-心のともしび(2012年)-
12月:生死無常のまま 年暮れる 「濃淡・美醜・寒暑・善悪・黒白・大小・智愚・明暗・緩急・方円・遅速…」といった言葉があります。このような表現の仕方は日本語独特のもので、英語など他の言語には見られないそうです。日本人には「対立するものを互いに取り込むと」いう考え方があり、互いが溶け合う微妙な味わいを大切にしているからこそ、このような言葉が生まれたのだと考えられます。 こうした言葉の中で、もっとも意味深い言葉が「生死(しょうじ)」です。和語風に言えば「生き死に」ということになりますが、いわゆる「日本人の法則」に従えば、生と死をはっきりと切り離すのではなく、生から死へ、死から生への連続的なつながりを考え、生と死との間にはっきりとした断絶を考えない言葉のはずです。ところが、現代の私たちにおいてあるのは生か死かのどちらかであって、「生死」というように生と死をひとつにしてとらえるという理解の仕方は、既に失われているように思われます。 考えてみますと、現在の私たちは生・老・病・死をすべて名詞で理解し表現していることに気付かされます。しかし、現実には「生というもの」がある訳ではなく、「生きている」という事実があるのです。そして「生きている」ということは、生きて動いているということであり、動いているということは、常に時々刻々と変化している、仏教でいうところの「無常」の中にあるということに他なりません。 「老」ということについても、今日では「老後」という言葉が用いられています。「老後」という言葉は『広辞苑』によれば、「年老いて後。年とってのち」と定義されていますが、江戸時代には「老後」ではなく「老入(おいれ)」という和語を使っていたと言われます。「老後」というと、「年老いて後」ということで、少なからず後ろ向きの印象がありますが、「老入」というと前向きの姿勢が感じられますし、人間としてのひとつの歩みとして、「老」ということがとらえられているようにも思われます。 また「死」ということについても、「死」という名詞で表現してしまうと、本の中の活字のように静的なものになり、まるで「死」というラベルの下に整然と納められてしまっているような感じがします。けれども、「生きている」ということが運動であれば、「死」もまた名詞ではなく、「生きる」ことの自然な帰結として「死ぬ」という、動きを表す言葉が適切であるように思われます。 にもかかわらず、私たちの場合、やはりあくまでも「生」の面においてのみ自分というものを考えてしまっています。したがって、死は私の人生を奪い去り、私を無にしてしまうものとして実感されています。そのとき、死は私にとって全く見通しのきかない、暗黒の闇として受け止められています。そして、ことあるごとに、その闇から私を脅かす不安が込み上げてきて、私を包み込んでしまうかのように感じられます。いわば、私を呑み込んでしまう暗黒の世界として、死は私の足元に横たわっているのです。 このような生き方においては、死は生を呑み込んでしまうものであり、生は死を恐れる生として、あいまいで不確かなものとして生きられているものでしかあり得ません。そこでは、「生死」は同じ私のいのちの事実であるにもかかわらず、全く繋がりを断ち切られ、それぞれ対立するものとしてのみ感じ取られることになります。そのような私たちの生死の在り方を、仏教では「分段生死(生と死が分段されている生死)」と言い表しています。 お釈迦さまは、「死の自覚」を徹底されることによって、真に愛すべき生を見出し、それをひろく説き、確かな道として成就してくださいました。にもかかわらず、私たちの現実は、死を忌み嫌い、眼を背けることによって、まるで自分だけは死なない者であるかのように、今を曖昧なままに生きています。 もちろん、頭では、自分もいつか必ず死ぬということをおぼろげながら知ってはいるのです。それでもなお、人間一般の話としてしか意識していないこともまた事実です。そのため、私たちは生にとらわれ、死を恐れ、そこに常にいろいろな不安を持ち、迷いを重ね、様々な言葉に惑わされています。そして、お札を受けたり、日の吉凶、方角の善し悪しを気にしながら生きています。 そういう迷いの根っこにあるものは何かというと、生死にとらわれる心なのです。仏教でいう「生死を離れる」ということは、生と死を二つに見分けて、生に執着し死を恐れるという心を離れるということです。 今年も残り少なくなりましたが、まさに「生死無常のままに年暮れ」て行こうとしています。今、私が出会っているお念仏の教えとは、この生活の中で、どれだけ行き詰まりを体験しても、その全てを受け止めながら生きて行ける道です。それは、「死んでも死に切れない」のではなく「今のままで死に切れる」人生を生み出して行く教えだということです。意義のある人生を深く生きる、そういう生き方をしたいものです。 |
