私的研究室

6.「真俗二諦の問題」

1 親鸞思想と真俗二諦

 親鸞は「真俗二諦」という仏教思想をどのように見ていたのであろうか。親鸞がこのことに言及しているのは、『教行信証』のみで、その他の著述には見られない。『教行信証』では、二箇所にこの言葉が見られるが、それはいずれも引文においてである。したがって親鸞自身は、直接的には、真俗二諦という言葉は使っていないともいえる。ただし、『教行信証』の全体が、親鸞の言葉だとすれば、「真俗二諦」の思想を、親鸞は次のように理解していたと見られる。
 第一は、「行巻」大行釈・七祖引文中の、曇鸞引文「真実功徳相」釈の文。
  
  真実功徳相とは、二種の功徳あり。一つには有漏の心より生じて法性に順ぜず。いはゆる凡夫、人・天の諸全、人・天の果報、もしは因もしは果、みなこれ顛倒す、みなこれ虚偽なり。このゆゑに不実の功徳と名づく。二つには菩薩の智慧清浄の業より起こり仏事を荘厳す。法性によりて清浄の相に入れり。この法顛倒せず、虚偽ならず、真実の功徳と名づく。いかんが顛倒せざる、法性により二諦に順ずるがゆゑに。いかんが虚偽ならざる、衆生を摂して畢竟浄に入るるがゆゑなり。

 「真実功徳相」とは何か。この中、功徳に二種の相があるという。第一の功徳は、有漏の心より生じる功徳であって、この功徳は法性、すなわち仏教が意味する真実に順じていない。そこでこの功徳を不実功徳と名づける。いわゆる凡夫が行う行為の一切、すなわち人間界や天上界でなされる諸の善行のすべて、そしてその行為によって受ける果報のすべて、換言すれば、因であろうが果であろうが、その一切はすべて皆、顛倒しており、虚偽なのである。そこでここに受ける功徳の一切が、不実功徳と名づけられているのである。では真実功徳とは何か。
  第二の功徳がそれで、菩薩の智慧は清浄の業より起こっている。そしてその業によって一切の仏事、自利・利他の行のすべてがなされる。したがってその行業は必ず、法性によっているから、この行為によって起こるすべての相は清浄なのである。清浄なるが故に、ここに生じる事柄の一切は、顛倒せず虚偽ではない。そこでこのような功徳の相を、真実功徳相と名づける。ではなぜ真実功徳の相は顛倒しないのか。この相は法性によっており、二諦に順じているからである。
 では二諦に順じるとはどういうことか。二諦とは、真諦と俗諦であることはいうまでもない。この場合、真諦とは、法性法身である真如法性そのものを指しており、俗諦とは、真如より生じる清浄の相を意味していると言える。したがってこの場合の俗諦は、方便法身としての南無阿弥陀仏の名号であり、三厳二十九種に見られる浄土の荘厳の意だと受け取れる。菩薩の業は、この法性法身と方便法身の二諦に順じてなされるが故に、その智慧は顛倒せず、慈悲の実践もまた虚偽ではないのである。そこで菩薩は必ず、衆生を摂して清浄なる悟りに至ることができるのである。

 ではこの引文を通して、親鸞は何を明らかにしているのか。凡夫の行為の一切は不実功徳相であり、それ故に凡夫には二諦に順じる行為は存在しない。それに対して菩薩の行為は、真実の智慧によって起こされるが故に、真実功徳相であり二諦に順じている。
これによっても知られるように、凡夫には、仏教が本来意味する真諦俗諦に順じるものは何も存在しない。凡夫は本来的に「二諦」なしという事実をここで示しているのだと受けとれる。
 今ひとつの真諦・俗諦の語は、「化巻」の三時思想を示す、今は末法であるということを明かす箇所に見出すことができる。そこで親鸞は、最澄の『末法燈明記』を引用して、真諦と俗諦について次のように述べている。

  『末法燈明記』 最澄の製作 を披閲するにいはく、それ一如に範衛してもつて化を流すものは法王、死海に光沢してもつて風を 垂るるものは仁王なり。しかればすなはち仁王・法王、たがひに顕れて物を開し、真諦・俗諦たがひによりて教を弘む。このゆゑに玄籍宇内に盈ち、嘉猷天下に溢てり。ここに愚僧等率して天網に容り、俯して厳科を仰ぐ。いまだ寧処に遑あらず。しかるに法に三時あり、人また三品なり。化制の旨、時によりて興替す。毀讃の文、人に逐って取捨す。それ三古の運、減衰同じからず。後五の機、慧悟また異なり。あに一途によつて済はんや、一理について整さんや。ゆゑに正・像・末の旨際を詳らかにして、試みに破持僧の事を彰さん。なかにおいて三あり、初めには正・像・末を決す。次に破持僧の事を定む。後に教を挙げて比例す。

