法 話

-心のともしび(2016年)-

12月:いのちを恵まれ今年も除夜の鐘
 いもので、平成282016)年も、残すところあと半月ほどになりました。以前、先輩が「不思議なもので、歳を重ねていくと、年齢が30の位から40の位、40の位から50の位へと10の位が1つ上がる度に、1年の進む速さがどんどん加速していくような気がする。同じ10年でも全然違う感じだ」と言われたことがありました。その時は、「そんなものかな」と思いながら聞いていたのですが、10の位が1つ上にあがると、1年1年の過ぎる速さが加速度的に増していくような気がして、「確かに!」と実感することです。

  ところで、仏教では「どのようなものも全ては縁によって起こり縁によって変わっていく」という真理を「無我」という言葉で教えています。「我」とは「常・一・主宰」なるもののことです。「常」とは常住、永遠に変わらないということ。「一」とは単独、そのもの自身の力だけで単一に存在しているということ。「主宰」とは支配、そのもの自身で自らのあり方を決定して行くことのできる存在ということ。したがって、「我」とは常住である単独者として何かを支配するものという意味です。そこに「無」という言葉を冠している訳ですから、そのようなものは存在しないということが「無我」ということになります。

 つまり、すべてのものが変化する無常なるこの世界においては、常住なるものは存在せず、それぞれが関係し合うことによって互いが存在しているこの世界においては単独ではありえず、何もかも支配して自分の思いのままにできるものもいないということを「無我」という言葉で明らかにしている訳です。

すべては、縁によって起こり縁によって変わっていくのですが、この縁とは賜るものであって自分の意思によって決めることはできません。したがって、私たちは人生における一瞬一瞬のすべてを本当にかけがえのない時として、実は賜っているのだということが思われます。そうすると、私のいのちは次の一瞬さえ分からないという形でいまを賜って生きているのであり、その「いま生きている」という事実のほかに、私のいのちの事実はないのだということが知られます。

 にもかかわらず、私たちは自分のこのいのちは自分のものであり、決して「恵まれている」などと思うことはありません。そのため、自分が今ここにこうして生きていることの意味が本当にはっきりと頷けたり、日々「生きている」と実感できないままに一日一日を漠然と生きていたりするのです。

 本来、人間は「所在」、具体的にはそこに自分がいるという意味を求める存在です。したがって、私が今ここにこうして生きているということに明確な意味が与えられている、そういう関わりが開かれているという時に、自分の存在意義を実感することができます。そこで、「あれがほしい」とか「これをしたい」などと、自分の欲望を満足させるためにあれこれ励んだりするのです。

 その一方、所在が与えられない時や所在を見出せないままでいると、私たちは自分が生きていることの意味を見失ってしまいます。そうなると、私たちは生きている喜びも張り合いも持てないままに、ただ何となく空しく日々を過ごしていくあり方に陥っていくことになります。

 なぜ、私たちは「所在」を見出せないと、そのようなあり方に陥っていくのでしょうか。それは、私たちの中に、私の思いの満足よりももっと深い「いのちの願い」というものがあるからです。そのいのちの願いを仏教では「情願」といいます。この情願を満足させるということが、生き甲斐とか生きていることの喜びを賜るということになるのです。
 けれども、私たちは日常生活の中で、自分がそういう所在を求める存在であるということは思いもしません。日々の生活においては、「あれがほしい」「これがしたい」「こうなればいいのに」「ああなれば良いのに」という思いが、常に私を動かしています。しかし、その根っこには人間としてのいのちの願いがあるのです。そのいのちの願いというものを私たちが本当に求め尋ねていくときは、はじめて今自分がここにこうして生きていることの意味にはっきりと頷くことができるように思われます。日々、追われるように生きていると、なかなすそのことに心を寄せることは難しいものですが、一年の終わりにあたり、今年一年を振り返ると共に、いのちを恵まれながらここまで生きてきたことの有り難さに深く感謝しながらこの一年を終えたいものです。

