法 話

-心のともしび(2017年)-

  12月:振り向けば 出会いあり 別れあり
 早いもので、平成292017)年も、残すところあと半月ほどになりました。私たちの人生は、「出会いと別れの繰り返し」だと言えますが、その言葉通り、この一年を振り返ってみると、いろんな人との出会いがあり別れがあったのではないでしょうか。
 そんな中、本当は別れた人よりも出会った人の方が多いはずなのですが、実感としては出会った人よりも別れた人の方が多かったような気がします。なぜなら、「出会いは偶然、別れは必然」と言われるように、出会いは「偶然」なので、その人と出会った時のことは、よほど印象的な出来事がないと「今でも鮮やかに覚えている」という人はあまりいないかもしれませんが、別れは出会いがあれば「必然」のことなので、その人と出会ってからの思い出が多ければ多いほど、その別れが深い悲しみに包まれ心に刻み込まれるからかもしれせん。
 ところで、この地球上には70億人あまりの人が生きているのだそうですが、さて私たちはいったい何人の人と「あなたと出会いましたね」と、お互いにうなずきあいながら言うことができるのでしょうか。「出会い」ということについて改めて考えてみると、もしかすると自分では出会っていると思っていても、それは一方的な出会い方をしていることがあるかもしれません。
 「近しといえども見えず」という言葉があります。これは「近いからといって、必ずしもよく見える訳ではない」ということです。確かに、物を見るときは一定の距離を置くとよく見えるのですが、あまりにも近すぎるとピントが合わなくて、かえって見えづらいということがあったりします。
 同じように、私たちの心は無意識のうちになのですが、よその家庭のよい様を目にすると、「自分の家庭もああでなくてはならない」と感じ、親なら親に対して、あるいは夫や妻、兄弟姉妹、子どもに対しても、自分勝手な枠を作り、一人一人をそれで測ろうとし、しかもその枠内に納まらないと、他人であれば絶交、もしくは修復不能とも思えるような言葉をぶつけたりすることがあったりします。
 けれども、その人が亡くなってしまうと、私の身勝手な思いで作った枠は木っ端みじんに砕け散り、見えていなかったその人の本当の姿が浮かび上がってくるような感覚にとらわれることがあります。また、たとえ死別ではなくても、その人と離れて暮らすようになると、不思議なことに、その人と言葉が通じ合うようになったり、思いが通い合ったりするようになったりするものです。物だけでなく、人との間にも一定距離感がないと、その人のことを正しく見究めることは難しいことを教えられます。それと同時に、今出会っている周囲の人たちと、どのような関わり方をしているか。もしかすると、近ければ近い人ほど、自分の身勝手な枠にはめ込もうとして、その人の本当の姿を見誤ってはいないかと、反省されられます。
 一方、「別れ」については、最近「失いざかり」という言葉に出会い、いろいろと考えさせられています。これは俳人・新聞記者であった折笠美秋さんの『死出の衣は』の中に出てくる言葉で、次々と知人の訃報が届く悲しみを表現されたものです。「働きざかり」という言葉は聞いたことがありますし、この言葉からは生き生き躍動する姿が思い浮かびます。それに対して、「失いざかり」という言葉には、なんとも言いようのない深い悲しみと、一抹の寂しさが漂う気配を感じます。
 まだ、一応自分では「働きざかり」のつもりではいるのですが、自分が子どもの頃すでに大人だった方たちの訃報接することがあります。そうすると「あの人が亡くなったのか…」とか、「この人も亡くなったのか…」という言葉が口をついて出るようになり、そういう人たちとの別れが続いたりすると、「これが失いざかりということなのかな」と、この言葉の持つ感情の一端が理解できたような気もしたりします。
 また、そういった上の世代の人たちだけでなく、小・中・高時代の同級生の葬儀を勤めたり、大学時代以来なかなか会う機会はないものの、毎年、年賀状のやりとりを続けてきた友人の息子さんから、「昨年、父が亡くなりました」という報告が一月半ばに届くということがあったりすると、上の世代の人たちの訃報には「年齢順」という言葉で比較的穏やかな受入れ方をする面もありますが、同級生の訃報にはやはり大きな驚きを覚えます。
 そして、やがてそれが続くようになる「失いざかり」を迎える時がくるのかな…と、思ったりもします。ところが、日頃いろんなことに追われるように生きていると、自分がいつか必ず死ぬべき存在であることを忘れて、ただその時々の場面を乗り切ることに懸命になったり、時には浮いた生活に我を忘れてしまったりして、「自分だけは、まだまだ元気でいるに違いない」という、自分勝手な思い込みをしていることに、なかなか気づき得ないものです。
 そのようなあり方の中で、この一年を駆け抜けるように生きてきた訳ですが、一年の終わりに、今年を振り返ると、いろいろな人の出会いがあり、また別れがあったことが思い起こされます。そして、それぞれの出会いには何かしらの意味があり、同様にその別れにも大切な意義が込められていたのだと思われます。私たちは、人生の途上で、多くの人との出会いと別れを通して、たくさんのことを学び、それを生きる糧として生きる中で、自分が自分に生まれ、そして自分として生き、そして死んでいくことの意味を知るように思われます。
 11月:無明 自分の愚かさを知らないこと
 「無明」とは『仏教語大辞典』によると「無知のこと。われわれの存在の根底にある根本的な無知。最も根本的な煩悩。迷いの根源。過去世から無限に続いている無知であって、無明を滅ぼすことによって、われわれの苦悩も消滅する」と述べられています。また、『真宗新辞典』には、この仏教一般の意味に加えて「真宗では本願を疑い、仏智を明らかに信じないことを示す」と、浄土真宗独自の立場が説かれています。
 この「無明」について、親鸞聖人は『一念多念文意』に
 私たち凡愚は、どうしようもない無知であって、臨終のその時まで完全に無明煩悩に覆われて、一瞬といえども平常心を保つことができず、ただ迷い続けるのみである。

と教えておられます。ところが、その一方『教行信証』では「南無阿弥陀仏」の称名念仏をたたえて 
 念仏の行者は、迷いの根源である無明煩悩の一切はすでによく破られて、仏果に至る功徳のすべてがこの行者の身に満ち満ちている。
 と、述べておられます。私たちは、たとえどのような真実信心を得たとしても、この世に生を受けている限り、どこまでも迷いに満ちた凡夫であることに変わりはありません。そうすると、親鸞聖人の言葉には明らかな矛盾がみられることになります。
 『一念多念文意』では「凡夫には死ぬ瞬間まで無明は何一つ消えずに残る」と述べられる一方で、『教行信証』では「念仏を称えているその時に無明は完全に破られている」と明言しておられるからです。さて、この矛盾とも思える表現をどのように理解すればよいのでしょうか。
 『教行信証』は、次のような言葉で始まっています。

