法 話

-心のともしび(2009年)-


1月:
今を、一日を、一生を大切に生きる

 今日の医学では、遺伝子ということが もっとも脚光を浴び、華やかな研究分野になっているのだそうです。そしてその中には、人間のいのちの営みがすべてこの遺伝子によるとしたらなら、人間がみな老いて死んで行くということが起るのは、人間に老いて行くことをもたらす遺伝子、あるいは死んで行くことをもたらす遺伝子が組み込まれているからに違いない。

だとすると、そのいのちを老いさせて行く遺伝子や死に至らしめる遺伝子を取り除いたら、もしかすると「人間は年をとったり、死ななくて済むようになるのではないか」ということを真剣に考えて、一生懸命に研究している人たちがいるのだそうです。

 もしその研究が実を結ぶことになったら、私たち人間はいつまでも若く、死ななくても良いことになります。けれども、私たちは何百年何千年経っても「死なない」となったら、いったい人生はどうなるのでしょうか。今日の社会では、人間の平均寿命が十年、二十年延びたというだけで、どう生きるかということが大きな問題になっていますが、それがまったく死なない、あるいは「死ねない」となったら…。

 思うに、もしそうなったとしたら、先ず「今日一日」というものが、私の人生にとって何の意味も持たなくなってしまいます。なぜなら、今日一日がどうあろうと、私たちは永遠に生きて行くのですから。しかも、その何の意味もない毎日を、永久に続けていかなければならないとしたら…、おそらくそこには生きているということに何の感動も感激も持ち得なくなってしまうのではないでしょうか。

 ただし、この研究が実を結ぶとしても、それはまだ遠い将来のことです。少なくとも、私たちは今、それぞれ老いて、やがて死んで行くという事実を「いのち」の事実、また人生究極の問題として、個々に抱えて生きていかなくてはなりません。ところが、私たちは「死」から目をそらし、死を忌み嫌って、ひたすら「生」に執着する在り方に終始しています。日常的には、ただ何となく、「まだまだ自分だけは死なない」つもりで生きているかのようです。
 
 そのうち、お金がたまったら
 そのうち、家でも建てたら
 そのうち、子どもから手が離れたら
 そのうち、仕事が落ち着いたら
 そのうち、時間のゆとりができたら
 そのうち、そのうち、そのうち、……
 出来ない理由を繰り返しているうちに、
 結局、何もしなかった

 むなしい人生の幕が降りて

 頭の上に寂しい墓標がたつ
 そのうち、そのうち、日は暮れる
 今来たこの道、帰れない

 振り返ってみると、いつも忙しさを理由に「そのうち…」と口にすることがありますが、これは「いのち」がいつまでも続くものと錯覚しているからではないでしょうか。「限りあるいのち」を生きていることに目覚め、今を、一日を、そしてかけがえのない一生を大切に生きたいものです。
 


2月:
仏の言葉は 時代をこえて ひびく

 仏弟子あるいは仏教徒とは、どのような人のことを言うのかと考えてみますと、それはおそらく「仏の言葉にしたがって生活していくもの」という言い方が出来るようです。

私たちは、日々それぞれに生活していく中で、誰もがいろいろな問題にぶつかり、どうして生きていけばよいのか戸惑い悩むことがあります。そういう時に、常に仏の言葉に耳を傾け、仏の言葉によって自分の道を選んでいく、つまり自分の生きる依りどころとして、仏の言葉を持っている人を仏弟子、あるいは仏教徒というのです。

  ただし、「仏の言葉」といいましても、今日「仏の言葉」といわれるものは「八万四千の法門あり」と言われますように、限りなく多くの経典が伝えられています。そうしますと、仏の言葉にしたがって生きるということは、たくさんの経典の言葉を全部学んでいなければ仏教徒とは言えないのか、あるいはまた逆に、そういうたくさんの言葉さえ知っていれば仏教徒と言えるのか、というような両方の疑問がわきあがってきます。

 もし、八万四千の法門の言葉の全てを身につけていなければ仏教徒とはいえないということであれば、おそらく仏教徒といえる人は誰もいなくなるかもしれません。その反対に、非常に才能のある人がいて、そのほとんどの言葉を身につけることが出来たとしても、ただそれだけをもって仏教徒であるとはまた言い得ないと思われます。

