-心のともしび(2016年)-
12月:いのちを恵まれ今年も除夜の鐘 早いもので、平成28(2016)年も、残すところあと半月ほどになりました。以前、先輩が「不思議なもので、歳を重ねていくと、年齢が30の位から40の位、40の位から50の位へと10の位が1つ上がる度に、1年の進む速さがどんどん加速していくような気がする。同じ10年でも全然違う感じだ」と言われたことがありました。その時は、「そんなものかな…」と思いながら聞いていたのですが、10の位が1つ上にあがると、1年1年の過ぎる速さが加速度的に増していくような気がして、「確かに!」と実感することです。 ところで、仏教では「どのようなものも全ては縁によって起こり縁によって変わっていく」という真理を「無我」という言葉で教えています。「我」とは「常・一・主宰」なるもののことです。「常」とは常住、永遠に変わらないということ。「一」とは単独、そのもの自身の力だけで単一に存在しているということ。「主宰」とは支配、そのもの自身で自らのあり方を決定して行くことのできる存在ということ。したがって、「我」とは常住である単独者として何かを支配するものという意味です。そこに「無」という言葉を冠している訳ですから、そのようなものは存在しないということが「無我」ということになります。 つまり、すべてのものが変化する無常なるこの世界においては、常住なるものは存在せず、それぞれが関係し合うことによって互いが存在しているこの世界においては単独ではありえず、何もかも支配して自分の思いのままにできるものもいないということを「無我」という言葉で明らかにしている訳です。 すべては、縁によって起こり縁によって変わっていくのですが、この縁とは賜るものであって自分の意思によって決めることはできません。したがって、私たちは人生における一瞬一瞬のすべてを本当にかけがえのない時として、実は賜っているのだということが思われます。そうすると、私のいのちは次の一瞬さえ分からないという形でいまを賜って生きているのであり、その「いま生きている」という事実のほかに、私のいのちの事実はないのだということが知られます。 にもかかわらず、私たちは自分のこのいのちは自分のものであり、決して「恵まれている」などと思うことはありません。そのため、自分が今ここにこうして生きていることの意味が本当にはっきりと頷けたり、日々「生きている」と実感できないままに一日一日を漠然と生きていたりするのです。 本来、人間は「所在」、具体的にはそこに自分がいるという意味を求める存在です。したがって、私が今ここにこうして生きているということに明確な意味が与えられている、そういう関わりが開かれているという時に、自分の存在意義を実感することができます。そこで、「あれがほしい」とか「これをしたい」などと、自分の欲望を満足させるためにあれこれ励んだりするのです。 その一方、所在が与えられない時や所在を見出せないままでいると、私たちは自分が生きていることの意味を見失ってしまいます。そうなると、私たちは生きている喜びも張り合いも持てないままに、ただ何となく空しく日々を過ごしていくあり方に陥っていくことになります。 なぜ、私たちは「所在」を見出せないと、そのようなあり方に陥っていくのでしょうか。それは、私たちの中に、私の思いの満足よりももっと深い「いのちの願い」というものがあるからです。そのいのちの願いを仏教では「情願」といいます。この情願を満足させるということが、生き甲斐とか生きていることの喜びを賜るということになるのです。 |
11月:報恩講 親鸞さまに遇えてよかった 「報恩講」とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173年-1263年)の恩徳に報謝する法要のことで、浄土真宗の門信徒にとっては最も重要な年中行事だとされてきました。なお、親鸞聖人のご命日を勤める法要が「報恩講」と言われるようになったのは、親鸞聖人の33回忌にあたって、本願寺第3代覚如上人が著された『報恩講私記』に由来します。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、毎年1月9日から1月16日までの7昼夜にわたって「御正忌報恩講」が勤修されます。