私的研究室

3.信心の社会性について−親鸞思想の特徴を踏まえて

親鸞思想の一つの特徴

「親鸞思想」をどのように理解するか。それは、その主著である「教行信証」の性格をどのように見るかによって左右されるといっても過言ではない。この場合、種々の見方が成立することと思われるるが、大別すれば次の二種の見方におさまるようである。一は伝統的な立場で、親鸞の信仰告白の書とする見方。二は、歴史的な背景を踏まえて批判書とする見方である。後者は、高弁の「摧邪輪」に見る法然批判に対する解答の書、あるいは「承元の法難」に対する国家批判の書とする考えに基づくものである。確かに、これらの諸問題は、親鸞自身が直接関わった大問題である以上、そのことと全く無関係に「教行信証」が成立していることなどありえない。だが、「教行信証」の全体の流れから窺うに、それを以てそのまま製作の意図とすることは無理があるのではなかろうか。なぜなら、国家批判の立場においては「証巻」「真仏土巻」は全く無関係な部分となってしまうからである。それ故、後者の見方はあくまでも「教行信証」の部分的な問題しかとらえていないといわざるをえず、したがってこのような視点からは「教行信証」の全体の構造は解明されないし、親鸞思想についても部分的な理解に終わるおそれがある。このような意味で、「教行信証」は伝統的な信仰告白の書として受け止めて行くべきであり、批判書的見方で完結してしまうことのないよう留意することが大切であると思われる。
ところで、なぜ「教行信証」を批判書とするような見方が成立したのであろうか。それは今日の私たちの考え方が、基本的にそのような立場をとっているからである。つまり、人間生活の中で常に物事を対立的に見ようとする、いわゆる「生活論」にしか、関心を寄せることが出来なくなってしまっているからにほかならない。一般に、このような傾向を「世俗化」と呼んでいるが、それは長い間にわたって、主体的に受け止められ、歴史来的にも承認されてきた、宗教の持つ普遍的な意味が、主体的にも社会的にも失われてゆくような状況を物語る言葉であり、換言すればこれまで聖なる領域として存在しえたものが一々否定されてゆき、それに代わって俗なる領域が深く浸透し拡大してゆくという、現代社会が呈示している状況をこの言葉は指摘しているのである。したがって、この世の中における私たちの幸福、そういった世俗の「生活」の面にしか私たちは心をくだき得なくなくなってしまっているのである。

一方、親鸞思想の一つの特徴は「生活論」がほとんど見出せない点にある。「末灯鈔」や「御消息集」などでは二三、生活論に関する記述が見られなくもないが、むしろそれらは門徒の求めに応じて答えたもので例外に属するものであり、親鸞自らが内より論じている著述では、基本的に生活論は存在しない。
親鸞の関心事は常に、日常生活の「善・悪」の問題、人生をいかに上手に生きるかという点にあったのではなく、真実の仏道の求め、生死を超えるという究極の問題のみにあったのである。だが、既に述べた通り、現代の私たちが常に抱く関心事は、日常の生活の問題にしかない。このために、生死を超える問題を求めている親鸞の思想そのものが、生活の場でしか解し得なくなってしまったのである。「教行信証」を国家批判の書と見る立場など、まさしくその典型である。
今日の親鸞論を見ると、一方では親鸞思想の純粋性を強調しつつ、世界平和の問題、国家権力との対応、差別との闘い、科学思想との対決等の事柄に親鸞の思想を重ねて、このような点を抜きにしては、親鸞思想は語り得ないとする主張がある。これに対して他方では、教団をいかに発展させるかという立場から、むしろ親鸞思想とわが国の習俗・習慣との調和を主張する流れが見られる。両者とも、親鸞の信心を深く求めようとしながら、根本的には世俗の面でしか親鸞をとらえていないといわざるをえない。

