私的研究室


16.浄土真宗の行

定説への疑問

はじめに

 浄土真宗において「行」を問題にする場合、まず注意しておかなければならないのは、私自身がどのような立場から述べようとしているのか、その位置づけを明確にすることだと思われます。なぜなら、周知のように私たち真宗者は、行に関して質を異にする「三種の行」に出会っています。第一は「阿弥陀仏の名号」で、この大行は一切の衆生を無条件で摂取するはたらきとしての「行」です。第二は「諸仏の称名」で、この行は諸仏が衆生に弥陀の阿弥陀仏の名号を讃嘆して説法する行為としての「行」です。第三は「衆生の称名」で、これは未信の衆生が、諸仏及び獲信の念仏者から阿弥陀仏の名号を聞く「聞法」という行為としての「行」で、ここに「信楽を獲得する」という場があります。

 さて、この「行」は、いずれの場合も「無碍光如来の名を称す」という行態を取ります。したがってこの「称名」を問題にする際は、自分がいま問題にしている「行」はこの三種の行の内のいずれであるかを自身がはっきりと認識しておく必要があります。三者はそれぞれ「行」の概念を異にするからで、これを混同すると、論旨が曖昧になるばかりではなく内容そのものに矛盾が生じてしまいます。

 それは当然のことであって、論究における方向性の確立は、論旨を一貫させるための第一条件だといえます。ところが、これが伝統宗学の「行論」では、必ずしも満たされているとは言い難いのが現状です。そればかりか、むしろ「行論」そのものを、自身の立場を確立することのないまま展開させているところに問題があるように思われます。したがって、伝統宗学では「行論」が非常に煩瑣であると言われるのも、実はここに原因があると考えられます。

もし本来異なった範疇に属するはずの行の概念をそこに混入し、しかもそれに気付かないまま論を推考しているのだとすると、当然のことながらその理論は煩瑣なものになってしまいます。しかもこの矛盾性は、単に宗学内に限られる問題ではなく。親鸞聖人の念仏思想を論じるすべての者が係わるもののように思われます。なぜなら、親鸞聖人の思想を論じている者は、無意識の内に何らかの形でこの伝統宗学によって意義付けられた教義の影響を受けていると見られるからです。このため、宗門の内外にあって宗学に対して批判的立場を取っている学者までが、この中で論を展開しています。念仏について論じる場合、宗学外の学者は往々にして伝統的教義を批判することが少なからずあるのですが、その批判をしている学者自身が、伝統の宗学によって導き出された定義を根拠にして、自己の論を展開していることがよく見られるのです。

 一、二その具体例を示してみます。浄土宗と浄土真宗においては、法然聖人と親鸞聖人の念仏思想の同異がよく問題になります。例えば、光地英学氏は、

  法然の思想の根本は「専修念仏」であり、親鸞の思想の本質は「信心正因」にあると一般にされている。けれども『西方指南抄』などに示されている、法然の「信」と「念仏」の関係を見ると、念仏が次のごとく、ほぼ三つに分類されうる。一、信を得たものが行ずる念仏。二、未信のものが念仏することによって信を生ずる念仏。三、行とか信とかが意識されるのではなく、自然に相即しあっている念仏。かくみると、法然の思想を専修念仏といっても、そこでは「信」がことに重視されており、信心正因的意義がここに見出される。一方、親鸞の思想においても、念仏と信との間に、このような関係を認めることができるから、「専修念仏」と「信心正因」は、単に表現の違いというべく、法然と親鸞の思想には本質的差はないと見るべきではなかろうか。

と論じられています。これなど、真宗学内においても、従来しばしば論じられてきた論考と全く同一の次元に立つものと窺われ、ここに意味する「信心正因」の語意も、それ故に光地氏自身の独自の見解ではなく、宗学的意義をそのまま依用された論のように見受けられます。

 けれども、このように法然聖人と親鸞聖人の思想を画一化するには、両者の思想はあまりにも深すぎるのではないかと思われます。もちろん、両者の念仏は、ある場において同一の基盤に立ちうるものであることは言うまでもありません。しかし、そのような同一の基盤を有しつつも、他の場合においては、全く異なった範疇に属するものとなることもまた事実です。

 したがって、このような場合には、一つの「場」の設定が必要となり、両者の思想の比較はその一観点を通してしか論じることは出来ません。親鸞聖人の念仏が法然聖人の念仏と対比されるような時は、両者がそれぞれの念仏をどのような意図のもとに語ろうとしておられるのか、その心を見ることなくただ単に類似的な言葉を漠然と並べるのみでは、両者の念仏の概念規定にはなりません。この点から光地氏の論を窺うと、親鸞聖人が意味しておられる念仏のいずれの立場に、法然聖人の念仏思想があてはまるのかということの検証が疎かになっているため、論は上辺を形式的に走っているだけに過ぎず、法然聖人と親鸞聖人の思想の根元を捉えて、それを追求するまでには至っていません。それは、親鸞聖人の大行の思想の見落としだと考えられますが、この点こそ伝統宗学の最大の難点であり、以下において論及したい点でもあります。

 さらに一例として、家永三郎氏による親鸞聖人の念仏思想への批判について指摘することができます。家永氏は、

  もし親鸞が観念から口称へ、口称から信心へといふ浄土教の発展をさらに徹底せしめ、ことに信心の内容を念仏の方向から「念罪」の方向に転廻させる、その画期的事業をあくまで完成しようとするならば、このやうにいつまでも昔ながら念仏行に固執してゐる必要はなかったのではなからうか。信の一念にては救はれるとして置きながら、他方に、口称の行を不可欠とする親鸞の態度を矛盾とみるのは、あながち宗門に縁なき第三者の曲解とばかりも云はれまい。…人間の社会的実践→罪障の自覚→信の決定、といふ信仰の構造の中に、称名念仏などの位置する余地はない。

として、親鸞聖人の思想には念仏など入る余地はないのに、その親鸞聖人が自身の著述において称名念仏を強調するのは、思想の矛盾であって、念仏こそ親鸞聖人にとって「躓きの石」だと結論づけています。

 この論文に対しては、すでに星野元豊氏や村上速水氏が批判を試みておられます。ただし、それらはこの意図に対しての直接的な批判ではなく、家永氏が他紙で論じた「親鸞の念仏は呪術的要素を含む」ということに絡ませての批判のように見受けられます。したがって、星野・村上両氏が力説しておられることは、親鸞聖人の念仏がいかに非呪術的なものであるかの説示のように窺われます。

 しかしながら、家永氏の主張の要点は、親鸞聖人の信一念における称名念仏の不必要性だと考えられます。そのため、呪術・非呪術の観点のみからの批判では、ややその中心点を逸れているとの感を否めません。要は、家永氏が批判しているのは、親鸞聖人の思想の根本が「信心為本」である以上、称名はそれがどのような称名であっても、そこには呪術的要素を認めるべきだということです。そうであるとすれば、ここでは念仏の非呪術性の問題よりも、家永氏の意味する親鸞聖人の「信心為本」の義そのものが重要な問題になるのではないかと思われます。親鸞聖人の「信心為本」に矛盾があるのか、それとも家永氏の「信心為本」に対する理解が親鸞聖人の思想を曲解しているのではないかということを、考察の焦点に置く必要があるのです。

 ここで問題としたいことは、家永氏がこの論をなすにあたって取られた学問的態度についてです。家永氏の説は、従来の宗学的立場を度外視するか、あるいはそれを徹底的に批判するという態度でもって、親鸞聖人の思想を自己の思索を直結させながら論を展開されています。ところが、家永氏の論に「理論の上には大信に先立つ大行の理を案出するとともに、実践の上では信後の報謝の念仏を発明したのであろう」という一文があります。これは宗学でいう「信心正因・称名報恩」の義を指すものと思われ、その称名報恩の思想こそを親鸞聖人の「躓きの石」だとするのです。

 この場合、親鸞聖人の思想を解釈している家永氏の記述の一文が、果たして家永氏自身の独創的見地から導きだされたものか、それとも度外視しているはずの「宗学」の影響を暗に無意識的に受けてできたものであるかが問題になります。もし前者だとすれば、それがいったい何を根拠に導き出されたものであるか、より詳細な説明が必要となるはずです。一方、後者だとすれば親鸞聖人の思想の上にもし後世の宗学が意味するような「信心正因・称名報恩」の意がなければ、家永氏の論は根底から崩れさってしまうことになるからです。このことは何も家永氏のみの問題ではなく一般論としてもいえることであって、例えば家永氏の論を批判しておられる星野氏の文でも、親鸞聖人の信と念仏を「精神的信念的要素」と「儀礼的行為的面」に分類し、「獲信のとき、すでに生死を超えているのである。…そのかぎり称名をすすめる必要は毛頭ない」と述べておられますが、このような思考法は、まさに家永氏のものと同一の難点を含んでいると思われます。

 このように見てきますと、宗学内においても、また宗学外においても、親鸞聖人の「行」に関しては、まだ種々の問題点が残されているように見受けられます。では、その原因はどこにあるのでしょうか。端的には、親鸞聖人の行思想に対する分析の不徹底さにあるのではないかと思われます。すなわち、伝統宗学において「行」は、主として大行と報恩行、他力と自力、あるいは名号と称名といった範疇の中で大別され、その規範のもとで思考が重ねられています。

 しかし、仏廻向の行が大行であり他力であり名号だと使い分けても、それが衆生とかかわる場は「称名」でしかありえません。そのため、この「称名」に一つの概念規定をほどこし、その称名義のみで親鸞聖人の念仏思想を読み解こうとしても、一面的な理解に陥ってしまう可能性を否定できません。加えて、私たちがここで最も心しなければならないことは、親鸞聖人の思想そのものに、果たして伝統宗学が意図しているような分類がありえたかどうかということです。もし宗学が、その根元において親鸞聖人の思想を誤りの中で捉えているのだとすれば、その中で構築された論述は、どれほど精緻を極めていたとしても、親鸞聖人の思想の本質からは遊離したものになってしまいます。

 現在、宗学においては「名号」と「称名」を厳密に区別して論じようとしています。具体的には、前者を仏の側に属せしめ、後者を衆生の側に属せしめるというあり方です。けれども、そのような分類が親鸞聖人の中にあったのでしょうか。一つの顕著な例として、大行出体釈の「大行者則称無碍光如来」の文に見られる「称名」と、三心結釈の文に見られる「真実信心必具名号名号必不具願力信心」の「名号」との義を対比させて考えてみることにします。今日の宗学の一般的解釈に従えば、前者の「称名」は名号の義に、後者の「名号」は称名の義にそれぞれ解釈しています。つまり、親鸞聖人がわざわざ明示しておられる語意を、全く逆にして註釈を施しているのです。

いったい、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。それは、宗学においては一つの大前提があり、それにしたがって論旨を構成させているためです。名号を仏の側に、称名を衆生の側に属せしめることがそれで、だからこそ大行は「名号」でなければならず、信を具足しない名号は「称名」でなければならなくなるのです。けれども、これは極めて不自然なあり方です。むしろ文を解釈しようとする場合は、親鸞聖人が「称名」と述べられているのであれば称名と理解し、「名号」と述べられているのであれば名号と理解し、その中で親鸞聖人の意図を考察していくことが基本となるはずです。

では、親鸞聖人の文を読み進めていく際、私たちはどうすれば良いのでしょうか。簡単なことで、伝統の宗学が大前提としているその概念規定を取り除いてしまえばよいのです。本来、親鸞聖人の思想には、後世の宗学が意味するような名号と称名との区別はなく、仏の行をある場合は名号、他の場合は称名といわれたのです。同様に、衆生の行もまた、ある場合は名号、他の場合は称名といわれたのです。このように受け止めると、煩瑣な理由付けにわずらわされることからも解放されます。

以上のことから、私たちは「行論」に関して考える場合は、「従来の規定概念をすべて疑う」という立場から出発する必要があるといえます。伝統の宗学の最大の難点の一つは、親鸞聖人の思想を求めようとする場合、その思想と自己との直接的な対話をなす以前に、まず先哲が導き出した語義の概念を理解し、その定義によって親鸞聖人の思想を理解しようとするところにあるといえます。けれども、この定義をただその通りに理解しようとする在り方は、多くの問題をはらんでいるといわざるを得ません。なぜなら、もし先人の定義付けに誤りが宿されているとすれば、私たちはそれを誤った形のまま規定概念として論旨を構成していくことになるからです。そうなれば、結論はもはや親鸞聖人の思想とは異質のものとなってしまうことは自明のことです。

では、私たちはどのような方向から「行」の考察を始めるべきでしょうか。伝統の宗学の行の定義付けに首肯できない場合、そのどこに矛盾が見られるのか、まずそれを問う必要があります。そこで、伝統の宗学の「行」に関する定義への批判という角度から、以下考察を進めていくことにします。

 「行」に関する定義

『真宗行信論の組織的研究』(普賢大円著)という著述があります。これは、宗学三百年の歴史の中で研鑽された諸先哲の業績を組織的に集大成したもので、宗学の中心課題である行信論の思想の発展の経路が端的に解明されています。そこで、しばらくこれにより、宗学における「大行論」の方向を跡づけてみることにします。

一般に宗学では、大行を大きく二つに分けます。一は「私が仏名を称える」という点に主体を置き、衆生の称名をもって「行」とする立場であり、二は「称えられる名号」すなわち法体の大行をもって「行」とする立場です。この二つの流れの内、前者を「能行説(派)」、後者を「所行説(派)」と呼びます。では、現在それぞれの立場では、どのような結論が導き出されているのでしょうか。

二つの派は、まず単に衆生の称名に限る学派と、また法体の名号に限る学派との両極に分かれます。前者が純粋能行説、後者が純粋所行説と呼ばれているものです。いうまでもなくこれらの二説は、いずれも不完全なものであって、互いにいくつかの欠点を宿すとされています。

その顕著なものの一つに、親鸞聖人の著述には二説いずれもの論拠となりうる文が存在する、という点があげられます。二つの方向が存在するからこそ、一方において、その中にある点を論拠に純粋能行説が成立し、同時に他方において別の点を論拠に純粋所行説が成立するのだといえます。だとすれば、一方に限定したのでは、親鸞聖人の思想を完全に把握したことにはならなくなり、各々がその論拠に固執する限り、二説は互いに存在することになります。

ここにおいて、親鸞聖人の示された二つ方向を同時に成立せしめる学説が必要になります、これが能行を中心とする折衷説と所行を中心とする折衷説です。それでも、なお親鸞聖人の思想を十分に説明し尽くせたとはいえないとします。折衷は、互いに他の存在を認めるものの、それが真に交わるまでにはいたらないからです。ここに思想の最終的段階として、親鸞聖人の二つの立場を同時に満足させるべき、二者の相即を語る能所不二の円融思想が生じることになります。

