図ることができるようになります。そうなると、今度は固定電話だと双方が設置された電話機の前に居る必要があることから、無線式の携帯電話が開発されることになりました。当初は、電波の届く処でれば、どこでも通話ができるようになったことで、誰もが驚き喜んだのですが、人々はそれに満足することなく、携帯電話機にメール、カメラの機能が付加され、それがスマートフォンに進化すると、動画を送れたり、ゲームができたり、お財布代わりになったりするなど、今後も機能の追加は留まるところを知らない感じです。
  また、音楽を聴く際は、かつてはレコードを買い求めプレートで聴いたり、好きな場所で聴きたい場合はカセットテープに録音したりしたものでした。やがて、デジダル音源のCDが開発され、記録媒体としては新たにMD(ミニディスク)が登場したり、CDにも録音できたりするようになりました。さらに、アイポッドなどのハードディスクに録音して聴けるようにもなりました。そして、今はわざわざCDなどの媒体を購入することもなく、スマートフォンにダウンロードしたり、さらには一定の月額を支払うと好きな曲をいつでも聴いたりすることができるようになったりしています。また、この他にも人々の「こうなったら良いのに…」「ああなったら良いのに…」といったことを、次々とかなえながら、私たちは限りなく幸福を求めていくのだと思われます。
 ところで、なぜ私たちは幸福を求めるのでしょうか。それは、おそらく「今の自分は幸福ではない」と思っていたり、あるいは「こうなったら幸福なのに…」という思いがあったりするからではないでしょうか。もちろん、そのような思いの積み重ねが人類の進歩と発展に大きく寄与してきたことは紛れもない事実ですが、一方では限りあるいのちを生きる人生にあって、幸福獲得のために生涯を尽くすということは、見方を変えれば、常に「幸福ではない」という事実の上に立って幸福を得ようと努力している在り方に終始していることになります。そして、おそらく私たちは生きている限り、その営みをやめることはできないような気がします。

 そのような私の姿を客観的に見ると、現在に生きている私が未来というものに幸福を夢見、逆に未来に夢見た幸福な自分の姿から現在の幸福ではない自身というものを悲しんでいるといった姿が見えてくるのではないでしょうか。
 本来、幸福とは現在において実感できるものでなければ意味はないのですが、私たちが未来に幸福を求めるということの根底には、現状においては幸福を未来に求めなくてはならないような不平不満の状態にあるということがあるからだと言えます。一般に「隣の花は赤い」とか「隣の芝生は青い」と言われるように、私たちは他人のものは自分のものよりもよく見えるものです。つまり、私たちはいつでも他と比べてしか自分の幸福を考えることができないというありかたに終始しているのです。そして、そのように比べるところにこそ、悩みのタネがあるのです。
 私たちは、誰もが幸福を求めて生きているのですが、事実においては幸福とはいつでも他人の上にあるということになります。しかも幸福は現在における自分の上にはなく、その大半はいつも未来にあって夢見られるものになっていたりします。
 けれども、いつもそれでは何ともやりきれないので、今度は別の方向に目を向けて、自分より不幸に思える人と自分との境遇とを見比べて、「まあ、自分は幸せな方ではないか」と、自らを納得させることで不平不満の解消に努めたりしています。それは、状態は何も変わらないのに、自分より幸福な人を見ては自身を不幸だと歎き、自分より不幸な人を見ては、「自身は幸福な方だ」と誤魔化している在り方にほかなりません。そして、常に他人との比較の中で、不幸と幸福との間を行ったり来たりしているということになります。
 これは、良く言えば生きる上での知恵であり、悪く言えば現状への妥協ということになります。言うなれば「まあまあと自分を抑える処世術」ということになりますが、やはり本当の幸福を得られない限り、私の一生は無駄に終わってしまうのではないでしょうか。
 親鸞聖人の文章の中に、「空過」という言葉がしばしば出てきます。「空過」というのは、「空しく過ぎる」ということですが、親鸞聖人が何よりも問題視されたのは、生涯において縁にふれ折りにふれ突如として襲いかかって来る大切な人との死別の悲しみでもなければ、悲惨な出来事との遭遇でもなく、本当の幸福を得ない限り、善きにつけ悪しきにつけ、自身が出遇う一つ一つの事実の全てが空しいものに終わってしまうということでした。
 したがって、たとえ苦しくても悲しくても、その苦しみ悲しみが本当の意味で空しいものとはならない。悲しみの中にも人生の意味が見出され、苦しみの中にも無駄でなかったというものが感じられない限り、人間の一生というものはどれほど生きても、真の意味で「生きた」とは言えないのではないか。これが、親鸞聖人が生涯問い続けていかれたことだと思われます。
 人間は、幸福を追い求めて生きているのですが、現実に安んじるという道を見出せなければ、やはり私たちは「空過」なるままに人生を終えることになってしまわざるを得ません。したがって、真の意味で「生きた」と言うためには、「私は誰の人生もうらやましくないよ」という生き方を見出す以外に道はないではないでしょうか。  私たちは、人間として生きる限り、どのような生き方をしていても縁にふれ折りにふれ、辛いことや悲しいことに出遭います。けれども、他人の目から見ると、たとえそれが苦難の多い大変な人生であったり不幸な人生に見えたりしたとしても、「あなたには大変だったり、不幸に見えたりする人生であるかもしれないが、この人生を生きて行くのは、また生きて行けるのは私しかいないのです」と、胸を張って答えられるような在り方が出来れば、私は私として安んじて生きて行くことが出来ます。そのことを明らかにしてくれるのが、まさにお念仏の教えなのだと言えます。