私たちが今日、この現実社会を生きるためには、その人がいかに真実信心の念仏者であったとしても、また念仏教団がいかに教団の純粋性を保とうとしても、世俗社会の生活面を抜きにしては、生存することは不可能に近い。その意味では、真宗者の一人一人が、今日の諸問題と真剣に深く関わることが重要であって、これらの問題を避けては現代社会を生きぬくことはできない。ただし、ここで私たちが特に注意しなければならないことは、これらの諸問題はあくまでも、現代社会の特殊性から生じた、現代に生きる「人間」としての重要問題だということである。したがって、私自身が現代に生きる人間である限り、たとえ私がいかなる人間であろうとも、仮に親鸞の思想と全く無関係な者であったとしても、人間共通の課題としてこれらの事柄は当然、真剣に考えていかなくてはならないのである。したがって、これを裏返せば、これらの諸問題は真宗門徒(念仏者)の特殊性なのではなく、ましてや親鸞思想の中心問題ではない。重ねていうならば、親鸞思想の根本は、このような現代社会の諸問題に直接応えるものではない。
ただし、確認の意味でいうならば、だからといって念仏者は現代の諸問題を無視せよと言っているのではないということである。人がこの世を生きてるいる限り、現実社会との関わりなくして生きることはできない。その意味でも私たち親鸞の教えに生きようとする者は、誰しも今日の重要問題に深い関心を持ち、その事柄と真剣に取り組んでいく必要がある。だが、その場合、現代の諸問題に、親鸞の信心を直接からませるべきではないといいたいのである。例えば、具体的なこととして、平和問題をスローガンに掲げる。そしてこの運動に賛成する者が、親鸞の信心に生きる者だといった見方をする。あるいは、国家権力を示して、少なくとも親鸞の信心は庶民の側にあった、というような意見。これらは、その大前提をなしている発想そのものが、根本的に誤っていると見なければならない。だいたい基本的に平和を愛さない者は、人間として問題である。これは仏教徒であろうと、その他の宗教者であろうと同じである。だが、これが平和運動となると話しは別である。そこには人間の恣意が混入するため、当然の帰結として、この運動に対して賛成と反対の二者が生じる。まさに、人間の行う運動である以上、そは雑毒の善でしかなく、もちろん阿弥陀仏の信心と重なることなどありえない。国家権力の問題についても同様である。確かに、親鸞の思想は、当時の庶民の心に強く響いた。けれどもだからといって、親鸞の信心がこのことをもってそのまま庶民の側にあるというような論理は成り立たない。なぜなら、親鸞は「弥陀の本願には老少善悪の人を選ばれず」とあるように、全ての人々に、弥陀廻向の信心を獲得せよと説いたのであって、そこには天皇・貴族や庶民とを分けてはいない。

改めて、ここで言いたいのは、「親鸞の信心の問題と現代の諸問題とは、直接的には重なりえない」ということである。現代の諸問題は、どこまでも自分自身の知性によって判断すればよいのであって、その解決にいちいち親鸞の思想を仰ぎもとめる必要はない。この場合、もし念仏者として問われることがあるとすれば、それは自分自身が、いかなる信心の立場にたっているかということである。この者の依って立つ根底、究極的関心事が果たして、親鸞の究極的関心事と同一の基盤にあるか否かが重要なのである。その人の心が、真の意味で親鸞の信心の構造とと同一であるならば、もはやその人には親鸞の言葉などいちいち探し求める必要などはない。その人自身がどのような行動をとろうとも、そこには真実の信心が燦然と輝いているはずだからである。
親鸞は世俗の生活論の基盤で信心を問題にしたのではない。とすれば、私たちもまた生活論を離れて、親鸞の信心の構造そのものをもっと深く見つめるべきである。