全国各地の寺院では、本山・西本願寺の御正忌報恩講にお参りすることができるように、多くは11月から12月にかけて勤められます。ちょうど、今頃から来月半ばにかけてが、浄土真宗の寺院においてはいわゆる「報恩講シーズン」といった感じです。 ところが、浄土真宗の門信徒にとって、一番大切だといわれる報恩講への参詣者数が、親鸞聖人の誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)/5月21日」と共に近年減少傾向にあると言われています。永代経法要、春秋の彼岸会、盂蘭盆会などは、まだある程度の参詣者があるのですが、降誕会・報恩講は参詣者の減少により、法要を勤める日を3日から2日に、2日から1日に減らす寺院が増えているようです。 なぜ、これまで一番大切とされてきた報恩講の参詣者が減少しているのでしょうか。永代経法要や彼岸会は先祖の方々の遺徳を偲ぶ法要として、盂蘭盆会は先祖並びに自分が葬儀を営んだ亡き家族を追慕する法要として勤められるのですが、降誕会・報恩講は自分とは直接血縁のない親鸞聖人の誕生日・御命日を勤める法要であることから、人びとの関心が薄れてきているのかもしれません。それは言い換えると、宗祖である親鸞聖人への関心が薄れてきていることの表れとも理解することができます。 ときに、宗教との正しい関わり方は、その根底に「聞く・遇う・帰依する」という3つの事柄が成立することが必須だと言われます。なぜなら、その教えがどのような教えかということは、先ず「聞く」ということがなければ知りようがないからです。私たちは、その教えを聞き正しく理解することによって、初めてその教えと真の意味で「遇う」ことができます。その後、その教えに「帰依する」かどうかは、その人次第ということになりますが、少なくとも教えを聞くということがなければ、教えと遇うことも極めて難しいと言えます。 覚如上人が「報恩講」をお勤めになられて以降、宗勢の拡大にともない、浄土真宗の門信徒は京都のご本山(西本願寺)だけでなく、全国各地の別院や寺院、そして集落ごと、さらには個人の家でも、一番大切な法要として「報恩講」を勤めてきました。けれども、近年、個人宅や集落での報恩講は次第に勤められなくなり、寺院・別院での参詣者も減少傾向にあるということは、親鸞聖人が90年のご生涯をかけて顕かになさった、本願念仏の教えに耳を傾ける人が少なくなってきたからだと思われます。それは、真の意味でお念仏の教えに出遇っている人が少なくなったということにほかなりません。 本願寺第8代蓮如上人は、五帖の『御文章』の一帖目第一通において、浄土真宗の教団の確かめを行っておられますが、その中で「(親鸞)聖人は御同朋御同行とこそかしずきておおせられけり」と述べておられます。「かしずく」というのは「大切に仕える」ということですから、「親鸞聖人は私たちを拝んでいてくださる」といわれるのです。つまり蓮如上人は、親鸞聖人が「御同朋・御同行」と呼びかけながら、私たちを拝んでいてくださるという事実が、浄土真宗の教団の根源的事実だと言われるのです。 さて、私たちは自分のすがたを省みて、はたして親鸞聖人から拝まれるような生き方をしているでしょうか。どうひいき目に見ても、自己中心的な生き方を離れることはできませんし、欲望を抑えられず、時に怒り狂ったり、思い通りにならないとその責任を他に転嫁しようとしたりするなど、まさに「凡夫」そのものの生き方に終始し続けています。 にもかかわらず、そのような私に親鸞聖人が「御同朋・御同行」と呼びかけて下さるのは、凡夫が凡夫のままで未来仏として約束されているという、そういう確かな事実を拝んでおられたからではないかと思われます。ただし、だからといって、自分は凡夫だから、やがて仏になれるのだということではありません。だいたい、仏になれるといっても、仏になるということがどういうことなのか分からなければ、何の意味もないからです。 親鸞聖人が顕かにしてくださった本願念仏の教えとは、どんな人間であろうと、この世に誕生した限り、その一生を尽くせば仏に成れるという教えです。