法 話

-心のともしび(2013年)-


12月:ずいぶん回り道をしてきた それもまたいい

 『仏説阿弥陀経』という経典に「舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)」という言葉が何度も何度も出てきます。これは、お釈迦さまのお弟子の中で「智慧第一」と称された方の名前です。この舎利弗は、お盆にまつわる物語で有名な「神通第一」と讃えられた目蓮(もくれん/モッガラーナ)と、幼年から晩年にいたるまで変わることのない友情に結ばれ、終生、互いに補いあい支えあいながら、同じ道を歩み続けたと伝えられています。
 
この二人が道を求めるようになったきっかけは、次のようであったと伝えられています。青年期に王舎城近くの山あいで催された祭りの見物に出かけたとき、周囲の人びとが歓楽の限りを尽くし、誰もが我を忘れて浮かれている姿を眺めているうちに、いつしか虚しい気分に沈み込んでいくのをどうすることもできなくなり、その雰囲気の中に溶け込んでいけないものを感じました。舎利弗と目蓮の二人は、家柄・才能においても恵まれており、しかも人生の歓楽を求めようとするなら、ほとんど思い通りになるという境遇であったにもかかわらず、歓楽に満たされない自分を感じたのです。このことがあってから、やがて二人は出家したといいます。
 
人は、どちらかといえば、苦しみにおいてよりも、楽しみにおいてより深く迷うものです。なぜなら、苦しみはいやでも自身の人生のあり方を問い返させてくれるからです。なぜこのような苦しみを受けなければならないのかとか、このような苦しい生活にいったい何の意味があるのかと。そして、そのようにもがく中で、人はより深い人生を求めることになるものです。一方、楽しみの中では、その境遇の心地良さに溺れ、いつの間にか我を忘れ、自ら人生を問い返そうとすることなどめったにありません。このことからも、舎利弗と目蓮の二人が、いかに宗教的素養を備えていたかということが窺い知られます。
 
二人は、まず当時名声の高かったサンジャヤの弟子となりましたが、聡明であったためすぐに師の説くところをすべて理解してしまいました。しかし、サンジャヤの教えによっては、心は一向に安らかになることがありませんでした。そのような中、ある日、舎利弗が街で一人の修行僧に出遇い、托鉢してまわる姿の威儀に感動し、師の名前とその教えの内容を尋ね、その縁によって釈尊のもとを訪ねることになりました。このとき舎利弗は目蓮を誘い、サンジャヤの弟子二百五十人ともども釈尊の弟子になったのですが、その際に大変興味深いことが伝えられています。
 
釈尊のもとで、初めてその説法を聞いたときのことです。舎利弗と目蓮の二人に伴われて、二人についてきた二百五十人の弟子達は、釈尊の説法を聞くと、ただちに聖者の最高の境地である阿羅漢(あらかん)の位にまで到達しました。聖者の境地、悟りには四つの段階が説かれているのですが、第一は預流果(よるか)、初めて悟りに向かう流れに乗り、聖者の仲間に加わった位。第二は一来果(いちらいか)、一生迷いの生涯を送れば聖者になれる位。第三は不環果(ふげんか)、もう二度と迷いの生死に環ることなく悟れる位。第四は阿羅漢果、苦悩からの完全な解脱を成就した聖者の位です。
 
ところが、舎利弗と目蓮の二人は、二百五十人の弟子達がただちに最高位の阿羅漢果を得たのに対し、最低の預流果の境地にとどまり、すぐに阿羅漢果に至ることはできませんでした。また、目蓮はその後七日目に阿羅漢果に至ることができたのですが、舎利弗が阿羅漢果に達することができたのは、十四日目のことであったと伝えられています。
 
舎利弗と目蓮の二人は、釈尊によって二大士として重んじられ、特に舎利弗は後に「智慧第一」と尊ばれたほどの人であるにもかかわらず、なぜ阿羅漢の位に到達するのが一番遅かったのでしょうか。それは、おそらく舎利弗が、釈尊の説法を聞く中で、いろいろな疑問を持ったからです。二百五十人の弟子達が少しも疑問に感じないようなことでも、舎利弗はひとつひとつのことを問い、それを明らかにして次に進んで行ったのです。聞いて、すぐに納得する素直さも尊いことですが、その場合、仏法は聞いてすぐに理解できる人だけにしか伝わらなくなってしまいます。ところが、すぐには納得せず、どこまでも問い続け、ひたすら考えを巡らし、その結果初めて頷くことの出来た人は、どんな人にも教えを伝えることのできる言葉を身につけることができます。
 つまり、舎利弗は他の人たちがすぐに納得してしまったことであっても、それを自らの身にひきあてて問い、どのように些細なことであってもその疑問をいい加減にせず、徹底して問い続けていったのです。だからこそ、阿羅漢の境地に到るのが最後になってしまったのです。そして、そのように多くのことを問い続けていったからこそ、ずいぶん回り道をしたようでも、ついには多くの弟子達の中にあって「智慧第一」と讃えられることになったのです。

 
私たちは、すぐに上手くいったことはあまりよく覚えていなかったりするものですが、失敗を重ねたりする中で獲得したことはよく覚えていますし、なかなか忘れないものです。ずいぶん回り道をしたようでも、その間にいろいろなことに思いを巡らし、ようやくたどり着いた境地は、深さと広がりを持っているように感じられます。さて、この一年、きっといろんなことがあったことと思われますが、ここにたどり着くまでの道のりはいかがだったでしょうか。決して、平坦な道のりばかりではなかったことと思われます。でも「それもまたいい」と言えるような終わり方だったら、良いですね。

 

 11月:私が私でよかったと思える私になりたい

 人は、意識の度合いは違っていても、誰もが心の中で「(人として生まれたからには)幸福になりたい」と思って生きています。そのような意味で、人類の歴史とは、「幸福を願い、それを現実のものとするための方法を考え行為を繰り返し、その考えと行為が次から次へと受け継がれ無限に広がってきたものだ」と言えます。そして、このような幸福の求めによる成果を、私たちは科学の進歩とか人類の発展という言葉で呼んでいるのですが、いつの時代にあっても、常に幸福を求める無数の人びとがいたからこそ、今日までの人類の進歩や発展というものが続いてきたのかもしれません。
 
ところで、一般に私たちが幸福を口にする時、未来に幸福の実現を夢見る一方、未来に夢見た幸福な自分の姿から見て、そうではない現在の自分を歎いたり悲しんだりしているということが少なからずあります。けれども、本当の幸福というものは未来に夢見られるのではなく、この現在において感じられてこそ意味があるはずです。
 
考えてみますと、未来に幸福を求めているということは、今ここにこうして生きている私は、未来に幸福を求めなくてはならないような不平不満の状態にあるということにほかなりません。昔から「隣の芝生は青い」とか「隣の花は赤い」ということを言います。「他人のものは自分のものよりもよく見える」ということの例えですが、これは私たちが、いつでも他の何かと比べることでしか、自分の幸福を考えることができないということを如実に物語っている言葉だと言えます。
 
したがって、幸福はいつでも他人の上にしかなく、しかも私においては未来にあって現在にはない、そういう事実の中で私たちは生きているということです。そうすると、必然的に現在にあるものはいつでも不平不満であり、その満ち足りない気持ちで他人を見ては他人の上に幸福を感じ、未来に望んでいる幸福から現在を見ては、希望通りでない自分を歎き悲しむことになってしまう訳です。
 
とはいえ、それでは常に自分は不幸の只中にあってやりきれない思いに沈むばかり…ということになってしまうので、時折自分よりも不幸そうな人と比べて、「自分はまあ幸福な方ではないか」と、自身の不平不満を解消してバランスをとっているというのが、私たちの日々の在り方です。
 