 お釈迦さまがこの世に出られ、真実の法に目覚め、その法を説きひろめられてから、約二千四百年余りの歳月が過ぎました。その間、数え尽くすことのできないほど、多くの仏弟子方が生まれられました。そして、それぞれの時代・社会に、仏法を明らかにし、伝えてゆかれました。

 お釈迦さまは、仏陀として人々に教えを伝えていかれるようになられてからも、常に「問うこころ」を、問い続ける心を尊び、大事にされました。言い換えれば、迷ったり、悩んだりする心を受け止め、そういう人々の迷いや悩みにどこまでも寄り添っていかれたのです。そして、その人自身が真実に目覚め、真実に出遇っていくことを願われたのです。

 いつの時代でも、人が人間として生ききり、死にきっていける智慧と情熱を求めようとする時、仏の言葉はその問いを受け止め、その問いに寄り添い、確かな方向性を明らかにしてきました。それが、真実を語る言葉であるが故に、これまでも、そしてこれからも仏の言葉は人々に生きる勇気を与え続けることと思われます。
  


3月:
無明 すべて分かったつもりの心

 私たちの眼を「借光眼(しゃっこうがん)」といいます。それは、私たちの眼は自分の力によってものを見ているのではなく、光の力を借りてものを見ているのだという意味です。現に、日常の生活では、太陽の光や電気の光の力を借りて周囲のものを見ています。けれども、ひと度それらの光が取りさられると、私たちは自分自身の眼でものを見ることは出来ません。そのような状態の中で出来ることと言えば、手さぐりで行動することだけです。このように、光がない時の私たちの生き方は、手さぐりをしながら生きる他はありません。

  今ここでいう「手さぐりの生活」とは、自分の判断や体験だけを頼りにして生きて行くという在り方のことです。実は、このように自分の判断や体験だけを唯一の頼りとして生きて行くということになると、私たちはどうしても物の見方が一面的になってしまいます。

それは、自分の体験だけにとらわれてしまい、なかなかものごとの本質を見抜けなくなるということです。そして、やがてその体験だけを後生大事に抱えこみ、しかもそれを常に絶対的な尺度にして、人生を解釈してしまうことに陥ってしまいます。

  仏法の智慧というものが光で表される第一の意味は、このように私たち一人ひとりに抜きがたくある、自分の体験への執着そのものを破るはたらきがあるからです。それはどのようなことかと言うと、まず仏法の智慧というのは、あれも知っている、これも知っているということではなく、まわりがはっきり見えるということです。そしてそのことは同時に、手さぐりをしている自分自身がはっきりと見えてくるということです。

  ここで「見えてくる」という言い方をしますと、ただ何となくまわりを眺めているだけのようですが、そうではありません。ものごとが「本当に見えた」という時には、その事実にしたがって生かされて行くことになります。それが、たとえ今までの自分の体験によって培ってきたものの考え方を、その根底から否定し、ひっくり返すようなものであったとしても、それが事実である限り、事実を事実として受け止め、生きてゆく勇気と情熱としてはたらくのです。

  ところが、智慧の光を持たない手さぐりの生活においては、どこまでもただ自分の体験だけが拠り所になっているため、あたかも自分自身を拠り所にして生きているような錯覚に陥ってしまいます。まさに世の中の「すべてわかったつもり」になっているのだといえます。ところが、実はその時に、自分の姿は自身には少しも見えていないのです。

  自分自身というものは、他の人と出会ってゆく中で次第にあらわになり、見えて来るものです。つまり、私たちは他の人の生き方にふれたとき、初めて「ああ、自分もこうだったのか」ということがわかってくるものなのです。けれども、自分の体験したことしか見えていない人には、自分の本当の生き方というものが見えないままで、すべてをわかったつもりになり「知らないことを、知らないままに生きる」ことになってしまいます。

 仏教で説かれる「如実知見」とは、実のごとく見て知ることの大切さを明らかにした言葉ですが、すべて分かったつもりの心で真実を自ら求めることのなかなか出来ない私たちであればこそ、まずはその無明を破る仏の智慧に、そしてその語りかけに耳を傾けたいものです。