『信心の社会性』とは何か

 かつての基幹運動において、しばしば「信心の社会性」という言葉が問題となった。運動を推進する人々にとっては、それはすでに自明の言葉であったのにのに対して、「信心」とは宗義上もっとも重要な語句であることから、教学的に理解しようとする人々にとってはそれが教学的な根拠を持たないことため、受け入れがたい言葉として峻拒されていたからである。
では、「信心の社会性」という言葉を教学的に位置付ける場合、どのように理解すればよいのであろうか。
親鸞は「信巻」末において、アジャセの獲信に自らの信心のありようを重ねる。いまその信心は「無根の信」という言葉をもって表されている。
 世尊、世間では、伊蘭の種からは悪臭を放つ伊蘭の樹が生えます。伊蘭の手ねから芳香を放つ栴檀の樹が生えるのを見たことはありません。わたしは今はじめて伊蘭の種から栴檀の樹が生えるのをみました。伊蘭の種とは私のことであり、栴檀の樹とは私の心におこった無根の信であります。無根とは、私は今まで如来をあつく敬うこともなく、法宝や僧宝を信じたこともなかったので、それを無根というのであります。世尊、私は、もし世尊にお遇いしなかったなら、はかり知れない長い間、地獄に堕ちて、限りない苦しみを受けなければならなかったでしょう。私は今、仏を見たてまつりました。そこで仏が得られた功徳を見たてまつって、衆生の煩悩を断ち、悪い心を破りたいと思います。(略)世尊、もしも私が、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、私はつねに無間地獄にあって、はかりしれない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません。
これを「信心」の内景として受け止めると、自らが念仏のみ教えに出遇い得たよろこびを周囲の有縁の人々に語り伝え、それを聞いた人々がまた自分と同じように念仏のみ教えを喜ぶことがあれば、たとえ我が身はいかなる苦境の中にあっても苦とはしない、と。
したがって、「信心の社会性」とは具体的には、自分が念仏のみ教えに出遇いえたよろこびを他の人々に伝えるという方向性において語られるべき言葉であると言いうる。
なおこれは、従来「自信教人信」という言葉で語られてきたのであるが、ただし善導が意図した自信教人信と、親鸞が語ろうとしているしている自信教人信とは、思想的な差異があることを理解しておく必要があると思われる。
まず善導は『往生礼讃』において、次のように述べる。
 仏世には甚だ値ひ難く、人信慧有ることも難し。希有の法を聞くに遇へること、これまた最も難と為す。自ら信じて人を教えて信ぜんこと、難きが中に転たまた難し。大悲を伝えて普く化すれば、まことに仏恩を報ずるなり。
この善導の語るところは「仏の在世にまさしく出会うことは、はなはだ難しいことである。たとえ仏と出会ったとしても、仏法を聞き、信じるだけの智慧がその人にあることはより難しい。だから、この両因縁が重なって、希有の法を聞くことに遇えるということは、最も困難なことだといわるばならない。ましてや、その法を自ら信じ、人に教えて信ぜしめることは、難中の難であって、これにすぎる難はない。だからこそ、みずからが得たその仏の大悲を、人々に伝え大衆を教化することは、私を仏果に導かれる仏に対しての、真の仏恩に報いる道になるのである。」と理解することができる。
だが、親鸞は「自信教人信」以下を
 自ら信じ人を教えて信ぜん。難きがなかに転たまた難し。大悲弘く普く化する。真に仏恩を報ずるに成る。
と読み替えている。親鸞の意に即して読むと「みずから信じ、そのことを人に教えて信ぜしめる。そのようなことは難中の難でこれ以上の難はない。大悲が弘くあまねく衆生を教化するのである。まことに仏恩を報ずることになる」と理解することができる。
善導の立場との根本的な違いは、「大悲」以下である。周知の通り、善導の立場は自分自身が身命をかえりみず、一心に仏の大悲を他に伝えることが、念仏ものとしての真の報恩の道だとするのであるが、では、それと根本的に異なる立場とは何か。自身における「大悲伝普化」の否定、ということになるのではなかろうか。
このことは、親鸞の「信」の構造より見て明らかなことだといわねばならない。親鸞は『信巻』において、衆生には清浄の心なく、真実の信楽なしという。末法の世の凡夫は、いかに努力しようとも、その心はしょせん虚仮諂偽でしかありえないからである。ここを指して『和讃』には「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ」といい、また「小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり」と述べている。そのことは『歎異抄』にも「今生に、いかにいとをし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし』と、衆生的次元の上に見られる慈悲的行為を、むしろきびしく否定している。とすれば、そのような我々が、難中の難である、大悲を伝えて衆生をあまねく教化することは、当然不可能だとして、否定されなくてはならない。