  8月:悲しみや痛みに共感できる自分でありたい
 よく「共感する」という言葉を耳にすることがありますが、では「共感」というのは、いったいどのような意味なのでしょうか。辞書には「
他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち」と説明してあります。さらに「他人の気持ちや感じ方に自分を同調させる資質や力のこと。すなわち,他人の感情や経験をあたかも自分自身のこととして考え感じ理解し、それと同調したり共有したりするということ。その結果、人は他人のことをより深く理解することができる」とも述べられています。
 この言葉の定義については、20世紀初頭にドイツの哲学者リップスが、芸術に心を揺り動かされる(美を享受する心の感動)プロセスを感情移入の概念を用いて説明し、心の中で他人と自分を融合する心理学概念として広義にとらえたことが始まりと考えられています。その後,アメリカでティチェナーによって「共感」と訳されることになりました。なお、これた類似した用語である「同情」は、悲痛や失敗など困難な経験やネガティブな状況にある他人を心配する感情に限定されるということで、ポジティブな意味合いでも用いられる共感とは区別されています。
 ところで、ここで「はたして人は他人の気持ちを理解することができるのか」という疑問がわいてきます。この問いに対しては、「個人の感情を別の個人が推測することは可能であるが、それは主観が別の主観を解釈しているに過ぎず、正確である保証はない」と結論つけられています。したがって、共感という心理プロセスから曖昧性を排除することは困難であるため、科学的な観点からは、現時点では共感を一つの物差しや定義で説明することは容易ではないと考えられています。
 けれども、私たちは他人が喜ぶのをみると共に喜び、他人が悲しむのをみると共に悲しむというように、他人と同じような感情をもつことがあります。ただし、これを「共感」と呼ぶ場合は、他人がまずある感情を体験しているということが前提条件で、その感情の表出を自分が見て、同じような感情を体験することが必要になります。他人がどのような感情を抱いているかを観察しないで、「たぶんあの人は悲しんでいるのだろう」と勝手に推測して、悲しんでみせるというのは共感とはいいません。
 また、他人が悲しみに包まれていることを確かに理解できたとしても、自分は悲しくなれないという場合は、共感することはできません。やはり、ある人と共に悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要になります。例えば、親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験が必要条件ということができます。
 ところで、カウンセリングや心理療法などにおいては、「カウンセラーは、クライエント(相談者)を共感的に理解しなければならない」とされています。そうすると、記述の共感の理解を踏まえると、カウンセラーは多くの体験をしておくことが必須ということになりますが、そうなるとカウンセラーが相談者と同じ体験を共有していないと共感できないことになってしまいます。そこで、カウンセリングでは、これまで述べてきた共感は、同感に近い意味で理解されています。
 
カウンセリングにおいて、共感は悩みや困りごとを解決できるよう導く「傾聴」において重視されています。なぜなら、カウンセリングの傾聴では「相手の気持ちに共感すること」が目的になるからです。この場合、相手が話した事柄の理解ではなく、どんな心情や感覚なのかを把握するのがポイントになります。それは、心の耳を傾け、言葉の奥に潜む心の声を聴き、相手の気持ちを理解することが「傾聴」だからです。
 では、なぜ心の声を聴くべきなのかというと、相手が発する言葉だけでは、相手の気持ちがわからないこともあるからです。私たちは、いつも本当のことばかり口にしているわけではありません。時として、心にもないことを平気で口に出したりすることがあります。その一方、言葉には出なくても、言外に本心が表れていることもあります。そこで、話の流れや相手の態度などから、「なぜ、この人はそう思うのか」ということを見極める必要があるのです。
 また、傾聴の目的は「相手の気持ちに共感すること」ですが、このとき「同感」はしなくてもよいのだそうです。なぜなら、同感とは「自分の経験と相手が話す内容と照らし合わせて共通点や相違点を見つけ、自分がどう感じるか」というものだからです。それに対してカウンセリングにおける共感とは「相手がどう感じているのかがわかる」ことです。したがって、そこに好悪の感情を持ち込まなければ、相手への共感は難しいことではなくなります。このようなことから、「傾聴」の場合、「相手が何を言いたいのか」、あるいは「どんな気持ちなのかを理解すること」が最優先課題となります。