 煩悩におおわれた愚かな凡夫は、自らの力でいかに努力したとしても、無限に広がる大海原を流転するのみで、絶対にこの暗黒の大海を渡り切ることはできない。迷いの根源である無明の闇を、その根本から断ち切り、私を光り輝く悟りの世界に至らしめる力は、ただ阿弥陀仏の本願力のみである。まさに阿弥陀仏の大悲の願船が、この私をして難度海を渡らせてくださるのであり、大悲の光明が、私の無明の闇の一切を破るのである。この仏教の根本原理、浄土真宗の真理が、いまようやく私の全人格を揺さぶって、私自身に明らかになったのである。
 親鸞聖人は、自らの心に開かれた浄土真宗の真理とは、この身がいかに無明の闇に包まれていたとしても、阿弥陀仏の本願力、智慧の光明が無明の一切を破るのであり、現に無明を破っている阿弥陀仏の智慧のすがたが、自身がいま称えている「南無阿弥陀仏」の名号であるのだと明かしておられます。
 では、いったい何が親鸞聖人にこのような真理を信知せしめたのでしょうか。親鸞聖人は、阿弥陀仏の大悲心である真実の信楽が、私の内より名号と呼応し、自身の無明を根本的に破って真実の証果に至らしめたのだと理解されます。
 そうだとすると、浄土真宗という仏道を歩む私たちにとって留意すべきことは、自分自身を覆っている無明を自らの力で取り除こうと努力することではなく、煩悩に縛られている限りどれほど懸命に仏道修行に勤しんだとしても、臨終の瞬間まで自らの力によっては、決して無明を破ることはできないという真理を知ることであり、同時に、だからこそ無限に迷い続けなければならないこの愚かなる凡夫を救うために、阿弥仏の大悲は、現に念仏そのものの中で躍動しているという真理を知ることだと言えます。
 このことを『正信偈』には、

 釈尊の説かれる阿弥陀仏の大悲の教えを

よく聞信することのできた念仏者の心は

 すでに無明の闇は完全に破られている

 ただし、智慧の光明が念仏者の無明を

あかあかと照らし輝かせているにもかかわらず

 念仏者の心から涌き出る貪愛瞋憎の雲霧は

 如来より廻向された真実の信心を

 幾重にも覆い被せている

 けれどもこの念仏者の心は

 常に智慧の光明によって

 照らされていることを信知しているから

 この心はもはや闇ではない

と、示しておられます。このことから、真実信心の念仏者の心は、どのように深い無明の闇に覆われていたとしても、すでに阿弥陀仏の智慧の光明によってその無明は破られているのであり、したがって、たとえどのような人生が待ち受けていても、流転輪廻の道は完全に閉ざされ、ただひたすら悟りの仏果への道を真一文字に進んでいくことになるのだと言えます。
 これまでみてきたことから、「無明」とは私たち凡夫の迷いの根源であり、ただ阿弥陀仏の智慧の光明によってのみ破られることが明らかになりました。ただし、凡夫がこの阿弥陀仏の本願の真実を自らの全人格的な場で真に信じるということがなければ、どれほど一心に念仏を称えたとしても、やはり無明はどこまでも残ることになります。なぜなら、仏の光明によって私自身の無明がすでに破られているにも関わらず、その真実を私が未だ真に知り得ていないのですから、私の心はやはり無明で満たされることになるからです。
 最後に、私たちは煩悩を消し去って悟りに至るのではありません。すべての煩悩を抱えたままで、阿弥陀仏の本願に救われていくのです。この真理が明らかになる時、私は無明の中にありつつ、しかも私における無明は完全に破られていることになるのです。