ところが、そのようにして不平不満を自分で無理に納得させている限り、本当に腹の底から幸福だと実感することはできないのではないでしょうか。なぜなら、自分の生きる環境は同じであるのに、自分より幸福そうな人を見ては不幸だと歎き、自分より不幸そうな人は見ては幸福だと喜ぶといった在り方は、自身を誤魔化しているだけに過ぎないからです。
 
私たちは、誰もが「幸福になりたい」と願っているのに、人生の途上においては、好むと好まざるとに関わらず、縁に触れ折りに触れ苦しみや悲しみが何度も襲ってきます。そうすると、どれほど「幸福になりたい」と願っても、本当の意味での幸福を得ることができなければ、最後は「空しかった」という一言で、人生の全てが無駄なものとして砕け散ってしまわざるを得ません。
 
では、本当の幸福とはいったいどのようなものなのでしょうか。思うに、たとえ苦しくても悲しくても、その苦しみや悲しみが本当の意味で空しくない、苦しみの中に無駄ではなかったといえるものが感じら、悲しみの中にも人生の意味が見出されない限り、人間の一生というものは、どれほど長く生きたとしても「生きた」という深い頷きを持ち得ないのではないでしょうか。そうすると、本当の幸福とは「自分が生きたという事実が決して空しく終わらない」、言い換えると「現実を安心して生きることのできる道が明らかになること」だと言えます。
 
私たちは、いつも他人との比較の中で幸福を考えているのですが、振り返ってみますと、私が自身にどれほど絶望し、仮に「死んでしまいたい」とまでと思っても、決して私を見捨てない事実があります。それは何かというと、私の「いのち」そのものです。私は、自分のこの「いのち」を自分で作ったという覚えもありませんし、頼んだ覚えもないのですが、私の「いのち」は今日ここまでこうして私を生かし続けてくれています。そうすると、誰でもない、この私が自身の「いのち」に安んじるということがなければ、つまり私が私に生まれ、この人生を私が生きて行くということに誇りを持つということがなければ、やはり最後は「空しかった」という一言に全てが収斂され、死と共に砕け散っていくことにならざるを得ません。
 
親鸞聖人は、ご和讃(高僧和讃)の中で
 
 罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて 
 
 こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし
、讃えておられます。
 
仏教では「罪」とは煩悩によって創り出される悪の行為、「障り」とは覚りの生涯になるという意味で、このことから「罪障」とは「功徳」と相反するものだといえます。ところが、親鸞聖人は、そのような「罪障」が、功徳のもとであるのだといわれます。更に、その「罪障」が多ければ多いほど、それが転じたときに得られる功徳が多くなる、つまり「罪障」があるからこそ、私たちは「功徳」を得ることができるのだと述べておられます。
 
私たちは、生きて行く中で様々な困難に出遭います。そして、思い通りにならない現実に直面して苦しんだり悩んだり、時には過ちを犯したり、失敗したりすることさえあったりします。けれども、私の人生の主人公は私以外、他には誰もいないのであり、たとえうまくいってもいかなくても、私がこの人生の全てを引き受けて行くのだということに深い頷きをもつと、かつて運命だと諦めようとした、あるいは不幸だったと切り捨てようとしたことなど、まさに「罪障」とでもいうべきことが、単に「無駄なこと」に終わるのではなく、まるで大きな氷が溶ければたくさんの水が流れだして全てを潤していくように、私の人生の全体を輝かせてくれることになるのだと言われるのです。
 
確かに、辛いこと、悲しいこと、苦しいことなど、できればない方がいいに決まっています。けれども、一方で「人間には悲しみを通さないと見えてこない世界がある」とも言われます。そういった事柄をくぐって、再び勇気を持って立ちあがるとき、それまで当たり前と思っていたことが実はそうではなかった、気付かなかったこと、見落としていたことに気が付いたり、眼を開いたりすることができたりするものです。このような意味で本当の幸福とは、決して快楽でもなければ一時の感動でもなく、現在の自分に満足する「自己充足の感情」とでも称すべきものであり、言い換えると「私が私で良かったと思える私であること」への深い頷きとでも言うことが出来るように思われます。

10月:「おかげさまで」と言える人生に孤独はない

 「おかげさま」は、他人から受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に「様」をつけて、丁寧にした言葉であると言われます。また、形あるものを通して、それを支えている見えない力を感ずる心を物語る言葉であるとも言われ、別の言葉でいうと「知恩」と言い表すことが出来ます。
 「知恩」というのは、他人から受ける利益や恩恵を知るということですが、仏教では必ずそこに「報徳」ということが語られます。そこで四字熟語にして「知恩報徳」という言い方がなされているのですが、この言葉は、一般には「私が大きなご利益を賜った、その恩徳に報いること」と理解されています。
 ところが、親鸞聖人は「知恩報徳」ということ自体が、私にとっての利益なのだと述べておられます。つまり「徳に報いずにはおれないような、そういう恩恵を賜っていることを知らされることが大きな利益なのだ」と言われているのです。
 「三帰依の文」には『人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。(略)』という文言があります。これは、生まれがたい人間に生まれ、聞きがたい仏法を聞く身になれたことの意義を「知る」ところから発せられた言葉です。もし、自分が人間に生まれたことを当たり前と思っていたら、あるいは家の宗教が仏教だったので特に何とも思わないということであれば、たとえ「三帰依の文」を見たり聞いたりしても、素直に頷くことはできないと思います。
 けれども、仏法に耳を傾けることを通して、今ここにこうして自分が生まれ難い人間に生まれたこと、そして聞き難い仏さまの教えに耳を傾けていることの尊さを「知る」ことができたならば、そこには大いなる喜びがわいてくるのではないでしょうか。しかも、それは何か新しいことを賜ったというのではなく、「今已に受く」と、我が身の事実に目覚めていくところからわき上がってくるものです。
 そうすると、親鸞聖人が「知恩報徳」自体が自分にとっての利益だと言われたということ、具体的には、これまで人間に生まれ、仏縁のあったことを当然のように思っていた私が、仏法によって人間に生まれたことの尊さに目覚め、さらには仏縁を賜って生きていることの恩に報いずにはおれない私になり得たのは、ひとえにそのことを知らしめてくださったはたらきがあったことを感得しておられたからだと思われます。
 ところが、私たちは、子どもの頃から教育によって、科学的な物の見方や考え方をすること、端的には自分が見たり、触れたり、あるいは証明できないものは「信じない」ことが「正解」だとする在り方を無意識の内に刷り込まれています。そのため、人間に生まれたことの尊さや、仏縁に遇い得たことの不思議さに頷くことは容易ではありません。ましてや浄土や阿弥陀仏を信じることは至難のことだとさえいえます。
 では、自分に見えない、分からないものは全て否定できるのかというと、果たしてどうでしょうか。地球は自転といって、一日一回転しているそうですが、「そのことを自覚できますか」と尋ねられると、私は「どう見ても地球よりも太陽や月、その他の星々が回っているようにしか見えません」と、答えたくなります。また、「星は夜だけでなく昼にも出ている」と言われても、私の目には見えません。そこで「見えないから出ていませんよ」と言っても、それは、単に私の目に見えないだけのことなのです。
 このことを、詩人の金子みすゞさんは、
   昼のお星は目に見えぬ
   見えぬけれどもあるんだよ
   見えぬものでもあるんだよ
と「星とたんぽぽ」という詩の中でうたっています。
 このように、「見えぬけれどもあるんだよ」という事実を、私たちの先を歩まれた方がたが、いただき味わってこられた言葉が「おかげさま」です。
 迷いに曇った自分の目には見えないけれども、確かに生き生きとはたらく事実があるのだということへの深い頷き。このことを親鸞聖人は『正信偈』において、
  煩悩に眼(まなこ)さえられて 見たてまつらずといえども
  大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らしたもう
と讃嘆しておられます。
 亡き方がたのご縁を通して仏法に耳を傾ける中で、私たちは「おかげさまが見える眼」を賜るのであり、また、そのことを通して、共に浄土を心の依りどころとして生きる多くの同朋(なかま)を見出していくことが出来るのだと思います。