したがって、能行円融説と所行円融説は、共にそれぞれの区分の最頂点に立つ思想ということになり、大行論に関する宗学の最も深い哲理もまた、ここにあるとされます。そして、このような研究の方向は、学説一般のように窺えます。けれども、この能所不二の学説においてもなお、能行を取るか所行を取るかで大いに論旨は異なってくるといわなければならず、現在でも二説は互いに他を徹底的に論破することができないまま平行線をたどっていると見られ、その結果大行論はますます複雑、難解さを増してゆくことになります。

では、いったいそれぞれの学派は、どのようなところに細心の注意を払い、何に心血を注いで自己の学説を確立しようとしているのでしょうか。そして、その学説は他の学派からみると、どのような批判を加えられるべき欠点を有しているのでしょうか。純粋所行説と純粋所行説は、一方は大行を衆生の称名に限り、他方はそれを法体の名号に限定しています。その両説の難点は、ほぼ次のようなところにあるとされます。

まず、能行説の方からみると、「⑴称名正因の難」「⑵信称同時の難」の二点があげられています。すなわち、⑴この学説は、もちろん自力の行信を主張するのではなくて、意図するところは他力廻向の行信であり、しかも行信不離の中、信をもって正因とします。しかし、諸仏の讃嘆が純粋なる能行を勧めるとしている限り、たとえ称名が他力廻向の行であっても、その諸仏讃嘆を聞く衆生の信相は、能称立信に陥り、ともすれば称名正因に堕し易いという可能性を含むといわなければなりません。

⑵能行説の他の一つの難点は、信一念に行を欠くところにあります。能行説では、法体大行が衆生に領納されたのが信一念ですから、そこには必然的に信行が具足します。けれどもこの方は、大行は唯口称だとする結果、信一念は念仏往生と信じるのみであって、法体大行を具足せず、行の具足は衆生の称名をまって後になります。これが能行説に見られる欠点です。

これに対して所行説の方の難点は、「⑴仏因仏果」「⑵称名に対す不当の見解」「⑶信後の称名の必然性を欠かしめる」の三点があげられています。すなわち、⑴大行を法体名号に限ると、三法組織の時はそれが直ちに証果に向うため、衆生に関するところがなくなります。⑵大行出体釈の「称無碍光如来名」や称名破満釈等の文の解釈にどうしても無理が生じます。⑶能行説が信一念に行を欠いたのとは反対に、名号大行を領受する信心によって往生ということになり、信心の内容に必ず称名をしなければならないという意識が含まれてこない等の理由が考えられています。

さらに、これに加えて両者に共通するものとして、先に示した、もし一方に限るとすれば聖典中の他説の論拠となっている文意の解釈に直截な解釈をほどこすことができなくなるという難点があげられます。

したがって、これら両者は、これらの難点を是正する必要に迫られることになります。この場合、自説の欠点が互いに他の側の長所としてあるところに、これらの説の特徴があります。ここに、自説の欠点を正し、両者の長所を共に生かすべき「能所不二説」の生じた必然性を見出すことになります。

 このようにみれば、諸先学が何に注意を払い、苦心を重ねて「行」の本質を求めようとしてこられたかが、ほぼ理解されるのではないでしょうか。それは能行・所行両説が持つ諸難点の克服、逆にいえば、能所不二説を生ぜしめた原因ですが、第一に他力思想の顕彰という点が考えられます。

親鸞聖人の思想の特異性は、他力廻向義にあることはいうまでもありません。したがって、それを強調すればするほど、自己の自力性は否定されなければならないことになります。ここに、自己が仏名を称える力によって往生するという、称名正因の義が宗学によって徹底的に排斥された理由が見られます。この故に、自力性をいかになくするかに最大の心血が注がれたのですが、こうして導き出されたものこそ「信心正因」の義に他なりません。

自己の称名が正因でないとすれば、仏廻向の大行を受領する信心こそがまさに正因だとされなくてはならないからです。では、称名義はどうなるのでしょうか。いうまでもなく、称名念仏は、善導・法然の中心思想であり、この行こそ両者にとって唯一の往因行でした。そうすると、両者法脈を受け継いでおられる親鸞聖人も同様にその称名は重視しておられるはずです。

ここに次の問題として、称名念仏義の発揮が宗学にとって重要な課題になります。信において往生は決定します。それに加える称名の必要性とは何でしょうか。それが「称名報恩」義の顕彰ということになるのだと思われます。そうだとすれば、ここに「大行」「信心正因」「称名報恩」という図式が出来上がることになります。では、この「大行」の物体は何でしょうか。

さて、「大行」を宗学で規定される基本概念のもとで成り立たせるためには、次のような前提が必要になります。

一、      大行を衆生の称名に限ることはできません。もしそうだとすれば、大行は衆生の称名をまって、はじめて成立することになるからです。けれども、これは仏教(浄土教思想)の本義からいえば逆だといわなければなりません。仏の大悲は衆生の心に先行するものだからで、衆生をして信ぜしめ行ぜしめる力となるものこそ、大行でなければなりません。ここに、大行を衆生の称名に限定することのできない理由があります。では、それは何でしょうか。これこそ、衆生をして直ちに称名を行ぜしめるべき力となるもの、すなわち阿弥陀仏によって選択廻向せしめられた仏の名号だといわなればなりません。

二、      したがってその名号は、単に画餅のように、固然たるものとして止まっているものではありません。仏廻向の名号は、常に衆生をして、信ぜしめる働きの中にあるものだからです。

三、      こうして名号は、衆生の心に受領された瞬間、それはそのまま衆生の称名として転化します。けれども、この場合その大行は、必ず「信」を通さなくてはなりません。信不具足の称名も大行だとすれば、自力の称名、あるいは道路謳歌の念仏もまた大行といわれることになるからです。

四、      この故に大行が衆生の称名となる時は、信一念以後ということになります。すなわち行の一念とは、衆生如実の称名を指しますから、そこに生ずる称名は明らかに信一念後でなければなりません。

五、      信一念以後の称名とは、まさしく第十八願の乃至十念を指すことになります。けれどもその称名は、同時に第十七願に誓われた「咨嗟称我名」と本質的に同一でなければなりません。その法体大行の名号を通して生じたものこそ、第十八願の称名だからです。こうして「一願建立」と「五願開示」の教義の中でも窺える、第十七願と第十八願の相即の関係が、「咨嗟称我名」と「乃至十念」との間で成立させられることになります。

以上の諸点を満足せしめるものとして、「称即名」「名即称」の円融思想、能所不二説が生じることになるのですが、果たしてこの思想は、親鸞聖人の念仏思想である大行義を真に体得した思想だといえるのでしょうか。なるほど、能所不二説は論理形態としては、まことに巧妙であり緻密だと言えます。したがって、これは一見、難題を見事に克服しているように見受けられます。けれども、巧みに答えるということと、親鸞聖人の思想に即するということとは別問題だと思われます。巧みさの故に、かえって思想の本質から逸れてしまうこともあり得るからです。ここで、今日伝統宗学に対してなされている批判をまとめると、概ね次のようになります。

親鸞聖人の思想は、もっと迫力があり直截簡明です。その言葉には、人の心を深奥から揺さぶらずにはおかない響きがあります。それは真如にふれた叫びだと思われますが、その力を宗学はいったい保ちえているのでしょうか。親鸞聖人の人生は、非常に行動的であり積極性に富んでいるのに、現代の真宗者は保守的であり実践はまことに消極的です。それは親鸞聖人の「動的」思想を「静的」にしか受けとめることのできない教学のためだと思われます。もしそれが教学によるのだとすれば、その教学こそ煩瑣な能所不二の教学を指すといえます。では、完全と思われる能所不二説のいったいどこに矛盾が宿されていると考えられるのでしょうか。先に掲げた諸点の一つ一つに検討を加えながら、問題の所在を探ってみることにします。

定説の矛盾点

第一に「大行が衆生の称名に先立つものでなければならない」という理論について考えてみます。この故に法体大行としての「名号」が案じ出されたのですが、いったいその名号とは具体的には何なのでしょうか。

私たちは通常、法体の大行をいとも簡単に「仏の名号」だと言いますが、具体的に把捉できる名号とは何でしょうか。常識的に考えれば、まず本尊としての名号が念頭に浮かびます。ただし、この名号が本尊だということは、単に掛け軸にかかっている「南無阿弥陀仏」という六つの文字を指しているのではありません。この六字によって示されている、言葉の意味内容が南無阿弥陀仏をして本尊たらしめているのです。したがって、この六字を離れては、具体的に躍動する「法体大行」は、私たちには認識することはできません。

そうすると、本尊としての名号は、そこに「静的」に存在するのではなく、その六字がそのまま大行として、仏の側から私に「動的」に働く必要があります。今その働きをもし象徴的にとらえようとすれば、それはまさしく「称名」ということになってしまいます。

このように見ますと、名号と称名との関係は、名号を法体の側で、称名を衆生の側で捉えるという見方には、やはり問題があるといわざるを得ません。なぜなら、親鸞聖人の思想には、このような捉え方は見られないからです。つまり、伝統の宗学のような区別をされるのではなく、法体大行を本質的に捉えようとする場合には「名号」という言葉を選ばれ、それを躍動の相として行体論的に捉えようとされる場合には「称名」という言葉を使っておられるだけのことなのです。

したがって、法体大行が「南無阿弥陀仏」に先駆けて動き、それが衆生の心に来って信心となり称名となるのではなく、法体大行の名号が、この現実世界で躍動している相こそ、まさしく私たちの称名念仏している「南無阿弥陀仏」に他ならないのです。

そうすると、第二の「法体大行の名号は単に固然たるものとして止まっていない」という命題は、それが一つの観念の世界で考え出されたものということになります。親鸞聖人は、観念とか憶念というような行為を徹底的に排斥されました。なぜなら、そのような行相の中には、真如を掴みうる道は存在しなかったからに他なりません。言い換えると、それは「色もなく、形もましのさぬ真如そのもの」を、凡夫の力で捉えようとすることへの厳しい戒めであり、反省なのでした。

では、伝統の宗学が意味する「法体大行の名号」とは何でしょうか。少なくとも「色なく形もましまさぬもの」であってはならず、また真如の動く相ではあっても、私たちの認識とは関わりあうことのできないもの、いわば真如と同一の次元にあるものです。このように見ると、私たちが現在、安易に語っている「法体の名号」というようなものは、実は私たちの認識を超えた世界のものだということになります。

したがって、そのような「名号」を、私たちの実存の世界で、あたかも存在するかのように捉えようとすることは、そのこと自体ちょうど心念とか観念によって、真如の仏体を把捉しようとする行為と同じだといわざるを得ず、もし親鸞聖人が観念の世界を排除されたのであれば、このような観念的産物である「名号」もまた当然のことながら除かれるべきです。

先に、親鸞聖人の思想には「名号」と「称名」の厳密な区別は見られないと述べたのですが、親鸞聖人は名号を自身とは別に存在する何かとして観念的に捉えられたのではなく、もっと実存的に自己の肉体的行為を通して把握し得るものだと考えておられたように思われます。このような意味で、親鸞聖人においては、名号といってもそれは衆生の称名以外の何ものでもなく、また称名といってもそれは仏の六字の名号以外の何ものでもなかったのだと言えます。

伝統の宗学においては、「名号」と「称名」を二つの物体に分けて、その上で相即を語るのですが、親鸞聖人においてはそうではなく、むしろ名号と称名は二物に分離されざるものとして、常に同一視されていたところにその思想の特徴が見られます。

したがって、例えば「咨嗟称我名」を解釈する場合、宗学では「咨嗟称」と「我名」とに分け、能詮所詮の関係において複雑な論議が編まれているのですが、これなどまさしく後世の宗学上の問題であって、親鸞聖人の思想とは関係のないものだと言えます。親鸞聖人における大行とは、私たちが「仏名を称する」ことにおいてのみ、語り得ることだったのです。

では、第三の問題として、その「称名」と「信」の有無の関係はどうなのでしょうか。私たちの常識としては、称名が「大行」といわれる以上「その称名は自力の称名であってはならないし、当然そこには信が具せられていなければならない」と考えます。けれども、果たして自力の称名、あるいは信を具していない称名は、大行と呼ぶことはできないのでしょうか。もしそうだとすれば、私たちはここでもまた不可解な矛盾に遭遇することになります。

ここで、親鸞聖人はなぜ称名行を「大行」と呼ばれたのか考えてみることにします。親鸞聖人は、称名こそ仏廻向の法であり、仏の行なるが故に「大行」と呼ばれたはずです。そうであれば、衆生の行為がどうして仏の力を左右することができるでしょうか。ここに、私たちが陥っている本質的な誤りを見いだすことができます。これまで私たちは、仏の力を尊ぶあまり、敬虔な態度で自己の自力性を極力避け、信の重要性をできるかぎり強調してきました。それ故に、自力の称名は大行でなく、信のない称名もまた大行とは呼び得ないと論じてきました。

しかし、実はそれはむしろ大行を貶めていることになっていると言わざるを得ません。なぜなら、「大行」とはいわば仏のはたらきに属するものであり、自力とか信の有無とかは衆生の心に属するものだからです。したがって「称名」が衆生の心の持ち方次第で「大行」であったりなかったり、自由に変えうるとすれば、仏の力を衆生が支配することになります。そうすると、「衆生の力の方が仏力よりも強い」というおかしなことになってしまいます。

大行の大行たるゆえんは、衆生の行為あるいは心に関係なく、それが大行として成立するものでなければなりません。たとえ、その称名に信がなくても、あるいはまた自力の称名であったとしても、称名がひとたび大行と呼ばれる以上は、そこに大行義が成立しなければなりません。無信のところに大行が働き、自力性を破り信を成ぜしめてこそ、大行としての面目があるからです。そうであれば、称名の中にそのような力がなければなりません。決して、私の心によって「称名」の価値が左右されてはならないのです。

 このように見れば、第四の「信一念と行一念の関係」の中にも、明らかな誤りが見いだされることになります。宗学では信一念が行一念に先立つとします。しかしながら『教行信証』を繙けば自明のように、「行巻」が「信巻」に先立っています。いうまでもなく「行巻」には行の一念が、「信巻」には信の一念が示されています。そうすると、行の一念は信の一念に先立つということになるはずです。ところが、宗学ではこの順序を入れ替えて、信の一念が行の一念に先立つとしています。これは、『教行信証』の流れから見て、明らかに矛盾しています。ではなぜ、宗学ではこの単純な誤りを敢えておかそうとしているのでしょうか。これこそ「名号論」の誤謬に基づくものだと思われます。

 親鸞聖人においては、「仏名を称する」こと以外に名号もなく称名もありませんでした。それは、私たちの悟性を超えたところに存在する観念的な行としての名号は、その思想にはなかったということです。ところが、本来一事象である「仏名を称する」という行為を、後世の伝統宗学では「名号」と「称名」という二つの要素に分け、超理性的な法体大行としての名号という観念的相好を導き出しています。もしその大行が信を起こすのだとすると、私たちの認識の対象となる「称名」は、当然、信以後の相とならざるを得ません。ここに『教行信証』の説示を逆にしてまでも、信一念の後に行一念を配さなくてはならなかった理由が存在します。

