私的研究室
14.親鸞聖人の仏身・仏土観 謹んで化身土を顕さば、仏は無量仏観経の説のごとし。真身観仏これなり。 土は観経の浄土これなり。また菩薩処胎経等の説のごとし。 即ち、懈慢界これなり。また大無量寿経の説のごとし。即ち疑城胎宮これなり。 『教行信証』「化身土巻」冒頭の文です。『正信偈』に親鸞聖人は源信僧都の功績を讃嘆して、源信僧都は「報化二土正しく弁立せり」と述べられます。報土である阿弥陀仏の浄土に、なぜ「化土」が存在するのでしょうか。その理由を源信僧都が『往生要集』で、疑心の者は「胎宮」に生まれ、懈慢の者は「懈慢界」に生まれると、明かされたといわれるのです。 このような考え方は、中国浄土教からの伝統的解釈だといえます。そこで親鸞聖人もまたこれらの解釈を受けて、『菩薩処胎経』に説かれる「懈慢界」や『大経』の「疑城胎宮」を,「化身土」と捉えられることになります。 したがって、浄土経一般では、『観経』が方便の経典だということはありえず、この経に説かれる阿弥陀仏とその浄土こそを、報仏報土だと見ていたと考えられます。
すなわち、親鸞聖人にとっての真仏真土とは、光明無量・寿命無量の誓願に酬報して成就された、「不可思議光」そのものであったからにほかなりません。そのため「不可思議光」の本性を『涅槃経』の、真解脱・虚無・如来・仏性・涅槃等の語によって解釈されます。
という言葉が見られ「浄土で必ずあなたをお待ち申し上げます」と、ここでは浄土が場所的存在として捉えられています。また浄土の荘厳を讃歌している『浄土和讃』において、その第一首に「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり」と述べられ、『無量寿経』の説にしたがって、阿弥陀仏を時間的存在として解しておられるようにも見られます。 けれども、それ以後に展開される讃歌においては、阿弥陀仏自体を「法身の光輪」「智慧の光明」「解脱の光輪」「光雲無碍如虚空」「清浄光明」等と表現され、その実態的な相好を破るとともに、浄土の衆生の全体を
として、「虚無之身無極軆」という、真如の相とされます。 では、浄土の荘厳が、存在論的な相好として述べられる場合はどうでしょうか。
阿弥陀仏とその浄土が、場所的実態的存在として捉えられる場合は、やはり『教行信証』と同様、明確に「方便の浄土」と示しておられます。そして、さらに時間的存在としての、阿弥陀仏の十劫成道に関しても、
と、『無量寿経』に説かれる「十劫成仏』の阿弥陀仏の本性を、塵点久遠劫よりもさらに久しい「久遠実成阿弥陀仏」と解され、その時間的有限性が完全に除かれています。加えて親鸞聖人は、和語の聖教では浄土の方向を「西方」という場で捉えておられる箇所は、一つも存在しません。 そうだとすると、和語の聖教を通して、逆に難解な「真仏土巻」の思想を垣間見ることができるのではないかと思われます。そこで、和語聖教において、阿弥陀仏と浄土の本質を問題にしておられる次の二箇所に注目し、親鸞聖人における阿弥陀仏とその浄土について考察してみたいと思います。 一、『末燈鈔』第五通「自然法爾(じねんほうに)」の文 二、『唯信鈔文意』「極楽無為涅槃界(ごくらくむいねはんがい)」の文 (仏身編) いったい、浄土真宗とはどのような仏道なのでしょうか。仏道とは、仏の証果を得るために、一人ひとりが歩み求める道にほかなりません。その浄土真宗について、親鸞聖人は『教行信証』の中「証巻」で、 謹んで真実証を顕さば、則ちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり と示され、この無上涅槃極果の内実を、「滅度・常楽・畢竟寂滅・無為法身・実相・法性・真如・一如」だと説かれます。浄土真宗の行道はいうまでもなく念仏の一道ですが、この道がまさに、念仏者を無上涅槃に至らしめます。そして、この浄土真宗の教法が、 謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向有り。一には往生、二には還相なり。往生の廻向について、真実の教・行・信・証有り。 と「教巻」冒頭で明かされ、その証果の一切、行も信も、因も果も、往も還も、そのすべてが「阿弥陀如来の清浄願心の廻向成就」によると語られます。このように、浄土真宗の教法は、阿弥陀の「誓願」によって成就された、二種の廻向がすべてなのです。 さて、『末燈鈔』の第五通では、この「誓願」を次のように述べておられます。 ちかひのやうは、無上仏にならしめんとちかひたまへるなり。無上仏とまふすは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆへに自然とはまふすなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とはまふさず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏とまふすとぞききならひてさふらふ。弥陀仏は自然のやうを知らせんレウなり。 阿弥陀仏の「誓願」は、一切の衆生を「無上仏」にならしめるために発起されているといわれます。