4月:いい人 悪い人 みなわたしの都合

「あの人はどんな人ですか?」と尋ねられとき、私たちはその人のことについて客観的な評価をくだしているつもりなのですが、けれどもそこには無意識にその人に対する好悪の見方が表れてくるものです。

 たとえば、「酒は飲むけど、仕事はよく出来る人ですよ」と聞くと、お酒のお付き合いも上手に出来て、しかも仕事がよく出来る人だという好印象を持たれることと思います。その一方、「仕事は出来るけど、酒飲みだ」と聞くといかがでしょうか。何となく、お酒ばかり飲んでいて、仕事は出来るかもしれないけれど…、でもそれも疑わしいといった、あまりよくない印象を持たれることと思われます。

 いずれも、述べている事実は同じことなのですが、その人に抱いている感情で言い表した方も変わってくるものです。つまり、いい人、悪い人といっても、必ずその前には「私にとって」という言葉を省略しながら語っている訳で、本当にその人のことを正しく語っているとはいい得ません。

「一国の英雄は、別の国にとっては極悪人」ということもあります。例えば、日本の歴史において、豊臣秀吉という人は、立身出世を遂げたいわゆるスーパーヒーローといった存在です。織田信長の家来として仕え、やがて全国を統一して関白にまで登りつめたということで、歴史小説、テレビドラマ、映画、歴史ゲ-ムなど多くの分野で取り上げられ、「太閤さん」という言葉でも親しまれています。

ところが、隣の韓国では二回にわたって侵略して来た極悪人という評価を下されています。確かに、朝鮮半島での行為を客観的にみると、それを発令した秀吉は侵略者で悪魔といわれても仕方がありません。もちろんこれは、豊臣秀吉だけではなく、世界の歴史をひもとけば、「英雄=征服者」といった図式が成り立ちますから、歴史上のヒーロ−も国によって相反する評価を下されていることと思われます。

このように、私たちは周囲の人々をいつも自分の都合だけで評価してしまいます。また、「好きなものをくれた人は、しばらくは好きです」という言葉もありますが、その人が自分に何らかの利益をもたらしてくれると好意を持ったり、その反対に自分の意のままにならないと憎んだりしてしまいがちな私たちです。

そして、そのような態度が、そのまま宗教との関わり方においても、自分にとって都合の良いことをかなえてくれる神仏を求める…、といった在り方に陥ってはいないか、考えていただきたいものです。


5月:迷うことも
悩むことも 生きている証

 お釈迦さまの多くのお弟子方の中で、特に優れたお弟子として知られているのが舎利弗(しゃりほつ)と言われる方です。よくご法事で読まれる『阿弥陀経』では、この舎利弗にお釈迦さまが繰り返し「舎利弗よ、舎利弗よ」と語りかけながら法を説いておられます。

  この舎利弗がお釈迦さまの弟子になった時の模様について、大変興味深いことが伝えられています。舎利弗は始め親友の目蓮と共にサンジャヤという人に学んでいたのですが、すぐにその説くところを理解し尽くしてしまいました。やがて、お釈迦さまのお弟子と出会い、その教えの素晴しさにふれて、目蓮とサンジャヤの他の弟子二百五十人と共に弟子入りをしました。

  初めて説法を聞いたとき、二人のあとからついて来た二百五十人の弟子たちは、お釈迦さまの説法に聞きほれて、ただちに聖者の最高の境地である阿羅漢(あらかん)の位にまで到達しました。聖者の境地、さとりには四つの段階が説かれています。第一は予流果(よるか)で、はじめてさとりに向かう流れに乗り、聖者の位に加わった位です。次は、一生、迷いの生涯を送れば聖者になれる一来果。その次は、もう二度と迷いの生死に還ることなくさとれる不還果(ふげんか)。そして最後は、苦悩からの完全な解脱を成就した聖者の最高位、阿羅漢果です。

  ところが、肝心の舎利弗は最低の予流果の境地にとどまって、すぐには阿羅漢に至ることができなかったのです。舎利弗が、他の弟子たちと同じように阿羅漢果に達することが出来たのは、僧団に入って実に十四日目であったと伝えられています。