 では、親鸞はいかにして大悲の伝達は可能となると考えていたのであろうか。「大悲が弘くあまねく衆生を教化する」 とする親鸞の大悲のとらえ方に、それがよくあらわれている。大悲心とは、一切衆生の苦を抜き、済度しようとする心を意味するが、このような心は仏心以外のなにものでもない。仏のみがよく大悲心を行じうるのである。とするならば、大悲の伝達の可能性は、ただ仏の大悲心がよくその大悲を伝達するということにおいてのみ成り立つ。ここに、衆生が大悲を伝えるという行為性は否定されることになり、同時に大悲自らの伝達の義がうち立てられることになったのである。では「真成報仏恩」の一句をどう理解すればよいのであろうか。衆生にとって何が、真に仏恩を報ずることなるのであろうか。
 『歎異抄』に「念仏まふすのみぞ、すゑとをりたる大慈悲心にてさふらうべき」と述べている。念仏行の中にのみ大慈悲心が見出されるというのである。とするならば、「報仏恩」もまた、念仏行と深くかかわっていると解される。親鸞は、大慈悲の行相としての念仏を「大行」と呼んで、その義を『行巻』において明らかにしている。説くところによれば、「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、阿弥陀仏自身の行であるが故に大行と呼ばれるという。それ故にこの念仏は、衆生の行為性の中にあるのではなくて、衆生によって称えられている念仏そのものが、仏の一切衆生を済度する行態であることを、衆生がいかにして信知しうるかに意義が見出されることになる。衆生にとっては、その念仏を真の意味で頂戴すべきことが重要なのである。では頂戴するとは何か。「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」といわれている、念仏行のみが唯一の往生の行業である、という仏の教えに対しての疑心のなくなった心が「頂戴」したすがたであり、またその事柄が「獲信」と呼ばれる心だといえる。このように見れば、獲信とは、私自身の全人格的な立場において、仏の大悲性、私を救おうとする大行の功徳性が、如実に明らかになることであり、それを「信知」というのだと思われる。
 「恩を知り徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし」「如来大悲の恩をしり、称名念仏はげむべし」等の言葉によって明らかなように、私たち衆生を済度する仏大悲の恩を、私たちひとりひとりがいかにして信知しうるかがまず問われ、信知することがそのまま、自然に報恩に通じるこしであると知られる。ここにおいて「真成報仏恩」の意が明らかになる。阿弥陀仏の大行性を聞信すること、すなわち南無阿弥陀仏の大悲を大悲のごとく頂戴することにおいて成り立つ心だと解することができるからである。いうなれば、大悲自身が衆生を教化するのだという道理をどこまでも信じていくことが、真に仏恩を報ずる道であったのである。
 法の伝達はこのように、まさに大悲みずからのはたらきによってなされるのであり、衆生はただその教勅を聞信するにとどまる。これが親鸞の捉えた真宗伝道の原理である。とはいえ、実際においては、やはり法は人から人へと伝えられていく。もし具体的に親鸞が弥陀大悲の法を語らなかったならば、浄土の真宗はこの世に伝えられなかったであろうし、本願寺教団もまた出現することはなかったと思われる。このように見れば、真宗伝道の根本姿勢は、みずからが聞法に撤する態度以外にはないといえるかもしれない。自分が法を伝え説くのではなくて、他の同行と同一の場にあって、大悲の法をただひたすら聴聞する。この御同朋御同行の立場こそが、真宗伝道のすべてなのである。
以上のことから窺い知ることができるように、「信心の社会性」とは、自身が念仏の教えに出遇い得たよろこびを有縁の人々に伝え、共に聞くということをおいて他にはないと言い得る。
「信心の社会性」という言葉の使われ方の問題はどこにあったのか。それは「如来より賜りたる信心」を人間の側におろして「社会性」という言葉でを明らかにしようとしたことではないか。もしあえて「信心の社会性」ということを語ろうとするならば、それは「現実の問題をみ教えに学ぶ」のではなく、現実の問題を抜いて「浄土真宗の聖典」に学べばよい。そこで何が明らかになるか。ここでは「論註」に示されている次の文章に注目したい。