では、無上仏とはどのような仏なのでしょうか。無上仏には「かたち」がありません。「かたち」が存在する仏や涅槃は、無上仏でも無上涅槃でもありません。だからこそ、浄土真宗の真実証は、「利他円満の妙位、無上涅槃の極果」なのであり、証果そのものが「畢竟寂滅・無為法身・実相・法性・真実・一如」だと解されたのです。 ところで、この無上仏を親鸞聖人は「かたちましまさぬ」故に、「自然とはまふすなり」と説かれ、その「自然」のはたらきについて、「かたちましまさぬやうをしらせん」と、一切の衆生に無上仏を知らしめるために、無上仏が動いて阿弥陀という仏が現れてくださったのだととらえられます。では「自然」の道理とは何でしょうか。 自然といふは、自はをのづからといふ。行者のはからひにあらず。然といふはしからしむるといふことばなり。しからしむといふは行者のはからひにあらず。如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ。法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆへにしからしむるを法爾といふなり。 「自然法爾」の手紙の「はじめ」の文です。自然とは「自」はおのずから、「然」はそのようにさせる、という意味です。そしてその「おのずからしからしめる」働きが、如来の衆生をして仏果に至らしめるはたらきを指すのです。そこでこの自然の道理に対する、人間の「はからい」が最も戒められます。この手紙に「行者のはからいにあらず」という言葉が繰り返されますが、それは人間の側の「はからい」の完全なる否定であって、自然の道理に、人は絶対に自らのはからいを加えてはならないのです。 それはなぜなのでしょうか。「如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ」いわれますが、衆生が仏果に至りうるのは、ただ法のしからしめるところ、如来の「御ちかい」の徳の故にほかなりません。真如の法の必然のはたらきによってのみ、衆生は無上涅槃に至ることが出来るのです。こうして、衆生をして「おのずから」仏果に至らしめる、真如のはたらきが、「自然法爾」と呼ばれます。 親鸞聖人は、この真如と阿弥陀仏の関係を、「かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏とききならひてさふらふ。」と捉えられます。真如の法は、一切の衆生を無上仏になさしめようと願われていますが、その無上仏の真理を衆生に知らしめるために、阿弥陀という仏が、衆生の「はからい」に先駆けて、法爾としてまします。それ故に「弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり」と言われるのです。この「やう(様)」とは、様子、状態のことで、この場合、自然の道理とか本質といった意味になります。また「れう(料)」とは、量りのこと、推し量ることであって、不明なることを明らかにする手段の意だと解されます。そうしますと、阿弥陀仏とは真如が働いて、無上仏とは何かを凡夫に信知せしめるために出現した、真如そのものの「はからい」ということになります。 この真如のはからいこそが、「弥陀仏の御ちかい」にほかなりません。そこでこの点を親鸞聖人はまた、 弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんとおもはぬを、自然とまふすぞとききてさふろふ。 と述べておられます。阿弥陀仏の誓願とは何でしょうか。衆生に自らのはからいの一切を捨てさせ、「南無阿弥陀仏とたのませて、その衆生を迎えようと、おはからいになっている」この願意の全体が、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀仏自体のすがたであり、このはたらきを「自然」申すのだと、親鸞聖人は聞いていると言われます。では、親鸞聖人はこの真理を誰から、いかに聞き習われたのでしょうか。 『教行信証』で、親鸞聖人は善導大師の『往生礼讃』の「深心釈」を智弁の『集諸経礼讃儀』の文から引用され、 弥陀の本弘誓願は、名号を称すること、下至十声、聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るにおよぶまで、疑心あることなし。 と聞かれます。善導大師の教えを通して、阿弥陀仏は本願に「ただ名号を称せよ、必ず往生を得しめる」と、誓われていると見られたのです。その称名は十声でも一声でもよく、その名号を聞くだけでもよいのです。この弥陀の大悲の誓願を信知して、疑心のないものは、まさに阿弥陀仏の攝取の光明の中に生かされているのですから、往生は必定なのです。なぜなら、善導大師の「六字釈」に明らかなように、「南無阿弥陀仏」の称名こそ、阿弥陀仏が一切の衆生を攝取するために、衆生に対し「帰命し発願廻向している」阿弥陀仏の本願力の躍動の相に他ならないからです。 