法 話

-心のともしび(2012年)-

12月:生死無常のまま 年暮れる

「濃淡・美醜・寒暑・善悪・黒白・大小・智愚・明暗・緩急・方円・遅速…」といった言葉があります。このような表現の仕方は日本語独特のもので、英語など他の言語には見られないそうです。日本人には「対立するものを互いに取り込むと」いう考え方があり、互いが溶け合う微妙な味わいを大切にしているからこそ、このような言葉が生まれたのだと考えられます。

 こうした言葉の中で、もっとも意味深い言葉が「生死(しょうじ)」です。和語風に言えば「生き死に」ということになりますが、いわゆる「日本人の法則」に従えば、生と死をはっきりと切り離すのではなく、生から死へ、死から生への連続的なつながりを考え、生と死との間にはっきりとした断絶を考えない言葉のはずです。ところが、現代の私たちにおいてあるのは生か死かのどちらかであって、「生死」というように生と死をひとつにしてとらえるという理解の仕方は、既に失われているように思われます。

 考えてみますと、現在の私たちは生・老・病・死をすべて名詞で理解し表現していることに気付かされます。しかし、現実には「生というもの」がある訳ではなく、「生きている」という事実があるのです。そして「生きている」ということは、生きて動いているということであり、動いているということは、常に時々刻々と変化している、仏教でいうところの「無常」の中にあるということに他なりません。

 「老」ということについても、今日では「老後」という言葉が用いられています。「老後」という言葉は『広辞苑』によれば、「年老いて後。年とってのち」と定義されていますが、江戸時代には「老後」ではなく「老入(おいれ)」という和語を使っていたと言われます。「老後」というと、「年老いて後」ということで、少なからず後ろ向きの印象がありますが、「老入」というと前向きの姿勢が感じられますし、人間としてのひとつの歩みとして、「老」ということがとらえられているようにも思われます。

 また「死」ということについても、「死」という名詞で表現してしまうと、本の中の活字のように静的なものになり、まるで「死」というラベルの下に整然と納められてしまっているような感じがします。けれども、「生きている」ということが運動であれば、「死」もまた名詞ではなく、「生きる」ことの自然な帰結として「死ぬ」という、動きを表す言葉が適切であるように思われます。

 にもかかわらず、私たちの場合、やはりあくまでも「生」の面においてのみ自分というものを考えてしまっています。したがって、死は私の人生を奪い去り、私を無にしてしまうものとして実感されています。そのとき、死は私にとって全く見通しのきかない、暗黒の闇として受け止められています。そして、ことあるごとに、その闇から私を脅かす不安が込み上げてきて、私を包み込んでしまうかのように感じられます。いわば、私を呑み込んでしまう暗黒の世界として、死は私の足元に横たわっているのです。

 このような生き方においては、死は生を呑み込んでしまうものであり、生は死を恐れる生として、あいまいで不確かなものとして生きられているものでしかあり得ません。そこでは、「生死」は同じ私のいのちの事実であるにもかかわらず、全く繋がりを断ち切られ、それぞれ対立するものとしてのみ感じ取られることになります。そのような私たちの生死の在り方を、仏教では「分段生死(生と死が分段されている生死)」と言い表しています。

 お釈迦さまは、「死の自覚」を徹底されることによって、真に愛すべき生を見出し、それをひろく説き、確かな道として成就してくださいました。にもかかわらず、私たちの現実は、死を忌み嫌い、眼を背けることによって、まるで自分だけは死なない者であるかのように、今を曖昧なままに生きています。

 もちろん、頭では、自分もいつか必ず死ぬということをおぼろげながら知ってはいるのです。それでもなお、人間一般の話としてしか意識していないこともまた事実です。そのため、私たちは生にとらわれ、死を恐れ、そこに常にいろいろな不安を持ち、迷いを重ね、様々な言葉に惑わされています。そして、お札を受けたり、日の吉凶、方角の善し悪しを気にしながら生きています。

そういう迷いの根っこにあるものは何かというと、生死にとらわれる心なのです。仏教でいう「生死を離れる」ということは、生と死を二つに見分けて、生に執着し死を恐れるという心を離れるということです。

今年も残り少なくなりましたが、まさに「生死無常のままに年暮れ」て行こうとしています。今、私が出会っているお念仏の教えとは、この生活の中で、どれだけ行き詰まりを体験しても、その全てを受け止めながら生きて行ける道です。それは、「死んでも死に切れない」のではなく「今のままで死に切れる」人生を生み出して行く教えだということです。意義のある人生を深く生きる、そういう生き方をしたいものです。

11月:幸せだから感謝するのではない 感謝できることが幸せである

  何が君の幸せ 何をして喜ぶ 答えられないなんて そんなのは嫌だ♪

 これは、長きに渡って幼児に絶大な人気を誇る「アンパンマン」の主題歌のフレーズです。人間は誰もが、生まれた以上は幸せになりたいと思っている存在だと言えます。また、科学の発達はそのような人間の願いをかなえるための歴史であったとも言うことができるように思われます。

 ところで、私たちはどのような時に自分は「幸せだ」と感じるでしょうか。また、反対にどのような時に「不幸せだ」と歎くでしょうか。考えてみると、同じ状態であっても、自分より幸せに暮らしている人を見ると自身は不幸せであるように感じますし、自分より不幸せな暮らしをしている人を見ると自身は幸せであるように思えたりもします。つまり、私たちの「幸せ」は、いつも他人との比較の中で考えられ、揺れ動いているのではないでしょうか。

 仏典に「猿智慧」の話がありますが、それは次のような内容です。

  ある海岸に近い山の中に、五百匹を超える猿が住んでおり、それは鬱蒼(うっそう)と繁っ  た森の中で生活をしていた。ところがある日、太陽に輝く彼方の海をじっと眺めていると、寄  せては返す大波小波が、目もまばゆいばかりに明るさと輝きを示している。

