私的研究室


10. 親鸞聖人の信の構造

はじめに

 親鸞聖人は「さとりに至る真実の因はただ信心のみである」と述べられます。それは、私たちが仏になれるのは、真実の信心を頂くことによってのみであると言われるのです。

  そこで、親鸞聖人の「信心の構造」ということについて尋ねていきたいのですが、それに際してこのことを@「獲信の過程」A「念仏と信心」B「親鸞聖人の獲信」という三つの問題に分けて考えてみたいと思います。

まず@「獲信の過程」では、一般に親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗の教えは、実は特殊な仏教思想だとみなされていますが、ではその特殊性とはどのような点にあるのかということを示し、併せてなぜそのような思想が親鸞聖人に生まれたのか、その原因とそれを生むに至る過程を問題にしていきます

次にA「念仏と信心」では、親鸞聖人の信心は阿弥陀仏の本願との関係の中で生まれています。この場合、阿弥陀仏は本願に衆生を摂取するための「心」と「行為」を既に成就しています。親鸞聖人は前者を「大信心」、後者を「大行」と名付けられますが、この両者の姿が「南無阿弥陀仏」だと説かれます。そこで、南無阿弥陀仏とはいったい何であり、この阿弥陀仏の法はいかにして親鸞聖人の心に来たり、さらに私たちの心に届くのかということについて考えます。

最後にB「親鸞聖人の獲信」では、親鸞聖人の獲信の構造を明かにします。親鸞聖人は「信心」を「獲得する」と表現されます。自分の信心をこのような表現で語られるのは、おそらく親鸞聖人のみだと考えられます。「獲得」とは、自分が獲物を得ることで、もともと自分にないものを他から取ってくることを意味しています。一般的に、信心とは本来自分の心ですから、信じる心になるのであって、「獲得」という言葉は使いません。これより見て、親鸞聖人が「因」としている信心は、自分の信心ではなくて、その根源にある「如来の信心」を指していることが分かります。その「信」を親鸞聖人はいかにして得られたかがここでの中心問題となります。

@  獲信の過程

  親鸞聖人の主著は『顕浄土真実教行証文類』ですが、この題名は、浄土真実の「教行証」を顕わす書物という意味です。全ての仏教は「教と行と証」という三つの綱格から成り立っています。    「教」とは釈尊(お釈迦さま)の教えを指します。釈尊は人々に悟りへの道を説かれました。したがって、その教えの通りに道を歩けば、誰でも「仏陀−覚者」になります。その覚者になる教えが「教」です。

  「行」とは、釈尊の教えに従って歩む、行者の行道を意味します。そこで、行道にとって最も重要なことは、行者がその教えを、教えの通りにいかに信じることが出来るかどうかにかかっています。教えの通りに信じて、その通り行じた者のみが、よく証果に至ることが出来るからです。

  「証」とは、行を完成したその結果であって、そこで初めて釈尊と同じ悟りを得ることになります。

  とすれば「教行証」のうち、仏教者にとっての中心は「行」ということになります。行者は、教えをその通りに信じて、教えに順じて一心に行道に励むことが何よりも重要になります。この場合「証」は、真実の心で懸命に行道を維持し続ける結果に過ぎないからです。

  さて、親鸞聖人はこの書で、仏教の教行証の内、「浄土真実の教行証」を顕すと述べられます。そうすると、ここで「浄土真実」という言葉の意味が問われます。中国の浄土教者・道綽禅師は仏教の全体を聖道門と浄土門とに二分されました。聖道の仏教とは、この世において悟りを得ることを目指す仏教であり、浄土の仏教とは、この世で悟ることが不可能と自覚した者が、次の世に阿弥陀仏の浄土に生まれて、悟りを得ることを願う仏教です。

  そうすると、親鸞聖人のこの書は、聖道の「教行証」を問題にしているのではないという点にまず注意する必要があります。ところで、親鸞聖人は「浄土の教行証」ではなく、「浄土真実の」とわざわざここに「真実」という言葉を補っておられます。ここに浄土教における親鸞浄土教の特徴があります。

  また、親鸞聖人は浄土教に方便と真実という二種の浄土教の在り方を見出されます。人は直ちに真実に至ることは出来ません。真実に至るためには、至るための何らかの方法、手段を必要とします。その真実に至らしめるための「仮の浄土教」と、方便によって知りうる「真実の浄土教」の内、今ここに示しているのは、真実の浄土教の「教行証」だと言われるのです。

 では「聖道の教行証」と「浄土方便の教行証」と「浄土真実の教行証」とに、どのような根本的な違いが見られるのでしょうか。「浄土真実の教行証」は、親鸞聖人によって初めて明らかにされた仏教の理念です。

  そこで先ず、前二者の違いを問題にして、後にそれと親鸞聖人の思想との違いを見ることにします。前二者の違いは、聖道と浄土の違いです。その違いは既に述べたように、聖道の仏教はどこまでもこの世における悟りを問題にします。自身の心の煩悩をいかにして断ち切り、真実清浄の心になるかが行道の中心になります。したがって、教えもまた、その行を完成させるための教です。それに対して浄土の仏教は、浄土に生まれることを願うのですから、教えそのものが浄土への道を説きます。行道において、聖道の行の実践が不可能な者に開かれた行ですから、どのような凡夫にも実践可能な浄土往生の行がここで説かれているのです。

  ただし、行道の本質においては、両者の間には全く差は見られません。教の内容も、行の方法も大きく異なってはいますが、自ら選んだ教えを信じ、その教えの通りに一心に行じて仏果を得ようとする行者の求道心、懸命に行を相続しようとする努力、仏陀の悟りに至るまでに要する時間の流れ等に関しては全く同じなのです。

  したがって、聖道の仏教も浄土の仏教も、仏教の行道という面では、本質的に何ら矛盾も対立もしてはいません。けれども、親鸞聖人の浄土教は、これらの仏道が破綻することによって生まれた仏道ですから、「教行証」が前二者とは根本的に異なることになります。では、いったいどこが違うのでしょうか。

 親鸞聖人は『教行信証』の『教巻』の冒頭で「謹んで浄土真宗を按ずるに二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の廻向について真実の教行信証あり」と述べられます。浄土真宗という仏教は、阿弥陀仏の二種の廻向によって成り立っていて、一は阿弥陀仏が衆生(生きとし生けるもの)を浄土に往生せしめる廻向のはたらきであり、二は浄土に生まれた衆生を再び穢土に還来せしめる阿弥陀仏の廻向のはたらきだといわれるのです。

  そして、往相の廻向に、真実の教と行と信と証があるのだと示されます。そうだとすると、浄土真宗の「教行証」とは、教が「阿弥陀仏」の仏教となり、行も阿弥陀仏が衆生を浄土に往生せしめる行為、そして証までもが阿弥陀仏によって成就された証果ということになり、前二者の仏教とは本質的に大きく異なってしまいます。しかもここに「信」が関わってきます。

  この信には二重の構造があって、如来の大信を人々が獲信するのです。その獲信とは、阿弥陀仏から廻向された「教行信証」の一切を、私が獲得する瞬間を意味しています。そうしますと、浄土真宗では、阿弥陀仏が廻向された法を私が獲信するのですから、その両者の出遇いの場には、時間の流れは見られません。

  教においても行においても大きく異なった仏教がここに出現することになりますが、それがなぜ仏教一般が意味する「証果」と同一の証果になるのでしょうか。また、なぜ同じ仏教だと言えるのでしょうか。その答えは、親鸞聖人の信の構造の中で明かされることになります。そこでまず、親鸞聖人が浄土真宗という仏教に至るまでの過程から見ることにします。

  親鸞聖人は浄土教に三種の往生の求め方があると語っておられます。一は『観無量寿経』、二は『阿弥陀経』、三は『無量寿経』の教えに添った往生観です。三者はいずれも阿弥陀仏の浄土への往生を願っていますから、その意味では三者の心は共通しています。しかも阿弥陀仏の浄土への往生を願うということは、阿弥陀仏に救われたいと願い、その本願力を増上縁としていることにおいても、三者の心は一致しています。さらにその本願力が、第十八願に誓われている。阿弥陀仏の本願力であることもまた同一なのです。