  舎利弗は、後に智慧第一の人と尊ばれた方ですが、その舎利弗が阿羅漢の位に達するのが一番遅かったというのは、まことに興味深いことです。ところで、なぜそのように時間がかかったのでしょうか。それは、おそらく舎利弗がいろいろな疑問を持ったからだと思われます。他のお弟子方には少しも疑問にならないことにも、ひとつひとつぶつかり、思いまどい、問い詰めてゆかれたのです。真理は、それを問う、問いの深さに応じてあらわになってくると言われます。

  聞いてすぐに納得する素直さも、それはそれで尊いことですが、そういう人たちばかりの時には、仏法は聞いてすぐに分かる人たちだけにしか伝わらなくなってしまいます。けれども、なかなか納得せず、どこまでも問い続け、ひたすら考え、そのようにして初めてうなずけた人は、それだけに頷けた教えをどんな人にも伝えることのできる言葉を身につけることができます。

  現代は、いかに早く答えを出すかということで学力を評価しています。いつまでもぐずぐず問い続け、考えるような者は、頭の悪いヤツとして切り捨てさえします。その結果、人間はいよいよ考える力を失ってロボット化していくことに陥って行くようです。しかし、問いが人間を育て、道をひろく明らかにしていくのです。

  一般に、人は楽しみの中では我を忘れ、その境遇に耽溺して、人生を問い返すことなどしないものです。一方、苦しんだり悩んだりすることにおいて、なぜこんな苦しみを受けなればならないのか、こんな苦しい生活に何の意味があるのかともがきます。けれども、それがより深い人生を求めさせる糸口となってゆくのです。まさに、迷うから、悩むからこそ、私たちの人生は深まっていくのです。そのことの大切さを、舎利弗のエピソードが証してくれているように窺えます。


6月:泥沼の どろに染まらぬ 蓮の花

 経典で「蓮華」という場合、ふつうは白蓮をさし最上の花とします。それは、白蓮が泥の中に生えて清らかな花を咲かせることから、迷いに汚れたこの世にあって清浄なはたらきをする仏法、また煩悩にまみれていてもそこから清らかなさとりが生まれることにたとえられるからです。

  ところで、犬や猫あるいはその他の動物は、例えば犬として生まれるとその瞬間から犬として生始め、やがてその生涯を終えます。また、猫として生まれると、同様に猫は決して犬や猿になることはなく、猫としてその生涯を終えていきます。

  ところが、私たち人間は「人」として生まれてはきますが、かつてインドの山奥で狼に育てられた子どもが発見され、何とか人間とし育てようとしたものの、結局外見は「人」であってもその内実は狼のまま生涯を終えたという話が伝えられています。つまり、私たちは「人」として生まれても周囲の環境によって、どのようにでもなってしまう可能性を秘めていると言える訳です。

  さて、仏教では仏さまの清らかな覚りの世界である「浄土」に対して、私たちの迷いに満ちた世界を「穢土」という言葉で言い表しています。貪り、怒り、愚痴、妬みなど、溢れんばかりの迷いをことごとく備え、それらに惑いながら生きているにもかかわらず、なかなかそのことに自ら気付き得ないでいるのが私たちの身の事実です。

  それは、あたかも夏のスペシャリストとでもいうべきセミに、もし会話が成り立つとして「いま季節はいつか知ってますか?」と尋ねたら、きっと「???」と沈黙するかもしれないのと同じです。なぜ、私たちは今が「夏」だと言いうるかと言うと、「春・夏・秋・冬の全ての季節を知っているから」です。ところが、夏しか知らないセミは、おそらく夏を夏だと知り得ないままにその生涯を終えていくことと思われます。

  このように、迷いのただ中にしかない私たちは、なかなかに自らが煩悩に迷っていると知ることはできません。親鸞聖人は『正信偈』の中で「惑染凡夫」と述べておられますが、時々惑うのではなく「惑いに染まっている」といわれるのです。まさに、泥沼のなかにあって、そのどろに染まり、もがいている状態にあるのが私たちの姿だといえます。