  それをいつも見ていた猿達は、やがて自分の棲んでいるところが暗くて鬱陶(うっとう)しい 森の中であることが耐え難くなった。「あの彼方に大きくうねってくる波の山、あれは宝石を散 りばめたように美しく輝いている。おそらくあそこへ行ったならば、あの輝きにふさわしい生活 があるだろう。」こう考えて、勇気のある若い猿が自分の棲んでいる森を抜け出して、大きく輝 いている波の山の中へ飛び込んで行ってしまった。ところが、その若い猿は、飛び込んで行った きりいつまでたっても帰って来ない。

  その帰って来ないことに気が付いた他の猿達は「それ見ろ、あそこはとても美しいところだか ら、あいつはその幸せを独り占めして幸福にひたっているに違いない。だから俺達を呼びに帰っ ては来ないのだ。だいたい、あいつはもともと狡賢い奴だったから、今頃は独りで楽しい生活を しているに違いない。あいつに独り占めさせてはならない。それ急げ!」という訳で、五百匹の 猿が次から次へと波の山の中へ飛び込んで行ったが、ついに一匹も帰ってこなかった。

 この話から、私たちの幸福を求め理想を追うという心の中には、猿智慧が隠されているということを教えられるような気がします。「隣の花は赤い」とか「隣の芝生は青く見える」と言われますが、それは、私たちはいつでも他人と比べるところでしか幸せを考えていないということです。けれども、そのようなあり方においては、結局「空しかった」という言葉で、私の人生の全てが惨めに砕け散ってしまうことにならざるを得ません。

 考えてみますと、私のいのちは、私には自らが作ったという覚えもなければ、頼んだという覚えもないのですが、今ここにこうして私を生かしめています。そして、たとえ自らに絶望して「死にたい!」と思っても、胸の鼓動は「生きよ!」と力強く働いています。

 そうすると、他の誰でもなく、この私が自身のいのちを喜ぶということがなければ、本当の意味での喜びを得るということはできないのではないでしょうか。それは、自分が自分に生まれて良かった、私が私の人生を生きていくということに安んじて生きていける、誇りを持って生きて行けるという事実に出遇わなければ、本当の意味での幸せを手にすることはできないということです。

 「必要にして十分な人生」という言葉があります。私たちの人生には無駄なことなど一つもないということですが、それは嬉しいことや楽しいことだけではなく、辛いことや悲しいことも、その一つひとつが私の人生を彩ってくれていることを教えている言葉です。そして、そのような人生を生きることに目覚めた時、私たちは人生で出会うすべてのことに感謝をしながら生きていくことが出来るようになるのだと言えます。そして、ここに幸せだから感謝するのではなく、感謝できることが幸せであると思えるような人生が展開していくのだと思われます。

 10月:どんなところにも 生かされていく道はある

鹿児島には、県外から多くの観光客が来られます。また、桜島と鹿児島を結ぶフェリーの中では、日本語に続いて英語・中国語・韓国語のアナウンスが流れますので、おそらく外国からも雄大な桜島を目当てに、多くの方が観光に来ておられるのだと思われます。

私は、桜島の溶岩道路を走行している時、いつも見慣れているせいか、桜島を見ても特に感慨を覚えることはないのですが、私の車に同乗しておられる県外から来られた方は、その雄姿に感動の言葉を口にされます。一方、私も旅行や出張などで見知らぬ土地に出かけた時、初めて見るその地の建物や風景の素晴らしさに感動したりすることがあります。けれども、そこに住んでおられる方は、毎日私と同じ思いに浸っておられるかというと、おそらく私が桜島見るような感覚でいらっしゃるのではないかと想像することです。このことから、同じ光景であっても、見る人によって目に映る様は全く違う気がします。

源信僧都の『往生要集』の中に「苦といい楽といい、ともに流転を出でず」という言葉があります。流転ということは、言い換えると、自分を忘れる、自分を見失うということです。私たちは、苦しい状態あっても愚痴を言うという形で自分を失っています。それと同時に、楽しい状態にあっても、その楽しみに中に自分を忘れて、空しく日々を過ごしてしまうということがあります。そこに、苦しみといい楽しみといい、いずれにしてもそういう自分を忘れたあり方というものを出ていないのが、私たちの姿だといわれるのです。

また、苦というのは「自情に逼迫(ひっぱく)している状態」であると言われます。私の感情、気持ちにとって、今の私の状況が胸苦しく圧迫してくる、そういう状態として受け止められるという時が苦です。それに対して、楽というのは「自情に適悦」というあり方、自分の情に合致しているというあり方です。

この場合「自情に」ということが要点です。それは、苦というのは「私にとって苦しい状況」だということです。決して、世の中に苦しい世界というものがあるのではありません。事実は、ひとつの世界を私は苦しいものとして生きているということがあるだけなのです。したがって、同じような状態であっても、他の人は生きがいのある世界として生きているということもあり、また私自身にあっても、今まで苦しみしか感じなかったその世界が、今は楽しい世界だと感じられるようになるということもあります。

そうすると、同じような環境であっても、そこに大きな問題を荷なって、生きがいをもって生きている人もあれば、反対にただ愚痴ばかりをこぼして世の中を呪っている人もいたりします。このように、私の「自情」をはなれて、外側に苦しい世界とか楽しい世界が色わけされて存在しているのではありません。ただ、自らに与えられている状況を、私は自分の思いによって苦しいもの、あるいは楽しいものとして受け取り、生きている事実があるということがあるだけなのです。