  では、阿弥陀仏は第十八願に何を誓われているのでしょうか。第十八願には「至心信楽欲生我国乃至十念」と誓われていますが、善導大師はこの願の心を、十声「南無阿弥陀仏」と称えることであると解釈されました。つまり、阿弥陀仏は本願に「念仏せよ、その一切の人々を救う」と誓われているので、ただ称名念仏を相続することが往生の行であると説かれたのです。

  ただし、善導大師はこの本願の心を『観無量寿経』の教えと重ねて衆生に説かれました。本願には一切の衆生を全て平等に救うために「念仏せよ、救う」と誓われています。では、衆生は本願によって救われるためには、どのように念仏を行ずれば良いのでしょうか。救われるためには、阿弥陀仏が衆生を救いたいと願っている心と、衆生がまさに阿弥陀仏に救われたいと願っている心とが完全に一致しなければなりません。

  阿弥陀仏の願いに応じて、衆生もまた一心に往生を願い念仏を相続しなければならないのです。この場合、この世には様々な衆生がいます。これら『観無量寿経』では、心を統一し清浄にして、阿弥陀仏を見ることの出来る者と、心の統一が不可能な者とに分けます。後者が凡夫ということになりますが、この凡夫をさらに能力に従って、上の上から下の下まで九段階に分け、それぞれの能力に応じた念仏の称え方を『観無量寿経』は説いています。この能力に応じた念仏行の説示は、教えとしてはまことに正しいといえます。

  阿弥陀仏は本願に「念仏せよ、あなたを救う」と誓われていますが、もし衆生がその教えを信じないで、ただ南無阿弥陀仏と唱えただけであれば、そのような念仏はあたかもカエルの声と同じであって、その行為には宗教的な意味は何もありません。衆生が本願に応じるためには、各々の心にかなった念仏がやはり求められなくてはならないのです。

  浄土教の念仏者は、聖道の仏道に破れた者ですから、この世での悟りではなく、浄土への往生を願って、そこでの悟りを求めています。したがって一心に仏道を行じ悟りに至りたいとの心は、聖道門でも浄土門でも、全く同じです。その浄土教者に阿弥陀仏はいま「念仏せよ、そこにあなたの往生の道がある」と教えています。だからこそ衆生は、いまこそ喜んで阿弥陀仏の本願を信じ、自分の能力に応じた念仏道に励み、心を清らかにして、一心に念仏を称えて往生を願うのです。『観無量寿経』は、そのような往生の道を説いています。

  そこで浄土教者はまず『観無量寿経』の教えに従って、往生の行を修します。ここで特に注意しなければならないのは、この念仏行は阿弥陀仏の本願に誓われている「念仏」と離れてあるのではなくて、本願の念仏とまさしく呼応するために、衆生は『観無量寿経』の念仏を行じるのです。したがって、比叡山ですでに浄土教者であった親鸞聖人は、当然の仏道としてこの念仏行に励んでおられたと考えられます。

  ところが、この念仏行によって、親鸞聖人は結局どうにもならない苦悩に陥ることになられたのです。では、親鸞聖人にとって何が問題だったのでしょうか。「真実清浄なる心でもって念仏し往生を願え」と説かれているのですが、その「真実清浄なる心」を親鸞聖人はどうしても成就することが出来なかったのです。

  『観無量寿経』は、決して無理なことを人々に求めている訳ではありません。聖者は聖者として、上品者は上品者のごとく、下品者は下品者のままで、至心に念仏を相続して、一心に往生を願えと勧めているに過ぎません。下品下生者の場合は、悪行のためにその臨終は苦悩に苛まれています。そこで、この悪業から逃れるために、「今こそ一心に浄土を願って念仏を称えよ」と教えられるのです。けれども、果たして愚悪なる凡夫に、真実の一心があるかを親鸞聖人は問われます。そして、その不可能性を知ったとき、親鸞聖人はどうにもならない苦悩に陥ってしまわれたのです。

 聖道の行者は、この世において心を清浄にして、悟りに至ろうとします。それはあたかも釈尊が双樹林下で涅槃に入られたその境地を理想としています。ところで『観無量寿経』に説かれる往生は、聖道の行者と同じ心を臨終の時に求めていると親鸞聖人は見られます。けれども、愚かなる凡夫にそのような心を作れるはずなどありません。けれども、もし経典が真実心を求めているとすれば、実際は真実心を持ち得ていないにもかかわらず、真実心があるかのように振る舞わなくてはなりませんが、それは誤魔化し以外の何ものでもありません。

 そこで親鸞聖人は、まず『観無量寿経』の教えにしたがって往生を求める念仏道を、双樹林下往生と呼ばれました。そして、この者は懈慢界(けまんがい)に往生するとして、この教えには真実の往生は見られないと、この往生の道を否定されました。

 「真実清浄なる心をもって、念仏を称え往生を願う」常識的には、ここに浄土教者の道があります。ところが、その道を求めながら、もしこの念仏者に「真実清浄なる心」が生じなければどうなるでしょうか。当然、苦悩に苛まれるか、ここでいま一度、本願の声を聞くことになるのだと思われます。本願には「念仏せよ、あなたを救う」と誓われています。だとすると、この本願にただすがりつけばよいことになります。

 『阿弥陀経』では、釈尊が「阿弥陀仏の教えを聞き、本願を信じ浄土に生まれたいと願って、ただ一心に名号を称え続けよ、必ず往生する」と説いておられます。『観無量寿経』と『阿弥陀経』との大きな違いは、『阿弥陀経』では『観無量寿経』で求められている「真実清浄の心になること」が求められていない点にあるといえます。既に見た通り、凡夫にはそのような心を作ることは不可能だからです。

 ただし、死を前にした場合、その恐怖のために誰でも必然的に、必死になって助けてほしいと願います。ここに意味する一心の称名は、まさしくこのような心で称える念仏だといえます。したがって、一心に阿弥陀仏の本願を信じ、往生を願って必死に称名念仏することは、どのような凡夫にでも可能となります。こうして、親鸞聖人の心は、『観無量寿経』による往生の道が破れた時、必然的に『阿弥陀経』の教えに導かれることになったのです。

 『観経往生』から『弥陀経往生』へ、その流れは必然です。ただし、親鸞聖人はこの『阿弥陀経』の教えによっても、最終的に救いは得られませんでした。なぜなら、ひとたび『阿弥陀経』に説かれる往生の道を歩み始めると、ここにも解決のつかない大問題が横たわっているからです。

 『観無量寿経』の教えに破れた時、親鸞聖人の心は動転していました。しかも、その動転する心の中で、親鸞聖人は必死になって阿弥陀仏の大悲にしがみついておられました。心から阿弥陀仏を信じ、一心に往生を願って、ただ念仏を唱えることに専念する、このように念仏が相続されると、心はおのずから正常心に戻ります。この時、親鸞聖人は西方にまします阿弥陀仏を信じ、その浄土に生まれたいと願って必死に救いを求めて念仏を唱えておられます。

この時、その親鸞聖人を平常なる心で見つめているもう一人の親鸞聖人がここに生じることになります。真如を説く仏教の「空」の原理からして、はたして西方にましますという阿弥陀仏を、その通りに信じられるかどうか。また、『観無量寿経』に説かれる極楽の荘厳を、真の浄土と見ることができるか。心からそのような浄土に本当に生まれたいと願っているのか。平常な心で自分自身を見つめると、当然のこととしてこのような疑問と同時に、念仏を唱えても心から喜びが生じることなく、病にでもかかれば、かえって死を恐れてこの世にしがみついている自分を見ることになります。

 このような疑いの心で、いかに一心に念仏を唱え、救いを求めて必死に往生を願ったとしても、浄土への往生はかないません。そこで親鸞聖人は、この疑惑心を根底から断ち切るために、さらに懸命に念仏を唱え、より一心に往生を願い続けられます。けれども、その努力は結果的に親鸞聖人の心から疑惑心を消滅させることはなく、かえって信じようとするばするほど、心に疑惑を募らせることになりました。