したがって、人間の側であれこれ考える必要もなければ、はからう必要もなく、人間にとって決定的に大切なことは「自然(じねん)のことわり」に眼を開くことだけだと説かれます。そのことは『信巻』に「無上妙果の成じ難きにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し」とはっきり述べておられます。 これは、仏になるということは、人間の努力や思いを超えたことであり、したがって努力や思索を必要とはしない。この世に生まれてきた人間は、必ず仏に成るために生きているのであり、ただ人間にとっての課題は「無上妙果の成じ難きにあらず」ということに眼を開くことであり、その開眼を「信心」というのだと述べておられるのです。 「報恩講」を何よりも大切にしてこられた私たちの先人たちは、このような親鸞聖人の語りかけに耳を傾けることを通して、真実の教えに出遇い、浄土を真宗として力強く生きぬいて往かれました。そして、親鸞聖人が生涯を通して「よき人」と敬慕なさった法然聖人への恩徳を「骨を砕きても謝すべし」と讃えられたように、親鸞聖人が顕かになさった念仏の教えに出遇った人びとは、同様に親鸞聖人にそのご恩を報ずべく講を結び、遺徳を讃えてきたのです。「親鸞さまに遇えてよかった」との思いから…。 |
10月:人生には必要にして十分なことばかり 私たちは、どのような生き方をしていても、成功することもあれば失敗することもあります。お釈迦さまは「この世は苦に満ち満ちている」と説かれますが、「苦」とは私の思い通りにならないということです。ところが、私たちはうまくいったことだけを評価して、うまくいかなかったことは不幸だったと切り捨てようしたり、運命だったと諦めてしまったりすることがあります。 |
9月:心が変わると景色が変わる 仏教では「迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によってつくられる」と説いています。これは、自分の中の心が自分をつくるのであり、またその一人ひとりが集まって成り立っている社会もそれぞれの心によって良くも悪くもなるということを明らかにしています。そこで、仏教では私たちに「正しい行い、正しい生活、正しい努力」をすることを教えとして説いているのです。 |
8月:悲しみを通さないと見えてこない世界がある 毎月、フェリーで桜島と鹿児島市を往復する機会があります。わずか15分ほどの航海ですが、観光地ということもあり、船が出航する際は、日本語に続いて英語・韓国語・中国語のアナウンスが流されます。また船上デッキに出ると、県外はもとより、国外から旅行に来て乗船しておられる方がたが、カメラやスマホを桜島に向けておられる光景をよく目にします。私にとっては長年見慣れている桜島の風景ですが、初めて目にされた方がたには、きっと私の目に映っている桜島とは違うイメージで、それぞれの感慨と共に心に刻まれていることと思われます。 |
7月:手を合わせたら ケンカはできない 私たちの手は握れば拳(こぶし)になりますが、開けば握手もできますし、拍手もできます。そして、何よりも手を合わせれば拝むことができます。つまり、私たちの手は、使い方によって争いをすることもできれば、仲よくしたり敬意を表したりすることもできるのです。 ところで、私たちは人と人の間を生きる存在であることから「人間」と形容されるように、他の人と共にこの社会で生きています。したがって、他の人と争うより仲良くする方が良いことは誰もが知っています。にもかかわらず、なぜ私たちはしばしば他の人と争ってしまうのでしょうか。 「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」という言葉があります。一見すると、これは善人ではなく悪人の間違いではありませんかと問いたくなりますが、やはり善人です。それは、私たちが日頃、誰かと争っている時のことを振り返るとよく分かります。 例えば、誰かと言い争っている場合、私たちは自分が正しいと思うが故に、自らの考えを主張しているのですが、その途中で「もしかすると、自分の方が間違ってるかもしれない」ということに気付いたとしたらどうでしょうか。過ちを認めて謝罪するか、うやむやにするかのどちらかで、おそらくそのまま争い続けることはしないと思います。 