私的研究室

7.「往生浄土の問題」


1 はじめに

 今日仏教の用語が、日常生活の中で語られる場合、本来の意味が歪められていることがしばしばある。例えば「他力本願」は、みずからは努力をしないで、他人の力をあてにするという意味の「依存心」を表す言葉として否定的に使われている。また「往生」にしても、行き詰まってどうにもならず、困り果てている状態を示したり、人が亡くなったりした場合に用いられている。この他にも、「縁起」「成仏」等々、多くの仏教語が、本来の意味とは異なった趣意で用いられている。
 このような状況の中で、間違った使い方を正そうとすることへの努力は、常になされているようである。だが、なぜ誤った理解が一般化したのか。その問題を解明することについては、関心度が低いように感じられる。思うに、その理由はおそらく今まで説いてきた事柄を自明の理としているからに相違ない。それ故、説き方自体は正しいのだが、その意のごとくに受け止めることのできない方に責任がある、とみなしてしまう。だが、はたしてそうなのであろうか。従来の説き方の中には、人々に誤解を抱かせてしまうような舌足らずの表現はなかったのであろうか。ここでは、その点に着目して考えてみることにしたい。
 例えば先に挙げた「他力本願」について。一般に「他力の他は阿弥陀仏、他力の力は本眼力」と説明されている。そうすると、自分に力のないことを自覚する者は、当然のことながら、「他者」である阿弥陀仏に頼り、依存することになる。その意味において「他をあてにすること」を世間において「他力本願」と言うのは、あながち間違いとはいえなくなる。ところで、親鸞は「他力本願」という言葉を二種の意味に使っている。一は『教行信証』「行巻」に見られる、
 他力といふは、如来の本願力なり。
二は、『末灯鈔』に見られる、
 第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力とまふすなり。
 一では、この言葉のあとに本願力の詳細な確かめを行い、そのことを通して「他力」とは「阿弥陀仏が、他(衆生)を救うはたらき」であることを示している。つまり「他」とは、私から見た他(阿弥陀仏)の意ではなく、阿弥陀仏から見た他(この私自身)を指し示す言葉なのである。また本願力とは、私が願うに先立って、私の心に来たって、私を救済し続けている力であるといわれている。そうすると、二では、私が本願力を信じる心を他力というのであるが、すでに私の心に来たっている、その力を私の心の全体で信じることができたとすれば、私の心は、完全に本願力と一体になっていることになる。本願力が他力である以上、その他力と一体となっている信心もまた、他力であることはいうまでもない。
 さて、今は一の解釈を中心に述べると、世間一般でなされている言い方は、成り立たなくなる。他力の他が、私から見た他者ではなく、この私自身を指す言葉であるからで、必然的にそこからは依存心的な意味は見出せなくなってしまう。このように、従来の説き方を検証し、本来的意味を解明して初めて誤解を根本的に覆し得る場合があったりする。
 同様に「往生」という言葉についても、同質の問題があるように思われる。以下、往生理解が歪められた経緯と、親鸞の語る往生理解について尋ねてみることにしたい。