  親鸞聖人は後年、この時の自分の心を振り返られ、自分はその時「難思往生」を求めていたと告白されます。「難思」というのは、思いはかることが困難であるという意味です。阿弥陀仏やその浄土は、本来的に私たち凡夫の思議を越えています。人間の知識ではとうてい知ることは出来ませんし、凡夫には仏の真実を見ることも出来ません。それを信じようとすれば、当然かえって強い疑いが生じることになります。

 だからこそ、阿弥陀仏はこり凡夫の心をとっくに見通して、凡夫の心に条件をつけず、「ただ念仏せよ、救う」と願われているのです。ところが、愚かなる凡夫は、その仏の大悲心を知り得ず、自分の心に確固不動の信を作ろうと努力して、結局は疑惑心を消せないことへの苦悩に陥ってしまうことになります。

 そこで、親鸞聖人はこの『阿弥陀経』による往生を「難思往生」と呼び、この一心に阿弥陀仏を信じようと努力している心を、仏智を疑惑する心であるとされ、この者は「疑城胎宮(仏の本願を疑うが故に生まれる、阿弥陀仏の方便の浄土)」にしか往生しないことを明かされます。

 ただし、この真理が親鸞聖人に覚知されたのは、獲信以後のことです。したがって、比叡山における親鸞聖人は、ただ疑惑心のみの中にあり、全く救いは生じていませんでした。

 「観経往生」によって行道に破れ、今また「弥陀経往生」によって信の確立に破れられたのですから、この時の親鸞聖人は、まさに苦悩のどん底にあったと窺うことが出来ます。一切の努力、あらゆる行道がここでは完全に打ち砕かれているのです。法然聖人に出遇われる以前の親鸞聖人は、最終的にどのような行も信も成立し得ず、ただ絶望の淵に沈むのみであられたのです。

A 念仏と信心

 親鸞浄土教の最大の特徴は、自らの力による往生のための行を持たない点にあります。おそらく、仏教思想の中で、仏果に至るために、自分自身が行じるべき修行の方法を説かない仏教は、親鸞浄土教のみであると思われます。

 では、なぜこのような思想が生まれたのでしょうか。それは、既に述べてきたように、親鸞聖人の比叡山での行道の結果によります。親鸞聖人自身、阿弥陀仏の浄土への往生を願われながら、その往生行において、最終的に必ず往生するという行の決定が得られず、そのために一心に求められた阿弥陀仏の本願による救いも、結果的にはいかなることがあっても揺るがないという、その本願を信じる確固不動の信が、親鸞聖人には生じなかったのです。

 それは、親鸞聖人が比叡山で浄土往生の行を怠惰な心で行じられたからではありません。まったく逆であって、当時の比叡山の修行僧の中で、ただ一人、真に誤魔化しのない心で、真剣にただひたすら浄土往生の行を修そうと努力されたが故に、自分自身に確証が得られる行も信もついに親鸞聖人には成就することがなかったのです。

 親鸞聖人は二十九歳の時、比叡山における仏道修行の一切が破綻し、山を降りて法然聖人をお訪ねになります。親鸞聖人の妻、恵信尼公は、この時の親鸞聖人の心を、夫の死後に娘の覚信尼公に綴られたお手紙の中で次のように語っておられます。

 比叡山での修行に挫折されたお父さまは、山おりて百日間、六角堂に籠もられ、後世をお祈りになられたのですが、九五日目の暁に、後世が助かる縁に会いたいのであれば、法然聖人のもとをお訪ねなさいという、聖徳太子からの夢のお告げをいただかれて、それからまた百日間、法然聖人のもとにお通いになり、後世のことをお聞きになられたのです。

 この手紙によれば、親鸞聖人の比叡山での最大の関心事は「後世」の問題であったといえます。では、後世の問題とは何でしょうか。これは単なる死への恐れではありません。仏教は常に二つの事を問題にします。一は悟りであり、二は迷いです。この両者の関係は、一度悟れば二度と迷うことはありませんが、もし悟れなければ永遠に迷い続けなくてはならないということです。

 ところで、迷っている生きとし生けるものの中で、ただ人間のみが悟りに至る機会を得ることが出来ます。それは仏法を聞く心を有しているからで、だからこそ人は仏法を聞き、その真理を心から喜ぶのです。この点を源信僧都は、すでに仏法と出会う縁を得ている人々に対して、「あなた方は今、宝の山の中にいるようなものだ。それなのになぜ、宝を手にしないで、空しく山をおりようとしているのですか」と言われます。

 若き日の親鸞聖人は、比叡山でまさにこの一点を問題にされたのです。「たまたま自分は仏道を学ぶ縁に恵まれた。その仏道を行じて、自分にはこの世で悟りに至る能力のないことを知ったが、幸い阿弥陀仏の浄土の教えを聞くことができた。次の世、阿弥陀仏の浄土に往生することが出来れば、必ず仏果に至ることが出来る。それ故に、自分は全力をなげうって一心に浄土往生を願ったのであるが、悲しいことに行においても往生の行が成就せず、信においても阿弥陀仏の救いを確信することが出来なかった。それ故に、もし今、往生の確かさが得られなければ、自分は再び永遠に迷いの世界を流転し続けなければならない。」

真剣に仏道を求める者にとって、これに勝る恐れはありません。親鸞聖人が比叡山で究極的に悩まれた後世の問題とは、仏教者にとってのこの最大の苦悩を意味しています。

吉水の草庵で法然聖人は、人々に「老人も若者も、賢者も愚者も、善人も悪人も、後世はすべて阿弥陀仏にまかせよ。この世のすべての者にとって、生死出ずべき道は、ただ念仏して弥陀にたすけられるのみである」と、この往生浄土の教えを、ただ一筋に語っておられました。親鸞聖人はこの法然聖人に出遇われたのです。

百日間、法然聖人のもとに通われ、親鸞聖人はこの「ただ念仏して弥陀にたすけられよ」という教えを聞き続けられるのですが、ここで重要なことは仏道を行じ得なくなった親鸞聖人に対して、法然聖人がその怠惰性を何ら叱咤されなかったことです。法然聖人は親鸞聖人に、どのような心で念仏を称え、どのように阿弥陀仏を信じるかというようなことは全く求めてはおられません。なぜなら、親鸞聖人は今、一切の行道に破れて、法然聖人の前に佇んでおられるからです。そこで法然聖人は親鸞聖人に、親鸞聖人自身の心のあり方を問わず、「念仏を称えて救われよ」と願っておられる、阿弥陀仏の本願の真実を明らかにされたのです。

  親鸞聖人は『無量寿経』を釈尊の出世本懐の経と呼んでおられます。釈尊がお生まれになられたのは『無量寿経』を説き、阿弥陀仏の本願を明らかにして、「南無阿弥陀仏」の真理をこの世に伝えるためであったと見られたからです。では、阿弥陀仏とはどのような仏さまなのでしょうか。

  親鸞聖人はこの仏を「光明無量・寿命無量」ととらえられます。一切の空間と時間を覆って、光輝いている仏が、阿弥陀仏なのです。そうすると、このような功徳を有する仏は、ただ真如のみだといわなくてはなりません。

  ただし、真如は虚空であって、この法性(法の真実性・法のすがたそのもの)は衆生には知り得ませんし、見ることも出来ません。ところで、仏の大悲心とは、迷える人々を救い続ける心です。そうすると、最高の仏である真如にこそ、真に無限の大悲心がましますのであり、したがってこの仏がまさに一切の迷える衆生を無条件で救い続けていかれるのです。では、無限に輝き続けるこの仏は、どのようにして人々を救おうとされるのでしょうか。

  真如法性のままであれば、私たちとの接点は存在しません。たとえ人々を救おうとして真如が人々を覆うとしても、人々はその仏を知り得ないからです。ここにおいて真如は、人々を摂取するために、真如の功徳のままで人々の現前にその姿をあらわさなくてはなりません。ではそれは、どのような「すがた」なのでしょうか。そのすがたこそ「あなたを救うために、無限に輝く仏がすでにあなたの心に来っている」と伝える言葉だといわなくてはなりません。この「あなたを救いたい」との仏の願いが「南無」と発音され、また無限に輝く仏が「阿弥陀仏」と発音されるのです。そうすると、まさに「南無阿弥陀仏」こそが、真如そのものの人々を救う姿なのだと言えます。