 最初に「一如に範衛して」とある。範衛とは、法を守るの意であるから、まず仏教が意味する唯一絶対の真実が明かされるのである。真如法性の真理をよくまもり、その法に順じて、そのごとく一切衆生を教化し、仏果に導くのは、法王(仏)の行為である。「光沢」とは、天下を治めるの意であるから、この現実の世界において、東西南北その一切の天下を治め、そこに仏教の教えにのっとった社会・国家を築いていくのは仁王(仏法の徳によって育てられた、理想的な王)によってだとする。仏の教法と、仏の教えを受けた国王によってこそ、人々はよき方向に導かれるのである。真諦と俗諦がたがいによく関係しあって、仏法を世界に弘めるのである。
 このようにして玄籍は宇内に満ち、嘉猷は天下をおおう。深い道理をもった仏教の教えが、その国中にみちひろまって、その教化によるよき政治が、天下にゆきわたるのである。ここに仏法の道理があると教えられているので、私たち愚僧は、朝廷によって宣布された僧尼令をつつしんでお受けし、その法を遵守したてまつっている。何ひとつ反対の立場をとらず、ただひたすら、その酷しい法律をいただいている。ところがどうしたことか、自分は一心に仏の教えを実践し、国が定める法を守っているのに、我が心は昼も夜も、全く安らかさを見出せない。それは何故であるか。思うに、如来の法には、正像末の三時があり、我ら人間の資質にも、また上中下の三種の区別がある。したがって教化や制度のその趣旨は、その時々によって変化する。まさに「盛衰は時の流れによって異なる」のである。そしてその時々によってなされる、誹謗と称賛の声も、人それぞれによって種々の取捨選択があるのである。中国における古代の移り変わりも一様でなかったし、仏滅後に見る、五百年ごとの機類の悟りの開き方も異なっているのではないか。これが世の真相であれば、どうしてひとつの定まった形のみを押しつけて、人を救うことが出来るのであろうか。またその一つの道理のみで、国家の全体を治めることが出来るのであろうか。それ故に、自分は今、正像末の様子を詳細に示して、末法時における破持僧の様子を明らかにしたいと思う。

 以上が親鸞が引用している『末法燈明記』冒頭の大意である。この引文中に見られる「真諦・俗諦」の意味は、曇鸞の引文に見られた意味とは異なり、真諦とは仏法のことを、俗諦とは仏法に即した世俗の法の意を指している。では、親鸞はこの『末法燈明記』をとおして何をいおうとしているのか。
 このような真諦・俗諦の関係は、この末法の時代には全く成立しないことを示して、念仏者になされた弾圧の非なることを糺そうとしているのである。すなわち末法の時代には、真の仏道(真諦)を行じうるものは一人としていない。そのような世で、国家が仏教の教えに従って国を治める(俗諦)ことなどありえないとするのである。そのような意味からすれば、親鸞の思想はまさに、仏教一般が意味している、真諦と俗諦の関係の否定の上に成り立っていると見なさなければならない。
そこで親鸞は、『教行信証』の後序に
  ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり。
と述べ、今は釈尊が定める仏道も、その仏道による国家の法律も成り立たない時代であるからこそ、阿弥陀仏の仏法のみが仏果への道を開いているのだと示すのである。まさしくこの世には、真の意味での真諦と俗諦の関係はもはや存在しえない。しかも国家が支配する法は、ただ世俗の法のみである。この末法の、世俗の法のみが支配する世の中にあって、凡愚の仏果に至りうる道は、ただ阿弥陀仏の他力による、回向法のみである。これが親鸞によって樹立された、まったく新しい仏道であった。