 さて、改めて「共感」とはどのようなことかというと、一般には「他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと」だと言われます。カウンセリングでは、感情を共有するのではなく、理解することだと定義づけられていますが、一般には感情を共有することだと理解されていることが窺えます。
 では、感情を共有するとはどのようなことかというと、例えば、友だちがつらそうな顔をしている時、私たちは相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらいという感情を持ちます。これは、自分もつらい思いをしたことがあるからだと言えますが、これはカウンセリングでいう同感に近い感情のようです。このことから、カウンセリングで明確に分けている共感と同感が、一般には同じような感情として理解されているように思われます。
 一般に、共感は友情を生み出します。「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、これは「気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる」という意味です。私たちが誰かと友だちになるきっかけは、「何となく」であることが多いように思われますが、この「何となく」の根底にあるのが、まさに「共感」なのです。
 さて、他人から共感されることは自分の存在を認めてもらえたという承認欲求を満たしてくれます。そこで、傾聴し共感を示すことは精神的な援助となることから、30年ほど前から、共感を示す対話技術を学んで被災者高齢者の話を傾聴し、心のケアを行う傾聴ボランティアが増加しています。
 一般にカウンセリングでは、クライアント(相談者)の苦しみや辛さを追体験し、できる限り理解することを共感といいますが、はたしてクライアントの個人的な経験によって発生した苦しみを、他人がその場で理解することは現実には無理があるのではないかという疑問も呈されています。
 確かに、その苦しみや悲しみが個人的な経験に基づくものであるならば、実際に共感によって他人の感情がわかるか否かは、推測し難いのではないかと考えられます。なぜなら、論理的には他人の感情は他人のものであり、それを確認する方法など実在しないからです。
 中国の古典『荘子』知魚楽編では、橋の上に立ち、川で泳いでいる魚を見て、「あれが魚の楽しみだ」という荘子に対して、「君は魚でないのに、なぜ魚の楽しみがわかるのか」と問いかける恵子の姿が描かれていますが、この場合、論理的に恵子の言葉に反論するのは不可能です。それは、魚の側からの説明がないからです。
 さて、改めて標題となっている「
悲しみ痛みに共感できる自分でありたい」という言葉を読み返すと、ここでの「共感」が一般的な理解だとすると、他人の悲しみや痛みに共感するためには、自分もその人と同じような悲しい体験や痛みを感じていることが必要になります。そうすると、この言葉は「痛みを伴うような悲しい経験を自分もしたい」と言っていることになります。また、言葉の意味からすると「悲しみや痛み」といったネガティブな状況にある他人と感情を共にするという場合は、「同情」が用いられることから、この言葉は、実は悲しみ痛みに同情できる自分でありたい」と言いたいのではないかと思われます。 また、カウンセリングにおける定義づけにしたがえば、「他人の痛みを伴うような悲しみを理解できる自分でありたい」と語っていることになります。
  9月:秋彼岸 いのちの灯が相続されていく
 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、お彼岸は春と秋、それぞれ春分の日と秋分の日の前後3日、合わせて7日間あります。年に2回あることから、私たち日本人には大変なじみ深い法会です。
 「彼岸」とは、サンスクリットpāram(パーラム)の意訳で、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来します。これはPāramitāpāram(彼岸に)+ita(到った)つまり「彼岸」という場所に至ることと解釈したもので、悟りに至るために越えるべき渇愛や煩悩を(暴雨)に例え、その向こう岸に涅槃があるということです。
  経典には、阿弥陀如来が建立された浄土は西方にあると説かれ、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがお彼岸の始まりだといわれていますが、実はこれは仏教発祥の地であるインドにも、また中国にもなく、日本で始められた日本独自の仏教行事です。平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したといわれています。また一般の信者はこの間、お寺まいりやお墓まいりをするのが習慣となりました。
 
浄土真宗では、本願寺第八代・蓮如上人(1415年-1499年)の時代以前は、彼岸会は行われていなかったようですが、『御文章』に上人59歳(1473年)の時、吉崎御坊で彼岸会を修したことが書かれていますので、おそらくその頃には勤められるようになったと思われます。以後、今日に至るまで本願寺では絶えることなく年中行事として7日間、春と秋に彼岸会の法要が勤められています。
 