  一方、仏さまのみ教えは、蓮が泥の中から美しい花を咲かせるように、迷いに満ちた私の心にみ教えの光を灯し、かならず美しい覚りの花を開かせて下さいます。

  「人」として生まれはては来たものの、周囲の環境によって、どのような色にでも染まってしまう私たちであればこそ、そのことを自覚して、私を照らしあるべき姿を教えて下さる、尊い仏さまの教えに耳を傾ける生き方をしたいものです。


7月:やさしさとは 他人の痛みを 思いやる感性

  私たちは生きて行く中で、しばしば相手を思いやる心を持つことが大切だと言われます。気がつけばつい、自分中心の考え方に固執してしまうことの多い私たちだけに、他を思いやることは、生きて行く中で見失うことがあってはならない感性だといえます。

ただしこの場合、「相手を思いやる」といっても、それは自分の思いで相手を思いやるのではないことに留意する必要があります。なぜなら、自分の思いで相手を思いやるという時には、自分は思いやっているつもりでいても、相手にとってされは煩わしいだけということもあったりするからです。俗にいう「小さな親切、大きなお世話」という言葉がこのことを指しているといえます。

したがって、自分なりに何か相手のことを考えて「こうすると一番喜ぶはずだ」というあり方だけでは、時として身勝手な押しつけになってしまうことさえあったりするのです。言い換えると、自分にとって嬉しかったり、正しいと思えることが、必ずしも世の中の全ての人に通じるとは限らないということです。

親鸞聖人は、念仏者として生きていることのしるしを「ねんごろのこころ」を持つということの上にご覧になっておられます。この「ねんごろ」という言葉は、最近ではあまり聞かれなくなっていますが、例えば「あの人はねんごろな人だ」というような言い方をします。この「ねんごろ」という言葉は、『古語大辞典』には「根も絡みつくほどに」とあり、相手の人とそれこそいのちを一つにする。木がお互いに絡みつけ合っていると、その根を引き離すことが出来ない、別々にならない。そういう一つになって生きるという意味だと解いてあります。そうしますと「ねんごろのこころ」というのは、相手の人と根を一つにするという心を表しているように窺えます。

また『広辞苑』には「心遣いのこまやかなさま」「まごころでするさま」「互いに親しみ合うさま」といったことが述べてあります。これらの解説から知られるのは、「ねんごろ」という言葉は、相手の気持ち、さらに言えば相手の存在を思いやる心を意味しているということです。しかもそれは、ただ単に相手を思いやるということではなくて、相手を思いやる心をもって相手に聞くということ、相手の心に尋ねるということがその根底にあるように思われます。つまり、精一杯のことをしながら、そこで自己満足してしまうのではなく、誠意をもってかかわりながらそこにはなお相手の気持ちを思い計るということが、この言葉の感情として伝わってくる気がします。

このような意味で、親鸞聖人が「ねんごろに…」と言われる時には、いま出会っているその人を、自分の固定観念や先入観で決めてしまうのではなく、一人ひとりと真向かいになり、深く見つめ、一人ひとりの心を静かに聞きなさいと言われてあるように窺えます。けれども、私たちはともすればそういうことを全く離れて、何か全部を決めつけてレッテルを貼り、それでわかったつもりになっていることがしばしばあります。親鸞聖人が念仏者のしるしとして「ねんごろのこころ」とおっしゃってあることの意味を、現代に生きる私たちの言葉で受け止めようとするなら、それは「他人の痛みを思いやる感性を持つ」ということがその第一歩であるように思われます。


8月:
おかげさまが 見える眼に

   私たちが日頃口にしている「おかげさま」という言葉は、漢字では「お蔭(陰)さま」と書きます。これは、ある結果を目にしたときに、そのことが成り立っている目には見えない陰の部分のはたらきを意味する言葉です。これと、同じような意味を表す言葉に「ご恩」という言葉もあります。これは漢字の成り立ちから「(原)因を知る心」であるということが窺えます。つまり、結果を見てその原因に思いを寄せる心のありようを物語る言葉だといえます。