この阿弥陀仏の願意を「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」と手紙に述べておられますが、この称名思想が、親鸞聖人が「行巻」の全体を通して問題にしておられるところの、極め独自な親鸞聖人の念仏思想だといえます。今ここで、二、三の類似表現をひろってみることにします。 一 弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば極楽へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。 二 行と申は本願の名号をひとこゑとなへてわうじゃうすと申ことをききてひとこゑをもとなへもしは十念をもせんは行なり。 三 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけまひらすべしと、よきひとのおわせをかぶりて信ずるほかに、別の子細なきなり。 周知のように『無量寿経』の第十八願には「至心信楽欲生我国乃至十念」と、衆生の往因として「三心と十念」が誓われています。善導流の浄土教一般では、この三心と十念の関係を、真実清浄の信心をもって、一心に阿弥陀仏の浄土への往生を願い、ただひたすら念仏を相続することだと捉えています。 ところが親鸞聖人の思想には、このような表現は見られません。往因を問題にされる場合には、「ただ信じる」か「ただ念仏する」かのどちらかに限られています。しかも、親鸞聖人の思想の特徴は、この信心と念仏に関して、衆生の信じ方や称え方をまったく問題にされない点にあります。つまり、親鸞聖人は真実の信心と念仏を、人間の精神現象の面でとらえようとはしておられないのです。 なぜなら、親鸞聖人は迷える凡夫の心には「一片の真実心」も無いと見られたからです。これは当然の理であって、凡夫の迷いは、真実心がないことから生じています。もし真実心があれば、迷いは生じません。今日の真宗教学でも、真実の信心でもって本願を信じるとか、真実信心をもって称名するというようなに、「真実の信心」という精神現象面が強調される場合がありますが、少なくとも親鸞聖人の著述においては、そのような凡夫の精神現象面での「真実信心」のあり方は全く述べられてはいません。それは、凡夫の心には、精神現象面での「真実の心」はありえないからで、そのことについては『一念多念文意』に、 凡夫といふは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおほく、怒り腹立ち、そねみねたむこころ、おほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず。 と説かれ、また『歎異抄』にも 煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、 と語られていることによっても明らかです。この故に親鸞聖人は、本願の三心と十念を、衆生が往生 するための、凡夫自身がなすべき行為としての、信心と念仏とは見ないで、 その三心と十念を、阿弥陀仏が衆生を往生せしめるための、仏の大悲心であり、大行であると解釈されたのです。 『教行信証』の「行巻」と「信巻」は、この阿弥陀仏の大行と大信の構造を論理的体系的に語っておられるのですが、いま問題にしている「自然法爾」もまた、この点が問われているのです。 さて、親鸞聖人にみるこのような信心と念仏の構造を念頭において、これら三つの引文の念仏思想を窺ってみましょう。(一)は、『末燈鈔』第十二通の文です。このお手紙は「念仏往生と信じる人は、辺地に往生する」という主張をめぐっての、弟子たちの論争に対しての、親鸞聖人の回答です。親鸞聖人はここで、弟子たちの論争そのものを、まず厳しく否定されます。両者共「念仏往生」の義をまったく誤って理解していたからです。 浄土教一般では「念仏往生」といえば、一心に念仏を称えて、往生を願うという意味になります。したがって「念仏往生と信じる」ということは、普通は一生懸命念仏を称えていれば、往生できるのだと信じることですから、称名が往因行となり、自力の称名と見られなくはありません。自力の称名は言うまでもなく、辺地にしか往生しません。そこで弟子の何人かは「念仏往生と信じる人は辺地に往生する」と主張したのだと思われます。ところが、他の弟子から見ると、その主張は「称名」の否定になりかねません。では、この論難のどこに根本的な誤りがあるのでしょうか。実はその誤りを見いだすことが出来なかったので、このような手紙を親鸞聖人に送ったのだと思われます。そこで、親鸞聖人は浄土真宗の「念仏往生」の真実義をここで説かれたのです。 「弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば極楽へむかへんとちかわせたまひたる」がその答えです。この意味は、善導大師の『往生礼讃』の「弥陀の本弘誓願は」以下の文によっていることは確かであり、また「自然法爾」の文の「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」の意味とも重なっています。 