『未証浄心の菩薩は、初地已上七地以来還の諸の菩薩なり。この菩薩またよく身を現ずること、もしは百もしは千もしは万もしは億もしは百千万億、無仏の国土にして、仏事を施作す。要ず心を作して、三昧に入りて、乃しよく作心せざるにあらず。作心をもっての故に、名づけて未証浄心となす。この菩薩、安楽浄土に生じてすなわち阿弥陀仏を見むと願ず。阿弥陀仏を見たてまつる時、上地の諸の菩薩と、畢竟じて身等しく法等しと。龍樹菩薩・婆藪般頭菩薩の輩、彼こに生ぜんと願ずるは、まさにこの為なるべし。』

ここでは龍樹菩薩や天親菩薩がなぜ、阿弥陀仏の浄土への往生を願われたか、その理由が明確に示されている。明かに知られるように、この龍樹・天親は往相の菩薩である。その位は未証浄心であるが、まさしく往生は決定しているから、正定聚の機であることはいうまでもない。ではこの往相の菩薩はいかなる仏事をなすのか。その仏道は教化地(還相位)の菩薩と全く同じであって、何ら変わるところがない。三昧に入りて、他の迷える衆生を救うためのみに、無仏の国土において、一心に利他行を行ぜられているのである。ただしこの未証浄心の菩薩と教化地の菩薩との間には、決定的な差が一つだけある。それは未証浄心の菩薩は、「要ず心を作して、三昧に入りて」仏事を施作すると示されているように、自ら一心に清浄なる無心を作って、利他の仏事を施し続けるのである。これに対して、教化地の菩薩は「他力釈」において明らかなごとく、常に法身の三昧の中にあって、阿修羅の琴のごとく自然に無心に、無限の利他行ができるのである。一切の菩薩は、利他の仏道のみを行ずるということにおいて、全く同じなのであるが、未証浄心の菩薩は作心してしかそれを行ずることができない。それに対して教化地の菩薩は自然に無限の利他行ができる。この一点に両者の決定的な差が見られるのであり、この故に、往相の菩薩である龍樹・天親が、阿弥陀仏の浄土に生まれて、還相の菩薩になることを願ったのである。
このことからも、「信心の社会性」ということをいうならば、現実の問題よりも往生浄土の意義を明確にしていくことが大切なのではなかろうと思う。

教団の存在意義を考える


 ギリシアの哲学者の言葉に『問われない時には、わたしは知っていた。問われた時には、わたしは知らない。』という言葉がある。これは「知っている」と思っていることは、自明のことであるが故に自ら問うということはないが、それが他から問われたた時に実は知らなかったことに気づいたというような意味のことであるが、いまこのこのとに重ねると本願寺教団、あるいはそれを構成する真宗僧侶の『存在理由』はどのような点において語り得るのであろうか? 基幹運動に示される『部落差別をはじめとする社会の差別構造を糺し、戦争・ヤスクニ・人権・環境などの平和や社会の問題に積極的に取り組む』ということがそうなのであろうか? 親鸞の末法時代における仏教者についての記述を繙きながら浄土真宗の生活と併せてしばらく考えてみたい。