9月:聞思 まことのみ法に自らを問う

 なぜ、私たちにとって、常日頃から仏さまの教えに耳を傾けることが大切なのでしょうか。もし、日常生活における幸福の求めだけが人間にとって重要なことだとすると、ことさら仏さまの教えに熱心に耳を傾けなくて良いのかもしれません。また、日頃から神仏に幸福への祈りを捧げていても、時として不幸な状況に陥ることもあります。そのため、不慮の事故に遭い悲惨な状態になると、つい「世の中には神も仏もあるものか」と叫んでしまう人もいたります。実はこのような時にこそ、その人にとって必要となるのが、その人を真の意味で救う教えだと言えます。つまり、自分が思い描いていた幸福の求めが破れた時にこそ、真の意味で宗教が求められることになるのです。
 ところで、このような非常の事態に陥った時は、人の心は大きく動揺しています。したがって、深遠な宗教の哲理をじっくりと聞いたり、深く学んだりすることはできません。「溺れる者は藁(わら)をも掴む」という諺がありますが、まさにそのような状況にあるといえます。そして、このような局面においては、藁を掴んだその時が、まさにその人の溺れている時になります。
 一般に、人がどうしようもない悲惨な状態に置かれると、その人を救うという宗教が現れ、その人の心に響くような言葉を語りかけます。この時その人は、心が動転しているため、その言葉の真偽を聞き分けることは容易ではありません。そこでその人は、自分の耳にとって最も甘く響く言葉を選ぶことになります。この場合、もしこの選びがこの人にとって「藁」であるとすると、その宗教を掴んだが故に、さらなる悲惨な状態に陥ってしまうことになります。なぜなら、藁は掴んでも浮かばないように、このような教えはその人を正しい方向に導くものではないからです。けれども、私たちは掴んだという思いがあるため、余計にもがいてしまうことになるのです。
 だからこそ私たちは、常日頃から真実の教えに耳を傾ける必要があるのです。人は、心が平常であって理性が働いている時には、偽りの宗教を見分ける力を持っています。したがって平生、真の宗教を選び、その教えに耳を傾けることが大切になるのです。なぜなら心が混乱して動揺した時でも、今まで聞いている宗教が、その人を正しい方向に導くことになるからです。
 このことについて、『金光明経』には次のように述べられています。
 深くおのれを省みて、自分の罪と汚れを自覚し、懺悔する。他人の善いことを見るとわがことのように喜んでその人のために功徳を願う心が起きる。またいつも仏とともにおり、仏とともに行い、仏とともに生活することを願うのである。
 この信ずる心は、誠の心であり、深い心であり、仏の力によって仏の国に導かれることを喜ぶ心である。だから、すべての所でたたえられる仏の名を聞いて、信じ喜ぶ一念のあるところにこそ、仏は真心をこめて力を与え、その人を仏の国に導き、ふたたび迷いを重ねることのない身の上にするのである。
 さて、では私たちは真の宗教を、どのようにして選べばよいのでしょうか。そのためには何よりもまず、自分とはいかなる者であるか、自らの真の姿を知ることが大切なのではないでしょうか。親鸞聖人は、今日の私たち愚かな凡夫の姿を「悪人」ととらえられます。この悪人とは、人間社会の日常生活の中で、法律や倫理的な悪を行う人という意味ではありません。どのような宗教であっても、人に悪を勧める宗教はありません。宗教は、必ず私の人生にとっての「善」を勧めるものであって、善がその人によい結果をもたらすと信じるからこそ、人はその宗教を信じ、その宗教にしたがうことになるのです。
 けれども、そうすると、私たちが好み行おうとしているその善が、はたして本当の意味での善であるかどうかということが問題になります。これは『歎異抄』でも言われていることなのですが、私たちは往々にして、仏の教えを判断の基準に置かず、自分が善だと思うことを善とし、悪のように見えれば悪だと考えてしまう傾向があります。しかも自分が置かれている状況によって、どのような振る舞いをするかわからないのが私の本質です。例えば、日頃とても気の優しい人が、条件によっては平気で人を殺すことになるかも知れません。あるいは、自分では善意でなしたつもりの行為が、時として相手の心を深く傷つけることもあったりします。そうすると、このような不確かな私の行為が、どうして真の善だといえるでしょうか。そこで仏教では、このような毒をまじえた善の一切を仏果への行とはみないで、むしろ迷いの因であるとみます。
 このことを踏まえて善導大師は、自分自身のことを

 いま現にここにいる自分は、罪悪生死の凡夫であって、無限の過去から今日まで、常に、迷いの世界に沈み流転し続けて、まったくこの迷いから出る縁に恵まれなかった。

と述べておられます。では、なぜ、永遠に迷い続けてきた自分の姿を、善導大師は見ることができたのでしょうか。それは凡夫として、ここに佇んでいる自分を、知ることができたからにほかなりません。『金光明経』にも説かれていますが、もし自分が過去において、仏とともにいて、仏の教えにしたがい、仏の教えを行じたならば、また、仏の名を聞き、信じ喜ぶ一念があったならば、仏は善導大師をすでに仏果に導き、ふたたび迷いを重ねることはあり得なかったはずです。
 「深くおのれを省みて、自分の罪と汚れを自覚し、懺悔する」とは、まさに善導大師のように、今の自分を知ることだといえます。ところが、善導大師は同時に、その自分がいま仏法を聞く縁に恵まれたことを、心から喜ぶことになります。ことに阿弥陀仏の名号を聞き、この仏の本願が、大悲心をもって、迷える善導大師を摂取しておられることを次のように喜ばれます。
 阿弥陀仏の四十八願は、迷える衆生を摂取したもうています。したがって、衆生には、何の疑いもはからいも必要ではありません。阿弥陀仏の願力に乗じて、必ず往生すると信じればそれでよいのです。
 ここで私たちは、仏とは何かを知ることが求められます。お釈迦さまは悟りを得られた後、とのようなご一生を過ごされたのでしょうか。それは「迷える衆生を救う」という一筋の道を歩まれたといえます。悟りの智慧を得られたが故に、迷える衆生を知り、お釈迦さまに救いを求める人びとを悟りに導くために、慈悲の実践を続けられたのです。
 だとすれば、最高の仏・無上仏は、一切の衆生を救われるために、衆生の願いに先がけて、すでに衆生の心にきているといえます。だからこそ、衆生が自らの迷える姿を知り、その姿を慙愧して仏の願力を信じれば、そのとき衆生は救われるのです。このように「人生のよりどこを明らかにする確かな言葉をよく聞き考える
こと」、言い換えると「まことのほみ法に自らを問う」あり方を「聞思」といいます。親鸞聖人は「聞思して遅慮することなかれ」と、積極的に聞思することを説いておられます。