 11月:報恩講 親鸞さまに遇えてよかった
「報恩講」とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173-1263年)の恩徳に報謝する法要のことで、浄土真宗の門信徒にとっては最も重要な年中行事だとされてきました。なお、親鸞聖人のご命日を勤める法要が「報恩講」と言われるようになったのは、親鸞聖人の33回忌にあたって、本願寺第3代覚如上人が著された『報恩講私記』に由来します。
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、毎年19日から116日までの7昼夜にわたって「御正忌報恩講」が勤修されます。全国各地の寺院では、本山・西本願寺の御正忌報恩講にお参りすることができるように、多くは11月から12月にかけて勤められます。ちょうど、今頃から来月半ばにかけてが、浄土真宗の寺院においてはいわゆる「報恩講シーズン」といった感じです。
 ところが、浄土真宗の門信徒にとって、一番大切だといわれる報恩講への参詣者数が、親鸞聖人の誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)/521日」と共に近年減少傾向にあると言われています。永代経法要、春秋の彼岸会、盂蘭盆会などは、まだある程度の参詣者があるのですが、降誕会・報恩講は参詣者の減少により、法要を勤める日を3日から2日に、2日から1日に減らす寺院が増えているようです。
 なぜ、これまで一番大切とされてきた報恩講の参詣者が減少しているのでしょうか。永代経法要や彼岸会は先祖の方々の遺徳を偲ぶ法要として、盂蘭盆会は先祖並びに自分が葬儀を営んだ亡き家族を追慕する法要として勤められるのですが、降誕会・報恩講は自分とは直接血縁のない親鸞聖人の誕生日・御命日を勤める法要であることから、人びとの関心が薄れてきているのかもしれません。それは言い換えると、宗祖である親鸞聖人への関心が薄れてきていることの表れとも理解することができます。
 ときに、宗教との正しい関わり方は、その根底に「聞く・遇う・帰依する」という3つの事柄が成立することが必須だと言われます。なぜなら、その教えがどのような教えかということは、先ず「聞く」ということがなければ知りようがないからです。私たちは、その教えを聞き正しく理解することによって、初めてその教えと真の意味で「遇う」ことができます。その後、その教えに「帰依する」かどうかは、その人次第ということになりますが、少なくとも教えを聞くということがなければ、教えと遇うことも極めて難しいと言えます。
 覚如上人が「報恩講」をお勤めになられて以降、宗勢の拡大にともない、浄土真宗の門信徒は京都のご本山(西本願寺)だけでなく、全国各地の別院や寺院、そして集落ごと、さらには個人の家でも、一番大切な法要として「報恩講」を勤めてきました。けれども、近年、個人宅や集落での報恩講は次第に勤められなくなり、寺院・別院での参詣者も減少傾向にあるということは、親鸞聖人が90年のご生涯をかけて顕かになさった、本願念仏の教えに耳を傾ける人が少なくなってきたからだと思われます。それは、真の意味でお念仏の教えに出遇っている人が少なくなったということにほかなりません。
 本願寺第8代蓮如上人は、五帖の『御文章』の一帖目第一通において、浄土真宗の教団の確かめを行っておられますが、その中で「(親鸞)聖人は御同朋御同行とこそかしずきておおせられけり」と述べておられます。「かしずく」というのは「大切に仕える」ということですから、「親鸞聖人は私たちを拝んでいてくださる」といわれるのです。つまり蓮如上人は、親鸞聖人が「御同朋・御同行」と呼びかけながら、私たちを拝んでいてくださるという事実が、浄土真宗の教団の根源的事実だと言われるのです。
 さて、私たちは自分のすがたを省みて、はたして親鸞聖人から拝まれるような生き方をしているでしょうか。どうひいき目に見ても、自己中心的な生き方を離れることはできませんし、欲望を抑えられず、時に怒り狂ったり、思い通りにならないとその責任を他に転嫁しようとしたりするなど、まさに「凡夫」そのものの生き方に終始し続けています。
 にもかかわらず、そのような私に親鸞聖人が「御同朋・御同行」と呼びかけて下さるのは、凡夫が凡夫のままで未来仏として約束されているという、そういう確かな事実を拝んでおられたからではないかと思われます。ただし、だからといって、自分は凡夫だから、やがて仏になれるのだということではありません。だいたい、仏になれるといっても、仏になるということがどういうことなのか分からなければ、何の意味もないからです。
 親鸞聖人が顕かにしてくださった本願念仏の教えとは、どんな人間であろうと、この世に誕生した限り、その一生を尽くせば仏に成れるという教えです。したがって、人間の側であれこれ考える必要もなければ、はからう必要もなく、人間にとって決定的に大切なことは「自然(じねん)のことわり」に眼を開くことだけだと説かれます。そのことは『信巻』に「無上妙果の成じ難きにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し」とはっきり述べておられます。
 これは、仏になるということは、人間の努力や思いを超えたことであり、したがって努力や思索を必要とはしない。この世に生まれてきた人間は、必ず仏に成るために生きているのであり、ただ人間にとっての課題は「無上妙果の成じ難きにあらず」ということに眼を開くことであり、その開眼を「信心」というのだと述べておられるのです。
 「報恩講」を何よりも大切にしてこられた私たちの先人たちは、このような親鸞聖人の語りかけに耳を傾けることを通して、真実の教えに出遇い、浄土を真宗として力強く生きぬいて往かれました。そして、親鸞聖人が生涯を通して「よき人」と敬慕なさった法然聖人への恩徳を「骨を砕きても謝すべし」と讃えられたように、親鸞聖人が顕かになさった念仏の教えに出遇った人びとは、同様に親鸞聖人にそのご恩を報ずべく講を結び、遺徳を讃えてきたのです。「親鸞さまに遇えてよかった」との思いから…。
 10月:人生には必要にして十分なことばかり

 私たちは、どのような生き方をしていても、成功することもあれば失敗することもあります。お釈迦さまは「この世は苦に満ち満ちている」と説かれますが、「苦」とは私の思い通りにならないということです。ところが、私たちはうまくいったことだけを評価して、うまくいかなかったことは不幸だったと切り捨てようしたり、運命だったと諦めてしまったりすることがあります。
 そのため、うまくいっている間はよいのですが、自分の思い通りにならないことに直面しそれまでのあり方に挫折してしまうと、自らの人生すべてを否定したり、後悔の中にその生を終える人もいたりします。
 それは、人生を生まれてから死ぬまでの「長さ」でとらえてしまうからではないでしょうか。人生を長さとしてしか考えることができなければ、何らかの大きな失敗や不幸なできごとに襲われたりすると、人生そのものがそこで切断されてしまったような感覚にとらわれてしまうかもしれません。
 けれども「深さ」として人生をとらえることができれば、努力をしたにもかかわらず失敗してしまったとしても、そのことを契機として、人生におけるさらに深い世界に目が開かれるということがあったりするように思われます。
 仏教で「修行」という言葉があります。これは、日々刻々に努力を重ねていくあり方そのものによって、自らの身を修めていこうとするあり方のことです。もしそういう生き方ができれば、たとえ失敗したとしても、むしろそのことによって大切なことに目が開かれたり、見えなかった世界に目を開いたりする契機となるかもしれません。
 これは、テレビ小説の中のエピソードの一つですが、ある零細企業が作っていたトースーターが、雑誌の企画で行っている商品試験で低い評価を受けたため売り上げが激減し、販売店から製品が続々と返品され困窮するということがありました。その会社の社長は、出版社に異議を申し立てに行ったのですが、大手企業に対して製品の安さで対抗しようとするあまり、消費者の利便性を考慮しない製品を世に送り出していることを指摘されました。そこで、改めて技術力で勝負することの大切さに気付き、その結果商品試験で指摘された欠点を克服したトースーターを作り出すことに成功し、多くの消費者の支持を得ることができました。
 この社長は、返品の山を目にした時、おそらく自分の今までの一切の努力は水泡に帰してしまったのではないかという、絶望の淵に追い込まれたことと思います。けれども、自分を極限状況に追い込んだその指摘事項の中に活路を見出そうとしたことで、大いなる成功を収めることができました。それは、失敗したことがただ失敗のままに終わるのではなく、失敗を通して大切なことに目を開かれたからだと言えます。
 私たちは、人生において縁にふれ折りにふれ、辛いことや悲しいことに出会うことがあります。とくに、愛する人やご縁深い人の死に直面した時には、言葉では言い表せないような深い悲しみに包まれることもあったりします。もし、人生は長さではなく深さだという生き方をすることができれば、死別の悲しみが消える訳ではありませんが、悲しいということを通して、悲しまなくてはならない人生の深さというものに目を開いていくことができるように思われます。
 それは、大切な人を失ったことが、自分を絶望の淵に追い込むのではなく、失ったことを通して、失わなくはならないように人生を生きていた自分自身に眼を開いていく道が開けてくるということです。そうすると、人生そのものを「修行」ととらえることができれば、人生の中には「空しい」ことは一つもなくなるかもしれません。なぜなら、そこにあるものはすべて必要なものであり十分なものばかりだからです。
 私たちの人生は、単なる喜びや楽しみだけが願わしいものとは限りません。喜びと楽しみだけが人生にとって有意なのではなく、悲しみがあり苦しみがあることによって、生きていくということの意味が明らかになるのです。このような意味で、人生は必要にして十分なことに満ちあふれているのだと言えます。