親鸞は末法時代の仏教を
 五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり
と捉えている。ここで注意すべきは、「この世の道俗ことごとく」の箇所で、当然ながらここには親鸞自身も含まれている。決して親鸞は自分をこの状態の外に置いて、末法の仏教教団を批判しているのではない。この和讃は、現実の仏教者の「善・悪」を言っているのではなく、これ以外に末法の仏教者の現状はないことを述べているのである。では、末法時代の仏教者はどのような姿をしているのであろうか。
親鸞は『教行信証』の「化身土巻」において、『末法灯明記』を引用し、末法時代の仏教者の姿を、次のように語る。そこではまず、『大術経』によって像法時代の、100年ごとの仏教教団の乱れゆく状態が描かれている。仏滅後1000年を過ぎると、世の中が大いに乱れ、仏教者は教団の規定を平気で破り始める。そして、
 1200年では、諸の僧や尼に子供ができる
 1300年では、袈裟が変じて白くなると記される。「白くなる」とはきらびやかになることで、袈裟や衣が、華美で金や銀で飾られ、色もとりどりに鮮やかになるのである。 
 1400年では、僧も尼も、男女の信者も、皆猟師のように獲物をあさるようになり、世俗の遊びに興じて、三宝(寺の宝物)を売るようになる。
 1500年゛では、二人の僧が争って、殺し合いをはじめる。
と説かれている。かくて末法の時代にはいる。したがって、末法時代には「仏法」は教えとしては残るが、「戒・定・慧」はありえない。それ故にこの世は、「無戒名字の比丘」のみとなる。姿は、仏教の教えによって、頭をまるめ袈裟を着ているが、内心は外道であって、心の中は欲望に満ちており、ただ財や名誉を求めて懸命になり、子供の手をたずさえて酒場を飲み歩き、世俗の遊びに興じる。それが末法時代の仏教者の姿に他ならないのである。
 とするとこの世は、二種類の人しかいなくなる。末法の時代は、ただ世俗的欲望のみが盛んになる。そのため、何人の心も欲望に満ち満ちている。その点において人の心には、全く相違がなくなるが、一はその中にあって仏教の法衣を着ている名ばかりの僧(無戒名字の比丘)、二は心も姿も欲望に満ちている俗人という二種である。
 さてここで、この無常の世の、私たちの日常生活における「悪」の状態が、重要な問題となる。いかなる世においても、人は結局、老・病・死の苦悩や恐怖を免れることはできない。幸福の最中にあって、突如、どうしようもない破綻がおこる。科学的な生活に破れ、他の宗教でも救われない。このような人生における最悪の苦悩に陥った場合、どうすればよいのか。やはり無常を越える法を説く仏教に、救いを求めざるを得なくなるのではなかろうか。だがこの仏教教団にも、残念ながら、ただ欲望に満ちた無戒名字の比丘しかいない。この場合、救いを求める俗人の心も世俗的欲望のみであり、救うべき立場にある僧侶の心もまた、欲望で満ちている。ここに果たして、真の意味での、仏教的救いが成り立つのであろうか。
 ここで、袈裟を着た名ばかりの僧に、何が求めているかが問われる。この時、特に注意しなければならないは、だからこそ汝たちは、自分が名ばかりの僧であることを深く反省し、懺悔して、「真の比丘になれ」と、いわれているのではないということである。末法の世において、無戒名字の比丘が、ほんの少し、外道のまねごとのような行をして、もし自分は聖者になったと錯覚すればどのような結果を招くであろうか。オウム真理教をはじめとする怪しげな教祖達が人々に不幸をもたらしたことからも容易に窺い知ることができよう。したがって、『袈裟を着る者は、真の仏道を何一つなしえない自分を、心の底から深く恥じらい、まさに無戒名字の比丘でしかないことを、明確に自覚し慚愧するのみ』だといわなくてはならない。ところで、大衆は、この名ばかりの僧に帰依し、仏法の功徳を得ようと集まり来る。だが大衆のこの心は、世俗的欲望を満たすための、さらなる救いを求めているのであるから、より一層の不幸に堕する方向でしかない。『末法灯明記』には、ほぼこのようなことが説かれているが、では親鸞はこの書を通して一体、何を言いたかったのであろうか。
 末法時代における「無戒名字の比丘」の、真の在り方がここで問われているのではないかと思われる。そのためには、次の点を明確に抑えておかなくてはならない。
 1.末法時代であっても、仏法のみが衆生を救うのであって、それ以外の宗教には、真の衆生を救う道はありえない。
 2.いまの仏教者は、ただ仏教の衣を着ている無戒名字の比丘でしかないが、この者以外に、真に衆生を救う者がいないとすれば、この仏教の衣を着ている無戒名字の比丘こそが、この世で最も尊い存在になる。
 3.なぜなら大衆は、この仏法者に出遇う「縁」に恵まれて、初めて真実の救いを得る道が開かれることになるからである。
とすれば、無戒名字の比丘の責任は、極めて重くなるといわねばならない。ではこの無戒名字の比丘に、何が求められることになるのだろうか。
 一は、大衆に対して、出来る限り、仏縁に出会うことの出来る場をつくる。
 二は、この人々に対して、この末法時代においても輝いている、真の仏法を語る。