8月:お盆 深い縁に心を寄せる

「お盆」は、本来は「盂蘭盆会」といい、もともとは古代インドの言語であるサンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、「倒懸(さかさにかかる)」と意訳されています。また、お盆の行事は『盂蘭盆経』(西晋、竺法護訳)に説かれるお釈迦さまの高弟・目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への「供養」の伝説によると伝えられています。
 さて、この「供養」ということを考える場合、「寺院は先祖供養しかしない」とか、「法事・葬儀しかしない」と、社会性を欠く面があるという点について批判をされることがあります。これを総称した非難の言葉が、いわゆる「葬式仏教」ですが、本願寺教団をはじめ多くの仏教教団ではこの批判に対して、終末医療に携わる方がたとの連携や、差別・平和・環境などの社会問題に積極的取り組むことで応えようとしています。もちろん、これらの社会的活動を行うことはとても大切ですが、その一方やはり寺院は批判を受けても「先祖供養について、真摯に取り組むべきだ」と、思います。
 ただし、取り組むからには「ほんとうの意味での先祖供養をする場になるべきだ」と考えています。この場合、重要なことは「先祖供養をするといっても、それはどうすることがほんとうの意味で先祖供養をすることになるのか」ということについて、きちんとした確かめをするということです。
 私たちは日頃、先祖とか祖先という言葉を口にしたりしていますが、その対象者はあまりにも漠然としています。10代遡っただけでも、私の前を生きた人は1024人にもなるそうですが、いったい何人の方をご存じでしょうか。また、これまでいったいどれだけの人が、私にいのちの絆をつないでくれたのでしょうか。
 『歎異抄』の第五条に「一切の有情は、世々生々の父母兄弟なり(一切の生きとし生けるものは、すべてみな、いつの時にか父母であり、兄弟であった)」という言葉があります。私たちはお互いを他人のように思っていても、遡っていけばどこかでいのちが交わっているであろうことを物語る言葉ですが、そのような感覚において自分のいのちが受け止められるとき、つまり自分のいのちというものに限りない歴史を、あるいはそのようないのちの歴史をこの身に賜っているということにほんとうに頷くということがなければ、いくら「先祖供養」といっても、そこで行われる供養はただの「取引」になってしまいます。
 「取引」とはどのようなことかというと、現在一般に理解されている「先祖供養」は、「私がこれだけ供養をしたから、それに見合うご利益をください」といったことが、具体的内容になってしまっているということです。あるいは、ご利益を期待しないまでも、「供養」をすることで「私が不幸に陥りませんように」とか「私や家族に災いをもたらさないでください」といったことを願うあり方のことです。
 これは、亡くなられ方がたを「取引相手」と見るようなあり方でしかありません。しかし、本来「先祖供養」の場というのは、自らのいのちの歴史の前に身を据え、いのちの歴史を賜ったものとして今の自分の人生を喜び、今の自分の人生をほんとうに大事に受け止めていく場なのです。したがって、そのことを抜きにして「供養」ということは成り立たないはずなのです。ですから、「ほんとうの供養」ということは、まさに私の人生をいただき直すということだと言えます。
 浄土真宗を顕かになさった親鸞聖人は、自身に先立って亡くなって行かれた方がたを、単に「過去に亡くなった人」ということではなく、自らを仏道に引き入れてくださった「諸仏」として仰いでいかれました。
 考えてみますと、大切な人、愛する人を見送るときには、言い知れぬ悲しさや歎きが心にわきあがってくるものですが、私たちがそのときに感じる悲しさや歎きは、亡くなったその人によってよび起こされるものです。それは、いわば亡き人によって贈られた悲しさや歎きであり、まさにそのことが私たちを仏道に向かわしめる尊い機縁となります。おそらく、そのように心から悲歎するという体験を持つことがなければ、なかなか私たちは自らの思いによって仏道を求めるということはできないのではないでしょうか。
 また、浄土真宗では親鸞聖人のご命日を勤める法要を「報恩講」といいます。「報恩」とは「知恩報徳」の営みのことですが、この「報徳」の前には必ず「知恩」があります。しかしながら、今日の「供養」のあり方をうかがうと、そこには「知恩」という営みが全く欠落しているように感じられます。そして、そのようなことに陥ると、「供養」はそれを行うことで「これで気持ちが安らぎました」というような、私自身の単なる気晴らしに終わってしまうのです。
 したがって「先祖供養」においては、どこまでも私たち一人ひとりが自分の存在に「知恩」ということを自覚していけるかどうか、そのことが「供養」が「報恩」の営みになるかどうかを決定付けると言えます。
 毎年お盆には、多くの方々が大変なご苦労をなさってふるさとに帰り、墓参をされます。そうすると、そのことの根底に、自身のいのちがここにこうしてあることは、先に往かれた方がたの無数のいのちがあったからに他ならず、しかも今私が念仏の教えに遇い得ていることは、まさに「先祖」の方がたが連続して絶えることなく、み教えを承け継ぎ伝えてくださったからです。その深い縁に心を寄せ、先祖の方がたの「ご恩を知る」とき、まさにそこで営まれる「供養」は「徳に報いる」行為となるのだと思います。いまここにこうして自らのいのちあることの深い縁に心を寄せたいものです。

 7月:人が私を苦しめるのではない 自らの思いで苦しむのだ

 私たちは、どのような時に「苦しい」と感じるでしょうか。少なくとも、物事が自分の思い通りに運んでいる時には、「楽しい」とは思っても「苦しい」と感じることはありません。「苦」というのは「自情に逼迫(ひっぱく)している状態」であると言われます。「自情」というのは自分の感情ということ、「逼迫」というのは「事態がさしせまり、余裕がなくなること」で、感覚的には胸苦しく圧迫されるような状態ということです。このことから、「苦」というのは自分の思いによって余裕をなくし胸苦しく感じている状態だといえます。これに対して「楽しい」は「自情に適悦」といわれますから、自分の思いにちょうど合致している状態のことだとえます。
 このことから、同じ状態であっても、それを自分がどのように感じるかによって、「苦」と「楽」のいずれかに分かれるということになります。それは、世の中に「苦しい状態」というものがあるのではなく、一定の状態を苦しいと感じる人がいる一方、楽しいと感じる人がいるということです。
 このことを踏まえて、源信僧都は『往生要集』の中で「苦といい楽といい、ともに流転を出でず」と述べておられます。「流転」というのは、言い換えると「自分を見失う」ということです。私たちは、苦しい状態にあっても愚痴を言うという形で自分を失っていますし、楽しい状態にあってもその楽しみの中に自分を忘れて空しく日々を過ごしてしまうということがあります。そこに、苦しみといっても楽しみといっても、常に自分を忘れたあり方を出ていないのが、私たちの姿だといわれるのです。
 日頃、私たちは無意識の内に「世の中は自分の思い通りになるはずだ」と思っています。たとえそこまで思っていないとしても、少なくとも自分の思い通りになることを漠然と期待しています。反対に、病気をしたり、事故に遭ったりすることなど、不都合なことは自分の身だけには「起きない」ことにしています。
 しかし、現実はなかなか私の思うようにはなりません。仏教では「因果の道理」を説きます。物事の結果には必ず原因があることを明らかにする教えですが、これに基づけば「思い通りにならない」という結果には「思い通りになるはずだ」と決めつけている私の身勝手な思いという原因があるといえます。
 
したがって、予期していたことと結果が異なってしまったとしても、その原因は私にあるのですが、私たちの目はいつも外を向いてものを見ています。そのため、物事が上手くいかなかったことの原因を自分の中にではなく、自分の外に、具体的には他の人の上に求めようとしてしまいます。
 これがいわゆる「責任転嫁」ということですが、物事が思った通りにならないと「あの人のせいで…」とか「この人のせいで…」などと愚痴をこぼしてしまうものですが、実は他
人が私を苦しめているのではなく、自らの思いによって苦しんでいるだけなのです。
 世の中には、同じ環境であっても、そこに意義を見出して生きがいを感じて生きている人もいれば、愚痴ばかりをこぼして世の中を呪っている人もいたりします。私たちの周囲には、苦しい世界とか楽しい世界が色分けされて存在している訳ではありません。ただ、与えられている状況を、自分の思いよって楽しいものとか苦しいものと受けとめている事実があるだけなのです。
 ところが、このような自分のあり方に、自ら気付くことはなかなか難しいものです。なぜなら、苦楽ともにそれによって自分を見失っていくのがこの私たちの迷いの世界だからです。一方、苦といい楽といい、そのいずれをもあるがままに受け止めていける世界が、阿弥陀仏の浄土です。
 私たちは、仏法に耳を傾けることによって初めて、自らの思いによって苦しむことなく、苦楽いずれにあっても、そのことによって自分というものを受け止め、自分というものを本当に生きていける私になれるのだと思います。
 6月:心の眼が開けば あたりまえが おどろきになる
 