9月:心が変わると景色が変わる

 仏教では「迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によってつくられる」と説いています。これは、自分の中の心が自分をつくるのであり、またその一人ひとりが集まって成り立っている社会もそれぞれの心によって良くも悪くもなるということを明らかにしています。そこで、仏教では私たちに「正しい行い、正しい生活、正しい努力」をすることを教えとして説いているのです。
 この仏教の説く「縁にふれて、いろいろの心となる(心が起きる)」という教えを転じて、「物は考えよう」と受け取る人がいたりします。確かに、これはとても分かりやすい考え方なのですが、「物事は考え方次第で、どうにでも受け止められるものだ」と拡大解釈してしまうと、事実を正しく認識できない場合があったりします。
 たとえば、炎天下で「暑いと思えば暑いが、暑くないと思えば暑くない」とか、極寒の中で「寒いと思えば寒いが、寒くないと思えば寒くない」と頭の中で考えても、そのことによって決して暑さや寒さがやわらぐわけではありません。やはり、暑いとか寒いということは温度計が示す通りに認めて、その暑さや寒さをどのように受け止めるべきかという、心の受け止め方を学ぶことが大切なのです。
 また、これは気温の寒暖のみに限ったことでなく、人生における様々な出来事においても、「悲しいと思えば悲しいが、悲しくないと思えば悲しくない」とか、「苦しいと思えば苦しいが、苦しくないと思えば苦しくない」などと考えるのも間違った拡大解釈だといえます。悲しみや苦しみといった事実から目を背けようとしたり、ましてや悲しみや苦しみをごまかそうとするあり方でその場をしのごうとするのではなく、悲しかったり苦しかったりする事実を引き受けて乗り越えていくことが大切なのです。
 現代においては、季節にともなう暑さや寒さは、避暑や避寒をしたり、空調機器を用いたりすることによって、ある程度まで快適に過ごすことは可能です。けれども、縁にふれ折りにふれ予想もしない形で私たちの身に降りかかってくる人生における悲しみや苦しみは、「考え方次第で」嬉しくなったり楽しくなったりはしません。
 ともすれば、私たちは自分にとって不都合なことが起きると、その責任を他に転嫁してしまうことがしばしばありますが、仏教ではこれを「愚痴(ぐち)」といいます。一方、自身の身におきたことは、その是非を問うことなく、事実としてどこまでもその身に引き受けていく勇気を「智慧(ちえ)」といいます。
 源信僧都の『往生要集』の中に「苦といい楽といい、共に流転を出ず」という言葉があります。流転ということは言い換えると、「我を忘れる」「我を失う」ということですが、私たちは苦しい状態にあっても愚痴を言うという形で我を忘れ我を失っていたりします。それと同時に、楽しい状態にあっても、その楽しみの中に我を忘れて時間を無駄に過ごしてしまうことがあったりします。つまり、私たちは日々の暮らしにおいて、苦しくても楽しくても、それによって自分を見失ってしまう在り方に終始しているのです。
 また、苦しみというのは「自情に逼迫(ひっぱく)している状態」だといわれます。自分の感情や気持ちにとって、今の状況が胸苦しく圧迫してくる状態として受け止められる時、私たちはそれを苦しいと感じるのです。それに対して、楽しみというのは「自情に適悦な状態」だといわれます。それは、自分の感情に合致しているというあり方のことです。
 この場合、共に「自情に」ということが要点です。それは「自分にとって」ということです。決して、世の中に苦しい世界があるのではなく、事実は一つの世界を自分は苦しいものとして生きているだけのことなのです。したがって、自分が苦しいと感じている状態であっても、その同じ状態を他の人は生きがいのある楽しい世界として生きているということもあったりします。
 このように、苦といい楽といっても、そのいずれをも本当に受け止めることができなければ、苦楽ともにそれによって、自分を忘れ自分を見失ってしまうことになります。「心が変わると、景色が変わる」ということは、苦楽のいずれにあっても、そのことによって自分というものを本当に受け止め、自分というものを本当に生きていける、そういう世界を見いだしていくことによって実現するあり方だと言えます。

 
 8月:悲しみを通さないと見えてこない世界がある

 毎月、フェリーで桜島と鹿児島市を往復する機会があります。わずか15分ほどの航海ですが、観光地ということもあり、船が出航する際は、日本語に続いて英語・韓国語・中国語のアナウンスが流されます。また船上デッキに出ると、県外はもとより、国外から旅行に来て乗船しておられる方がたが、カメラやスマホを桜島に向けておられる光景をよく目にします。私にとっては長年見慣れている桜島の風景ですが、初めて目にされた方がたには、きっと私の目に映っている桜島とは違うイメージで、それぞれの感慨と共に心に刻まれていることと思われます。
 いつも見慣れている風景であるが故に、雄大な桜島を目の当たりにしても特に感慨に浸ることもなく、そこにあるのが当たり前のように思ってしまっているのですが、もし紙と筆記用具を渡されて、いきなり「桜島を描いてもらえますか」と求められると、おそらくいい加減な絵になってしまうような気がします。
 それは、日頃よく見て知っているつもりでいても強く意識しながら見てはいないために、実は少しも見えていないのではないかと思うからです。にもかかわらず、その一方自分では、見慣れているが故に、桜島のことはよく知っているつもりになっていたりもします。
 同じように、私たちは周囲の人たちに対しても、近くにいればいるほど、その人のことはよく理解していると思っています。けれども、もしかすると一方的な見方をして、単に分かったつもりになっているだけなのかもしれません。
 以前、あるご家庭の三回忌のご法事にお参りさせて頂いた時のことです。読経・法話が終わりお茶を頂いている時、自営業をなさっている施主の方が、次のようなことを話してくださいました。