 10月:流転 人は得意なもので迷う
 「循環彷徨(じゅんかんほうこう)」という言葉があります。辞書には、「循環」とは「経路をくりかえしめぐること」、「彷徨」とは「あてもなくさまようこと」と説明されています。
 何も目印のないところ、例えば砂漠とか雪原などのような場所で、自分の感覚だけを頼りにして歩いて行くと、200m進むと必ず5m横にずれてしまうのだそうです。そのため、自分ではひたすら真っ直ぐに進んでいるつもりでいても、進めば進むほど横にずれて行ってしまうので、ついには大きな円を描いて出発した地点に戻ってしまうのだそうです。
 そして、どれだけ歩いても、同じところをぐるぐる回ってさまようことになり、結局最後には力つきてしまったりすることがあるそうです。これを「循環彷徨」というのだそうです。
 この「循環彷徨」で興味深いのは、ずれる場合、利き腕の方向にずれてしまうということです。右利きの人は右の方向に、左利きの人は左の方向にずれてしまうのです。それは言い換えると、得意な方にずれるということです。私たちは、苦手なことに対しては慎重になったり警戒したりするものですが、得意なことにはあまり注意を払うことはしないものです。そのため、苦手なことよりも、むしろ得意なことによって迷ってしまうのだといえます。
 そうすると、私たちは生活の中に、常に自分の歩みを正してくれる「目印」を持たなければ、人生の最期にその全体を振り返った時、どれほど懸命に生きたとしても、「結局はぐるぐると堂々巡りをしていただけだったな」と、ため息をつくことになりかねません。
 では、人生において「目印」を持つというのは、いったいどのようなことなのでしょうか。善導大師は、「お経に説かれる教えは、私の姿を映し出す鏡のようなものだ」と述べておられます。なぜなら、仏さまの教えとは、どこかの誰かのことを語っているのではなく、この私のことを明らかにする教えだからです。
 そう言われても、私たちは誰よりも自分が自身のことは一番よく知っていると思っています。ですから、仏さまの教えを聞くこともなく、自分の思いだけを頼りにすることで、十分に生きて行くことができると思っています。けれども、実は自分のことをよく分からないままに突き進み、得意な方向にずれながら、その事実に気づくこともなく、流れ転がるように迷いの世界をさまよい続けています。これを仏教では、「流転」といいます。
 蝉は、夏を代表・象徴する生き物ですが、もし蝉が私たちと会話ができるとして、蝉に「今、何という季節か分かりますか」と尋ねると、蝉は「分かりません」と答えるに違いないと言われます。それは「四季を知る者のみが、今季節は夏だとか秋だか答えることができる」からで、夏しか知らない蝉は、夏を夏だとは知り得ないが故に「分かりません」と答えるに違いないと言われるのです。
 そうすると、「迷いの中にしかない者は、自分が迷っていることに気づくことができない」ということになります。だからこそ、私は今日まで流転を繰り返してここに至っているのですが、だからこそ真実に目覚められた仏陀(お釈迦さま)の語りかけに耳を傾ける必要があるのだと言えます。
 では、人生において「目印」を持てば…、言い換えると仏さまの教えを鏡として生きようとすれば、毎日の生活の中での悩みや苦しみが全て消えたり、抱えている問題に直接的な答えが与えられるのかというと、残念ながらそのようなことはありません。確かに、生活の中での苦しみや悩み、さまざまな問題を何とか解決しようとすることはとても大切なことです。けれども、人間として生きている限り、悩みや苦しみが消えることはありませんし、問題も次から次に起きて来るのが私たちの人生そのものです。言い換えると、生きるということは、いろいろな苦悩や問題を抱えることにほかならないなのです。
 そうすると、私たちが仏さまの教えを聞くことには、どのような意義があるのでしょうか。お経は「スートラ」というのが原語ですが、これは「縦糸」という意味です。織物を折る時には、縦の糸がきちんと張られていないと美しい模様にはならないそうです。そうすると、生活の中で仏さまの教えに耳を傾けるということは、人生に縦糸を張るということだと思います。
 一方、日々の生活におけるさまざま出来事や経験は横糸です。縦糸がきちんと張られていれば、嬉しいことや楽しいことは言うまでもなく、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともそこに全部織り込まれて行きます。もちろん、嬉しいことや楽しいことはたくさんあって欲しい一方、できれば辛いことや悲しいことなど無いにこしたことはありません。
 けれども、「人間には悲しみを通さないと見えてこない世界かある」とも言われます。悲しみをくぐった後、今まで「当たり前」と思っていたことが「そうではなかった」ことを知ったり、見落としていたことに気づいたりすることもあります。このような意味で、仏さまの教えを鏡にして生きようとすることによって、私たちは人生のどんな問題においてもそれを投げ出さずに受け止めていける、勇気や情熱をたまわることができるのだと言えます。
 9月:眼を開けば どこにでも教えはある
 お釈迦さまは、覚りをひらき、仏陀として人々に教えを伝えるようになられてからも、常に問うこころ、問い続けるこころを尊び大切にされました。それは、迷ったり悩んだりする人々の心を受け止め、その迷いや悩みにどこまでも寄り添って行かれたということです。そして、その人自身が真実に目覚め、真実に出遇っていくことを強く願われました。
 私たちは、自分が生涯をかけて問い続けるべきことは何かということについて、深く考えたことがあるでしょうか。日々の生活に追われていると、そのようなことを考えることは、なかなかできなかったりします。けれども、ふと立ち止まり、自らにそのことを問い、やがてそれを見出したとき、私の生涯は確かな生き方と方向性を持つことができるのだといえます。そして、生涯をかけて問わなければならない問いがはっきりとし、その問いを問い続けていくことのできる道を見出すことができれば、人はどのような状況にあったとしても、常に生きる勇気を持ち続けることができるのだと思います。
 ところが、ともすれば私たちは問いよりも既にできあがっている答えをかき集めて知識を増やすこと、言うなれば「学答する」ことをあたかも学ぶことであるかのように錯覚しています。けれども、もともと学ぶということは、「学問する」という言い方からも分かるように、「問いを学ぶ」ことなのです。人間として本当に問うべき問いとは何か、あるいは自分が本当に問わなければならない問いとは何か。その問いを見出し、その問いと共に歩むことが「学問」の本質なのです。
 しかしながら、一般に私たちは答えを持っていない者を愚か者だとみなし、そのためあれこれと勉強をして、少しでも多くの答えを身に付けて賢くなることに努めていたりします。ところが、実はあらゆるものについて答えを持っているというところに、人間としての愚かさがあるのです。なぜなら、答えを持つとき、しばしば人は本当にその事実には出遇っていないにもかかわらず、あらゆる事柄を既に「分かりきったこと」にし、勝手に決めつけてしまっている答えを判断の基準にして、まわりのすべてを無責任に判定したり評価したりしているからです。
 そのため、確かに多くの知識を身に付けることはできたかもしれませんが、しかしそのことによって、反対に人間として身に付けるべき智慧を失ってしまうあり方に陥りがちです。それを蓮如上人は、
 それ、八万の法藏をしるというも、後世をしらざるを愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを智者とすといえり。しかれば、当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたるというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。
 と、指摘しておられます。
 あらゆる経典を学んでいても、それを知識の対象とするばかりで、自分の一生の根本問題について無自覚な者を愚者といい、たとえ一文字さえ知らない者であっても、人間としてその生を尽くし死にきっていける智慧を身に付けているならば、その人をこそ智慧あるものと呼ぶことができるのだと教えておられます。
 お釈迦さまが、問うこころ、問い続けるこころを尊び大切にされたということは、一人ひとりの人間の生死の事実を何よりも深く受け止めていかれたということです。私たちのこのいのちは、誰にも代わってもらうことのできない生活の現実をかかえて生きています。そのため、どんなに辛くても悲しくても、その事実を全身で受け止めていくほかはありません。
 そのことをお釈迦さまは見通され、人間の愚かさや悲しさを一切の偏見なしに受け止めと行かれました。だからこそ、お釈迦さまの弟子たちはみな、お釈迦さまのもとにあって、その教えの言葉に耳を傾けているうちに、自分のありのままの姿がそのまま受け止められていくことを感じ、さらに自分の問うべき問いを見出して行ったのです。そして、その問いと共に生きて行く中に、この身のままで輝いていくことのできる世界があることを証して行たったのだと思われます。問うべき問いを求めようとするとき、眼を開けばどこにでも教えへの扉は開かれているのです。
 8月:争いの種は 私の心から生まれる

 「善人ばかりの家庭では、争いがたえない」という言葉があります。一見すると、これは「善人」ではなく「悪人」の間違いなのでは…、と首をかしげてしまうのですが、やはりこれは「善人」です。
 なぜ、「善人ばかりの家庭では、争いがたえない」のでしょうか。ここで、私たちは日頃の生活の中で、自身をどの立場に置いているか考えてみたいと思います。おそらく、誰もが自分を「善人」の側に置き、「善き者」ととらえているのではないでしょうか。時に謙遜して、「私は悪人です」とか「愚かものです」などと口にする人がいたとしても、その人も誰かに面と向かって痛罵されたりすると、やはり我を忘れて怒りを露にすることになるのではないかと思われます。
 では、どうして正しいものばかりが集まっているはずの社会で、常に争いが起きてしまうのでしょうか。それは、私たちの一人ひとりが、善悪を判断する物差しを自身の内に持っているからに他なりません。確かに、私は自分に許しても他人は許せない事柄がありますし、この人には許してもあいつにだけは許したくない事柄もあったりします。そうすると、いつも自分では「善いことしている」と思っていても、それはどこまでも「自分にとって都合の」ということを前提にした「善いこと」をしているだけに過ぎません。言い換えると、自分だけのいわゆる「独善」に酔っているだけのことなのです。そのため、自分を善人と信じて疑わないものの集まっている家庭においては、争いがたえないのも当然のことだといえます。
 このように自分を「善き者」と思っている一人ひとりが家庭を構成していると、自分を善人と信じて疑わない者の集まりであるが故に、他を無意識のうちに傷つけたり貶めたりして常に争うことになるのです。そして、そのような善人の集まりの輪が広がっていくと、民族や国家間の争いが起きてしまうことになるのだといえます。
 このような意味で、「争い」とは、その内実においては、善と善とりぶつかりあいだと言うことができます。そのことを具体的に教えられたのが、保育園での次のようなできごとです。
 ある日、子どもたちが自由遊びをしていたときのことです。
 保育士が子どもたちに「もうおやつの時間だから、片付けをして手を洗っておいで」と声をかけました。すると、ブロック遊びをしていた子が、組み立てていた大きなブロックの片付けを始めました。ブロック遊びをした時は、組み立てたプロックはバラバラにして箱に片づけることになっているからです。
 その時、ブロック遊びをしていた子の近くで絵本を読んでいた子が、本棚に絵本を返した後、ブロックを片付けている子に向かって「手伝おうか」と言いました。
 ところが、申し出を受けた子は「これは私が遊んだんだから、私が片付ける」と答えました。日頃から、自分で遊んだものは責任を持って片づけるよう教えられていたからです。
 それに対して、手伝いを申し出た子は、日頃から「お手伝いをすることはよいことだ」と教えられていることもあり、「二人でした方が早く済むよ」と言って、ブロックに手を伸ばしました。 
 すると、ブロックにさわろうとした途端、ブロックを片付けていた子が「やめて!」と言って、その子の手をたたきました。
 端からは、どう解釈しても二人がケンカをしているようにしか見えないのですが、一人は自分の責任を全うするために、全部を自らの力によって片付けようとする子。もう一人は、片付けを手伝おうとする子。どちらも間違ってはいないし「善い子」なのですが、互いに自らの善を主張するあまり、そこに争いが生じてしまったという訳です。
 ともすれば、私たちは「争い」というのは。「善と悪」、あるいは「悪と悪」とが引き起こしているかのように思っているフシがありますが、少なくとも争っている当事者同士は自らの正しさを信じて疑わないが故に、争っているのだといえます。
 例えば、日常誰かと言い争いをしている場面を想定した場合、言い争う中で自分が間違っていることに気付いたときはどのように対処するでしょうか。素直に謝るか、うやむやにしてそれ以上争うことをやめるかのどちらかだと思います。私たちは、自分が正しいと思うからこそ、その正しさを主張して争うのであり、自らの過ちに気付いたら、争うことはしません。
 親鸞聖人が「和国の教主(日本のお釈迦さま)」と讃仰される聖徳太子は、十七条の憲法において、