浄土真宗では「彼岸」はどのように位置づけられているかというと、「彼岸」とは迷いの世界を「此岸」というのに対して悟りの世界をさす言葉です。浄土真宗では、日々のお念仏の味わいがとても重要であることから、このお彼岸の行事を「悟りの世界(浄土)へ到らしめて下さる阿弥陀さまのお徳を讃嘆し、そのお心を聴聞させていただく仏縁」として大切にしています。
 
時々「彼岸」を「あの世」と混同して、お彼岸を「あの世に行かれた先祖を供養する期間」と誤解している人がいますが、それは誤解です。生死流転する迷いの中の「あの世」ではなく、お寺で開かれる法要にお参りして、真実の悟りの世界であるお浄土へと到る道を聞き開く期間と受け止めるべきです。お浄土に往かれ、仏さまとなられた亡き方々が、一番喜んで下さるのは、まさにそのようなあり方だといえます。
  では、そのお彼岸に「いのちの灯が相続されていく」というのは、いったいどのようなことなのでしょうか。
これは、1980年代のことですが、内科の医師をしておられた井村和清という方の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という手記が出版されミリオンセラーとなり、映画化やテレビドラマ化されたりしました。
 井村さんは、30歳の時、右膝に悪性腫瘍がみつかり右足を切断され、その半年後、その腫瘍が肺に転移した時点で自ら余命半年と判断し、死の一か月前まで医師として働きながら闘病生活を送られ、32歳で亡くなられました。井村さんには2歳になる一人娘の飛鳥ちゃんと、奥さんのお腹の中に、まだ見ぬ赤ちゃんがいました。それで、井村さんは、死を直前にしながら
「30年余りここに生きたという証であり、私のために泣いてくたれ人々への私の心からのお礼の言葉であり、そして何も知らない幼い二人の私の子どもへ与えうる唯一の父親からの贈り物」として一冊の本を書き残して亡くなられました。それが「ありがとう、みなさん」という手記で、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」のタイトルで出版されたわけです。その中の最後の方に、遺していく子どもたちへの願い、子どもたちに贈る言葉として「燈燈代代」という言葉を遺しておられます。
  この言葉を通して井村さんは何を伝えようとされたのでしょうか。それは、私たちは一人一人が自分の命を燃やし、そして一人ひとりが身に受けている命の事実を尽くし、それぞれが自らの人生を生き切っていく。その生き切っていく姿が、まさしく一つの燈なのでしょう。また、一人一人が、それぞれの願いをもって人生を生き切っていく。その姿が、周りの一人一人に、命の火を灯していく。だから、子どもたちよ、あなた方も、自分の命を燃やし尽くして、人間として悔いのない人生を送ってもらいたい。そのことが、人間の命の歴史となっていくのだといわれるのです。
  井村さんは、ご自身がガンという身の事実を、最後までまっすぐに受け止めながら生きいかれました。そのことが、どうか子どもたちの命に火を灯すことになってほしい。そしてまた、子どもたちよ、あなたの命の火が、あなたの子ども、あるいは周りの人たちに命の火を灯すように、どうか賜った命を輝かせて生きていってもらいたいということを伝えたかったのではないかと思います。そのような願いが、この「燈燈代代」という、燈から燈へ、次の世代から次の世代へと、いのちが相続していくという言葉にこめられているように感じられます。

 親鸞聖人は、門弟への手紙の中で「浄土にてかならずかならず待ちまいらせ候ふべし」と述べておられます。同じように、先に往かれた方々も、いつもいつも私に「お浄土で待っていますよ」と呼びかけておられるに相違ありません。そして、きっと「どうか賜った命を輝かせて生きてもらいたい」と、願っておられるのではないかと思います。
 
お浄土に往かれた方のことに心を寄せることを通して、その願いに目覚める時、また私の中にいのちの灯が灯り、相続されていくのだと思われます。
 10月:厳しい言葉に我に返り 甘い言葉に我を忘れる
  「厳しい言葉」とは、直接的で相手の感情を考慮しない表現で、相手が聞いた場合、傷ついたり落ち込んだりするような言葉のことを言います。また「我に返る」とは、はっと気がつくとか意識をとりもどしたり、他のことに気を取られていたのが本心に返ったりすることをいいます。そうすると、「厳しい言葉に我に返る」とは、「容赦のない言葉で責め立てられたことによって、 何かに気をとられていたのが正気に返る」という意味に理解することができます。
 一般に「厳しい言葉」は、「叱責」という表現で用いられることがあります。その場合、いろいろな状況が考えられますが、例えば仕事の塲で、上司や顧客からきつく叱られたり厳しく注意されたりすることがあったとします。それに対して、反感や怒りを覚える人もいれば、深く傷ついて落ちこんだりする人もいたりします。このように、叱責に対する反応は人それぞれですが、前向きに考える人は「見込みがあるから注意してくれているのだ」と好意的に受け止め、自らを省みて向上することに努めようとします。反対に、自己肯定感の低い人は、やはり自分はだめな人間なのだと思い込んだり、心が折れて萎縮する人もいたりします。
 世の中には完璧な人など誰もいないのですから、自分ではきちんと仕事をしているつもりでいても、経験が足りなかったり、反対に経験を積むことで慣れてしまい緊張感が欠けていたりすると、思わぬ失敗をしたりすることもあります。いずれにせよ、そのような時に「厳しい言葉」をかけられることになるのですが、その後の反応は人それぞれであるとしても、言われた直後はあまり気分がよいものとは言えません。