 『父の仕事を引き継いで社長になってからも、時折父が仕事のことについて私に意見をすることがありました。その時は「言われなくても分かっているのに」と思いながら、いい加減な気持ちで聞いていました。父を亡くして今年でまる二年になりますが、この二年の間、仕事の上でいろいろと決断を迫られることがありました。不思議なことに、そのような時なぜか生前父が私に語ってくれていた言葉が思い出されました。そして、その言葉に背中を押されて決断をしてきました。きっと父は、私がうるさいと思っていると感じつつも、煙たがられることを承知の上で、私のために語りかけてくれていたのだと気付かされたことでした。改めて父の恩を深く感じることのできた、この二年間でした。』と。
 
大切な人が亡くなってしまわれると、今生においてその方と会うことは二度とできません。けれども、肉体的に会うことはかないませんが、死なれてみて初めて出会うことのできる世界があるということが、このお話を通して知られます。おそらく、お父さんが生きておられる間は、先に自分の中にお父さんに対する期待や要求などがあり、そこからお父さんを見ておられたことと思われます。それ故「父親ならこうしてくれて当然ではないか」というような思いがあり、しかし現実にはなかなかそうならないことから、腹を立てたり、文句を言ったりされたことがあったかもしれません。したがって、そのようなあり方においては、少しでもお父さんの心を見ようすることはなかったかもしれません。
 考えてみますと、日頃私たちは親なら親に対して、あるいは夫や妻、兄弟・姉妹、子どもに対しても、一緒に暮らしておりながら、いつも自分の身勝手な要求ばかりを相手に押しつけて、泣いたり、笑ったりしているような気がします。それは、本当の意味では、少しも家族一人ひとりと真の意味では出会ってはいないということです。
 ところが、家族の誰かに死なれたときは、もう私の身勝手な要求をその亡くなった方に押しつけることはできなくなりなります。そうなってみて初めて、親なら親に対して「あの時の父の気持ちはこうだったのか。あの時、父はこういうことを考えていたのか」ということに頷くことができるのだと思います。

 死別の悲しみをくぐって初めて、お父さんが生きておられる間はなかなか気付くことのできなかった自分を思いやる心に気付くことができたというお話を伺いながら、私たちには、確かに悲しみを通さないと見えてこない世界があるのだということを教えて頂いたことです。

7月:手を合わせたら ケンカはできない

私たちの手は握れば拳(こぶし)になりますが、開けば握手もできますし、拍手もできます。そして、何よりも手を合わせれば拝むことができます。つまり、私たちの手は、使い方によって争いをすることもできれば、仲よくしたり敬意を表したりすることもできるのです。

ところで、私たちは人と人の間を生きる存在であることから「人間」と形容されるように、他の人と共にこの社会で生きています。したがって、他の人と争うより仲良くする方が良いことは誰もが知っています。にもかかわらず、なぜ私たちはしばしば他の人と争ってしまうのでしょうか。

 「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」という言葉があります。一見すると、これは善人ではなく悪人の間違いではありませんかと問いたくなりますが、やはり善人です。それは、私たちが日頃、誰かと争っている時のことを振り返るとよく分かります。

例えば、誰かと言い争っている場合、私たちは自分が正しいと思うが故に、自らの考えを主張しているのですが、その途中で「もしかすると、自分の方が間違ってるかもしれない」ということに気付いたとしたらどうでしょうか。過ちを認めて謝罪するか、うやむやにするかのどちらかで、おそらくそのまま争い続けることはしないと思います。

 保育園でこんなことがありました。園児が保育室で自由遊びをしていると、保育士が「そろそろおやつの時間だから、みんな遊んでいるものを片づけて、手を洗ってきてね!」と声かけしました。これを聞いて、プロック遊びをしていた子は、それまで作っていたものをバラバラにして収納箱に戻し始めました。すると隣で絵本を読んでいた別の園児が、本を棚に戻すとプロックを片づけている園児に「手伝おうか?」と声をかけました。ところが、声をかけられた園児は日頃保育士から「自分で遊んだものは自分で最後まできちんと片づけるように」と言われているので、「これは私が遊んだのだから、自分で片づける」と言って申し出を断りました。これに対して手伝いを申し出た園児は、日頃から当番活動に喜びを感じていることもあり、「二人でした方が早く済むよ」と言って、プロックにさわろうとしました。その瞬間、ブロックで遊んでいた子が、「やめて!」と言って差し出された手をはらいのけました。

 その光景を見た保育士は、それまでの経過を十分に把握していなかったこともあり、二人が争っているように見えました。そこで「ケンカしたらダメだよ!」と声をかけました。一人は、最後まで責任を持って片づけようとしている子。もう一人は、片づけを手伝おうとする子。「善人」「悪人」で分けると、二人とも良い子(善人)です。けれども、お互い自らの善を主張し合うことで、第三者(保育士)の目にはケンカをしている悪い子(悪人)に映ってしまったという訳です。

 私たちは、漠然と自らの中に「正しい私」というものがいて、その「正しい私」が世の中のさまざまなことを見て、考えてよく判断した上で、正しい何か言い、正しい何かを行っていると信じています。そうすると、常に私の言動は周囲の人びとから「正しい」という評価を受けるはずなのですが、必ずしもそうとばかりは言い得ません。なぜなら、私の判断の材料は、今日まで経験してきたこと、知識として身に付けてきたこと、それだけに過ぎないからです。言い換えると、知っていること以外は何も知らないのにも、あたかも自分の知っていることがこの世界のすべてで、自分は何でも分かっていると錯覚しているのです。そのために、自分だけは間違っていないという思いに立ち、自らの正しさを主張し合うため「争い」が生じることになるのです。
けれども、「自分だけが正しい」と握りしめた拳を開き、自ら合わせたり、あるいはお互い似合わせると、そこに生じるのき敬いや支え合う心なのではないでしょうか。

6月:迷信をうちくだくものは仏の智慧である
 現代はどのような時代かというと、「科学の時代」と言い表すことができます。では、その科学の対極にあるのは何かというと「迷信」です。明治以降の日本人が受けている教育は、事実のみに基づいて論証を進めようとする科学的なものの見方・考え方を基本に置いています。そうすると、今の日本人の誰もがそのようなあり方の教育を受けているのですから、当然「現代の社会から迷信は跡形もなく消え去った」と言えそうなものですが、依然として迷信は私たちの生活の中に根強く残っています。