 ここにおいて南無阿弥陀仏が、仏教における唯一最高の法ということになるのですが、この法の真理がまた唯一の例外を除いていかなる人々も知り得ないのです。では、唯一の例外とは誰でしょうか。それが、その国土の仏なのです。仏のみが仏の心を知りうるからで、それ故に無限に輝く真如(阿弥陀仏と呼ばれる仏)は、十方世界の一切の生きとし生けるもの(衆生)を救うために各々の仏国土の仏に、まず「南無阿弥陀仏」の法を廻向し、その諸仏をとおして、南無阿弥陀仏を称え讃嘆せしめて、一切の衆生を救うべき本願を成就されたのです。

 ある時、釈迦仏は耆闍崛山(ぎしゃくせん)で三昧に入っておられたのですが、その釈尊が今までになく不可思議に輝き始められました。そのお姿の輝きを節場に思い、弟子の阿難が釈尊に「仏は常に諸仏と念じあわれています。今日のように清らかで悦びに満ちた世尊の輝きを、私は未だかつて見たことがありません。必ずや最高の仏の法の中に住せられていることと思います。その仏の法をお教え下さい。」とお願いしました。

 この阿難の問いに釈尊が「自分がいま念じている仏法こそ、まさに不可思議にして、一切の衆生を悟りに至らしめる、唯一の大乗仏教の究極の教えである。この教えに勝る仏法はなく、この無限の大悲の法を説くために、自分はこの世に生まれてきたのだ。」とお答えになり、ここに阿弥陀仏の本願が語られます。

 では、どのような法が阿弥陀仏から釈尊に廻向されたのでしょうか。ここに「南無阿弥陀仏」と、一声の念仏が釈尊によって称えられ、釈尊の説法が始まるのです。

 阿弥陀仏は、一切の衆生を阿弥陀仏の浄土へ往生させるために、阿弥陀仏の名号を衆生に称えさせています。阿弥陀仏がその本願において、仏法の中から最高の宝を選択されましたが、その宝こそ仏果に至るための一切の善行を修め、仏果の功徳の一切を具している「南無阿弥陀仏」という名号だからです。それ故に、衆生が一声「南無阿弥陀仏」と称える時、その称名は、衆生を惑わす一切の無明の闇を破り、仏果を願う衆生の志の一切を満たされるのです。

このように「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏より廻向された、選択本願の大行であり、真如そのものの功徳が満ちている宝の海です。だからこそ、釈迦仏は説法において、南無阿弥陀仏を称え、その名号の法を明らかにして、釈迦国土の一切の衆生を阿弥陀仏の浄土へ往生せしめられたのです。

 さて、ここで釈尊と法然聖人の説法を重ね、私たちにとっての「浄土真実の行」とは何かを考えてみることにします。この浄土の法を最初に必要とした凡夫が『観無量寿経』に登場する韋提希(イダイケ)です。よく知られていますように、釈尊の晩年、王舎城に悲劇が起こりました。王子の阿闍世(アジャセ)が父王の頻婆娑羅(ビンバシャラ)を殺害して王位を得ようとしたのです。頻婆娑羅の妻であり、阿闍世の母である韋提希はなんとか夫を救おうと努力したのですが、その行為が発覚して、韋提希自身もまた阿闍世に捕らえられて牢獄に幽閉されました。

  このどうしようもない恐怖と苦痛と悲嘆の中で、韋提希はこの心を救って下さいと釈尊に願うのです。この時、釈尊は一般に考えられる「韋提希を牢獄の中から外に救出する」という在り方ではなく、韋提希をそのままにして、しかも瞬時に苦悩する心を破り、永遠の安らぎを与えておられます。具体的には、『観無量寿経』に説かれているように、南無阿弥陀仏の説法が、韋提希の心を浄土を願う無限の喜びに転ぜしめたのです。

  法然聖人と親鸞聖人の関係にも、全く同一の構造が見られます。では、いったい韋提希と親鸞聖人において何が起こったのでしょうか。両者の共通点は、釈尊と法然聖人に出遇う以前に、人間苦の根本問題を自らの力で解決しようと懸命の努力を重ね、しかもその結果、努力の一切が根底から破れて、かえってどうすることもできない苦悩に陥っている点にあります。

  ここで、この二人に明らかになった真理は、自分はあらゆる迷いを一つも欠くことなく具えた

「煩悩具足の凡夫」であり、この世は無常であり、殊に人間世界には一つの真実もなく、それ故に完全なる安らぎなどあり得ないということでした。したがって、この時の二人は、心の奥底において、今こそこの苦悩を解決してほしいと願いながら、自らの意識面では、もはやどのような行為も成り立つことはなく、ましてや努力しようとする意志さえ完全に消え失せてしまっていたのです。

ところが、不思議なことに、韋提希も親鸞聖人も、真実の道を求めて懸命に努力し、この絶望的な状況に陥った時に「南無阿弥陀仏」の真の声を聞いておられるのです。

  「南無阿弥陀仏」とは何でしょうか。この念仏を親鸞聖人は「不回向の行」と理解されます。この「不」とは、念仏は人間から仏に向かって救いを求めて唱える行ではないということを意味しています。なぜなら、親鸞聖人は仏果に至るために、一心に浄土往生を願って念仏を唱え、ただひたすら阿弥陀仏の救いを求めながら、結果的にはどのような救いの確証も得られず、苦悩の奈落に陥ってしまわれました。けれども親鸞聖人自身において、仏に向かっての、行も信も成り立たなくなったまさにその時に、阿弥陀仏からの声として「南無阿弥陀仏」が聞こえてきたのです。ここで「南無」の語が非常に重要な意味を持ちます。南無とは帰命という意味で、そのものを信じ、自らの一切をまかせる心だと解されています。

『正信偈』は、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の語に始まりますが、この冒頭で親鸞聖人はまず「阿弥陀仏に対し帰命したてまつる」と表白されます。そうしますと、阿弥陀仏と私の関係は「南無」の語によって結ばれる訳ですが、ここに阿弥陀仏が衆生を「南無」する場合と、衆生が阿弥陀仏に「南無」する場合の二種の関係が生じることになります。その後者がいま『正信偈』にみられる、親鸞聖人の阿弥陀仏に対する帰依の心となります。

ところで、親鸞聖人にこのような「南無」の心が生じたのは、阿弥陀仏からの「あなたを救う」という声を聞かれた後です。親鸞聖人が法然聖人の前に跪いておられる時、親鸞聖人の心はただ苦悩するのみであって、そこでは親鸞聖人から阿弥陀仏への信も行も成り立ってはいません。その親鸞聖人に対して法然聖人は、阿弥陀仏の大悲を説法されました。「阿弥陀仏があなたを救おうとしておられます。阿弥陀仏があなたを救うために、南無阿弥陀仏と呼んで下さっているのです」法然聖人のこの弥陀招喚の教えによって、親鸞聖人は阿弥陀仏の大悲を獲信されたのです。そうであればこそ、衆生が阿弥陀仏に「南無」する以前に、阿弥陀仏が衆生を「南無」する働きがあるのであり、その「南無」こそが、選択本願の躍動のすがた、つまり「南無阿弥陀仏」なのです。

 ここにおいて、親鸞聖人の思想には、なぜ自らの力による往生のための行を求めないかが明らかになります。迷える凡夫には、本来的に清浄真実なる心は存在しないからで、真実の心がなければ、真に阿弥陀仏を信じる心は生じませんし、純粋な心で往生を願う念仏も称えることは出来ません。したがって、もしこの愚かな衆生に対して、阿弥陀仏が本願にその衆生を摂取するための条件として、信じ方や行じ方を求めたとすればどうでしょうか。

真実の信も行もない衆生を救うための本願に、真実の信や行を成就せよと誓われていれば、その本願は「具悪なる衆生は救わない」という本願になってしまいます。けれども、本願がそのような矛盾を起こすことは決してありえません。したがって、阿弥陀仏が本願に、衆生を救うための条件として、信じ方や称え方を求められることはありえないのです。