 次の「甘い言葉」とは、「人の気に入るような口先だけのうまい言葉」であったり、「人をだまして陥れたりするための耳に心地よく響く言葉」といったマイナスイメージを持つ人多いのではないかと思われます。また「我を忘れる」とは、物事に心を奪われぼんやりしたり、何事かに夢中になったりするということです。そうすると、「甘い言葉に我を忘れる」ということは、「口先だけのうまい言葉に心を奪われて自分のあるべき姿を見失う」ことだといえます。
 そこで、この二つの言葉の意味を踏まえて「厳しい言葉に我に返り 甘い言葉に我を忘れる」という言葉を時系列的に考えると、日頃私たちは自分のあるべき姿を見失ったりしていると、叱責されて正気に返るが、厳しい言葉によって傷ついた心を、耳に心地よく言葉を語りかけられることによって、また奪われてしまっている」ということになるのではないかと思われます。そして、甘言に心を奪われてぼんやりしていると、厳しい言葉によって正気を取り戻すことになるものの、再び甘い言葉に心を奪われる…ということを日々繰り返しているのが、私たちの日常ということになります。
 ところで、「我に返り、我を忘れる」と言われるのですが、仏教は「諸法無我」ということを説いています。釈迦さまの教えは、伝統的なバラモン思想や六師外道と呼ばれる自由思想家など、当時のインド思想一般を批判し、それを超えて新たに説かれたものであることから、仏教徒は諸々の思想との根本的な違いを「諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静」の四項目にまとめ、他の教えと区別する目安としました。これを四法印といいますが、印とは旗印を意味し、もしこの条件が備わっていれば、その思想は仏の教えに間違いないと断定するための根拠とされました。したがって、その教えが仏教思想だとして伝えられていても、四法印に照らしてみて明らかな相違が認められた場合、それは仏教ではないということになります。
 この四法印の一つが「諸法無我」です。これは、の世に存在するあらゆる事物は、因縁によって生じるものであって、不変の実体である「我」は存在しないという考え方ですここで説かれる「諸法」とは、一切の事物のことを意味します。すべての事物は、たとえば「諸行無常(すべては変化する)」と言われるような「法則」に支配されているから「諸法」だというのです。そういうこの世の理法に沿ってある事物に対して、私達の我欲は常に自分に都合の良いように、時にどこまでも変化しないことを求め、また時にすぐさま排除することを求めて止まることがありません。
 お釈迦さまは、「一切の事物が永遠であるのかないのか」「唯一絶対であるのかないのか」そういうことに執着するあまり、正しい生き方を踏み誤って、自らが賜ったこの一生を虚しく過ごすことがないように、「一切の事物は永遠不滅の実体ではない」ということを説かれました。

 では、「無我」とは、どのような意味でしょうか。私達の日常用語で無我といえば、「無我夢中」とか、「無我の境地」などという言い方で用いられていたりします。無我夢中というのは、我を忘れて何事かに夢中になっていることで、無我の境地といえば、私心なく執着を離れた無心な心の状態を表しています。このように、無我という言葉は、一般には「忘我」とか「無心」という表現で使われています。
 けれども、これらは仏教で説かれる無我という教えの本来の意味ではありません。確かに、仏教は執着こそが苦悩の原因であるとして、それを離れることを説く教えです。しかし、その場合には我執(自身に対する執着)・我所執(所有欲)の否定という全く別の用語が用いられています。どちらにも「我」という語があるため混同しやすいのですが、そのサンスクリット原語は全く別です。したがって、「無我」という言葉によって、執着の否定を意味する忘我とか無心などが説かれているわけではありません。
 それでは、仏教で説く無我とはどのような意味なのでしょうか。インドの宗教では、自らの善悪の業(行為)の報いを受けて生まれ変わり死に変わりを繰り返すという「業報輪廻転生」が説かれます。その場合、過去世から現在世へ、現在世から未来世への転生を可能にするためには、身体が死滅しても、消滅することなく存続する霊的実在が必要であり、それが「アートマン」と名付けられ、私たち一人一人と不可分に存在する「常一主宰の実在」とされます。そのアートマンが、経典を漢訳する際「我」と翻訳されたのです。
 仏教の出発点は、そのアートマンの実在を縁起の道理によって否定し、輪廻転生の世界から私たちを解放する解脱の道を明らかにすることにありました。したがって、「無我」とはそのような霊的実在としてのアートマンの存在を否定する仏教の根本思想を示している重要な用語だといえます。

 このこと踏まえると、「厳しい言葉に我に返り 甘い言葉に我を忘れる」という場合の「我」は、仏教で説く「我」のことではなく、日常用語で「無我夢中」と使われている時の「我」と同義だと考えられます。
 また、この言葉を読むと、一瞬「そんなものか」という気がする人もいるかもしれませんが、例えば