親鸞聖人にとっての念仏往生とは、まさに阿弥陀仏の「ただ念仏せよ、汝を救う」という本願のはからいにほかなりません。だからこそ親鸞聖人は、この本願の勅命を、そのごとく「ただ信じる」ことが、念仏者にとっての唯一の往因だと説かれるのです。そうしますと、この者の仏道は、「念仏せよ」という弥陀の勅命をただ信順して念仏するのみとなります。この故に、念仏往生の本願を「ふかく信じてとなふるがめでたきこと」なのです。 (二)も『末燈鈔』の文で、第十一通に当たります。ここでは「行の一念と信の一念」の関係が問われます。親鸞聖人はこの二者の関係を「行」という概念でとらえられます。「本願の名号を一声称えて往生す、という阿弥陀仏の誓いを聞いて、一声をも称え、十念をもする」ことが、行だといわれているからです。 ところで、この文中の「聞く」について、聞くとは、本願の勅命を聞いて疑心が全くなくなることだとして、その心に信の一念を見られます。そこで、ここに信の一念をはさんで、二種の行の一念が存在します。「ひとこゑとなへてわうじゃうす」という本願の教法を聞いて、「ひとこゑをもとなへ」るの「一声」がそれで、「行の一念」「信の一念」「行の一念」という「聞いて」という信をはさんで、二種の「行」の関係が見られるのです。しかも、この全体を親鸞聖人は「行」とらえられるのです。 では、その行とは何でしょうか。「一声称えて往生す」という弥陀の勅命だといえます。弥陀の誓願のはたらきが、必然の道理として衆生をしてその誓願を信ぜしめ、称名しているからです。ここで重要なのは、信じた後の称名ではありません。この称名は、勅命に信順している姿でしかありません。したがって重視されるべきは、衆生に信を生起せしめる「称名せよ」という勅命、本願のはたらきです。この行の一念と信の一念の関係がここで問われています。だからこそ、この行の一念を離れては、信の一念は成り立ちませんし、行の一念は意味をなさないのです。 「行一念と信一念」の関係は、まさに行の一念が信の一念を成就せしめるのですから、親鸞聖人はこのはたらきの全体を「行」として捉えられ、この一切を「みだの御ちかひ」だと理解されたのです。「自然法爾」のお手紙では、この弥陀の御ちかいが「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」という、弥陀のはからいだとされます。「ひとこゑとなへてわうじゃうす」という行の一念こそ、「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへん」という、弥陀の「はからい」そのものになるのです。 (三)は、『歎異抄』第二条の、親鸞聖人の弟子たちが命懸けで、関東から京都に来て、疑問になっている往生浄土の道を、いま一度師匠である親鸞聖人に問いかけている文です。親鸞聖人は、この弟子たちの求めを厳しい口調で叱咤しておられます。では、その求めのどこに根本的な誤りがあると、親鸞聖人は見られたのでしょうか。一言でいえば、衆生の側の「はからい」だといえます。知識的に往生の道がよく理解できて、行道を通して確固たる信心を得ようとして、弟子たちはいま師匠に往生の道を問いかけているからです。 この「はからい」が衆生の心にあるかぎり、衆生は絶対に阿弥陀仏に遇うことはできません。そこで弟子たちの求道の過ちを、まず厳しく戒めた上で、自分は「ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべし」と教えられた、「よきひと」の教えを信じているだけだと述べられたのです。この「よきひと」とは、法然聖人であることは言うまでもありませんが、法然聖人が語られるこの言葉は、そのまま弥陀の勅命になっています。 この文もまた「行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」という自然法爾の言葉と重なりますが、法然聖人の教えによって、往生はただ弥陀のはからいによると、親鸞聖人は信知しておられたからこそ、弟子たちに、はからいの一切を捨てさせることが可能であられたのです。では、この「自然の道理」は、なぜ阿弥陀仏という仏でなければならなかったのでしょうか。 「行巻」で、南無阿弥陀仏が不回向の行だということを論証された後に、親鸞聖人は「この行信に帰命すれば、攝取して捨てたまはず。故に阿弥陀仏と名づけたてまつる」と述べておられます。「不回向の行」とは、ただ一方的に、阿弥陀仏より衆生に廻向されている大行のことで、この「行」に対する、衆生のはからいの一切を否定する言葉です。では、なぜ「南無阿弥陀仏とたのめば」攝取して捨てたまわない仏が、「阿弥陀」と呼ばれるのでしょうか。 真如とは無上仏であり、無上涅槃です。そしてこの真如の「おのづからしからしむる」はたらきを、自然法爾と呼んでいます。その自然のはたらきとは、いわば無限の空間と無限の時間を覆い尽くして、その一切を無上仏になさしめようとしている力です。だとすれば、その「はたらき」とは、どのような力によって可能になるでしょうか。 一切の空間を輝かせる「無量の光明」と、一切の時間に耐える「無量の寿命」によるほかありません。