 けれども、仮にそのように観念的な「法体大行としての名号」という考え方を取り除いたとするとどうでしょうか。具体的に「仏名を称する」こと以外に大行がないとすれば、『教行信証』の記述通り、もっと素直に行の一念と信の一念との関係を把捉することができるのではないでしょうか。聖典を拝する場合、何よりも重要なことは、その文章に即して読むということです。だとすれば、そこに自己の意を加えて、行の一念と信の一念を逆にするよりも、親鸞聖人にあってはなぜ行の一念が信の一念に先立つのかということを考察することが肝要だといわなくてはなりません。

 では、なぜ親鸞聖人においては行の一念が信の一念に先立つのでしょうか。これもまた明白なことであって、行の一念が「口称」の相を取りながら、それが大行であるからです。仏大悲廻向の行は、常に衆生の心に先行し、私をして真如に導いて下さいます。その仏の行が、行の一念だとすると、それが信の一念に先立つことは極めて当然のことだといわなくてはなりません。

 では、最後の第十七願と第十八願との関係はどうでしょうか。第十七願の「咨嗟称我名」と第十八願の「乃至十念」は、本質的に同一だとしても、果たしてそこに相即を語ることができるでしょうか。通説にしたがえば、法然聖人の法義を「一願建立」、親鸞聖人の法義を「五願開示」だとしています。親鸞聖人は法然聖人によって打ち立てられた第十八願義を分析され、その趣きを五願に開出されたとするのです。ことにその中、第十八願の「乃至十念」が注目され、その義を第十七願のなかに見ようとしているのですが、この二願に果たしてそのような関係があるのかどうか、大いに疑問視する必要があります。

 なぜなら、そのような方向で第十七願と第十八願を捉えようとする試みは、歴史性を無視し思想の展開に逆行するあり方に他ならないからです。すでに明らかにされているように、『無量寿経』の成立は、この両願が分離してゆく過程の中に見られます。

 すなわち、本来は一つの願であった願文が後に二願に分離したのですが、このように一つの願が二つに分離したということは、それぞれの願が本質的に異なった意義を持つようになったからだと言えます。つまり、願文の思想が明確に異なっているからこそ、二願がそれぞれ独立して存在する価値があるのです。では、両願の本質的相違はどこにあるのでしょうか。

 言うまでもなく、一方が仏の称讃を、他方が衆生の生因を示すところに両願の根本的差異が見られます。再言すれば、第十七願は諸仏の行為を示している願であるのに対して、第十八願は衆生の獲信についての願文なのです。したがって、両願が質的な違いを持っている以上、私たちがその願文を見る時には、そこに注意をはらい、常に一線を画して両願を語らなければなりません。そうでなければ、両願の真意を根本的に見誤ることになってしまいます。

 このようにみると、第十七願の「咨嗟称我名」と第十八願の「乃至十念」は、質を異にする全く別個の行為だとみなければなりません。両願を直ちに同一視してはなりませんし、また安易に両願の相即を語ってもならないのです。それ故、親鸞聖人はその経典の意図を汲んで一方を「行巻」に他方を「信巻」に分かたれたのです。いわば両者は、次元を異にする「行」として明確に対応させられるべきものなのです。

 これを伝統の宗学では、経典や親鸞聖人の意図とは逆に、同一視しようとする方向で両願の義を捉えようとしています。ここに、従来の論自体がもつ矛盾性を指摘することができます。もしこのような理解の仕方が通るとすれば、「行巻」の本質は第十七願の「諸仏の称名」ではなく、第十八願の「乃至十念」でも、また『観無量寿経』に説かれる「具足十念」でも良いことになってしまいます。けれども、そうであるとすれば、親鸞聖人が「行巻」に第十七願を配された意図が薄れてしまいます。「行巻」の標願に第十七願が明記されている以上、親鸞聖人においては大行の本質は第十七願以外にはなく、第十八願の「乃至十念」や下下品の「具足十念」ではなかったと見なければなりません。

 このことから、親鸞聖人における「行」の概念は、単に第十八願の「乃至十念」の義のみでは捉えることのできない、より広範囲な、あるいはそれとは別の範疇に属して成立しているものとする必要があり、このことを私たちは改めて確認しておくべきだと思われます。

 親鸞聖人の「行」の思想は、「咨嗟称我名」と「乃至十念」の両義に及びます。もちろんこのことは、従来の行論における中心的な課題ですから、その意味ではこれは目新しい問題ではありません。ただし、従来の論考はこの二者を「名号」と「称名」という観点からとらえ、その両者がいかに相即するかという点に論議を集中させてきたかのように見受けられます。

 けれども、親鸞聖人の行論を学ぶに際しては、反対にその両者の相違面に関心を寄せることが重要なのです。それは、観念的に捉えられた「名号」と「称名」というような相違ではなく、咨嗟称我名」と「乃至十念」は、私たちの具体的現実の世界では、共に「称名」という同一の相を取るからです。この故に、従来はこの二つの「称名」を如実の称名として同一視し、両者における相即が語られてきました。しかし、これら両者は、衆生の口から出る「称名」という同一の相を取りながら、実は一方が諸仏の行為としての「称名」であり、他方は衆生の聞名となるべき「称名」です。

 したがって両者は、説法と聞法との関係において対峙されるべきものであり、決して安易に同一化されるべきものではありません。いわば両者は、相対応すべき存在、常に緊張し反発しあいつつ、しかもある時点でそれが重なり合うべき関係に置かれているのです。この点を、私たち真宗者は自己自身の上で、自らの行動を通してもっと厳しく見つめるべきだと思われます。それは、そのような緊張関係を自身の上に求めていくところに、真宗者の真の実践があると考えられるからです。

 要約すれば、私たちは今まで、ただひたすら「信心正因・称名報恩」の義のみを、大切に宗義の表面に押し出してきました。もちろん、この義が全面的に誤りだとはいえませんが、それはあくまでも親鸞聖人の一面しかとらえていない思想であることもまた事実です。

親鸞聖人の「称名」思想には、明らかに「称名正定業」と「称名報恩」の二義が同時に有せられていると考えられるからです。しかもそれが「信」の思想を中心に、複雑な色模様を織りなしているように見受けられます。では、それぞれどのような意義があり、それらが互いに、いかに関わり合っているのでしょうか。ここに、親鸞聖人における「行」の考察の本題があるのだと言えます。

 冒頭、真宗者は「行」の問題を考察する場合、三つの立場を常に考えておく必要があると述べました。
・第一は、一切の衆生を摂取する廻向法としての「弥陀の名号」
・第二はその名号法を伝達する説法としての「諸仏の称名」
・第三は名号法の説法を聞法する、信楽を獲得する場としての「衆生の称名」
です。これらはすべて「無碍光如来の名を称す」という相で現れるのですが、この「称名」はそれぞれの立場において、異質の概念をもつという点に、親鸞聖人の思想の特徴が見られます。
 では、それぞれの称名は、親鸞聖人の思想の上でどう関係付けられているのでしょうか。第一は弥陀の選択本願の行としての「名号」の本質の問題であり、第二が第十七願、そして第三が第十八願の内実の問題になるのではないかと思われます。そうしますと、第一は「行巻」と「信巻」に関わり、第二が「行巻」の、第三が「信巻」の根本問題になります。そこで、まず第二の「行巻」の内実としての第十七願の称名思想が、この論考の中心問題ということになります。

大行「出体釈」の考察

はじめに

前回までの論考において、親鸞聖人の思想に対しての定説となっている「信心正因・称名報恩」の説に疑問を呈し、もし「行巻」の思想を重視するならば、単にそのような範疇の中で親鸞聖人の思想を捉えようとすることには問題が残るという結論を導き出しました。
 それは「行巻」の称名には、従来の伝統の宗学が意味する「称名報恩」の義とは、明らかに異なった方向が示されているからで、しかもそれが「衆生の称名」という行相をとっています。そこで、ここでは、「行巻」の称名をどのように理解することが適切かが、次の問題になります。この場合、単なる「称名報恩」の義でないとすると、この称名には、称名が往生の業因となる「称名正定業」の義が含まれることになります。もちろん、このような見方は、「正定業義」の『安心論題』が示すように、従来の宗学においても注目されていたことは事実です。

 けれども、『安心論題』が示す称名正定業の義は、例えば真宗においては古来これを、名号・信心・称名の三種に分け、そのなか称名が正定業といわれ得るのは、正定聚後の作業としてであって、本願の行者の称名は、初起一念のときに名号が心中に満入し、それが口に露現するものであるから、その称名を正定業とするのだとしているように、これは「信心正因・称名報恩」の思想を裏付けるための「正定業義」にほかなりません。したがって、この称名正定業義は「信」を離れては成立せず、信後の一声がまさしくこの義にあたることになります。

 そうだとすると、『安心論題』で扱われている称名正定業義と、ここで述べようとする称名正定業義とは、本質的に異なった面があることを確認しておく必要があります。なぜなら、これから述べようしている称名正定業義は「行巻」の「大行出体釈」の思想の中に見られる称名を指すからです。
 明らかに知られているように、そこで親鸞聖人は「大行者則称無碍光如来名」と示され、それを「斯行即是摂諸善法具諸徳本」と受けておられます。そうすると、この「称名」は諸善法諸徳本を具し明確に往生の業因となる称名と言わなければならず、しかもそれは「信巻」に先立って述べられています。
 「信巻」に先立つということは、この称名は、未信の衆生を獲信に導く「正定業」の義を有していることを意味しています。従来の宗学では、この「称名」を問題にする場合、衆生の信の有無を重視しているのですが、しかしこの点に関しては、信の有無よりも称名それ自体の正定業となるべき義が、親鸞聖人の思想の上にどのように見られるかを問う必要があります。このような見方は、それは「称名」ではなく「名号」の問題ではないかと言われるかもしれません。確かに、称名についてのこのような見方は、名号という言葉に置き換えてしまえば、あるいは従来の宗学と同じ意味になるのかもしれません。けれども、それを名号ではなく称名とするところに、以下の論考の重点があります。

そこで、先哲の諸説との対応を試みながら、行の考察を試みることで称名正定業義について明らかにすることができればと思います。検討する学説は、石泉・空華・豊前の三学派から、僧叡(17621826)、善譲(18061886)、円月(18181902)の三師を選び、それに現代の学説として大江淳誠・桐渓順忍両師の説を加えることにします。三学派は、宗学の代表的学派と目されるばかりでなく、石泉は「衆生の称名」を、空華は「法体の名号」を、豊前は「諸仏の称讃」を大行とし、それぞれ異なった角度より大行の本質をとらえ、宗学の行論はほぼこの中に含まれると考えられるからです。大江師の説は、これらの学派の流れを正統的に受ける現代を代表する学説であり、桐渓師の学説は空華の流れを汲みつつ、それに特徴のある解釈をほどこしておられるので対象とさせて頂きます。

さて、『教行信証』の「行巻」は、「謹んで往相の廻向を按ずるに、大行あり大信あり」の文に始まり、

 大行者、則称無碍光如来名。斯行、即是摂諸善法具諸徳本、極速円満、真如一実功徳宝海。故名大行。

と続きます。これがいわゆる「出体釈」と呼ばれる箇所ですが、ここではこれに「称名破満釈」までを含めて、先哲の諸説と対応しながら、ここに見られる親鸞聖人の「行」の思想を考察してみたいと思います。まず、出体釈についての諸説をみてみることにします。

出体釈にみられる諸説 

石泉学派を代表する僧叡師は「称無碍光如来名」の大行を、「信を具足する衆生の称名」とされます。その大綱は、次のように窺うことができます。

 真実行に関して、古来、能行であるか所行であるかが論議されてきましたが、その結果主流は所行であると言えます。けれども、もしこの行を所行だと断定すると、行がそのまま教の意となり、教と行とが分かれている意味がなくなります。したがって「行巻」の行は、「能行」としなければなりません。すなわち、「行巻」の行は教を受ける衆生の行となるのです。

だからといって、この行は信を離したものではありません。それを教と行信の関係において詳しく論じると、真実教は諸仏の上で、真実の行信二法は衆生の上で論じられるべきものとします。その中「教」というのは、釈尊によって説かれた『仏説無量寿経(大経)』の教えがそれで、経典に示される仏願力廻向の名号法を衆生が受け入れた相が行信二法になります。

そこで、行も信もその本質はただ願力一つだというべきですが、その受けとめ方によって自然と二法に分かれます。「法相の表裏」と「稟受の前後」がそれです。法相の表裏というのは、行は口称として外に形となるものですから表となり、信は心念として内に潜むものですから裏となります。まさに表裏の関係にあるのですから、この行は必ず大行と相応しますし、自力行とは異なります。稟受の前後というのは、衆生が真実教を受ける際は、心に聞信することが最初になります。そうすると、ここでは信から行へという形をとり、信が先で行が後ということになります。この内、『教行信証』において行が信に先立つのは、この書の組織が法相の表裏によっているからです。
 
 ところが、口業の称名が大行だとすれば、止観・要門・真門の自力の念仏と混同されるのではないかという疑問が生じます。しかし、そのようなことはありえません。なぜなら、ここでいう大行とは、第十八願の乃至十念の称名を指しているからで、自力心のまじわる称念を指しているのではないからです。そうすると、称念するといっても、称念に功を認めて、それを往生浄土の業因とするのではなく、ただ聞くことのできた法体のあらわれを指して大行といのうですから、第十九願、第二十願及び止観の念仏にはなりません。そうだとすれば、諸仏の称名も衆生の称名も、ただ一本願の名号から出たものにほかならなくなりますが、これをもし諸仏に限定してしまうと、大行とは諸仏の称名のみで衆生とは無関係になってしまうおそれがあるので、正定聚の機が行ずる称名念仏を大行とするのです。

ではなぜ、大行を第十八願で示さず、第十七願で受けたのでしょうか。それは第十七願には「当分・跨節」の二意があるからです。前者は衆生に第十八願に帰入せしめるためのもの、後者は如実の法を聞信して生じる称名ですが、今は所聞のところで顕すことから、第十七願を出しているのだとしています。

空華学派の大行論は、現在ほぼ次のように要約されているようです。

第十七願の「我名」を直ちに大行と名づけ、その法体を能所不二の妙行とします。したがって、第十七願の名号と第十八願の三信とは、所信能信不二の関係にあるとし、また名号と十念とは、所行能行不二の関係にあるとします。すなわち、仏廻向の大行を行者が領受して、行者の能行が現れます。このことから「大行者則称無碍光如来名」といい、しかも衆生の能行は法体大行が直ちに現れたものですから、称名には法体そのままの功徳を有しているとするのです。