保育園でこんなことがありました。園児が保育室で自由遊びをしていると、保育士が「そろそろおやつの時間だから、みんな遊んでいるものを片づけて、手を洗ってきてね!」と声かけしました。これを聞いて、プロック遊びをしていた子は、それまで作っていたものをバラバラにして収納箱に戻し始めました。すると隣で絵本を読んでいた別の園児が、本を棚に戻すとプロックを片づけている園児に「手伝おうか?」と声をかけました。ところが、声をかけられた園児は日頃保育士から「自分で遊んだものは自分で最後まできちんと片づけるように」と言われているので、「これは私が遊んだのだから、自分で片づける」と言って申し出を断りました。これに対して手伝いを申し出た園児は、日頃から当番活動に喜びを感じていることもあり、「二人でした方が早く済むよ」と言って、プロックにさわろうとしました。その瞬間、ブロックで遊んでいた子が、「やめて!」と言って差し出された手をはらいのけました。 その光景を見た保育士は、それまでの経過を十分に把握していなかったこともあり、二人が争っているように見えました。そこで「ケンカしたらダメだよ!」と声をかけました。一人は、最後まで責任を持って片づけようとしている子。もう一人は、片づけを手伝おうとする子。「善人」「悪人」で分けると、二人とも良い子(善人)です。けれども、お互い自らの善を主張し合うことで、第三者(保育士)の目にはケンカをしている悪い子(悪人)に映ってしまったという訳です。 私たちは、漠然と自らの中に「正しい私」というものがいて、その「正しい私」が世の中のさまざまなことを見て、考えてよく判断した上で、正しい何か言い、正しい何かを行っていると信じています。そうすると、常に私の言動は周囲の人びとから「正しい」という評価を受けるはずなのですが、必ずしもそうとばかりは言い得ません。なぜなら、私の判断の材料は、今日まで経験してきたこと、知識として身に付けてきたこと、それだけに過ぎないからです。言い換えると、知っていること以外は何も知らないのにも、あたかも自分の知っていることがこの世界のすべてで、自分は何でも分かっていると錯覚しているのです。そのために、自分だけは間違っていないという思いに立ち、自らの正しさを主張し合うため「争い」が生じることになるのです。 |
6月:迷信をうちくだくものは仏の智慧である 現代はどのような時代かというと、「科学の時代」と言い表すことができます。では、その科学の対極にあるのは何かというと「迷信」です。明治以降の日本人が受けている教育は、事実のみに基づいて論証を進めようとする科学的なものの見方・考え方を基本に置いています。そうすると、今の日本人の誰もがそのようなあり方の教育を受けているのですから、当然「現代の社会から迷信は跡形もなく消え去った」と言えそうなものですが、依然として迷信は私たちの生活の中に根強く残っています。 浄土真宗の教えの特色として先ず挙げられるのが、迷信的な要素を持たないということです。浄土真宗のご門徒は、世間一般の人びとが日や方角の吉凶などによって決め事をしているのに対して、一切気にしない生活を営んでいたことから、「門徒物忌み知らず」という言葉で表現されてきました。 浄土真宗の教えを顕かにされた親鸞聖人が生きられたのは、平安時代の末期(1173年)から鎌倉時代の中期(1263年)です。この時代には、現代の私たちが持っているような科学的な知識はまだなく、したがってなぜ地震が起きたり台風が襲来したりするのかといったことや、大気・水・土壌・動物(人も含む)などに存在する病原性の微生物が人の体内に侵入することで感染症が引き起こされることも、雲の下の方に集まったマイナスの電気と地表に集まったプラスの電気とが中和しようとして電気が飛んでいくことによって落雷が発生するというメカニズムについても分かりませんでした。 そのため、人びとはそれらの現象が起きると「天変地異」と理解し、ただただおののくと共に平穏なる世の中であれかしと神仏に祈りを捧げる以外に手立てはなく、常に見えざるものに対する空間への畏れにさいなまれていました。そのような人びとにとっては、日の吉凶や方角の善し悪しに注意を払うことは、むしろ当然の営みであり、現代の私たちが迷信と考えていることが実は当時の科学であったと考えられます。 