このように、苦楽ともにそれによって自分を見失っていくのがこの私たちの迷いの世界です。一方、苦といい楽といい、そのいずれをもあるがままに受け止めていける世界を極楽(浄土)といいます。苦楽いずれにあっても、そのことによって、自分というものを本当に受け止め、自分というものを本当に生きていける。そういう世界を見出して行くあり方を、親鸞聖人は「浄土真宗」と教えてくださったのだと言えます。したがって、そのみ教えに生きる人は、どんなところにも生かされていく道はあるのだということを実感し、体現してくださるように思われます。

 9月:仏道 人生の事実から目をそらさない生き方

親鸞聖人は、しばしば「空過」ということを問題にしておられます。「空過」というのは、読み通り「空しく過ぎる」ということで、具体的には一生懸命生きて来たにもかかわらず、自分の人生を振り返ると、空しく過ぎてしまったと悲嘆するような在り方を意味しています。
 
親鸞聖人のご生涯については、幼少時にご両親と別れて出家なさったこと、法然聖人の門下にあったとき法難に遭われ流罪になられたこと、晩年教義上の異なりから我が子善鸞を義絶しなければならなかったことなどが断片的に伝えられています。けれども、あまり詳細な記録が残されている訳ではありません。なぜなら、親鸞聖人は自らの生涯においてご自身が何をなさったかということについて、ほとんど述べておられないからです。
 
おそらく、いつどこで、どういう家庭に生まれて、どのような生活を送り、いつ結婚し、子どもが何人いてといった、私たちが穿鑿(せんさく)したくなるような事柄は、全く語る必要のない事柄だと思っておられたのかもしれません。
 
ところで、既に挙げた断片的に伝えられている出来事は、そのどれもが大変辛く悲しいことであり、人であればみんな苦しくて逃げ出したり、泣き叫んだりしたくなるような出来事ばかりであったと言えます。それは、激動の世の中を生き抜かれた親鸞聖人にとっても、耐え難いような出来事であったと推察されます。
 
しかし、親鸞聖人はこれらのことについての心の痛みや歎きといったものを筆に染めてはおられません。それは、いったい何故なのでしょうか。おそらく、親鸞聖人にとって人生における様々な苦難は、人として生きていく限り、縁に触れ折りに触れ、予期しない形でいつやって来るかわからないものだと受け止めておられたからだと思われます。
 
確かに、人生の途上で苦難に襲われたからといって、そのことを歎いてばかりいたのでは、その人生はただ空しく過ぎていくばかりです。また、自分の人生の悲惨さを歎いたり、どれほど世の中を呪ってみても、その事実が変わる訳ではありません。
 
親鸞聖人が求められた仏道とは、人生の途上でどのような苦難に遭遇しても、その事実の全てが決して空しいものに終わらない。たとえ苦しくても悲しくても、その苦しみが本当の意味で空しいものとはならない。悲しみの中に人生の意味が見出され、苦しみの中にも無駄ではなかったといえるものが感じられる。そのような道であったように窺えます。
 
したがって、決して空しく過ぎることのない道とは何かということを求めて続けて行かれのが、親鸞聖人のご生涯であったとも言えます。
 
ともすれば、私たちは自分の思い通りにならないことが自身の上に起きると、その原因を自分の外に、あるいは過去に求めてしまいます。この場合、外に原因を求めた時には、多くは亡くなられた方々にその責任を転嫁しがちです。また、この現実を承知することは出来ないけれども、どうしても受け入れなくてはならないものとして諦めた時には「運命」という言葉を口にします。
 
これらは、いずれも自らの人生の事実から目をそらそうとするあり方だと言えます。しかし、そのような在り方に留まっていたのでは、どれだけ生きたとしても真の意味で自分の人生を生きたとは言えないのではないでしょうか。
 
人生において、単に喜びだけを望ましいものと思っている限りは、本当に安心することは出来ません。悲しみの中にも苦しみの中にも、常に自分にとってかけがえのない値打ちが見いだされてこそ、生きていることの尊さを知ることが出来るのです。
 一度限りの人生が日々空しく過ぎてしまうか、あるいは十分に生き尽くしたと言えるような輝きを放つか、それはただ人生の事実から目をそらさない生き方、つまり仏道に立てるかどうかということにかかっているように思われます。

8月:お盆 いのちの絆を思う 

 お釈迦さまのご生涯を窺いますと、大切な出来事はいつも「樹」によって彩られているような感じがします。伝記によれば、誕生されたのはカピラ城郊外のルンビニー園の無憂樹の下です。そして、悟りを開かれたのはガヤー村の菩提樹の下。亡くなられたのは、クシナガラ郊外の林の中の沙羅双樹のもとです。このように、生涯の要とも言えるところは、全て「樹」で語られています。
 
考えてみますと、樹は「いのち」を最もよく象徴しているものだと言えます。なぜなら、樹は育って行く過程において自らが育つだけでなく、そのあらゆる部分において、具体的には根においても幹においても枝葉においても、いろいろないのちを養い、あるいはいのちを住まわせています。 まさに、一本の樹という世界、その場所に多くの「いのち」が集い、共に生きることが出来ています。そうすると、たとえ一本の樹であっても、それはその世界の全体をいのちとして生きているということを象っているのが、「樹」なのだと言えます。
 
「倒木更新」という言葉を本で読んだことがあります。北海道の蝦夷松は、毎年たくさんの実を地面にまきます。そして、春になると大地から多くの芽が顔を出してきます。けれども、北海道の自然はことのほか厳しいので、大きく育っていくことが出来るのはその内のほんの少しで、大半は途中で枯れていってしまうのだそうです。
 
ところが、寿命が尽きて倒れてしまい、それから年月が経って、やがて腐食してその表皮に苔が生えているような樹の上に落ちた種は、その倒れた樹に守られて根を下ろし、樹の腐った内部のところから栄養をもらいながら育っていくのだそうです。
 