11月:幸せだから感謝するのではない 感謝できることが幸せである 何が君の幸せ 何をして喜ぶ 答えられないなんて そんなのは嫌だ♪ これは、長きに渡って幼児に絶大な人気を誇る「アンパンマン」の主題歌のフレーズです。人間は誰もが、生まれた以上は幸せになりたいと思っている存在だと言えます。また、科学の発達はそのような人間の願いをかなえるための歴史であったとも言うことができるように思われます。 ところで、私たちはどのような時に自分は「幸せだ」と感じるでしょうか。また、反対にどのような時に「不幸せだ」と歎くでしょうか。考えてみると、同じ状態であっても、自分より幸せに暮らしている人を見ると自身は不幸せであるように感じますし、自分より不幸せな暮らしをしている人を見ると自身は幸せであるように思えたりもします。つまり、私たちの「幸せ」は、いつも他人との比較の中で考えられ、揺れ動いているのではないでしょうか。 仏典に「猿智慧」の話がありますが、それは次のような内容です。 ある海岸に近い山の中に、五百匹を超える猿が住んでおり、それは鬱蒼(うっそう)と繁っ た森の中で生活をしていた。ところがある日、太陽に輝く彼方の海をじっと眺めていると、寄 せては返す大波小波が、目もまばゆいばかりに明るさと輝きを示している。 それをいつも見ていた猿達は、やがて自分の棲んでいるところが暗くて鬱陶(うっとう)しい 森の中であることが耐え難くなった。「あの彼方に大きくうねってくる波の山、あれは宝石を散 りばめたように美しく輝いている。おそらくあそこへ行ったならば、あの輝きにふさわしい生活 があるだろう。」こう考えて、勇気のある若い猿が自分の棲んでいる森を抜け出して、大きく輝 いている波の山の中へ飛び込んで行ってしまった。ところが、その若い猿は、飛び込んで行った きりいつまでたっても帰って来ない。 その帰って来ないことに気が付いた他の猿達は「それ見ろ、あそこはとても美しいところだか ら、あいつはその幸せを独り占めして幸福にひたっているに違いない。だから俺達を呼びに帰っ ては来ないのだ。だいたい、あいつはもともと狡賢い奴だったから、今頃は独りで楽しい生活を しているに違いない。あいつに独り占めさせてはならない。それ急げ!」という訳で、五百匹の 猿が次から次へと波の山の中へ飛び込んで行ったが、ついに一匹も帰ってこなかった。 この話から、私たちの幸福を求め理想を追うという心の中には、猿智慧が隠されているということを教えられるような気がします。「隣の花は赤い」とか「隣の芝生は青く見える」と言われますが、それは、私たちはいつでも他人と比べるところでしか幸せを考えていないということです。けれども、そのようなあり方においては、結局「空しかった」という言葉で、私の人生の全てが惨めに砕け散ってしまうことにならざるを得ません。 考えてみますと、私のいのちは、私には自らが作ったという覚えもなければ、頼んだという覚えもないのですが、今ここにこうして私を生かしめています。そして、たとえ自らに絶望して「死にたい!」と思っても、胸の鼓動は「生きよ!」と力強く働いています。 そうすると、他の誰でもなく、この私が自身のいのちを喜ぶということがなければ、本当の意味での喜びを得るということはできないのではないでしょうか。それは、自分が自分に生まれて良かった、私が私の人生を生きていくということに安んじて生きていける、誇りを持って生きて行けるという事実に出遇わなければ、本当の意味での幸せを手にすることはできないということです。 「必要にして十分な人生」という言葉があります。私たちの人生には無駄なことなど一つもないということですが、それは嬉しいことや楽しいことだけではなく、辛いことや悲しいことも、その一つひとつが私の人生を彩ってくれていることを教えている言葉です。そして、そのような人生を生きることに目覚めた時、私たちは人生で出会うすべてのことに感謝をしながら生きていくことが出来るようになるのだと言えます。そして、ここに幸せだから感謝するのではなく、感謝できることが幸せであると思えるような人生が展開していくのだと思われます。 |
10月:どんなところにも 生かされていく道はある 鹿児島には、県外から多くの観光客が来られます。また、桜島と鹿児島を結ぶフェリーの中では、日本語に続いて英語・中国語・韓国語のアナウンスが流れますので、おそらく外国からも雄大な桜島を目当てに、多くの方が観光に来ておられるのだと思われます。 私は、桜島の溶岩道路を走行している時、いつも見慣れているせいか、桜島を見ても特に感慨を覚えることはないのですが、私の車に同乗しておられる県外から来られた方は、その雄姿に感動の言葉を口にされます。一方、私も旅行や出張などで見知らぬ土地に出かけた時、初めて見るその地の建物や風景の素晴らしさに感動したりすることがあります。けれども、そこに住んでおられる方は、毎日私と同じ思いに浸っておられるかというと、おそらく私が桜島見るような感覚でいらっしゃるのではないかと想像することです。このことから、同じ光景であっても、見る人によって目に映る様は全く違う気がします。 源信僧都の『往生要集』の中に「苦といい楽といい、ともに流転を出でず」という言葉があります。流転ということは、言い換えると、自分を忘れる、自分を見失うということです。私たちは、苦しい状態あっても愚痴を言うという形で自分を失っています。それと同時に、楽しい状態にあっても、その楽しみに中に自分を忘れて、空しく日々を過ごしてしまうということがあります。