  我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。

と述べておられます。これは、私がいつも「聖者=正しい者」であるという訳ではない。また、相手が必ず「愚者=間違っている者」という訳でもないのだ。私も相手も共に凡夫なのであって、自己中心的な判断に陥りがちな間違った人間なのだという意味です。
 そうすると、争いの種はどこから生まれるのかと言うと、常に「自分は正しい」と錯覚し、しかもそのことになかなか気付き得ない、まさにこの私の心の中から生まれるのだと言えます。そして、そのような私の自己中心的なあり方に気付かせ省みさせてくださるのが、尊い仏さまのみ教えです。

 7月:無常  この夏もやがてあの夏になる

 お釈迦さまの時代のインドには、伝統的なバラモン教があった他、それを否定する自由な思想家が多数輩出していました。そのような中にあって仏教は、それらの思想を批判し乗り超えて行く中で新たに説かれた教えだといえます。その際、仏教徒は他の教えと仏教との根本的な違いを四つ(または三つ)の項目にまとめ、他の教えと区別する際の目印にしました。これが、「四法印(三法印)」と呼ばれる教えです。「印」とは旗印を意味し、その思想が仏教であるか否かを判断する大切な基準となりました。したがって、その教えが自らをどれほど仏教であると主張しても、四法印に照らして違う点があれば、その教えは仏教とは認められないことになります。
 仏教と他の教えとを分かつ「四法印」とは、「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」「涅槃寂静」で、「三法印」という場合には「一切皆苦」が省略されます。
 この「四法印」の第一番目に置かれているのが、「諸行無常」です。「諸行」とは、すべての現象のことです。また、「無常」とはこの世のすべての現象は、たとえば神の意志といったような一切を超えた何ものかによって支配されたり動かされたりしているのではなく、種々の原因や条件(縁)によって形作られているのであり、常に消滅変化していくのであって、何ものも永遠不変ではありえないということを明らかにしています。
 この仏教の「無常」の思想を見事に説き明かしているのが、よく知られている「いろは歌」です。

 いろはにほへと ちりぬるを (色は匂へど散りぬるを)
  わかよたれそ つねならむ (我が世たれぞ常ならむ)
  うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日超えて)
  あさきゆめみし ゑいもせす (浅き夢見じ酔ひもせず)

 この七五調四句からなる今様形式の歌は、近代まで文字を習う時の手習い歌として長らく用いられてきました。その意味は、
 花はどんなに美しく咲いたとしても、やがていつかは必ず散っていくものです
 この世において、たとえ栄華を誇ったとしても、それがいつまでも永遠に続くことはありません。
 有為転変(この世のすべての存在や現象は、さまざまな原因や条件によって常に移り変わるものであり 少しの間もとどまっていないこと)の迷いの世界を、今日、超えることによって
 浅はかな夢を見ることもなく、迷いの根源である無明の酔いに、もはや迷うということもありません
 というもので、「すべては移り変わり永遠なるものはない」ことを、みごとに説いています。ちなみに、この「いろは歌」は、『涅槃経』の中の「無常偈」として知られている

  諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽

の意味を説いたものだといわれています。「無常偈」は、「羅刹と雪山童子」の物語として、お釈迦さまの過去世の物語、いわゆる本生説話として伝えられています。それはどのような物語かというと、
 昔、雪山(ヒマラヤ)に雪山童子と呼ばれる求道者がいました。童子は、すべての人びとを救うために、自分を犠牲にして顧みることなく、あらゆる苦行に励んでいました。帝釈天は、そのような童子の真摯な求道の姿を見て、その決意のほどを試すために、恐ろしい羅刹(鬼)に姿を変えて、童子の前に姿を現しました。そして、過去世の仏説かれた偈文の前半
   諸行は無常なり、是れ生滅の法なり(この世の一切は無常であって、すべては一瞬としてとどまることなく流れている。生あれば必ず滅がある。これが一切の法を貫く真理である)

と唱えました。
 雪山童子は、これを聞いて大いに喜び、この教えこそが長らく自分が求めてきた真理だと覚りました。そこで、童子は羅刹に偈文の後半を教えてほしいと懇願します。ところが、人の血と肉を食べて生きる羅刹は「自分は今、空腹で心を乱しているので、願いを聞くことはできない」と拒絶します。それに対して童子は、「私の肉体をあなたに捧げますから、どうか続きを教えてください」といい、合掌して跪きました。
 羅刹は童子の決意が揺るぎないことを知り、
   生滅を滅し已りて 寂滅を楽と為す(生にも滅にも惑わされない縁起の法を知り、生滅を滅しさることによって、心の迷いの一切が破れ、永遠に迷うことのない完全なる寂滅を楽しむことができる)
と、後半の偈文を説きました。そして、羅刹は約束通り、童子の肉体を求めました。童子は、自らのいのち引き換えに獲得したこの偈文を人びとに伝えるため、周辺の石や壁、道や樹木に書き留め、約束を果たすために高い木に登って地上へと身を投げました。
 ここで羅刹は、帝釈天の姿に戻り、空中で童子の身体を受け止めて地上に置いた。
 という物語です。この雪山童子こそ、後のお釈迦さまだと経典には記されています。真実の教えに出会うことが、いかに難しく希有なことであるかを知らされる物語です。
早いもので、気がつけば今年ももう後半に入りました。日々の暮らしに追われるように生きていると、あっという間に一日が、一週間が、一月が、一年が過ぎていくように感じられます。だから、この夏もいつのまにかあっと言う間に過ぎ去って、やがて「あの夏」になってしまいます。でも、この夏は、私の人生においては、二度とやってこない夏です。すべてものが移り変わって行くからこそ、一度きりのこの夏を、そして今を大切に生きたいものです。
 6月:御同朋 裁かない 比べない 見捨てない