私たちは、漠然とではあるのですが、「いつかは死ななければならない」ということは一応知っています。けれどもその一方で、自分だけは「死ぬのは、まだずっと先のことだろう」と、思っていたりします。ところが、だんだん年を重ねていくと、ふと「あと何年生きられるだろうか…」と、考えることがあります。
 思うに、このような考え方は「引き算の人生」という言い方ができるのではないでしょうか。つまり、単に自分が知らないだけのことで、それぞれ人には初めから「寿命」が定まっているとする考え方です。そのため、まるでローソクがだんだん小さくなっていって、最後には炎が消えてしまうように、年を重ねるごとに私のいのちのローソクも年々小さくなり、最後にはローソクの炎が消えるように、いのちの炎も消えてしまうというイメージです。そこで、「私のいのちローソクは、あとどれくらい(何年)残っているのだろうか」ということになる訳です。
 ところで、あなたは自分の「死因」は何か、ちゃんと自覚していますか。「まだ生きているのだから、そのようなことは分からない」と言われるかもしれません。周知のように仏教は、原因と結果の関係性を説く教えです。この場合、結果から見るとそこには必ず原因があるとことを明らかにするのがポイントです。
 したがって、「死」という結果の原因は「生まれたことにある」と、説き明かします。もし「死にたくない」という人がいたとすると、その人に対しては「生まれなければ死なないですむのですが…、でも既に生まれた以上、その結果として必ず死ななければなりません」と説くのが仏教です。たとえ、病気にならなくても、不慮の事故や災害などを免れたとしても、生まれた以上、その結果として老衰という形で最後は死んでしまいます。一般に、私たちは病気や事故、災害などを「死因」と言っていますが、これは「縁」です。だから仏教では「死の縁無量にして…」と言うのです。死の縁(条件)はそれこそ無数にありますが、死因はあくまでも生まれたことにあります。
 時折「あなたは、今朝目が覚めて嬉しかったですか」と尋ねると、「いえ、別に…」とか「今日は何の日ですか」「今日何か良いことでもあるのですか」などと、問い返されたりします。なぜ、私たちは朝目が覚めた時、特に「嬉しい」と思わないのでしょうか。それは、無意識の内に朝目が覚めることを当然のこととしたり、「当たり前」と思っていたりするからではないでしょうか。私たちは「当たり前」のことは、特に嬉しくはないのです。
 「有り難う」という言葉は、文字を見ればすぐ分かるように「そう有ることが難しい」つまり、その恩恵を受けるような私ではないにも関わらず、現にいまその恩恵を受けていること、言い換えると当然ではないことが今私の上に起きていることから発せられる、感謝の意を表す言葉です。
 聞くところによると、人間は医学的には120歳くらいまで生きられる可能性があるのだそうです。そういうことを耳にすると、『電化製品ではないけれど、人間のいのちも120年とは言わないから、せめて「100年保証」とかしてもらえないのだろうか』と思ったりします。残りの20年は、その人、個々の頑張り方次第でも良いので…。
 私たちのいのちには保証期間がない一方、既に死因はあるのですから、それがいつ私の中で起こったとしても、不思議でも何でもありません。たとえそれが、本人はもちろんのこと、周囲の人にも「突然」のように感じられても、原因と結果の関係性においては自然なことなのです。なぜなら、いったいどこの誰が「今朝目が覚めること」を保証してくれているでしょうか。前夜寝る前に、私だけが「翌朝目が覚めること」を「当然」と思っていただけのことです。
 そうすると、私たちの人生は「引き算」なのではなく、「足し算」なのではないでしょうか。今朝、目が覚めたということは、決して「当たり前」のことではなく、むしろ「死ぬべきものがたまたま生きていた」というのが、その内実なのだと言えます。そして、「賜った一日を積み重ねてきたのが、今日までの私の人生」ということになるのです。
 仏法を聴く中で、心の眼が開くと、それまで「引き算」だと思っていた人生が「足し算」の人生へと転じるなど、あたりまえであったことがそうではなかったと頷けたり、気付かなかったこと、見落としていたことに驚かされたりすることが少なからずあります。まさに、仏法によって心の眼が開かれれば、あたりまえがおどろきになるということを、この言葉は明らかにしているように窺えます。
  5月:逃げる私を追いかけて ついて離れぬ御仏(おや)がいる

 一般に、私たちが宗教的な救いを求めようとするのは、大きな悩みや苦しみを抱えて自分の力ではどうにもならなくなり、その苦悩を神仏の力によって解決しようとする時です。その場合、一心に拝んだり、何らかの行に励むことが求められたりします。
 ところが、阿弥陀如来という仏さまは、私に何の条件をつけることなく、しかも私が願うに先立って、私を願い、私に「まかせよ、必ず救う!」とよびかけていてくださいます。
 親鸞聖人は、この阿弥陀如来のこころを「摂取不捨の救い」と説いておられます。そして、そのこころを「摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり、摂はをさめとる、取は迎へとる」と記しておられます。「ものの逃ぐるを」の「もの」とは「衆生」つまり生きとし生けるもののことで、「阿弥陀如来という仏さまは、逃げてゆくものをおいかけて、迎えとってくださる仏さまである」と述べておられる訳です。
 ところで、浄土真宗では昔から説法の中で、阿弥陀如来のことをしばしば「おやさま」という言葉で言い表してきました。その際『「親」という文字は、「木」+「立」+「見」から成り立っていることから分かるように、木の上に立って(子どもを)見ている姿に由来している』と説明される方もいらっしゃいます。話としては大変味わい深いのですが、実はこの説明の仕方は間違いです。「親」という字に「立(りつ)」は含まれていません。「親」という字は、右旁の「見」が文字の意味を示し、左旁の[辛+木]は「シン」という字音を表す発音記号です。したがって、もともとの意味は「対象に近付いて見る」です。
 そこから「近付く」「近い」さらに「親しむ」「親しい」という意味になり、さらに「他人に任せず、自分で対象に近付いて処理する」ということから「みずから」という意味に使われるようになりました。「あて名の人自身が開封し読んでほしいことを示す脇付け」である「親展」の「親」はこの意味です。
 また、自分に「近い」ものは親類であることから、親類のことを「親(しん)」と言うようになり、やがて「父親」「母親」をという使い方が生じました。これらの経緯から窺うと、「親」という文字が出来たときには「おや」という意味はなかったのですから、当然「木の上に立って…」という説明には、無理があると言わざるを得ません。
 さて、ではなぜ浄土真宗では阿弥陀如来のことを「おやさま」とか「真実のおや」などと言うのでしょうか。それは「おや」とは「いつも子どもから目を離すことなく心を寄せている存在」だからです。「親」という文字が「木の上に立って…」と説かれることになったのも、文字の成り立ちよりも先に子どもを見守るという親の本質があり、たまたまそのこととが文字を一見したとき、まさにそのことを物語っているように思われたからかもしれません。そして、そのことが人々に共感を持って受け入れられたからこそ、「木の上に…」ということが文字の成り立ちとして語り継がれてきたように推し量られます。
 「子をもって知る親の恩」という言葉があります。子どものときには「親の恩や有り難さを知れ」と言われても、なかなかそのことを実感することはできないものです。ところが、いざ自分が親になり、しかも子どもが夜中に熱を出したとか、けがをしたとか、嬉しいことよりもむしろ困ったり悩んだりしたときに、ふと「ああ、自分もこんなふうに親に心配をかけていたんだな」ということを子どもに教えられるものです。
 振り返ってみますと、日頃私たちは自分勝手なことばかりをあれこれ願い、なかなか仏さまの教えに耳を傾けようとしないばかりか、願うに先立って自身が願われていることにさえ気付き得ないでいます。それはまるで、仏さまの願い、よびかけから逃げ回っているかのようなありさまです。そのような私を決して見捨てることなく、私の称える「南無阿弥陀仏」の声にまでなって呼びかけてくださる事実を、親鸞聖人は「逃ぐるを追はへ取る」という実感を持って述べられたように思われます。
  4月:すべてのものは移りゆく おこたらずつめとよ