この無限の大智と大悲によってのみ、この道理は可能となりますが、そのはたらきの全体が、一言で「阿弥陀」と発音されます。そしてこの「阿弥陀」が、一切の衆生を救おうとする願意が、言葉で「南無」となるのです。そうしますと、無上仏の大信心が、大行となって衆生に「相」を示すとするならば、「南無阿弥陀仏」とならざるを得ないのです。 この「行信に帰命する」ということは、衆生がはからいを捨てて、「南無阿弥陀仏とたのむ」ことにほかなりません。ここに衆生が、阿弥陀という真如との法と一体になっている姿がありますが、それは同時に、弥陀が「行者のよからんとも、あしからんともおもは」ないで、そうするためにはからわれている姿でもあります。そうしますと、阿弥陀がこのように帰命する衆生を攝取しないはずはありません。だからこそ、このような衆生を、攝取して捨てたまわない仏を、「阿弥陀」となづけたてまつるのです。ここに衆生のはからいなど入る余地は絶対にありません。そこで、この称名念仏の法理を『歎異抄』の第八条は「念仏は行者のためには非行非善なり」と説きます。念仏は、行者が何々のために行じる行為ではなくて、「南無阿弥陀仏」の音声が、弥陀のはからいそのものだからです。 『教行信証』「信巻」には、この弥陀と衆生の関係が、より詳細に次のような説かれています。 凡そ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず。男女老少を簡ばず。造罪の多少を簡ばず。修行の久近を論ぜず。行に非ず善に非ず。頓に非ず漸に非ず。定に非ず散に非ず。正観に非ず邪観に非ず。有念に非ず無念に非ず。尋常に非ず臨終に非ず。多念に非ず一念に非ず。唯これ不可思議不可称不可説の信楽なり。喩えば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来の誓願の薬は、よく智愚の毒を滅するなり。 この文で、大信海のはたらきに関しては、二重の構造が見られます。「大信海」という如来の心の働きと、その「大信海」に対する衆生の心の働きが、同時に語られているからです。前者では「簡ばず。謂はず。問はず。論ぜず。」と述べられ、後者で「…非ず。…非ず。」と語られています。 前者は、「自然法爾」の文に見られる「行者のよからんとも、あしからんともおもはぬ」に重なっています。この文は、阿弥陀仏の「御ちかひ」について、弥陀のはからいはただ「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへん」ということであって、その行者の善悪は問題にしないとされています。この阿弥陀仏の大悲の心が、より具体的に「大信海」の釈で語られているのです。「貴賤緇素・男女老少・造罪の多少・修行の久近」は、人間社会にみる差別構造の根本原因になる諸要素ですが、阿弥陀仏の本願は、その救いにこれらの要因の一切を、全く問題にしません。それは、人間社会では、人々はこれらの差別の構造の中で迷い苦しみ歎き悲しむですが、その衆生の全体を無条件で平等に救うはたらきこそが、この弥陀の「大信海」だからです。 そうであるからこそ、ここで最も厳しく否定されるべき行為が、その大信海に対する衆生のはからいということになります。後者は、『歎異抄』第八条の「念仏は行者のためには非行非善なり」の文に重なりますが、ここに示される「行・善・頓・漸・定・散・正観・邪観・有念・無念・尋常・臨終・多念・一念」の語はすべて、仏道としての行に関する重要な言葉です。仏道においては、普通、行者は常にこれらの行為に真剣であらねぎなりません。そうでなければ、仏道者としての行道は成り立ちません。果たして 「この行は仏果に至る行であるか否か。真の善根であるか否か。頓教であるか漸教であるか。定善の行とは散善の行とは。この行は正観であるか邪観であるか。有念の心とは無念の心とは。尋常の行とは臨終の行とは。多念がよいのか一念がよいのか。」 自らの行について、このような一心の求めがあって、初めて真の行道の実践が可能になるのです。 ところが、親鸞聖人はこれらの求道の一切を、愚かな凡夫のはからいだと見られます。末法の凡愚は何人も真実の智慧は持ちえないからで、このような求道のはからいは、かえって迷いの積み重ねになってしまいます。だからこそ、この凡夫が阿弥陀仏の「大信海」によって、無条件で攝取されるのです。その弥陀の信楽は、衆生の思議の一切を超越しているが故に、ただ「不可思議不可称不可説」としかいいようがありません。けれども如来の心は常に、衆生を無上仏にならせようとして、阿弥陀という仏の相を示し、衆生の心に来たっています。それは、あたかも「阿伽陀薬」のように、この誓願の薬は、一切の衆生の智愚の毒を滅してしまうのです。そうであるからこそ、この信楽の信知は、衆生のはからいの否定の上においてのみ成り立つのです。 さて、「自然法爾章」を通して、親鸞聖人の阿弥陀仏観を求めましたが、それは自然法爾という、真如のはたらきそのものだったといえるのではないかと思われます。真如が一切の衆生を「無上仏にならしめ」として、その無上涅槃の真理を知らしめるために、阿弥陀という仏の相好を現されましたが、このように無上仏にならしめる、その真如のはからいが、まさに「南無阿弥陀仏」であったといえます。そうしますと、阿弥陀仏の存在は、南無阿弥陀仏を離れてはありえません。 場所的に、あるいは時間的に、宇宙のどこかに阿弥陀仏という仏がましますのではなく、真如の無限の大悲大行がいま現に衆生を救うために「南無阿弥陀仏」と相を示して躍動している、その躍動する南無阿弥陀仏を、親鸞聖人は阿弥陀仏そのものと見られたのだといえます。 (仏土編)