「聖人は御同朋・御同行とこそかしずきて仰せられけり」
 これは、今日の本願寺教団の礎を築き、「中興の祖」と仰がれる本願寺第八世・蓮如上人が、親鸞聖人の言行の中から学びとられた大切なこととして『御文章』の一帖目第一通において挙げておられることです。
 この言葉は、「親鸞聖人はご門徒の方々に対して御同朋御同行と、おつかえしているかのように丁寧におっしゃいましたと」いう意味ですが、「同朋」というのは一般には仲間とか友人という意味で、仏教教団においては師を同じくし、師の教えを共に聞き、その教えを生活の拠りどころとして生きる人のことを言います。また「同行」というのは、一般には連れ立っていくことで、仏教教団においては、心を同じくしてともに仏道を修める人ひどを言います。したがって、同朋・同行いずれも、どの仏教教団でも使われることがある言葉です。
 ところが、親鸞聖人は共に「御」の字をつけて、「御同朋・御同行」とおっしゃっておられます。日頃、御恩とか御縁という言葉を口にすることがありますが、この場合、ただ縁とか恩とかでなく、そこに「御」の一字を冠して語る時の感情には、それが向けられる相手から頂いた、何らかの深い実感が込められているように窺えます。そうすると、親鸞聖人は「御同朋・御同行」という言葉で、いったいどのようなことを頷いておられたのでしょうか。

 実は、冒頭述べた『御文章』の中で、蓮如上人はもう一つ大切なことを挙げておられます。それは、

 「親鸞は弟子一人も持たずそうろう」
 という言葉です。これは『歎異抄』によっても伝えられているので、よく知られている言葉ですが、親鸞聖人は漠然とおっしゃったのではありません。明確に「わが弟子・ひとの弟子」という争いに対して述べられたものだからです。
 私たちの日常の社会は、しばしばお互いの主張がぶつかり合って争いが生じます。それが大きくなったのが国家間の争いということになりますが、これに対して念仏の教えのもとに集う人びとになったということは、あれこれ言い争いながら生きる日々のあり方から解放されて、同じ道を歩む仲間同士の集まりを生きることになったということです。ところが、そこでまた「わが弟子ひとの弟子」という、本来あり得ない争論が起きていることに対して、その過ちを深く悲しまれる中からおっしゃったのがこの言葉です。
 本来、念仏者の集まりとは、本当に信頼し合っている仲間が集い、心から安らぐことのできる場所であるはずです。ところが、そうであるはずの念仏者の集まりにおいて、いつの間にか誰の弟子かということが声高に問われるようになりました。
 その時、親鸞聖人は自らをその場において自身に問いかけたとき、「弟子一人も持たず」という言葉を、言い争っている人びとに対してだけでなく、自らに対しても言わずにはおれなかったのだと思います。なぜかというと、ともすれば私たちは教えを聞き続ける内に、やはり「わがはからいにて人に念仏を申させる」といったような思いが、無意識のうちにわき起こってくるからです。
 おそらく、親鸞聖人ご自身も、自分の思いを超えて、たくさんの同朋の方がたが周囲に集まってくださればくださるほど、気がつけばいつの間に人びとの師匠になってしまっていることに気づかれたのだと思われます。その気付きが、はっきりと「親鸞聖人は弟子一人も持たず」という、自らの立場を再確認する言葉になって示されたのだといえます。
 このような意味で、親鸞聖人という方は、生涯にわたって、自分が師匠になることとの内なる戦いをしておられたのではないかと思われます。なぜなら、自らを師匠として位置付けてしまった時、教えから離れていってしまうのだということを自覚しておられたからで、常にそのことを見失うまいとしておられたように窺えます。
 さらに、「弟子一人も持たず」という言葉の根底には、「弟子一人も持てず」という自覚と、弟子を一人も持つ必要がない世界が明らかになっていたのではないかと思われます。それはどのような世界かというと、『歎異抄』に「ひとへに弥陀の御もよおしにあづかりて念仏もうしそうろうひと」と語られるように、阿弥陀仏の願いのはたらきによって、必ず仏となるべき身に定まった人びとと共に生きていくという世界です。
 そうすると、親鸞聖人が共に念仏の教えに生きる人びとを「御」の字をつけて「御同朋・御同行」と呼びかけられたのは、自分の周囲に集う人びとのことを「この方がたは、阿弥陀仏の本願のはたらきによって、必ず仏となっていかれる」未来仏として心の中で拝んでおられたからだと思われます。蓮如上人が「かしづきて」と言い表されたのも、おそらくそのような親鸞聖人のお心をくみとられたからに相違ありません。 私たちは、自らを「正しい行いをしている」と位置付けた時には、しばしば思いに添わない仲間を、裁いたり、比べたり、見捨てたりすることがあります。親鸞聖人が、人の師となることを常に自省し、「弟子一人も持たず」とおっしゃったことと、念仏の仲間に「御同朋・御同行」と敬意を込めて語りかけられたことの意味を味わうと共に、そのような生き方を求め続けたいと思います。

5月:仏縁 無数のいのちにつながれし
 私たちは、それぞれ「人」として生まれ「人」としてこの社会を生きていますが、そのあり方は「人間」という言葉で言い表されるように、常にまわりの人とつながりを持ち、何かしら関わり合いながら生きています。しかも、それは今に始まったことではなく、それこそ人類の歴史のはじめから今日に至るまでといっても過言ではなく、いつの時にあっても人はお互いにつながりを求め合いながら生きてきました。
 ところが、そのように常につながりを求める一方で、人はしばしば互いに分裂したり対立したりして、争い合うことを今日まで延々と繰り返してきました。おそらく、一人一人と面と向かい合って尋ねれば、誰もが「いつの時も喜びや悲しみを共にしながら、みんなとつながって生き合いたい」と答えるに違いないと思うのですが、人間全体の営みは多くの場合「平和」よりも「戦争」という悲惨なあり方に陥ってきました。
 これを踏まえてドイツの哲学者のカントは、「平和というのは非常時だ」と述べています。その大半が戦争を知らない世代で構成されている日本人にとって、「戦争こそ非常時だ」と言われると素直にうなずくことができると思われるのですが、今日のような「平和」な状態が「非常時だ」と言われても、容易には理解し難いのではないでしょうか。
 けれども、カントによれば、戦争状態は非常時ではなく、むしろ平和であることの方が非常時、つまり「常に非ざる時」だというのです。確かに、歴史を繙けば、いつの時代にあっても人類はひたすら戦争に明け暮れてきたというほかありません。
 20世紀は「戦争の世紀」と言われ、第一次世界大戦1914 - 1918)と第二次世界大戦1939 - 1945)と呼ばれる2つの世界大戦が勃発しました。それまでの戦争の多くは局地的なものでしたが、この2つの戦争は「世界大戦」と形容されるように、戦場は広範囲にわたり、多くの国々を巻き込んで甚大な被害をもたらしました。2つの大戦の後は「このような悲惨な戦争を繰り返さないための枠組み」として、第一次世界大戦後は国際連盟、第二次世界大戦後は国際連合が組織されましたが、その活動目的の一つである国際平和の維持は理想を実現できないばかりか、困難を極めているといっても過言ではありません。
 第二次世界大戦後の世界には、アメリカ合衆国ソビエト連邦の2つの超大国が並び立ち、その直接対決による第三次世界大戦勃発の可能性が危惧されていました。しかし、2つの超大国は核兵器によって武装していたため、もし戦争を始めれば核戦争による世界の終焉を招きかねないことから、世界の各地で代理戦争を行うようになりました。そのことがまた、世界の各地で戦火が消えないことの原因となったと言えます。
 大国間同士の冷戦による緊張状態が続いた後、
1991ソ連が崩壊したため第三次世界大戦勃発の危機は回避されることになったと思われました。ところが、冷戦終結後に噴出したボスニア紛争コソボ紛争等の民族問題や、アルカイダやイスラム国などに見られるイスラム原理主義の出現、中華人民共和国の急速な軍拡(中国脅威論)、ソ連の後継国家であるロシア連邦の大国への復活志向とアメリカとの対立(新冷戦)、イラン朝鮮民主主義人民共和国の核開発問題、シリア内戦、中東和平問題など、国際情勢はむしろ混沌とした様相を呈しています。
 冒頭述べたように、人は周りの人とつながることによって、初めて人間として生きていくということが始まります。それは裏返していうと、人間はつながりをなくし「孤独」になるとき、人間でなくなってしまうということです。「孤独」とは、詳細にいうと「孤」は孤立ということ、「独」は独居ということで、周囲に人がいても、誰にも理解されていない、誰からも眼を向けてもらえていないということです。
 今ここで言う「人間でなくなる」とは、自分というものが本当に空しくなり、自分自身の生き方を見失ってしまうということです。私たちは、生きて行く中で、縁にふれ折りにふれいろいろなことに出会います。嬉しいことや楽しいこともあれば、予期しない形で辛いことや苦しいこと、悲しいことがふりかかってきたりします。そのような時に、周りの人と本当に喜び分かち合ったり、悲しみを共にしたりすることができれば、決して自分自身を見失うことなく、いのちの事実を本当に生きることができるのだと思います。
 まさに、「無数のいのちとつながり合って生きてこそ人間」です。その一方、そのことを見失う時に、人は悲惨な戦争という過ちを犯してしまうのだといえます。 
 仏縁…、仏さまのみ教えを聞く機会を頂くとき、私たちは無数のいのちとのつながれていることに目覚め、その事実を積極的に生きることができるのではないでしょうか。
4月:あたりまえのことができる仕合わせ
 