2 浄土教の課題

 始めに、「往生」という言葉を『新・仏教辞典』では、次のように説明している。
 極楽往生・浄土往生などというように、極楽浄土に生まれることをいう。
 それが必ず死後であるところから、死ぬことを往生というようにも用い、どうにも身のおき所なく閉口したことをも、往生する、と使う。
 これによれば、世間一般で往生が死ぬという言葉と同義語として用いられるのも当然のこと、という感を否めない。だが、はたして往生とはそのような意味の言葉なのであろうか。また、もしそうでないとするならば、なぜそのような誤解を受けることになったのであろうか。浄土教の歴史を繙きながら、考えてみることにしたい。
 さて、浄土教はその興起以来、覚道の宗教である仏教の中にあって、浄土という観念的世界に僥倖を期待し、阿弥陀仏なる人格的他者の救済を俟つといった、非仏教的要素を多分に含んでいるかのような疑念を持たれていた。それ故に、浄土教においては、それが一種の負い目であり、また必ずや解明されるべき重要課題ともなっていた。したがって、法然による浄土宗の独立とその宣言がなされるまでは、一宗として独立することはなく、常に聖道成就の方便教として、寓宗的位置に甘んじることをを余儀なくされていた。まさに、浄土そのものも『五会法事讃』に
 西方は道に進むこと娑婆勝れたり。五欲及び邪魔無きに縁てなり。
 成仏に諸の善業を労せず。
 華台に端座座して弥陀を念じたてまつる。
 五濁の修行は多く退転す。
 念仏して西方に往くにはとかず。
 彼に到れば、自然に正覚を成る。
と示されるように、修道成就の場としてとらえられていた。それ故、聖道諸師の熾烈な浄土願生も、自力修行における時代社会の混乱荒廃と、自身の劣機性の発見によってやむを得ず発せられたものであり、みずからが宗としている自力得証のための方便道として認識されていたにすぎなかった。このような意味において、゙浄土教が法然によって一宗として独立せしめられたということは、きわめて意義深い出来事であったといいうる。
 とはいうものの、依然として証果という点では『和語灯録』に
 阿弥陀ほとけの本願は、名号をもて罪悪の衆生をみちびかんとちかひ給ひたればただ一向だに念仏申ぜは、仏の来迎は法爾道  理にてそなはるべきなり。
と見られるように、念仏による滅罪と臨終時の来迎が期待されていた。このように、肉体の死の彼方に浄土が欣求される以上、
 念仏の衆生を摂取して捨てたまはず
という救済の理念は、一種の神秘的体験として理解されるほかはなかった。また、その限りにおいて、聖道教の自証教に対して、救済教とされる浄土教の中心をなす阿弥陀仏と衆生との関係は、功利的な偶像崇拝へと頽落していく要素と可能性を多分にとどめていた。したがって、如来と衆生との関係が、知的関心事として観念化されると、
 浄土宗の義みなかはりておはしましあふて候。
 ひとびとも、聖人の御弟子にてさふらへどもやうやうに義もいひかへなどして、身もまどひひとをもまどはかしあふてさふらふめり。
 と伝えられるように、法然の教説も門弟間では、変質していくこととなった。具体的には、聖道仏教からの批判に対して、一念義系では法然の教示を聖道仏教の理論によって再構築することで煩瑣な教理仏教に退転し、多念義系では法然が廃捨した諸行と称名念仏との会通を試み、ついには諸行との妥協により専修という純粋性を汚濁してしまうという結果を招いた。
 まさに、未来往生という形で肉体の彼方に往生浄土が期待される限り、浄土宗の独立は、未だ単なる現象的な事柄として終わらざるを得ないおそれがあったのである。