浄土真宗の教えの特色として先ず挙げられるのが、迷信的な要素を持たないということです。浄土真宗のご門徒は、世間一般の人びとが日や方角の吉凶などによって決め事をしているのに対して、一切気にしない生活を営んでいたことから、「門徒物忌み知らず」という言葉で表現されてきました。

浄土真宗の教えを顕かにされた親鸞聖人が生きられたのは、平安時代の末期(1173)から鎌倉時代の中期(1263)です。この時代には、現代の私たちが持っているような科学的な知識はまだなく、したがってなぜ地震が起きたり台風が襲来したりするのかといったことや、大気・水・土壌・動物(人も含む)などに存在する病原性の微生物が人の体内に侵入することで感染症が引き起こされることも、雲の下の方に集まったマイナスの電気と地表に集まったプラスの電気とが中和しようとして電気が飛んでいくことによって落雷が発生するというメカニズムについても分かりませんでした。

そのため、人びとはそれらの現象が起きると「天変地異」と理解し、ただただおののくと共に平穏なる世の中であれかしと神仏に祈りを捧げる以外に手立てはなく、常に見えざるものに対する空間への畏れにさいなまれていました。そのような人びとにとっては、日の吉凶や方角の善し悪しに注意を払うことは、むしろ当然の営みであり、現代の私たちが迷信と考えていることが実は当時の科学であったと考えられます。

ところが、そのような時代環境の中にありながら、親鸞聖人は現代の私たちが有している科学的な知識がなかったにもかかわらず、迷信的なことに陥ることは一切ありませんでした。一方、科学の時代を生きているにもかかわらず、私たちは依然として様々な迷信に振り回されています。それは、いったいなぜなのでしょうか。

現代は「知識基盤社会」と位置付けられています。そして、その社会を生き抜くための力として、次の3つが求められています。1つめは、国際的視野を持つこと。政治・経済など、これまで存在した国家・地域など一地域だけでなく、縦割りの境界を超え地球全体でものを見ることが求められています。2つめは、情報を収集・分析する力を持つこと。世界は、従来の情報処理ソフトでは処理が困難なほど巨大で複雑な情報に満ちあふれています。そこで、それらの情報を収集・取捨選択・保管・検索・解析・可視化する能力が求められています。3つめは、国際的視野を持ち、収集・分析した情報を使いこなす技術力を持つこと。どれほど多くの情報を収集・分析しても、それを現実の社会で活用できなければ何も意味がありません。したがって、現代の社会においては、これら3つの力を身に付けることが求められているという訳です。

 そして、これら3つの力を兼ね備えた人びとによって私たちの国は牽引されているのですが、では私たちは常に現状に満足し、未来への希望に満ちあふれているかというと、そうとは言えません。それは、これら3つの力は過去の情報に基づき、その通りに現実が動いている時には無類の強さを発揮することが可能なのですが、それ故に決定的な弱点も持っているのです。それは何かというと「知らないことに弱い」のです。

東日本大震災が発生した後、しばしば耳にしたのは「想定外」という言葉でした。東北地方は過去に何度か津波の被害を受けたことがあり、その情報に基づいて対策も施されていしまた。ところが、あのときに襲来した津波は、過去の情報を超絶する想定外の規模でした。そのため、甚大な被害が生じたといわれます。私たちは過去の経験に基づき、そのための対応を怠ることのないよう努めているのですが、経験したことのないような事態に直面すると、そのことの前に人間の無力さを思い知らされることになります。

 そうすると、私たちにとって、極めて想定し難いものとはいったい何でしょうか。それは、私の人生ものです。「一寸先は闇」という言葉がありますが、一分一秒後でさえ、どうなるか分からないのが私の人生です。しかも、何かが起きた時、お釈迦さまが「代わるものあることなし」と説かれるように、私の人生は私以外に生きる者はないのですから、そのすべてを私が引き受けていくことになります。そのため、私たちは常に時間と空間への畏れを感じながら「悪いことがおきませんように」と願い、一年の禍福を占い、日の吉凶や方角の善し悪しなどに頼る生活に終始してしまうことにならざるを得ないのです。これが、私たちが迷信に惑う根源的な理由だと言えます。 

 人生は、しばしば旅をすることにたとえられます。そうすると、誰もがそれなりに人生の旅路を歩いておられる訳ですが、ふと「あなたの旅路は、どこに向かっておられますか」と問われて、もし返答できなければ、それは放浪の旅ということになります。放浪とは、帰る家のない不安な旅です。実は、人生においても「いのちの帰する世界を持たない」と、病気をしたり不都合なことに直面したりする度に、不安の影が落ちてくることになります。そのため、人はいつの時代にあっても、あとどれだけ生きられるか分からないという「時間」と、このいのちが終わったらどこへいくのか分からないという「空間」の二つの畏れによって、迷信に惑うことになるのです。

 一方、親鸞聖人は現代の私たちが有している科学的な知識は持っておられませんでしたが、「念仏せよ、必ず浄土に迎えとって仏にせしめる」という阿弥陀如来の願いの声に深く頷いておられた、言い換えると、いのちの帰する世界を確かに見いだしておられたが故に、時間・空間への畏れを抱くことなく、往生浄土の人生を自由自在に生き抜いていかれたのだと言えます。そのため、迷信から全く自由であったのです。このような意味で、迷信を打ち砕くのは、科学ではなく仏智慧だということが明らかに知られます。

5月:ありのままの私を受けてとめてくださる阿弥陀さま

私たちは、時々見栄をはることがあります。しかも、それは意識してのことではなく、どちらといえば無意識の内に…という場合が多い気がします。どうして、私たちは思わず見栄をはってしまうのでしょうか。「見栄(みえ)」というのは、辞書には「うわべを飾る。外観を繕う」と説明されています。そうすると、私たちがつい見栄をはってしまうのは、きっと「自分の本当の姿を他人に見られたくない」と思うからかもしれません。では、「他人に見られたくない自分の本当の姿」とは、いったいどのような姿なのでしょうか。人は、誰もが心の奥に「理想の自分の姿」を思い描いているのですが、現実の自分の姿に目を向けると、残念ながら自分の姿は決して理想通りではありません。