このうち、一は主として宗教儀礼の問題になる。末法の世において、欲望に満ちた人々を引き付けるためにはどうすればよいか。まず、威容をほこり宗教的雰囲気をかもしだす寺院建築が求められる。法要儀式においては、堂内が飾りつけで見事に荘厳される。法衣は色衣になり、袈裟は金銀で飾られる。大衆を陶酔させる宗教音楽、厳かな読経、世俗的な人々に喜びを与える説法、そして大衆を引き付ける催し物、等々が考えられる。ただしこれらは、外から見ればあたかも仏法のようであるが、その内心はやはり外道だといわねばならない。けれども末法においては、大衆を仏縁に出会わせるために、このような方法しかないのであれば、自分は無戒名字の比丘でしかあり得ないことを自覚した上で、しかも外道の道しか歩めない自分に、大きな悲しみと恥じらいを抱かざるを得なくなる。
 では、二はどうであろうか。この末法の時代に、人々に真実の仏法を語ることができる可能性は、果たしてあるのであろうか。そしてもしあるとして、それは一体、誰がなしうるのであろうか。
この実践の可能性は、浄土真宗においては、すでにこの教えに心が開かれている者においてのみ、といえようか。それは真実の信心を獲得している念仏者ということである。ここで法然や親鸞の日常生活の姿が求められる。彼らは日常生活の中で念仏を称え、念仏の法門を大衆に伝えたが、ではなぜそれが可能だったのだろうか。いうまでもなく彼らの人徳が人々をひきつけたのであり、その説法に、大きな魅力が感じられたからに違いない。ただし法然や親鸞の人を引き付けた力は、決して聖者としての超能力的な魅力ではない。客観的に見れば見れば、むしろ全く逆で「愚」の覚者としての、深い人格的な魅力がそうせしめたといわねばならない。
 仏学道という面から見れば、親鸞も法然も、非常に高い仏教の学問を身につけ、深く智慧を磨いている。そして人間道という面から見ても、日常生活の中では、何ら倫理的過ちを犯していない。生活が淫らであって、しかも大衆から尊敬を受けることはありえない。だが法然も親鸞も、仏道者としての自分を「無戒名字の比丘」でしかないと、非常に深い恥じらいの心で捉える。だがこの慚愧の心こそが人々をひきつけ、その人徳にひかれ、彼らのもとに教えを聞くべく、人が集まったのである。
 では法然や親鸞はいかなる法を人々に語ったのか。『歎異抄』に、
  親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり。
と述べられているが、日々の日常生活で「ただ念仏を称えて阿弥陀仏に救われよ」と、たんたんと念仏の法門を語っているにすぎない。しかもその時の彼らの姿は、「大悲が弘く普く教化する」という立場である。これは善導の『往生礼讃』に見られる「大悲伝普化」
という文の「伝」の字を、知昇の『懺儀文』によって「弘」と捉え、そこに親鸞独自の読みを施したものである。
 善導は仏法の伝道について、自ら信じて人を教えて信ぜしめることは、難中の難である。だからこそ、仏の大悲を伝えて、普く人を教化するのが、真に仏恩に報じることだと説くのである。だが親鸞は、末法の世においては、仏法を、自ら信じ人に教えて信ぜしめることが、難中の難であるとすれば、われら凡夫には到底不可能だとし、それにもかかわらず、仏法がこの世に広まっているのは、まさに大悲が自然にはたらいて、弘く普く衆生を教化している。その真理に気づくことこそ、「真に仏恩を報ずるに成る」と見るのである。ではこの「仏恩を報ずるに成る」とは、どのような意味なのであろうか。
 ところで、この「報恩」を親鸞は、曇鸞の教えを通して「恩を知りて徳を報ずる。理よろしく先づ啓すべし。」と理解する。その教えの真理が、教えを求める者の心に、先ず啓発されて、はじめて人はその恩を知り、自ら教えを受けた恩に報いようと努力する、と捉えるのである。では獲信の念仏者に、いかなる真理が啓発されるのだろうか。私たちの五濁悪世の末法においては、ただ迷いの因と縁のみが逆巻いている。この現実において、凡愚は本来、仏法と出遇う縁などありえない。にもかかわらずその凡夫がいま、直ちに仏果に至るべき、念仏の法門を聞かされているのである。しかもその聞法によって、無限に輝く南無阿弥陀仏に、無条件で摂取されている自分を見るに至っている。だからこそ、ここに無限の歓喜が湧きいずるのであって、これに勝る喜びはない。自分は今、無限の輝きに生かされ、真実喜びの生活の中にある。それは阿弥陀仏の法が、自然のはたらきとして、この者の心に念仏の真理を啓発したことにほかならないが、まさにこの喜びこそが、仏恩を知ったものの姿になるのである。