ここを指して僧叡師は「終日能行すれども所行海を離れぬなり、能とて別にはなし所行を能行するなり、爾れば所行が即能行となる、能の外に所なく所の外に能もなし、能所不二これ円融無碍也」といわれ、善譲師はまた「此の教行証の行は、能所不二鎔融無碍の大行。局て所とも取るべからず。又能行とも局るべからず。能とすれば能なり。所とすれば所なり。融通無碍にあつかわれるが、他力真実の大行と存せらるるなり」と言われます。では、なぜ大行が能所不二でなければならないのでしょうか。善譲師の「大行名体」によれば、聖教には大行をあるいは称名とし、或いは名号としています。そうすると、能所不二の真実行をもって、他力の大行とせざるを得ないとされ、その道理を、もし大行が称名に限定され、「我名」の法体が直ちに大行とならなければ、行者の能称をまって、はじめて大行が成就したせざるを得ないからだと述べられます。そして、名号が大行と言われる得るのは、因位果上の行徳がここに悉く摂具して、衆生往生成仏の行体となるからだとされ、また称名が大行と言われうる理由は、法体がすでに大行の徳を全て有する称名だからで、必然的に称名が大行となるのだとされます。
 
 このように見れば、第十八願の「乃至十念」は、「十声一声聞くひと疑うこころ一念もなければ、真実報土へ往生する」名号の意味になります。そこで、この大行と衆生の信との関係をみると、能所不二の大行に就いて、仏廻施よりいえば、名号が全く信となるのですから、所行能信の順になり、機の受行に約していえば、信受し行ずるのですから信行の順にするべきだとされます。

豊前学派の円月師は、「行巻」初頭の「称無碍光如来名」を「称名念仏の行を名けて大行と為す。然るに称名一行に二の別あり。若し称名の功を存すれば、是れ自力にして真実行と為さず。他力に全託して機功を脱却するときは法体名号自然に顕発し、任運に相続す。是を如実行となす。自力を離るるが故に法体に契当す。法体に契当するが故に能所不二にして、終日の称名即ち是れ法体なり。此大行、外諸行に対すれば廃立を成じ、内大信に向へば所信を成ず」と解釈されます。

これより、円月師の大行思想は「称名念仏」とひとまずおさえながら、それが「法体と不二なる称名」とされるところに、その特徴があるように窺われます。そこでこの義を少し詳しく述べますと、円月師はこの行としての称名を「一、行者の修相」「二、称名の具徳」という二面からとらえられます。前者の行者にとっての称名とは、獲信後の称名をいいます。したがって、この称名は報恩の称名であって、往因となるべき定散自力の称名とは厳密に区別されます。後者の称名の具徳とは、明らかに正定業となるべき称名です。

浄土真宗では、正定業に名号・信心・称名の三重をみますが、その根本である「万行円備の嘉号」がそれです。つまり仏にあっていえば六字の名号となり、法を全うじて機に入れば是れを信となし、心を全うじて口に現れれば称名となって衆生を往生せしめる名号が称名の具徳です。行には古来「造作進趣の義あり」とされますが、前者は造作の義のみで、後者においてこの二義が有せられるため、称名の具徳が「行巻」における行の意になります。所具の行をもって能具に名づけ、大行とすることから「称即名」といわれるのですが、この義こそ諸仏によって讃嘆される名号にほかなりません。

さて、諸仏所讃の名号とは第十八願の意ですが、ここには三心と十念が誓われています。信行ともに兼ねている願を、なぜ第十七願と二願に配分するのでしょうか。それは、二願の意義がそれぞれ違うからで、もし機に即して言えば信をもって主としなければなりません。往因を決定付けるのは信の一念にあるからで、このため三信を主として十念を従とします。ところが、これを法に即して言えば行をもって主としなければなりません。教相の廃立、つまり諸仏法中にあって、弘願一乗の法をたてようとすれば、この称名行をもってすることが、かれを廃しこれを立てるのに都合が良いため、称名を表となして大信を自ら具しているのです。第十八願は機の位であるため、具行の信に即して「信巻」にこれを明かされ、第十七願は教の位にあるため、具信の行に即して「行巻」にこれを明かされているのです。

大江淳誠氏は、その著『教行信証体系』において次のように述べておられます。

行とは「造作進趣の義」であって、衆生をして涅槃の果に到らしめる因法をいいます。この行の物柄が「行巻」の標挙ならびに出体釈に示されます。標挙によれば、第十七願名をもって行とします。だとすると、この行の体は所讃の法である名号であり、しかもこの名号は常に十方の諸仏をして称揚せしめつつあるもの、諸仏の能讃をその用とする大行ということになります。それ故に、この名号大行は、阿弥陀仏の覚体そのものの活動相に外ならず、諸仏をして讃嘆せしめ、衆生界に現れては、これを信ぜしめ称ぜしめるものとなります。そうすると、この法体の名号は、衆生界において必ず如実行者の称名念仏となって現れます。したがって、この衆生の称名は、そのまま動ける名号の相というべきです。大行出体釈はこの義を示すものに外ならず、そこに出される「称名」が衆生如実の称名であることは、次の称名破満釈とともに、『論註』の二不知三不信の思想を受けることからみても明らかです。けれども、ここに称名を出すといっても、衆生の称名をもって大行の体とするのではありません。あくまでも法体の名号を大行の体としなければなりません。称名が大行と呼ばれる所以は、法体と相応するか否かにあるからで、そうだとすると、衆生の称名をただちに大行とすることはできません。名号と不二相即する称名を大行とするならば、衆生の称名をもって出体しつつも、その指すところは法体の名号としなければならないのです。

こうして、衆生の称と不称に関係なく、法体それ自体の性格として名号が大行であるということができます。では、なぜ直ちに法体を示さないで、衆生の称名をもって大行を語るのかというと、「名号固然たらず、常に法界に響流し、如実行者の称名となる」ことを示そうとする意図があるからに外なりません。

最後に、桐渓順忍氏は、『教行信証に聞く』によれば、次のように述べておられます。

「行巻」の中心は標挙の文にあるとみるべきですが、ここには第十七願が出されています。もし行が衆生の称名であれば、それは当然「乃至十念」の称名ですから、第十八願が出されるはずです。この点から見て、「行巻」の行は諸仏の称名であり、私においては「聞きもの」の称名が中心だといわなくてはなりません。ではなぜ親鸞聖人は、出体釈および称名破満釈に、衆生の称名を出されるのでしょうか。ここに親鸞聖人の称名思想の特異性があります。親鸞聖人の念仏思想には、称名報恩の思想と称名往生の思想とがありますが、後者が法然聖人を受けられたものであり、前者が親鸞聖人独自のもので、この称名こそが「行巻」に示される「称えながら聞く」立場の親鸞聖人の念仏思想です。すなわちそれは、名号と称名がまったく同一のものとなる念仏のことです。

ときに、標挙に「諸仏の称名」を出され、これを出体釈で「衆生の称名」と受けておられますが、これは明らかに矛盾です。ところが、親鸞聖人はこれを矛盾だとは解されません。ここに親鸞聖人の聞としての念仏思想が見られるのですが、この論理を示しているのが独自の六字釈です。これによれば、自分が称えながら、自分の口を通して如来のよび声があらわれるという思想だと受け取ることができます。では、この論拠はどこにあるのでしょうか。ここで諸仏の称名と私の称名との関係を考える必要があります。いったい諸仏の称名というのは何でしょうか。それは、現実には聞くことのできないものですが、これを広讃の意味に受けとれば、経典を読んだり、読経を聞くこと、あるいは他人の称名を聞くことかが、諸仏の称名だといえるのではないでしょうか。そうすると、この他人を私たちとして、自分の延長にしてみてはどうでしょうか。自分の口から出てくださる称名を自分が聞く。その聞という立場では、諸仏の称名も私の称名も、まったく同一ということになるのではないでしょうか。善譲師が大行を「能所不二、鎔融無碍の法体大行」と述べていますが、それはましさくこの意味で、称名と名号がとろけあって、まったく区別することのできない、如来成就の大行が行の意だと理解するべきです。

ここにおいて大行は、名号であるか称名であるかの、どちらかに限ることはできなくなるのですが、その究極を問えば、結局「称えられる法」として法体名号の立場が大行である言えます。

諸説に対する考察 

さて、以上の諸説に対する批判に関しては、『本典研鑽集記』(本願寺宗学院編)や『真宗行信論の組織的研究』(普賢大円著)によっても明らかに知り得るように、すでに整理されていると言えます。ことにその中、前著は空華学派の立場から石泉及び豊前の学派に対して鋭い批判が試みられています。これらの説が参考になることは当然ですが、ここでは空華学派の立場についても批判を試みることにしているので、従来の諸批判はひとまずおいて、これら先学の説のどこに疑問を感じているのか、以下明らかにしていきたいと思います。

石泉学派僧叡師の大行説は「行信二法は衆生の上で語られるべきだ」とするところに、思想の特徴があるように窺われます。それが「教巻」と「行巻」「信巻」両巻の関係であって、釈尊の教えを私が行じ信じる、その組織の上で『教行信証』を見なければ、「教巻」に対して「行巻」「信巻」が説かれた意義がないとされます。けれどもこの大前提は、根本的な過ちをおかしているのではないかと思われます。それは「行巻」と「信巻」の思想を、同一人の行信の問題として語ろうとするところにあると言えます。すでに明らかにしているように、第十七願と第十八願は、機において同一人ではありません。従来の宗学は、この点に注意が払われていません。もし第十七願を諸仏の行とし、第十八願を衆生の獲信の場に見るなら、石泉学派の教位と機位あるいは当分跨節といった複雑な論を立てる必要はなかったはずです。ところがこれらの説に関しては、従来においても批判の対象になっています。ただし、それらの批判は、批判者自身が石泉学派と同一の次元に立っているので、批判そのものが「第十七願を教位にみるならば、行巻を第十八願にせよ」とか、「行巻にのみ当分跨節といった意を持たせるのはおかしい」といった、単なる言葉のやりとりに終始して、その本質を突く批判とはなっていません。

では、この説のどの点に誤りがあるのでしょうか。第一は「教巻」と「行巻」の関係についての誤解であり、第二は第十八願と第十八願の思想の混同にあるといえます。端的には、「教巻」では弥陀三昧に入った釈尊の心が、「行巻」ではその釈尊によって語られる弥陀の名号法の真実が示されています。したがって、第十七願の機の獲信について語られるべきものではなく、第十八願の機に対して働く行相であっても、これら二願は同一視すべきではありません。例えば僧叡師の著『随聞記』に、「第十八願・第十九願・第二十願のそれぞれの衆生は、等しく第十八願の法を聞くにも関わらず、第十八願の機のみ真にその法を聞きうる」と説かれる箇所がありますが、まさに第十七願の思想はそれで、諸機の行に対して教法となる願なのです。それを諸機の願の一つである第十八願に寄せて語ろうとするところに、この説の矛盾が見られると思われます。そしてこれは、以下の諸学説すべてにかかわる思想です。

さて、このようにみると、最初の「信を具する称名」を大行とする定義は「諸仏の説法」と「衆生の聞法」という関係を明確にとらえていないと言わざるを得ません。第十七願に立つ限り、衆生の獲信の問題は問われていないからです。そこで、信に関する点をはずせばどうでしょうか。法相の表裏・稟受の前後といった説を立てる必要はなくなります。そして、第十七願に立つ限り、称名それ自体が自力とか他力とかいったことを問題にしていないことも明らかになります。では、石泉学派に於いて、大行論として残りうる点は何でしょうか。それは出体釈を、文字通り「衆生の称名」とおさえたところにあると思います。ここを次項の論点にしていきます。

空華学派は、「法体の名号」を大行とします。この学説を評して、次のように言われています。「行信論は数百年の間に亘りて、幾多の学匠に依り、苦心惨憺の研鑽を経、遂に空華先輩殊に善譲師に至りて殆ど其の発展の極致に到達せり」と。この一文によっても理解することができるように、これが現在では宗学の定説となり、宗学を学ぶ人の大半はこの思想の影響を受けているといえます。けれども、果たして「極致」といえるような内容なのでしょうか。むしろ、最も欠点のない思想を生もうとしたところに、実は最大の欠点があるように思われます。

では、いったいどの点に問題があるのでしょうか。この学派の行論の中心は、名号を大行とするが故に衆生が称える称名はそのまま法体名号の発露であるとし、したがってその称名は名号と不二であるとする点にあります。この点についは首肯することができますが、ただしこの道理は、第十七願と第十八願の、それぞれの願では言えても、この二願の関係においては論じえないことに留意する必要があります。

この点、空華の学説は、すべてを法体にまきあげ、能所不二融通無碍を語るあまり、獲信者と未信者の関係を全く無視してしまっています。例えば、ここに第十九・第二十・第十八の三機がそれぞれ称名しているとします。それぞれの称名が法体名号の発露だとすれば、それぞれの機の称名はどこで区別がなされうるのでしょうか。名号そのものからいえば、すべて法体より廻向された称名だというべきです。

けれども、衆生の上においてはその称名に厳密な区別がなくてはなりません。それをどこでなすかというと、用意されている答えでは「相即を語りうるのは第十八願の機においてのみ」ということになります。けれども、空華の学説では、そのように答えることはできません。なぜなら、もし「称名」を私が称えるものとするなら、称えることの中において信を得る契機は宿されているというべきです。

しかし、すべてを法体の発露とし、しかもその上で名号を具する称名と、名号を具していない称名とを区別するというのは、どういうことなのでしょうか。私の称える称名に、名号を具しているか否かなど、判断のしようはありません。それは、本来一体なるものだからです。そこで、信の有無を強調することになるのですが、では未信の者にとって、どのような名号が信を生ぜしめることになるのでしょうか。能所不二では意味をなさなくなってしまいます。

したがってこの学説は、獲信後の衆生、既信のものにとっては有り難いと感じられる思想ではあっても、未信の者にとっては、いかなる価値をも有さないと言えます。ことに、すべてが名号にまきあがるとすれば、私たちにとって称名がなぜ必要であるかの積極的な論は生じません。

現在、真宗の法に接している人の様子を窺うと、称名をただ有り難がっている人など殆ど見られません。仏に摂せられているという法を聞いても、それを体得することができず、どこまでも仏と隔絶している自己を、悲歎している者にとっては「能とすれば能、所とすれば所」あるいは「終日能行すれども所行海を出でず」といった悠長な心は生じません。

だからこそ、未信の者に対する獲信者からの名号法についての説法が必要になるのです。このようにみると、第十七願と第十八願は、不二ではなく、両者の機の名号は、一方が他方を導く関係にあると言えます。にもかかわらず、この二者の関係を消そうとしているところに、この学説の問題点を見ることができます。ただし、称名の本質が名号であることは真実なのですから、この点については、空華学派の説を尊重しなければなりません。

豊前学派は、「行巻」標挙の「諸仏称名」と大行出体の「称無碍光如来名」の二つを通して大行の本質を見ようとします。このため、称名に二つの性格を認め、正定業となるべき称名と、報恩としかなりえりない称名の二種を見出します。そして「行巻」の称名は、正定業となるべき称名だと定めます。この点は、豊前学派の説を高く評価できるところです。