「南無阿弥陀仏」と称える。その念仏が阿弥陀仏が衆生を摂取している大行なのですから、称えるその時に、無条件で衆生の迷いの心の闇は破れ、悟りへの志願は満たされているのです。では、衆生はただ口先で南無阿弥陀仏を唱えれば、それで衆生の往生は決定するのでしょうか。

宗教的実践において、その行為に自分の心が関わらない宗教は存在しません。救いの心が成り立たないからで、称えている念仏に自らの全人格が関わり、念仏の真実を信知して、心の奥底から歓喜に包まれなければ、やはり往生の決定はありません。その歓喜する心が信心なのです。では、愚かな凡夫にこの信心はどのようにして生じるのでしょうか。

 ここで今一度、親鸞聖人と法然聖人の出遇いの場に目を移してみることにします。浄土教においては、南無阿弥陀仏を称えることが往生の唯一の行です。それ故に、念仏が往生の「正定の業」だとされるのであり、念仏を称えない限り往生は成り立ちません。ただし、その念仏はただ口先だけで唱えても意味はないのであって、ここに浄土教において、心から阿弥陀仏を信じ、清浄真実なる心で往生を願い、一心に念仏することが求められたのです。

 そこで親鸞聖人は、比叡山でこの念仏を懸命に行じられたのですが、悲しいことに真実なる行の成就を見ることはなく、結局は苦悩のどん底に陥ってしまわれました。このような状況の中で、親鸞聖人は法然聖人と出遇われたのです。この時、法然聖人は親鸞聖人に対して、「阿弥陀仏の大悲は、その苦悩する衆生こそを摂取(救済)されるのだと説法されました。

  では、なぜ阿弥陀仏は本願に「南無阿弥陀仏」を選択されたのでしょうか。それは「苦悩する不実なる衆生を救うため」で、ただそのために「阿弥陀仏の清浄真実なる功徳の全体が名号となって衆生の心に来っている。あなた(親鸞聖人)の称えている念仏こそが、まさに阿弥陀仏があなたを救おうとしておられる選択本願の行である」と、法然聖人は語られたのです。

  この法然聖人の説かれた「念仏が選択本願の行である」という法が、親鸞聖人の苦悩する心を根底から破り、その時に親鸞聖人の心には一大転換が起こりました。この心を「廻心」と呼びますが、それは親鸞聖人が今まで称えておられた念仏は、往生するための自力の念仏ではなくて、親鸞聖人自身を往生せしめる弥陀廻向の大行であることが、親鸞聖人に信知せしめられたのです。

  ここに、親鸞聖人が「南無阿弥陀仏」と真の意味で初めて出遇う瞬間があり、そこに親鸞聖人が阿弥陀仏の大悲を獲得する一念がみられるのです。

  では、なぜ迷いのみの親鸞聖人の心に、このような阿弥陀仏を「信じる心」が生じたのでしょうか。繰り返しになりますが、それは法然聖人による「南無阿弥陀仏」の説法によります。

  ここで、親鸞聖人自身に生じた念仏と信心の関係を整理してみます。

@   獲信する以前、親鸞聖人には阿弥陀仏を信じる心も、浄土に往生する行も存在しない。

A   真実の信と行を求めながら、その心が親鸞聖人には成就しなかったから。

B   親鸞聖人は往生を願われながら苦悩のどん底に陥ってしまわれるが、そこで法然聖人と出遇われる。

C   法然聖人が親鸞聖人に、阿弥陀仏の選択本願の行、「南無阿弥陀仏」の真実を説法される。

D   親鸞聖人は法然聖人が語られるその念仏の教えをただ一心に聴聞される。

E   その聴聞によって、親鸞聖人は自身を救う阿弥陀仏の大悲心を獲信される。

  では、この世の浄土往生の真実の行とは何でしょうか。法然聖人と親鸞聖人の関係によれば、法然聖人の行為が親鸞聖人に往生の因を得しめていることが窺えます。つまり、親鸞聖人には浄土への行は見当たらず、法然聖人において親鸞聖人を往生せしめる「浄土真実の行」が存在しているのです。だとすれば、浄土真実の行は、獲信の念仏者のみが、よく成し得る「行」だということになります。

  ただし、その「行」は、獲信者自身が浄土に往生するための行ではなく、獲信者が未信の念仏者に阿弥陀仏の本願を獲信せしめる行為だといえます。これが「報恩行」とよばれている念仏です。今日、一般的には「報恩の念仏」といえば、信心を喜ぶ心を意味しますが、本来「報恩の念仏」とは単なる喜びの心ではなく、獲信の念仏者が成すべき、極めて厳しい、この世における唯一の真実の仏道にほかなりません。

  浄土真宗に、未信の衆生が一心に行ずる往生のための行が存在しないのは、未信者には真実の行が成立しないからで、それ故に仏と獲信者が「浄土真実の行」を実践することになるのです。

 ここで、これまでに問題にしてきた事柄を要約しますと、

『@人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』

『A仏とは何か。仏はいかなる行為をなすか』

ということが中心点でした。そしてこれからは

『B浄土真宗の信心とは何か。いかにすれば信心を得ることが出来るか。信じる心について。信心を得た人はどのような道を歩むか』

といったことが中心課題になります。

 ところで、今日の浄土真宗の教えにおいては、ほとんどの場合Bの事柄について多くの関心が寄せられています。にもかかわらず、この点が一般にはあまりよく理解されていないのが現状です。つまり説く側は「信心」について熱心に語るのですが、それが聞く側の人々からは「少しも分からない」という反応が示されているということです。それは、何故でしょうか。おそらく、教えを説く側が、@とAの問題をあまり重視していないからだと思われます。

 具体的には「念仏者がいかに社会的な問題に積極的にかかわっていくか」ということが、しばしば実践的な課題として取り上げられていますが、その前提には「念仏者=獲信者」という暗黙の了解めいたものがあり、したがってそのことに消極的であったり、ましてや背反するような言動を犯すと覿面厳しい指弾を受けることになります。「(獲信の」念仏者であるにもかかわらず…」と。

 そこで、まず自分が今、どの立場から浄土真宗の教えを学び求めようとしているかを、はっきりと知る必要があります。@とBが人間の問題であり、Aが仏の問題です。そして@においては、未信者の心が問われており、Bでは獲信する者の心が問題になっています。

そこで、今の私たちの立場ですが、それは@(未信者)であるであるということに特に注意しなければなりません。したがって、ここでは終始@の立場から、AとBを問題にしています。

 @『人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』の立場とは、信じる心(完全な喜びの心)を得たいという立場です。そして、この信心を得るために、自分は何をなすべきか、何を学べばよいかが問われます。この時、私たちの心は信心を得たいと願っているのですから、それはいつ、どのような時に得られるか。また、得られた時、どのような喜びを味わえるかが、最大の関心事になります。

 けれどもこれは、自分が体験しない限り、絶対に分かり得ないということを、はっきり知らなくてはなりません。したがって、体験した人が、その体験談を一生懸命に語ったとしても、聞いている人には、あまり意味のないことで、どれほど一心に聞いても、聞いている人がそれを同じように味わうことは不可能です。

 例えば、テレビの放送で、おいしそうな料理を食べている出演者を見ることがあります。けれども、見ている私たちは、全くおいしくありませんし、その味を共有することは出来ません。それを味わうためには、ただ何となく番組を見ているのではなく、その料理の材料と、作り方を知る必要があります。これと同じように、信心は他人の体験談を聞いてもあまり意味はないのです。

 何よりも「信心」は、自分が一生懸命に努力して、求めなくてはなりません。この時、浄土真宗の事が誰でも願うことは、自分は本当に喜びの心で、一声、念仏を称えたい。心から阿弥陀仏を信じ、晴ればれとした喜びの心が得たいということであるように窺えます。