ところが、そのような時代環境の中にありながら、親鸞聖人は現代の私たちが有している科学的な知識がなかったにもかかわらず、迷信的なことに陥ることは一切ありませんでした。一方、科学の時代を生きているにもかかわらず、私たちは依然として様々な迷信に振り回されています。それは、いったいなぜなのでしょうか。 現代は「知識基盤社会」と位置付けられています。そして、その社会を生き抜くための力として、次の3つが求められています。1つめは、国際的視野を持つこと。政治・経済など、これまで存在した国家・地域など一地域だけでなく、縦割りの境界を超え地球全体でものを見ることが求められています。2つめは、情報を収集・分析する力を持つこと。世界は、従来の情報処理ソフトでは処理が困難なほど巨大で複雑な情報に満ちあふれています。そこで、それらの情報を収集・取捨選択・保管・検索・解析・可視化する能力が求められています。3つめは、国際的視野を持ち、収集・分析した情報を使いこなす技術力を持つこと。どれほど多くの情報を収集・分析しても、それを現実の社会で活用できなければ何も意味がありません。したがって、現代の社会においては、これら3つの力を身に付けることが求められているという訳です。 そして、これら3つの力を兼ね備えた人びとによって私たちの国は牽引されているのですが、では私たちは常に現状に満足し、未来への希望に満ちあふれているかというと、そうとは言えません。それは、これら3つの力は過去の情報に基づき、その通りに現実が動いている時には無類の強さを発揮することが可能なのですが、それ故に決定的な弱点も持っているのです。それは何かというと「知らないことに弱い」のです。 東日本大震災が発生した後、しばしば耳にしたのは「想定外」という言葉でした。東北地方は過去に何度か津波の被害を受けたことがあり、その情報に基づいて対策も施されていしまた。ところが、あのときに襲来した津波は、過去の情報を超絶する想定外の規模でした。そのため、甚大な被害が生じたといわれます。私たちは過去の経験に基づき、そのための対応を怠ることのないよう努めているのですが、経験したことのないような事態に直面すると、そのことの前に人間の無力さを思い知らされることになります。 そうすると、私たちにとって、極めて想定し難いものとはいったい何でしょうか。それは、私の人生ものです。「一寸先は闇」という言葉がありますが、一分一秒後でさえ、どうなるか分からないのが私の人生です。しかも、何かが起きた時、お釈迦さまが「代わるものあることなし」と説かれるように、私の人生は私以外に生きる者はないのですから、そのすべてを私が引き受けていくことになります。そのため、私たちは常に時間と空間への畏れを感じながら「悪いことがおきませんように…」と願い、一年の禍福を占い、日の吉凶や方角の善し悪しなどに頼る生活に終始してしまうことにならざるを得ないのです。これが、私たちが迷信に惑う根源的な理由だと言えます。 人生は、しばしば旅をすることにたとえられます。そうすると、誰もがそれなりに人生の旅路を歩いておられる訳ですが、ふと「あなたの旅路は、どこに向かっておられますか」と問われて、もし返答できなければ、それは放浪の旅ということになります。放浪とは、帰る家のない不安な旅です。実は、人生においても「いのちの帰する世界を持たない」と、病気をしたり不都合なことに直面したりする度に、不安の影が落ちてくることになります。そのため、人はいつの時代にあっても、あとどれだけ生きられるか分からないという「時間」と、このいのちが終わったらどこへいくのか分からないという「空間」の二つの畏れによって、迷信に惑うことになるのです。 一方、親鸞聖人は現代の私たちが有している科学的な知識は持っておられませんでしたが、「念仏せよ、必ず浄土に迎えとって仏にせしめる」という阿弥陀如来の願いの声に深く頷いておられた、言い換えると、いのちの帰する世界を確かに見いだしておられたが故に、時間・空間への畏れを抱くことなく、往生浄土の人生を自由自在に生き抜いていかれたのだと言えます。そのため、迷信から全く自由であったのです。 |