ただし、この学説は正定業となるべき称名と、そうでない称名の関係に論理の飛躍があり、その両者が安易に能所不二と語られてしまうところに、先の二学説と同様の欠点を有しているといわざるを得ません。その本質は、やはり第十七願と第十八願の相即を語り、第十七願と第十八願の念仏者を同一人として語っているところにあると言えます。それ故に、称名に二種の性格があることを認めながら、他の一方の称名を「報恩となる称名」としてしかとらえ得なかったように窺えます。

けれども、もし称名に正定業の意を見るのであれば、その称名が第十七願と第十八願でどのように関係するかを見るべきであったと思われます。そうすると、第十七願は諸仏が未信の者に名号の真実を聞かしめる称名となり、第十八願は未信の者が諸仏より名号の真実を聞かされる称名となるはずです。第十七願の行は本来、「南無阿弥陀仏」が諸仏によって讃嘆されるという意ですが、それは同時に未信の衆生への説法になります。したがって獲信者が阿弥陀仏を讃嘆し、未信の者にその名号の真実を説法する場もまた、第十七願になるのです。

このようにみれば、獲信者の称名は、みずからの讃嘆の場から見れば、それは報恩行となりながら、未信の衆生に向っては正定業の称名となっているのです。ところが、豊前学派ではこの点を明らかにすることができなかったのです。こうして、「所具をもって能具になづける」とか、あるいは第十八願の「乃至十念」を「教位と機位」に分けるような論が生じたのだと思われます。そうすると、豊前学派がわたしたちに提起している問題は、大行とみられる「諸仏の称名」とは何かということになります。

大江氏の説の特徴は、「大行」の受け取り方にあります。大江氏は、衆生の称名が大行といい得るか否かは、それが真実信を通すか否かによるとされます。したがって、名号と相即する称名を大行とされることから、大行の体は名号でなければならないとされます。しかも大行が称名として出されるのは、名号が固然たるものに止まらず、常に衆生の称名となるためだと結ばれます。このため、衆生の称名をまって大行というのではなく、称名に関係なく名号を大行と定められます。

さて、名号が固然たるものに止まらず、常に私たちの信となり称となるという理論は、私たちにも容易に理解することができます。また、それ故に、私の信となり称とになる以前に大行は存在するという説も、当然の理として受け入れることはできます。

しかし、ここで疑問が生じます。では、その名号とはいったい何かということです。私の信となり称となりうる、その接点にある名号とはいったい何なのでしょうか。名号が信となり称となるということは、道理として理解できなくはありませんが、具体的に実践の場において、それは何かを究極的に問い続けるとするならば、このような名号はまさしく、観念の所産とならざるを得ないのではないでしょうか。そうすると、固然として止まることのないはずの名号が、そこでは逆に画餅として止まってしまうことになると思われます。

さらに、名号と相即する称名とは、私たちにとってどのような称名なのでしょうか。それは、「信を具する称名」だといわれます。では、その信は何によって起こされるのでしょうか。言うまでもなく名号大行によって起こされます。つまり、名号が私をして信ぜしめ行ぜしめるのです。そのため、大行は信以前に動くとされながら、結果は逆に、信以後にしか大行の用は生じないということになってしまうのです。

もし名号大行論を取るとすれば、衆生の称と不称に関係なく、それが大行でなくてはなりませんし、同時に信と不信とにも関係なく、法体それ自体の性格として、名号が大行とならなくてはなりません。では、その名号とは何でしょうか。これを観念に止めないとするなら、もはや名号のみでは論は成立しいなのであって、そこに「称名」という大行のもう一方の面を加えざるを得ません。そこでは、衆生に明確に知りえる、自力の称名を破る、大行としての称名がここに導き出されなくてはならないのです。

なお、宗学の常識として「出体釈」および「称名破満釈」の解釈に、『論註』の讃嘆門の釈との関係が論じられます。けれども、このような見方は方法論的には誤っていると思われます。両者の思想は全く次元を異にするものだからで、原典に即して読む限り、『論註』の称名は「行巻」の称名の意ではなく、「行巻」の称名もまた『論註』の称名の意ではありません。親鸞聖人がこの『論註』の思想を必要とされるのは「信巻」においてだとすれば、それまで両者の関係は伏せておくのが至当だと思われます。にもかかわらず、『論註』の思想がこうだからといって、親鸞聖人の思想もこうでなくてはならいとしてしまえば、親鸞聖人の思想の独自性を消し去ってしまうことになりかねません。

桐渓氏の説は、一つの独創的な見解だと思われます。桐渓氏は、名号の動く相は本来的に衆生にはわかりえないとし、同様に諸仏のとなえる称名もまた、私たちにとっては具体的に触れ得ないものだとされます。けれども、現実において私たちは経典を読んだり聞いたりします。この経典をもし釈尊の言葉だと受けとれば、私たちはここで意仏の声を聞きうることになります。それは、称名においてもその通りだといわなくてはなりません。そうすると、いま他人が称えている称名、それを聞くことがそのまま諸仏の称名を聞くことの意になるのではないでしょうか。これをさらに深く理解すれば、自身の口から出ずる称名が、そのまま諸仏の讃嘆だと受け取りうることになります。

このようにみれば、「仏の名号」あるいは「諸仏の称名」は、私たちにとって具体的に接しうるものとなります。私が称名する、そこに名号の動く相があり、諸仏の称名があると理解することが出来るからです。けれども、桐渓氏もまた、第十七願と第十八願の場を明確は分離しておられません。称名を聞名として受けられのですが、ではその聞とは何でしょうか。聞は信を意味するといわれることから、聞即信の意で受け取ってよいのではないかと思われます。すなわち、私の称えている称名が、そのまま如来のよび声だと信じることで、如来の名号と私の称名が不二一体となり、名即称としての融合の理念が成立します。では、このように信じることができない場合はどうなのでしょうか。未信の者にとっては、先の論は成立しません。名号と称名とは遊離し合い、自力の称名からは大行性が消えてしまいます。この未信の者に、具体的に真実の称名を聞かせるためには、ここに諸仏(獲信者)の具体的な、名号についての説法がどうしても必要となるのです。そうでなければ、ここでもやはり私の信が仏意を左右することになり、空華批判が、そのまま繰り返されることになるといわなくてはなりません。

けれども、この説において、諸仏の称名と獲信者の称名が、同一の場におかれたことは、法体の名号といい諸仏の称名といっても、私たちの現実界においては、結局、衆生の称名をはなれては存在しないことが明確にされたといえます。では、親鸞聖人の思想において、これら「衆生の称名」と「法体名号」、それに「諸仏の称名」はどのような関係において成り立っているのでしょうか。

諸引文の思想

以上、大行に関する諸説を概観し、その各々の問題点を述べてきましたが、その要はただ一点に集約されます。「大行」の問題を考察すると、それは第十七願と第十八願の場を明確にすることだといえます。大行としての称名は諸仏の行であって、未信の者には教法としての性格をもちます。したがって、その両者を混同することは許されません。けれども、この問題点を除外して今一度諸説を通覧してみると、石泉は衆生の称名を、空華は法体の名号を、豊前は諸仏の称名を、それぞれ大行の体としています。

これを桐渓氏の説においてまとめれば、法体の名号といっても、諸仏の称名といっても、現実界においては、ただ「衆生の称名」という形態を通してしか現れないということになるのではないでしょうか。換言すれば、阿弥陀仏によって廻向された名号が諸仏を通し、私たち衆生の上に称名となって現れ、そのはたらきを大行というのです。そうだとすれば、大行をあるいは法体の名号といい、諸仏の称名といい、衆生の称名といっても、これは本来一つである物柄を表現をかえていっているのにすぎないということになります。

つまり、「名号」と「称名」という別個の物体が個々にあるのではなく、それは本来同一のものなのです。そうすると、能所不二というような論を立てることがそもそもおかしいと言わなければなりません。相即するということは、別個のものが融合し合う方向を指すのであり、同一のものに対してこのような議論は成立しません。このようにみれば、従来の宗学が大行に関して最も重視した問題、「名号であるか称名であるか」という設問の仕方そのものが、実は本質的な誤りをおかしていたということになります。では、親鸞聖人における「大行」と何でしょうか。

ここで「行巻」の「出体釈」から「称名破満釈」までを検討し、大行とは何かということについて考察していくことにします。周知のように「行巻」は標願に「諸仏称名」を掲げ、それを出体釈において「大行者則称無碍光如来名」と受けられ、その称名を釈して「摂諸善法、具諸徳本」といわれ、さらに「出於大悲願」と、それが大悲の願より出たものにほかならないことを示されます。そして、それ故に「称名は衆生の一切の無明を破し、一切の志願を満てたもう」と結ばれます。

ところが、親鸞聖人はこのような結論を導かれるものの、それがなぜかという理由に関して親鸞聖人自身の言葉では一言も表明してはおられません。「諸善法徳本」といわれることの内容、大悲の具体的なはたらき、あるいは無明が破られていく方向などに関しては、自身の言葉では何らふれてはおられないのです。なぜでしょうか。凡愚であることを深く自覚しておられた親鸞聖人は、自身の言葉で阿弥陀仏の大悲そのものをはかり知ることはできないと思われたからであると推察されます。そこで、親鸞聖人は、自らの言葉にかえて諸経典を引用して大行の徳を語られます。つまり、仏のはたらきを仏の言葉によって明証されたのです。

そうすると、大行の性格を知る鍵は、諸引文の解読にあるといえます。では、いったい親鸞聖人はこれらの仏説を通して大行をどのように把握されたのでしょうか。逆に言えば、これらの言葉を通して、大行の本質をどのように説示しようとなさったのでしょうか。そこで、諸引文中より大行の特性を示す語句を摘出分類して再構成してみることにします。

① 阿弥陀仏の名号は、誓願の廻向力によって、その名声が十方世界、無数の仏国に響流し、あまねくゆきわたらざるところがない。

② 一切の諸仏は、その名号の威神功徳を聞き、阿弥陀仏の名および国土の善を、常に大衆中において、讃嘆し説法獅子吼する。

③ 名号の力用は、諸仏の説法を通し、大衆の心に入りて、衆のために宝蔵を開き功徳を施す。貧窮を救い、諸苦を免れしめ、安楽なさしめる。名を聞いた衆生に、慈心歓喜の心を生ぜしめ、欲生心を発起せしめて、阿弥陀仏国へ来生せしむ。そしてその者に、往生の決を定む。

④ 大衆中における諸仏の説法は、まず常行の施に堪えられず、苦にせめられ、貧窮のなかにとどまる者、彼らにこそむけられる。

⑤ 故に、弥陀の名号は、悪のために苦悩する者こそが、その名号の真実を真に聞きうるのであって、ひとたび名を聞くものはすべて、欲生心を生起せしめて我が国に到らしめる。

⑥ ところで今、仏の名を聞きて、歓喜踊躍している衆生は、いかなる因縁によるのか。それは今、偶然に名を聞いたのではない。過去世において、仏の座に会し、諸仏を供養し、清浄戒を保ち来たがために、その因縁が生熟し、この名号法を聞いているのである。

⑦ さればこそ、名を聞いた衆生は、その仏国にあっては、快楽安穏にして大利を得、当来には必ず阿弥陀仏国に生ぜしめられる。かの国に来生して、必然的に不退の位を得、無量の諸仏を供養する徳を得る。またかの衆生の歓喜を見て、仏は大いに喜び、かれを我が親しき友とされるのである。

 大行とは本来、このような「特性」を有し、諸仏を通し常に衆生の心に働きかける力なのであり、衆生の無明の闇を破せんがための大悲の動態が大行の本質です。だからこそこの力は、諸の善法を摂し、諸の徳本を具して、一切衆生の心に徹入するのです。

こうして大行が、無明の闇を破するために、この世に至り届いているのだとすれば、大行の存するところ、無明はすでに破られ、志願は満たされているといわなければなりません。名号が来るその瞬間に、一切の功徳が極速円満する真如一実の功徳宝海こそ、大行にほかならないのです。そしてこの大行の相が「称名」なのですから、称名するその刹那に、一切の闇が破られると言われるのです。

そうだとすると、ここで当然、一つの疑問が生じます。それは「称名をしても無明がなお存し、踊躍歓喜の心が起こらないのは何故か」という疑問です。けれども、私たちはここで大行そのものの本質の問題と、それを受け入れる衆生の側の「心」の問題とを混同してはなりません。大行の本性からいえば、大行の存するところ、明らかに無明は破られています。ただし、その破られていることを自覚するかしないかは衆生の側の問題です。そうすると、そこに「聞」の重要性が生じ信の意義が厳しく問われなければならなくなります。しかしながら、それはこの場合、別の問題になります。事実、親鸞聖人がこの問題について論じられるのは「信巻」においてですから、獲信の問題をこの「行巻」に混入せしめてしまうと、大行の本質を見誤り、ひいては「信巻」の問題をも曖昧にしてしまうことに陥ってしまいます。

親鸞聖人は、称名を大行といわれ、それ故に称名は無明の闇を破すると言われます。ではなぜ、衆生の称名が無条件に大行と呼ばれるのでしょうか。ここにおいて、改めて出体釈を問うことが必要になります。

出体釈について

謹んで往相の廻向を案ずるに、大行有り、大信有り。大行とは、則ち無碍光如来の名を称するなり。斯の行は即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速円満す。真如一実の功徳宝海なり。故に大行と名づく。然るに斯の行は大悲の願より出でたり。即ち是れ諸仏称揚の願と名づく。復諸仏称名の願と名づく。復諸仏咨嗟の願と名づく。亦往相廻向の願と名づくべし。亦選択称名の願と名づくべきなり。

 この引文は「行巻」冒頭の文ですが、この文中「大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」が、一般に「出体釈」と呼ばれ、「斯の行」から「故に大行と名づく」の文が「弁徳釈」と名づけられています。そして「無碍光如来の名を称す」という行為が、法体の名号であるのか、諸仏の称名を指すのか、それとも衆生の称名の意なのかが宗学で問われ、論争を引き起こしてきました。

 けれども、従来の宗学で論争されてきた事柄は、果たしてこの「大行釈」においてそれほど重要なことなのでしょうか。親鸞聖人がこの「出体釈」で問題しておられる根本問題は、宗学が論争してきたような点にあるのではなく、阿弥陀仏の「往相廻向の大行」の義を論証しておられるように窺われるからです。

 さて、「行巻」は「謹んで往相の廻向を案ずるに、大行有り、大信有り」という文で始まります。「往相の廻向」とは、衆生を浄土に往生せしめるための阿弥陀仏の廻向の働きを指しています。その「廻向」の働きに、大行と大信という二面のあることが、ここでは改めて示されているのです。このうち、大信に関しては「信巻」の問題になりますので、「行巻」においては、ただ「大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」と、往相廻向の大行の面だけが問われるのです。

