明治40(1907)年現在地(向江町)に初期本堂建立
平成19(2007)年・開基百周年
念仏禁制の歴史を経て… 江戸時代、浄土真宗は鹿児島の地において、島津藩により布教・信仰を禁止され、三百年もの長きにわたり厳しい弾圧を受けました。そのような状況下で、私達のご先祖の方々は、筆舌に尽くせぬ苦しみ・悲しみの中に生命を賭けて法灯を護り続けてこられました。 念仏禁制がとかれたのは、明治9年9月5日のことでした。もちろん、禁制解除以前、鹿児島県内には、全く浄土真宗の寺院はなかったので、各地のご門徒の方々がご苦労をなさって、まず説教所を建てられ、他の県から僧侶を招くことから始められました。 願生寺は、明治13年篤信のご門徒(川原氏)が自費を投じ、僧侶を招き自宅を布教所にあてられたのが始まりです。 明治30年頃になって信者の数も増したので、自己所有の土地に布教所を新たに建立。その後、10数人の布教者が代わり、金海円月に至りました。円月は、大分県四日市町・浄現寺より来鹿。 明治40年1月10日現在地に敷地を定め本堂を建て願生寺と公称。 願生寺初代住職。 明治創建期の願生寺本堂 昭和期の願生寺本堂 2代目の住職佐々木乗縁は、熊本県山鹿市・常法寺より入寺 3代目は乗縁の弟、佐々木真道が同じく常法寺より入寺 4代目は真道の子、佐々木次生が継職 平成13年5月25日5代目を佐々木哲生が継職。 現在の本堂は、4代目次生住職の時代の昭和52年、 開基70周年を記念して建立 (中地下・納骨堂/1F本堂/2F多目的ホール) 平成5年に内陣・外装改修。 平成10年、本堂北側に光遠堂(納骨堂)建立。 平成18年、開基百周年記念事業として 新境内地をアソカ保育園(現・アソカこども園)の 道路向かいに取得し駐車場として整備・活用。 さらに、本堂の防水工事・外壁の補修並びに塗裝工事。 本堂外陣及び内陣の照明追加工事等を実施。 本堂地下納骨堂(偲恩堂)のリニュアール 平成19年10月27日・28日 開基百周年記念法要を厳修。 153名の方が受式されました 平成30年3月、2階のホールの床の貼り替え、 壁の塗装、机・椅子の新規取替え ⇒本堂建立以来約40年ぶりに2階のホールを全面改装 令和2年3月、光遠堂外装改修工事 令和2年12月、光遠堂にエレベーターを設置 令和3年12月、本堂の防水工事 外壁の補修並びに塗装工事 本堂内陣・外陣の畳表替え、外陣の壁塗装 令和4年1月、納骨堂(偲恩堂)通用口整備 令和4年3月 納骨堂(安穏堂)建立 令和5年4月20日 親鸞聖人ご誕生850年法要並びに帰敬式 令和5年4月21日 浄土真宗立教開宗800年法要 並びに副住職就任披露 |
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