では、そのことを実現するにはどうすればよいのでしょうか。それは、自分がその心を得るために、一心に努力する以外、方法はありません。例えば、

・ 自分が座禅し、念仏を称え、一心に心を静寂にする

・ 自分が一生懸命に祈り念仏をして、阿弥陀仏に救いを求める

・ 他人のために一心に心を尽くし、その喜びを通して、仏の慈悲を知る

等々、ここでは自分自身、出来る限りの努力をし、念仏行に励むことが求められます。注意すべきは、この場合、自分は何もしないで座っており、ただ他人の体験談を聞いていても、決して信心の喜びは得られないということです。

では、親鸞聖人の場合はどうだったのでしょうか。親鸞聖人は、まず@『人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』という問題について、究極まで求められました。けれども、この行道においては喜びが得られず、そのため絶望のどん底に陥られたのです

 親鸞聖人を獲信せしめた念仏とは、どのような教えだったのでしょうか。これがA『仏とは何か。仏はいかなる行為をなすか』の中で述べた内容の中心課題です。

 一般には「念仏の教え」そのものよりも、教えを聞いている親鸞聖人の心や、親鸞聖人はどのように教えを聞かれたかに関心が寄せられることが多くあります。また、親鸞聖人が得られた信心の喜びとはどのような心か、その喜びは自分にも得られるのかといった、親鸞聖人の体験談が興味の中心になることもしばしばあります。

けれども、大切なことは親鸞聖人の体験談ではなく、親鸞聖人を獲信せしめるために、法然聖人はどのような教えを説かれたのか、その教えの内容こそが重要なのです。

それは、阿弥陀仏とはいかなる仏か。その阿弥陀仏から廻向される南無阿弥陀仏とは何か。それはいかなる大行か。その教えは、どのようにしてこの世に出現し、親鸞聖人に伝えられたのか。これらの点について、求め聞き知っていかなくてはならないということです。

 親鸞聖人が聞かれた教えの内実を示せば、その大意は次の通りです。

 阿弥陀仏とはどのような仏か。無限に輝く光によって、一切の時間と空間を覆い、そのなかの迷える一切の衆生を仏になさしめる仏である。したがってこの仏が最高であり、最高の仏とは真如そのものであって、法性とも仏性とも虚空とも呼ばれ、本来的にこの仏は「相(すがた)」を持たない。

けれども最高の仏こそ、完全なる智慧によって、一切の迷える衆生を見出し、完全なる慈悲によって、その愚かな衆生を救い続ける。ただし真如のままでは凡夫は救えない。凡夫は真如を知ることが出来ないからである。それ故、凡夫が求める前に、真如が「相」を示し、凡夫の心に来らねばならない。その「相」こそ、真如からの言葉となる。

真如が一切の衆生を救いたいと願って発願し、発せられた言葉が「南無」であり、無限の智慧と慈悲の仏が、その迷える衆生を救うための「はたらき」、大行を示す言葉が「南無阿弥陀仏」である。

 この故に、南無阿弥陀仏を称えるその時、称えている衆生は、南無阿弥陀仏によって、真如と完全に一体になっている。それは「南無阿弥陀仏」とは、衆生が阿弥陀仏に南無する(救ってほしいと願う)ことであるが、その根底で、それに先立って阿弥陀仏が衆生に対して、南無(念仏せよ、あなたを救うと呼びかけ)し、大行となって衆生の心に来たっている事柄にほかならないからである。

 だが、残念ながら愚かな凡夫は、自力のみではこの南無阿弥陀仏の真実を聞くことも知ることも出来ない。ここに釈尊の出現が絶対に必要となる。釈迦仏のみが、この世において「南無阿弥陀仏」の真実をよく知りうるからである。

 そこで釈尊は、釈迦仏の国土の一切の衆生を救うために、浄土往生の行である「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏の救いの法)」を説法される。この法を伝達される釈尊の行為が、釈迦仏の大行、すなわち「浄土真実の行」になる。そして、その説法の内実である「南無阿弥陀仏」が、阿弥陀仏自身が直接衆生を救う、「選択本願の行」になるのである。この南無阿弥陀仏の真実が、釈尊から法然聖人に伝達された。法然聖人のその法の説法によって、親鸞聖人は獲信されたのです。

 以上が、Aで述べた事柄の概要です。では、親鸞聖人にとって、信心とはどのような心か。これが来月からの問題になります。

 既に述べてきましたように、親鸞聖人の思想の最大の特徴は、ただ信心のみで、阿弥陀仏の浄土に生まれ仏になると説かれることです。仏教は、迷っている自分が、仏道を行じて仏になるという教えですから、「行」を説かない仏教思想はありえず、「行」こそが、仏教思想の中心だといわなくてはなりません。ところが、その仏教で最も大切な自分が修すべき往生のための行を親鸞聖人は説かれないのです。それはなぜなのでしょうか。

  このことは、親鸞聖人自身が、仏道の行を不必要だと考えたり、その行を軽視されたという意味ではありません。むしろ全く逆であって、迷えるものが仏になるためには、仏道を真に行じる以外にはない、仏の教えにしたがって、自分を偽ることなく、真実の心で一心に励むという行こそが、仏道のすべてだという立場にたっておられました。

  だからこそ、若き日の親鸞聖人は一切の妥協を許さず、ただひたすら行の真実性を求めて、懸命に励まれたのです。親鸞聖人のこの若き日の求道は、非常に重要であって、もしこの一点を見落とすと、親鸞思想は成り立たないとさえいい得ます。

  では、求道の結果はどうだったのでしょうか。完全なる行、真実清浄なる行為が求められますと、凡夫の行為はどのように微細な行為でも、そこには不完全性が見いだされます。そのため親鸞聖人の行道は究極において、その一切が根底から破綻したのです。

  それが親鸞聖人二十九歳のときであって、行が完全に挫折し、苦悩のどん底に陥られました。そこで親鸞聖人はどうすることも出来ず、比叡山を降りて六角堂に百日籠もられたのです。ところがこの状態の中で、親鸞聖人は偶然、法然聖人に出遇われ、念仏の教えを聞かれたのです。

  では、法然聖人は親鸞聖人に何を語られたのでしょうか。この時、法然聖人は親鸞聖人に「阿弥陀仏の大悲心」と何かを語られたのです。仏の大悲心とは、悩み苦しむ衆生の苦しみを抜き、楽しみを与えることにほかなりません。そうだとしますと、仏に成りたいと願い、懸命にその道を歩もうと努力しながら、しかもその行が成し遂げられず、悩み苦しんでるものこそ、仏の大悲心に摂取されようとしているものだといわなくてはなりません。

  では、阿弥陀仏はこの苦悩する衆生に、いったい何を「救いの条件」として示されているのでしょうか。阿弥陀仏の大悲には、何ら救いの条件がつけられていません。疑いを捨てて、純粋に仏の救いを信ぜよとも、ただひたすら仏の救いを願えとも、真実の心で一心に念仏を行ぜよとも、また心を清浄に保てとも願われていません。

 それは、なぜでしょうか。この念仏の行者は、そのような信や行を求めながら、何ひとつとして結果が得られず、いま苦しみ悩んでいる者に他ならないからです。だらこそ、阿弥陀仏は、衆生には何も求めないで、衆生を救うための大悲心を衆生の心に一方的に廻向されるのです。では、その大悲心とは具体的は何でしょうか。これが、仏から衆生へのよび声、「南無阿弥陀仏」にほかならないのです。

 「南無阿弥陀仏」が仏から衆生への呼び声であるとすれば、「南無阿弥陀仏」と称えている念仏者は、すでに「念仏して救われよ」と願われている、阿弥陀仏の大悲に摂取されている者だといわなくてはなりません。けれども愚かなる凡夫は、救いを求めて、苦しみ、悩み、もがいているにもかかわらず、未だ阿弥陀仏のこの大悲の真理に気付くことができません。六角堂に百日籠もられた親鸞聖人は、まさしくこのような苦悩の中にあったと考えられます。この親鸞聖人に対して法然聖人が、阿弥陀仏の大悲の真理に気付かせて下さったのです。

 『阿弥陀仏が親鸞を摂取するために「南無阿弥陀仏」となって親鸞の心に来たっている。釈尊がこの世に出現されたのは、この念仏の真理を私たち衆生に知らしめるためである。だからこそ、親鸞よ、ただ念仏して弥陀に救われよ。』と、法然聖人は説法されたのであり、親鸞聖人はこの教えを聞思することによって、はじめて阿弥陀仏の本願の真実を知らしめられたのです。この真実を信知せしめられた瞬間が、親鸞聖人における「獲信」の時であり、ここに「信心」のみによる親鸞聖人の救いが成立したのです。