そのようにして成長した樹は、その一本の倒れた樹の長さにわたって、同じ高さで若い樹が整然と一列に並んで育っているので、誰が見てもそれだと分かるとのことです。
 
寿命が尽きて倒れて、そして大地に還っていく樹のぬくもり、樹のいろいろな力を受け取って、新しい芽が育っていく。そして、育った樹が次第に大きく育っていくと、今度はその倒木を大きく育った樹の根がしっかりと、言うならば抱き抱えるようにして伸びてゆくのだそうです。
 
ですから、どれだけ成長していっても、元に倒れていたその樹は、ずっとそこに抱えられて、共に生き続けて行くという姿をしていると言われます。
 
もしかすると、私達が生きているということも、やはり「倒木更新」と同じなのではないでしょうか。私たちは、決して自分一人の力で大きくなれた訳ではありませんし、生きて行ける訳でもありません。実にたくさんの亡くなっていかれた方々の存在やいのちに守られて、私達は今日ここまで何とか生きてきたのです。
 
にもかかわらず、私達はともすれば、まるで自分だけの力で成長を遂げたかのように錯覚していることがあったりします。そのような私達に、いのちの厳粛さと、いのちの限りない営みの長さ深さというものを、「樹」は教えくれているように思われます。
 
言うならば、いのちの世界を丸ごと生きる、いのちを自分の思いで切り取って、自分の思いのところで生きるのではなくて、いのちをいのちの世界のあらゆるつながり、あらゆる広がりのままにこの身いっぱいに頂いて生きて行く。そこに、自分を生きていくことが、一歩一歩において、私を生かしてくださっている世界や歴史に出会い直していくという歩み、すなわち「知恩」のいとなみがあるということが、窺い知られます。
 
お盆には、多くの方が、直接存じ上げている方ばかりでなく、先祖の方々にも心を寄せていかれます。そのため、殊にお盆には、仏前に座り手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏を称えると、そこに亡き方も先祖の方々も、こうして同じく「南無阿弥陀仏」と念仏申されていたことが偲ばれるのではないでしょうか。
 
私は、倒れた木が自らの全てを捧げて新しい樹のいのちを育み、一方新しい樹は成長するにしたがって倒木を包み込むようにして共に生きていく、「倒木更新」といわれる光景が、今こうして有縁の方々とお念仏のみ教えによって結ばれていることと重なるような気が致します。
 
私を育み、尊いお念仏のみ教えに私を結びつけてくださった有縁の方々とのいのちの絆を喜び、そのご恩に少しでも報いることが出来るような私になれたらと思うことです。

 7月:自分の力で生きているものは一つもない           

 私たちは今こうして生きているのですが、自分が生まれてきた時のことを自覚的に語れる人は誰もいません。また、生まれた以上いつか必ず死んで行かなくてはならないのですが、死ぬという経験をしたことがないので、自分が死んで行くということもよく分かりません。
 そうすると、私のいのちは、分からないところから始まって、分からないところで終わるということになります。

 
このように、分からないところから始まって、分からないところで終わるのが私のいのちだとすると、私たちは生きている間はいのちについて何となく分かっているつもりではいるのですが、やはり本質的な部分では何も分かっていないのだと言えます。
 
思えば、私は自らの意志によって「生まれよう!」と思って生まれて来た訳ではなく、気がついたら生まれていたのです。しかも、生まれてすぐに「生まれた!」と自覚することもありませんでしたし、自らのことを意識したのは生まれて数年を経てからのことです。
 
つまり、私の意識では何も分からないのに、私はこの世に誕生して、しかも気がついたら私であったのです。ところが、私は私自身を知らないままに生きていたのですが、それでもちゃんと生きて来ることが出来たのは、そこに有形、無形の多くの働きが支えてくれていたという事実があったからに他なりません。もし、何か一つでも欠けていたら、おそらく生き続けることはできず、一言の文句も言えないままに息絶えていたことでしょう。
 
その「気がついたら…」という時までのいのち一つを考えてみても、私から頼んだ覚えがないにもかかわらず、何とか生きてこられたのは、私を生かすために無数の願いが「生きてくれ」「生きてくれ」と支えてくれていたからに相違ありません。その支えてくれていた存在とは、具体的には親であったり、親族であったりするのですが、今日までの私のいのちを願ってくれているのは、決してそれだけではありません。

 
考えてみますと、意識するとしないとにかかわらず、私たちは多くの生き物のいのちを殺して食べて生きています。それは、生き物が私の口へ入って死んでくれているということです。そうすると、経典には「すべての生き物は自らのいのちを愛して生きている」と説いてありますから、ただ黙って私のために死んでいく生き物はいないと思われます。もし言葉が通じるとしたら、きっと
  
あなたは、私たちの「いのち」を取っているのだから、私たちを無駄死にさせないような人間 になってもらわなければ困る。私たちのいのちを無駄にしないあなたになれ。
というようなことを願っているのではないでしょうか。
 
このように、周囲にいる家族だけではなく、私のいのちは無数の願いに支えられているのですから、今こうして生きている私のいのちは、ただ漠然と生きているのではなく、多くのいのちの「願いの結晶」であると言うことができます。
 
ともすれば、私たちは自分一人の力で生きているかのように錯覚しています。そのために、人生の途上で困難に直面して挫折すると、ふと「死んでしまいたい」と思うことがあったりします。けれども、どれほど私が自分自身に絶望してそのようなことを思っても、私のいのちはそのような身勝手な思いにとらわれることなく、私が寝ている間にもこうして私を生かしめています。まさに、多くの願いの結晶であるいのちが今私を生きているのです。
 
自分の力で生きているものは一つもありません。周囲の人々によって、そしてより根源的には多くのいのちに支えられて、今こうして生きているのです。そのことに、心を寄せる感性を親鸞聖人は「知恩」という言葉で語っておられます。