5月:ありのままの私を受けてとめてくださる阿弥陀さま 私たちは、時々見栄をはることがあります。しかも、それは意識してのことではなく、どちらといえば無意識の内に…という場合が多い気がします。どうして、私たちは思わず見栄をはってしまうのでしょうか。「見栄(みえ)」というのは、辞書には「うわべを飾る。外観を繕う」と説明されています。そうすると、私たちがつい見栄をはってしまうのは、きっと「自分の本当の姿を他人に見られたくない」と思うからかもしれません。では、「他人に見られたくない自分の本当の姿」とは、いったいどのような姿なのでしょうか。人は、誰もが心の奥に「理想の自分の姿」を思い描いているのですが、現実の自分の姿に目を向けると、残念ながら自分の姿は決して理想通りではありません。 そのため、つい「理想通りではない今の自分は、本当の自分の姿ではない」という思いが、無意識の内に自分のうわべを飾らせたり、外見を繕わせたりしてしまうのではないでしょうか。でも、そんな飾ったり繕ったりした自分は、本当の自分でないことは、誰よりも自分自身が一番よく知っています。そのため、見栄をはると、余計に飾ったり繕ったりしたものの重さが肩にのしかかり、肩がこったりするのです。だから、先ずは「見栄」をはることなどやめにして、率直に自分を見つめ、そこに明らかになった姿が、たとえどんなに愚かで情けなかったとしても、あるがままの自分を認め、受け入れるようにしたいものです。 親鸞聖人は、九歳から二十九歳までの二十年間、比叡山において命懸けで学問・修行に励まれました。その結果おっしゃったのは「地獄こそが私の終の住処である」という言葉です。普通、それだけのご苦労なさったら「そろそろ悟りを開けるかもしれない…」といわれたとしても不思議ではありません。ところが、口にされたのは、自分の行く先は地獄しかないという言葉です。なぜ、そのようなことを言われたのでしょうか。 例えば、光のない場所では、自分の手が汚れていても分かりません。ところが、光に照らされると、手の汚れを知ることができます。「人間の眼は光を見ることはできないが、光に照らされて我が身を見ることはできる」と言われます。私たちの迷いにくもった眼では、仏さまのおすがたを見ることはできませんが、仏さまの智慧の光に照らされて、我が身を見ることはできます。そして、そこにあらわになった自身の姿を見ることを通して、今自身が仏さまの智慧の光に照らされていることを知ることができます。この事実を『正信偈』には「われまたかの摂取の中にあれども、煩悩眼をさえて見たてまつらずといえども、大悲ものうきことなくて常に我が身を照らしたもう」と述べられています。 |
4月:出会いも縁 別れも縁 「縁」はまた「縁起」といいます。一般に私たちがこの言葉を口にするのは「「縁起がよい」とか「縁起が悪い」というように「ものごとの起こるきざし、前兆」などについて語るときで、このような考えに基づく「縁起直し」とか「縁起物」といった風俗習慣も見られます。 けれども、「縁起」とはそのような善悪の予兆を物語る言葉ではありません。本来、お釈迦さまが目覚められた真理のことで、「縁起」とは「因縁生起」=「因っておこること」を意味します。そこで「苦しみは、なんらかの直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」と説かれることになります。 また、「縁起」には、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼることによって、苦しみの根本的な原因、これを仏教では「無明(根本煩悩)」といいますが、それをさぐり当て、消し去ることによって苦しみを解消することを目指す実践的行為へと繋げていきます。 縁起の思想は、仏教の根本教義であることからいろいろな解釈がなされていますが、基本的には「これあればかれあり。これ生ずればかれ生ず。これなければかれなし。これ滅すればかれ滅す」(『雑阿含経』)と説かれていることから、「この世に存在しているものは、何一つとして単独であるものはなく、みんな持ちつ持たれつの関係性の中で、すべてが存在している」と理解することができます。 