2 世俗の法と親鸞思想

 親鸞は、末法の世、世俗の法のだたなかにおける真の仏道とは何かをただ問い続ける。したがって、阿弥陀仏の本願他力の法と親鸞との関わりが、親鸞思想のすべてとなる。では親鸞は、この世俗のみの世を仏教者としてどのように生きたのであろうか。
既に述べたように、親鸞の究極的な関心事は、末法を生きる凡愚が仏になる道を求めることにある。念仏の法門は、その意味においてのみ語られている。したがって、親鸞は世俗における人間の生き方、あるいは念仏者の生活論については、自発的にはほとんどふれていない。つまり、親鸞の中心思想からは、「念仏者はこのように生きるべきだ」とする世俗における生き方は、積極的には見出せないのである。わずかではあるが、弟子たちからの質問に答えるという形で書簡集に念仏者の生き方についての親鸞の考え方が散見される。
これらの手紙は、善鸞事件を中心に、親鸞と弟子たちとの間で往復されたものである。手紙の内容を通して、当時「念仏者」が、どのように世間と関わり、そこでどのような問題に直面したいたか、またそれに対して、親鸞はどのような答えをしていたかが知られる。すなわち、親鸞の世俗とのかかわりを窺えるのである。
世間的な常識から見て、法然や親鸞の思想の最大の特徴は、わが国の宗教と倫理を、その根底から否定したかのように見られる点にある。当時−それは今日でも基本的には、ほとんど変わっていないと言うべきであるが−日本人一般が求めている信仰とは、この世にまします諸々の仏や神々に、一心に祈願して、現世と来世の幸福を願うことである。倫理とは、その幸福を得るために、世間が定める慣習的道徳を守ることであった。ところがその信仰と倫理の見方を、法然や親鸞の念仏思想は、ある意味では根底から破壊してしまったのである。念仏の教えは、阿弥陀仏一仏を信じることによって、どのような悪人でも往生するという教えだからである。
そこで、親鸞の教えを受けた人々は、当然のこととして、わが国の伝統的な習慣を破ることになる。そしてこれもまた必然の結果として、それらの念仏者は、当時の世間一般から、厳しい弾圧を受けることになるのである。ではこの摩擦を越えるために、弥陀一仏を信じる念仏者は、世間の慣習と、どのようにかかわっていけばよいのか。この点が『御消息集』の第四通で次のように示される。
 念仏を信じたる身にて、天地のかみをすてまふさんとおもふこと、ゆめゆめなきことなり、神祇等だにもすてられたまはず、いかにいはんや、よろづの仏菩薩をあだにもまふし、をろかにおもひてまいらせさふらふべしや、よろづの仏ををろそかにまふさば、念仏信ぜず弥陀の御名をとなへぬ身にてこそさふらはんずれ、詮ずるところは、そらごとをまふし、ひがごとをことにふれて、念仏のひとびとにおほせられつけて、念仏をとどめんとするところの領家・地頭・名主の御はからひどものさふらんこと、よくよくやうあるべきことなり。そのゆへは、釈迦如来のみことには、念仏するひとをそしるものをば名無眼人ととき、名無耳人とおほせをかれたることにさふらふ。
 ここでまず親鸞は、念仏をとどめようとしている人々、すなわち領家・名主の「念仏弾圧」という行為に対して、それは「よくよくようあること」だとして、一応肯定的に受け止めていることに注意する必要がある。「ようある」とは、そうすべき必然的理由があるという意味であろう。なぜか。彼ら領家・地頭・名主は、真実の仏法に対して、無眼人であり無耳人であるからである。仏法の真実を、見る眼を持っていないし、聞く耳も持っていない。その彼らが今、世俗の法によって仏法者を裁き、慣習的な社会の秩序を守ろうと試みている。いわば念仏者に対して「そらごとをもうし、ひがごとをことにふれて」念仏の教えを弾圧し、社会の秩序を保つべく懸命になっているのである。
「そらごと申す」とは、念仏の真実に耳を傾けないで、まったく間違った判決を下すことであり、「僻事をことにふれて」とは、世間的に見て、念仏者が犯している「明らかな過ちを、弾圧のためのよい口実」として、との意に解することができる。彼らは何も無秩序に弾圧を加えているのではなくて、念仏を停止させる、それなりの理由があったのである。
 では、念仏者の「僻事」とは何か。信仰面でみれば、諸仏・諸菩薩・諸神を疎かにすることであり、倫理面で見れば、世間的秩序を無視して、悪事をはたらくことだといえる。そこで親鸞は、このような念仏者の行為をまことに厳しく否定するのである。まず前者に関しては「よろずの仏・菩薩をかろしめ」さらに「よろずの神祇・冥道を侮り捨てる」ことは、決してあってはならないことだとする。言うまでもなく、諸仏・諸菩薩とは念仏者を導いて下さる方であり、天地にまします神々もまた、常に念仏者を護られているのである。尊敬こそすれ、絶対にあだ疎かにしてはならないというのである。
そして後者に関しては、この『御消息』の後半で、次のように述べられることになる。