そうしますと、この「称名」が往相廻向の大行なのですから、ここでは「どのような心で称名すべきか」という衆生の主体が問題になっているのではなく、どこまでも阿弥陀仏の救いの法として、この「称名」が説かれているのだと見なければなりません。

しかも大行の「弁徳釈」を結んで「然るに斯の行は、大悲の願より出でたり」と言われています。つまり、阿弥陀仏が「第十七願」に誓われた、諸仏の称名という行態を通して、この「大行」がこの世に出現しているのだと、親鸞聖人は解されるのです。

再言すると「無碍光如来の名を称す」とは、阿弥陀仏の名号「南無阿弥陀仏」を口に称えることですが、この称名は、衆生が無意味に、あるいは無目的に「南無阿弥陀仏」と唱えている、その行為性を問題にしているのではありません。また、往生を願って一心に称える称名を指しているのでも、獲信の歓喜踊躍の声としての称名を問うているのでもありません。

「往相廻向」とは、衆生から阿弥陀仏へという方向ではなく、まさに阿弥陀仏から衆生にはたらく行為なのです。無碍光如来が一切の衆生を摂取するために、仏自身が「南無阿弥陀仏」という廻向の行態となって、この世に出現している「相」が、この称名にほかなりません。

この点は「    大無量寿経」諸引文の内容と全く重なります。「大無量寿経」引文には、衆生がどのようにして仏道を行じて往生を得るかという、衆生の主体的な行法は何ひとつ語られていませんし、衆生の信じ方や行じ方も、何ら求められてはいません。ただ、諸仏の讃嘆によって、阿弥陀仏が一切の衆生を摂取するために「南無阿弥陀仏」という名号を成就され、宝藏を開いてその功徳の宝を廻施されます。その阿弥陀仏の大悲の真理が、この「大無量寿経」引文には明かされているのです。

このことから大行とは、一切の諸仏によって選択され、讃嘆され、その諸仏国土の衆生に「ただ無碍光如来の名を称せよ」と説法されている「称名」ということになり、「南無阿弥陀仏」こそ、諸仏の讃嘆をとおして、阿弥陀仏が一切の衆生を摂取するために、この世に出現している、弥陀の行態だといえます。

親鸞聖人は「弁徳釈」で、この称名を「斯の行は、即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速円満す。真如一実の功徳宝海なり。故に大行と名づく」と註解され、行としての一切の善根を修め、行によって積重される功徳の一切を具している阿弥陀仏の功徳の相が、この称名だととらえられます。そして「大無量寿経」引文に続く「称名破満釈」で、その称名が阿弥陀仏の躍動の相であるからこそ、「南無阿弥陀仏」を称えるそこに無条件で衆生の一切の無明の闇を破し、一切の功徳を満たされる真理があるのだと解されるのです。

では、この「大行釈」から、どのような大行の特性を導き出すことができるのでしょうか。「出体釈」から「称名破満釈」に至る文中から、大行の特性を示す親鸞聖人の言葉を摘出すれば、

一、行の相状として「大行とは則ち無碍光如来の名を称す」
 二、行の体徳として「斯の行は、即ち是れ諸の善法を摂し」
 三、行の伝達として「斯の行は、大悲の願より出でたり」
 四、行の力用として「名を称するに能く衆生の一切の無明を破し」

等の文を見いだすことができます。そこでこれらの特性を、従来の宗学の大行釈に重ねてみると、石泉の「衆生の称名」は大行の相状に、空華の「法体大行」は大行の体徳に、豊前の「諸仏の称名」は大行の伝達にそれぞれ相当することになります。

 各学派が大行のその特性に焦点を当てて、それぞれに大行についての解釈を施している訳です。ただし、大行の本性とは何かという同一の問題を、もし異なった立場から論じ合っているのであれば、その結論を得ることはできませんし、同時にその論諍は無意味なものとなります。そこで、親鸞聖人の大行の思想を従来の宗学の大行解釈の特徴を取り入れて理解しようとすると、次のように説明することができます。

 大行と何でしょうか。それは「諸仏によって称讃されている阿弥陀仏の名号」です。この名号が、「衆生の上で称名となって現れている」のですから、そこには万徳が具せられています。それ故、称名は衆生の一切の無明を破する力用を有するのです。大行には、このような行相と体徳と伝達と力用という根本義が同時に有せられています。したがって、この一部のみを抽出して、大行の本質とは何かということを論じることはできません。

 そこで、「大行とは何か」ということを、もし現象面でのみ論じようとすれば、それは衆生の称名という相でしか掴むことはできませんし、また「本質は何か」を問うとすれば、万徳を具した阿弥陀仏の名号としか言いようがありません。このようにみれば、大行は称名と名号という二つの言葉をかりてのみ、はじめてその特性を説明することができます。

当然のこととして、この意味では名号と称名は相即していますが、この相即は仏と未信者の間で語ることはできません。名号と称名の相即は、第十七願と第十八願の願自体においては語り得たとしても、第十七願と第十八願の主体においては語り得ません。

親鸞聖人における名号と称名の関係は、後世の宗学が意味するような、法体名号と衆生の称名という厳密な使い分けはなされていません。名号といっても、私たちの側では、称名としてしかとらえることはできないのですから、親鸞聖人自身は名号をしばしば大行の現れである称名と同じ意味に用いておられます。

 こうして、称名が無条件で大行となるのですが、では衆生の称名を待たなければ大行とはいえないのでしょうか。この点に関しては、桐渓氏の「聞えてくる称名」という説を思い浮かべれば、容易に理解することが出来ます。いうまでもなく、大行は衆生の称名を待って成立するのではありません。まったくその逆であって、衆生に称名せしめるはたらきこそ、大行の特性に他ならないのです。

 では、その大行の物体は何でしょうか。それを法体の名号だといい、諸仏の称名だといったところで、私たちの認識の世界では、衆生の称名を除いてそれを具体的に把握することはできません。目で見る事も、耳で聞くことも、手でふれることもできないのです。その限りにおいて大行の本性は、衆生の認識を越えているのですから、衆生には無関係な存在となっています。したがって、私たちにとって必要なことは、具体的に認識することのできる大行の相の出現だということになります。その出現をまって、初めてそこに接点を見出し、大行を求め大行を語ることができるのです。

 私と大行の関係は、その出現によって初めて具体的に始まります。それを親鸞聖人は「称名」という相において見られます。理として、大行は現実界に遍満していると見るべきです。けれども、それがどこにあるかは、直接的には掴み得ません。ところが、そこで一声「南無阿弥陀仏」が称えられると、その瞬間に私たちは大行と具体的に接することができるのです。接することによって初めて、大行とは何の思考が私たちの側から動き出します。このように見れば、『行巻』冒頭の大行釈は、衆生の信の有無が問題にされているのではなく、称えている称名そのものが、今まさに現実界に出現した大行であることを親鸞聖人は明かしておられるのだと言えます。

大行「出体釈」に関して、従来の学説に対する批判は、ただ一点に絞ることができます。これまで、「大行」は第十七願と第十八願の関係において捉えられてきたのですが、それをあくまでも第十七願の場の中で論じるべきだとした点です。そこで、石泉・空華・豊前の各説を、第十七願の場におろして論じるとどうなるでしょうか。

石泉の説を借りれば、私たちが具体的に大行を把捉できるのは、ただ衆生の称名においてというこになります。そしてその称名の本質が、空華の説に見られる法体名号ということだと思われます。では、この大行にはどのような働きがあるのでしょうか。「称名は衆生の一切の闇を破し、志願を満てたもう」のです。ところで、この現実の世においては、すでに獲信した衆生と、未だ獲信していない衆生がいます。法体名号の伝達は獲信者から未信者へつと伝えられます。この獲信者の称名が、豊前が意味する諸仏の称名の意味になります。この称名は、自身においては報恩の念仏になりますが、未信の衆生に対しては、正定業の念仏になります。諸仏および獲信の念仏者のみが、よく阿弥陀仏の名号を讃嘆し、称名の真実を説法することが出来るからです。ここに「大行」が、諸仏の称名として象徴的に捉えられていることの意義があります。

では、「口に南無阿弥陀仏を称えなければ大行とは言えないか」という疑問が最後に残りますが、これは「称名破満釈」の後半の問題になります。

称名破満釈の考察

 親鸞聖人の称名思想の一つの特徴は、称名を大行として「如来廻向の行」の面でとらえられるところにあります。称名とは、あくまでも衆生が如来の名を称えることですから。従来の宗学はこの称名の考察に「信」との関係をことのほか重視してきました。

 親鸞聖人は、この大行を釈して「諸の善法徳本を具すが故に、名を称すれば、よく一切の無明を破し、志願を満てたもう」と述べておられますが、もしこれを文面通りに理解すると、「称名」の破闇満願が無条件で認められることになり、仏名を称えさえすれば、いかなる称名でも無明が破られ、往因が決定することになります。

 しかし、それでは親鸞聖人における三願廃立の意義、すなわち第十九・二十願の称名念仏の特殊性は消えてしまいます。また道路で子どもが謳歌する類の称名にも往因を許すことになってしまいます。そうなれば、信行具足して往因が決定するという浄土教の建て前は崩れ、ここに往因行としての矛盾が生じます。こうして称名が大行である理由は、真実信を具すか否かということになり、大行論に関して、信の重要性が特に強調されてきた理由が窺い知られます。

 けれども、諸先哲のこのような論考にもかかわらず、少なくとも大行出体釈を中心に「行巻」をうかがえば、大行は必ずしもそのようには受けとれません。信じることによって称名が大行になるとは、どこにも明示されてはいません。それどころか、むしろ親鸞聖人の筆勢からはその逆の方向が見られます。

 『教行信証』では、明らかに「行巻」が「信巻」に先立っており、行が信を導いています。より的確に言えば、如来廻向の行によって衆生の信が生起せしめられるのであって、大行が衆生の心によって左右されるのではありません。諸善本を具す大行の徳は、衆生の心を超越しているはずだからで、故に大行が衆生の信を起こすものであっても、その無限の価値が衆生の信の有無によって動ずることはあり得ません。しかもこの大行を、親鸞聖人は衆生の「称名」として語られ、この称名に「無条件で、衆生の一切の闇を破す」といわしめておられます。そうすると、称名が大行と呼ばれるかぎり、この称名は衆生信の有無に関係なく大行である必要があります。

 諸学説において矛盾が見られる最大の原因は、親鸞聖人が「大行の本質」を論じようとしておられる場(「行巻」の中心課題)に、宗学は「衆生の獲信」の問題(「信巻」の中心課題)を混入して、論考を試みている点にあると言えます。それは、仏・菩薩が衆生を救う「行」の問題と、迷える衆生がその「行」によって救われる「信」の問題を、同一の場で論じたために、大行論は煩雑になり、矛盾を生ぜしめることになった訳です。したがって、称名を大行として論じる場合は、基本的には獲信の問題は考慮すべきではないと言えます。

 このような見解に立てば、「称名」は信の有無に関係なく、衆生の闇をことごとく破すことになります。この一つの論拠となるのが、これから取り上げる「称名破満釈」です。ただし、伝統の宗学において、大行が信をはなすものではないとの論証もまた、ここがその論拠となっています。そこで、同じ箇所が全く逆の結論を導くに至った相違点を明確にしつつ、以下考察を進めていきます。

 さて、「称名破満釈」とは、

  しかれば名を称するに能く衆生の一切の無明を破し衆生の一切の志願を満てたまふ。称名は則是最勝真妙の正業なり、正業則是念仏なり。念仏は則是南無阿弥陀仏なり、南無阿弥陀仏は則是正念なりと。知るべしと。

の文を指します。一見して分かるように、この文章は二つに区分することができます。一はまさしく称名破満を示す箇所で、「しかれば名を称するに」より「一切の志願を満てたまふ」まで。二は、古来「融合合釈」と呼んでいる「称名は則是」以下の部分です。この内前者は、⑴ 称名がなぜ無明を破すかという点と、 曇鸞大師の『論註』讃嘆文釈との対応という面の二つの問題が含まれていますが、は「信巻」の問題なので、今はのみにとどめ、それと「融合合釈」に論点をしぼって考えることにしたいと思います。

  称名破満釈の意義について

称名がなぜ「破闇満願」するのでしょうか。このことについて、親鸞聖人の意図を従来の宗学ではどのように理解しているのかということについて垣間見ることにします。宗学を代表する学派としては、石泉・空華・豊前の三学派をあげることができますが、その中から僧叡・善譲・円月の三師を代表させて、それぞれの「称名破満義」を窺うと、すでに「出体釈」のところで考察したように、それぞれ独自の主張がなされていることから、三説はいずれも理解の仕方に微妙な差を呈しています。ただし、それらはあくまでも表現的差とでもいうべきものであり、論理の場が全く異なるといったような本質的な相違を見出すことはできません。

三師の論旨を窺えば、称名がよく破満することのできる理由を僧叡師は、あくまでも衆生の行として称名をとらえつつも、この称名が真実信を具するが故にとされ、善譲師は衆生の称名がそのま、法体名号の流出に他ならないからであると述べられ、円月師は衆生の称名であることを強調しつつ、それが法体の名号に契っているからだと主張されます。もちろん、これらは出体釈に対する見解を異にしておられる訳ですから、このような差が生じるのは当然のことだといえます。

ところで、ここで注意すべきは、実はこの差の中にあるのではなく、むしろこのような差異を示しているにもかかわらず、いずれの論もある一点で全く同一の基盤を有していることです。その統一された解釈が、果たして「行巻」の正しい読み方と言えるのかどうかが、今疑問となる点です。

明らかに知られるように、どの学説を取っても、この称名が機相として衆生の上で語られる場合は、破満しうる称名とは、法徳に如実にかなった称名であることを基本条件にしています。法徳にかなった称名とは、四十八願の「乃至十念」の称名にほかなりません。したがって、諸説ともここでの問題点は、「称名破満」が、いかにして「称名正因の邪義」に陥らないかにあるとして、そこに苦心の跡を残しています。そうすると、いずれも「真実信を具した称名」を大行とする点で意見は完全に一致しており、この傾向は現在の学説にも、変わることなく受け継がれてきています。

確かに「信の一念にて往生は決定する」という思想は、「信巻」に明示されている道理であり、親鸞聖人の思想の中心であることを動かすことはできません。したがって、もしこの点を重視すれば、無信の往生など論外です。そうだとすれば、「称名」が衆生の一切の闇を破るという思想は、当然のこととして、その裏に信が宿されていると考えられてきます。このようにみると、確かにこれは論理として筋が通っていると見受けられます。けれども、ここで理として筋が通っているということと、それが「行巻」の正しい読み方であるか否かということとは別問題だということに注意したいと思います。もしそれが、「行巻」の思想とは相いれないものだとすれば、どれほど筋が通っていたとしても、その論理は親鸞聖人の思想であるとは言えないからです。より端的に言えば、宗学ではこの箇所の論考を行なう際、よく「称名正因の邪義」を問題にします。けれども、親鸞聖人の称名破満釈の意図は、そのようなところにありません。「行巻」の流れよりみても、ここは大行の相と体徳を受けて、その用を如実に述べておられると見るのが素直な解釈だと窺われるからです。