「必要なものは地味に見える」と言われます。例えば、毎日食べているご飯の色が、赤・黄・青・緑・ピンク・オレンジなどで色鮮やかに彩られていたとしたらどうでしょうか。一回くらいなら良いかもしれませんが、毎日となるとすぐに飽きたり嫌になったりするかもしれません。シンプルな白だからこそ、何十年でも食べ続けることができるような気がします。また、水は透明ですし、空気は目に見えもしません。
 目には見えませんが、空気がなければ私たちはすぐに息が絶えてしまいますし、自然災害などの報道を見ていると、被災された人たちが断水したことによる不便さを口にしておられる光景をしばしば目にします。けれども、日頃私たちは息をしながら空気に恩を感じることもなければ、朝起きた時に顔を洗いながら水に感謝の言葉を口にすることもありません。
 それは、きっと空気や水があるのは「当たり前」と思っているからではないでしょうか。特に意識しなくても、息ができることも蛇口から水が出ることも「当たり前」と思っているので、有り難いと感じることはないのだと思います。ところが、災害などによって水の供給が止まると途端に困り果て、初めて水の有り難さに気付いたりします。このように、必要不可欠なものほど日頃は目立たなかったり地味に見えたりするのですが、それが当たり前でなくなった時にようやくその価値や大切さに気が付くことができるものです。
 このような「気付き」は、自身が老いることによっても体験します。お釈迦さまは、「この世は苦に満ち満ちている」と説いておられます。「苦」とは「自分の思い通りにならない」ということですが、その一つに「老」があります。「老」とは、若い頃は「若さが失われ年をとること…」と、漠然と思っていたのですが、それなりに年を重ねてくると、「あ~、こういうことか」と思ったりするようになりました。
 それは「当たり前であったことが当たり前ではなくなる」という体験を通してです。例えば、腕時計を見る時、以前は目から15㎝くらいの距離で見ていたのですが、年を重ねるにつれて次第に距離が遠くなり、今では若い頃よりさらに10㎝くらい離さないと見辛くなってきました。あるいは、眼鏡をかけているのですが、小さい文字は眼鏡を外した方が見やすくなったりするなど、いわゆる「老眼」になって初めて、それまで当たり前と思っていたことが「当たり前ではなかった」ということに気付いたりしました。
 また、若い頃は少しくらい無理をしても、一晩寝れば翌朝は元気よく目が覚めたものですが、最近はなかなかそのような訳にはいかなくなりましたし、聴覚の方も子どもの頃に聴こえていた高い音域は20歳代半ばから聴こえなくなってしまっているのだそうです。
 時折「今朝、目が覚めた時、嬉しかったですか」と尋ねると、「今日は何か良いことのある日ですか」と問い返されることがあります。なぜ、私たちは毎朝目が覚めた時に「生きてる~!」と歓喜の叫び声をあげないのでしょうか。それは、朝目が覚めることを「当たり前」と思っているからにほかなりません。
 けれども、私たちは生まれた以上、結果としていつか必ず死ぬのですが、死の縁は無量で、病気・事故・災害、それらの縁を上手くくぐり抜けても老衰で死にます。ところが、その死をいつどういう形で迎えるのか予測不能です。にもかかわらず、私たちは日頃自らの「死」に関心を寄せることなく、あたかも自分だけは死なないかのような錯覚に陥っていたりします。
 そのような私たちですが、年を重ねることによって、若い頃は特に意識もしなかったことが少しずつ思い通りにならなくなることによって、それが「当たり前ではなかった」ということに気がつく。そのような体験を繰り返す中で、実は朝目が覚めることも、決して当たり前ではないことに思いが至るようになるのかもしれません。
 このような意味で、私たちは亡き方がたの仏事を縁として、繰り返し仏さまのみ教えに耳を傾けることによって初めて、「南無阿弥陀仏」とお念仏を口にすることも決して当たり前のことではなく、いかに尊く仕合わせなことかに気付くことができるのだと思います。
 3月:問いのない人生は空しい
 親鸞聖人の著された書物には経典の言葉や七高僧の書かれた文章が引用されていますが、その際、親鸞聖人はしばしば「読み替えをしておられます。それは、経典に書かれている内容や高僧方の所説を単に結論としてそのまま並べられるのではなく、それらの言葉に全身をあげて問いかけられ、自らが聞き取られた内容を言葉の「読み替え」を通して明らかになさったということです。
 そうすると、親鸞聖人の教えを聞こうとする人もまた、そこに自らの人生そのものを問う心を持つ必要があるのではないかと思われます。ところが、私たちはともすれば、自らの問いを持たないままに、既にある「答え」として経典や親鸞聖人の言葉を受け入れ、そこで満足してしまうということがあったりします。そうなると、自らを教えに問うということはなくなってしまいます。
 けれども、教えに何も問うことのないまま自分の握りしめた答えを後生大事に保ち続けるということは、教えに座り込んでしまうあり方にほかなりません。そして、そのように問い持つことのないまま、ただいたずらに親鸞聖人を讃嘆するというあり方に終始することに満足してしまうと、それはいつしか親鸞聖人を悪魔の位置に置いてしてしまうことにも繋がりかねません。仏教における悪魔とは「仏道者としての歩みを根底から失わせるはたらき」のことです。人は問いを持たないあり方に陥ると、姿は仏道者としての歩みをしているかのように見えても、その内実においては自分の得た一つの答えに固執して、その答えから一歩も踏み出そうとすることがなくなります。そのため、人生の事実からの問いかけに耳を塞ぎ、その事実から何も聞き取ろうとしないあり方に終始してしまうのです。