3 親鸞の往生理解

まず、親鸞の語る独自の往生理解をその著述等から尋ねてみることにしたい。
 即得往生は、信心をうればすなわち往生すといふ、すなわち往生すといふは不退転に住するをいふ、不退転に住すといふはすなはち正定聚のくらゐにさだまるとのたまふ御のりなり、これを即得往生とはまふすなり。即はすなはちといふ、すなはちといふはときをへず日をへだてぬをいふなり。 (唯信鈔文意)
 願力摂取往生といふは、大願業力摂取して往生をえしむといへるこころ也。すでに尋常のとき信楽をうたる人といふ也。臨終のときはじめて信楽決定して摂取にあづかるものにはあらず。ひごろかの心光に摂護せられまいらせたるゆへに、金剛心をえたる人は正定聚に住するゆへに臨終のときにあらず。かねて尋常のときよりつねに摂護してすてたまはざれば摂取往生とまふす也。 (尊号真像銘文)
 即得往生といふは、即は、すなはちといふ、ときをへず日をもへだてぬなり。また、即はつくといふ、そのくらゐにさだまりつくといふことばなり。得は、うべきことをえたりといふ、真実信心をうれば、すなはち無碍光仏の御こころのうちに摂取して、捨てた間はざるなり。摂はおさめたまふ、取はむかへとるとまふすなり。おさめとりたまふとき、すなわちとき日をもへだてず、正定聚のくらゐにつきさだまるを、往生をうとはのたまへるなり。 (一念多念文意)
 これらの諸文によって明らかなことは、親鸞の語る往生とは、肉体の死の彼方に夢想されてきた伝統的な未来往生ではなく、信心を得たその時に直ちに得られる、現生往生とでも称すべき独創的理解に基づいているということである。もちろん、このような往生理解においては、もはや臨終時の来迎が期待されることなどありえない。まさに死後ではなくこの現生のただ中において「信心をうればすなはち往生す」るのである。
 ここで着目すべきは、親鸞が往生という言葉を用いていながら、もはや伝統的理解の制約を受けることなく、そこに新しい生の意味を見出しているということである。いまその新しい生の意味については、次のような明かされている。
 断と言ふは、往相の一心を発起するが故に、生としてまさに受くべき生なし、趣としてまた到べき趣なし。すでに六道・四生・因亡じ果滅す、かるがゆへに即ち頓に三有の生死を断絶す。かるがゆへに断と曰ふなり。死流とは即ち四暴流なり、また生・老・病・死なり。(教行信証・信巻)
 すなはち、往生とは流転の生を超越した、新たなる生をいきる身となることだというのである。換言するならば、親鸞における往生とは、かつて「厭離穢土欣求浄土」の言葉を以て切実に願求されながら、あくまでも臨終時の来迎を証果として、現生の彼方に期待された往生とは全く異質のものであり、
 ひとすぢに具縛の凡夫・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の誓願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。 (唯信鈔文意)
と著されるごとく、信心を得たその時に流転の生を終えて、凡夫の身のまま無上大涅槃の到るべき身へと転成せしめられることに外ならなかったのである。
 だが、一方で親鸞は明らかに未来往生を語る場合があることもまた事実である。それが顕著に見られるのは、親鸞が晩年に門弟との間で交わした信仰の対話を法語として記録した『歎異抄』においてである。第九条には
 なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。
また後序においては、
 源空がまいらんずる浄土へは、よもやまひらせたまひさふらはじ。
と伝えられている。いわゆる未来往生、すなわちこの世の命を終えて、かの土としての浄土に往生するというような往生観が語られているのである。また、『歎異抄』は語録であり、直接親鸞の手になるものではないが、未来往生的表現は親鸞の書簡集である『末灯鈔』においても、
 この身は、いまは、としきはまりてさらへば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせさふらふべし。
あるいはおなじく
 浄土へ往生するまでは不退のくらゐにておはしましさふらへば、正定聚のくらゐとなづけておはしますことにてさふらふなり。(略)そののちは正定聚のくらゐにて、まことに浄土へむまるるまでは候べしとみえ候なり。
と、肉体の死と共に実現するような理解の仕方で、確かに語られている。では、この矛盾をどのように理解すべきであろうか。そこで着目したいのは、親鸞が『歎異抄』に記された法語を門弟との間で語り、あるいは『末灯鈔』の書簡を認めたのは晩年に当たる八十歳代のことと推察されるが、同時期に精力的に著した『唯信鈔文意』『一念多念文意』等のいわゆる仮名聖教には、一貫して証大涅槃が主題として語られているという事実である。思うに、同一人物において、語っている言葉と書かれている文章とが、全く別の思索のもとにあるということは不自然なことである。したがって、『歎異抄』で語られる往生と、仮名聖教で著される証大涅槃とは、思想的には一致しているとみなさなければならない。その場合、考慮すべきは、『歎異抄』は語録、『末灯鈔』は書簡、他方『唯信鈔文意』をはじめとする仮名聖教は著作であるという点である。つまり親鸞は、対話・書簡では伝統的な意味での未来往生と解されるような形で往生を語り、独自の思索を著作として示す場合は必ず現生不退あるいは現生正定聚を以て往生を内容付けしたものと思われるのである。言い換えると、感情的な立場からは、伝統的往生理解を語り、思想的な立場からは己証といわれる独自の理解を示したといえよう。しかし、親鸞の往生理解という場合は、やはり独自の理解を挙げるべきであり、たとえ法然までの未来往生を内容とする往生極楽の教えを語ることがあったとしても、それは門弟との対話の中で、伝承の教えとして語られたとみなすべきではなかろうか。それは親鸞が積極的に理解した往生は、現生におけるものであることが、書簡においても次のように明言されていることからも推し量ることができる。
 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆへに、臨終といふことは諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をゑざるがゆへなり。また十悪・五逆の在任のはじめて善知識にあふて、すすめられるときにいふことばなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心さだまるとき往生またさだまるなり。
 まさに往生とは、この現生において、信心さだまるときまたさだまるのである。