 弥陀の御ちかひは煩悩具足のひちのためなりと信じられさふらふは、めでたきやうなり、ただし、わるきもののためなりとても、ことさらにひがごとをこころにもおもひ身にも口にもまふすべしとは浄土宗にまふすことならねば、ひとびとにもかたることさふらはず。おほかたは、煩悩具足の身にてこころをもとどめがたくさふらひながら、往生をうたがはずせんとおぼしめすべしとこそ師も善知識もまふすことにてさふらふに、かかるわるき身なれば、ひがごとをことさらにこのみて、念仏のひとびとのさはりとなり師のためにも善知識善のためにも、とがとなさせたまふべしとまふすことはゆめゆめなきことなり。
阿弥陀仏の誓願は、煩悩具足の凡愚こそ摂取されるからといって、ことさらに悪事をはたらいてはならない。わざと好んで悪事を心にいだき、身になし、口にすることはは、決してあってらはならないのである。私たち人間社会は、人間倫理のもとに構成されている。この世の中にあって、人間として真実なさねばならないことを、今日この私に懇切に教えてくれたのは、まさしく念仏の真実を語られた師であり善知識である。我々は煩悩具足の身であり、なすべき倫理的な生き方さえ、おぼつかない凡夫でしかない。だからこそ善知識は、この愚悪なる、どうしようもない我が身を見つめさせて、しかもこの悪人が往生する真の仏法に、いま出遇わせてくださったのである。したがって、この念仏の法門は、煩悩具足の我らが、煩悩具足のままで、真の仏法者として、いかにこの世を倫理的に生きるかが問われているのである。この故にこそ、もし念仏者が世間の倫理を無視して悪事を行うのであれば、それは真の念仏者を貶める行為であり、さらには師や善知識を咎人にさせてしまう行為となるのである。
このことは『末灯鈔』のなかでも、第十六・十九・二十通等において、
 煩悩具足の身となればとてこころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、くちにもいふまじきことをもゆるし、ここにもおもふまじ きことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしとまふしあふてさふらんこそ、かへすがへす不便におぼえさふらへ。
と示されるように、獲信の念仏者は当然のこととして、世間的な善、倫理道徳に違わない生活をしなければならないとするのである。では親鸞は、このような社会秩序を統制する、いわゆる国家権力をどのように見ていたのであろうか。今日、国家権力対反国家権力という図式より、ともすれば親鸞を反国家権力の側に位置づける見方がなされているのであるが、親鸞の念仏思想は、そのような時の権力と常に対峙し、社会の秩序をその根底より批判していくといった思想ではない。例えば「行巻」の結びに、
 それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまず啓すべし。
といった文が見られるし、また『御消息集』の第二通には、
 詮じさふらふところは、御身にかぎらず念仏まふさんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために、念仏をまふしあはせたまひさふらはば、めでたふさふらふべし。往生の不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏さふらふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは仏の御恩のために御念仏こころにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ。
と述べている。この中に見られる「忠君の君后に帰す」や「朝家の御ため国民のため」といった言葉は、決して反国家権力的な思想からは導き出せない。と言えば直ちに、では親鸞の思想は国家権力の側にあるのか、といった反論がなされそうだが、もちろんそうでないことは、『教行信証』の「後序」に見られる、
 主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ
といった、時の権力に対する厳しい批判によっても明らかである。けれども、だからといって、親鸞を反国家権力の立場にあったと位置づけてはならない。なぜなら、親鸞が捉えた念仏の法門は、国家権力対反国家権力といった、世俗の法と同一の次元で、相対立するような教法ではないからである。
 例えば、親鸞は『教行信証』「信巻」の終わり「逆謗摂取釈」で、曇鸞の「八番問答」を引用しているが、そこで五逆罪と正法を誹謗する罪とどちらが思いかが問われている。
五逆罪とは、実際に自分の父や母を殺害する罪で、この世では最も重い罪だとされるものである。これに対して、正法を誹謗するとは、ただ口先で「仏教の教えなど嘘ばかりで信じるに値しない」というのみである。だがそれにもかかわらず曇鸞は、五逆罪よりも正法を誹謗する罪の方が、はるかに重罪だとする。なぜか。これに対して曇鸞は、もしも諸仏・菩薩がましまさず、世間・出世間の善道を説いて、衆生を教化する人の存在がなければ、人々はどうして「仁・義・礼・智・信」を真に知りえようかと答えるのである。この意味からすれば、仏法はまさしく世間的な倫理の道徳の、より根源の法というべく、世間一切の善法は、この仏法の教えによって、はじめて真に導きだされるのだと、親鸞もまた考えていたと窺えるのである。