6月:煩悩無尽と雨が降る

仏教では迷いのことを「煩悩」といい、親鸞聖人はこの言葉を「煩は身をわずらわしむ、悩は心をなやます」と述べておられます。このことから、煩悩とは私の心身を悩ますものだということが窺い知られます。
 また、仏教で煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生じ、人間の諸悪の根源は貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三つであると説き、これをあわせて「三毒」と呼んでいます。
 煩悩の数については、除夜の鐘を百八回撞くのは「百八の煩悩を滅するため」と言われていることからも知られているように、通俗的には百八といわれています。けれども、実際には煩悩の数は時代・部派・宗派等によりまちまちで、三毒を細かく分析していくと無限にあるとも言われています。 
 親鸞聖人は『正信偈』で「惑染の凡夫」といわれます。「惑」というのは「迷い」、つまり煩悩のことですが、私たち「凡夫」は時々迷うのではなく、迷いに染まっている存在だといわれるのです。
 これは私たちのものの考え方、受け止め方が、惑いに染まっているということです。例えば、今までの自身の行為を反省して、それを何とか改善していこうとする時にも、やはり惑いは働いています。それは、自分のあり方を反省する時の自身もまた、惑いに染まっているということです。
 けれども、その惑いは、決して自分の思いで起こしているのではないのです。惑いの方が私を色付けしていて、自分で気付いたり意識したりするよりももっと深く、自分のものの見方、受け止め方、考え方というものを染めてしまっているのです。このような私の本質をおさえて、親鸞聖人は「惑に染まった凡夫」と述べておられる訳です。
 確かに、よくよく考えてみますと、私たちは自分では物事を事実その通りに見ているつもりでいるのですが、いつそのような見方や考え方を身につけたのかわからないような、先入観とか固定観念というもので見てしまい、わかったつもりになって評価してしまっているということがよくあります。
 チェコスロバキアの作家ミラン・グンデラという人が
  人々の愚かしさというものは、あらゆるものについて答えをもっているということからくるのだ
  と自分は思う。
  あらゆるものについて自分は答えをもっていると考えることによって、愚かしさというものが生  れるのではないか。

と述べています。
 仏教においては、「愚かさ」ということを「無明」という言葉であらわしますが、これは「真実を知らない」ということです。この真実を知らないということは、ただ知らないという姿であるのではなく、知らないのに知っているつもりでいるという二重の思い込みに閉ざされている姿です。

 真実にふれた人は、自分がいかに真実を知らずにいるかということを深く自覚し反省するのですが、それこそ真実にふれるということのない人ほど、何でもわかったつもりになっているのです。そして、そのような在り方は、決して問い生むということがありません。そのため、自分は答えを持っていると錯覚していることから、物事の本質を理解することが出来ないままに有益か無益かと判定することに懸命になり、自分ではわかったつもりになってしまうのです。
 親鸞聖人は、著述の中で、
  無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一念  に至るまで止まらず消えず絶えず

と述べておられます。これは一言でいうと、死ぬ瞬間まで煩悩はなくならないということです。まさに、梅雨時期の雨が「無尽」思われるほど降り続くように、私たちの煩悩はこのいのちの付きる時まで尽きることなくわき起ります。それは地に降った雨が、やがてまた時を経て天に舞いあがり何度も、何度も、まさに尽きることなく降り続ける様に似ています。
 ところが、私達はこのような身の事実を教えを通して聞くことがなければ、いつまでも気付くことはなく、ただ仏法に耳を傾けることを通してのみ初めて「煩悩無尽」と気付かされ、その事実を事実として引き受けて生きる道を歩み始めることができるのだと言えます。

5月:智慧 自分の弱さと向かい合う勇気

 『正信偈』の中に「与韋提等獲三忍(韋提と等しく三忍を獲)」という言葉があります。韋提(いだい)というのは、『仏説観無量寿経』に登場するマガダ国の王、頻婆裟羅(びんばしゃら)の妃、韋提希(いだいけ)のことです。
 経典の説くところによれば、お釈迦さまの説法によって、凡夫である韋提希が三忍を得たと述べられています。ここで韋提希が得たという「三忍」とは「智慧」のことで、「喜・悟・信」の三つの忍です。また、この場合の忍は「確認する」という意味だともいわれています。
 最初の「喜忍」というのは、信心にそなわる喜びの心です。次の「悟忍」というのは、仏智をさとり迷いの夢からさめた心です。最後の「信忍」というのは、本願を信じて疑いのない心です。このことから三忍とは、「他力の信の上に得られた三種の智慧」という意味に理解されています。
 ところで、忍は確認するという意味であり、その確認というのは、認可決定ということで「はっきり見定める、認める」という意味だといわれます。そのため、この忍という字は、認めるという字の意味と同じだといわれています。
 けれども、そうであるのなら、喜・悟・信の「三認」というように、「忍」という字ではなく、初めから「認」の字を使えばよさそうなものです。何もわざわざ「忍」という字を使って、この「忍」の意味は「認」だなどと、面倒なことを言う必要はないように思われます。
 にもかかわらず、「認」ではなくあえて「忍」が用いられているということは、やはりここはこの「忍」という字でなければ表すことの出来ない深い意味が押さえられているのだということが窺われます。
 ドイツの哲学者ハイデッガーは、「ギリシア人は知恵を情熱と呼んだ」と述べています。人間としての情熱を知恵と呼んだというのです。この情熱というのは、ドイツ語ではライデンスシャフトと言うそうですが、その元の語源のライデンとは「耐え忍ぶ」という意味なのだそうです。
 つまり知恵としての情熱というのは、耐え忍ぶ情熱ということだと言うのです。したがって、情熱というのは、何でも向こう見ずに振る舞うといったことではないのです。その内実は、耐え忍ぶ力であり、それがたとえ自分にとってどんなに都合が悪いこと、つらいことであったとしても、それが事実である限りどこまでも我が身の事実として引き受けていく勇気。そういう、事実に立つ勇気というものを知恵といい、情熱というのだと言うのです。
 同様に、仏法によって与えられる智慧も、そういう事実に立つ勇気を賜ることだと言えます。それに対して、事実に立てない弱さを表した言葉が、愚痴(ぐち)という言葉です。いくら愚痴を言っても事実は変わらないのですが、その変わらない事実に立てない弱さというものから出てくるのが愚痴です。ですから、愚痴というのは弱さの表れですし、智慧というのは勇気の内実なのです。
 この智慧を意味する勇気とは、絶望以上の現実に立つ勇気です。私たちの人生は、自分の思い通りに行かないことが多く、たとえ私がどれほど絶望したとしてもその事実は何ら変わりません。また、どれだけ嘆き悲しんでも現実が変わるということはありません。けれども、その現実に立つ勇気を私たちは賜るのです。
 しかし、それは自身の現実を全部ただ認めて、甘んじるということではありません。勇気において、その現実に立つとき、初めて現実にかかわっていく、そういう歩みが自身の内から促されてくる、これはそういう勇気なのです。
 おそらく、このような意味が「忍」という言葉にあるのだと思われます。ですから、決してただ確認ということではなく、智慧を意味しようとするならば「忍」という字でなくては、その意味が明らかにならないのだと思われます。
 親鸞聖人が「正信偈」の中に取り上げられた韋提希という人は、自己の愚かさというものに立って、その人間が人間として生きていく道を尋ねたということが象徴として揚げられているように窺えます。そこに「三忍」という言葉が置かれていることの深い意味が感じられます。
 人間の愚かさと悲しさを生き切り、現実を引き受けていく勇気を賜る教え、それが仏法です。自分の弱さと向かい合う勇気を持つことが出来た時、どのような人生であっても、私たちは十分に生き尽くしていくことが出来るのではないでしょうか。