  美しく咲いている花を目にした時、私たちはその美しさに心を癒されたり、和まされたりします。けれども花はあくまでも結果であり、そこには必ず原因である種があったことは言うまでもありません。そして、忘れてはならないことは、その原因である種から結果としての花にいたるまでは、土とか水、あるいは太陽の光といった諸々の自然の恵み、また何よりも心をこめてお育て下さった方のご苦労があったからこそ、結果として美しい花が咲いたということです。

  このように、ある一つの結果にふれたときに、その原因までたどって感謝する心の在り方を「ご恩」というのですが、同じように自らが身に受けた事柄を支える、目には見え難い陰の部分のはたらきを「お蔭さま」という言葉で味わうことができます。

  では、この目には見えない「お蔭さま」を私たちはどのようにして見ることができるようになるのでしょうか。例えば、この地球という星は一日一回転(自転)し、一年かけて太陽の周りを回っている(公転)と聞かされています。けれどもそのことを自らの力で知り得るかというと、なかなか難しいのではないでしょうか。長い間その事実が明らかになるまで、そしてなってからも依然として人々は、「星々の方が回っている」と信じていました。もちろん、そのことを教えられなければ、現代の私たちも自らの力でそのことを自覚できる人はあまり多くはないと思われます。しかしながら、ほとんどの人が地球が自転していることは「教えられる」ことによって知っています。

  したがって、教えられることなく自覚することは難しいのですが、教えられること、聞かされることによって、目には見えない事実を知ることはできます。このように、仏さまのみ教えを繰り返し、繰り返し聞くことによって、たとえ肉眼で見ることはできなくても、私たちは確かにあるはたらきを心の眼で味わうことができるようになるのではないでしょうか。

  一般に、私たちはお盆の時期には先祖の方々、あるいは先に往かれたご家族・ご親族の方々にことのほか心を寄せることを常としていますが、では残りの日々はいかがでしょうか。熱心に思えば思うほどに、残りの日々はいろいろなことに追われ、自分のことに精一杯で生きている自分の姿が知らされます。そんな私のことを、拝まない時にも拝んでいて下さり、いつも案じ、念じていて下さることの有り難さが偲ばれることです。

  思うに、「おかげさまが見える眼」をいただくところに、生かされ生きていることをよろこぶ心も自然とわいてくるのではないでしょうか。


9月:
怖いのは 自分を省みる こころを失うこと

 私たちは、自分のことは誰よりも一番自身がよく知っていると思っています。しかも、自分の中に正しい私がいて、その正しい私が物事を見て、考えて判断を下しているので、私の言動は常に正しいことに包まれているかのように思っています。

 そのため、周囲の人が自分のことを認めてくれなかったり、あるいは社会的にも評価をされなかったりすると、周囲の人々をあるいは世間を恨んだりしてしまうことさえあります。

 けれども、私たちはいったいどれほど自分のことを客観的に見ることが出来ているでしょうか。既に「分かっている」という思いからは、決して「問いの心」は生まれてはきません。それだけに、私たちはともすれば自分だけの思いに閉じこもってしまい、自らを省みることがなかなか出来ないでいるのです。

 しかも、周囲の人々もなかなか本当のことを口にしてはくれません。それは自分でも他人に対してあまり本当のことを言わないのと同じことです。なぜなら、私たちは誰にでも欠点があり、決して立派ではなかったりするからで、このような意味で「いつも本当のことを口にしている」という人はおそらく友だちが少ないのではないでしょか。

 仏さまの教えとは「この私を明らかにするために説かれ教えだ」ということが出来ます。そうしますと、そこで明らかになる私の姿は、愚かで自己中心的で、迷いに満ち満ちたなんとも情けないありさまです。

 したがって、自ら進んで仏さまの教えに耳を傾けるということは、なかなか容易なことではありません。他人の悪口は嘘でも面白いものですが、たとえ本当のことではあっても自分について耳の痛いことを聞くのはなるべく避けたいものだからです。

 しかしながら、そのことを避けようとするばかりでは、いつの間にか自分の姿を見失ってしまうことになりかねません。自分を省みるこころを失ってしまうとき、私たちは自分のあるべき姿そのものを見失ってしまうことになるからです。