 では、ここで何が明らかになったのでしょうか。親鸞聖人の思想の特徴は、「信を得る」という事態において、信を得さしめる「行」の主体と、信を得る「信」の主体は同一人ではなくて、その主体が異なっているということです。迷っている者が、未だ迷いの中にいる限り、その迷いの行をいかに積み重ねても真実の信は生まれません。同様に、迷える信によって、真実の行が行ぜられることもありえません。迷える主体は、いかに努力しても、その迷える行から真実の信は生みえませんし、迷える信では一片の真実の行も実践することができません。

 親鸞聖人の大行の思想は、その点を解明されたのであって、私たち衆生は釈尊の「浄土真実の行」によって、阿弥陀仏の「選択本願の行」を信知せしめられるのです。

(註)「浄土真実の行」とは、釈尊が南無阿弥陀仏を称え、その念仏の真実を、釈尊の国土の衆生に説法する行為を意味します。

「選択本願の行」とは、阿弥陀仏が「南無阿弥陀仏」を十方世界に響流し、その念仏についての諸仏の説法を通して、一切の衆生を直ちに摂取する行為を意味します。

  親鸞聖人は「信巻」の冒頭で「無上妙果の成じ難きにはあらず、真実の信楽実に獲ること難し」と述べておられます。仏教では「信」は初入であって最も易しく「証」は究極であるため難の中の難だとされるのですが、親鸞聖人はこの道理を逆転させて、証果を得るのは「易」であるが、弥陀の本願を信じることは「難の中の難」だと示しておられるからです。

 浄土真宗では、なぜ仏教の常識が逆転するのでしょうか。自らの姿を愚悪の凡夫と捉えているからで、自分自身には仏になるための行も力も功徳も存在していません。だからこそ、阿弥陀仏は私たちを往生せしめるために、私の心に阿弥陀仏の行と信の功徳の一切を廻向されます。

したがって私を仏果に至らしめる「はたらき」の一切は、阿弥陀仏の本願力によるのですから、衆生にとってこれほどの易行はありえません。ただしその一切が阿弥陀仏の本願力に依るといわれても、愚かなる凡夫は、この本願力に直接触れることはできず、ましてや見ることは不可能です。

だとすれば、「南無阿弥陀仏」が、阿弥陀仏の本願力の躍動の相(すがた)だと教えられても、果たしてその真理を信じることができるかが問われます。「難信」とは、この点を指しています。

ではその「信」は、どうすれば得られるのでしょうか。善導大師によれば、「二つの真実をごまかさないで見つめよ」と教えられます。一つは自分自身の真実の姿であり、他は阿弥陀仏の本願力の真実です。では、自分自身の真実の姿の真実とは何でしょうか。この自分の姿を善導大師は、

自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなし。

と、深く信ぜよと言われるのですが、「深く信ぜよ」とは、この自分の姿をごまかさないで、どこまでも厳しく見つめ、その実相を知れということを意味しています。けれども、自分自身の姿が究極的に罪悪深重の凡夫だということは、実も誰も気付くことはできません。なぜなら、人は誰もが自分を悪人だと見るのではなく、善人だと捉えているからです。

  なぜ人間社会に「善」が求められるのでしょうか。また、人間にはなぜ倫理が必要なのでしょうか。それは、人間は社会的にしか生きられない動物だからで、社会生活を営む上では、個人の勝手な行動は許されません。人と人とが生きるためには、お互いが生きるための規則がどうしても必要となります。その規則を「善」あるいは「倫理」と呼ぶならば、人が人として生きるためには、必ず善行をなさなくてはなりません。

  けれども、善行をなすことのより積極的な理由は、まさにそれこそがその人の生き甲斐になるからです。日常生活を振り返ってみて、「今日はとても楽しく、充実していた」と言えるような一日のことを思い出してみるとよいのですが、そのような日には必ず自分自身「これこそが善だ」と思う事柄に積極的に関わっていたり、その行為が願い通りの成果を上げていたりします。あるいは、他人に迷惑をかけたり、害を加えたときのうしろめたさと比べて、他人を救ったり、役にたったりしたときの清々しさはどうでしょうか。また、テレビや映画・小説などの善人と悪人を前にしたとき、私たちはほとんどの場合、自分を善人の側に重ねて感情を移入しています。

  このように見れば、人は普通、善にあこがれ、善を求め、善をなすことに喜びを感じているといえます。ところが、もし本当にそうだとすると、ここに奇妙な矛盾が生じます。それは、私たち一人ひとりの心を開くと、人は誰もが善をなそうとしているはずであるにもかかわらず、その人と人とが集まる現実の社会においては、多くの悪が溢れ返っているのです。いったい、なぜそのような矛盾が生じているのでしょうか。

  ここでは、誰にでも分かる悪事は、しばらく除外することにします。いわゆる殺害、盗み、邪淫等の類です。それは、人間社会には倫理の目が存在していますから、このような悪は人間の知恵で制御することが可能です。したがって、たとえどんなに悪事がはびこる社会であっても、その社会においては悪人よりも善人の数の方がはるかに多いといえます。それ故に、人間社会では「善」の力の方が、「悪」の力に勝っているのです。

  したがって今ここでは、人間の悪事を問題にするのではなくて、「善意」の矛盾性を問題にしたいと思います。そこで、家庭について考えてみます。端的には夫婦と親子の関係ですが、この絆は愛であり、彼らは最も強い善意で結ばれています。ところがこの家庭に、時として悲惨な事件が起こります。それも他のために一心に尽くしているはずであるにもかかわらず、悲劇が起きることがあるということです。それは、なぜでしょうか。

  ここで他のために尽くす時、何が必要かを見つめてみます。それは、相手が本当に何を願っているのか、その心を知ることだといえます。では人は、その他人の心の内実を知ることができるでしょうか。いうまでもなく、それは不可能です。だとすれば、自分が相手に尽くすためには、自分が一心に相手の心を推し量り、おそらくこれが相手にとって最善だと思われることをなすしか方法はありません。ところが、それはまさに自分にとっての善ではあっても、決して相手にとって完全なる善ではないということに注意しなければならないのです。

 私たちは、相手のために尽くすという心をもっています。その尽くした行為が、もし相手に通じて喜ばれたならば、それは自分にとっても大きな喜びとなります。けれども、もし逆に尽くした行為が拒絶されて、悪意でもって受け取られたとしたらどうでしょうか。それが一心に尽くした行為であればあるほど腹立たしく、怒りの心が自然に生じます。

  ところで、相手のために尽くす行為は、果たして本当に相手のためになっているのでしょうか。相手の心を知り得ない以上、相手のために尽くした行為が、あるいは相手を傷つけていることがあるかもしれないのです。ところが、一心に善意でなした行為が、実は相手にとって「悪」であったとは、その善意が強ければ強いほどなかなか気づき得ません。そして相手もまた私に対して、同じような善意がなされていたとすればどうでしょうか。ここでは、善意と善意がぶつかって、悲しく醜い対立を生むことになるのだと思われます。

  最も愛し合っている者が集まっている家庭において、あるいは仲間の中で、このような悲劇が起こるとすれば、利害関係が対立するような場においては、当然、激しい争いが生まれることはいうまでもありません。この場合、対立するものの互いの主張は、必ず自らの善であって、正義と正義が争い起こして、他を傷つけてしまいます。一つの社会に起こっている樣々な悪、殺人や盗みや邪淫、このような行為をいかに無くするかが、人間倫理の問題ですが、これらの行為が社会や国家を破滅にまで追いやることはほとんどありません。これらの悪に対しては、人間の理性は打つ勝つことが出来るからです。ところが、正義と正義の争においては、いとも簡単に一つの社会が、あるいは国家が破滅に追いやられてしまうのです。このように、自己を中心としてなされる善は、それほどの恐さを持っています。