「極楽」とは、かの安楽浄土だといわれます。「かの」とは、阿弥陀仏を指しておられることは明らかで、「安楽」とは心が安らかで、楽しみが極まりない状態を意味しています。そこで、浄土とは「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」世界だと解され、曇鸞大師の教えによって、「安養」ともいうと述べられます。安養もまた、心身とも安らかに生かされている姿を示しています。 さらに天親菩薩の「一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもっての故に、蓮華蔵世界に入ることを得」の言葉を承けて、本来、華厳経の本尊、毘盧遮那仏の浄土である「蓮華蔵世界」を、阿弥陀仏の浄土だと解されます。 ところが、その結びで、「無為ともいへり」といわれます。そうしますと「極楽・安楽・安養・蓮華蔵世界」の意は、「無為」の意において捉え直さなくてはなりません。これらの語はすべて、無為の意の形容になっているからです。では「無為」とはどのような意味でしょうか。「真仏土巻」で『涅槃経』引文によってこの「無為」を
この場合「僧」とは、僧侶のことではなく、仏の法を伝達するはたらきを意味しています。したがって無為は、真如・真涅槃の同義語になります。このように見れば、「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」心は、仏の悟りの内実として捉えなくてはなりません。 では「よろづのたのしみ」とはどのような意味でしょうか。『涅槃経』では続いて「大楽有るが故に大涅槃と名づく」と語られていますが、この大涅槃としての「大楽」が、この「よろづのたのしみつね」の意になるのではないかと思われます。 では、大楽とは何でしょうか。
まず、諸楽を断ずることを大楽とされます。なぜでしょうか。それは、この世の世俗的な場における楽しみの一切は、やがて必ず破れてしまいます。楽の破綻は苦でしかありません。その楽しみが、大きければ大きいほど、破れた時に味わう苦は大きいといわなくてはなりません。したがって、破れるべき楽を断じない限り、その楽は苦でしかないのです。 では、「楽を断ずるをもっての故に、則ち苦有ることなけむ。無苦無楽いまし大楽と名づく。」とは、どのような意味なのでしょうか。その答えは「涅槃の性は無苦無楽なり」です。世俗的な場での「楽」の求めを、完全に断つということは、生の執着によってに生じる、苦楽の心を超越することにほかなりません。この心がいま「無苦無楽いまし大楽と名づく」と結ばれています。だからこそ、涅槃が大楽なのであり、「よろづのたのしみつね」といわれるのです。
では、その「涅槃」とは、いかなる場なのでしょうか。涅槃の義は深遠であって、その義を詳細に述べることはできません。不十分ではありますが、涅槃の同義語をいくつか拾ってみると、「滅度・無為・安楽・実相・法身・法性・真如・一如・仏性・如来」といった語を涅槃に重ねることができるといわれます。この中「無為・安楽・常楽」の語意については、すでに検討を終えています。いずれも、世俗の執着の場における感覚的・快楽的な楽を意味するのではなく、この語の内実がそのまま「無苦無楽」なのですから、仏の正覚としての大楽を意味したのです。だからこそ、これらの語がそのまま「実相・法性・真如・仏性」等の同義語とみなされるのです。そうしますと、涅槃界としての阿弥陀仏の浄土は、固定的な場所ではありえなくなります。
と解釈されます。法身であり一如である如来は、無限の国土の微塵の世界に満ち満ちています。そうしますと、一切の群生海、生きとし生ける衆生は、心のすべてが常に何時いかなる場においても如来で満たされているといわなくてはなりません。 では、この群生海は迷っていないのでしょうか。ところで親鸞聖人は、この群生海の心について、『教行信証』「信巻」の三一問答で、