 

4月:念仏の声は尊く 合掌の姿は美しい

 浄土真宗では、念仏申す、あるいは念仏をとなえるというときの「となえる」は「唱」ではなく、必ず「称」の字を用います。
 「唱」の字は、文字通り声(口)をあげてうたうということであり、日蓮宗系統の人たちが「南無妙法蓮華経」と題目をとなえるときは、この「唱」の字を使います。いわゆる「唱題目」です。そこでは、いかに一生懸命に数多く題目を唱えたかという、その努力精進が問われます。
 一方、浄土真宗で念仏をとなえるというときの「称」の字は、決して「唱」のように、口をあけてうたうということではありません。
 親鸞聖人は、その主著『教行信証』中で、この「称」の字について字訓釈をほどこしておられます。字訓釈というのは、浄土真宗の教義において根本となる言葉について、その字の意味をひとつひとつ言葉をおさえてあきらかにされたものです。
 この「称」の字について、親鸞聖人は先ず「軽重を知るなり」と、明らかに示しておられます。「称」は、口をあけて声に出すということではなく、「軽重知る」ことだと言われるのです。これだけでは、その真意を知ることは難しいので、さらに言葉を重ねて
 詮(はかり)なり 是(是正する)なり 等(均等にする)なり 俗に秤につくる
 斤両を正すを云うなり
と字訓しておられます。この字訓は、『一念多念文意』という著述の中でも

 「称」は、御なをとなうるとなり。また、称は、はかりというこころなり。はかりとい うは、もののほどをさだむることなり。

と、述べておられます。
 これより「称」の字は、はかり(秤)の意味だということが窺い知られます。秤は「斤両を正す」「もののほどをさだむる」道具です。それは、品物に応じた分銅を乗せることで、そのものの重さを定めるものです。つまり、品物の重さと分銅の重さとがピタッとひとつに定まることで、斤両が正されるのです。そして、そのように両者がひとつになることを「称」というと言われるのです。
 これを「称名」ということに移しますと、それは仏の名のりと、その仏名をとなえる衆生の心とがひとつになったということを表します。この仏の名のりというのは、具体的には「我が名(南無阿弥陀仏)をとなえよ」という名のりですから、念仏申すということは、まさに「念仏せよ」という仏の呼びかけを聞き、うなずくことに他なりません。
 ですから、親鸞聖人は『一念多念文意』の先ほどの言葉に続けて

 名号を称すること、とこえ、ひとこえ、きくひと、うたがうこころ、一念もなければ、実報土へうまるともうすこころなり

と、述べておられるのです。ここで興味深いのは「名号を称すること、とこえ、ひとこえ」ですから、当然、つぎには「となうるひと」とあるはずなのですが、親鸞聖人は「きくひと」とおっしゃっておられることです。
 このことから「称すること」の内実は「きくこと」だということが知られます。つまり「念仏申す」ということは、仏の名のりにうなずくことであり、そこに「念仏申せ」という仏の言葉を聞き、それに順うということなのです。
 このことから言えるのは、となえることにおいて聞くということのないのが「唱」であり、となえることにおいて聞くという生活・世界が開かれるのが「称」であるといえます。したがって、称名念仏は、つねにそこから人を聞法者として生み出していくはたらきをなしていきます。
 さて、なぜ「念仏の声は尊く 合掌の姿は美しい」のでしょうか。それは、念仏の声は私が称える声でありながら、そのまま仏が私を呼ぶ声そのものだからです。
 また「念仏申す」ということは、私が仏を「讃嘆」するということですが、聞法の中からなされる「讃嘆」は、必ず自らの罪業性を心から「懺悔」するところから生れるものです。
 この場合、自分をほんとうに懺悔するというのは、自分で自らを懺悔するのではなく、自分を超えたものにふれたとき、初めてはからずもすべて頭が下がってしまうということです。ですから、懺悔ということは、讃嘆なしにはないのです。一方、讃嘆のない懺悔ならば、それはただ暗い顔をしているだけのことであって、単なる愚痴の一つに過ぎません。
 教えを聞くことを通して、自らを深く懺悔する中からなされる讃嘆の姿、それが念仏申す合掌の姿です。だからこそ、その念仏の声は尊く、その合掌の姿は美しいのだと言えます。