  善導大師が、自らの姿を「罪悪生死の凡夫」といわれたのは、人は日常生活の中で、樣々な倫理的な悪を犯していますが、加えて「善」もまた、自己中心的な他を傷つけるような善しかなしえないと教えておられるのです。この善導大師の教えを受けて、親鸞聖人は人間の行為の一切を「雑毒の善・虚仮の行(毒を雑ぜた善・偽りの行)と捉えられて、この故に人は仏果に至るような真実清浄の善は何ひとつなしえず、永遠に迷い続けます。この自分の姿の真実を厳しく見つめよと教えられたのです。

阿弥陀仏の救いを信じるために、善導大師は「二種の真実を見つめよ」と教えられました。一は自分自身の姿であり、他は阿弥陀仏の本願力です。一については、既に述べました。では、二の本願力を善導大師はどのように捉えられたのでしょうか。

  かの阿弥陀仏の四十八願は、どこまでも深く信ぜよ、衆生を摂取して、疑いなく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得。

この決定している真理を、どこまでも深く信ぜよと述べられるのですが、では阿弥陀仏が衆生をすでに摂取している真理とは何でしょうか。善導大師は、四十八願の一つ一つの願はすべて「念仏往生」を誓っていると見ておられます(「玄義文」)。したがって、この四十八願とは、第十八願の意であることはいうまでもありません。そして、その第十八願には「至心信楽欲生」と「乃至十念」が誓われています。これを善導大師はなぜ「念仏往生」の本願と見られたのでしょうか。

  誓願とは、阿弥陀仏の誓いですから、願心は阿弥陀仏の心だと見なければなりません。その願心が「至心・信楽・欲生」です。ではなぜ阿弥陀仏は本願に「至心信楽欲生」の三心を成就されたのでしょうか。迷える衆生を摂取するためには、どうしてもこの三心を必要とされたからです。

衆生の迷いの原因は何でしょうか。衆生の側に真実を見る目がないということで、何が真であり、何が偽であるかを、迷える衆生は判断することが出来ません。その不実の衆生を救うためには、その不実の心を真実に転ぜしめるべき真実心が、如来の側で成就されていなければなりません。阿弥陀仏がまず「至心」という真実心を成就されたのはそのためです。

真実心のない衆生は、当然のことながら、仏陀の心、悟りの喜びは知り得ません。そうだとすれば、悟りの喜びそのものもまた、如来の側で成就されなければなりません。「信楽」とは、阿弥陀仏の覚りの喜び「歓喜賀慶」の心ですが、この心こそ、衆生を往生せしめる、信心となるべき心なのです。迷える衆生は、真実を知らず、仏の心を知り得ません。故に、仏に成ろうとする心は存在しません。だからこそ、阿弥陀仏は衆生が仏に成りたいと願う心までも成就するのです。「欲生」とは衆生に対して、浄土への往生を願わしめる弥陀の大悲心であり、「念仏して救われよ」と願う招喚の声なのです。

 親鸞聖人が説かれた念仏の教えの最大の特徴は、ただ信心のみで阿弥陀仏の浄土に生まれ仏になるという思想です。それは、行道の一切が衆生の側で成り立たず、往生のための行業「南無阿弥陀仏」が阿弥陀仏から廻向されるが故に、その念仏行を信じるのみで、往生が可能になるという教えです。

  では、なぜ「南無阿弥陀仏」によって、往生が可能になるのでしょうか。第十八願には「至心信楽欲生」の三心と、「乃至十念」が誓われています。「十念」とは「十声の称名」のことですが、「乃至」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。親鸞聖人は、「乃至」を阿弥陀仏が衆生に対して「一切の計らいを捨てよ」と願われている言葉なのだと捉えられます。衆生は念仏を称える時、必ず、自分の心の状態、念仏を称える場所、称名の数の多少、あるいは声の大小といったことを問題にします。ところが、このような「はからい」こそ、まさに自力の心にほかならないのです。そこで阿弥陀仏は「乃至」の言葉によって、衆生の「はからい」の一切を根源から断ち切っておられるのです。

  だとすれば「乃至十念」から「十」という数の義が消えて、「十念」は「ただ念仏して救われよ」と願われる弥陀からの音声となります。つまり、私たちが称えている「南無阿弥陀仏」とは、この私を往生せしめるための弥陀廻向の念仏なのです。それ故に、善導大師は第十八願を「念仏往生」の願だと見られたのです。

  ところで、この念仏は単なる音声が、弥陀から衆生に来ているということではありません。その念仏の声が、弥陀の願心から発せられた招喚なのであれば、「南無阿弥陀仏」はまさしく弥陀の三心そのものだと言わなくてはなりません。阿弥陀仏の衆生を救う大信心が、念仏となって衆生の心に来たっているということなのです。だからこそ、念仏する衆生は既に阿弥陀仏の大悲心に摂取されているのだと言えます。

  では「疑いなく慮りなく、かの願力に乗じる」とはどういうことなのでしょうか。これは必死になって阿弥陀仏を信じ、その願力に乗じようとする心を意味しているのではありません。そうではなくて、念仏の衆生は、すでに阿弥陀仏の願力に乗じているからこそ、衆生は阿弥陀仏に対して、全く「はからう」必要はないという意味なのです。それは「自らの心に真実の心無し」と知ると同時に、本願の三心の真理を知ることによって生じる心だといわなくてはなりません。この衆生の姿の真理と、阿弥陀仏の大悲心の真実を知る心が、信心の内実を物語る「二種深信」と呼ばれる心です。

 親鸞聖人は『涅槃経』によって、人間として最も大切な心を「慚愧(ざんぎ)」だと捉えておられます。「慚」も「愧」も共に「恥じる」という心ですが、では仏教的に「恥じる」とはどのような心なのでしょうか。

  「慚」とは、自分は絶対に「悪」をしない心であり、「愧」とは、他人に「悪」をなさしめない心であるといわれます。そして、慚愧の心のあるものが人なのであり、慚愧の心の無いものは人とは呼び得ないとされます。

 ところで、この行為を自ら一心に実践するとき、人は初めてそれを完全に成し得ない自分に気付きます。そうすると、ここでさらに自分を深く恥じらうことになります。その心が「慚」です。ところが、私たちはそのような「恥じらい」を持った人に出会うと、そのあまりの人徳の深さに打たれて、自分自身の姿の愚かさを恥じらうことになります。これが「愧」です。

  けれども、もし人間として、このような心が求められますと、人は誰もが「自分こそ人として恥ずべき者だ」と、自らを恥じらわずにはおれなくなります。それが「慚」です。このようにして、人は初めて、真実、無限に大いなるもの、(仏や神や天)に自分の愚かさを恥じらうのです。この心が「愧」です。

  今ここで、三種の「慚愧」が説明されていますが、この三種は漸次、慚愧の心をより深めています。だとすれば、人としての第一歩は、自分は悪をしない、他人に悪をさせない、という人倫の道を歩むことであり、この真剣な実践によってのみ、人は真に無限に大いなる世界に出遇うことになるのだといわなくてはなりません。先の「二種深信」は、まさにこのような慚愧の心から生まれるのであり、この「二種深信」によって、念仏者は真実、大行(弥陀廻向の大信心・南無阿弥陀仏)を獲信することが出来るのです。

  では、信心を得た念仏者は、どのような日常生活を送るのでしょうか。親鸞浄土教は「悪人」の往生を説かれますので、時にその思想は「倫理性に欠ける」という批判がなされることがありますが、決してそのように非倫理的な教えではありません。むしろそれは逆であって、生活の中で厳しく倫理性が問われているからこそ、このように深い「悪」の自覚が生まれるのだといえます。

  ただし、その悪の自覚が、そのまま仏の大悲に生かされている喜びと重なっているところに大きな特色があります。慚慙する心が、自分自身を卑下させたり、惨めな思いに貶めたりするのではなく、深く慚慙しつつ、しかも念仏を喜ぶ力強い人生が、そこに導かれているのです。このような人生こそ、念仏の教えによって開かれた生き方なのですから、獲信者の仏道はただ一つ、その念仏の喜びを他に伝えていくこと、念仏の喜びの場を広げていくことだと言えます。

  




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