そうしますと、私たちが見たり体験したりしているこの世界のすべての出来事には、必ず諸々の原因と条件が重なり合って成り立っていることが知られます。ともすれば、私たちは不慮の事故に遭った時や、突然の災難に見舞われた時など、それが不意に起こった不条理なことと受け止めてしまいます。けれども、実はその事柄には必ず原因があり、様々な条件が重なりあっているのです。 この場合、私たちはそれが自分にとって不都合で受け入れがたい出来事であったりすると、その原因をしばしば他に求めて責任を転嫁してしまいます。これを仏教で「愚癡(ぐち)」といいます。たり、承知できなくてもその現実を受け入れざるを得ないと、運命という言葉で諦めようとしたりします。一方、この現に 私の身に起きている事実をごまかすことなく直視し、あるがままに実の如く見ることを「縁起を見る」といい、またそのように見ることができるあり方を「智慧(智慧)」を得るといいます。仏教が目指しているのは、まさにこの「智慧」を得るということにほかなりません。 この世の中は、鴨長明が『方丈記』(現代語訳)で 川の流れは途絶えることはなく、しかもそこを流れる水は同じもとの水ではない。川のよどみに浮かんでいる泡は、消えたり新しくできたりと、川にそのままの状態で長くとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所も、また同じようなものである。
家の主と家とが、無常を争っている様子は、言うならば、アサガオと、その葉についている露と同じようなものである。露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても朝日がさすころには枯れてしまうが。あるいは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。消えないとは言っても夕方になるまで消えないとうことはない。
と著しているように、すべてが変化し何一つ頼るものはありません。そのような世界において、今私がここにこうしてあるという事実は、多くのいのちによって支えられてあるということです。 出会いには喜びが、別れには悲しみがともなうことがありますが、その根底には必ず原因があり、多くの条件の重なり合いがあります。私たちは、それらを実のごとくに見ることができないため、煩い悩んだりします。だからこそ、いろいろな機会を通して仏法に耳を傾けることが大切なのだと思います。 |
3月:花が咲く いのち尽くして花が咲く この世の中には、多くの生きとし生けるものが存在しています。そして、この世に生を受けているすべての生き物が、その生を終える瞬間まで、まさに「いのちを尽くして」生きています。ですから、どんな生き物も、自ら「死にたい」と思ったりする生き物は一つもないといえます。 |
2月:仏心 ともに悲しみ ともに喜ぶ 仏さまの徳は、しばしば智慧と慈悲という言葉であらわされます。智慧とは、私を照らしめざめさせ、心の闇を破るはたらきのこと。慈悲とは、相手の悲しみや痛みを自分の悲しみや痛みとして、すべてを救おうとする心のことです。 正直を方(ほう)という。外己(げこ)を便(べん)という。 |
1月:いのち 多くの願いの結晶
私たちは、自分がかけている願いについては、かなりよく覚えているものですが、自分にかけられているい願いについてはなかなか気付くことができないものです。だいたい、気がついたら私はこうして生まれていたのですが、その時には既に親がつけた名前で呼ばれていました。それぞれの名前には、一般に親が「このような人になってほしい」とか、あるいは「このような人生を生きてほしい」といった願いがこめられています。つまり、名付けられて、その名前を呼ばれ続けてきたということは、ずっと願われ続けてきたということです。このことから、私のいのちは、生まれた時から願いの中に生かされてきたということが知られます。 私は今日まで 海の大地の 無数の生き物を食べてきた 私の罪の深さは底知れず 「罪悪深重」という詩がありますが、このいのちの事実に気づき、殺すことをやめれば、今度は自分のいのちを殺すことになってしまいます。一方、自分のいのちを保とうとすると、やはりこれまでのように他の尊いいのちを奪わなければなりません。 |