そこに、苦しみといい楽しみといい、いずれにしてもそういう自分を忘れたあり方というものを出ていないのが、私たちの姿だといわれるのです。 また、苦というのは「自情に逼迫(ひっぱく)している状態」であると言われます。私の感情、気持ちにとって、今の私の状況が胸苦しく圧迫してくる、そういう状態として受け止められるという時が苦です。それに対して、楽というのは「自情に適悦」というあり方、自分の情に合致しているというあり方です。 この場合「自情に」ということが要点です。それは、苦というのは「私にとって苦しい状況」だということです。決して、世の中に苦しい世界というものがあるのではありません。事実は、ひとつの世界を私は苦しいものとして生きているということがあるだけなのです。したがって、同じような状態であっても、他の人は生きがいのある世界として生きているということもあり、また私自身にあっても、今まで苦しみしか感じなかったその世界が、今は楽しい世界だと感じられるようになるということもあります。 そうすると、同じような環境であっても、そこに大きな問題を荷なって、生きがいをもって生きている人もあれば、反対にただ愚痴ばかりをこぼして世の中を呪っている人もいたりします。このように、私の「自情」をはなれて、外側に苦しい世界とか楽しい世界が色わけされて存在しているのではありません。ただ、自らに与えられている状況を、私は自分の思いによって苦しいもの、あるいは楽しいものとして受け取り、生きている事実があるということがあるだけなのです。 このように、苦楽ともにそれによって自分を見失っていくのがこの私たちの迷いの世界です。一方、苦といい楽といい、そのいずれをもあるがままに受け止めていける世界を極楽(浄土)といいます。苦楽いずれにあっても、そのことによって、自分というものを本当に受け止め、自分というものを本当に生きていける。そういう世界を見出して行くあり方を、親鸞聖人は「浄土真宗」と教えてくださったのだと言えます。したがって、そのみ教えに生きる人は、どんなところにも生かされていく道はあるのだということを実感し、体現してくださるように思われます。 |
9月:仏道 人生の事実から目をそらさない生き方
親鸞聖人は、しばしば「空過」ということを問題にしておられます。「空過」というのは、読み通り「空しく過ぎる」ということで、具体的には一生懸命生きて来たにもかかわらず、自分の人生を振り返ると、空しく過ぎてしまったと悲嘆するような在り方を意味しています。 |
8月:お盆 いのちの絆を思う お釈迦さまのご生涯を窺いますと、大切な出来事はいつも「樹」によって彩られているような感じがします。伝記によれば、誕生されたのはカピラ城郊外のルンビニー園の無憂樹の下です。そして、悟りを開かれたのはガヤー村の菩提樹の下。亡くなられたのは、クシナガラ郊外の林の中の沙羅双樹のもとです。このように、生涯の要とも言えるところは、全て「樹」で語られています。 |
7月:自分の力で生きているものは一つもない
私たちは今こうして生きているのですが、自分が生まれてきた時のことを自覚的に語れる人は誰もいません。また、生まれた以上いつか必ず死んで行かなくてはならないのですが、死ぬという経験をしたことがないので、自分が死んで行くということもよく分かりません。 |
6月:煩悩無尽と雨が降る
仏教では迷いのことを「煩悩」といい、親鸞聖人はこの言葉を「煩は身をわずらわしむ、悩は心をなやます」と述べておられます。このことから、煩悩とは私の心身を悩ますものだということが窺い知られます。 |
5月:智慧 自分の弱さと向かい合う勇気 『正信偈』の中に「与韋提等獲三忍(韋提と等しく三忍を獲)」という言葉があります。韋提(いだい)というのは、『仏説観無量寿経』に登場するマガダ国の王、頻婆裟羅(びんばしゃら)の妃、韋提希(いだいけ)のことです。 |
4月:念仏の声は尊く 合掌の姿は美しい 浄土真宗では、念仏申す、あるいは念仏をとなえるというときの「となえる」は「唱」ではなく、必ず「称」の字を用います。 「称」は、御なをとなうるとなり。また、称は、はかりというこころなり。はかりとい うは、もののほどをさだむることなり。 と、述べておられます。 名号を称すること、とこえ、ひとこえ、きくひと、うたがうこころ、一念もなければ、実報土へうまるともうすこころなり と、述べておられるのです。ここで興味深いのは「名号を称すること、とこえ、ひとこえ」ですから、当然、つぎには「となうるひと」とあるはずなのですが、親鸞聖人は「きくひと」とおっしゃっておられることです。 |
3月:あなたがいてくれたから がんばれたよ |
2月:心は行いによって初めて見える
『蓮如上人御一代記聞書』という、本願寺第八世・蓮如上人(1415-1499)のお言葉を記した書物の中に、次のようなことが記されています。 |
1月:慈光に照らされて 新しい一歩をはじめよう 親鸞聖人は、阿弥陀仏を意味する「尽十方無碍光如来」という名号を解釈されるにあたって、「尽十方」とは、「無碍」とは、そして「光如来」とはという区切り方で、その意味を明らかにしておられます。 |