インドの北部に、マハー・パンタカ、チューダ・パンタカという兄弟がいました。兄まマハー・パンタカはとても賢い人で、お釈迦さまの教えをよく理解し、深く仏法に帰依していました。一方、弟のチューダ・パンタカは自分の名前さえ覚えられないほど愚かな人で、みじめで孤独な生活を送っていました。弟思いの兄マハー・パンタカは、やむなくチューダ・パンタカを出家させ、自分が聞き学んだお釈迦さまの教えを偈文(仏の功徳を讃える経文)にし、それを授けて暗誦するように命じました。それは、
 三業に悪を造らず
 有情(いきもの)を傷めず
 正念に空を観ずれば
 無益の苦を離るべし
というわずか四句の偈文でした。
 チューダ・パンタカは、教えられた偈文を何とか覚えようと、毎日毎日、ひたすら口にしていました。僧院の中でも、外で仕事をしたり道を歩いている時でも、繰り返し口にしていました。そのため、近くで働いていた牧夫の方が、いつの間にかその偈文を暗誦したほどでした。
とこが、肝心のチューダ・パンタカはなかなかその偈文を暗記することが出来ませんでした。朝覚えるとことが出来たと喜んだのも束の間、昼にはもう記憶が曖昧になっているというありさまでした。そんな自身の愚かさを悲しんでいると、なかなか覚えられないその偈文を、どこかで口ずさむ声が聞えてくるので、驚いて周りを見まわすと、いつもその偈文を耳にしていた牧夫が口にしていたのでした。
 チューダ・パンタカは、驚くと共に心からその牧夫を慕い、行き詰まると牧夫のもとを訪ね、礼を尽くしてその偈を学んでいました。それでも、結局チューダ・パンタカはその偈文を暗誦することは出来ませんでした。そこで、兄のマハー・パンタカは「お前には仏法を学ぶことは不可能だ。これからは、自分で他の道を探しなさい」と、お父を僧院の外に放り出してしまいました。これは、突き放すことで弟が発奮して、何とかこの偈文だけでも身に付けてくれれはと願ってしたことだったのですが、チューダ・パンタカは愚直であったため、兄の真意を理解することが出来ず、ただひたすら自身の愚かさを嘆くばかりでした。
自身の愚かさに涙を流しながら途方に暮れているチューダ・パンタカに気付かれたお釈迦さまは、「自身が愚かであることに気付いている人は、智慧ある人です。
 愚かであるのに、自分は賢いと思っている人こそ、本当の愚か者です」
と諭され、チューダ・パンタカに1本のほうきを渡されました。そして、掃除をしながら
「塵を払わん、垢を除かん」
と唱えなさいと教えられました。
 それ以来、チューダ・パンタカは来る日も来る日もお釈迦さまに教えられたそのことば繰り返し唱え続けました。そして、何年か経った頃、その「塵を払わん、垢を除かん」という言葉は、チューダ・パンタカの身体全体にしみ込んでいきました。
 やがてチューダ・パンタカは、いつからともなく「いったい塵とは何だろう。垢とは何だろう」と心に問い続けるようになり、ただひたすらそのこと一つを考え続けるようになりました。そして、いつしかそれは、自分の心の塵のことであり、心の垢であることを自覚し、それらを離れ捨てきるまでになりました。チューダ・パンタカは、いつとはなしに心に積もってしまう塵とは、自分の経験したことのみを絶対的なこととして誇る自負心や驕慢心のことであり、どこからともなくにじみ出てきて肌を覆ってしまう垢とは、自分の行動や考え方について執着する心であることを悟ったのでした。
 チューダ・パンタカは、決して賢くなって悟りを開いたのではありません。どこまでも、自分自身の愚かさを見つめ、まさに愚者に徹して、いよいよ仏法に生きる身になることで、周りの人々すべての一人ひとりの尊さを讃えることのできる心豊かな人、自身が賜っているいのちの尊さに頭の下がる人になったのです。
 このように、誰よりも愚かだったチューダ・パンタカが悟りを得たことに対して、周囲の人々が驚いていると、お釈迦さまは
 悟りには多くのことを学ばなければいけないということはありません。
 ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、
 道を求めていくならば悟ることが出来るのです。
と説かれた伝えられています。
 ほんの短い言葉であってもかまわないのです。怠ることなく、縁に触れ折りに触れ、尊いみ教えを聞くことに勤めることで、私たちはやがて願うに先立って、常に仏さまに願われている私であることに目覚めることが出来るのだと思います。

3月:支えあおう 敬いあおう みんな同朋(なかま)だ 

『仏説無量寿経』の中に「当相敬愛(まさにあい敬愛すべし)」という言葉が説かれています。お互いが敬い、お互いが愛し合うということの大切を説き示されたものです。一般に、「汝の隣人を愛せよ」とか「人類愛」とかいう言葉を見たり聞いたりすることがありますが、その「愛する」ということの根底に「相手を敬う」ということを置くのが仏教の基本姿勢です。 
では、相手の人を心から敬うということは、いったいどのようにすれば可能なのでしょうか。日々の生活を振り返ってみますと、私たちは他の人々と関わる中で、いつでも何らかの意味で他の人々を見下すか、あるいはうらやむかのどちらかを選択しているのではないでしょうか。つまり、相手を敬うことなく、その人よりも自分が上か下かを比べながら、周囲の人たちと接しているという事実が知られるのです。
 
曇鸞大師の著された『浄土論註』の中に「それ忍辱(にんにく=苦悩・迫害を耐え忍んで心を動かさないこと)は端正(姿・動作などが整ってきちんとしているようす)を得。一たび彼(かしこ=浄土)に生ずることを得れば、瞋忍(しんにん)の殊(ことなり)無し。人天の色像、平等妙絶なり」と説かれています。
 
普通に考えると、自分の苦しみやつらさに耐えて、人々のために努力を重ねてきた人や、自分の楽しみを捨てて、つらさをすべて受け止めながら人々のために尽くしてきた忍辱の人は、その心の徳として、姿かたちが端正になるということは素直に頷けます。けれども、我がままいっぱいに自分の要求ばかりを周りに押しつけて、年中腹を立てては文句ばかり言っている瞋恚(激しい怒りの心)の人が、浄土に生まれると同じように端正なすがたを得ると言われると、首を傾げたくなります。
 
ところが、曇鸞大師は、浄土にひとたび生まれるならば「瞋忍のことなり無し」と言われます。つまり、腹ばかり立てている人と、生涯自分の苦しみに耐えながら人々のために尽くしてきた人が、浄土に生まれるとその違いがなくなり、共に端正な顔を得ると言われるのです。
 