このように見れば「親鸞聖人が問題とはしておられない点を宗学は論考の中心課題としている」ということができます。ここに大行論に関して、『教行信証』の構造を無視した論理が、定説化してしまった原因があります。先哲の説にも見られるように、「大信の破満究竟なるに随っての大行」「大信(信の一念)より出たる称名」「法徳に即し、よく如実に修行し相応する称名」なるが故に「大行よく破満すると言われるのですが、このような筆致は、少なくとも「行巻」の思想に見られません。

それよりも『教行信証』はあくまでも「行・信」の順であって、「信・行」の順ではありません。したがって、大行が大信に先立つのであって、この逆にはならないのです。「大行よく大信を出し、衆生をして信の一念を生ぜしめる」のです。これが『教行信証』の基本構造だとすれば、この親鸞聖人の根本理念を逆にして「行巻」を読もうとする姿勢は、どれほど筋が通っていたとしても、正しいとは言えません。

ではなぜ、宗学はこのような明らかな誤りを犯すことになったのでしょうか。そこで論点を明確にするために、これまで述べてきた大行論の要点を列挙し、整理することにします。

  大行とは何か。
  称名であり、それは如来廻向の行である。
  故にこの行は、諸の善法を摂し諸の徳本を具し、衆生一切の無明を破し、一切の志願を満てたもう。
  では、称名はいかなる称名でも、だれが称えても、すべての闇は破せられるのか。
  そのようなことはありえない。無信者の称名は不可であって、真実信を具した者の称名のみ、よく闇を破す。
  衆生の真実信は、いかにして生じうるか。
  如来廻向の行(大行)によって生ぜしめられる。
  その如来廻向の行は衆生の心によって、価値が左右されうるか。
  それは全く逆である。衆生の心が自力で閉ざされていても、それを破る力用が如来廻向の行だからで、大行の価値は衆生の心に左右されるのではなく、それを超えて、無条件で衆生の闇を破るものであらねばならない。
  大行とは何か。称名である。
  では、ずべての称名は、無明の闇を破しうるか。

こうして問答は、⑤に戻り、これ以降循環が始まることになります。そうだとすれば、この問答に終止符を打つためには、④また⑪に対する答えは、「然り」でなければなりません。けれども、もしそうだとすると、⑤で問われている「信」の問題はどうなるのでしょうか。
 ところで、往因として、信の必要性が妥当な論だとすれば、問答はどこまでも循環してしまいます。結論がでるはずの問答が循環してしまうのは、問答のどこかに矛盾が含まれているからだと言えます。もし、そうだとすると、その矛盾はどこに存在するのでしょうか。

 そこで、①~⑪の項目を今一度通覧すると、次元を異にする二つの問題が、同一の場に重複して置かれていることが知られます。すなわち、①から④までは大行の本質に関する項目であるのに対して、⑤・⑥・⑦は衆生の往因についての論述なのです。さらに、⑧と⑨は再び大行の本質に関する思想となり、それが⑩・⑪へと引き継がれています。それを⑤に戻すと、ここで再度、衆生の往因の問題が挿入されることになり、結果として循環が起こるのです。

 換言すれば、異質の次元にあるべきはずの二点、仏・菩薩による救いの行の問題(仏廻向の行に関する本質の問題)と、衆生がその行によっていかに救われるかの問題(衆生の信行の問題)とを、同一の局面におさめて論考を重ねたために、このような矛盾が生じたのです。そうすると、④の次に置かれるべき答えは⑤のような内容であってはなりません。親鸞聖人が今問題にしておられることの中心点は、あくまでも大行の本質に関してなのですから、衆生の信心(獲信の問題)は、未だ問われていないと見るべきです。それを親鸞聖人にさきがけて論ずることは明らかな間違いであり、したがって「獲信」の問題は、いましばらく不問に付しておかなければならないのです。そうでなければ、大行の問題が曖昧になるばかりでなく、親鸞聖人が後に至って論じられる「信巻」の問題もまた、正しく理解することが出来なくなる恐れが生じるからです。

 では、⑤はどのように論が展開されるべきでしょうか。もし大行に無限の力があるとすれば、ここは当然「然り」と答えられなければなりません。したがって⑥は、それに対する問い「何故に」が来ることになります。称名が無条件で、無明の闇を破しているということは、いったい何によって証明されるのでしょうか。実は、この証明は親鸞聖人にとっては、簡単明白なことでした。それは、大行が称名という「相」を通して、現にこの迷いの世界に具現していることこそ、まさに何ものにも優る証拠だったからです。

 これを裏付けるものとして「行巻」の龍樹引文に見られる「転輪聖子」の譬えに着目してみます。これによれば、「転輪王の家に生まれ、転輪王の相あるもののみが、よく転輪王の功徳尊貴を念じうる」と言われます。この文意は、表現を逆にして考えれば、よく理解できます。もし、転輪王の功徳尊貴をよく念ずることができれば、この者は転輪王の相あるもので、転輪王の家にすでに生まれたものであり、必ずや、やがて転輪王と成りうるものだとの意になるからです。

そこで、これを今「念仏」に置き換えてみます。そうすると、仏の相あるもののみが、真に仏を念じうることになり、ひいては念仏を行じている者は、すでに仏家に生まれたものであり、必ずや仏になるものだと理解することができます。これは当然のことであって、迷いの世界にあるものは、真実をよく知ることはあり得ません。真実に出会うことがないとすれば、どうして仏を念ずることができるでしょうか。本来的に言えば、迷いの世界に住む私たちは、真に仏を念ずることはできませんし。ましてや仏の存在さえ知りません。存在を知らないのですから、仏の名を称えることなど不可能です。

ところが、不思議にも、この迷える現実において、私たちは自らの力によっては知り得ないはずの仏名に接しています。それどころか、現に仏名を聞き、仏名を称えているのです。まさしく仏を念じているのです。仏の存在を知らず、その名前さえ分かるはずのない私たちが、なぜ仏名に出会い、それ念じ、仏の名を口にしているのでしょうか。「よく念じる」とは、親鸞聖人の理解にしたがえば、私がすでに仏家に生まれ、仏の相の中にあることになります。ところが、現実の私の相は、間違いなく迷いの世界にあります。にもかかわらず、迷いの世界にある私が、仏名を称え仏を念じています。

これは、明らかな矛盾しています。では、この矛盾構造を、どのように理解すれば矛盾が矛盾でなくなるのでしょうか。迷いの世界にある私の立場から論じれば、この糸のもつれは絶対に解くことはできません。けれども、これを仏の側から論じるとすればどうでしょうか。矛盾は簡単に解消されます。迷妄の私たちが真如にふれるのではなく、真如から仏が働いて,私たちに仏の存在を示される。仏の側から迷妄を破って真実の姿を現される。これが、仏の願力功徳なのだとすれば、私たちが煩悩を持ったままで、真如とふれあっても別に不思議ではありません。

仏の家に生まれ、仏の相を持つことに関しても、例えば、龍樹菩薩の「家清浄」の思想を窺えば、龍樹菩薩は「行者が過咎をなくしてその家に住むが故に家清浄である」と説かれるのに対して、親鸞聖人はその文を「家が清浄であるから、いかなる過咎もその家には宿らない」という意味が解されます。親鸞聖人の理解によれば、いかなる者もその家に住む以上は、個が持つ過咎はことごとく、家の徳によって消滅することになります。つまり、家の徳が過咎者を清浄に転ぜしめるのです。これは明らかに、行者が仏の方向に歩む姿ではなく、仏が行者の方向に来る相だといわなくてはなりません。こうして、仏家に生まれるということは、私が仏の家に生まれるのではなく、仏が私をして仏家に生ぜしめることになり、同様に私が仏名を聞き、仏名を称え、仏を念じるのもまた、私にその可能性があるのではなく、仏の本願力が大行として私にそうせしめているということになります。

そうすると、仏名を聞き、仏名を現に称えているという事実は、疑いもなく大行が無明の闇を破っている証拠に他なりません。今、確かにこの迷界に仏名が存在します。それは、信があるから、私の心に仏名が浮かび、耳に念仏が聞こえ、口より称名がい出されているのではありません。そうではなく、信の有無を超えて、衆生は仏と出会っているのです。ここにおいて、迷妄の坩堝の中で、私の口から称名をい出している事実が、すでに無条件で大行の破闇している相となるのです。

これをもし、信の有無によって無明を破すことのできる称名と、無明を破すことのできない称名とに区別するとどうなるでしょうか。これこそ、不可思議な結果を招くと言わざるを得ません。なぜなら、「真実信」そのものは、凡夫の意志とか判断とかを超えて存在するものだからです。「真実信」とは、凡愚の私たちが得たと思えば得ており、未だ得ていないと思えば得ていないというようなものでは決してありません。現実の世界においては、得ていると自負している者が往々にして不可解な態度をとり、未だ信を得ていないと自覚する者の中にむしろ美しい信仰態度を見ることがあります。このことから、凡人の目には真実の存在は分からないというべきであり、無明を破す称名と無明を破すことのできない称名との見分け方など、到底不可能だといわなければならないのです。

ときに、よく信なき者の称名の一つの具体例として、演劇の中での「称名」があげられることがあります。演劇の中で役者が口にする念仏は台詞に過ぎず、したがってその念仏は信はともなっていない念仏の典型とされるのです。けれども、もし演じている人たちの中に念仏の教えを信じている人がいれば、劇中の念仏であっても、必ずしもその人の称名に信がないとは言い得ません。

また、もし劇中の称名が観衆に深い感動を与えることがあるとすれば、それは演じている人の信の有無によるのではなく、その人の演技力によります。観衆は名優の演技に心酔することがある一方、大根役者の演技には大きく失望します。したがって、たとえ信者の称名であったとしても、その人に演技力が伴わなければ人びとが感銘をいだくことはありません。そうすると、無信の名優と信心の大根役者とでは、どちらの称名がよく無明を破ることができるのかというような比較・判断など、私たち凡夫のよくなし得るところではないと言わざるを得ません。

 では、もしその念仏を聞いている人びとの側に聞く耳があればどうでしょうか。念仏を称えているのが名優であるか否かに関わらず、「称名」そのものが聞く人には「如来の声」として聞こえてくることになります。このように見れば、「称名」に真実と不実があるのではなく、聞く側に問題があるといえます。そうすると、如実に聞ける者と聞けない者との差はどこにあるのでしょうか。ここに初めて、私の信の問題が挿入されることになります。これがまさに「信巻」の一つの中心点なのです。大行は明らかに無明の闇を破っているにも関わらず、なぜ私はそのことに気付くことが出来ないのでしょうか。「信巻」ではこの点が課題として論じられることになるのです。

 このような意味で、ここでは信の有無を問題にする必要はないのです。現に大行がこの迷界に「垂名示形」している事実が重要なのであって、この仏名こそ、ましさく真如の具現相というべきです。そうすると、称名は無明を破って真如から出現したと理解する必要があります。ここにおいて、称名とは大行であり、大行である以上は、それがたとえ誰が称える称名であっても、例えば子どもが口にする童歌であったとしても、その称名には無限の価値があると言えます。

そこで親鸞聖人は「大行出体釈」において、称名を大行として理解し、ここに真如が具現す唯一の接点があるとされ、それ故に称名は無量の徳をもって衆生の闇を破ることを、「称名破満釈」を通して教示しておられるのです。

② 融会合釈が意味するもの

では、「融会合釈」はこの「破満釈」とどう関連し合っているのでしょうか。従来はこの箇所を、主として能所不二行信不離示す思想として理解してきました。それは、文そのものが、

称名-正業-念仏-南無阿弥陀仏-正念

と転釈されているからで、「称名」は「南無阿弥陀仏」の語を経て「正念」結ばれています。親鸞聖人は、正念は憶念または信心と同じ意に見られますので、「称名即名号即信心」と読み取ることが出来ます。こうして「能所不二の義」が成立し、現在ここは定説的に称名破闇が名号破闇に基づくものであること、同時に行信不離を示す文であると解釈されています。

ところで、この箇所を論述している諸説一般の傾向を窺うと、案外簡略にすまされているか、詳細に論じるものでも単なる語句の説明に終わるか、あるいはその語の出拠を指摘することに留まっています。これを直截に批判すれば、諸説には「能所不二」という言葉と語句の説明はあるのですが、なぜ「能所不二」であるかの理論的な説明がほとんど示されていないので、読む者に大きな空白感を与えてしまうことになります。

 「融会合釈」で親鸞聖人は、「称名即正念」と述べておられます。これは一読すれば明瞭に分かることです。そこで、この「正念」を「信心」だと理解し、諸説のようにこの文は「称名即信心」を示すのだとされています。もちろん、このこと自体、何ら誤りはありません。けれども、ここで確かめておきたいことは、述べていることが間違っていないということと、十分に正しく説明されているということは別だということです。親鸞聖人が「称名即正念」と述べておられることを以て、それをそのまま、故にこれは「称即信・信即称」、あるいは「行信不離不二」の義を明かすと述べても、それは単なるおうむ返しに過ぎません。親鸞聖人が述べておられるというだけで、「なぜ」という理由が挿入されなければ説明の態をなしているとは言い得ないのです。

 そこで、親鸞聖人が転釈しておられるそれぞれの語句を対応させてみることにします。さて、各々の語句は果たして同義語といえるでしょうか。語意を考えれば、一見して理解することが出来るように、どの語句も同義とは定められないものばかりです。称名は必ずしも正業ではなく、正業は必ずしも念仏ではありません。念仏はむろん南無阿弥陀仏とは一致しませんし、南無阿弥陀仏はまた正念ではありません。そうだとすれば、称名と正念は全く別の語義概念を有する言葉だというべきであり、違う語義を有する単語が、なぜ「則」の語で結ばれたのでしょうか。「融会合釈」は、まずそれを中心に解明されなければならないのです。したがって、ここでは親鸞聖人がなぜ語義の異なる単語を「則」または「即」の語で結ばれたのか、そこに焦点を合わせて考えることが大切だと言えます。

 ここでは先ず「則」字に着目します。どのような場合に「A則B」と言えるでしょうか。「A則B」とは「AがBである」という意味です。この場合、AとBが全く別個のものであれば、A則Bとは言えません。AはBではないのですから、両者には結ばれる根拠がないのです。同時に、AとBが全く同一である場合も、このような公式は成立しません。同一であれば、「A則A」であってBではなく、「AはAである」とは普通はいいません。そうだとすると、「A則B」の場合、AとBは同一ではないが、だからといって全く別個でもない。ということは、同一でないAとBガ、ある条件のもとで同一になる場合がある。つまり、ある条件が満たされた時、同一でないAとBが「則」で結ばれ、AはBである」と言い得ます。したがって、AがBであり得るためには、そう成り得る条件がここで明らかに示されなければなりません。そうすると、「不二不離」とか、「行がそのまま信となる」といった表現は極力避けるべきです。なぜなら、その条件を説明する前に、一足飛びに結論を導いてしまうことになるからです。