 では、親鸞はなぜ仏法という教法の中で、世俗の法にほとんどほとんど関心を示さないのか。それは世間的善悪の問題、世俗の法は、あくまでも我々人間知のレベルで解決が可能だからだといえる。というよりも、世間的倫理道徳的事柄は、どこまでも人間知の次元で解決すべきことだというべきかもしれない。人間社会で繰り広げられる善悪の問題は、そのほとんどがその時代、その社会における人間の常識で、判断可能な事柄のはずである。まさに、人間の歴史はそのような中で流れているのであり、お互いの常識で、善が悪を廃して、人間社会を成立せしめているのである。人間の行為は、人間倫理で十分なのであって、普通はそのいちいちに仏法の根本理念を照らしたりなどはしない。ただし、だからこそ、世間の一切は顛倒しているのであって、仏法の目から見るならば、「よろずのことみなもて、そらごとたわごと、まことあるなし」といわなければならないのである。とすれば、ここで仏の眼を持つ者の出現が求められることになるが、残念ながらこの末法の世は、ただ凡愚のみで仏の眼を持つ衆生など、誰一人としていない。
 それはこの世において、この現実の世界を、仏陀のごとく真実歩みうるものは、誰一人いないことを意味している。仮に仏法を一心に学び、自分は悟りの智慧を得たと嘯くものがいたとしても、−真宗的にいえば、真実信心の智慧を獲得したと歓喜するものがいたとしても−この世における人間の歩みは、その一切が不実でしかないのである。
 親鸞思想の特徴は、すでに述べたように、凡夫が仏になるという仏道に関しては、極めて深い思索を尽くしながら、世俗の世間的生活に関しては、何ら深い関心を示していない点にある。すなわち世俗における教説は常識の域をでないのであって、「ことさらに悪をなしてはならない」「この身を厭い、悪い心をひるがえし」て、人間としての善意に務める、といった思想ぐらいしか見出せない。
このことは仏教の理念を、世間的生活の次元に持ち込むことを、親鸞はむしろ厳しく否定していることを示している。この世における最も悲惨な悲劇は、愚かな人間が仏や神の名においてなす教条的行為である。もし人が錯覚して、誤った仏教の原理を押しつけ、それを人々に実践させるべく強いたとすれば、それこそとんでもない過ちを犯すことになるといわねばならない。
 私達は今日、どのような立場から真宗者の「真俗二諦」を捉えようとしているのか。その多くは、親鸞の真俗二諦の立場に立てという。その真俗二諦論は、真実信心の智慧の立場から、この世における悪の構造を正しく見極めて、徹底的にその悪を排除しようとする実践的行為を、信心の念仏者の姿だとするのである。だがそれはむしろ危険な思想だというべきで、親鸞にそのような真俗二諦の立場があるのではない。そこで親鸞思想に見る、世俗とのかかわりは、次のようにまとめることができるように思う。
 すでに真実信心を獲得している念仏者は、もはや自分自身の往生を願う必要はなくなっている。だからこそ念仏の功徳は他に向けられるべきで、自分自身の幸福を求めるのではなくて、ただひたすら朝家のため御ため国民のためめ、念仏の真実を讃嘆すべきであり、さらに御報恩のために、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれかしと、願うべきだとするのである。そのためには、念仏の真実が他者に誤解されるようなことがあってはならない。世間一般の人々が、念仏者の生き方にふれて、その輝きに、自ずから引き寄せられるような、そのような生き方がもとめられるのである。ことに地方の中心者、領家・地頭・名主等は、仏法の真実を聞き学ぼうとする心を持っていない。だからこそこの者に誤解を与えるような振る舞いは絶対に慎むべきで、諸仏・諸神を疎かにしたり、わざと好んで悪をなすといった行為は、決して行ってはならないのである。
 なぜなら、領家や地頭や名主が、もし誤って念仏を弾圧すれば、彼らこそがまさしく地獄に落ちなければならないからである。ただし念仏者がどのように努力しても、念仏への弾圧がひどくなるような場合は、この地域では念仏の縁が尽きているのだと思って、立ち去ればよい。間違っても、念仏の法を広めるために、教えの真実を曲げたり、権力者に媚び諂ってはならない。「余のひとびとを縁として、念仏を広めんとはからいあわせたもうこと、ゆめゆめあるべからず」なのである。
 いかに領家・地頭・名主が念仏者に「ひがごと」を行ったからといって、百姓を惑わすようなことはしない。そして念仏の法門は、そのような外からの弾圧に破られるようなことはない。仏法者が破られるのは、あたかも獅子身中の虫が獅子を食らうがごとく、仏法者の堕落によってのみ、その仏法が破られていくのだからである。