 「報ずるに成る」とは、まさにこの念仏の真理を知った「喜びの姿」だといわなくてはならない。そしてこの念仏を喜ぶ人は、日々の生活において、ただ念仏を称え、その法の真理を人々と共に讃嘆する。それは末法の人々に、念仏を伝える働きの姿となるが、そこには自分が念仏を伝えるという、意識も力みも見られない。にもかかわらず、この人の周囲には人々が集まり、念仏の法が喜ばれ、自然に念仏の法が伝わっている。大悲の法が必然的に輝き、この世で躍動しているのである。けれどもこの法が法として伝わるのは、現実においてやはり、獲信の念仏者によっている。よっている。ではこの獲信の念仏者は、どのような日常生活を送っているのだろうか。
 ここで再び「無戒名字の比丘」の姿が問題になる。親鸞はこの自分の姿を「非僧非俗」と捉える。自分は国家権力の猥りがわしい裁きによって、僧籍を剥奪され、還俗させられて姓名を賜った。それ故に自分は已に「僧に非ず、俗に非ず」だと宣告し、「禿」の字をもって姓として、愚禿釈親鸞と名乗ったのである。国が定める「戒律」を守る僧ではないが、自分はどこまでも、仏法の衣を着ている僧だとの立場を取る。したがって、無戒名字の比丘の尊さは、この末法の世における唯一の仏教者であるからだとする。
 今日の我が国の仏教教団は、国が定める国家の法の支配を受けている。宗教法人法という俗法のもとで、各々の教団が存続せしめられている。しかも世俗の役人の命によって、仏法者の行動が義務付けられているのであって、決して純粋に、仏法の戒律に基づいた行動を仏教者が取っているのではない。いわば世俗の法に保護されて、各々の仏教教団が、各自の掟・作法を作って、仏法の衣を着ているにすぎない。ただしこれ以外に、現実の仏教教団の姿がないのだとすれば、この現状の中で、いかにして真の仏法がこの世に伝わるかを、仏教者は真剣に求めなくてはならない。
 『歎異抄』はこの現実における唯一の仏教を
  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごとたわごとまことあることなきに、ただ、念仏のみぞまことにておはします。
と語る。この世はなぜ、念仏のみが「まこと」なのか。私たちの心が、世俗的欲望のみで満ち溢れているかぎり、その者の行為の一切に真実はみられない。私たちの人間社会は、この不実な者の集まりによって成り立っている。だからこそ、この世は迷いなのである。ではこの火宅無常の世界にあっても、もし迷いを越える道があるとすれば、それは何か。この迷いを破る、仏の法に出遇う以外はない。「念仏のみがまこと」とは、この末法の世において、私たち凡夫の前に顕現する真の仏は、ただ「南無阿弥陀仏」のみだと、親鸞は見るのである。真実の仏と凡夫の接点は、ただ音声によるしかない。相好に触れることは不可能だからである。だからこそ、阿弥陀仏の大悲の光明が、衆生を摂取するために、南無阿弥陀仏となって、称名する衆生に来たっているのである。          
自らの愚悪性に慚愧する「無戒名字の比丘」のみが、この念仏の真理に出遇う。心が弥陀の本願を聞くべく開かれてるいからである。そしてこの比丘の人徳に触れた大衆がまた、その念仏の法門を聞き、自分たちもまた、真実慚愧する人になっていく。とすればここに、
  獲信の念仏者が未信の念仏者に、ただ念仏の真実を語り、
  未信の念仏者が獲信の念仏者から、ただ念仏の真実を聞く、
という関係が成り立つ。この者たちの日常には、仏法者として、自分の愚かさに気づかされながら、人間のどうすることもできない、不実性、愚悪性を信知することにおいて、それ故にこそ、弥陀の大悲、念仏の功徳を喜ぶ日々が開かれている。したがって、この念仏者にとっての日常は、せめて人間として、倫理的によく生きようと、努力しているといわねばならない。真実よく生きようと努力する者のみが、まさしく慚愧するのだからである。 こに念仏を喜ぶ、浄土真宗の日常生活がある。
 縷々見てきたことから言い得るのは、今日における真宗教団並びに僧侶の存在意義は、『日々の日常生活で「ただ念仏を称えて阿弥陀仏に救われよ」と、たんたんと念仏の法門を語る』ということに尽きるのではなかろうか。教団のスローガンに「念仏の声を世界に子や孫に」とあるが、法要の場で、あるいは葬儀・法事の場で年々念仏の声は聞かれなくなっている。それは、獲信の念仏者はいうに及ばず、未信の「念仏者」さえも減少し、未信あるいは無信の人々によって教団が支えられているということではなかろうか。
にも関わらず、そのことは主要課題とはならず、『部落差別をはじめとする社会の差別構造を糺し、戦争・ヤスクニ・人権・環境などの平和や社会の問題に積極的に取り組む』ことが重点項目となっている。だがこれらの諸問題は、現代を生きるすべての人々が興味関心を抱き、「人間として」取り組むべき課題である。
自らの存在意義はどこにあるのか。私は、「念仏の徳を讃嘆する」という一点にあると思う。そのことを第一義としたい。




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