一般的には、これはどうにも不公平なことだと感じられます。けれども、浄土とはその不公平だと感じる私の心を問う世界なのです。実は、これを不公平だと感じさせるのは「私は耐えてきた」という思いです。あの人は自分勝手なことばかりしてきたが、私は一生自分の思いを押さえて、ひたすらいろいろなことに耐えてきた。だから、同じであることに納得がいかないのです。
 
ところで、もし自分の中に「私は耐えてきたのだ」という自負があるとすると、その意識は果たして「浄らかな心」だと言えるでしょうか。「耐えてきた」という思いを握りしめて、自分は「こうなんだ!」と、耐えてきた苦しみを前面に主張するというあり方は、実はその心に自分自身が苦しめられているのです。
 
『歎異抄』の第9条に、「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく…」という言葉があります。「苦悩の旧里」なのですから、誰もが一刻も早く捨てたいと思うものです。ところが、ここでは「すてがたい」と述べられています。それは、なぜなのでしょうか。
 
考えてみますと、私たちは自分が耐えてきた苦しみほど手放せないものはないのです。「自分ほど苦しみに耐えてきたものはいない」「この私の苦しみは誰にも分かるものではない」というように、私たちは良いことだけでなく、悪いことも独り占めしたいのです。まさに、そのような自身に執着する心根を押さえたのが「苦悩の旧里はすてがたく」という言葉です。
 
そうすると「瞋忍の殊無し」ということを不公平だと思うのは、自分が耐えてきた苦しみというものに対して、自分のそういう耐えてきた心を握りしめて「この心は誰にも分かるものではない」と、自分を主張する心の所為に他なりません。確かに、わがままいっぱい自分勝手に生きてきた人も、自分のことしか頭にないのですが、必死に苦難に耐えてきた人も、結局はその根底において自分を握りしめているのですから、まさに「瞋忍のことなり無し」どちらも同じということになる訳です。
 
つまり「私はこうなんだ」と自負する一方、「あなたはこうではないか」と主張することの一番根底にあるのは、結局「分別心」です。それは、いつも目の前の全てを二つに分けて、自分の物差しではかろうとする心です。日頃の自身のあり方を振り返りますと、私たちはいつもあの人はこうだが私はこうだと、二つに分け比べて、最後には「私の方が…」と主張します。たとえ、周りの人に向って強く主張しなくても、心の中ではそういう自分をしっかりと握りしめています。
 
そこには「相手を敬い愛する」という心は、欠片も見出すことは出来ません。では、そのような私に、本当の意味で生きているすべての人々を敬うということは、どうすれば可能になるのでしょうか。
 
それは、私自身のいのちに対する尊さというものに目が開くということにおいて、初めて可能になるのだと思います。なぜなら、自分のいのちを尊ぶことが出来なければ、他の人のいのちを敬い尊ぶことなど出来るはずがないからです。また、他の人々を敬うことができなければ、同時に本当の意味で他の人々を愛することもできないと思います。
 
人間にとって、他の人々とふれあう中で、そこにお互いが敬い合い、お互いが愛し合うという協同の世界というものが、本当に願わしい世界だとすると、それは何よりも自分自身のいのちの尊さに目が開かれることが不可欠なのです。
 さて、私たちは今私の人生を私が生きて行くということに、喜びを持ち得ているでしょうか。また、自分自身のいのちを尊いものと感じることができているでしょうか。
 親鸞聖人は「念仏の教えに出遇うものは、決して空しく過ぎるような人生を送ることはない」と言われます。お念仏の教えに真摯に耳を傾けることを通して、私たちは初めて自分自身のいのちの尊さというものに気付き、そこから周囲の人々と敬い合い、共に生きる同朋(なかま)として支え合いながら生きることが出来るようになるのだと思います。

 
 月:本当の豊かさとは 足るを知ること 

 「貧乏な人とは無限の欲があり、いくらモノがあっても満足しない人のことだ

これは、南米の小国ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領(77)が、昨年6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)でのスピーチで述べた言葉だそうです。
 登壇が国連加盟国193カ国の最後だったこともあり、各国の参加者が去った後で、聴衆がほとんどいない中でのスピーチだったのですが、その後このスピーチの内容がインターネットで評判になり、イギリスBBC放送は「世界最貧で最高の大統領」と紹介する番組を制作したそうです。
 「世界最貧」というのは、大統領の報酬月額25万ウルグアイペソ(約115万円)の9割近くを社会福祉基金に寄付し、資産も自宅農場と1987年製フォルクスワーゲンビートル1台のみ。クレジットカードや銀行口座などを持たず、公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしていることに基づく表現だそうです。確かに、大統領の手取りが月額約12万円足らずというのでは、そのように言われも仕方ありません。
 ところで、仏教では三悪趣の中に「餓鬼」を説いています。「餓鬼」というのは、インドの「プレータ」という言葉がもとになったもので、言葉そのものの直接の意味は「逝けるもの」ということだそうです。
 この餓鬼には「三種あり」といわれます。一つめは「無財餓鬼」。これは、普通に考えられている餓鬼の相です。まったく食べる物も、飲むものもなく、たえず飢えている存在です。
 二つめは「少財餓鬼」。膿(うみ)とか血とか、他人が何か飲んだ時に唇から落ちるしずくを飲める程度で、少しだけ何かを口にすることができます。
 三つめは「多財餓鬼」。これは、他人が施したもの、食べ残したものを食べることができます。しかも、この多財餓鬼は「天のごとくに富楽」といわれています。つまり、天上界にいる天人のように食べる物に富んでいるといわれるのです。にもかかわらず、それが餓鬼だと言われていることに注意したいと思います。
 私たちは、一般に餓鬼という言葉を聞くと、飢えている相だけを思い浮かべてしまうのですが、実は餓鬼には何も無くて飢えている餓鬼と、たくさんあって飢えている餓鬼との両方の餓鬼がいるのです。
 『無量寿経』という経典の中に「尊いものも、卑しいものも、貧しいものも、富めるものも、ともにお金のことに心を煩わされている。欲しいという貪りの心に苦しめられていることにおいては、財を持っているものも、財を持っていないものも同じである。」と説かれています。
 これは、財を持たないものだけが「欲しい、欲しい」といって貪りの心に苦しんでいるのではなく、たくさん持っていることで、いよいよ貪りの心に苦しんでいるものがあるというのです。
 このことから、餓鬼とは、土地とか金銭とか、そういう自分以外のものをもって自分を満たそうとするもののことを言い当てた言葉だと言い得ます。この「外のもので自分を満たす」ということは、まさに自分自身がなくなっていくということに他なりません。なぜなら、外のものをいっぱい自分の中に詰め込めば、自分自身はなくなってしまうからです。
 振り返ってみますと、私たちはいろいろなものをかき集めてそれで満足してしまうことがあります。その一方で、あれこれ集めてはみたものの、しばしばそれらを使いきれずにいるということが少なからずあります。「持っていること」と「使っていること」は、違うのです。
 ところで、多財餓鬼は「天上界にいる天人のように…」といわれるのですが、では天上界とはどのような世界かというと、私たち人間の夢が、人間的に満たされた世界です。例えば、お金が欲しいという思い、家が欲しいという思い、それらの思いがかなった時、私たちは「天にも昇る心地がする」と言ったりします。ただし、残念なことに、それは手に入れた時だけのことであって、やがて馴れてくれると感激は薄れる一方で、いわば幻の楽しみに過ぎません。身近なところでは、大画面のテレビも、買ったときはその画面の大きさに感激するのですが、毎日見ていると、いつの間にか見馴れて、特に何も感じなくなってしまいます。
 地獄の苦しみは、手に入れることが出来なくて苦しむということがあります。それこそ、いろいろな苦しみに苛まれるのですが、しかし、地獄の苦しみは、うめいたり、愚痴をこぼしたり、世の中を呪ったりすることが出来ます。けれども、天上界の天人の苦しみは、どこにも持って行き場のない苦しみです。自分がひたすら求めてきた、そしてそれが遂にかなったと思ったのも束の間の喜びで、それが夢、幻であって知らされた苦しみだからです。
 ですから、餓鬼というと、私たちは「無財」ということばかり思い浮かべてしまうのですが、天上界のごとく豊かな在り方をしている多財餓鬼が説かれているということは、餓鬼という在り方のすべてにおいて、「常に飢えている」ものの在り方が「餓鬼」という相として説かれていることが知られます。
 私たちの社会には「モノが溢れている」と言われます。そのような社会を生きる私たちは「無限の欲があり、いくらモノがあっても満足しない人」になることのないよう、心したいものです。