と述べておられます。 一方では、微塵世界の一切の群生海の心には、常に真如法性、真実清浄の如来が満ち満ちているといわれ、他方ではまったく逆に、微塵世界の一切の群生海の心は、今日今時に至るまで、穢悪汚染にして一片の真実清浄の心もなく、煩悩界を流転し続けているといわれます。いったいこれをどう理解すればよいのでしょうか。 また心の状態として、それを考えることもできません。ある状況で真実になり、ある環境では不実になるとすれば、「常」とか「一切」の語は使えないからです。宇宙全体の微塵世界の一切の群生海の心には、常に清浄なる如来が満ち満ちています。同時に、その一切の群生海の心の全体は、常に、穢悪汚染・虚仮諂偽でしかありません。この真理を示しているのが、「縁起の法」であると思われます。 けれどもこの両者は共に縁起の中にあるのであって、決して縁起の外にあるのではありません。涅槃界の衆生も煩悩界の衆生も、すべて同じく縁起的に生かされているのです。 では、涅槃と煩悩、覚りと迷いの「界」はどこにあるのでしょうか。両者とも縁起の中にあって、縁起の真理を覚知するか否かによって、その差が生じるのです。縁起を見るものは仏を見るといわれますが、まさに自らの全人格的な場で、縁起の法を覚知したものが、仏陀・如来・仏性であり、覚知しえない者が迷える凡夫なのです。 真実功徳とまふすは名号なり。一実真如の妙理円満せるがゆへに、大宝海にたとえたまふなり。一実真如とまふすは、無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり。法性すなわち如来なり。宝海とまふすは、よろづの衆生をきらはず、さわりなく、へだてず、みちびきたまふを、大海のみづのへだてなきにたとへたまへるなり。この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のさかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆへに、報身如来とまふすなり。
引文前半の大意は、ほぼこのように理解することができます。 この「名号」を「自然法爾章」の文に重ねてみることにします。そこでは、弥陀の誓願は「南無阿弥陀仏とたのませて」一切の衆生を無上仏にならしめようと誓われている、といわれます。南無阿弥陀仏こそ真実功徳、一実真如の妙理を円満している名号にほかならないからです。そして、この名号が大宝海だとされ、この大宝海が一切の衆生を平等に無上仏に導いているのです。そうしますと、一声一声の称名には大宝海の功徳が満ち満ちています。その称名に差別はありません。一切の衆生は念仏とともに、平等に大宝海に摂取されています。この真理を衆生に知らしめるために、真如が阿弥陀仏という仏となって、この世に出現されたのです。 名号が「一実真如の妙理」を円満しているのは、真如が仏の法蔵の一切を菩薩の相に示し、無碍の誓いを起こして、光明無量・寿命無量の功徳を成就されました。その相が南無阿弥陀仏です。したがって称名するということは、阿弥陀仏の大悲心が「南無阿弥陀仏」という大行となって、衆生の心に来たっていることにほかなりません。念仏が念仏者を「きらはず、さわりなく、へだてず」平等に救うのは、必然の道理です。この救いの構造が「極楽無為涅槃界」の文の結びで、より詳細に次のように説かれています。
なぜ一切の有情は、やがて必ず、阿弥陀仏の誓願を信楽するのでしょうか。この論理構造は「信巻」の三一問答に明らかです。 まず字訓釈において、本願の「至心信楽欲生」の三心は、本来、真実清浄の信楽の一心であって、この心にはいかなる虚仮も邪偽も雑わらないとされ、次いで法義釈で、その信楽の一心が、至心信楽欲生の功徳のすべてを名号におさめて衆生に回向されます。この大悲心の躍動が、「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからせたまひたる」であり、そしてその「はからい」が、阿弥陀仏の衆生に「自然のやうをしらせんれう」であったのです このように弥陀は常に名号を通して、「本願の信楽を二心なく信ぜよ」と勅命されているが故に、衆生はやがて必ず、阿弥陀仏の信楽を信知するに至ります。この自然の道理を、親鸞聖人は『尊号真像銘文』で「如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふすなり。」と説かれます。衆生が「誓願を信楽する」すべてが、阿弥陀仏の信楽の「はからい」によるもので、この信心を「信心すなはち仏性」だといわれるのです。
仏性とは、法性であり法身です。したがって、如来の心は本来無上仏であって、「かたち」はましません。ところでこの仏性が、衆生の心に信心を生起せしめます。そうしますと、「法身」には二種の相がなければなりません。一は衆生にとって、いろもなく、心もおよばず、言葉では表現できない、一切を超越している法性としての法身です。二はその衆生の心に信心生起せしめる、一如よりかたちを現した方便法身としての法身です。その「御すがた」が、法蔵という菩薩の相を示して、不可思議の大誓願を起こし、光明無量・寿命無量の功徳を成就して、この世に出現されました。この「御かたち」を、天親菩薩は「十方無碍光如来」と名づけられ、自らこの如来の浄土に生まれるべく、一心に帰命しておられます。
「尽十方無碍光仏」とはどのような仏でしょうか。「尽十方」とは、宇宙の全体、どのような微塵世界をも覆い尽くす、という意味です。この仏は法性法身に同じですから、色もなく形もましません。しかもこの仏は、無碍の光を放ちたもうています。無碍とは、いかなる障害物にも邪魔されることはありませんし、無明の闇を除き一切の悪業に障碍されることもありません。どのような悪業煩悩を持った有情であろうとも、その無明の心を問題にしないで闇を根本的に除き、光明で輝かします。それが無碍光の徳であり、その光明が「智慧のかたち」です。この光明が無量・無辺・無碍と呼ばれるのは、この仏の智慧の功徳性を示しています。