 近年、世界を震撼させている「ISIL( イラクシリアを中心にテロリズム活動などを行うイスラム過激派組織/自称を訳すと「イスラム国」)のメンバーは、歴史上、最も残虐な手法によるテロを展開しているとされますが、彼らがテロを行う際、「神は偉大なり!」と叫んでいたことが報じられています。さて、彼らが讃えている神とは、いったいどのような神なのでしょうか。イスラム教は一神教ですから、神とは唯一絶対の存在で、改めて言うまでもなく、人びとを救う立場にあるはずです。したがって、その「神」が無差別に人びとを殺した犯人を天国に迎え入れることがあるとは到底思えません。もし、無差別テロを犯した者を、善きことを成した者として天国に迎え入れる神がいるとすれば、それは無惨に殺された人たちにしてみれば悪魔以外の何者でもないと思われます。冷静になって問えば、人としてどのような生き方をすべきか自ずと分かるはずですが、独善的な自身の考えに固執し、問いを持たないあり方が、唯一絶対の神を多くの人びとにとって悪魔の位置に置いてしまうことになっているのだと言えます。
 では、問いの心を持って教えに自らを問うというのはどのようなあり方なのでしょうか。善導大師の著された『往生礼讃』の中に「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」という有名な言葉があります。これは
 自ら信じ人に教えて信じさせることは難しい中にもとりわけ難しい。仏の大悲(大慈悲心)を伝えて普く導くことが真の仏恩に報いることになる。
 という意味です。布教の場では「自信教人信」という冒頭の5文字がよく用いられ、自らが聞いたことを他の人びとに伝えることの意義が語られたりするのですが、親鸞聖人はこの中の「大悲普化」の箇所を「大悲普化」と読み替えておられます。
 私たちは、冒頭の5文字に感銘を受け、「自らの信じるところを他の人に教え信ぜしめなくては」と考えるのですが、親鸞聖人は凡夫である私たちにとって、そのようなことは不可能だと見られます。そこで、私が仏の大悲を伝えるのではなく、仏の大悲が私の上にはたらき、私の口を通して人びとに念仏の徳が弘まっていくのだと理解されます。それは、自身の愚かさを深く自覚しておられたが故に、私が大悲を伝えるのではなく、「大悲が私を通して弘まっていくのだ」と読みかえざるを得なかったからだと思われます。
 このことを深く自覚しておられことは、
 この親鸞は一人の弟子もありません。なぜなら、私が教えて人びとに念仏を称えさせているのであれば、私の弟子といえるかもしれません。けれども、ひたすらなる阿弥陀さまのはからいや導きによって念仏のご縁に遇われた人びとを、「私の弟子」などと申すことは、大変思い上がったことです。
 と『歎異抄』に伝えられる言葉からも、十分に窺い知ることができます。
 また、天親菩薩は、『浄土論』の冒頭で
  世尊(お釈迦さま)よ、私は一心に尽十方無碍光如来に帰命して安楽国に生まれたいと願います
 と述べておられます。「尽十方無碍光如来」とは、南無阿弥陀仏のことですが、天親菩薩は、単にお釈迦さまが「阿弥陀仏(尽十方無碍光如来)」の教えを説かれたから「南無(帰命)」されたのではありません。「自らが本当に帰依することのできる真実とは何か」を問い、求められた結果、それは「限りない命と限りない光の仏」であることを尋ね当てられた帰依されたのです。その真実こそが「尽十方無碍」なる「光如来」である南無阿弥陀仏であったというわけです。
 私たちは、誰もが日々の生活を精一杯生きています。ですから、「毎日よくお務めですね」とか、「よく頑張っておられますね」などと言われると、「はい!」と笑顔で答えますが、そのあとに「でも、人間だからいつか死んでしまいますよね」と言われると、その後にはなかなか言葉が続きません。確かに、私たちは生まれた以上、いつかは必ず死んでしまいます。そうすると、なぜ私は今こんなに頑張っているのでしょうか。どれほど財産を築いても、どれほど地位や名誉を高めても、それによって死から逃れられるということはありません。では、私はいったい何のために日々頑張って生きているのでしょうか。その問いに最期の時まで答えられなかったら、「空しかった」の一言で、人生の全てが砕け散ってしまうかもしれません。
 私たちが、人として問うべき問いに出会うとき、その問いを正面から受け止め、そこに私が人として生まれたいのちの理由に大いなる頷きを与え、そこから力強く勇気を生み出す教えこそ、親鸞聖人が明らかになさったお念仏のみ教えです。
 あなたは、「人生の問い」を持っていますか。また、そのような「問い」そのものを求めていますか。「問いのない人生は無ない」ものです。私が問うべき問いとは何か、お考えいただけたら…と思います。
 2月:平等心 違いを認め合う心
 『正信偈』の中に「邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)」という言葉があります。「邪見」とは自己中心でどこまでも自己に固執するあり方のこと。「憍慢」とは、おごりたかぶって他を見下し身勝手な振る舞いをするあり方のことです。
 私たちは、ものを見たり考えたりする場合、いつも自己中心的であり、その輪を広げても家族が中心であり、自分の生まれた国が中心であり、最大限広げてもせいぜい人間中心までです。私たちは、自己中心、人間中心に生きて行こうとすることによって、ついにはこの世界を人間にとって都合の良い世界に変えてしまいました。しかし、それと同時に他のいのちにとっては生きにくい世界にしてしまいました。具体的には、多くの自然環境が破壊され無数の生き物が絶滅しました。当初は、人間中心のあり方は人間にとって都合の良い世界になったのですが、他のいのちにとって住みにくい世界は、実は人間にとっても決してこのましい世界ではないということが次第に明かになってきました。その一つが、年々深刻化している地球の温暖化の問題です。そのことに対処するため、温暖化の原因となる二酸化炭素排出量の削減について各国が話し合う機会を持つのですが、それぞれが自国の利益に固執するため、排出量削減の目標を達成するのは極めて厳しい状況にあります。まさに、邪見の心が自分だけではなく、いま世界を危うくしてしまっているといえます。
 また、日々の生活において、私たちはいつも無意識のうちに自分と他人とを比較して、その人より上だと優越感に浸り、その人より下だと劣等感に悩まされたりすることがあります。一般に、優越感と劣等感とは相反する感情だと思われているのですが、実はどちらも同じ心のありようなのです。私たちは、いつでも自分が他に対して上でありたいものです。もし「本当にかなわないな」と素直に頷くことができれば、劣等感にさいなまれることもありません。ところが、自分が下だと認めたくないにもかからず下になっているため、劣等感に悩まされてしまうのです。このような劣等感と優越感の根底にあるのが、同じ憍慢の心です。
 この「邪見憍慢」の心のままに生きる時、私たちは日々様々な事実に出会っても、その事実に学ぶこともなく、互いに頷き合って生きるということもないままに、予め自分が持っている物差しでものごとを受け止め、ものごとを考えるというあり方を繰り返してしまうことになるのです。私たちは、いろいろなことに対して、事実をあるがままに見ているつもりになっているのですが、よくよく考えてみると、いつ身につけたのか分からないような先入観や固定観念によってものごとを見て理解したつもりになり、自分の物差しによって評価を下してしまっているのです。
 そのため、私たちはともすれば何かにつけて全部を決めつけてレッテルを貼り、それで分かったつもりになってしまうことが少ながらずあります。たとえば、「近頃の若い人は…」とか、「○○人は」などと、十把一絡げにして、具体的には一人一人と真向かいになって、一人一人を見つめ、一人一人の心を静かに聞こうとすることもなく、自分の思いだけで外側からレッテルを貼って決めつけてしまうのです。それは、相手を理解するより判定することを優先し、問うことよりも答えることを大切にしているあり方です。
 以前、ある大学が外国から留学してくる人たちのために寄宿舎を建てる計画を発表したところ、地元の人たちが反対運動をされるということがありました。そして、どうしても建てるというのなら、寄宿舎の周りに塀を建てたり、夜はその塀をライトで照らしたりするなど8カ条の条件を大学に申し入れをされました。その理由は「日本人なら信用できるが、外国人は信用できない。住民とのトラブルが予想される」ということでした。けれども、その地元の方がたは「信用できない」という外国の人と、誰一人会ったことがある訳ではありませんでした。むしろ会っていないからこそ、「外国人は信用できない」というレッテルを貼ってしまわれたのだと思われます。
  世界を見渡すと、民族が違う、宗教が違う、思想が違うなどといった「自分との違い」によって多くの対立や争いがあります。融和か分断へという方向に流れつつある感じですが、その根底にはまさに「邪見憍慢」の心が渦巻いててるように思われます。邪見憍慢が生み出す悲惨な対立・奏覧・分断を克服するために必要なのは、何よりも「違いを認め合う心」平等心なのではないでしょうか。
1月:願われて 阿弥陀の光を生きる
 「阿弥陀」とは浄土真宗の本尊、南無阿弥陀仏のことです。「阿弥陀」とは、古代インド語の「アミターユス(Amitāyus」「アミターバ(Amitābha」という言葉の音を、中国でそのまま漢字に写したもので、「阿弥陀」という漢字には特に意味はありません。原意は、「ア」は否定の「無」を意味し、「ミター」は「量」を示します。したがって「アミター」は意訳すると「無量」となります。これより「阿弥陀仏」は、「無量の寿命と無量の光明」という無限の功徳を有する仏という意味であることが知られます。
 また、「願われて」とあるのは「阿弥陀仏に願われて」ということです。菩薩は、一切の衆生を救い完全なる悟りを開くために理想の願いを建てます。これを「本願」というのですが、この本願にはすべての菩薩に共通する総願と、その菩薩独自の別願とがあります。いまここで「願われて」とあるのは、「阿弥陀仏によって願われている」ということですから、阿弥陀仏の別願を指します。阿弥陀仏の別願は、四十八ありますが、その中心となるのは「浄土に生まれたいと願い、ただ念仏せよ、救う」と誓われた第十八願です。