 自分のあるべき姿を見失わないためにも、努めて仏法の語りかけに耳を傾けたいものです。


10月:精進
  くらべず なまけず コツコツと

一般に「精進」というと「精進料理」のことを思い浮かべますが、この言葉はお釈迦さまが初めて行った説法とされている「八正道」という教えの中で用いられた言葉で、「正精進」という言葉で説かれています。

この「八正道」とは、私たちが歩むべき八つの道を示されもので「正精進」の「正」とは「正しい」、「精進」とは「努力」を意味しますから、「正精進」とは「正しい努力」と解釈することができます。
 では、この「正しい努力」とは具体的にどのような努力なのでしょうか。「八正道」で説かれている「正」とは、結果や損得を優先してしまうような私たちの身勝手な判断基準による正しさではなく、お釈迦さまの教えをよりどころとした偏りのない正しさのことをいいます。

したがって、「正精進」とは、結果や損得に振り回される必要のない自分を、その教えを通して見つけ出していく歩みのことだと理解することが出来ます。

ところで、私たちは自分が何か善いことをしたと思った時には、やはり他人からそれを認めてほしいとか、褒めてもらいたいというような気持ちがおこります。そのため、そのことを無意識の内に他人に押しつけたり、主張したりしてしまうことがあります。そのため、自分の努力や成果が期待通りに他人に認められなかったりすると、そのことでいろいろな心の迷いをおこしたり、時には他人を傷つけたりすることさえあったりします。

 このように、どこまでも自分にとらわれる心を仏教では「我執(がしゅう)」と言います。そこで、この我執をいかにして超えて行くかということが、また仏教の中心的な歩みともなる訳です。

  確かに、自らの目標に向かって地道な努力を続けることはとても大切なことです。ところが、私たちはその努力が報われないと、やはり空しい気持ちに心が覆われてしまい、気分が滅入ってしまったりします。それは、他人との比較の中でその成果を確かめようとするからではないでしょうか。

  精進という言葉が私たちに語りかけているのは、結果によってその努力の成否が定まるのではなく、正しいことに向かって歩み続けることの大切さなのではないでしょうか。まさに、くらべず、なまけず、コツコツと積み重ねていくことこそ、とても尊いことなのだと思います。


11月:周りの人に
許されて生きる私

  無意識の内になのですが、私たちは常に「裁きの心」をもって周囲の人とふれあい、同時に他の人を「裁きの眼」を持って切り刻んでいるといわれます。では、それはいったいどのようなことなのでしょうか。

相手を自分の思いで切り刻みながら出会うというのは、決してその人の心をあるがままにとらえようとするのではなく、自分の一方的な思いで見ようとしたり、自分の都合に合わせて評価しようとしたりすることです。

確かに、振り返ってみますと、私たちはしばしば周囲の人と「出会っている」とか「つき合っている」とかいうことを口にしますが、実はいつもその出会いや付き合いの根底には、裁きの心が潜んでいるように思われます。具体的には、その人の性格や能力であったり、あるいは経済的な面であったり、社会的地位であったり、また自分にとって都合の良し悪しでその人のことを評価してしまうといった在り方のことです。

 したがって、私たちの一生というものは、常に自分の思いを通して他の人と出会うばかりで、また事実をみる見方においても、いつも自分の思いを中心において見ようとすることにとらわれています。つまり自分の思いだけで周囲の人と出会い、自分中心に世の中をとらえることに終始しているのです。

 けれども、自分の家族とかより近い人のことだけは誰よりもよく分かっているような気がするのですが、経典には「近いからといって、必ずしもよく見える訳ではない」ということが説かれています。一般には、遠くにあるものよりも近くにあるものはよく見えるものですが、ただし近すぎると今度はピントが合わなくてかえってよく見えません。

私たちは、父母、兄弟、姉妹に囲まれて生きていると言いますが、しかし本当は一度も父母、兄弟、姉妹というものと出会ってはいないのです。なぜなら、いつも自分の思いでしか父母、兄弟、姉妹に出会っていませんし、まさしく自分の思いを持って父母、兄弟、姉妹を切り刻んでいるばかりだからです。