 

3月:あなたがいてくれたから がんばれたよ

 
親鸞聖人は、念仏者として生きていることのしるしというものを「ねんごろのこころ」を持つということの上にご覧になっておられます。「ねんごろ」というのは、「あの人はねんごろな人だ」という言い方をしたりしますし、身近なところでは「懇親会」の「懇」という言葉だと言えば、お分かり頂けることかと思います。
 
辞書で調べてみますと、「根も絡みつくほどに」ということから、相手の人と根を一つにするという心を表しているのではないかと説明してあります。また、「心づかいのこまやかなさま」「まごころでするさま」「互いに親しみ合うさま」というようなことが述べられています。これらのことから、「ねんごろ」という言葉は、相手の気持ち、さらに言えば相手の存在を思いやる心だということが窺い知られます。
 
そうしますと、親鸞聖人が言われる念仏者とは、相手の存在そのものを常に心にかけ、思いやる人のことだと言うことができるようです。
 
このことを理解して行く上で、ひとつ注意しておかなくてはならないことがあります。それは、「相手を思いやる」というのは、自分の思いで相手を思いやるのではないということです。どれほど自分では「ねんごろ」なつもりであっても、自分の思いで相手を思いやると、時として相手の人にとっては煩わしいだけということが少ながらずあるからです。
 
このことから「ねんごろ」ということには、ただ単に相手を思いやるということではなくて、そこに相手を思いやる心を持って、相手に聞くということ。そして、相手の心に尋ねるということがその根底にはあるように思われます。
 日頃、私たちは自分なりに何か相手のことを考えて、「こうすると、とても喜んでもらえるだろう」と、何かそういう形で自らの善意を押しつけてしまうことがあります。けれども、「ねんごろ」という時には、精一杯のことをしながら、しかもなおそこに相手の気持ちを思い計るということが大切になってくるのではないでしょうか。
 
ところで、親鸞聖人はなぜ念仏者として生きていくことのしるしを、この「ねんごろ」ということ以て示されたのでしょうか。それは、おそらく私たちがねんごろな心を失い、「悪(あ)しかりし心」をもって「ひとえにわがおもうさま」なことばかり言い合って生きているからだと思われます。「悪しかりし心」というのは、ただいけないという事柄ではなく、人間としてのあるべき心を失っているということです。仏教における「悪」とは「嫌悪」というときの「悪」という意味で使われます。したがって、人間として「嫌悪」すべきあり方に陥っているということで、法律的に罰せられるとかいうことではないものの、人間としてのあり方を失い、損ないながら生きているということを意味しています。
 
そして、そういう「あしかりしこころ」を持つ人は、自分の思いのままにものを言い、自分の思いのままに行動し、しかも自らを正当化しながら生きています。それは、どこまでも自己に固執する生き方であり、他に対していつも自分を閉ざした心にほかなりません。したがって、そのような生き方においては、人間としての出会いというものが開かれてくるということは決してありません。
 
今出会っているその人を、固定観念や先入観で決めつけることなく、一人ひとり真向かいになり、その一人ひとりを深く見つめ、一人ひとりの心に静かに耳を傾けていく。そこに、今出会っている人と敬い合い、支え合いながら生きる、まさに根が絡み合うほどに共に生きて行くような関わり方が生まれて行くのだと言えます。
 
私たちの人生は、なかなか自分の都合のいいように展開することもなければ、我が身のことさえも思い通りにはならないものです。だからこそ、お念仏のみ教えを聞くことを通して、ねんごろの心を持つとき、そこに「あなたがいてくれたから、がんばれたよ」とお互いに語り合えるような、あたたかな人間関係が生まれてくるのではないかと思われます。

 

2月:心は行いによって初めて見える

 『蓮如上人御一代記聞書』という、本願寺第八世・蓮如上人(1415-1499)のお言葉を記した書物の中に、次のようなことが記されています。
  『“念声是一”という言葉がありますが、もともと念は心に思うことであり、声は口に称えることですから、これが同じであるというのは、いったいどのような意味なのかわかりません」という質問があったとき、蓮如上人は「心の中の思いは、おのずと表にあらわれると世間でも言われている。信心は南無阿弥陀仏が心に届いたすがたであるので、口に称えるのも南無阿弥陀仏、心の中も南無阿弥陀仏、口も心もただ一つである」と仰せになりました。』

 また、親鸞聖人(1173-1263)は

 『本願を信じ念仏を申さば仏になる』

 と、仰っておられます。「本願」とは「念仏せよ、救う」という阿弥陀仏の喚び声ですから、それを聞いて信じた者は、必然的に「南無阿弥陀仏」を心に信じ、口に「南無阿弥陀仏」を称えることになります。

 蓮如上人のお言葉は、この親鸞聖人のお言葉を踏まえてのものと思われます。ちなみに、蓮如上人が生きられたのは室町時代、今から約六百年ほど前ですが、この「聞書」の記述により、既にその頃から「心の中の思いは、おのずと表にあらわれる」と言われていたことが窺い知られます。

 「有言実行」「無言実行」という言葉があります。前者は「自分で言ったことは必ず実行する」後者は「あれこれ説明することなく、自分が正しいと思うことを直ちに実行する」ということです。

 以前は、言葉にしなくても黙って自分の成すべきことをきちんとやり遂げるというあり方が文化として定着していたこともあり、前者が高く評価されていたのですが、現代社会においては、周りと約束した後に実行できてこそ、ビジネスや私生活において他人から信頼を勝ち取ることができるということから、どちらかと言えば後者が評価されているように窺われます。