4 往生浄土の意義

 これまで見てきたように、往生が死後のこととして受容されてきたのは、臨終来迎の思想が色濃く影を落としていたからであった。またこれまでは触れなかったが、現在でもいわゆる「往生即成仏」という理解が公式となって、往生は主として死後に語られている。なぜなら、現生で往生を語ろうとするならば同時に「即成仏」の問題が絡んでくるからである。もちろん「煩悩成就の凡夫」が、現生において成仏することなどあり得ない。畢竟、往生は「臨終一念の夕」に期待されることとなる。だがそこに止まる限り、依然として往生という言葉は、死ぬことや閉口することの代名詞として使われ続けるに違いない。
 しかし既に見てきたように、親鸞が繰り返し語る往生とは、この現生のただ中において、流転の生を終えて浄土へと連なる新しい生を生きる身となった事実を物語る言葉に外ならなかった。それは、また善導によって詩的に
 帰去来、魔郷には停まるべからず。
 曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとく皆逕たり。
 到る処に余の楽なし。ただ生死の声を聞く。
 この生平を畢えて後、かの涅槃の城に入らん。
と明かされるように、流転の生を重ねて来た身を悲痛する者が、ようやくにして「往き生まれる」べき本来の世界を見出し、その世界すなわち浄土への一道にいま立ち得たという事実を物語ろうとする言葉なのであった。
 ときに、いま人間をひとつの言葉で表現しようとするならば、「願いに生きる存在」とでも言い表すことができるのではなかろうか。現に誰もが、漠然とした形ではあっても、「不幸にはなりたくない。幸福になりたい。」と願っている。中でも、自分が悪い状態にあると感じている人は、それを良い状態に改めるために宗教に救いを求めようとする。一方、良い状態にあると感じている人は、さほど宗教には関心を示さない。そしてその中間層にいる人々は、その時々の状況に応じて、宗教に救いを求めたり、無関心であったりする。あえていうならば「苦しい時の神頼み」という言葉がその有り様を象徴的に物語っているように思われる。
 では、このような状況の中で、往生浄土の意義をどこに見出せば良いのであろうか。先に述べた良い状態になることを人々は「救い」と言い、あるいは幸福とよんでいる。だがいかなる人間も等しく、最悪の不幸である死と出会う時が来る。そしてその時には、それまでの救いとか幸福といったものはすべて粉々に砕け散ってしまう。つまり、どれ程幸福の絶頂にあろうと、それは永遠なるものではなく、必ず最悪の場が訪れるのである。したがって、一般的に考えられている健康・財産・平穏・享楽といった世俗的幸福は、所詮は砂上の楼閣のごとく、儚く崩れされものでしかない。それは、六道輪廻における「天」の生活が、やはり迷いとして説かれていることからも窺い知られる。
天とは、人間の理想をより高めた世界である。そこは、一切が平等で豊かであり、苦悩も貧困もない、楽しみと喜びに満ちた世界であるといわれる。にもかかわらず、なぜそこが迷界であるといわれるのか。天もまた「無常」の理の中にあるからである。それは、天人にも命に限りがあるということによる。すなわち、天は清浄なる世界であるため、穢れを宿さない。したがって、天人は肉体の破滅である死を迎えた時に、天を去らねばならない。だが、天には苦悩の原因となる一切が除かれているため、死の直前まで天人は自らの死を予測し得ない。しかも、突然にして死の奈落へと突き落とされ、その刹那に喜びと楽しみのすべてを奪われ、耐え難い無限の苦悩と恐怖を味わう。この苦の故に、天は迷界だとされるのである。