例えば、私たちはよその家庭の良いさまを目にすると、親なら親に対して、妻やあるいは兄弟姉妹、子どもに対しても「こうでなくてはならない」という自分勝手な枠をはめながら見ています。しかも家族が自分の意に添わないと、おそらく他人であれば絶交、あるいは修復不能というような内容の言葉を平気で投げつけてしまうことがあります。まさに、お互いに自分の思いをぶつけ合いながら生きているのです。

ところが、そういう自分の在り方が分かるのは、多くの場合その人に死なれた時です。その人に死なれてみて、自分の身勝手な思いが砕け散り、初めてその人のことを枠にはめて見ようとしていたことに気付かされるのです。それは、いかに自分がその人に本当に出会ってはいなかったかということの証に他なりません。

このように、私たちはいつもその人の気持ちよりも、自分の思いをもってその人を測ろうとしています。「親ならばこうしてくれて当たり前ではないか」という思いが先に立って親に会う。けれども、そこには不平不満というような思いしか出てこないのが私たちの常です。

ですから、私たちの裁きの心が捨てられたとき、はじめて父母を父母として出会う、兄弟を兄弟として出会うということがあるのです。したがって、私の身勝手な思いというものが捨てられなければ、いつも会い詰めに会いながら一度も会わない、毎日その人と顔をつき合わせながら、結局その人と一度も出会わなかったということになってしまうのです。

そういう意味において、私たちが他人と出会う在り方の、いつもその根底に貫かれているのは、自分の身勝手な思いだということに気付かされるとき、そうであるにもかかわらずそのような私が今ここにこうしてあるということは、まさに「周りの人に許されて」のことであるということが深々と頷かれるのではないでしょうか。 


12月:
一年の 早や過ぎ行きて 除夜の鐘

あなたは「忘れていたことを思い出すのは どうしていつも夜なんだろう…」とか思ったりしたことはありませんか。たとえば、家に帰ってから「トイレットペーパーがなくなっていた」とか、「廊下の電球が切れていた」とか…。

私たちは、どうしていつも忘れていたことを思い出すのは夜になってからなんでしょうか。それはきっと、私たちが日常の雑多なことを夜しか思い出せないほど、余裕のない毎日を送っているからではないでしょうか。

振り返ってみますと、朝から夜まで、あれもしなくては、これもしなくては…と、いろんなことに追われているので、ついつい身の回りのことが後回しになってしまうようです。

そのため、夜になりそれらのことから解放されて、ようやく生活用品を補充しなければならなかったことや、昨日もらっていた友だちからのメールに返事をするんだった、といったようなことなどを思い出したりするのかもしれませんね。

このような一日の繰り返しが、いつの間にか週の繰り返しとなり、やがて月の繰り返しとなり、そして気がつけば一年もまた同様に「早や過ぎ行きて…」ということになるのだと思います。

さて…、今年はあなたにとってどのような一年でしたか。政治の世界では自民党から民主党への「政権交代」があり、また司法の世界では民間人が職業裁判官と共に直接裁判に関わる「裁判員制度」が始まるなど、それぞれに「歴史的な変革が行われた」として、後世の歴史に刻まれるような出来事のあった一年でした。

個人的にも、それぞれにいろいろなことのあった…、それこそ人によっては「激動の…」という言葉を冠するような一年だったかもしれませんね。

周知の通り「除夜の鐘」は、1231日の大晦日(おおみそか)に、各寺院で108回つかれる鐘のことで、昔から人々はこの鐘の音を聞きながら過ぎ去ってゆく一年を振り返って反省し、来るべき年を迎えて来ました。

思えば、あそこでこんなふうにしていれば…とか、悔やむことも多々あります。けれども、私たちの人生は一度限りで、決してやり直すことは出来ません。そのため、なかなか思うようには行かないのが現実なのですが、やり直すことの出来ないこの一年、そして今日の一日ではあっても、何度でも見直すことは出来ます。

日々の些事に追われ、いつの間にかいろいろなことを忘れ去ってしまう私たちですが、それでも忘れても、また忘れても、何度も何度も思い出して、見直しをして行く中で、私たちは少しずつ人間として成長していくことは出来るのではないでしょうか。



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