3 覚如・存覚と真俗二諦論

 親鸞は、念仏者の倫理を体系化していない。それは、末法の国家はすでに世俗の法のみによって定められており、いかなる組織も世俗の組織でしかないからである。その意味からして、親鸞には教団を作るという意識はまったくなかったと推察される。なぜなら、当時の仏教教団そのものがまさしく世俗的組織であって不実なる団体でしかないことを露呈していたからである。したがって、念仏者がその世俗の国家と関わるといったことについて、倫理的な体系化を試みることなど、親鸞には興味を覚えないばかりか、無意味なことでしかなかったのである。
ただし、念仏の法門は永遠に迷いを断ち切る悟りの法門であり、一方世俗の法はあくまても迷いの法である。両者は本来、同一の次元にあるのではなく、また対立の関係に置かれているのでもない。とすれば、真実信心の念仏者は、すでに悟りへの道を歩んでいる者であるから、世俗の社会がいかに乱れていたとしても、その社会を一人で十分歩むことができるといわねばならない。念仏の法そのものが歪められる場合は、その行為を厳しく排除しなければならないが、そうでない限りは、他との摩擦を極力避けていればよいのである。親鸞の立場は、むしろ無抵抗な姿に近く、それ故にこそ、世俗の社会に念仏の真実を輝かせたといえるのである。
けれども覚如や蓮如はそうではない。彼らは、親鸞の思想をこの世に純粋な形で遺そうと、その生涯をかけ一心に努力したのである。そこで、ひとつの教えを間違わずにこの世に伝承していくために、ひとつの組織を作らなければならない。まさしく法灯の伝承こそ教団の存在意義であって、教団を作らなければやはり正しい教法の伝承は不可能なのである。ただし、ここにひとつの教団が組織されれば、その教団が現実社会にどのように関わるかが大きな問題となる。この場合、教団の組織は世俗の次元に置かれる以上、念仏の法門である真宗教団も、必然のなりゆきとして世俗の社会と直接的に関わることを余儀なくされる。この点が、親鸞の立場と、覚如・蓮如の立場の大きな相違点であり、覚如・蓮如においては、親鸞においてさほど問題とはならなかった人間倫理の問題が極めて重要な関心事となってくるのである。この立場の違いはまずはっきりと抑えておく必要があると言い得る。
 いまひとつ、私達は今日、近世以降、真宗教団が主張してきた「真俗二諦」の思想に対して、それは親鸞の信心と根本的に異なっていると、非常に批判的にとらえることが多い。この場合、例外なくその原点は覚如にあるとしている。だが果たしてそうか。ここで親鸞が、この末法の世における「真俗二諦」の成立を否定している点に注意しておきたい。なぜなら、覚如・存覚・蓮如の思想は、親鸞がこのように否定した点から展開しているからである。端的にいうならば、覚如・存覚・蓮如の著述において、基本的には「真俗二諦」の言葉は見出せない。したがって、彼らには今日いわれているような真俗二諦の思想はなかったと見なければならないのである。ただし、例外として、存覚には『教行信証』の註釈書である『六要抄』があり、その『末法灯明記』の註釈の部分で、「真俗二諦」に対する存覚の見解が見られなくはないが、ただしその場合でも「此の書は是仏法・王法治化の理を演べ、乃ち真諦・俗諦相依の義を明かす。」と述べるにとどまっている。結局、私たちの世には、正・像・末という異なった三時があり、また機においても利と鈍の差があるから、真諦と俗諦の関係も「一法」のみによって定めることは出来ないとするのであり、『教行信証』の意と大きく違うものだとはいえないのである。
 このように見れば、今日批判されているような真俗二諦の構造は、覚如・存覚・蓮如の上には明確には見出しがたいといわねばならない。では真俗二諦論で、覚如のどのような思想が問題にされているのであろうか。『改邪抄』の次の文が指摘されている。
 それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には佗力の不思議をたもつべきよし師資相承したてまつるところなり。しかるにいま風聞するところの異様の儀においては、世間法をばわすれて仏法の義ばかりをさきとすべしと云々。これによりて世法を放呵するすがたとおぼしくて裳無衣を著し黒袈裟をもちゐる軟、はなはだしかるべからず。『末法灯明記』…
 出世の法では五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)を、世法では五常(仁・義・礼・智・信)を守ることが、日常における人間の道である。だからこそ、この道理をわきまえて、内心には他力の信心、阿弥陀仏の不可思議さに生かされることが、法然から親鸞へと教えられてきた、我々の生活規範である。だが今日耳にするところによれば、「世間法」を忘れて「仏法」の義ばかりを重視せよ、というような風習が我々の教団にあるようである。だがそのようなことは絶対にあってはならない。『末法灯明記』にも、末法では仏法の道理はすたれ、意味をなさなくなっていると示されている。親鸞聖人は、仏法者ぶることは全くなされていない。教信沙弥のごとく生きたいと願われたのが親鸞聖人の心だからである。このことからしても、我こそは仏法者であるという、「仏法者ぶる」態度を表面に出すべきではない。