 そうすると、「願われて 阿弥陀の光を生きる」とは、「私が願うに先立って、私を浄土に生まれさせようと願われる、阿弥陀仏の光の中を生きること」だと理解することができます。では、「阿弥陀の光を生きる」とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。
 親鸞聖人は、阿弥陀仏の徳を表す名前である「尽十方無碍光如来」を解釈される中で、「光如来とは阿弥陀仏なり」と述べておられます。これは、阿弥陀仏とは光の仏さまだということです。ただ、光の仏さまといっても、すべての中心に阿弥陀仏という存在があり、阿弥陀仏自身が光っているということではありません。灯台のように阿弥陀仏という存在があって、阿弥陀仏が周囲に光を放っているということではないのです。つまり、光のほかに阿弥陀仏という存在があるのではなく、阿弥陀仏とは光のはたらきそのものだということを明らかにしておられるのです。
 また、仏教では光を非常に重視しています。それは、光が闇を破るからです。光は瞬間的に空間の暗闇を突き破ります。そのため、その光が無限であれば、この世における一切の闇はこの光に限りなく突き破られることになります。一方、物事の道理が分からず、迷い苦悩する無智なる心を闇で象徴します。仏の智慧は、衆生の迷いを破るはたらきをすることから、光は悟りの智慧を象徴します。したがって「無量の光明」は「完全なる智慧」として理解されることになります。
 そうすると、光明としてあらわされる智慧とはどのような智慧なのでしょうか。たとえば、いま室内にいるとして、その部屋が真っ暗になったとしたらどうでしょうか。部屋の中で移動しようとする場合、私たちは手さぐりをしながら…ということになると思います。それを今度は人生という場に置き換えると、私たちの生活は「手さぐりの生活」ということになってしまいます。この手さぐりの生活とは、自分の判断、自分の体験だけを頼りにして生きていくというあり方です。その時、私たちは物の見方が一面的になってしまいます。端的には、自分の体験に固執して、物事の本質を見抜けなくなってしまうのです。
 仏典の中に、目の不自由な人たちが象の体を思い思いにさわり、象の鼻にさわった人は「象とは筒のような生き物だ」と言い、胴体にさわった人は「象とは柔らかな壁のようだ」と言い、尻尾にさわった人は「象とは紐のようなものだ」と言い争うという話が伝えられていますが、人生という大きな象の全体像が見えないと、鼻、あるいは胴、尻尾だけをさわり、その体験を絶対的な尺度にして人生を見誤ってしまう。光明としての智慧がないとき、人は必ずそのようなあり方に陥ってしまうのです。
 したがって、智慧が光明であらわされるのは、私たち一人ひとりの中にある自分の体験へ執着する心を破るはたらきがあるからです。つまり、智慧の光明は、あれも知っているとかこれも知っているということではなく、まわりがはっきり見えるということです。「人間の眼は光そのものを見ることはできないが、光に照らされて我が身を見ることはできる」といわれます。それは、手さぐりをしている自分自身の姿がはっきりと見えてくるということです。この場合、「見える」ということは、ただ漠然と眺めているということではありません。
 本当に見えたという時は、人はその事実にしたがって生かされていく身になっていきます。なぜなら、たとえそれが、今までの自分の体験を通して培ってきた価値観や考え方を根底から否定し、消し去ってしまうようなことであったとしても、それが智慧の光明に照らされることによって見えてきた確かな事実である限り、その事実を事実として正面から受け止め、生きていく勇気と情熱がわいてくるからです。
 私たちは、手さぐりの生活をしている時は、どこまでも自分の体験だけが拠りどころとなり、自分自身を拠りどころにして生きているような気がするのですが、暗闇の中で手さぐりしている時には自分自身の姿が全く見えてないように、自分自身の姿が少しも見えていないのです。
 仏教では、自分が見えてくるということを「分限の自覚」という言葉で教えています。自分の分限を知るということは、今まで自分の力だけで生きているつもりだった自分が、初めてすべての人びとのお陰で生かされていたことに気付いたということです。言い換えると、すべての恩徳、すべてのお陰というものが分かるということです。阿弥陀の光とは、何よりもまずこの私の人生を道として照らしてくださるのであり、私たちは、その光に照らされて初めて手さぐりの生活をしている自分の姿に気付くとともに、人生の全体を見通し確かな方向性を持った歩みを始めることができるようになるのだといえます。




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