そのため、つい「理想通りではない今の自分は、本当の自分の姿ではない」という思いが、無意識の内に自分のうわべを飾らせたり、外見を繕わせたりしてしまうのではないでしょうか。でも、そんな飾ったり繕ったりした自分は、本当の自分でないことは、誰よりも自分自身が一番よく知っています。そのため、見栄をはると、余計に飾ったり繕ったりしたものの重さが肩にのしかかり、肩がこったりするのです。だから、先ずは「見栄」をはることなどやめにして、率直に自分を見つめ、そこに明らかになった姿が、たとえどんなに愚かで情けなかったとしても、あるがままの自分を認め、受け入れるようにしたいものです。

親鸞聖人は、九歳から二十九歳までの二十年間、比叡山において命懸けで学問・修行に励まれました。その結果おっしゃったのは「地獄こそが私の終の住処である」という言葉です。普通、それだけのご苦労なさったら「そろそろ悟りを開けるかもしれない…」といわれたとしても不思議ではありません。ところが、口にされたのは、自分の行く先は地獄しかないという言葉です。なぜ、そのようなことを言われたのでしょうか。

例えば、光のない場所では、自分の手が汚れていても分かりません。ところが、光に照らされると、手の汚れを知ることができます。「人間の眼は光を見ることはできないが、光に照らされて我が身を見ることはできる」と言われます。私たちの迷いにくもった眼では、仏さまのおすがたを見ることはできませんが、仏さまの智慧の光に照らされて、我が身を見ることはできます。そして、そこにあらわになった自身の姿を見ることを通して、今自身が仏さまの智慧の光に照らされていることを知ることができます。この事実を『正信偈』には「われまたかの摂取の中にあれども、煩悩眼をさえて見たてまつらずといえども、大悲ものうきことなくて常に我が身を照らしたもう」と述べられています
親鸞聖人は、阿弥陀如来の教えを通して、どれほど学問・修行に励んでも、死ぬ瞬間まで自身の力では迷いを消しさることはできない我が身の愚かさに気付かれました。それと同時に、そのように愚かな私であればこそ、決して見捨てることなく、流転の迷いのいのちを断ち切って、真実の世界(浄土)に生ぜしめ、必ず悟りを開かせずにはおかないと阿弥陀如来から願われている我が身の事実に深く頷かれました。だからこそ、たとえ我が身は地獄にしか往きようのない身であったとしても、悠々とその事実を生き尽くしていかれたのだと思います。それは、いつでもどこでも、私の称える「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」の念仏の声となって、常に我が身に寄り添い、ありのままの私を受けて止めくださる阿弥陀さまを感じておられたからだと言えます。

4月:出会いも縁 別れも縁

 縁」はまた「縁起」といいます。一般に私たちがこの言葉を口にするのは「「縁起がよい」とか「縁起が悪い」というように「ものごとの起こるきざし、前兆」などについて語るときで、このような考えに基づく「縁起直し」とか「縁起物」といった風俗習慣も見られます。

けれども、「縁起」とはそのような善悪の予兆を物語る言葉ではありません。本来、お釈迦さまが目覚められた真理のことで、「縁起」とは「因縁生起」=「因っておこること」を意味します。そこで「苦しみは、なんらかの直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」と説かれることになります。

また、「縁起」には、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼることによって、苦しみの根本的な原因、これを仏教では「無明(根本煩悩)」といいますが、それをさぐり当て、消し去ることによって苦しみを解消することを目指す実践的行為へと繋げていきます。

縁起の思想は、仏教の根本教義であることからいろいろな解釈がなされていますが、基本的には「これあればかれあり。これ生ずればかれ生ず。これなければかれなし。これ滅すればかれ滅す」(『雑阿含経』)と説かれていることから、「この世に存在しているものは、何一つとして単独であるものはなく、みんな持ちつ持たれつの関係性の中で、すべてが存在している」と理解することができます。

そうしますと、私たちが見たり体験したりしているこの世界のすべての出来事には、必ず諸々の原因と条件が重なり合って成り立っていることが知られます。ともすれば、私たちは不慮の事故に遭った時や、突然の災難に見舞われた時など、それが不意に起こった不条理なことと受け止めてしまいます。けれども、実はその事柄には必ず原因があり、様々な条件が重なりあっているのです。

この場合、私たちはそれが自分にとって不都合で受け入れがたい出来事であったりすると、その原因をしばしば他に求めて責任を転嫁してしまいます。これを仏教で「愚癡(ぐち)」といいます。たり、承知できなくてもその現実を受け入れざるを得ないと、運命という言葉で諦めようとしたりします。一方、この現に

私の身に起きている事実をごまかすことなく直視し、あるがままに実の如く見ることを「縁起を見る」といい、またそのように見ることができるあり方を「智慧(智慧)」を得るといいます。仏教が目指しているのは、まさにこの「智慧」を得るということにほかなりません。

この世の中は、鴨長明が『方丈記』(現代語訳)で

川の流れは途絶えることはなく、しかもそこを流れる水は同じもとの水ではない。川のよどみに浮かんでいる泡は、消えたり新しくできたりと、川にそのままの状態で長くとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所も、また同じようなものである。
 玉を敷いたように美しくりっぱな都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている。身分の高い者も低い者も、人の住まいというものは時が進んでもなくなるというわけではないが、これは本当だろうかと思って調べてみると、昔から存在している家というのは珍しい。あるいは、去年の火事で焼けてしまい今年作った家もあれば、大きな家だったのがわかれて小さい家になっているものもある。そこに住む人も同じである。場所は変わらずに住む人は多いが、昔会った人は、2030人の中にわずか1人2人程度である。朝に死ぬ者があれば、夕方に生まれる者がいるという世の中のさだめは、ちょうど水の泡に似ている。
 私にはわからない。生まれ死にゆく人は、どこからやってきてどこに去っていくのだろうか。また、(生きている間の)仮住まいを、誰のために心を悩まして、何のために目を喜ばせようとする(そのために飾る)のかということも、またわからない。

家の主と家とが、無常を争っている様子は、言うならば、アサガオと、その葉についている露と同じようなものである。露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても朝日がさすころには枯れてしまうが。あるいは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。消えないとは言っても夕方になるまで消えないとうことはない。