 『改邪抄』の大意は、このように受け止めることができる。この内「真俗二諦論」では、前半が問題にされているのであるが、覚如の言いたいことはむしろ後半部分にあるのであって、前半はただ単に世間の一般常識を述べているにすぎない。しかも出世の法が真諦であり、世間の法が俗諦であるといった意味は、この文からは読み取れない。そのような範疇で、出世の法・世間の法といった言葉が使われているのではないからである。仏法者は、最低五戒を守るべきであるし、俗世間では五常を守ることが人間の道である。真宗者はもちろん、五戒を守る心は持っていない。そこで、五常を守ることが重要となる。とすれば、この者の生き方は、当然、五常を守りつつ、内心に深く他力の不可思議さに生かされるべきだということになる。だからこそ覚如は、真宗者に対して、ことさらに仏法者ぶる必要はないといっているにすぎないのである。
 では、存覚はどうであろうか。存覚においては、『破邪顕正抄』の第十項「仏法を破壊し、王法を忽諸するよしの事」が問題になっている。
 この条仏法・王法は一隻の法なり。とりのふたつのつばさのごとし、くるまのふたつの輪のごとし、ひとつもかけては不可なり。かるがゆへに仏法をもて王法をまもり、王法をもて仏法をあがむ。これによりて上代といひ当時といひ、国土をおさめまします明主、みな仏法紹隆の御願をもはらにせられ、聖道といひ浄土といひ、仏教を学する諸僧、かたじけなく天下安穏の祈請をいたしたてまつる、一向専念のともがらなんぞこのことはりをわすれんや。
 ここで「仏法と王法は一隻の法なり」という。鳥の二つの翼のごとくあり、車の二つの輪のごとくであって、これらは一つが欠けると用をなさなくなるのである。仏法と王法の関係はまさしくそうであって、仏法をもって王法をまもり、王法をもって仏法をあがめるのである。ここに理想の国家があるのであって、上代から今日まで、我国の天皇も仏法者も、そうすべく努力してきたのである。そこには例外はないのであって、聖道の行者も浄土の念仏者もそのようにして、天下の安穏を願ってきたのである。とすれば私たち一向専念の真宗教徒のみが、どうして世俗の生活の、根本理念を忘れ去ってよいことがあろうか。そのようなことは決してあってはならない。
 引文は一応、このように解釈することが出来る。真俗二諦論では、この部分が指摘されているのであるが、存覚がこの書の中で述べようとしている意図は、この引文の箇所にあるのではない。次の部分に存覚の主張の要点があるのである。その大意を示せば、次の通りである。
 我々一向専念のともがらは、火宅無常の世にあって、曠劫より無限の苦悩を受けてきたのであるが、今この日本国に生まれ、幸いにも阿弥陀仏の仏法に出遇うことができたのである。このものがどうして皇恩を忘れ、あだにすることがありえようか。ところで我々念仏者は、この易行によってしか、仏果に至りえないので、念仏一行を修し西方の往生を願っているのである。この行がなぜ、王法に背き、仏法を破ることになるのか。ところが国家は理不尽にも、念仏者の真の姿、その求道の心をまったく見ないで、頭から一向専念の輩は、仏法を破滅し、王法を軽んずる者だとして、眼に余る迫害を加えている。これはもってのほかだといわねばならない。
 以上が後半に見る存覚の主張である。前半の部分においても、仏教が意味する「真俗二諦」の思想に重なるものではないが、全体的に見て、仏教の真俗二諦がなぜここで問題になるのか、それは存覚の知らざるところだというべきではなかろうか。
 さて今日、真宗者が問題にしている真俗二諦論は、明治以後に現れた思想である。この場合、その人々が自分の論を権威付けるために、覚如・存覚・蓮如の思想を取り入れ、そこに「真俗二諦」という言葉を重ねて、近代感覚にかなう、全く新しい真宗の思想を打ち立てたのである。ところが、その思想が戦後、親鸞の思想とはまったく違うものだという厳しい批判を受けるに至った。その時、批判者は、明治から昭和の、殊に戦時中説かれた真俗二諦の論を批判する際に、その思想の根拠を覚如・存覚・蓮如に見出し、彼らにあたかも真俗二諦の思想があるかのように批判しているのである。だが、これは明らかな誤りだと言わねばならない。
 明治以後に出された真俗二諦の思想は、親鸞の真俗二諦の思想とは、全く異質の思想である。親鸞は末法の世では、仏教が意味する真俗二諦は成り立たないと言っているのであり、親鸞の念仏思想は、世俗の法と同一の次元で対立するものではない。したがって、親鸞は個として、この世間を自由自在に歩むことができたのである。だが、覚如以後はそうではない。真宗教団という、ひとつの世俗の場での念仏者の組織を形成して、その中でこの世を歩もうとしているからである。この場合、念仏者の生活は、世俗の法と同一の次元で真っ向から対立することになる。覚如・存覚・蓮如が念仏者の生活に、大きな関心を払わなければならなかったのはそのためで、以後の真宗教団人は、念仏思想と共に、国家の法とどうかかわるかが、最大の関心事になるのである。
 今日その念仏思想と国家の法の関係を、我々は「真俗二諦」という言葉を通して論じようとしている。末法の世を、我々が歴史的現実の中で生きるためには、念仏者が世俗の法とどう関わるかを問わなければ、生きることは出来ない。その生き方はあらゆる面で、多くの過ちを含んでいることはいうまでもない。念仏の法門を聞き、精一杯生きながら、どのような時代にどのような過ちを犯すものであるのか、それを知ることが浄土真宗の教団史なのである。「真俗二諦」という言葉に惑わされて、間違った角度から覚如や蓮如の生き方を批判するのではなく、その時代その社会において、真宗者がどう歴史とかかわったかを、我々はあきらかにしなければならないのである。 