 ところで「有言実行」という言葉は「無言実行」に対するものとして、後から造られたということをご存知でしょうか。一度宣言(有言)をしたのにそれを実行しないと「有言不実行」ということになります。社会生活を営む上で、このように不誠実な態度は周囲に迷惑をかけ、当然のことながら人々の顰蹙(ひんしゅく)をかいます。

 その一方、「無言実行」を試みて達成できなくても誰からも非難を受けることはありません。「無言不実行」の場合、黙っていたのですから、誰も達成できなかったことを知り得ないからです。そうすると「有言実行」は、一度口にした以上実行しなければ非難を受けるのですから、もしかすると「無言実行」よりも達成率は高くなるかもしれません。そのような経緯から、「有言実行」という言葉は造られたのではないかと思われます。

 そのため、つい「有言実行」よりも「無言実行」の方が、楽に思える時があります。けれども、心は誰にも見えませんが、その人の心遣いは、行いや言葉によって見えます。また、あたたかい心も、やさしい思いも行いによって初めて見ることが出来ます。その反対に、冷たい心や、思いやりのなさも、行いによって見えてしまいます。
 時として私たちは、心の中は他人からは見えないのだから、何を思ってもかまわないと考えしまいがちです。しかし「表面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われること」を「偽善」と言います。したがって、心は行いによって見えるのですから、行為さえ取り繕えば良いという訳にはいきません。
 良い心も、悪い心も、「行い」によって表れることを忘れずに生きたいものです。

 

1月:慈光に照らされて 新しい一歩をはじめよう

 親鸞聖人は、阿弥陀仏を意味する「尽十方無碍光如来」という名号を解釈されるにあたって、「尽十方」とは、「無碍」とは、そして「光如来」とはという区切り方で、その意味を明らかにしておられます。
 
一般には、「無碍光」とは、「如来」とはという区切り方をして解釈を施されるのが普通だと思うのですが、親鸞聖人は「光如来ともうすは阿弥陀仏なり」と述べておられます。
 
これは、阿弥陀仏という存在があって、その阿弥陀仏自身が光るのではなく、光の他に阿弥陀仏という存在はないということを明らかにしておられるのだということです。つまり、阿弥陀如来とは光如来であり、光のはたらきそのものだということです。
 
もちろん光のない仏はありません。仏である限り、その身には必ず光明があります。けれども、それは、仏としての徳を成就した相として自然とその身にそなわったのであり、光が成就することを以て仏の本願の成就とされた訳ではありません。ましてや、光としてのはたらきをもって自らのいのちとしておられることはないのです。
 
けれども、阿弥陀仏は「私の光に限りがあって、よく照らすことの出来ないところがあるようならば、私は仏にはなりません」という願の成就した名なのです。それはあらゆる世界(尽十方)、あらゆる存在(無碍)をことごとく光あらしめるまで、わが光を成就しようという名告りです。
 
「尽十方無碍なる光明」それが阿弥陀仏そのものなのです。そして、このことを端的に示しておられるのが「光如来」という区切り方だといえます。ですから、阿弥陀仏という名告りと、尽十方無碍光如来という名告りとは、同じことなのです。
 
ところで、親鸞聖人は「無碍光仏は光明なり、智慧なり。この智慧はすなわち阿弥陀仏」と示しておられます。なぜ、仏の智慧を光明をもって表されているのでしょうか。
 
私たちの眼を「借光眼」といいます。何でも見えているようですが、光の力を借りないとものを見ることが出来ないからです。したがって、光がない時、私たちに出来ることといえば、手さぐりをすることだけです。そのため、智慧の光をもたない時の私たちの生き方は、手さぐりをしながら生きる他はありません。
 
手さぐりの生活とは、自分の判断、自分の体験だけを頼りにて生きていくということです。そして、自分の判断、自分の体験だけを唯一の頼りとして生きていくということになると、私たちはどうしても物の見方が一面的になり、自分の体験にとらわれてしまって、なかなか物事の本質を見抜けなくなってしまいます。しかも、その体験を後生大事に抱え、それを絶対的な尺度にして人生を解釈してしまうことにさえなります。
 
光明としての智慧がないとき、人は必ずそういう過ちを犯してしまうのです。このようなあり方を仏教では「空過(くうか)」と言います。空過といっても、ただ何となく一生を過ごしてしまったというのではありません。その人も一生懸命に自らの人生を生きたのです。けれども結局、一生懸命に生きてきたにも関わらず、ただいろんな思い出だけが残ったというだけで、何のために一生懸命に生きたのかということも分からないままに空しく終わってしまうのです。
 
手さぐりの生活では、手さぐりをしている自分自身の姿を見ることは出来ません。そのため、自分自身に目覚めるということもないのです。仏教の智慧が光で表される第一の意味は、私たち一人ひとりに抜きがたくあるところの、自分の体験への執着そのものを破るはたらきがあるということです。言い換えると、仏法の智慧というのは、あれも知っている、これも知っているとうことではなく、まわりがはっきり見えるということです。そして、そのことは同時に手さぐりしている自分自身がはっきり見えてくるということです。
 
この見えてくるということは、ただ単に周りが見えるということではなく、その事実にしたがって生かされていくということです。そして、それがたとえ今まで自分の体験によって培ってきた物の考え方をその根底から否定し、ひっくり返されるようなことに出会っても、それが事実である限り、事実を事実として受け止め、生きてゆく情熱としてはたらくものなのです。
 
これからの一年、私たちの人生にはいったい何が待ち受けているか分かりませんが、阿弥陀仏の慈光(みひかり)に照らされて、かけがえのない人生を勇気を持って生きて行きたいものです。



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