と著しているように、すべてが変化し何一つ頼るものはありません。そのような世界において、今私がここにこうしてあるという事実は、多くのいのちによって支えられてあるということです。

出会いには喜びが、別れには悲しみがともなうことがありますが、その根底には必ず原因があり、多くの条件の重なり合いがあります。私たちは、それらを実のごとくに見ることができないため、煩い悩んだりします。だからこそ、いろいろな機会を通して仏法に耳を傾けることが大切なのだと思います。

3月:花が咲く いのち尽くして花が咲く

この世の中には、多くの生きとし生けるものが存在しています。そして、この世に生を受けているすべての生き物が、その生を終える瞬間まで、まさに「いのちを尽くして」生きています。ですから、どんな生き物も、自ら「死にたい」と思ったりする生き物は一つもないといえます。
 例えば、連日雨が降らず日照りが続いたとしても、だからといって「もう枯れてしまいたい」と思う草木はありません。結果としては、残念ながら枯れてしまったとしても、最後の一瞬まで「枯れたい」と思うことなどないのです。このように、すべての「いのち」の根底には、平等に「生き尽くす」ということがあります。
 ただし、人間だけは例外です。人間は、自分の人生が思い通りにならなかったり、現在の境遇が苦しくて絶え難いと感じたりすると「死にたい」と考えたり実際に死んだりすることがあります。人間が他の生きものと決定的に違うのは、漠然とではあっても、自らが「死ぬ」ということを知っており、そのため「死にたい」とか「死にたくない」といったことを考えたり、自分の「生き方」についてあれこれ悩んだり苦しんだりするということです。
 この世は「無常」です。生まれたものは必ず死にますし、今、栄えているものも、やがていつか必ず滅びるときがきます。とはいえ、これは自然の道理ですから、仏教徒であってもなくても、すべての人が素直に受け入れることができます。すべてのものごとには、始めがあれば必ず終わりがあるのです。ただし、その終わりが今まさにここにあるということを教えるのが、仏教の説く「無常の理(ことわり)」です。
 本願寺第八世・蓮如上人は、お手紙(『御文章』・「白骨章」)の中で「私たち人間のいのちは、露のしずくのはかなさと同じように、今日とも明日とも知り得ないもので、たとえ朝には元気であっても、無常の風が吹けば、夕べには白骨となる身である(意訳)」と、教えておられます。
 そうすると、私たちの人生はいったいどうあるべきなのでしょうか。この世における人生の全体、始めから終わりまで、その一切が「まぼろしのようなものである」とすれば、人によっては「だったら、何をしても空しいのだから、今を勝手気ままに楽しく生きれば良いではないか」などと思ってしまうかもしれません。
 けれども、蓮如上人が教えておられるのは、その全く逆であって、私たちのいのちはかないものだからこそ、人は今の生に生きがいを見出さなければならないということなのです。
 では、なぜ私たちは勝手気ままに生きようとしてはならないのでしょうか。それは、私たちは一人で生きることができないからです。いうまでもなく、この世の中は私一人で成り立っている訳ではなく、多くの人びとによって支えられています。そういった中にあって、勝手気ままに生きることは他に迷惑をかけるばかりで、たとえ自分は楽しくても他の人と喜びを共にすることができなければ、後に残るのは空しさだけです。
 例えば、何か嬉しいことが身に起きたとしても、その喜びを語れる人がこの世の中に一人もいなかったとしたらどうでしょうか。かえって、寂しくなるのではないでしょうか。他人からすると、取るに足らないように些細な喜びであってたとしても、それを語れる人が複数いれば、喜びは語る度に倍加していくかもしれません。また、つらいことや悲しいことがあっても、黙って聞いてくれる人がいるだけで、生きる勇気がわいてくることもあります。
 花も単独で咲いているのではありません。花を育み支える大地があり、太陽の光や水など自然の恩恵によって、いのちを輝かせるかのように美しく咲いています。私たちも、決して一人きりで生きているのではありません。周囲の人びととの縁の中で、支えたり支えられたりして生きています。そういう、いのちの事実に心を寄せるところから、自らのいのちを精一杯生き尽くしていこうとするあり方が生まれてくるように思われます。

 2月:仏心 ともに悲しみ ともに喜ぶ

仏さまの徳は、しばしば智慧と慈悲という言葉であらわされます。智慧とは、私を照らしめざめさせ、心の闇を破るはたらきのこと。慈悲とは、相手の悲しみや痛みを自分の悲しみや痛みとして、すべてを救おうとする心のことです。
 この智慧と慈悲の具体的な歩みのすがたとして「方便門」いう言葉を天親菩薩が『浄土論』にあげておらるのですが、その「方便」という言葉の意義を曇鸞大師は