1月:かぎりなき 光をうけて ここにあり
 

 
親鸞聖人は「南無阿弥陀仏は光の如来である」とおっしゃっておられます。「如来」というのは「仏さま」のことですが、普通「光の如来」という言葉を聞きますと、私たちはどこかに阿弥陀仏という存在がいて、例えば灯台のように周りに対して阿弥陀仏が光を放っているという光景を想像するものですが、親鸞聖人のこの言葉は「光の他に阿弥陀仏という存在はない。阿弥陀仏とは、光のはたらきそのものだ」ということを明らかにしておられるのです。
 ところが、私たちは誰もが子どもの頃から科学的な物の見方、考え方を教育によって刷り込まれていますので、そのように説明されても、今度はその光が自分の目に見えるということがないと、いくら「光の如来」だと言われても、それはいったいどういうことなのか、理解することは極めて難しいと思われます。
 親鸞聖人は、このことについて
 
無碍光仏は光明なり、智慧なり。この智慧はすなわち阿弥陀仏。
 と述べておられます。「無碍光」というのは、何ものにも妨げられずに光が通るという、光のはたらきを表す言葉です。ただし、その妨げられないということは、たとえばここに一つの物があるとすると、その物のために光がはねかえさえたり、そこで光が止まってしまったりせずに、光がどこまでもただ通っていくということではありません。もし光がどこまでもただ通って行くというだけのことなら、その光は物を無視し、何もかかわりを持つこともなく、勝手に光っているだけということになります。そして、そのような光なら、物の方から言えば、あってもなくても同じ光でしかありません。無碍にはらたく光とはそのような意味ではなく、あらゆる物、あらゆる場の上に等しくはたらくというところに、無碍なる光という意味があるのです。
 つまり無碍というのは、どこまでも、光としてのはたらきが無碍だということなのです。そして、その光としてのはたらきというものは、いかなるものを等しく照らしだし、その照らしだすことによって、すべてのもののそのまことのすがたをあらわにして行くことにあるのです。
 さて、ここでの問題は、光明としての智慧ということです。光明としてあらわされる智慧とは、どのような智慧なのか。言い換えると、なぜ阿弥陀仏の智慧が光明をもって表されるのかということになります。例えば、自分のいる部屋から光を全部取り去って、その部屋を真っ暗にしたとします。そのとき私たちが真っ暗闇の中で出来ることといえば、手さぐりで部屋を出ていくということだけです。まさに、光がないときの私たちの生き方は、手さぐりをしながら生きる他はありません。
 では、その手さぐりの生活とはどのようなものかというと、自分の判断、自分の体験だけを頼りにして生きてゆくということです。そして、もしそういう自分の判断、自分の体験だけを頼りとして生きていくということになると、私たちはどうしても物の見方が一面的になってしまいます。つまり、自分の体験だけにとらわれてしまって、なかなか物事の本質が見抜けなくなってしまうのです。
 そのような生き方に陥ると、人生の全体像が見えなくなってしまい、自分の体験だけを後生大事にかかえ、それを絶対的な基準にして人生を解釈してしまいます。光明としての智慧がないとき、人はかならずそういう過ちを犯してしまうのです。
 中国の善導大師のお言葉に
 
経というは経(たていと)なり。経(たていと)よく緯(よこいと)を持(たも)つ。
 疋丈(ひつじょう)を成ずるを得。

 と有ります。これは「経(たていと)がよく緯(よこいと)を保って、布を織り上げることが出来る」と言われているのですが、もともとこの「経」という文字は、織機の前に人が座って布を織っている姿をかたどったものです。ですから、生活の中に経典(仏法)をいただくということは、その生活の中にたて糸をしっかり張ることなのです。縦糸をはることによって、全ての体験を一つの世界にまで織り上げていくのです。
 このことから言いますと、手さぐりの生活というのは、いわば縦糸なしに横糸ばかりを積み重ねているようなものです。それでは、どれだけ積み重ねても、布には織り上がりません。しかも、そのような手さぐり生活においては、手さぐりしている自分の姿は自身には決して見えませんし、自分自身に目覚めるということもないのです。
 このようなことから、仏教の智慧が光で表される第一の意味は、私たち一人ひとりに抜き難くあるところの、自分の体験への執着そのものを破るはたらき、それが仏教の智慧だということです。つまり、仏教でいう智慧とは、あれも知っている、これも知っているということではなく、まわりがはっきり見えるということです。そして、そのことは同時に、手さぐりしている自分がはっきり見えるということに他なりません。
 見えてくるという言い方をしますと、何かまわりをただ眺めているだけのことのようですが、そうではなく、本当に見えたというときには、その事実にしたがって生かされていくということになります。そして、それがたとえ今までの自分の体験によって培ってきたものの考え方をその根底から否定し、ひっくり返すようなものであっても、それが事実であるかぎり、事実を事実として受け止め、生きてゆく勇気と情熱としてはたらくのです。
 手さぐりの生活においては、どこまでもただ自分の体験だけが依り処になっています。そのときには、自分自身を依り処にして生きているように思うのですが、実はそうしている自分自身は少しも見えていないのです。自分自身というものは、実は他の人と出会って行く中で次第にあらわになり見えてくるものです。具体的には、他人の生き方にふれたとき初めて、ああ自分の生き方もこうだったのかということが分かってくるのです。したがって、自分の体験したことしか見えていない人には、自分の本当の生き方というものは見えないのです。他の人がそれぞれ一生懸命に生きている姿にふれたとき、ああ今までの自分はこうだったのかということが、逆に知らされてくるのです。それは、自分を超えた世界にふれたとき、初めて自分の姿も見えてくるということです。
 闇をもって表される智慧のない生活は、手さぐりの生活であり、その手さぐりの生活においては、遂に手さぐりをしている自分自身は見えないということを申しました。その自分自身が見えないということは、この身に賜っているいのちそのもの、この私の人生そのものを受け止め、見通す眼が持てないということです。
 全体を見渡し見通す眼を賜り、全体の中に生かされている自分自身を知らされるということは、この人生において何が根本問題であるかをはっきりと見極める智慧を賜るということです。それは、このいのちが帰って往く世界を見いだすということになるのですが、私たちは、自分のいのちの帰って往く世界を持つとき、初めてその人生が方向性をもった確かな歩みとなるのです。
 「
人間の眼は光そのものを見ること出来ないが、光に照らされて我が身を見ることは出来る
と言われます。確かに、迷いに満ちた私たちは、仏さまの智慧の光を見ることはできません。けれども、その光に照らされて、私自身の愚かな姿を知ることは出来ます。そのような生き方にめざめるところに、「かぎりなき 光をうけて ここにあり」という生き方が生れてくるように思われます。



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