物事に心を奪われぼんやりしている時に、厳しい言葉で叱責されて我に返ったとします。そして、正気に返った我が、ぼんやりして我を忘れていた時の我を反省したとします。そうすると、もう二度と甘い言葉に自分を見失うことはないように思われますが、私達はいつの間にかまた何事かに心を奪われてしまいます。正気に戻った時に反省をしたはずなのですが、どうしてそのようなことに陥ってしまうのでしょうか。
 それは、反省した際に、「自分は反省したことによって、1つ賢くなった。甘言に惑わされていることに気付かないまま自分を見失っている人に比べて、偉い人間なのだ」と錯覚してしまうからです。
 親鸞聖人の師である法然聖人は「愚者になりて往生す」と述べておられます。ここで言われている「愚かさ」とは、教養の有無において語られる愚かさではありません。つまり、賢愚という相対的な意味での愚かさではなく、人間である限り誰もが有する根源的な愚かさのことを指します。たとえば、欲望にとらわれて自分を見失ったり、自分にとって都合の悪いものを排除しようとして、他者を傷つけ悲しませたりするような愚かさです。つまり「愚者になる」ということは、そのようにして生きる自分自身の愚かさをよく知るということです。そして、自分自身の姿に目を背けることなく、愚者の自覚を持つ者こそが、まことに生きる者であるということ意味しているのです。
 けれども、自分の愚かさを自覚するということはなかなかできることではありません。なぜならば、私たちは少しでも自分の姿をよく見せようとしたり、時には自己弁護したり正当化したりして、自分自身の本当の姿からつい目を背けてしまうからです。では、そのような自分から目を背けない生き方はあるのでしょうか。
 それは、仏法を聴くということによって成り立ちます。なぜなら、仏法はどこかの誰かのことではなく、どこまでも私を明らかにし、私の姿を見つめさせる教えだからです。善導大師が、仏法を鏡にたとえておられますが、私たちは仏法を聴き続けることによって自身の愚かさを知り、真に生きる道を歩むことができるようになるからだと言えます。
 11月:聴聞 ひたすら道を聞き開く
   「聴聞」とは、一般には行政機関が何らかの処分を行うのに先立ち、相手方や関係人に意見を述べる機会を与える手続きのことをいいますが、本来は仏教語です。親鸞聖人は、主著『顕浄土真実教行証文類』のなかで『大無量寿経』の異訳である『平等覚経』のことばを引用して
 「楽(この)んで世尊の教を聴聞せん」(「行巻」)
と述べておられます。また、「聴聞」の語句には、その意味がよく分かるように「許されてきく 信じてきく(原文:ユルサレテキク シッジテキク)」という左訓を付しておられます。
 
「聴聞」を構成する二つの文字は、ともに「きく」という意味ですが、「聴」という文字は「くわしくききとる」ということを意味します。つまり「聴く」ということは耳をそばだてて聴く」ということなのです。また、親鸞聖人はこの文字に「ゆるす」という意味があると述べておられますが、それは私たちが仏法をきくことができているのは、何かしらの深い縁があって聴くことのできる身になったということを明らかにしようとされたからではないかと考えられます。
 これに対して「聞く」という文字は、「きいて分かる」ということを意味します。「心ここにあらざれば、聴けども聞けず」といわれますが、どれほど耳を澄ませて聞いていたとしても、聞いたことを理解できていなければ、それは聞いたとはいえません。さらに、親鸞聖人はこの文字に『しんじてきく』と左訓しておられますが、それは仏法を間違いなく聞きひらくことこそ、「聞」の具体的内容だということを自覚しておられたからだと思われます。

 ところで、「聴聞」のあとに「ひたすら道を聞き開く」とあります。「道を聞き開く」というのは、どのようなことなのでしょうか。私たちの人生は、しばしば旅をすることにたとえられます。そうすると、もし「あなたの人生の旅の終着点はどこですか」あるいは「あなたは、日々どこに向かって歩みを進めておられますか」と尋ねられたとしたら、その問いかけにどのように答えられますか。もし、答えに窮してしまうようなら、「あなたの人生は、帰るあてのない放浪の旅のような歩みですね」と言われても仕方がないかもしれません。
 この「道を聞き開く」というのは、具体的には「自分の命の帰する世界を見出すこと」だといえます。本願寺第八代・蓮如上人は、しばしば「後生の一大事」ということを語っておられます。けれども現代を生きる私たちにとって「後生の一大事」という言葉を聞いても、あまり実感がわきませんし、自身の生活とどのような関りがあるのかということも、よく分からなかったりします。辞書を見ると、この「後生」という言葉は、「後世・後の世」つまり来世とか死後の世界、次の世といった言葉と同義語だと説明してあります。
 そうすると「後生の一大事」というのは、何となく自分が死んだ後の一大事という意味だと理解してしまいそうになります。では、蓮如上人は「この世では幸せになれなくても、せめて死んだ次の世では幸せになってほしい」ということを語っておられるのかというと、どうもそうではないようです。なぜなら、「領解文」の中に「今度の一大事の後生」という表現があるのですが、「今度の」とあることからも知られるように、今、生きているこの人生の「一大事」であるところの「後生」という意味になっているからです。