 そこでまず、「しょうみょう は則是最勝真妙の正業なり」の文より検討することにします。なぜ「称名」が「則是正業なり」と言われ得るのでしょうか。先にも述べたように、単なる「称名」という単語は、必ずしも「正業」を意味する訳ではありませんし、逆に「正業」は「称名」に限られるものでもありません。それがなぜ、親鸞聖人にとってこのように結びつくことになるのでしょうか。

この「称名」はすぐ上の破満釈における「名を称するに」を受けていることは明らかです。破満釈の「称名」は大行に他なりません。大行の称名とは仏廻向の行ですから、この行は「摂諸善法具諸徳本」といわれるのです。だからこそ、その称名によって衆生の無明の一切が打ち破られ、志願はことごとく満たされることになるのです。

では、「最勝真妙の正業」とは何でしょうか。「正業」とは「正定業」のことで、正しく成仏(往生)を決定せしめる業因のことです。ただし、仏になるべき正業は、衆生により種々異なります。そのため、決して唯一ではなく、仏は機類によって幾種もの行を説かれます。けれども、親鸞聖人にとっての正業とは何であったかというと、親鸞聖人をして成仏せしめる行業にほかなりません。自ら愚禿と名のられた親鸞聖人にとって、自分を往生成仏せしめる行とは、まさしく諸の善法を摂し一切の無明をことごとく破す「称名」一行でしかありえませんでした。無碍光如来の名を称すること、このことが唯一の「正業」だったのです。換言すれば、親鸞聖人にとって、「正業」が幾種類もあったのではありません。つまり、何種類もの「正業」の中から称名行を一つ選ばれたのではないのです。親鸞聖人にとって「正業」とは、ただ一つ「称名」しかないのであって、「称名」のみ、よく自身をして「正業」たらしめ、成仏せしめるのです。ここにおいて「称名」は、親鸞聖人にあっては、唯一絶対の「正業」に他ならず、「正業」といえばただ「称名」以外の何ものでもありえなかったのです。ここに「称名」と「正業」が「則」の字で結ばれる理由が見出されます。

以上のことが明らかになれば、「念仏」についてもまた同様の方法で考えることができます。「念仏」にも種々の念仏があります。観念があり、憶念・心念があり称念があります。したがって、「称名」のみが「念仏」だとはいえませんし、「念仏」のみがまた、ただ一つの「正業」だとも定められません。けれども、「称名」が唯一の「正業」だとすれば、「正業」たりうる「念仏」とは、親鸞聖人にとって、仏より廻向された万徳兼備の称名を除いては求められませんでしたし、存在さえしていないからです。いわば、他の念仏はいかに修しても、往生成仏のための「正業」とはなりえないのです。そうだとすれば、「念仏」がまさしく「正業」たりうるためには、ただ「称名念仏」のみということになり、これを逆に言うと、「称名則念仏」となりうるのです。

さて、「称名則正業」と言われます。ではいったい、この「称名」とは、どのような「称名」なのでしょうか。『行巻』出体釈には「大行とは則ち無碍光如来にみなを称するなり」と述べられます。無碍光如来とは、南無阿弥陀仏に他なりません。親鸞聖人はなぜ、「称名」を「正定業」と言う子とができたのでしょうか。それは、この行が仏廻向の行だったからです。その仏とは、言うまでもなく南無阿弥陀仏ですが、阿弥陀仏自体が、一切衆生を救うために、真如より垂名示形して、「我が名」を私たちに廻施しているのです。そうすると、「称名」とは阿弥陀仏の「名号」、南無阿弥陀仏を称する以外はあり得ません・再言すれば、称名仏とは、無数の仏名の中から一阿弥陀仏が選ばれたのではなく、「正業」である「称名」とは、南無阿弥陀仏しかないということであり、これこそが唯一の称名念仏と成り得るのです。ここにおいて「称名」とは「正業」であり、「正業」とは「念仏」であり、「念仏」とは「南無阿弥陀仏」であるという義が成立することになります。

 ところで、この転釈はすべて称名の説示として受け取ることができます。したがって、この道理を理解するのはそれほど困難なことではありません。けれども、それが何故、最後の一句に「即(それがそのままという意味)」で結びつくのでしょうか。「正念」とは、明らかに心に念ずるという指向を示します。意味は「正しい憶念」というべきもので、親鸞聖人の理解に添えば「信心」と同義と見ることができる語です。このことから、古来宗学では、この正念を信心の意に解しています。そして、この称名は信心を離すものでないと解釈しています。その表現をかりれば、「行信不離を示す」とか、「信も南無阿弥陀仏、行も南無阿弥陀仏ぞよと言うことだ」と述べられています。ただ、このような表現のみでは、この「即」の語を十分に説明しきれているとは言えません。心に憶念していくことと、口に名を発する行為とは明らかに別個の動作だからで、これはどう考えても同一視されるべき行為ではありません。そうであるにも関わらず、なぜ「即」で結ばれているのでしょうか。既述の表見では、その理由が全く論述されていません。宗学の一般論に従えば、機相の上でこの称名をとらえようとする時、「信を離さざる称名」「信を具足せる称名」「正定聚の機における称名」といった表現をとることになります。これであれば、行信不離の論証にはなりえません。

 ところで、親鸞聖人は、称名と正念を「即」の字で結ばれます。称名がそのまま、正しく念じること(信心)だとされるのです。そうであるとすると、称名と正念は不二の意である必要があります。したがって、ここで親鸞聖人が意図される称名とは、信と行が相い具足した称名というようなものではありません。まさしく「即」であって、称名することが、そのまま信じていることになり、信じることがそのまま称名している姿でなければなりません。このように見れば、従来の宗学が示す、信をともなっての称名という解釈は、「即」の語を十分理解しきれていません。では、称名と正念の語が、親鸞聖人が意味される「即」によって結ばれるとは、どういうことなのでしょうか。

 語義からみれば、どう考えても「称名則正念」とは、ただちに結びつくようには思えません。ところがこの一文を見ると、称名と正念は「南無阿弥陀仏」の語によって結ばれています。そこで、南無阿弥陀仏の存在意義を重視し、この語を通して両者の結びつきを考察することにします。そこで、正念と前半との関係はしばらく不問にして、まずこの「南無阿弥陀仏則是正念」についてのみ検討を加えることにします。ここを解釈することによって、前半との関わりが判明すると思われるからです。

 さて、もっとも安易な質問である正念の語義をここで問うことにします。これは憶念とも信心とも結びつき得る語ですが、語義からみると「正しく心に念ずる」という意味だといえます。まさしく、「そのもののごとく念ずる」、あるいは「そのもののごとく信じる」ことだと理解することができます。この場合、正念の対象は、往生成仏における正念ですから、仏果に至るための正念だとしなければなりません。すなわち、「仏そのものを仏のごとく念ずる」のです。仏体と不二なる憶念、仏心それ自体を信じることが、正念の義でなければなりません。では、凡愚にとって可能な、このような正念とは果たして何でしょうか。

 そこで、私たちにとってまさしく念じることの可能性が次に問われることになります。凡夫にとって、正に憶念できるもの、信じることの可能なものとは、まずもって具体的に把握できるものだと言えます。真如とか空とか呼ばれる、色もなく形もないものは、私たち凡愚に把握することはできません。したがって、それと私との接点は、どこにも存在しません。真如とか空とかいう言葉の概念を知ることはできても、概念の奥に潜むその本質には、全くふれることはできないのです。どのようなふれ合いも不可能だとすると、真如そのものを憶念することは到底無理であり、私と何ら関わりのないものは、存在を知ることも、つまるところ信じることもできません。何らかの点でふれあうことができてこそ、その存在に気付くことが出来るのであり、また信じる心が生じることになるからです。

では、阿弥陀仏に関して、その真如性を破ることなく、この仏を仏のごとく念ずることのできる念は、私たちにとってどのようにすれば可能になるのでしょうか。もちろん、私たちの側には、その仏を把握する力は皆無です。けれども、それ故にこそ、阿弥陀仏は「垂名示形(名を示し形を表すこと)」しておられるのです。私たちにとって、阿弥陀仏とふれあえる点が、ただ一点だけあります。それは「南無阿弥陀仏」という仏名において、私たちはまさしく阿弥陀仏そのものを心に抱くことがてぎるのです。ただし、接点はこの一点しかなく、ここに親鸞聖人が阿弥陀仏に対する他のすべての行為を不如実として「仮」と廃し、名号のみを取り出された理由があります。

南無阿弥陀仏が正念だということは、私たちが真に憶念し信じることができるのは「南無阿弥陀仏」以外には存在しないということを意味しているのです。とはいえ、もしかすると次のような疑念が提起されるかもしれません。「私たちは、真如を理解する、あるいは仏の相好を観察することは不可能だとしても、仏徳を憶念し仏の本願力を信じることは可能なのではないか」と。では、仏徳とは、また本願力とは何でしょうか。私たちは凡愚には、その徳や力そのものを正しく憶念することなど出来ません。無限の徳とか、具諸徳本という言葉を通して、たとえその輪郭を想像することは可能だとしても、無限なるものは結局人間のよく覚知しうるところではありません。さらに、その真の徳を憶念するなと、お呼びもつかないことだといわざるを得ません。本願に関しても同様であって、存在さえ知り得ない仏の本願力など、真の意味で信じることはできないのです。

では、私たちにとって、憶念し信じることのできるものは何でしょうか。日頃私たちが関わっているのては、人間の言葉によって表現された思想なり概念を通して、その背後にある徳や力を、心の中で思い起こしたり、信じたりしているだけに過ぎません。けれども、それは決して仏徳そのもの、または本願力そのものではありません。阿弥陀仏に関して言えば、経典やその他の、阿弥陀仏についての教説を通して、漠然とそれを知っているだけのことです。「阿弥陀仏は無限の智慧と慈悲を有する」「かの仏は限りなき徳をもって、一切衆生を済度する」「かの仏の本願力は…」といった表現はありえても、これらの中で、私たちがそのものをそのごとく憶念することができるのは、仏の智慧や慈悲でも、仏徳や本願力でもなく、ただ「南無阿弥陀仏」という仏名だけなのです。その他は、仏名を通して、仏に付属している属性を、教説によって憶念し信じているのです。言葉を通しての表現は有限であって、真如そのものではありません。したがって、もしここで仏名を取り除けば、真如とふれあえる憶念や信心は成立しません。

 親鸞聖人の教義の中心は「信心」であり、この点は動かすことはできません。では、この信は、いったい何に対しての「信」なのでしょうか。『歎異抄』第一条に「弥陀の誓願不思議にたすけられまいせて往生をばとぐるなりと信じて念仏まうさんとおもいたつこころのおこる時…」とあります。「弥陀の誓願不思議」とは、「南無阿弥陀仏によって救われること」に他なりません。したがって、南無阿弥陀仏によって救われることこそ信の具体的内容だと言えます。そして、その信じることに先駆けて、南無阿弥陀仏の六字が常に私たちと関わっているのです。このような意味で「南無阿弥陀仏」という言葉を離れて、単独で「信」とか「憶念」というこは、私たちには存在しないと言えます。

 例えば、母の徳を憶念するとか、母の心を信じるという行為と比較すればよく理解できるのではないでしょうか。母の徳とか愛とかは、あえて母という単語を必要とはしません。母という語がなくても、私たちは自由に母の姿を見ることができますし、慈しみを憶念することもできます。なぜなら、その存在自体に、私たちは具体的に接しているからで、信とか憶念とかは、そのものを直接的に憶念し信じることができます。そのような意味では、「母」という単語は、むしろ行為によってその後に生じるとさえいえます。

けれども「南無阿弥陀仏」はそうではありません。正真正銘の信、仏徳と不二の憶念、本願力をそのごとく信じる信は、私たちにはありません。すべてが「南無阿弥陀仏」を通して生起することになります。そうすると、私たちにとって、まさしく信じ憶念することができるのは、ただ一つ「南無阿弥陀仏」のみとなり、この六字のみが私たちにとっての「正念」でありうるということになります。

 正しく念じることができるのは、南無阿弥陀仏以外にはありません。そのため「南無阿弥陀仏即是正念」なのです。現象面においてとらえる限り、称名と正念とは明らかに異なった行為です。また、思想として見ても、語義の上から論じても、この両者に一致点は見出せません。にもかかわらず、これら二者は「南無阿弥陀仏」ということで、全く重なっているのです。一者は音声として六字を口に発することであり、他者は憶念として六字を心に思い浮かべるに過ぎません。

そうだとすれば、称名と憶念は、まさしく「即」の字において結ばれることになります。これは、大行こそが、躍動して堅実界に出現している相を如実に指しているということであり、南無阿弥陀仏が口に発せられる時、称名となり、憶念として心に浮かぶ時、正念となるのです。こうして、親鸞聖人においては、称名といっても正念といっても、全く同一の内容を意味していることになります。しかも親鸞聖人は、これを大行と言われます。では、その大行とは何でしょうか。最後に、これを改めて問う必要が生じます。

 迷妄の中にたたずむ私たちは、本来的に仏の存在を知ることはできません。そのため、流転の凡愚には、仏を憶念することも、仏の名にふれることも不可能なのです。にもかかわらず、現実において私たちは仏の名を耳にし、その出会いを通して仏名を呼びかけています。何がこれを可能にしたのでしょうか。仏の廻向が、この不可能を可能にしているのです。愚鈍の私たちに、仏みずからが動いて、私たちの前に南無阿弥陀仏のすがたを示されている。これこそが、私たちを救うために、無明を破ってあらわれた相に外なりません。この相をおさえて親鸞聖人は「大行」といわれたのです。

 私たちは、仏の存在を知ることはできません。そのため、仏はまず万人に共通して把握される「すがた」を自ら示さなければなりません。出体釈で称名があげられ、南無阿弥陀仏の六字を口に称えるところ、そこに「大行」の動く相があると言われたのは、このためだと言えます。もちろん、この大行は、聞名として私たちが「共に聞く」という場合でもとらえることができます。これをさらに、私自身の個の問題とするなら、私の心に六字の仏名が思い浮かべられます。まさしくそこに大行の躍動する相が見られます。

ここにおいて、六字が動くところ、そのすべてが大行だと言いうることになります。南無阿弥陀仏を耳に聞き、口に称え、目に見、心に思う。あるいは、五体に触れる。それらすべてが、私たちのために、無明を破って垂名示形された、大行の相なのです。

「南無阿弥陀仏」、これが大行だとすれば、「融会合釈」の内容は、「具信の称名」を示すというような意味ではなくなります。ここでは、衆生の獲信を問題にしているのではなく「破満釈」まで、「称名」によって代表せしめていた大行義を、ここで更に徹底せしめ、その相の究極的意義を、この転釈の中で説示しておられるのだと理解することができます。




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