4 真俗二諦を考える

 「基幹運動推進僧侶研修会 僧研ノート」の『信心の社会性について』と題する文章の中に「私たちの教団は、歴史の中で仏法と王法をそれぞれ真諦・俗諦として、信心を社会的存在としての私の在り方から切り離し、社会問題に無関心な念仏者をつくり出してきました。そして、結果的にまた意図的に、現実のさまざまな矛盾をあきらめとして受け止め、体制に随順することを説いてきたのです。」という一節がある。では、具体的にどうすれば良かったというのであろうか。
周知の通り、人間の判断力というものは、事件が発生し、ある結果が生じてしまった事柄に対して対しては、それは正しいことであるか否かを、ある程度誤りなく判断することは可能である。けれども事件の渦中にある時、自分がその出来事の真ん中に置かれているような場合は、自分が果たして正しいか否かを知ることは非常に難しいことであるといわざるを得ない。顕著な差別事象においてもそうである。例えば、差別することは悪いことである、というのは自明の理であって、いつの時代いかなる社会においても通用し、誰もが知っていることである。もちろん封建社会においてもこの理は通じる。ところで、江戸時代は、社会の秩序を乱すということは、最も思い罪の一つに数えられていた。それは鹿児島の地において、島津氏により明治期に至るまで『念仏禁制』が布令された理由の一つとして、一向一揆という形で活躍した真宗門徒が社会秩序を乱すことを恐れたことがその一因であったと推察されるていることからも容易に窺い知ることができる。このように社会の秩序を乱すということは、悪であると考えられていた封建社会において、もし「差別の構造」が意識的に作られていたらどうであろうか。これは端的には身分制度を指すが、このような中に置かれていた場合、人はどのような意識構造を持つかということである。
このような場合、「差別が悪である」という道理は、同一の階級内においてしか通用しなくなるのではなかろうか。そうであるとすれば上下の間では、この時代、差別は当然だということになる。したがって異なった階級間で差別することが悪であるとは、当時の人々はあるいは思いもよらなかったかもしれない。したがって、運動を起こして、社会の階級的な差別をなくそうと行動するものがもしいたとすれば、それはむしろ社会の秩序を乱す者として、直ちに捕らえられることになる。このように見れば、異なった階級間での「差別」が実は人間の尊厳にかかわるような悪であるとは、人々はあまり意識していなかった、さらには、本当のところは知らなかったと考えられる。
またノートでは「体制に随順することを説いてきた」と批判的にいうが、では、「体制に随順することなく」、「社会秩序を乱す」いわゆる一向一揆を再び起こすべきであったのだろうか。また、「浄土真宗の教章」の中、「宗風」には「信者はつねに言行をつつしみ、人道世法を守り」とあるが、「人道世法を守る」ということはすなわち「体制に随順すること」ではないのか。もしそれがいけないのなら、人道はともかく「世法を守ら」ないことを奨励するのか。
現実問題として、今日のわが国の仏教教団は、体制であるところの国が定める国家の法(俗諦)の支配を受けている。宗教法人法という俗法のもとで、世俗の役人の命によって、仏法者の行動は義務付けられている。換言するならば、世俗の法に保護されて、各々の教団が、各自の掟・作法を作って、仏法の衣を着ているにすぎないのである。まさに「体制に随順して、存続せしめられている」のである。けれども、これこそが明治期以来の「真俗二諦」という言葉で批判されてきたあり方そのものではないのか。にも関わらず、『歴史の中で仏法と王法をそれぞれ真諦・俗諦として、信心を社会的存在としての私の在り方から切り離し、社会問題に無関心な念仏者をつくり出してきました。』という反省がなされているが、では批判者はいったいどの場に立っているというのか。「基幹運動計画」に挙げられた『部落差別・戦争・ヤスクニ・人権・環境』等は、いずれも念仏の有無を問わない、現代を生きるすべての人々が共に「人間として」関わるべき、俗世間における社会問題に他ならない。
つまりそこには『真諦』は見られない。このような意味において、基幹運動とは『俗諦』のみの運動といわざるを得ないのではないか。したがってその立場からは、『真俗二諦』のあり方が批判されるのも当然のことなのかもしれない。
また同ノートに『「真俗二諦の問題」は、真が俗に切り込む大乗仏教利他行の実践の一環として、仏法の原理を世俗の中にいかに貫徹せしめるべきかという、仏教の本来性においてとらえるべきである』とあるが、親鸞はそのようなことは不可能だということを「教行信証」で顕かにしている。この場合そのような事実は、全く無視してしまってもよいのか。
親鸞は、結局人間はどこまでいっても愚かであって、臨終の一念までその愚かさをぬぐい去ることができない。けれども、その迷い苦しむ愚かな人間を救うのが、まさに唯一阿弥陀仏の本願力だけだ、という。これは、自分の根源的に愚悪性が明かになる。その愚かさに慙愧の心、無限の恥じらいをいただくところに、初めてそのものこそを救うという、本願の尊い呼び声が真に聞こえてくるのだということ明かにしているのである。したがって、獲信の念仏者の仏道とは、凡夫の真の姿を知り、念仏とは何かを人々に説く。そこに大悲を実践する念仏者の道があるのであって、社会問題の実践がそのまま「利他行」と重なるのではないことを知らなくてはならない。




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