 この「一大事」ということは、そのこと一つがはっきりしなければ、結局は他のことがどうあったとしても空しいということです。逆に、このこと一つがはっきりすれば、たとえ他のことが十分ではなかったとしても、人間として確かな歩みを続けていくことができるということを「一大事」という言葉によって明らかにしようとしておられように思われます。もっと、つき詰めて言うならば、生きていることの感動や喜びを、その一点において感じることができるものが、「一大事」ということだといえます。
 ところで、親鸞聖人は「出世の一大事」ということを述べておられます。「出世の一大事」というのは、自分がこの世に生まれてきた、その感動をどこで見出すのかということです。私たちは、生きていく上で、生きていくことの意味や生き甲斐を求めたりしますが、それに近い感覚を物語る言葉が、まさに「出世の一大事」という言葉だという感じがします。けれども、「後生の一大事」と言われると、何となく生きている今の自分の問題にはならないような感じがしたりします。
 では、なぜ蓮如上人は、あえて「後生の一大事」という言い方をされたのでしょうか。それは、おそらく私たちの「いのち」には、誰もが「老いて死んでいく」という、決して逃れることのできない「老死」の問題が根底にあるからだと思われます。多くの人が自分の人生に希望を持ったり、「生き甲斐が欲しい」という思いで生きたりしているその先には、そのすべてを飲み込んでしまう「老死」の事実が立ち塞がっています。それは、私たちがこの人生のすべてをかけて、どれほど多くのことを築き上げたとしても、やがてその全てを残して迎えなければならい死の瞬間がやってくるということです。
 考えてみますと、死によって全てが消えてしまうような一大事であれば、結局は虚しさだけが後に残ることになってしまいます。私たちが「生きる」ということは、やがて「老いて死んでいく」という事実を含んでいます。そうしますと、その事実をどう受け止めていくことができるかということが、生きている今はっきりしなければ、どれほど「生きる喜び」とか、「生き甲斐」ということを口にしていても、最後にはそれを投げ出さなければならなくなってしまいます。蓮如上人は、そのことを「後生の一大事」と言われたのだと思います。ともすれば、私たちは死から目を逸らし、死を忌み嫌い、ひたすら生に執着しています。しかも、日常的には、確かな根拠もなく、漠然と自分だけはまだ当分死なないつもりで生きていたりします。
 このように、やがて老いて死んでいく私が、誰もが必ず迎える老死の事実から目を逸らしたり、そのことから逃げて生き甲斐というものを握りしめようとしたりしていることを批判して、蓮如上人は「後生の一大事」と言われたのだと思われす。それはまた、生まれて、やがて老死するこの「いのち」の事実から目を背けることなく、きちんと向き合う中で、果たして生きていることの喜びをどこで見出せるのかということを、「後生の一大事」という言葉で言い当てようとなさったのだとも感じられます。
 江戸時代に『東海道中膝栗毛』を著わした十返舎一九は、亡くなる直前に弟子たちから「先生が亡くなられた後に、自分たちがそれを拠り所として生きていけるような言葉を書き残してください」と言われ
 今までは 人のことかと思いしに 俺が死ぬとは これはたまらん
と書いたそうです。私たちは誰もが、いつか人は死ぬということを知ってはいるが、今までそれは他人事のように思っていた。まさか、この私が死ぬということは思いもしなかった。けれども、その事実に自身が直面したとき、出てきた言葉が「これはたまらん」というわけです、
 一般に、私たちは老とか死ということは、「いのち・生」を打ち消し、否定するものだと捉えているのですが、実はこの「老死」の問題が、私がこうして「生きている」という事実を深く受け止め考えさせる大きなご縁になるのだということに気付かされます。このような意味で、「後生の一大事」という言葉は、私にとって「あなたは、いつか死んでしまうし、それはいつのことか分からないが、果たして今のままで死ねますか」という問いかけの言葉だと味わうことができます。つまり「後生の一大事」を問うということは、決して自分が死んでから後のことを問うということではなく、いつ終わるか分からないこのいちのを、今どのように生きていくのかということと向き合うということなのです。
 私たちは、いくつ年を重ねても、なかなか生き方が定まらす、迷ったり悩んだり不安を感じたりします。それは、私たち人間は何か確かなものを求めずにはおれない、あるいは願わずにおれないといういのちの営みが、自分の意識しない心の奥深いところに備わっているからです。仏教は、決してお釈迦さまが頭で考えられた思想ではありません。「老・病・死」の苦悩を通して、確かな拠り所というものを求めて行かれた、その歩みが仏道となって今日まで伝えられているのです。つまり、仏教とは、お釈迦さまの悟りから始まったものではなく、「老・病・死」という人間の苦悩から始まった教えなのです。そのため、人間の苦悩を離れては、仏の悟りも教えも意味を持たなくなってしまいます。
 このような意味で、私たちが「後生の一大事」を尋ねるということは、「老・病・死」という事実を確かに受け止め、しかもその事実を歩み切っていける、そういう道を尋ねるということであり、そのことを浄土真宗では「聴聞 ひたすら道を聞き開く」と言い表してきたのだと言えます。
 12月:今年も 泣いた 笑った 生きてきた