正直を方(ほう)という。外己(げこ)を便(べん)という。
 
正直に依るがゆえに、一切衆生を憐愍(れんみん)する心を生ず。
 
外己に依るがゆえに自身を供養し恭敬(くぎょう)する心を遠離せり。

 と、述べておられます。
 「方便」というと、一般に「嘘も方便」という言い方がされることから「便宜的な手だて」という意味に用いられることが多いのですが、曇鸞大師は方便の「方」というのは、「正直」ということだといわれます。ここでの「正直」は、嘘をつかないということではなく「偏りがない、歪みがない」ということです。註釈では、すぐに続けて「正直に依るがゆえに一切衆生を憐愍する心を生ず」とありますから、この言葉は「すべての生きとし生けるものに対して、あわれむ心に偏りがないという」という意味になります。
 「偏り」というのは、自分の想いによって、あの人は嫌な人だと憎んだり、反対にあの人はとても良い人だといわゆる依怙贔屓(えこひいき)すること、あるいはあの人は尊い人だ、卑しい人だと差別することです。そのような「偏り」のない心で人に接することを、曇鸞大師は「正直」といわれているのです。
 振り返ってみますと、私ちの他をあわれむ心(憐愍の情)は、その人の状態、具体的にはその姿によっておこしているように思われます。確かに、気の毒だな、哀れだな、かわいそうだなという憐愍の情は、その人の状態を目にすることによってわき起こってきます。もちろんそれを否定することはできませんが、そういう状態を目にすることによってのみ起こる憐愍の情であるとするならば、それは優越感と重なり合っている感情だったりします。そのため、自分より優れている人や恵まれた生活をしている人に対してわき起こってくることはありませんし、時にはあまりにも哀れで悲惨な状態を目にすると、憐愍の情ではなく嫌悪の情を起こすこともあったりします。
 そして、そのような心は、自分と関わりの深い人ほど愛情を持って大事にしようとする一方、関わりの薄い人に対しては極めて冷淡であったりします。具体的には、身内や親しい人の場合であれば見過ごしにはできないことであっても、赤の他人だと平気で見過ごしてしまえたりするのです。
 このような意味で、「正直に依るがゆえに、一切衆生を憐愍(れんみん)する心を生ず」ということは、自分と関わりの深い浅い、その人の状態の良い悪いということを超えて、人間の事実そのものに応えようとする心だと言えます。それは、人間の姿をあるがままに見るところに、この「正直」という姿があるということにほかなりません。
 しかも、この正直の心は、「外己(げこ)」のあり方によってのみありうる心だといわれます。「外己」とは、「己を外にする」ということ、つまり自分を計算の外におく心のことです。自分の好き嫌い、都合の善し悪しを全く考えず、ただひたすら人びとのためのみを思い関わるすがたが、方便の「便」なのです。
 ここでいわれる「関わる」とは、少しばかりの関係を持つということではありません。自分の好き嫌い、都合の善し悪しで選んで、結局自身が傷つかない程度の関わりを持つというような希薄な関係性ではなく、相手とすべてを共にするということです。これを本願の言葉でいうと「もし生まれずば、正覚を取らじ(もし生きとし生けるものが浄土に往生できなければ、覚りをひらかない)」という誓いの言葉と重なります。
 仏さまの心が「ともに悲しみ ともに喜ぶ」と表されるのは、まさに人生に迷い惑う私の姿を見いだされその姿を悲しまれると共に、その私を願ってくださる教えに目覚め、往生浄土の道を歩むようになった私の姿を喜んでくださるからです。そして、それは常に私に寄り添い、私とともにましますことを物語っているのだといえます。

 1月:いのち 多くの願いの結晶

  私たちは、自分がかけている願いについては、かなりよく覚えているものですが、自分にかけられているい願いについてはなかなか気付くことができないものです。だいたい、気がついたら私はこうして生まれていたのですが、その時には既に親がつけた名前で呼ばれていました。それぞれの名前には、一般に親が「このような人になってほしい」とか、あるいは「このような人生を生きてほしい」といった願いがこめられています。つまり、名付けられて、その名前を呼ばれ続けてきたということは、ずっと願われ続けてきたということです。このことから、私のいのちは、生まれた時から願いの中に生かされてきたということが知られます。
 また、自らのいのちの事実に目を向けてみると、私のいのちは、単に親によって願いがかけられているということだけではなく、多くのいのちの願いが私のいのちのただ中において、いのちをゆり動かすようによびかけてくるという事実があることに気付かされます。
 「いのちの事実」とは何かというと、生きていくために、海の大地の生きている無数のいのちを食べて生きているということです。経典には、「生きとし生けるものは、すべて自らのいのちを愛していきている」と説かれていますが、私は自分が生きていくために、直接・間接的にそのいのちを殺して、自らのいのちの糧にして生きています。榎本栄一さんに、「いのち」の中で実感している罪の身の重さ、罪悪の深さについて懺悔された

私は今日まで 

海の大地の

無数の生き物を食べてきた

私の罪の深さは底知れず

「罪悪深重」という詩がありますが、このいのちの事実に気づき、殺すことをやめれば、今度は自分のいのちを殺すことになってしまいます。一方、自分のいのちを保とうとすると、やはりこれまでのように他の尊いいのちを奪わなければなりません。
 ところで、私たちは日頃そのようなことに真摯に目を向けているかというと、実のところほとんど思いもしないというのが日常のあり方です。そのため、食事をしているとき、鮮度や美味しさを語ることはあっても、「いのちを食べている」ことについて口にすることはまずありません。海の、大地の、無数の生き物を食べなければ、生きられないのが私の「いのち」の事実だからです。
 ただし、一つ知っておかなければならないことがあります。それは、人間だけが生き物であることを考え、生き物であることの意味を問い、生き物であることの恐ろしさを実感することができるということです。確かに、人間以外の生き物も他のいのちを食べていきていますが、人間だけが、海の、大地の、無数の生き物を食べて、そのことを「私の罪の深さは底知れず」と実感することができる存在だということを自覚する必要があります。
 おそらく、この世に生を受けているどんな生き物も、自ら「死にたい」と願うことはないと思います。ただ、人間だけが時に絶望し、時に生きる勇気をなくし、「死にたい」と思ったりします。どんな生き物も「いのち」の根底には、その「いのち」を生き尽くそうとすることがあるのですが、私たちは自らが生きるために、その「いのち」を殺して、食べて、生きています。そうすると、私たちの耳には聞こえないだけで、もしかすると死んでいくすべての「いのち」は、何かを私たちに言い残しているのではないでしょうか。
 それは、自分の「いのち」を無駄死にしないような「いのち」を生きてほしいということではないかと思います。親鸞聖人は、人間にとっての一番の不幸を「空過」という言葉で示されます。これは「一生が空しく過ぎてしまう」ということですが、私たちは誰もが自分の人生を精一杯いきています。ですから「日々、本当によく努めておられますね」と、評価される言葉をかけられると、「はい!」と笑顔で応えます。けれども、続いて「でも、最後は死んでしまいますよね~」と言われると、その後にはもう言葉が続かなくなってしまいます。「こんなに頑張っているのに、“最後は死んでしまうよといわれたら、いったい私は何のために頑張っているんだろう」と落ち込まざるを得ませんし、その問いに答えが出せないまま人生が終わるとしたら、どれほど懸命に生きてたとしても、最後は「空しく過ぎてしまった」という言葉に、すべてが砕け散ってしまうことになります。これを「空過」と言われるのですが、無数のいのちの願いに耳を傾けることもなく、また応えることもできなかったとしたら、やはり「空過」することになるのだと思います。
 このような意味で、私の「いのち」は、決して私一人のものではなく、まさに多くの「いのち」の願いの結晶なのだと言えます。そして、この事実に目覚めるとき、私は自身が生きるという事実の中に、私にかけられた無数の願いを成就するという大きな使命が与えられているのであり、これが人間としての生を受け、人間として生きていくことの意義なのだと頷くことができるように思われます




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