聞光力のゆへなれば 心不断にて往生す という一首をみることができます。この中、「聞光力」の語に「ミダノオンチカヒヲシンジマヒラスルナリ」と左訓されています。「弥陀の御誓い」とは、「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」誓いにほかなりません。「南無阿弥陀仏」は諸の善法を摂し、諸の徳本を具した真如一実の功徳宝海であり、称名よく衆生一切の無明を破し、志願を満てたもうからです。 したがって「聞光力」の「光」が「念仏せよ。救う。」という音声であり、「聞」が、称名する念仏者がその尽十方無碍光の勅命を信じる心となります。まさに尽十方無碍光如来の光明の「かたち」こそ、「南無阿弥陀仏」であったのです。 したがってこの土は、法性法身に同じであって、楽の究極、無苦無楽の涅槃界です。一実真如功徳大宝海の浄土は宇宙の全体を覆い、十方の微塵世界のすみずみまで満ち満ちています。ただし一如であり法性である浄土は、いろもなくかちもましまさないといわれます。この浄土の本性は迷える凡夫の思議を超えています。ただし浄土の存在は、その迷える凡夫を救う場としてましますのです。そのために、浄土は真如のままで衆生の現前に相をあらわさなくてはなりません。それが真如の智慧、尽十方無碍光という光明です。 それ故に親鸞聖人は、「真仏土巻」で、「真仏・真土」について仏は不可思議光如来であり、土は無量光明土なりと説かれます。けれども、このように無量光明土といっても、その光明もまた衆生の思議を超えており、凡夫がその光明に出遇うことは不可能です。 つまり浄土は、存在論的にあるいは時間論的に、宇宙のどこかに存在するのではなくて、常に愚かな凡夫を救うための場として、十方の微塵世界にあるのだといえます。その救いのはたらきが南無阿弥陀仏です。阿弥陀仏と同様、浄土もまた南無阿弥陀仏を除いてはありえない、といわなくてはなりません。 ところで親鸞聖人は、金・銀・瑠璃等の自然の七宝で荘厳される、その西方十万億土の浄土を方便化身土と捉えておられます。ただし親鸞聖人には『文類聚鈔』に「西方不可思議尊」という帰依の表白があり、また『教行信証』でも随所で阿弥陀仏の浄土を「西方」と存在論的に捉えておられる箇所が散見されます。 またすでに述べたように「さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずまちまいらせさふらふべし。」と手紙に認められ、死後に生まれる浄土が実体的に語られています。このように、懈慢界や疑城胎宮の問題とは別に、一方では「仏は無量寿観経の説のごとし。土は観経の浄土なり。」と、その浄土を方便化身土とされながら、他方において、このような西方の浄土に心から帰依しておられる親鸞聖人の姿が見られます。私たちは、これをいったいどのように理解すればよいのでしょうか。 光明無量・寿命無量のただ一つの相としての一声の称名が、唯一の真仏真土になってしまいます。したがって親鸞聖人の思想からすれば、西方の十劫成仏の阿弥陀仏と、真如法性・無為法身としての南無阿弥陀仏を、ともに真仏真土だとする義は同時には成り立たないことになります。 やはり前者は方便化身土であり、後者が真仏真土だとしなければなりません。親鸞聖人は、決して西方に荘厳される阿弥陀仏の浄土を一方で方便化身土だと信じながら、他方においてその浄土を真仏土だと信じられたのではないのです。二心がないとされる真実信心にはそのようなことは起こりえないのであって、同一の「信」でもしそのような心を同時に成立せしめようとすれば、それこそ自己分裂を起こしかえって疑惑心に堕してしまうことになります。 では、なぜこのような私たち凡夫の社会に、いま浄土の教えが必要なのでしょうか。今日の私たち凡夫は現実の世を虚無として真に生き抜く力はなく、その一方死後に生まれる西方の極楽も信じることは出来ません。だからこそ、凡夫がこの世を真に生きる無限の力強さと、限りない暖かさがいま必要とされているのだといえます。 私たちの感覚において、西方は太陽が沈み一切が流れ行く寂滅の世界です。そこには、一つの例外も許されません。自分もまたそこに流れ往くのです。そうしますと、永遠の念仏の輝きの中で、従容としてこの流れ往く自分を見ることができます。 この念仏の輝きを具体的に表現すれば、結局浄土の経典や『浄土論』に見られる浄土の荘厳になってしまいます。その結果、一声の南無阿弥陀仏こそが無限の浄土の輝きになるといえます。この念仏の真理に生かされる者は、すでにはからいが完全に破られています。また、このような者の集いでは、現代であってもお互い念仏を称えつつ「浄土でお待ちしています」と言ったとしても、そこに何ら違和感は感じられません。それは何よりも、念仏をとおしてその浄土が「極楽無為涅槃界」であると信知されているからです。 |