 「悲喜こもごも』という言葉があります。これは、一人の人の中で、喜びと悲しみが一度にあるいは交互に訪れたことを言い表す言葉です。時折、「受験した人たちの中には、受かって喜ぶ人がいる一方、落ちて悲しむ人がいた」とか、「選挙に当選して喜ぶ人たちもいれば、落選して悲しむ人々もいた」というように、複数の人たちの心情や状況を表すときに使われているのを目にすることがありますが、これは明らかな誤用です。このような場合には、「明暗を分けた」といった言い方をします。
 この
「悲喜こもごも」という言葉は、「悲しみと喜びの感情が交互にやってくること」を表す四字熟語で、漢字では「悲喜交交」と書きますが、「交交」は「こもごも」とひらがなで表すのが一般的です。「悲喜こもごも」と似た言葉に「悲喜交集(ひきこうしゅう)」があります。「悲喜交集」は「悲喜こもごも」の中国語で、「悲喜(悲しみと喜び)」が「交集(入り交じる)」という意味があり、見た目が似ていますが、日本語の文章では「悲喜こもごも」が使われます。
 さて、「今年も 泣いた 笑った」ということですが、一年を振り返ると、いろんなことがあったのではないでしょうか。「泣く」というと、悲しいことがあったと思ってしまいのすが、「うれし涙」という言葉もあるように、私たちは心から嬉しいことがあって感激したときにも泣くことがあります。また、「笑う」というと、喜ばしいことがあったことが思われますが、返答に困って笑うしかない状況に陥ったとき仕方なく笑ってしまう「苦笑」思わず笑い出してしまうことやおかしさのあまりふき出す「失笑」、他を見下しあざ笑う「冷笑」、ほほ笑むことを表す「微笑」、大人数でどっと笑うことのみを意味する表現ったもの現代では一人で笑う場合にも用いられるようになった「爆笑」、これらの他にもいろんな「笑」があります。
 振り返れば、いろんな「泣き笑い」がこもごもにあって、いまこうして一年の終わりを迎えようしています。その「いろいろなことがあったけど、何とかこうして生きてきた」という実感を端的に物語るのが、まさに「生きてきた」という言葉です。私たちの人生は、思い通りにならないことに満ちあふれていて、嬉しいことがあったかと思えば、予期しないかたちで辛いことや悲しいことがふりかかってきたりすることがあります。時には、自分のことでなく、家族や大切な人たちのことで心を煩ったりすることもあったりします。そのため、人によっては自分の力ではどうにも解決できない問題に直面したとき、生きる勇気をなくしたり、心が折れてしまい「こんな人生なら、いっそ死んで楽になりたい」と考えたりする人もいたかもしれません。でも、こもごもに訪れるさまざまなことを乗り越えて、お互いここまで「生きてきた」のです。本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

 という「和讃」があります。これは「阿弥陀さまのお救いのはたらきのなかで生きている人で、この世を空しく過ごす人はいません。それは阿弥陀さまの功徳がその人に海のように満ち溢れるようになるからです。汚れた水のような煩悩も、そのはたらきを遮ることはないのです」という意味です。
 「本願力に遇えば人生を空しく過ごす人はいない」というのは、いったいどのようなことなのでしょうか。親鸞聖人の書かれたものの中に、しばしば「空過」という言葉が出てきます。これは、人生における事実のすべてが空しいものに終わってしまうということで、人間にとっての一番の不幸だといえます。親鸞聖人は、たとえ苦しくても悲しくても、その苦しみや悲しみが本当の意味で空しいものとはならない、悲しみの中に人生の意味が見いだされ、苦しみの中にも無駄ではなかったといえるものが感じられない限り、人間の一生というものは生きたといっても「生きてきた」とは言えないのではないかと、お考えだったのではないかと思われます。そして、そのことを求めていかれる中で、「本願力に遇う」ことによって、空しく過ぎることのない人生の在り方を見出していかれたのだと言えます。
 この「本願力」は、人生においては「復元力」と言う言葉で味わうことができます。「復元力」というのは、船を造る時に一番大切なことだそうです。海はいつも凪のときばかりではありません。風が吹いたり波が打ち寄せたりすると、船は右に左に揺られます。このとき、船に元の状態に戻す力、つまり復元力がなければいっぺんに沈んでしまいます。けれども、復元力が具わっていれば、風に煽られても波に揺られても元の状態に戻ることができます。
  私たちの人生も、いつも順風満帆の日々が続くわけではありません。求めてもいないのに、辛いことや悲しいことがふりかかってきます。そんな時に、日頃から本願念仏の教えに出遇っていれば、何度つまづいても転んでも、その度に本願力が私の心にはたらき、生きる勇気を与えてくださいます。だからこそ、どのような一生であっても、決してむなしく終わることのない人生を歩むことができるのです。
  「今年も 泣いた 笑った 生きてきた」と実感することができるのも、悲喜こもごもにおとずれる、その一切を私のことと受け止めて、しっかりと乗り越えてきたからではないでしょうか。これからの日々も、お念仏の教えに耳を傾けながら、決して空しく終わることなく、確かに「生きた」という実感の中で振り返れるものにしたいことです。



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