 そうすると、誰もが漠然と抱いている救いとか、幸福についても根本的に見直す必要が生じる。少なくとも、無常という理の中にあっては、最悪の場に落ち込んだ時に、すでに死によっても砕かれない確かさに満ちあふれていることを、救いとか幸福とよぶべきであろう。では、それはいかなることを言うのか。
 私たちは、生きていく中で、常に目に見えない事柄に畏れを抱いている。ひとつは霊(鬼)の祟りや神の怒りである。日時や方角の吉凶に迷い、鬼神の言葉に惑う姿が現代でもしばしば見られる。いまひとつは、自身の未来の姿である。私たちは朧気ながらも自らが死ぬであろうことは知っている。だが、それがいつのことか、また死後にこのいのちが何処に往くのかということを知り得ないでいる。そのことが、しばしば生の中に暗い影を落とす。それ故、除災招福を願っての祈りが現代に至るまで、各地で連綿として続けられている。だが、どれほど熱心な祈りを捧げても、無常という理の中にある以上、結局それは最悪の場である死が訪れることを以て悲惨な終焉を迎えることとなる。まさに、現実のこの一点に、無限の生を見出し得ない限り、ただ一度の人生を空過せざるを得ないのである。
 人生は、しばしば旅をすることに例えられる。だが、誰もがその途上において、何処に向かって進めば良いのかを知り得ないでいる。またその道は「無明」なるが故に、人は多く道に迷い、どの方向に進むべきか惑う。そして、耳に心地よく響く世俗的な欲望の充足を説く教えに心惹かれ、かえってより深い苦悩に陥る。これが動かし難い、私の身の現事実である。
 そのような私達にとって、往生浄土の教えは、「あなたのいのちの帰って来るのは、ここだ!」と、私の進むべき道を明らかに示し真実の世界へと導いてくれる。先に尋ねたように、親鸞は「信心さだまるとき往生またさだまるなり」という。信心とは、いのちの帰るべき世界を待たず、流転を重ねる私に対して、阿弥陀仏が「我が国に生まれたいと欲え」という願いを建て、それが「彼の国に生まれたいと願う」という相で、私の心に成就した心であった。それは親鸞が、本願成就文を二つに分かち、衆生の信心成就とは如来の欲生心の成就と同一事であると開示していることからみ窺い知られる。『歎異抄』が伝える、「如来よりたまはりたる信心」という言葉もこのような信心理解に基づくものであるに相違ない。かくして私達は、自らが願うに先立って建てられた願いの声に喚び醒まされて、初めてこのいのちの帰っていく世界を知ることができる。
それは、最悪の場である死によって砕かれないばかりか、むしろこの肉体の終わりを以て完成するような無限の生を見出したということである。そこには、常に無限の喜びが感じられ、その心は何ものにも破られることはない。往生浄土とは、そのような心とともに日々を歩む生活そのものを言い表した言葉であると思われる。
 このような意味において、往生浄土とは、死後にではなくこの現生のただ中において語るべきであり、その一点においてこそ、人々に説く意義があると思われる。まさに往生とは、現生のただ中に無限の生を見出した者の日々の生活そのものであり、浄土とはこのいのちの帰るべきふるさとであるといえよう。思うに、このように浄土を真の帰依処として生きる在り方を足下に見出すことができたが故に、親鸞はその仏道を浄土真宗という言葉で以て高らかに顕揚したのではなかろうか。





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